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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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21.月に吼えろ

 時は二〇一八年、七月十四日。

 依然、夜である。


 月が漫然と微笑んでいる。平田はイライラしていた。岐庚との最後の会話からすでに十五分が経っている。

 約十分おきに入っていた連絡が、ここに来て途絶えている。もちろん事前に山場があることを察知してのことだ。


 それが、来ない。

 だとすれば、やはり有事を想定すべきか。


椹木(さわらぎ)三佐、周辺の状況は?」

《妖力レーダーは全く動きを見せない。PIROのお姉さまも首振ってるから、ホントに何もないと思うぞ》

「抜かっちゃダメだ。術者は凄腕ほど持ち前の妖力を消すからな」

《能ある鷹は爪を隠すってか》

「まあ、そんなとこだ」

《いちおう警戒はするが、仮にそうだとしたら自分らに手の打ちようはないぞ。判るとしたら、それはあんたたちしかいない》

「…………」


 尤もである。


「そうだな。あくまでやれるのは、不審者ではなく不審な害獣への対処だ。ただ、来るとしたらそれは一瞬だからな」


 これまでの代々木公園、高田馬場での怪獣目撃情報は、過去の怪獣災害と比較して明らかにおかしいことがある。

 それはもちろん怪獣が前触れなく現れ、消えるということだ。だとすればそこには物理学や科学的分析では理解不能なファクターが差し込まれていると考えなければならない。


 呪術師の間には召喚の札というものがある。特定の呪文を書き記し、儀式の場を設ければそこに妖怪を呼び寄せ、時に式神として己の妖力の支配下に収めることができる。

 この度の二度の事件に際し、用いられたのはおそらくそれだった。


 では。


 問題なのはここからだ。大きく二つある。ひとつは体長十メートルを超える怪獣を使役するほどのおぞましい妖力を溜めた人間が(あるいはその術を行使する集団があったとして)果たしてどれほどのものなのか? 何かトリックでもあるのか?

 もうひとつ。ここが重要で、もしそれだけの異能を駆使できておきながら、なぜ隠さずにいられなかったのか?


 平田が暗に懸念しているのは、まさにこのことだった。

 つまり、儀式の場を設定せずに、怪獣を好き勝手召喚すること自体が単なる常備兵力で、それ以上の切り札を隠し持っているとするならば?


「もちろん、怪獣は気にしないといけねえ。こんなところで妖怪の一匹放っただけでパニックになるのは間違いないんだ。ただ、それ以上を考えていないと、おれたちは出し抜かれるぞ」

《了解。全く、異能の話にはついていけないよ》

「褒め言葉だと思っとくよ」


 通信を切る。

 次の相手に繋いだ。


「吉田ァ! まだ(くなど)に繋がらねえのか!」

《ちょっ、相手によって態度変えすぎですよ。パワハラというか、恫喝じゃないですか!》

「るせぇ! あくしろ!」

《ダメですよ! さっきから言ってますけど、結界があります。巧妙に隠されてますけど、ネズミ一匹入る隙のないほどの妖力制御で、抜け道探してもキリがないです》

「だが、岐は入ってったぞ。あいつが何も感知しなかったわけが」

《逆なんです。この結界は一定以上妖力のある物体しか通過できない仕掛けなんですよ。だから僕が密偵に使ってるような小回りの効く式神は全員ダメなんです》

「…………じゃあ、これをクリアするためのサイズ感は?」

《人間。等身大です》

「明確な物体でないとダメか?」

《ダメです。一二〇センチメートル以上はないと弾かれます》

「市民プールのスライダーじゃねえんだぞ。てことは、その結界は人間が視認して阻止できるものしか通さないってんだな」

《はい》

「くそっ」


 奴ら、わかってやがる。妖術使いが何を一番恐れるべきなのかを。


「わかった。もういい。お前は下がって椹木三佐の補佐に回れ」

《えっ、あれでも》

「いいから、あくしろ!」


 切る。そして、もう一度つなぐ。


「山崎か?」

《はい》

「状況が変わった。お前に全て一任する。暴れてこい」

《……いいの?》

「言ったろ。状況が変わった。正面から入って、遠慮なくやれ。岐が危ない」

《……わかった》


 終わる。この部下は一番話が早い。


「頼むぞ」独りごちる。


 その言葉を嘲るように、月の光は青く冷たい。



     ※



 月の光が刃物のように鋭く窓辺に掛かっていた。岐庚は朦朧(もうろう)とした意識の中で、影に揺蕩うその女──望月サヤカの顔を見る。垂れたまなじりに泣きぼくろが付いた、柔和な面持ちに冷酷なまでの口紅がキュッと線を引いて透明な相貌を象る。

 いま初めて見る相手だったにも関わらず、庚はどこかで一度会ったような気がした。しかしそれがいつ、どこでだったのかは思い出せない。望月サヤカ本人は、そんな庚の戸惑いを察したかのように微笑んでいる。


 その傍らには、宗谷紫織と呼ばれた巫女衣装の少女がいる。彼女はかつて顔半分をひどい怪我で覆われていたと思しい青あざが残っていたが、その顔立ちはまるできれいな造形だった。ただ、左目から咲きこぼれる異形の彼岸花を除いて──


「この子、とても立派よ」


 おもむろに口を開いたのは、望月サヤカだった。


「こんな年で、わたしなんかじゃ比にならないくらい苦労してる。それでも使命のために戦うって聞かなかった。おかげであなたをここまで追い詰められたわけだけど、しょうじき危険な賭けではあったのよ」

「…………」

「さあ、教えてちょうだい。猿女君(さるめきみ)、公安はわたしの何を嗅ぎつけて粗探しなんてしているの?」


 庚は力を振り絞った。


「自分に……聞いてみるんだな」

「あら、こわいわ。でも、率直にお話しするのなら、別に悪いことをしているつもりはないのよ」

「ハッ……」


 鼻で嗤ったつもりだったが、動悸が激しすぎて息切れしたような声しか出ない。

 望月サヤカは憐れむようなまなざしで咳き込む庚の姿を見た。


「まあ、こちらでも見当がつかないわけではないわ。どうせ〈月卿(まえつきみ)〉の連中の仕業でしょう。あなたたちは見かけでは正義を振りかざしているけれども、しょせんは国家に飼われた犬でしかない」


 彼女は庚に背を向けて、窓辺に近寄った。高層階から見下ろす街並みは、どこか精巧に作られたミニチュアのように見える。つぶさに観察すれば、まるでプラスチック製の表面が暴かれてしまいそうなほどに、脆弱なで繊細な作り物の数々……

 うっすらと窓に掛かった息が、女の顔を浮き立たせる。


「さしずめ、この女、国家転覆の疑いあり、というところかしらね」


 振り返る。その目は憐れみを通り越して侮蔑のまなざしを湛えていた。


「そんなことに意味があるの?」


 少し考えてみればわかると思うけど、と彼女はこめかみを指でつつく。


「この国の人口は一億二千人程度。それも徐々に減りつつあって、少子高齢化が進んでいるようなこんな老いぼれた国家を転覆して、いまさら何をどうしようっていうの。教えてご覧なさい」

「……知るかッ!」


 グググ、とそれでも力を振り絞って、庚は前のめりになった。


「あんたたちが何を望んでいるかとか……そんな細かい話はどうだっていい……ッ! 問題なのはあんたたちの身勝手な都合で……人が死んで……これからもきっと死ぬってことだ……! わたしはそれを許すわけには……いかないんだよ……ッ!」


 肩から血が噴き出す。望月サヤカはけげんそうな顔をした。


「生存権? ホッブズの怪獣の話でもする?」

「るせぇ、ゴタゴタ抜かすな!」


 右腕で、どんと壁を叩く。とたんに起動するのは、すでに取り付けられていた擬神器:〈八十(ヤソ)(タケル)崩槌(カムナヅチ)〉である。服の中に隠されていたこの武具は、弱くなったとはいえ庚の妖力に機敏に反応し、壁に大きく穴を開けるほどの威力を発揮した。

 凄まじい音を立てて壁が粉塵を上げる。煙に巻かれた望月サヤカと宗谷紫織だったが、ふたりは決して動じた気配を見せない。あくまで庚ひとりが、悪くなった視界のただなか、望月サヤカを第一に急激に間合いを詰める。


 ところが、その攻撃は軽快に躱された。


「さすがは猿女君だわ」


 望月サヤカは喜悦の面持ちをたたえながら、素早く鉄扇を開いてそれを隠す。庚はその扇からただならぬ妖力を感じて警戒した。

 しかし望月サヤカは庚のことなどどうでもいいと言った様子で、宗谷紫織の方を見た。


「お行きなさい。ここはわたしひとりでどうとでもなるから」


 宗谷紫織は不思議そうに首を傾げる。しかし望月サヤカが視線だけで移動するよう促すと、それに操られているかのように、無言のまま部屋の向こう側へと去っていった。

 庚はその様子を尻目に捉えつつ、強がりで笑った。


「良いのかよ」

「良いのよ」

「後悔しても知らないぞ」

「…………」


 望月サヤカの沈黙が、うんと伸ばした飴のようにべっとりとまとわりついた。

 緊迫した、それでいて遅滞している意識の領域が、球体のような場を設けている。その曲面のぎりぎりのところが互いの決闘線(ソードライン)として、間合いを見計らうような冷たい視線だけの戦いがあった。しかしそれは間合いだけのせめぎ合いではない。ふたりが生来生まれ持った妖力の、陰の気と陽の気が相和し相反する対流のごとき交わりでもあったのだ。


 じり、と足さばきで距離を詰める。そうとわかったとたん、動いたのはまさか望月サヤカの方であった。

 扇をひらと立てるように持ち替えると、その影から暗器が飛び出す。風切り音だけが伴うさみだれに、ウッと悲鳴を押し殺した庚がようやく捉えたのは、自身の顔に刺さった針の数々である。


 しかしやられてばかりの庚ではない。すかさず足を踏みとどまり、前に一足で蹴飛ばすと望月サヤカのふところに入って二、三の連撃を繰り出す。どれも感触があったが、手応えがない。

 このままでは埒があかないと即座に判断した庚は、ターゲットを足元に絞った。素早く足を払ってみたものの、ヒョイと軽快に距離を取られ、ふたたび最初の局面に舞い戻る。


「くそっ」針を抜く。


 おそらく毒針の類だろう、と庚は思った。しかし庚の身体は猿神の力を宿したところから、強い妖力で守られていた。並の毒針には耐性がある。だからこそ、かすり傷で済んでいる。


「困ったわね。夷羿(いげい)の弓を受けていながらまだそこまで動けるなんて」


 望月サヤカは眉をしかめた。


「少し本気を出さないと」


 鉄扇の持ち手を変える。さながら日本舞踊のある種の型をなぞるような仕草──


「はん」


 庚はどうもうな顔で先手を取った。ふたたび接近し、目にも止まらぬ速さで技を繰り出す。裂帛の気合いとともに望月サヤカを後退させると、擬神器を起動し、浮いた腹に二発目の狙いを定めた。

 尋常の人間であれば肉片となりかねない一撃だったが、妖術使いにおいては防御の姿勢を取ることで多少の打撲に抑えられる。


 こうして放たれた二撃目は、しかし庚の期待に反して軽い鉄扇の一打ちで軽くいなされてしまった。

 逸されたエネルギーは、強い衝撃を伴ってビルの高層階から下層に向かって吹き抜けを作り上げるほどの破壊を伴った。ビルが大きくたわむように揺れ動く。床が軋み、窓にヒビが入った。望月サヤカは体幹を全く崩さずに、ただ眉をひそめる。


「困るわね」


 構えも乱れず、粉塵の中を咳き込みひとつなしに歩き出す。その振る舞いを見て、庚は自分と相手のあいだにある格の差のようなものを実感した。


「なんだ、こりゃ──」

「いい迷惑ね。ほんとうに」


 瞬きひとつ、ただそれだけだった。庚が気がついたときには鉄扇で手首を撃ち落とされ、激痛とともに主要な腕関節が効かなくなっていた。カッと見開かれた目が見たのは、望月サヤカの早業──あり得ないほどの速度で利き腕を無力化し、そのまま振り上げた鉄扇を袈裟懸けに庚の首に叩きつけようとするその直前のフォームだった。

 すたん、と音とともに望月サヤカは庚を打ち据える。そこで庚の視界がブラックアウトしたのだった。

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