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1937年2月1日午後1時7分―同日午後2時0分

 「石原莞爾氏あたりが急先鋒になって『二・二六事件があって、その裁判が未だ済まぬ前に陸軍の長老である宇垣が出るということは怪しからぬ』というらしいが、これはちよっとロジックに合わない。

 石原は『二・二六事件があって、真崎氏がまだ刑務所に入っているのに宇垣がノコノコ政界に出て来るということはない』というのだそうだが、天子様が出ろと仰しやったのに、あすこらで『出ることはいかぬ』というのは、おかしなことだ。

 やはり吐の底では前に云ったように彼等がわがままが出来ないということだろう」


 ――宇垣一成


 1937年2月1日午後1時7分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部応接室


 いきなり交渉が決裂した。

 手立てを誤ったとしか言いようがない。陸軍の異端児であり、政治的な動きをする人物であったが故に、こうした交渉の方が取っ掛かりが作りやすいかと思ったが、中途半端に陸軍軍人らしい潔癖さも兼ね備えておった。


 つまり、誰が大臣を担うかという人事論で語るよりももっと抽象的な国家戦略やら国体といった部分で決して私と石原氏が敵対していないという部分から突くべきであったのだ。


 だが、今更それに気付いたことを石原氏に勘付かせるように露骨に話を軌道修正するのは……趣味ではない。

 で、あれば。


「石原。このまま手をこまねいていれば――再び満州事変が起こるぞ」


「は?」


 とりあえず意表は突けたか。最低限であるが、これで彼の興味を引き付けることに成功する。


「『昭和十二年度対支作戦計画』……。参謀本部に居る貴様が知らぬ訳もあるまいて」


「ああ……華北に軍事行動で新政権を作る……お粗末な劣化品のことですか。

 流石。中央で『満蒙問題解決方策大綱』なぞを打ち立てて満州の外から国作りをしようとした派閥の長は見るべきものが異なりますな」


「『お粗末な劣化品』に見えるか。

 ――その点については私も同意だ。だが、石原。貴様がその咎を責める理由にはなるまいて。

 確かに『満蒙問題解決方策大綱』はあったが、今の中堅将校らに国盗りを実例を持って体現させたのが貴様なのだからな」


 流石に、その事実に対して嫌味が返ってくることはなく石原氏は閉口する。そこを隙と見てそのまま続ける。


「だからこそ、私が首相に就こうと就かずとも。

 今の陸軍が華北での緩衝地帯樹立に拘泥し、反感を抱いた現地政権が報復に出てきて衝突する危険性がある――そこについては、私も貴様も同じ意見であるか」


「……そうですね。皇道派の盆暗どものように現実を直視せずソ連の軍備に備えようともしない思考停止を起こされても困りますが、だからといって対支一撃などという愚かな妄想で全てが解決するなどと考えられても困る。

 現有戦力でまともにソ連に対抗出来ぬのに、他の地域で軍事行動に出るなど言語道断」


 ……この辺りの考え方に関しては、石原氏は幾分まともなのだ。国際協調やら外交関係といった諸要素を意図的に無視している点を除けば、その戦略眼と機を見るに敏を地で行く行動力は確かなのである。


「で、あれば。石原、貴様に問おう。

 満州事変で独断専行をした貴様が、どのようにして参謀本部と支那駐屯軍司令部で計画されている行動計画に沿って勝手働きをする輩を抑える?」


「――『三月事件』でクーデターを企図した閣下がお話になると、随分と説得力が御座いますね」



 ここで皮肉しか返って来ず具体的方策が提示されない以上、石原氏も同じことを憂慮しておりそこが自らの弱点であると認識していることの何よりの証左である。

 そして、同時に私が石原氏の傀儡政権に任せられない事由でもある。


 更に、付け加える。


「それに、今となっては石原。

 越境将軍の林君も、どこまで信じられるのか分からんぞ」


「林将軍は、虎にでも猫にでもなります。私が舵を握れば如何様にも……」


「……ふむ。少々、彼を誤認しているな、石原よ。

 林君は確かに他者の意見に流されているように見えるかもしれん。だが彼は、時流に乗っているだけさ。

 貴様の風向きが良ければ人形にでもロボットにでもなるだろうが、ひとたび劣勢に陥ればあっさりと手のひらを返され――『猫』になるぞ。

 そのような気質を知らぬ、という訳でもあるまいて。

 ……本当に貴様に使いこなせるのか?」


 結局のところ、石原氏にはあまりにも政治的な手駒に不足しているのである。成程、彼本人は時代の寵児であり天才と言われるやもしれん。だが、それは軍略家やあるいは政治思想家としての才覚であり、所詮『政治家』としての格にも、あるいは持てる『政治家』の駒も全く足りていない。


 満州人脈がある? ――確かに彼等が満州という地で統制経済という一大計画を成し遂げた優秀な実務家であることは認めよう。だが、彼等は所詮この本国においては非主流派でしかない。


 では陸軍部内の彼に信奉する満州派? ――板垣君などのごく少ない人間を除けばそのほとんどが信者とも言うべき舎弟の集まりに過ぎない。彼の思想や考えに忠実に賛同するマリオネットにはなろうが、ただそれだけだ。


 あるいは接触している海軍の艦隊派や、平沼議長、近衛公一派はどうであろうか? ――彼等は『同盟者』にはなれるかもしれない。だが、いずれも独自の勢力を築き子飼も手勢も整えている。今更石原氏の手駒に収まる可能性など……皆無だ。

 そして石原氏自身が、そうした政治勢力を調停出来るような気質でもあるまい。



 つまり。私の足を引っ張ることは出来るが、それまでである。

 この国の政権を担うには、本人の能力以前のあらゆるものが不足している。ましてや首相も陸軍大臣にも傀儡を据えて代理統治するなど、夢物語に近い。


「――即ち、閣下は不肖この石原莞爾の成し遂げたい維新・・について、代行する……その意志があるとでも?」


 二・二六事件の折には最も強硬に鎮圧を主張した石原氏の口から、よもや『維新』という単語が出てくるとは思わなかった。

 先ほどは皇道派のことを盆暗と称していたが、それとは異なる考えを有しているということか。それとも意表を突くために敢えてそのような表現を取ったのだろうか。

 ……だが、昨日此方を訪ねてきた皇道派の予備役大尉は、日々の奉公こそが維新と答えていたな。まずは、其処から手を付けないといけないか。


「……維新とは」


「軍備の拡充と、国力の増大。それが為せれば必然と維新は貫徹される」


 つまりは富国強兵か。使い古されたスローガンであるが当然か。それが出来れば国として労することは何も無いのだから。

 そして、これを面と向かって話したということは、やはり私に纏わりつく軍縮イメージが拭えなかったということだ。


「――まず前者だが。前任の廣田首相が通そうとしていた予算案。これは通すつもりだ。

 無論。多少の変動はあるかもしれんが、昨年度予算よりは大分色が付くのは確約しよう」


「……その言を保障する要素は如何に?」


「海軍大臣の対価として建艦予算を概ね通すことを認めた。であれば陸軍予算だけ通さないというのは有り得ぬであろう?」


 前回私が陸軍大臣を務めたときとは流石に状況が異なる。あの時は関東大震災の復興支援予算を捻出する必要があり、もしそれを突っぱねれば政府と国民の不満で軍そのものが立ち行かなくなる可能性すらあったのだ。

 だが、今回は既に海軍が軍縮条約を破り軍拡に舵を切っている。陸軍の面子という意味でも予算要求を行うのはそれはそれで筋であるし、実際問題としてソ連に対応する軍備が不足しているのもある。


 そして、その意味で言えば。私も石原氏の想定する軍備に関して一定度合いの信用を置いている。

 というのも。満州事変は確かに外交状況だけ踏まえれば悪手ではあったが、ソ連の軍事対応能力を鑑みれば、五ヶ年計画の最中で急速に軍の近代化を推し進めている最中であり多少なりとも極東ソ連軍の動きは低調であった時機ではあったのだ。

 ソ連の介入を防ぐ、というただ一点においては絶好機であったのには違いない。同時にそれはソ連に対する適切な評価が期待できるということ。


「……で、国力についてだが。

 まあ、基本的には『重要産業五カ年計画』で良いとは思う。だが、実務者は満州の者から切り離す」


「人員に関しては呑めないということですか。確かに先の『政治ごっこ』の大臣人事も石黒さんしか入れて下さらなかった」


「……まあ、そういうことだな。財閥や既成政党の枠組みを活用しつつ総力戦体制を築き上げることとなる」


 私としてはこれが最大限の譲歩だ。原案だけは彼らの提唱した統制経済術を使うが、その実績は我々が掠め取る。

 無論その過程で修正が重ねられ、骨抜きにされるという危惧は当然石原氏がしているとは思うが、私としては別に十二分に今の財界は成果を挙げていると考えているので、彼等と協力して腰を据えてやりたいと考えているため、急進的な満州のやり方をそのまま持ち込むのは厳しい。


「……この国の産業は、欧米列強と比して随分と立ち遅れております。

 なので、生産の選択と集中を行わねば、彼等とまともに戦うことも適わなくなると考えています」


「成程。それが石原の考えか。

 だが、私はそうは考えていない。

 各国は自国の経済を守ろうと関税を掛け保護貿易に邁進しているが、日本が安い品をどんどん市場に送り出して、外国は日本品と競争ができていない。

 その流れは南洋、濠洲オーストラリア、インドに留まらず、南米からアフリカにまで勢力を伸している。


 ――私は、この調子をもう七、八年もつづけたら日本は名実共に世界の第一等国になれると確信している……戦争さえしなければね」


 戦争の為の産業か、産業育成の為の産業か。

 一等国と称するに等しい産業を興すことが出来れば、私は自ずとソ連に対抗するための方策は整うと考えているが、おそらく石原氏としてはそれでは迂遠過ぎるということなのであろう。

 となると、ここで議論を重ねたところで平行線だ。石原氏からの譲歩は、性格的に見込めない以上切り口を変えて矢継ぎ早に説得文句を繰り出すしかない。


 ……というところで今朝吾君が動いた。


「少し、見方を変えた方が良いかもしれませんね。

 石原大佐。宇垣閣下であれば政治家を抑えることは容易く、国民からの信任も得ており、そして各省庁に友人も多い。

 ……陸軍さえこの体制の枠組みに入れば、政官民挙国一致にて総力戦体制の構築へと邁進出来るのですよ。

 さて。この体制を希求した人物が……1人居りましたね?」


「亡き永田鉄山閣下のこと、ですか……」


 相澤事件にて誅殺された永田鉄山中将。死亡してから中将が贈られたから正しくは少将ではあったが。

 統制派と呼称される陸軍一派の重鎮であり発起人であったとされる人物。今でこそ満州派と呼ばれる分派を率いる石原氏も、元はと言えばこの永田鉄山君という男の下で動いていた。そこを突くか。


「左様。葬り去られた永田軍政の踏襲。

 ……これが可能なのは、政治勢力を抑圧することでしか抑えられぬ現在の陸軍部内でも無く。国民人気の低い越境将軍の林閣下でもあらず」


「――それが宇垣閣下と言いたいのでしょうか。

 残念ですが、永田さんは軍縮には反対の立場を取っていましたがね」


「だが、その軍縮で生まれた『配属将校』制度……陸軍現役将校学校配属令の立役者は宇垣閣下ですよ。勿論これが当時、国家総動員機関設置準備委員会幹事であった永田さんが絶賛し国民防衛と国防意識の育成に活用していたことは、石原大佐には改めてお話することではないかと思いますが」


 そういえば、陸軍省内部に整備局が出来る際に尽力したのも永田鉄山君であったか。

 そしてそこを突くことで石原氏が沈黙する姿から、この切り口が効果的なのだろう。


「つまりは、宇垣閣下の構想と永田さんの生前のお考えは近しい……と、そう言いたいのですかね? 馬鹿馬鹿しい。

 亡き人物の意志を継ぐことなど、所詮猿真似にしかならぬよ。永田さんを慕っていた奴らですら華北で火遊びするしか能の無い体たらくなのに、その人となりを知らぬ者が意志を継ぐと言い出しても……」


 まあ、正直この皮肉に対しては頷ける一面もあるが。

 しかし今朝吾君は意に介さず続ける。


「いえ。1人だけ居るのですよ。

 その永田さんに付き従い、永田さん自身が片腕と認めるまでになった優秀な幕僚が――」


「……ふん。まさか『東條英機』などと言うまいな? 憲兵の誼で贔屓しているようだが、あのような然したる思想も無い男を目にかけるとは存外……」


「――『池田純久』支那駐屯軍参謀です」


 石原氏が関東憲兵隊司令官のことをこき下ろしていたが、不仲なのだろうか。知ったような口で人格批判をしていたが、永田君の片腕という言葉を聞き想起した人物が彼であったのだろう。

 その後に出てきた、池田という参謀の名を聞いた瞬間閉口してしまう。


 仕方が無いので私から今朝吾君に説明を求める。


「その……池田純久君は。どのような者なのかね? 今朝吾君」


「所謂、永田軍政と呼ばれる永田さんの軍務局長時代に課員として敏腕を振るった人物ですよ。あの――陸軍パンフレットを執筆した張本人で、統制派きっての理論家として知られる人物です。

 ……何より。大蔵さんが所属する国策研究同志会の中で陸軍中堅将校との結びつきの強い一派を率いる矢次一夫さんが、頼りにしている人物が……池田中佐です」


 ほう。国策研究同志会……大蔵君に連なる人物とは。少々間接的だがそのような永田君の忘れ形見と希薄ながら繋がりを有していたとは思わなかった。

 つまり、今朝吾君の構想としては。参謀本部内に石原氏を据え置くことで、華北地域での戦争拡大反対派として鎮座してもらい、一方で石原氏の掲げる経済政策や亡き永田君の意志は、その池田中佐に背負ってもらうことで石原氏が独断で各省庁と折衷することを未然に防ぐ、ということか。

 そして、その池田中佐は国策研究同志会と結び付く人物であるので、大蔵君の舵取りが期待出来る、と。


 ――ふむ、悪くは無い。



 しかし、全く予想外の所から神妙な声が漏れるのを耳にした。

 この応接室の出入り口。そこに侍る憲兵2人の内の片割れ――秀澄少佐である。


「――池田中佐……で、ありますか……」


 まさかの伏兵である。

 もうそこまで声を挙げてしまったら隠し通すのも無理だ。


「……何か問題があるのかね、秀澄少佐?」


 ここまで来たら言わせてしまった方が手っ取り早い。


「かつて……統制派や皇道派の対立の激化する前に、青年将校と中堅幕僚の関係改善の為に一席設けたことがあったのですが。

 その際に陸軍の大同団結を強調し、青年将校の行動を抑制する態度で……青年将校側の言い分を聞こうともしなかった彼ら幕僚の中に池田中佐はいらしたのです」


 今でこそ少佐だが、年次を考えればその当時は大尉であっただろう。つまり秀澄少佐は幕僚側の人間ではなく青年将校側であったというわけだ。その後の直接行動には参加しなかっただけで、けれども心情的には青年将校寄り。

 そして、今の今まで私の行動に特に何も言ってはこなかったが、流石にその当事者である池田中佐が関わってくるとなると話は別……ということであろう。


 さて、思ったよりも面倒だぞ。説得するか、無視して池田中佐の人事を強行するか、あるいは諦めるか。取り得る手段は数あるが、どれが最適であろう。



 ……と、ここまで考えたところで、またもや全く想定しないところから今度は怒号が聞こえたのである。


「――喝ッ!! 貴様、帝国軍人であろう!?

 ごたごた御託を捏ねて上官を困らせるのであれば献策の1つでもしてみればどうかね?

 今は貴様が、そのかつて忌み嫌った中堅幕僚なのだぞ!?」



 ……声を荒げたのは、何と石原氏であった。

 その口の悪さは相変わらずであるが、しかし。内容を拾い上げてみれば、道理を説いている。

 ここは、我等の仲違いを傍観するなり、助長するなりして。石原氏との交渉どころでは無くして我等の負い目にて棚上げするのが、敵対する彼にとっては最善手であったのではなかろうか、と思ったが。まさか仲裁に入るとは思わなかった。


 そして、いきなり怒鳴られた秀澄少佐は最初は突然のことで豆鉄砲を喰らったかのような顔をしていたが。その物言いに気が付くとこう反論した。


「……満州で独断専行をした石原閣下に、上官を困らせるなどと言われたくは無いですね」


 私が先程言ったようなことと似たようなことを秀澄少佐は告げる。まあ誰であっても、この反論が出てきてしまうだろう。

 しかし、石原氏はその既視感を拭うかのように、実に晴れ晴れしい笑顔でこう言い切った。


「――それは、私が特別であったからだ。

 林将軍は越境してくれたし、そもそも永田さんは重砲を密かに関東軍へ配備していた。

 対ソ連も考慮に入れた上で、動く時機は其処しかないと思っていたのだ。これが君に真似出来るかね?」


 ……開き直った。

 満州事変が独断専行だと認め、その上で自分にしか出来ないことであると。


 即ちこれは、今まさに参謀本部にて華北分離工作を行っている面々への批判に直結する。石原氏――彼自身だから成功したのであって、その猿真似は失敗する、と。

 過剰なまでの自信家である。そしてこれまでの考えから吹っ切れたようであった。そして、そうした在り方は今までの石原氏以上に敵を作りかねないだろう。

 だが……。


「――面白い」


 ……私は、どうもそういう男のことを嫌いになれないようだ。



 私の呟きに気が付いた石原氏は此方へと振り向く。


「……で、あれば。貴様の覚悟も、見せて貰おうか」


「――御意」


 そう言うや、否や彼は応接用の椅子を蹴り上げるかのように跳び上がり、応接室の出入り口に詰める憲兵2人が反応出来ぬ内に、扉から飛び出した。




 1937年2月1日午後1時47分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部


 石原氏は組閣本部の最も目立つ部屋の中央にある机の上に下駄のまま飛び乗り、机を足で強く叩いた。

 その異様な様子に組閣本部の中に詰めていた全ての職員が動きを止め、彼に注目する。警備として詰めているはずの麻布警察署の面々もそのあまりに現実離れした光景に――否。石原氏のその神秘性すらも秘めた暴力的な存在感に圧倒されているようであった。

 そして。その威風堂々たる威容に、組閣本部内部のみならず。その外に構える記者らすらも写真に切り取られたかのように、その全ての動的存在が石原氏ただ一身を見つめていた。


「――諸君! 不詳、石原莞爾は……貴様らの敵として、陸軍の音頭を取って其処の宇垣閣下に喧嘩を吹っ掛けた!」


 言ってしまえば敵地であるこの組閣本部でこの大立ち回り。尋常ではない胆力である。

 そして、そのような胆力に魅せられた者は、無条件で彼のことを評価してしまう。そう、評価せざるを得ない。だから、必然。話を聞く場が出来てしまう。


「……反宇垣。それが、国民の期待にそぐわないことは認めよう! それでも陸軍として宇垣首相・・・・には反対してきた! だからこそ、こう言おう!

 皇道派の真崎の阿呆が折角獄中にいるのに、何故……ここで宇垣にまで時を戻さねばならないのか!」


 結局は、そういうことなのだ。

 しかし、部内の統制という建前を崩してここで本音を曝け出した。それが意味することは何か。



「私が誤っていたことは無く、今でも正しいと思っている。陸軍部内を正しく導くことが出来るのは、断じて宇垣一成ではない」


 更に石原氏は言葉を重ねる。


「だが。私が林将軍を使って内閣を簒奪せしめようとした理由はただ1つ。

 ――中華勢力と戦争をせぬためである!


 諸君! 宇垣の腰巾着である貴様らは、国民政府と、中国共産党と、あるいは有象無象の軍閥共との戦争を行う算段か!? この、石原莞爾が問う。答えよ!!」



 ここまで話せば、ただ茫然と石原氏の大演説を聞いているだけであった私の幕下の面々も薄々と石原氏の意図に気が付く。


 すると、徐々に声が高々と上がり、そしてそれはまもなく1つのフレーズの大合唱となる。即ち「否!」という一言の。



 そして、石原氏が再度机を足で叩く。


「如何にも! そして、非才ながら私もその一点。ただ一点のみで宇垣閣下と――同意見だ。


 故に。私は柄にも無く、揺れている! だからこそ、この場で貴様らの大将に問おう!」



 そう言い切ると、周囲の全ての目が私に降り注いだ。

 言い逃れの出来ぬ場を用意したか。まあ、ここは乗せられるしかない。


「……聞こうか」


「宇垣一成。

 ――貴様の考える『維新』とは何か?」




 初めて問われた質問だ。だが、その答えは即座に出てきた。



「――閑雲野鶴。

 我が国の万民に……閑雲野鶴を友とする自適の生活を提供することが。

 国を治める者としての『維新』である」

※用語解説


石原莞爾の内閣構想

 石原率いる満州派の当初想定していた林銑十郎内閣構想は以下の通り。

内閣総理大臣 林銑十郎

外務大臣 林銑十郎 首相兼任

大蔵大臣 池田成彬

内務大臣 河田烈

司法大臣 塩野季彦

文部大臣 有馬頼寧

農林大臣 石黒忠篤

商工大臣 津田信吾

逓信大臣 山崎達之輔

鉄道大臣 津田信吾 商相兼任

拓務大臣 石黒忠篤 農相兼任

陸軍大臣 板垣征四郎

海軍大臣 末次信正

(内閣書記官長 十河信二)

(法制局長官 大橋八郎)

 十河・板垣・池田・津田の4名は石原の満州人脈で直結する面々であり、塩野・大橋は平沼関連の司法官僚、そして艦隊派の末次と、完全に満州派とその協力者で固められた内閣であった。

 石原自身としては満州で成功した統制経済術を内地で実行する場合には、反発が予想される政党・財界の影響力を排除せねば完遂出来ないと考えていた。だからこそここまで苛烈に満州の要人で固めた訳であるが、史実ではこの陣容のあまりの露骨さにまず梅津が動き陸相・板垣を阻止、次いで海相から末次を外したことで、林自身が諸勢力との妥協を選択、『満州内閣』・『石原内閣』とも呼ばれた本構想は頓挫するのであった。

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