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宇垣内閣組閣――新内閣の特色注視(1937年2月3日付)


 慎重苦慮9日間にも渡る組閣工作は功を奏し、宇垣一成陸軍大将による新内閣は辛うじての成立を見た。あわや『流産』となり兼ねない程の『難産』であり、同時に異例とも言える『過期産』であった。

 昨日2月2日の午前10時に宮中に参内した宇垣大将は、予備役から現役復帰の特旨を賜るとともに、内閣総理大臣任命の親任式が執り行われた。前首相廣田弘毅の内閣からの留任は、拓務大臣の永田秀次郎のみ。大臣等の主要ポストは以下の通り。


内閣総理大臣 宇垣一成 〈陸軍大将・陸士1期・陸大14期〉

外務大臣 重光葵 〈外務官僚・駐ソ公使〉

大蔵大臣 賀屋興宣 〈大蔵官僚・理財局長〉

内務大臣 兒玉秀雄 〈貴族院(研究会)・元大蔵官僚・元拓務大臣(岡田内閣)〉

司法大臣 小原直 〈司法官僚・元司法大臣(岡田内閣)〉

文部大臣 永井柳太郎 〈衆議院(立憲民政党)・立憲民政党幹事長〉

農林大臣 石黒忠篤 〈元農林官僚・農業報国連盟理事長、満州移住協会理事長、日本農業研究所理事長を歴任〉

商工大臣 内田信也 〈衆議院(昭和会)・元鉄道大臣(岡田内閣)〉

逓信大臣 砂田重政 〈衆議院(立憲政友会)・元農林政務次官(犬養内閣)〉

鉄道大臣 中島知久平 〈衆議院(立憲政友会)・中島飛行機創始者〉

拓務大臣 永田秀次郎 〈貴族院(同和会)・廣田内閣から留任〉

陸軍大臣 宇垣一成(首相兼任)

海軍大臣 米内光政 〈海軍中将・兵学校29期・海大12期・連合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官〉

内閣書記官長 今井田清徳 〈貴族院(研究会)・前朝鮮総督府政務総監〉

法制局長官 池田宏 〈民間人・元内務官僚・京都府知事、神奈川県知事を歴任〉



 ◇大観としては『挙国一致』、実情は宇垣大将の友人と各派閥の寄せ集めか


 各大臣を見渡してみれば官僚出身者、民間人、衆議院・貴族院議員と実に多くの勢力から大臣を引き受けていることが窺える。衆議院議員では既成政党である民政党・政友会両党のみならず昭和会から内田を入れている点は着目すべきであろう。

 更に、先年の二・二六事件で総辞職を行った岡田内閣より3名の大臣を再入閣させている。これも前廣田内閣で陸軍部内が組閣に対して注文を重ね、陸軍の意向を汲んだ内閣になっていた部分を是正して、より従来の挙国一致内閣としての体裁をさも整えたかのように見えるであろう。

 だが、実情としては宇垣大将の友人を中核に据えた寄せ集め内閣と言わざるを得ない。

 先に名を挙げた永田、そして兒玉や砂田、内田といった面々は宇垣大将の友人であり、またかつての陸相時代から立憲民政党議員らとは蜜月の関係を構築している。

 また内閣書記官長に命じた今井田などは、宇垣の政治的ブレーンとして名を馳せる敏腕な側近だ。

 それだけではない。組閣参謀として名を連ねていた鶴見祐輔(外務政務次官)・船田中(内務政務次官)・大蔵公望(陸軍参与官)の3名はいずれも重要な省と内閣の連携を期待されて任命されている上、この他にも同郷・岡山の友人であり後援者であった元内務官僚の松本学は内務参与官、大蔵参与官には宇垣軍縮を断行した当時の陸軍省経理局長である三井清一郎が名を連ねている。

 つまり宇垣大将は、それら友人・側近との連携を活かして他派閥の人間を閣内多数意見で押し込むことを意図しているのは容易に想像できる。是非、烏合の衆と為らずに政権運営をして頂きたい。



 ◇争点となる昭和十二年度予算案――宇垣大将の真意は如何に?


 宇垣大将の新内閣の政策において、まず最初の壁として立ちはだかるのは、前廣田内閣が、総辞職と引き換えに廃案に持ち込んだ昭和十二年度予算案の存在である。

 宇垣大将がかつて軍縮を断行したことから、超大型の拡大予算をそのまま通すのかは1つの争点になっている。

 陸軍大臣を自ら抑え、海軍大臣には条約派の重鎮である予備役大将の谷口尚真の薫陶を受けた米内を据えている点から、軍部の予算拡大派を排しているように見受けられる。

 しかし、その一方で大蔵大臣には有力候補とみられていた日本商工会議所会頭の結城豊太郎ではなく賀屋を抜擢。48歳である大蔵官僚からの推挙は、大蔵省からの反発を最小限に収めつつも、財界の重鎮を避け少々軽量級とも見える官僚を引き出すことで、財政に宇垣大将の意向を強く働き掛けたい意図が透けて見える。

 そして、賀屋自身が主計官僚時代に陸海軍予算編成に携わったことから現役の中堅将校らの受けも良く、また『革新官僚』と評される一派であることから軍部の推進する統制経済に理解のある人物であると見られている。

 かと思えば、その賀屋を支えるスタッフとして大蔵政務次官には勝正憲〈衆議院(立憲民政党)・元大蔵官僚・元商工政務次官(岡田内閣)等を歴任〉、大蔵参与官には三井清一郎〈貴族院(研究会)・陸軍予備役主計中将・宇垣軍縮時の経理局長〉を配置。勝は民政党所属でありかつての宇垣陸相時代の与党、そして三井は宇垣軍縮の実務実行者ともなれば、宇垣が賀屋をお飾りの大臣として扱うのではないか、という疑念も分からないではない。

 廣田前首相の掲げた庶政一新の精神を宇垣大将がどのように考えているかは今のところ未知数ではある。が、今回の組閣に対して陸軍は大反対を表明したのに海軍は全く音沙汰が無かった。本年よりロンドン海軍軍縮条約が失効するのにも関わらず。その辺りに宇垣大将の真意が垣間見えるのかもしれない。



 ◇前代未聞の優諚降下による陸相選任と、司法大臣・小原指名の意図


 今回、宇垣大将は組閣に対して大博打を行い、非常手段でもって切り抜けている。それは畏れ多くも陸軍大臣の選定に際して陛下に優諚を賜ったということだ。陸軍大臣の選定権限は慣例として陸軍三長官、大正期以前においても前任の陸軍大臣が有している。それ自身は宇垣大将も重々承知のことだろう、何せ宇垣大将の陸相選出が初の三長官選定の慣例なのだから。

 大臣の進退を優諚で定めることは、田中内閣時代に水野文相優諚問題で大きく取り沙汰されている。が、憲法上では統治権の総攬者は陛下にあることから国体明徴の立場から考えれば、一大臣の選定を陛下が行うことは法理上では問題とならない。

 もしここまで考えていれば宇垣大将の悪辣さが光るのであるが、司法大臣に小原を指名したのも優諚降下への批判避けという面が考えられるのだ。どういうことか。何を隠そうこの小原は、廣田前内閣において留任が決まっていたものを陸軍の意向で排除された人物なのだ。そして、その理由は『天皇機関説事件と国体明徴問題に対して非協力的であった』からである。

 その彼を司法大臣に改めて置き直すということは、陸軍が排除した人物を陸軍が推進した国体明徴の庇護者に位置付けるという策略のように見えるからだ。

 宇垣大将の首相就任に反対する最大の勢力は陸軍であった。しかし、この優諚の論法を用いて大将を排除せしめようとすると、他ならぬ陸軍が推し進めていた国体明徴と矛盾が生じるのだ。それをかつて非協力者と断じた小原に断罪させる。これが悪辣以外の何者であろうか。

 更に司法省内部での派閥対立も忘れてはならない。この小原率いる小原閥は、平沼騏一郎枢密院議長の後援を受ける塩野季彦が先頭に立って形成した現在の司法主流派を占める塩野閥に対する対立派閥である。

 経済検事・刑事検事を常道とすべしを信条とする小原は、政治汚職追及に愛国者であるか国家に有用であるかを度外視して一律に取り締まる。

 以上から、宇垣大将は次期首相候補として名の上がる平沼議長の勢力伸長に釘を打つとともに、陸軍の反宇垣勢力に対しては司法の力でもって対抗を考えているのではなかろうか。



 ◇宇垣大将の不信と陸軍内部の処遇、第二の粛軍となるか


 陸軍の趨勢についても、宇垣体制下では着目せねばならない。組閣妨害という行為は政治的な勝者になればこそ見逃されたやもしれぬだろうが、陸軍は宇垣大将に敗北した。真っ向から対立した彼等を宇垣大将が座して見逃すとも思えない。

 それはこの組閣人事からも明らかだ。陸軍大臣は自身の兼任として行政府に直結する形で一元化。その上で陸軍政務次官には、民政党きっての宇垣派であり憲政擁護の闘士である川崎克〈衆議院(立憲民政党)・元司法政務次官(濱口内閣)等を歴任〉、陸軍参与官には宇垣大将の朝鮮総督時代より長らく政治参謀として近侍し、此度組閣参謀としても敏腕を振るった大蔵公望〈貴族院(公正会)・元鉄道官僚・国策研究同志会所属〉の両名を指名。強力な体制を敷くところからも断固とした意志を伺うことができる。

 更に陸軍部内や宇垣大将周囲の噂を拾い上げると、その懲罰の内実も垣間見える。参謀総長こそ閑院宮載仁親王殿下の留任ではあるが、教育総監には宇垣派であったが故に台湾軍司令官へ回されていた畑俊六〈陸軍中将・陸士12期・陸大22期(首席)〉を起用。閑院宮殿下に政治答責の問題から三長官会議にて意見を述べることは稀であることから、事実上陸軍の最上層は宇垣大将と畑と、宇垣派で固めたとも言えよう。加えて宇垣大将はその組閣プロセスにおいて三長官会議の権勢すら否定せしめたのだから、軍政事項を陸軍大臣へ一元化することも考えているはずだ。

 となると前陸軍大臣の寺内壽一〈陸軍大将・陸士11期・陸大21期〉と前教育総監の杉山元〈陸軍大将・陸士12期・陸大22期〉はどうか。寺内については、中央人事に名が上がっていないため、良くて左遷、あるいは寺内の進退を一度現役に留めたのは宇垣大将の陸相時代であるため予備役入りすら噂されている。

 一方で、杉山は次期侍従武官長として囁かれている。杉山自身往時には『宇垣四天王』と呼ばれた程の宇垣大将の下で敏腕を振るった部下であったから一見すると納得しそうになるが、此度の陸軍の反宇垣の神輿に担がれて、旧主である宇垣大将に否、を突き付けたのもまた杉山なのだ。杉山の処世術と言うべきか、あるいは宇垣大将の棚上げ人事と言うべきか悩ましいところであるが、ともかく別の見方をすれば杉山を宮中に配することで現役の中堅将校層からの距離を置いたともいえる。

 そして中堅将校らからは宇垣大将への帰参と映るだろう。となると杉山は宇垣大将の個人的な信任のみで宮中をこれから渡り歩く必要があるのだから、抜擢なのか懲罰なのか分からなくなってくる。

 では上は抑えたとしても、その下の実務層をどのように宇垣大将は掌握する算段なのだろうか。着目すべき点は2点。

 まず梅津美治郎〈陸軍中将・陸士15期・陸大23期(首席)〉を陸軍次官に据え置く点。陸軍の懐刀として粛軍人事を推し進めた梅津をそのまま残すということは、統制派将校らを壊滅に追い込むのではなく一部将校のみを宇垣体制下にはめ込むことで派閥の弱体化と宇垣派の強化を図っていると考えられる。

 また中島今朝吾〈陸軍中将・陸士15期・陸大25期〉が総理秘書官として大抜擢された点だ。憲兵司令官である中島は、今回の宇垣大将の組閣において現役将校では誰よりも早く宇垣大将の下へ馳せ参じる先見の明を見せたが、中島自身は宇垣派ではないどころか、まともに接点があったようには見受けられない。それまでの経歴を鑑みればむしろ陸軍の反宇垣派に属する方が自然である程で、大博打に成功したというところであろうか。ただその代償も大きく、行政府の職員として政治に参画する面も鑑みて予備役入りも囁かれている。

 着目すべきは梅津と中島が陸士の同期であることだ。何を隠そうこの両名は、陸軍でも有名な竹馬の友の関係だ。中島の現職である憲兵司令官も、梅津の差配によって任じられたと言われる程である。とすると、宇垣大将の思惑も自ずと透けてくる。即ち梅津・中島のラインを使って陸軍部内の統制を宇垣体制下で回復させる、という魂胆なのであろう。

 だが、老練な宇垣大将の謀略の手はこれだけに留まらない。林銑十郎予備役大将を擁立して反宇垣を高々に唱えた石原莞爾〈陸軍大佐・陸士21期・陸大30期〉戦争指導課長に特に沙汰を行う声が挙がっていない点だ。先日の組閣本部での石原の大立ち回りは記憶に新しいところであろう。明確な反対派の急先鋒であった石原を取り込むなどとは誰が予想しようか。しかしその参謀本部が再び反旗を翻すことのないように楔を打つことも忘れていない。中央への復帰が予測されている支那駐屯軍参謀の池田純久〈陸軍中佐・陸士28期・陸大36期・東京帝国大学卒〉の存在だ。

 何を隠そうこの池田は、陸軍参与官として送り込まれた大蔵の所属する国策研究同志会との関係が深い人物であるのだ。つまり、国策研究同志会という搦め手を使い、梅津・中島ラインのみならず、宇垣・大蔵という側近ラインで別個陸軍部内へ接続するルートを残している点は、流石の宇垣大将としか言いようがない。



 ◇外交指針は英米協調へ回帰、混迷する東亜情勢に如何にして立ち向かうのか


 宇垣大将は親ドイツ派の多い陸軍の中でも、きっての英米派である。だがこれは無理もない。宇垣大将の陸相時代のキャリアである加藤・若槻(第1次)・濱口内閣のその全てが幣原外交時代と重複するのだから。だが、一方で朝鮮総督代理時代には黄海を挟んだ対岸で行われていた1927年の山東出兵を目の当たりにしている。当時の田中首相が行った英米の協調の下に行われる出兵が迅速かつ成果を挙げたのは恐らく宇垣大将の記憶に焼き付いたことであろう。

 そんな宇垣大将が外務大臣に任命したのは重光。満州事変と上海事変当時の中華公使という極めて難しい役どころを務め上げ、自身の右脚を反体制派による襲撃で失いつつも上海停戦協定を締結した傑物である。この人事は混迷する東亜情勢に対して中華勢力との関係を重視する姿勢が現れている。

 一方、外務政務次官に任ぜられた鶴見祐輔〈衆議院(立憲民政党)・元鉄道官僚・立憲民政党青年部長〉の存在も忘れてはならない。鶴見も組閣参謀として内閣の樹立に尽力した人物の1人である。自由主義の大弁舌家として、その知名度は日本に留まらず中国やアメリカにも知己を多く有している。そんな彼が日本太平洋問題調査会の一員と聞けば、宇垣大将が何をしたいのか見えてくるであろう。非政府組織の太平洋問題調査会であるが加盟国は日米英蘭仏ソ中豪を始めとした環太平洋地域に利害を有する国々が軒並み参加している。となれば、これを国際連盟代わりの多国間協議の場として位置付けるやり方が思い付く。

 正道の重光外相と奇策の鶴見政務次官として、二人三脚で情勢の打開を試みるという算段なのだ。



 ◇『難産』であれど『流産』ではない、宇垣大将の舵取りに期待


 宇垣内閣は『難産』ではあったが『流産』とならなかった。これに尽きるだろう。確かに予算に外交に陸軍と課題は山積しているが、逆に昨今の内閣において課題が山積していなかった内閣などあったであろうか。

 あるいは宇垣大将は組閣本部に対して怪文書が投げ込まれる騒動もあったが、それすらも乗り越えていると考えれば、幾分この非常時の首相としての指導力には期待できるのではなかろうか。

 宇垣大将は、今回の組閣にあたり度々『閑雲野鶴』という言葉を使って自身や国家の行く末を論じていた。『閑雲野鶴』――それは空に長閑のどかに飛ぶ雲と野で遊ぶ鶴の如く、一切の束縛も受けず、悠々自適して自然を楽しみながら暮らす生活のことを指している。そのような『閑雲野鶴』の生活を天下臣民が分け隔てなく享受できる国を理想として、あるいは宇垣大将自身もそのような生活を送れることを心待ちにしているのだ。

 是非、国内の反宇垣派に押されることなくその手腕を存分に発揮してもらいたいものである。




 終


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