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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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22.岐庚の秘密

 尋常ではない破砕音と震動が上階から響いてくるのを感じながら、大国忍は苦々しい気持ちを押し殺していた。


「巫女は充分にやってるようだな」


 土師清巳が笑う。フードを被ったサングラスは相変わらずである。


「しかしなんでまた巫女はあんな前線勤めにご執心なんだ?」

「……おまえ、本気か? あの(くなど)の娘だぞ?」

「本気も何も、知らんもんは知らんよ」


 大国自身、公安組織内部で初めて岐庚と出会ったときにそれほどの重要人物であった認識はない。

 彼女との付き合いは、まだ新人勤めだった二ヶ月間にそこそこ会話したぐらいだった。若くて活きの良い新人は、現場ではとにかく重宝する。平田から庚の面倒をみてくれるよう頼まれ、二、三の任務をこなしたあとの素朴な感想はそれだけだった。


 ただ、一回飲み会のときに志望動機を聞いたことがある。なんてことはない、冗談のつもりで言ってみた気楽なものだった。

 しかしそのときの彼女のリアクションは当初思っていたよりも切実なものを帯びていたのだった。


「父から離れていたいんです」


 彼女はそう言っていた。その時の苦笑いめいた微妙な表情は、やけにハッキリと大国の記憶に焼き付いていた。

 しかし大国はそれ以上踏み込まなかった。マ、年頃の娘さんなんだから父親から距離を置きたい理由は相応なもんだろう。と娘を持つ父でもあった大国自身、思うところがなかったわけでもない。その娘はもう今年で十二歳、親権を持っていない手前、会うことさえもままならない。おまけに風の便りでは離婚相手から相当なヘイトスピーチを叩き込まれたらしく、すっかり同化して視界に入れるのも嫌だと仰せらしい。


 家庭というのは、そういうものだろう。なんとなく自分の素質に合った仕事を選び、なんとなく世間が良しとする方向に所帯を持った。決して不誠実だったつもりはない。実際最初の三年ぐらいは上手くいっていた。よく話し合い、気遣いと心遣いを繰り返し、ありがとうとごめんなさいを積極的に言い合える対等な婚姻関係を目指していた。

 娘ができたとき、正直いま振り返るとあまり良い父親ではなかった。出産に立ち会ったときは右往左往したし、仕事も徐々に忙しくなってワンオペ育児をさせてしまっていた。だからできる限り金銭面で不自由はさせなかったし、時間ができたときは娘の面倒を見ることを願い出たものだった。


 おかげで同僚からは非難轟々だった。お前ほどの実力者がなぜ。特に平田啓介からのバッシングは甚だしいものだった。というのも、警察に入った同期であり、いつかキャリア組を見返してやろうぜ。そんなことも言い合った。世の中の潮目に対してやんちゃな自論も言い合った。喧嘩もした。徹夜で飲み明かしたこともあった。

 それほどの間柄の人間が、ライバルだと思っていた人間が、突如として同じ戦いの場から降りると言ったのだ。大国は別に厳密に降りると明言したわけではない。しかし平田から見たら、降りたように見えたのだろう。時折りしも某国機関と鎬を削っていた頃で、人員も時間も、いくらあっても足りない時だった。そんな中で最前線に立って指揮も取れる優秀な人材が、家庭事情を理由に離れるとは信じられなかったのだろう。


 まだ、ブラック企業などという言葉が一般化していない頃なのだ。


 のちになると、そういう家庭や個人を尊重する方向に組織や経営が舵を切る。その前段階で動き出した人間は往々にして奇異な目で見られがちになる。大国はそこまで出世に興味があったわけではない。だから、なるようになれ、というモットーで、平気で路線を外れる決意をした。おかげで平田とは複雑な平行線をたどることになったわけだ。

 しかしそこまでした努力も、結局のところ無駄骨に終わった。


 離婚は相手から切り出された。相手が浮気をしていたことがあとから分かった。しかし振り返って帰宅が一週間に一回、というような過酷な労働が続いたことを考えれば、それはそうだろうと責める気にもならなかった。

 別れ際、娘は六歳だった。もう物心が付いて小学校で世間なるものを学び始めている。そんな娘には会うたびに優しく接していたつもりだったが、元妻の再婚相手の方に駆け出した時、この世の不条理が具体的な形をともなって大国にのしかかったのを痛感した。


「父から離れていたいんです」


 岐庚の言葉は、あの時の娘から発せられた時空を超えたメッセージのように思えたものだった。だから深く追及するのをやめたのかもしれない。それはあえて傷口に触れない優しさではなく、自分の心の傷を見たくない弱さだったのかも、と。


 土師清巳はすっかり呆れかえっているようだった。


「おまえといると、どこから本気でどこからがふざけているのかわからねえな」

「よく言われるよ」


 家庭のために、タバコもやめた。飲み会も殆んど参加しなかった。だからいま口寂しさはコンビニで買ったガムを噛むだけだった。

 スッ、と一枚噛むと同時に、土師清巳にも差し出す。要らねえよ、と無言の手が跳ね返すと、青年は語り続けた。


「岐家はな、この国の裏方でもある政治結社の世襲幹部さまなのよ。んで、女はそこのお姫さまってとこさ」

「あらまあ大した金持ちだこと」

「それだけじゃねえ。ご当家はだいたい霊媒師の血筋。霊能者としても一流で、その訓練も最先端の流派を持っている。まさに霊能界のサラブレッドみたいなヤツなのよ」

「へえ」

「へえ、ておまえ」

「別にいまさらそんなこと聞いても驚く要素ゼロだよ。そんなん人を見かけと財布でしか見てないようなもんじゃないか」

「バカ言え。おれらのいる業界は生まれ持ったものが全てだ。才能、財力、人脈。この界隈に努力賞なんて存在しねえんだよ」


 努力したってできないことはある。どんなに視力検査をしたところで妖怪幻魔の類は視ることはできないし、どんなに素敵な喉を持っていたところで符呪を唱えて実行することは叶わない。にもかかわらず、霊的なもの──目に見えない力は作用する。どんなに才能があっても、どんなに財力があっても、そしてどんな有力者とつながりがあっても、飽きたらないのがこの世界の(カルマ)なのだ。

 それは才能がありながら生まれる家と立場が得られなかった土師清巳にとっては、おのれの醜さを曝け出してても欲しいものだった。


「まあ、とにかくすげえのはわかった。が、そんなヤツだとはいえ、しょせんは将棋で言うところの飛車角みたいなもんだろうに。わざわざ金銀王将で獲りに行かにゃならんほどかねえ」

「……まだ、わかってねえな」

「ふん?」

「そりゃ──」


 と、言いかけて、口をつぐんだ。


 上階から降りてくるものの気配がする。その妖力の振動はほとんど一瞬のことだった。ハッと気がついて振り向くと、ポニーテールの中性的な顔立ちが、ふたりの背後に立っていた。


「そろそろ時間だよ」


 (ユエ)は言った。


 組織の内部に長く所属してわかったのは、望月サヤカという人物はめったに人前に姿を現さないということだった。いや、会う人間を積極的に制限しているというべきか。少なくとも会ったという証言は多い。ただ、それは『リマインズ・アイ』を通じたオペレーター陣の話であって、大国や土師のような現場で実戦するメンバーに対しては、この(ユエ)という側近が代わりにやってくる。

 この任務を始めたとき、いかに組織内部の信頼を勝ち得るか──それだけが難題だった。優れた組織は、優れたコンセプトに賛同した、その体現者によって構成される貴族主義(アリストクラシー)標榜(ひょうぼう)する。それはトップダウン式の組織に至っていよいよ本格的なものになる。大規模な組織ほど、体制がシステム化しているものほど、そこに末端として入ることは自身の自由と安寧との等価交換の図式とならざるを得ない。


 なぜなら、出来上がった組織を運営・管理するのは別格の人物に限られるからだ。


 大国は、しかしその立ち上げに携わったわけではない。とすれば歯車じかけの組織末端にしか居場所がないわけで、しょせんはよそもの、高い地位を得るためには人並外れた努力と実績を見せつけるしかなかったのだ。

 それが功を奏したのか、いくつかの妖怪狩りの果てに、彼は〝雑面法師〟とあだ名される実力者の片腕として呼ばれるようになっていた。もともと実力面では評価されていたのが、良いオペレーターと巡り合ってさらに躍進を重ねた。


 そんな実力者がまだ高校生の女の子だと知った時の衝撃は大きい。まだ当時は〝雑面法師〟と呼ばれていなかったが、明らかに頭が二つほど抜けたとんでもない知識と洞察力を誇っている。彼女のおかげでいまや魔家四将の筆頭格だった。が、それと同時に妙なやるせなさすらあった。


 その気持ちは、いまも変わらない。


「了解。てことは、あのふたりも配置ついたってわけね」と大国。

「そういうこと。潜入捜査員は全員仕留めた。あとは畳み掛けるだけだよ」


 (ユエ)は無表情のまま言い終えると、ふとエレベーターホールの方を見た。


「あっ、今のなし。侵入者がひとり。ちょっと手強いかも」

「侵入者ァ?」

「そろそろ勘付かれたのかもね。助け舟を出しに来たのかもしれない」

「やはり岐の猿女君ですかね?」と土師。

「さあ」


 (ユエ)は肩をすくめる。至極どうでもいい様子だった。


「侵入者の片付けはきみたちふたりに任せるよ。ボクはさっさと作戦行動に移らせてもらうから」

「へいへい」

「いってらっしゃいませ」


 土師がうやうやしく頭を垂れる。それを尻目に(ユエ)が下のエレベーターを押すと、ちょうど登りつつあった箱とは別のドアが開く。

 (ユエ)が箱に乗り、一階を押す。そしてそのドアが閉まるのとほぼ同時に、もうひとつのドアが到着を告げた。


 降りるエレベーター、開いたドア。

 そこで待ち構えていた大国忍と土師清巳は、開ききったドアから現れた人物を見た。


 山崎ひかりである。


「あッ、ヤベ」


 思わず言葉が漏れたとき、日本刀の刃が容赦なく大国を襲ったのだった。

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