1937年1月26日午後1時52分―同日午後2時44分
「司法部内における最大の巨峰平沼騏一郎氏を中心として、ときどき会合を催し、帝人問題、あるいはこれに対する方針を論議していた事実は確実にあったと私は信ずる」
――河合良成
「若し本件(帝人事件)の如くに何等の根拠なきに拘らず、捜査権を悪用し、人間の弱点を利用し、事件を作為的に捏造して政変までも引起すことが許されるならば、内閣の運命も二、三の下級検事の術策に左右せられることになりますが、国家の為め是程危険な事がありませうか。実に司法権の濫用は『ピストル』よりも、銃剣よりも、爆弾よりも、恐しいのであります。現に此一事件に依って司法『ファッショ』の起雲を満天下に低迷せしめたのであります」
――三土忠造
1937年1月26日午後1時52分
東京府麹町区永田町二丁目(赤坂見附) 料亭『幸楽』
「ということは、だ。石原氏と私は政策的には近い考えを有しているにも関わらず、彼は私の首相就任に反対している、と。そういうことかね?」
「はい。そうなりますね」
まさか陸軍内の最強硬派が、政策的には一致する考えを有していたとは。
「その根拠は?」
「現在、石原氏が満州での経済統制の一定の成功を受けて日満一体となった国防産業の統制計画を策定しており、それに準ずる経済政策提言組織もございます。勿論言うまでもなく先程お配りした『満州産業開発五ヶ年計画要綱』と連動するものです」
「反対する理由は如何に?」
「石原さんの考えでは、経済政策と軍備拡張計画とが同一視されておりますので、まず宇垣閣下の『軍縮』イメージが否定的にしているという点が1つ。
そして宇垣閣下の権力の源泉たる既成政党・重臣グループ・財界との関係の深さが、そのまま石原さんの構想を阻害するのではないか、という懸念があるからですね」
確かに『満州産業開発五ヶ年計画要綱』はソ連式統制経済を基にしており、民政・政友両党も財界も反発は容易に予想できる。そしてこれは陸軍軍人らしいが経済計画と軍備を同一化しているという情報。
確かにそれでは多少外交政策の一致を見たところで、私の首相就任に反対するというのは分からないでもない。少なくとも、粛軍の見地という言葉で濁しつつ今の自らの地位に固執する人物などよりは余程好感が持てる。
まあ、そうであるのであれば遮二無二構わず私を潰そうとするのではなく交渉すれば良いとは思うが、そういう人物ならそもそも独断で満州事変は起こさぬか。
「……これは悩ましい。
石原氏が私に協力させることも交渉次第で可能だろうが、反発する理由も理解できないものではない。皆はどう考える?」
私がそう投げかけると最初に答えたのは弥三吉君であった。
「私は石原とやらを宇垣閣下の麾下に置くのは反対です。
彼の背後にある組織が赤化傾向にあるのでしょう? そして独断専行の前科があるとなれば毒にしかなり得ぬかと。
であれば、満鉄産業部に憲兵を立ち入り捜査させ、確たる証拠を掴み失脚させた方がやりやすくなるでしょう」
まあ、最も分かりやすいやり方が弥三吉君の話した手法であろう。おそらくほぼ確実に石原氏を葬り陸軍の最強硬派を潰すことが出来る反面、美土路君の所に飛び火の危険がある。
この強硬論を聞き、溝口君が別の案を提示する。
「私も林閣下と同じく味方に引き入れるのは反対ですが、反面対ソ戦に関する石原大佐の知見は惜しく思います。
満州……ではまた悪さをするかもしれないので、そうですね。旭川の第7師団付の参謀長にでも任じて、樺太方面からの対ソ研究をさせるというのはどうでしょうか」
溝口君は味方に付けるというわけではなく、現行体制のまま真っ向から石原氏とぶつかり、そのまま私が首相に付けば左遷させるという考えだ。
リスクは抱えないが、その頭脳だけは活かすという少々悪辣なやり口ではある。ただし今の陸軍大臣選任で大きく荒れることが必定だ。
「あるいはこういうのはどうでしょう。石原大佐のブレーンである十河さんや宮崎さんといった満鉄メンバーを逆にこちらに引き入れるというのは。
これであれば上手く行けば石原大佐が我等が交渉できる相手と判断できますし、逆に引き抜きで激昂したとしても、彼の経済的なブレーンを削ぐことで間接的な陸軍内部での影響力の低下に繋がり、最強硬派である石原大佐の勢力の減退に繋がります」
以上の政治的搦め手を提案したのは西原さん。
つまり、満州派の経済的なブレーンを軽量級の大臣格あるいは班列として入閣させるという奇策だ。受け入れるかどうかは全くの未知数ではあるが、これを行えば私が満州運営で行われた統制経済に理解を示しているというポーズを示すことができる。
そしてそれを石原氏がどのように捉えるかは不明だが、陸軍軍人側はともかく満州で成功を収めた官僚・民間人は私に期待を寄せるやもしれぬ。そうなれば仮に石原氏が反発した場合でも、石原氏の経済的な基盤に打撃を与えられるという一挙両得の策だ。
「何なら、向こうの閣僚名簿を入手してみては如何でしょうか?
どの道、越境将軍の林大将の擁立をする予定なのですから、大まかな閣僚人事は策定していないとおかしい。
それと示し合わせて調整可能な人事はこちらで用意することで懐柔を図る、というのではどうでしょうか?」
西原さんの謀略から更に石原氏寄りの立場を見せたのは美土路君だ。
石原氏のブレーンの中で内定している閣僚名簿さえ入手すれば、例えば重複している人事があれば、さも私が譲歩したように見せることも可能だ。それに妥協できるラインであれば向こうの意見に合わせるということもできる。
「――そうか。石原大佐と宇垣さん。
全く性質は違えど……問題の本質は『同じ』なのですね」
「ほう。今井田君、何やら意味深なことを呟いたがどういうことか説明してもらおうかね」
「あっ、すみません宇垣さん。
――いえ、単純な話です。陸軍大臣選定の慣例である三長官、あるいは三次長。そのどちらにも宇垣派――まあ、杉山さんは置いておいて――が居ないのと同様に、ここに『満州派』の将校も居ないのですよ。
だから仮に宇垣さんを引きずりおろして、石原大佐の意のままに組閣を行おうと思ったとしても、結局は陸軍大臣の選定で躓きかねない……」
石原氏は所詮大佐である。それでは親補職である三長官には就けぬし、三次長にしても少将の位は欲しいところだ。
しかし、満州派でそれを満たせるのは板垣君のみ。しかもその板垣君ですらも年次で考えれば陸軍大臣に就けるのは時期尚早と言わざるを得ない。
で、あれば無理を通す必要があるのだが、三長官にも三次長にも石原氏の息がかかった者が居ない以上、結局は私と同様に陸軍大臣候補で問題が生じる。
とはいえ、越境将軍の林君が首相であれば、陸軍部内もその組閣そのものを破壊することはないだろう。となれば、順当に行けば石原氏の意向を無視して陸軍大臣を決定するというのが自然な落着であろう。
そして、それは石原氏の構想の破綻を意味する。
「今、石原大佐が反宇垣派として主導権を握れているのも三長官と三次長の事なかれ主義があればこそです。
だからこそ。もし宇垣さんを倒した場合に――反宇垣、というスローガンを無くした石原大佐に、果たして陸軍部内全体を掌握出来るだけの求心力があるのでしょうか」
そう問われれば、今までの情報を集約するに相応に難しいだろう、と結論付けねばなるまい。であれば私が倒れると石原氏も共倒れしかねない、と今井田君はそう推察しているわけか。
まあ可能性としてはあり得なくもないが、折角拾った陸軍主導の組閣において功を挙げた者をそう易々と切り捨てる真似をするのか、という疑問も残る。
だが、その可能性は杉山君も指摘していたものであった。
「であれば、今井田君。私が今すべき方策は何か?」
「――石原大佐が強硬論を唱えたことで陸軍上層部の態度が硬化した。
で、あれば彼と同じことをすれば良いのではないでしょうか。
すなわち『非常手段』を用いて首相の権限でもって陸軍大臣を折衷せずに選定するという断固とした意志を見せる。
そうすれば、陸軍上層部に選択を強いることができます。
あくまで部内の満州派と心中する覚悟で反宇垣を強硬するか、あるいは宇垣さんとその背後にある重臣・既成政党・財界……そして『民意』に屈するのか。
もし上層部が、そこで前者を選択すれば徹底抗戦するしかありませぬが、後者であれば石原大佐を孤立させることができるのではないでしょうか。
――そこまで至れば、そのまま石原大佐を切り捨てるのも交渉するのも選択肢が広がることでしょう」
「……。今朝吾君」
私は沈黙の後に、静かに今朝吾君の名を呼ぶ。
……それだけで、彼は察したようだ。
「はっ。
石原さんの背後に付く勢力は、まず満州人脈の革新官僚に満鉄関係者。
これ自体は満州国内では絶大な権力を握っていますが、本土では未だ非主流派です。宇垣閣下の組閣に影響を及ぼすものではないと考えて問題ありません。
第二に林銑十郎閣下。陸軍内閣への切り札ですが、時流を読み勢いのある勢力に付くことのできる機会主義者でもあります。もし満州派と陸軍主流派が意見を違えた場合には、必ずや主流派に付くことでしょう。
――そして。満州派が積極的にコンタクトを取っている人物がもう1人居ります。
……平沼騏一郎枢密院議長です」
1月26日午後2時3分
東京府麹町区永田町二丁目(赤坂見附) 料亭『幸楽』
平沼議長。
それは、近衛公・林君に次ぐ次期首相の有力候補である。
観念右翼の総帥、元老の西園寺翁に言わせれば『迷信家』やら『神がかり』など様々な異名が先行する人物だ。
西園寺翁と平沼議長の確執は並々ならぬものがあり、翁は平沼議長の首相就任にことごとく反対してきた。
「で、実際のところ平沼議長は首相への野心はあるのかね?」
この質問には、美土路君が答える。
「あるか無いかで問われれば、間違いなくあるでしょうね。
枢密院議長に就任してからは、今まで毛嫌いしていた英米派とも連携を図りつつあります。西園寺公も相当なご高齢ですので、公の引退を視野に入れて動いているかと思います、少なくとも明確に首相就任を妨害してくることは最早無い、と平沼議長が考えていても不思議ではありません」
まあ、そんなところだろう。
あの無表情で笑顔など全く見せぬ司法の番人は、その読めぬ表情に反して首相の座への野心を隠すことは無かった。……下手をすると、その野心は往年の私をも超えるやもしれぬ。
「問題は、今この瞬間に平沼議長が首相に就任しようかと考えているかだが……」
「それはないでしょう。
宇垣閣下と陸軍部内の対立は、外から見てしまえばお家騒動なのです。ここでむやみやたらに手を出して意図せぬ火傷をするくらいなら、沈黙を貫き次の内閣まで待った方が確実でしょう」
この西原さんの答えもある種、予期されたものだ。
陸軍を敵対する意味も価値も無い平沼議長が、わざわざ私に助け舟を出すとも思えないが、ここで陸軍に肩入れしたところで結局待っているのは林内閣であり平沼内閣ではない。
加えて私が平穏無事に組閣に成功すれば、下手に陸軍に手を差し伸べる行為はみすみす西園寺翁に排撃する材料となる。ここは沈黙を保つのが最も賢い選択であるのは明らかだ。
「……で、あれば今朝吾君。満州派が平沼議長へコンタクトをする意図は何だ?」
「石原さんとしては恩を売れば儲けもの程度なのでしょう。平沼議長からしても満州派と敵対する意味も無いですし、何より政治的リスクを伴わずに司法大臣に平沼系の人物を送り込めるのであれば意義はあるでしょうね。
ただ、それを平沼議長が感謝するかと言えば全くの別問題ですが」
つまりは遠大な意図のある行動ではなく、ただ平沼議長を敵に回したくが無いための懐柔策の域を出ない、と。そして今朝吾君の言い回しから察するに、平沼議長側から積極的に満州派に手を差し伸べることも無いと彼は考えているな。
「……私の次の首相は、近衛公か平沼議長なのは、ほぼ既定路線だろう。
そこさえ見誤らなければ、たとえ私の政権が長期に渡っても帝人事件がごとき謀略は起こり得ない、とそう判断して良いということか……」
で、あれば。
廣田内閣時代の寺内君とその背後の陸軍中堅層が画策して司法大臣への就任を妨害した小原君――小原直を司法大臣に据える手を打っても問題無かろう。
平沼議長の信任を得ているのは、その小原君と対立している思想刑事のドン・塩野季彦であり。また司法省の主流はその塩野閥ではあり、常道からは外れる人事にはなるが。
――国体明徴と全面対決するのであれば、小原君を出仕させた方が色々とやりやすい。
※用語解説
本作に登場する用語をこちらで簡単に補足いたします。
解説事項は作中時間軸である1937年までの事項を基本的には前提としています。
石原莞爾の経済政策
史実では1937年5月に成立する『重要産業五か年計画』のその叩き上げ段階のもの。実際に史実で成立する計画ではその多くが棚上げないしは留保となっている。その石原(満州派)試案段階での大まかな構想としては、資本と経営の分離・日銀による資金統制・低金利政策・加工貿易・労資協調・官僚主導の強力な行政指導体制(後の護送船団方式)と、ほぼそのまま戦後日本のグランドデザインを描いていた。
しかし実行には強力な政治指導体制が必要となるため、関東軍の管理下で政策を実行できる満州とは異なり、既成政党や財閥等が障害になることが予期されていた国内ではこの経済改革が実行できるのかどうかは不鮮明であった。
西園寺公望と平沼騏一郎の確執
元々英米派でありリベラリストである西園寺と、共産主義・ファシズムのみならず民主主義も外来思想と危険視した平沼は水と油であった。その上、憲法の番人と呼ばれた司法界のドンである平沼が憲法の枠外にある元老という存在そのものを受け入れられないのも自然の摂理である。確執が表面化したのは五・一五事件の事態収拾の際に、西園寺が平沼に対して首相や枢密院議長の座をちらつかせて協力させたのにも関わらず、西園寺はそれを一方的に反故にして平沼の面目を潰した。
本来五・一五事件の後に首相になれると考えていた平沼は、後継内閣であった齋藤内閣を帝人事件によって潰したとされている。
そして二・二六事件の後の1936年3月に念願の枢密院議長に平沼は就任すると、自身が率いていた右翼団体である国本社会長の座を辞任(国本社はそのまま解散)する。これは身辺を整えて首相就任への意欲を明確に見据えた一手であった。
小原閥と塩野閥
司法省ならびに検察人事においては、経済検事・刑事検事を検察組織の常道とすべきとした小原直を代表とする『小原閥』と、思想検事を主流とすべきと主張した塩野季彦率いる『塩野閥』の両派が対立していた。とはいえ『小原閥』は非主流派であり大部分は『塩野閥』に占められている。
それは小原側は政治汚職追及があまりにも苛烈で「政治家が居なくなり政府が成り立たなくなる」と言われるまであったこと、そして塩野側が塩野自身の提唱する『国家有用論』に基づきある程度政治的な融通性を持って捜査に挑む姿勢が桂太郎・平沼騏一郎らに支持されたからである。
だがそれは反面、検察組織の意志1つで国家にとってその人物が有用か否かを判断するということで政治家・官僚・政治犯の選別が起訴・予審段階で行われることを示していた。それは逆に検察が国家にとって無用と判断すれば小原以上に激烈な捜査が待っていることの証左であった。
なお小原直が廣田内閣期に入閣を阻止されたのは、天皇機関説事件並びに国体明徴問題に対して非協力的であったと陸軍に判断されたからである。