24.二大怪獣、東京に現る
怪獣出現の報を聞き付け、平田のいる現場の混乱は甚しかった。
「状況!」
「ライゴウ一体! ヌレハガチ一体!」
「やっぱりか!」
ビルを取り囲むようにして突如出現した大怪獣は、一方は包囲網を蹴散らすように暴れ出し、他方はビルそのものに巻き付いて威嚇の姿勢を取る。
対する特駆群の編隊は五人一班で十二班──合計六十人の構成で、このすべてが戦闘員ではない。通信班であったり、後方支援の担当であったりとを差し引いていくと、実体戦力となるものはその三分の一程度、つまり四班二十人のみが武器や兵器を使用することを許されている。
それらすべてを統括する現場責任者が、椹木信彦三佐だった。
度重なる怪獣出現に際して、国家レベルでの対応が求められるようになると、ある種の行政手続きが必要になる。特に〈新宿百鬼夜行〉以来出動を繰り返している特殊害獣駆除作戦群(通称:特駆群)は、その名称通り怪獣を一種の凶暴化した野生動物(害獣)の駆除を目的とする旨で設立された。したがってその出動規模には出現した怪獣に応じた制限が設けられている。
むろん、その危険度の点検は現場の判断ミスも多く、当初はむやみやたらと火力兵器を持ち出していた。しかしこの三年間で経験知を蓄積した結果、怪獣の災害規模をいったんサイズで見積もり、作戦行動中の状況に応じて素早く危険度を判断し、使用兵器を調整するプロセスを獲得するに至った。
今回対象となる大鼠の怪獣ライゴウは、その体長が十メートル超えかつその生体組織からの伝染病のリスクを抱えていることから、人気の多い市街地での戦闘をあまり好まれていない。
兼ねてより民俗学者や生物学者を集めて行われた分析では、生物学上はクマネズミに近いと目されており、その知能の高さや殺鼠剤への免疫力、その鋭い手足からコンクリートの建造物の壁面を登り上がる可能性を指摘されている。しかしその食性は植物(穀類や野菜類)を好むとされており、物理的破壊以外の人的被害はあまりないだろうとされていた。
ただし、PIROほか民俗学的研究からは、頼豪こと鉄鼠は怨念の賜物であるからして、食人の性質はなくとも人間への積極的な攻撃性を指摘されている。歴史文脈的にはすでに怨念を晴らす機会を逸しているが、それはそれとして怨念というものは延々と末代まで祟るようにできている。だから常に人を襲う余地があると譲らなかった。
おまけに鉄鼠はその名前の通り、鉄をも砕く恐るべき前歯が目立ち、この餌食となったら鉄筋コンクリートの建造物はたまったものではないだろうと予想された。
いっぽう、ヌレハガチに対しては俵藤太による大ムカデ退治の伝承から、対策が練られた。データ上からも、全長が三十メートルを超える周辺地域への影響力、またその特異なまでに硬化した表皮と、そこから発する酸性の毒液には全会一致で危険性を認めた。
また一般的なムカデの生態として、触角が重要な器官であること、また肉食性であることから直接の人的被害はあり得るであろうこと、その他諸々の情報が揃えられた。
結果、現在の特駆群の戦力は次の通りである。
主戦力装備──携帯式対巨大生物用麻酔弾装填ロケットランチャー十基、及び各人結界破砕マグナム三発ずつ携帯。
予備戦力装備──ライトガン(※小型の強烈な照明明滅装置で、機動力優れる鉄鼠の視野を一時的に無力化する)。
共通装備──霊視バイザー、妖力妨害煙幕三個。
特殊装備──対鉄鼠用特殊超音波発生装置五基。大型ハロゲンスポットライト十基。移動式誘導放出マイクロウェーブ照射砲台六基。建設用クレーン二台(モンケン装着済)。
多くは等身大の害獣・害虫駆除の方法を応用し、設備面での支度をしたものである。妖力や呪術による非常識な行動・攻撃については常に想定外が懸念されるためにこの指定の枠内での対策は十全ではない。
しかし理論上は、上記の設備で人的被害を抑えつつの駆除作戦行動が可能となる。
実際ライゴウとヌレハガチの行動に対して、特駆群はよく働いた。火力兵器に頼らず小回りの効くよう設計されたチームワークで怪獣の出現位置に素早く対応する。
その間、ライゴウの先制攻撃が目にも止まらぬ速さで西新宿のビルに突進するものの、付近に待機していた予備戦力第六班がライトガンを明滅させて抵抗した。夜中に激しく明滅した光を浴びて、ライゴウは勢いを削がれ、道を逸れる。そこに間に合った第七班の超音波発生装置が、コンクリートジャングルに反響してライゴウの包囲網を形成する。
慌てて追われるライゴウだったが、すかさず他の超音波発生装置に囲まれ、激しいストレスに苛まれて立ち往生する。
超常のケダモノとはいえ、ネズミの習性は容易に抜け切らない。そこにトラックで移動した主戦力の第二班が携帯式対巨大生物用麻酔弾装填ロケットランチャーを装填し、構える。万が一の逃走を避けるために、他班の援護は容赦がない。第四班による妖力妨害煙幕手榴弾が炸裂し、藍色の煙に一帯が巻かれると、一同は素早く霊視バイザーをおろした。そこでは霊子と呼ばれる霊的磁場を働かせる粒子が、サーモグラフィーよろしく視界に変化をもたらす。
急速に青く無反応の遮蔽力場の只中に、動きを封じられて縮こまるライゴウの巨体がくっきりと赤と黄色に彩られた。
「撃ッ!」
巨大な麻酔弾が複数、怪獣に向かって飛んで行った。
一方ヌレハガチ対応班は、当初の想定よりもビルに接近し過ぎている当の怪獣相手に設備の移動を伴う面倒を負っていた。
まずハロゲンランプの台座を移動し、目標をライトアップさせると、あとから移動式誘導放出マイクロウェーブ照射砲台を並べ立ててヌレハガチに照準を合わせる。ムカデはその性質上寒さと乾燥を嫌う。いまは梅雨明けの夏であるため大気も暑く、湿度も高いが、この移動式砲台はまず表皮を濡れそぼつ体液もろもろを乾燥させようという魂胆だった。
しかし攻撃は中断された。
「まだ建物に人がいる」
それが中断の背景だった。
ところがヌレハガチはそのような人間の判断を知ってか知らずか、触角を盛んに動かして硬い表皮から毒液を滴らせた。その液はビルに垂れれば垂れるほど、中にいる人間が危うくなるのは必定。もとより自衛隊も公安警察も、人間相手に殺人を許可された集団ではない。だからとっさの判断とはいえ、この危機的状況に際してゴーサインをくだせるものはひとりもいなかった。
「ありゃまずいな」
平田啓介がタバコを咥えながら愚痴を垂れる。
「どっちに転んでも、山崎も岐もあん中じゃきついぞ」
「平田さん! あれ!」
傍らに戻っていた吉田恂が、指差した先には、脇腹に大きな麻酔針を刺されたはずのライゴウネズミが、ビルの壁を恐ろしいスピードで駆け上がっていく光景があった。
その爪と牙は鉄筋コンクリートをものともせず、ダンボールに穴でも開けるかのように容易にザクザク亀裂を入れて駆けのぼる。たちまちにして八階だてのビルの屋上にのぼり詰めるが、その重さに耐えきれずにミシミシヒビ割れる音が轟く。
「崩れるぞ! 退けッ!」
作戦行動圏はオフィス街である。その中でも数少ない住民と、付近建造物に勤務している一般人の避難はかなり念入りに行った。
とはいえ、ビルひとつ分の倒壊とそれに伴う道路やインフラへの影響場計り知れない。土煙り、コンクリートの破片粉塵を巻き上げながら、大地が唸るような轟音がライゴウを押し包む。一見するとパニック状態になったケダモノが建造物の下敷きに成り果てた構図である。しかし相手は怪獣である。怪獣とは尋常の生物学や物理法則を物ともしないから怪獣とされているのだ。
まもなく土煙りの中から仁王立ちするライゴウのすがたが目視できた。
「第四班、妖力妨害煙幕をもう一度張れ」
椹木三佐は怯まず命令する。
妖力が使えなければどこまでいっても獣の一種に過ぎない。ここは堪えて持てる装備の限りを尽くして消耗戦に挑むしかない。それがある種特駆群ならではの戦い方である。
いっぽう、平田啓介は吉田恂とともに別行動を取る旨を検討した。
「椹木、おれらもあのビル行くわ」
「作戦行動範囲内だが、いいのか?」
「だからこそだ。あの中にいる公安警察の馬鹿どもを引き払わんと、どうにもならんだろーがよ」
椹木三佐は苦笑した。
「命の保障はできない。無事を祈るよ」
「ばかやろう、お祈りはこっちの専売特許だ」
グータッチをする。
人気のない、しかし怪獣がいつ暴れて街を粉々にするともわからない路面を走って、ふたりは皇重工第四支社ビルへと急ぐ。
その道中もライゴウの雄叫びやドタドタと地震めいた地鳴りが心身に堪えた。しかし当初盛んだったその応酬も次第に頻度を減らしていき、徐々に衰弱していくのがわかった。何度か麻酔弾が当たったのか、それとも麻酔がようやく効き始めたのか。少なくとも特駆群の面目躍如たる成果が現れつつある。
ふと見上げると、当のビルに依然ヌレハガチは巻きついたまま、触角を張り巡らせている。その動きは回転するパラボラアンテナにも似て、指定範囲内に生体反応を発見するや否や警戒色を剥き出しにして毒液を吐き出すという寸法だった。
しかしふたりはヌレハガチのアンテナに引っ掛からなかった。というのも、吉田恂の十八番技たる結界、式神の術を通じてヌレハガチの触角がわずかに発している妖力の波動を中和していたからだった。この対策は事前に出現した際、特駆群と研究機関による分析結果に基づいての快挙だった。
「しかし、わからねえな」と平田。
「なんですか?」
「怪獣一匹、これを御することができればそれだけで立派な生体兵器──核にも化学兵器にも匹敵するヤバいものが、それも二体もいる。なぜ早々にこんな、ふつうなら切り札に当たるような手を、わざわざ二週間も前に明かしたんだ? お陰でおれらはいまこうして対策を練っている。呪術の世界じゃ手のうちを明かすことがどういうことか、お前もよくわかってんだろ?」
「ええ、まあ。しかし制御に手間取ったのかもしれませんよ? あれだけのサイズの式神を使役するって、相当の妖力と素質が要りますよ。並大抵の技術があっても訓練が要ります。その過程でミスって出てきた、なんてのはあり得ない話ではないでしょ」
「しかし、だったバレた時点で畳み掛ける必要があっただろう。二週間は、たしかにすぐさま対策取れるほどじゃないが本気を出した国が二週間もあればかなり動ける方だ」
もちろん、たいていのことでは国家は本気を出してくれないのだが、と平田は内心思った。少なくともお偉いさんの意見がまとまるときは既得権益の保護と自分達の都合がうまくまとまるとわかった時だけだ。今回は間違いなく前者だろう。
「だとすると、なんだと思ってるんですか、平田さんは?」
「んなもん、知らねえよ。だが、いま出てる怪獣二匹よりもっとヤバいやつがあるってことだろうが」
「──その通り」
まさにビルに入ろうという、その時である。
振り向くと、ひとりの女が実に愉快な表情で男ふたりを見据えていた。月明かりのもと、異装をまとった黒いウェーブの髪、そして泣きぼくろの目元。
「望月サヤカか」平田は観念して、その名を呼んだ。