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超常捜査官:岐庚 〜アサルト・オン・ヤオヨロズ外典〜  作者: 執筆・八雲 辰毘古/監修・金精亭交吉
File2:鼠と龍のパーフェクトゲーム
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5.光、一閃──

 誤算だったのは、敵は一体ではなかったということだ。


 山崎ひかりと雷獣、この両者がまさにぶつかり合うその一瞬のあいだに、実に多くのことが起こっていた。

 まず、ひかりのからだが一気に前に踏み出した。一対一の駆け引きにおいては先んじていた彼女は、絶好の好機を逃しはしない。下段に構えた水曜刀の刃を振り上げ、自分の喉元を狙ったであろう雷獣の爪を()なしながらその心ノ臓を抉るべき一撃を振るった。


 しかしその攻撃は紙一重で避けられた。

 雷獣はおんなをねらったのではなかったのである。


 そしてほんのかすかな太刀筋の違いから、読みを外したと焦る彼女の背後に、まったく異なる影がぬっと現れ出ていた。

 体長約二メートル強。機関室の轟音に紛れ、気配もなく、闇の明滅の狭間から、突如として飛び出たその存在に向かって、まさに雷獣の牙が突き立ったのだ。


 悲鳴が、エンジン音に掻き消された。


 おんなは振り返って、目を見開く。まさか自分がここまでの不意討ちを許すとは。だがその焦りと驚きもつかの間で、即座に思考を切り替える。

 彼女があらためて見たのは、妖怪同士の弱肉強食の世界だった。


 雷獣ごと倒れかけたそれは、恐竜図鑑に載っているイグアノドンに似ていた。頭を頂点にした三角の体型、足ははなはだ短い。その頭部から尾にかけて灰色で太い体毛が伸びており、口が耳まで裂けている。しかのみならず、耳は大型犬のそれのごとく、大きく垂れていたのだった。

 即座に山崎ひかりの知識が紐解かれる。狗龍(いぬりゅう)だ。堀麦水(ばくすい)『三州奇談』二ノ巻「土下狗龍」に伝わる、影より出でて、ヒトを喰らうという物ノ怪である。


 伝承中ではヒトの眠っている時間帯に、音もなく現れては怪事件を起こしていた。果たしてその生態は明らかではなく、長らくPIRO(パイロ)を含む多くの専門家の首をかしげさせていたのだ。

 それが、まさか文字通り闇の中に棲んでいると誰が思おうか。


 突き放された雷獣が、計器類の並んだ壁に激突する。彼がガラスの割れる音とともに、床にそのからだを叩きつけると、狗龍はすかさず二の手を繰り出そうと突進する。

 そこを山崎ひかりは容赦なく斬りつけた。ところが狗龍の首が異常な角度に曲がるものの、素早くもとに戻ってしまう。一瞬怯ませただけだ。とたんに彼女は思い出す。狗龍に関する記述に、あまりにも硬すぎる皮膚の存在があることを──


 ぐわっとワニのように開いた口が、おんなの顔面に迫っていた。


 目はつぶらない。自分が死ぬまで、少なくともこの意識だけは手放すつもりはない。

 それが功を奏したのか、狗龍の顔が次第に横からゆっくりと歪んでいくのを目の当たりにした。徐々に右から左へ、壁のほうに向かってへこんでいくうちに、ワイシャツをまくったところから覗く、アームカバーでおおわれたこぶしを見いだした。


 金剛鉄拳〈八十(ヤソ)(タケル)崩槌(カムナヅチ)〉。


 岐庚が所有する擬神器のひとつ。雷神の豪腕に匹敵する、たった三発だけ許された強力な打撃武具。その一発目が、顔面に繰り出されたのである。

 もちろん、狗龍はひとたまりもなかった。あまりの衝撃にからだが追いつかず、その首から上が千切れて吹き飛ぶ。ふたたび壁の計器類がひしゃげ、管の一部が歪んで異常を示した。あとからあわてて海上保安官が駆けつけて、トラブルの対処にあたろうとする。


 しかし、彼らはその手前にいる雷獣の存在にためらいを見せた。


 雷獣は唸っていた。おとこたちの恐怖心をにわかに感じ取ったのか、全身の毛を逆立てて警戒の姿勢を解こうとしない。

 庚がさらなる臨戦体勢を取る。ふたたび場に緊張が走ったかと思ったそのとき、山崎ひかりが動いた。


 なんと彼女は、雷獣の前に歩み寄り、そっとその背中を撫でたのだった。


「せんぱッ……」


 おそらく聞こえないだろうと思っても、言わずにはいられなかった。ちなみに庚はイヤーマフを付けていた。仮にひかりが何かを言ったとしても、聞こえなかっただろう。

 先ほどまで刀の柄を握っていたはずの手は、剣だこで固く、決して華奢(きゃしゃ)な印象を受けない。しかし、そのざらざらした感触がおそるおそる触れてくる様子は、慈愛と緊張を解いたものだけが見せる独自の親近感を見せていた。


 雷獣も当初はおんなの取った行動に困惑を隠せずにいた。しかし撫でられているうちに次第に近しい記憶が刺激される。

 後脚だけで歩く種族のこと──かつてこのような隣人もいたはずだった。彼らの皮膚は固く、濡れていた。いま触れる手もそれに似ている気がした。とたんになぜか猛烈な懐かしさに襲われたのである。


 雷獣は背をかがめた。尻尾を丸めて、甘えるようにパチリと静電気の爆ぜる音を伝えた。

 おんなは顔をあげ、庚たちに向かってゆっくりとうなずいた。


 その意味を了解して、ようやく海上保安官たちが機器の点検に急いだ。

 あー、とか、ぎゃー、という嘆きの声が轟音に掠れていくなか、狗龍の胴体が急速に(ふく)らみ出す。何事かと思う間も無く、それは次第にヒトのかたちをした石膏像のようにぐにゃりと変形していくのだ。


 庚がふと気付いて、ひかりのほうを見やる。彼女はうなずいて、ふたたび霧幻朧の鋒を、腹の皮に突き立てた。

 さながら段ボールのガムテープを、カッターナイフで切るかのように、中身を傷つけない細心の注意で狗龍の腹を引き裂いた。


 なかから現れたのは、胎児の如く手足を丸めて胃袋に収まっていた、ひとりの老人だった。息はしている。生存者だった。

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