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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File3:信じるものは掬われる
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13.月兎たちと終末の懐中時計

 雨が止むのを待ちながら、屋根伝いに移動して大型百貨店に入る。

 そこで、奇妙なものを見た。


「……なんかのアニメのキャラ?」


 書店コーナー手前に立っている、風船でできたマネキンみたいな。ところどころジッパーで塞がれた、歪な立像のようでもあり。

 始めはツギハギだらけのビニールのような表面で、のっぺりした印象が強くあったが、よくよく見てみると、全体としては兜を被った鎧武者のようでもある。脚部にかけてどっしりと構えている姿勢が、あまりにも堂々としていて、てっきりお店のキャンペーンで置いている宣伝用の人形だと錯覚したのだ。


「マキ、あれ知ってる?」

「知らない。てか、そんなにアニメとか見ないし」

「わたしも全然」


 アニメ好きで言うなら、たぶんアキラや寿くんの方が詳しいだろう。

 そういえばあのカラオケの時、ふたりは意外とアニメソングに反応していた。とはいえ別に不自然ではない。いつしかテレビアニメの主題歌は、テレビドラマのそれよりもアーティストの新作の見せ場になっている。二〇一〇年代も後半に差し掛かったこの頃、一部のバラエティー番組を除けば、なにか面白い物をと探そうとするとネット動画か深夜アニメのタイトルに必ず眼を通す。そんな習慣が、少年少女の年齢層では当たり前になりつつあった。


 つまり、親近感のある非日常。あるいは、最初から現実ではない次元にある共感。


 改めて街を見る。大音量の爆音を垂れ流した広告トラックが、アニメソングやら高収入やらを歌いながら走り去っていく。そこかしこのビルに張り付いたデジタルサイネージにはテレビCMと全く同じ作りのプロモーションビデオが延々と繰り返され、道ゆく人の欲望を掻き立てようとやっきになっている。


 さながら、虚構化された現実。


 それはまるで紫織には「誰かわたしを見てください」というメッセージの羅列のように思えた。現実なんてすでにメチャクチャで意味のないものなんだから、余計なことは考えずに生きるのがイチバンさ。ホラ、こんな商品なんてどう? もっときれいになって、欲望に素直になれば、毎日もっとラクで面白くなるって! なんて、そんな軽口をうそぶきながらも、心の奥底には淋しさを持て余して、行き場を失っている。その掃き溜めがこの澱んだような現代都市なのだった。


 紫織はどこか夢うつつの心地で、雨がしのつく景色に自らの意識を溶け込ませていく。


 ひたひたとふやける感触が、彼女の意識をめいっぱいに満たした。

 ああ、まただ。まるで雨がどこまでも降り続けて、何もかもを水没させてしまった時のことを夢見ている。ヒトがいなくなって、道ゆくビルがすべて廃墟になって、水生植物に絡みつかれてゆっくり忘却の果てに沈んでいくその瞬間が、いつか来てくれやしないかと心のどこかで望んでしまっている。


 なぜ? いまはきっと、辛かったどんな過去よりも充実していると言うのに?


「ちょっと、紫織!」


 マキに揺り起こされる。引き戻される。


「またぼーっとしちゃって、さあ」

「ごめん。最近ずっと夜中まで起きてるから……」

「なにぃ、夜更かしは美容の敵だぞ」

「新しいクエストが面白くて。それに、わたし日中は家のことで手一杯だし」


 そういえば、紫織がいま手掛けているクエストは、マキやその他の人には全く知られていないらしい。

 マキなんて、兎狩り(ラビットハント)のウの字も知らんとあっけらかんと笑っていた。


「そんなに面白いんだ?」

「うん、まあ」

「でも一週間もやってて、ちっとも攻略法が見えないなんて、へんなゲームだよね」

「そうかな」

「フツーはもうクリアしてる人もいるだろうし、ネットで話題になってても良いと思うけど。検索しても全然出てこないんだよね、これが」

「へえ」

「へえって、テンション低」

「ごめん」

「いや、別に良いけど」


 そういや、と話題を転換する。


「ウサギで思い出したけど、さっきのビニール袋みたいなの、よくよく見たらウサギっぽくない? ホラ、耳っぽいの付いてたし」

「えー、それにしてさすがに」

「まあね。実際キモいし」

「うん、ちょっと」


 クスクス笑う。


 そのうち、マキはお手洗いを見つけて入って行った。紫織はまだ気分ではなかったので外で立って待っていることにした。


 待っている間もちまちまゲームを触る。これまでマキと話す時はやらないでいたのだが、本当はシナリオの続きが気になって仕方なくなっていたのだった。

 いまの時間は持ち駒は使えない。プレイヤーが所有しているユニットにはおのおの活動時間があり、その時間帯でなければ指示出しすら許されない。彼女の最も強い持ち駒である「シノブ」はこの時間はいつもは〝休憩中〟である。だから、いまはせいぜいできて他ユニットを駆使して情報収集しかできないだろうと思っていた。


 ところが、今日に限って「シノブ」が〝活動中〟であった。

 紫織は眼を(みは)った。もしや、ひょっとして。いけるかもしれない。すかさず画面をタップしてコマンドを入力する。しかも偶然か、位置情報もここからかなり近い。紫織はさっき見つけたふしぎなオブジェクトを思い出して、「シノブ」にそこへ向かうように指示出しした。


 バナー通知が、指示の受領を告げる。

 と、その時マキが戻ってきた。


「おまた、せ」

「あっ、うん」

「何またゲーム?」

「良いよ。さっき区切りが良かったから」

「ふうん」


 マキは眼を細めた。


「ちょっと思ったんだけど──」

「なに?」

「紫織は将来どうなりたいの?」


 ぎゅっ。何かが軋んだ。


「どうって」

「わたしは将来ファッションとか、そういう仕事に就きたい。だからいろんなこと頑張ってる。勉強はイマイチだし、学校もサボるけどさ。でも、紫織は……ご家族のこともあるし、色々つらくてしんどいのはわかるんだけど。このままだと、たぶん何も変わんないような気がするよ。紫織は何をどうしたい?」

「…………」

「わかんなくても、いいけどさ。いま唐突に思っただけだから」


 ぎゅっ。


「ごめん。ちょっと言い方良くなかった」

「……別に。いいよ」


 心配してくれてありがとう。そう言えさえすれば丸く収まるはずなのに。


「そうだよね。まだそんなに経ってないから、キツいっちゃキツいよね」


 空回りした優しさが、掛け違えたボタンみたいにチグハグに交差する。最初の一歩が間違えているのだから、重ねれば重ねるほど無様な完成図が出来上がる。紫織にはそれが手に取るようにわかってしまった。けれどもマキにはそれがわからないらしい。


 おねがい。もうやめようよ、こんな話。意味ないって。わたしのことを心配して何になるっていうの?


 何かが変わることを望んでいた。それがなんなのかはわからない。少なくとも世の中はここ数年であり得ないほど変化してしまった。怪獣事件以来、母は死に、家族はメチャクチャになり、友人だと思っていた人たちはすでに疎遠になった。学校ではいじめに遭い、不登校になり、家事以外の外出もめっぽう減った。

 そんな日々の過ごし方で、澱むものがある。腐るものがある。慣れてしまって感覚するも麻痺することもたびたびあった。それでも変わらず思うのは──何かに縋りたいという想い、この絶望を癒してくれる何かへのひたすらな渇望だった。


 紫織の目に映る日常とは、いわばガラス張りのショーウィンドウに飾られた、マネキンたちのファッションショーに過ぎない。特徴だけが切り抜かれたのっぺらぼうが、ガラス越しにくぐもった声で何かを訴えかける。しかしそれは届かない。そしてその気持ちの放物線は、いつまで経っても交差しない。

 彼女と彼らのあいだには、実のところ透明の壁がある。言葉と見た目だけをやりとりする精神的なフィルター。そこを通過するたびに、ある決定的な情報だけが欠落していく。


 つまり、彼女と彼らが全くの別人であるということ。しょせんは赤の他人であり、喜怒哀楽の源が異なる人間であるということ。


 にもかかわらず、彼らはこう言う。

 夢を持て。自分のやりたいことをやれ。もっとあなたは幸せになるべきだ。


 たとえどんなにオブラートに包んでも、優しさの裏には傲慢が潜んでいる。それは、〝自分と同じようにすればもっとみんな良くなるはずなのに〟という思い上がりだ。実際には、「あなたのためを思って」という枕詞がくっついて回る。その言葉に偽りはない。騙そうとすらしていない。


 だからこそタチが悪い。


「わたしは……」


 言いかけて、やめる。しかし、それは言えなかったのではなかった。


 悲鳴が上がった。さっき通ったばかりのところだ。

 一瞬、場が凍りついたかと思うほどに森閑(しん)と静寂が迸ると、すかさず人が動き出していた。「救急車! 早く!」と叫ぶ男性店員の声が野太く耳に横切った。少女ふたりは顔を見合わせ、徐々に人が群れをなしつつあった場所を見やった。


 書店コーナー。


 野次馬の背中に覆い隠されたその現場は、しかし周囲の人の声によって次第に輪郭を露わにした。いわく、不審者がやってきて刃物を振り回したのだとか。

 そしてそれによって、二人がケガをしたのだとか。


 ニュースでは常に伏せられた情報が、いま剥き出しのリアルを突きつける。被害者は重体。この文字列が実際に意味するもの。


「腕がごっそり無くなってたって」


 聞いた途端、紫織はある確信を覚えた。そしてその確信は、帰宅した後、アプリの通知によって紛うことなき確証に変わった。


《おめでとうございます! あなたはウサギを見つけることができました!》

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