18.お茶会は世界のたそがれにでも
少女は回想する。夢うつつの惨状を目の当たりにしながら、あの日、あの時のことを走馬灯のように振り返っていく。
二年前──二〇一六年七月十四日のことである。あの悍ましき〈新宿百鬼夜行〉より一年が経ち、広島・長崎さながらの追悼セレモニーがニュースとなってから一週間が過ぎている。その間にも札幌や富士山麓などさまざまな箇所で怪獣災害の報道があり、SNSがさまざまな状況証拠をアップロードする。その中には陰謀論や非科学的な論法もオカルトすらも、何もかもが横溢していた。
それはいまでも変わっていない。怪獣災害も、陰謀論、オカルトも。ネットを開けば誰かが何かに対して不満を述べ立て、揚げ足を取り合い、意味不明な論理を操っては言いたいことだけを並べて混沌とする。
「大丈夫よ。ちょっとした停電だから、すぐ回復するわ」
そんな中、望月サヤカの言葉はなんと真っ当なものに聞こえただろう。
おまけに寄り添いの姿勢もあった。暗闇にうずくまった少女の背中をさすり続け、怯える気持ちをそっと和らげようと言葉を絶やさなかった。それはさながら暗雲垂れ込めた夜空にそっと月明かりが差し込むような、救いのある蠱惑的な響きであったのだ。
やがて電気が付いた。
赤い絨毯が鮮明に蘇ると、悪夢は掻き消えた。紫織の呼吸は安定し、ようやくからだを起こすことに成功した。
顔を上げて、少し後悔した。
「あなたは……前にどこかで……」
「ああ、そうね。たしかその時も同じ服をしてたわね」
いつぞや、安代麻紀と服を買いに行った時に目が合った女性である。
ぎゅっ。手を握る。これが何のためなのか、少女はまだ自覚しない。
おんなは微笑んでいた。
「まさかセレモニーの最中にこんなことになるなんてね。係の人に文句を言ってやりましょう」
「あの、いえ、いいんです」
「そう? 嫌なことを思い出していたのではなくて?」
「…………」
「人を集めるからには、トラブルは避けなきゃいけないの。これは大人の務め。あなたは悪くないじゃない。なにをそんなに遠慮してるのかしら」
紫織はそっと目を逸らした。
望月サヤカはふっと力を抜いた笑みを目元にのみ浮かべていた。しかしおもむろに振り返って、手招きをした。
とたんにぞろぞろと人がやってくる。見れば宗谷紫織と近い年頃の青少年、寿遼も混じって合計九名の男女が揃った。
「残念ね。ほんとうは『リマインズ・アイ』のトップランナーをサプライズで祝いたかったのに、こんなしょうもないトラブルで台無しだわ」
「……?」
「はい。立ちなさい」
手首を返すようなちょっとした動きで、クイっと人形の手足が糸引かれて起き上がるように、パッと姿勢が整う。
と、そこにクラッカーが鳴った。ひらひらと舞うリボンに、紙ふぶきが、さっきまでの緊張と打って変わって、毒気を抜かれる。
「おめでとう。あなたは今日、『リマインズ・アイ』始まって以来の最優秀プレイヤーとして、スコアに登録されたのよ」
実感のない言葉。最優秀? いったいわたしは何を競って、何を評価されたのだろう?
「……と言っても、何が何だかわからないわよね。当然だわ。みんな、隣りの部屋に移動しましょう。表彰式が始まる前に、きちんと説明しておきたいの」
わけもわからぬまま、部屋を移動した。クロークルームを抜け、パーティールームの裏サイド、スタッフがかまびすしく行き来する先を抜けて、ホワイトボードのある打ち合わせ室に入った。
長テーブルに椅子が二台、このセットが掛ける五個。まるで授業のようだった。望月サヤカは簡単にホワイトボードに『リマインズ・アイの真実』の見出しを付けて、たくさんの項目と数字と図を書いた。
「そういえば自己紹介がまだだったわね。わたしは望月サヤカ。皇重工ソフトウェア開発部門のコンサルをしてるの。まあ、わかりやすく言えば『リマインズ・アイ』の運営とか修繕とかを管理してる側ってことね」
柔らかく笑顔を絶やさない。
「今日来てもらったのは、みんなに『リマインズ・アイ』拡張版のテストプレイをしてもらいたいからなの。いままでこのゲームをやってきて、その中でも飛び抜けて難しいクエストを楽しんでもらったと思うけど、そんなあなたたちだからこそ出来ることを、今度はこちらがお金を払って、お願いしたいわ」
びっくりした。部屋がざわつく。これだけを聞くと周囲も用件を知らなかったらしい。
紫織が当惑して、周囲を見ると、寿遼と目が合った。
「大丈夫だよ。すごいゲーマーにお金を払ってお願いするって、なくはないからね」
「そういう、ものなの?」
「そうよ」
望月サヤカが割り込んだ。それで場の注意が取り戻された。
「いきなり用件から入ったから、ちょっと驚いたわよね。これから少し長い話になるわ。どうしてわたしたちがこんなことをしているのか、ちゃんと話をした方がフェアだと思うから、説明します」
目元の笑みが消えた。それで場の集中がグッと増した。
彼女が説明したのは簡潔に言うと「ゲームで世界を改善する」というお題目についてだった。
『リマインズ・アイ』というゲームは、よく知られている通り、位置情報システムを間借りした現実の位置関係とゲーム内のできごとを重ね合わせてプレイを楽しむ仕様である。そのメカニズムはほかのさまざまなアプリケーションにも活用されているため、決して斬新なものではない。
しかしこのゲームは、図らずも現実のイベント運営と相まって人気を得ることができた。その総アクティブ・ユーザーは二十万にも達したらしい。
それだけの中から選ばれた十人──紫織は話の途中でその膨大な母数のことを思った。
「で、ここから少し深刻な話になるけど、『リマインズ・アイ』がここまでみんなの支持を得られたのは、その世界観も込みだと思うの。度重なる怪獣災害に、妖怪事件、通り魔、人殺し……この世界には目に見えて残酷な理不尽が山ほどある。大概のゲームや作り物がそこから目を背けて、いわゆる〝現実逃避〟として作られたのに対して、このゲームはいま、ここを舞台にしている。実際シナリオライターにも強い思いがあるわ。このメチャクチャになった現実と向き合わないなんておかしい──そう思って作られたものは、たぶんみんなの心にも届いてると思うわ」
だからこそ、ここに来たんでしょ? そういう無言の反語的質問が、一同の内心に忍び込んだ。
望月サヤカはその言葉がしっかり浸透するのを待ってから、おもむろに口を開いた。
「実は、このゲームで行われていることは現実に起こってる事なの」
ホワイトボードに「PIRO」という文字を書いた。
「超常現象対策捜査局。通称PIRO。彼らはフリーのエージェントやアルバイトを雇って、現実に起きている怪獣・妖怪を退治する仕事を請け負うNPO法人よ。よくわたしたちは表だったニュースとは別に、ガス爆発で通行止めになったり、地盤沈下だなんだで工事中になったりするエリアがあるじゃない? あれが全てそうだとは言わないけど、その中に紛れて妖怪退治だったり、怪獣災害を未然に防いだりしてるのよ。とっても危険な仕事で、殉職者も多い」
──わたしたちは、その手伝いをするの。
そんな言葉が、文脈から切り離され、突然宙を舞ったように全員の耳に届いた。
「と言っても、難しいことじゃないわ。これまで通りゲームをするだけ。みんなはどうやったら妖怪や怪獣が動いて、どうやったらそいつらを回避して戦うことができるか、ゲームの中で知っているし、鍛えられもしている。あれはアプリのアルゴリズムだったけど、それでも相当現実に近いシミュレーションによって作られたものよ。その頭脳を、判断力を、わたしたちに貸してちょうだい」
望月サヤカがそこから紹介したのは、オペレーターとPIROの戦闘員とが協力・連携して戦う新しいコミュニケーションツールだった。その仕組みは説明があったが、彼らにとっては最後まで聞かなくても『リマインズ・アイ』と同様のシステムであるとわかってしまった。
ただ、その画面の先で動いているのが実際の人間であり、実際の怪異事件なのだ。
「やっぱりすごいわね。あなたたち、上位ランカーなだけあって、飲み込みが早い」
ようやく微笑んだ。その笑顔はまるで、この話をしたところで真に受けてもらえないのではないかと不安に思っていたことをわずかに漏らすような表情だった。
全てがつながる。この女性の立ち振る舞い、考え方、気持ち、プレゼンテーション。細部が少しずつ紐づいて総体の印象を築く。それは初対面であっても信頼を勝ち得るに相応しい、美しいまでのパフォーマンスだった。
「この話がわかった上で、それでも都合があってやれないってことなら、辞退してもいいわ。その場合、この話は守秘義務ってことになっちゃうからそこは大人の約束でお願いね。でも、あなたたちに危害は及ばないようわたしたちも全力を尽くすわ。きちんと給料も出るし、それは確約済み」
結局、全員残った。
そして全員が契約書を手にした。
「さあ、難しい話はここまでにしましょう。せっかくのパーティーなんだから、みんなのことを紹介するわ」
おんなの泣きぼくろが、妖艶に歪んでいたのだった。