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1937年1月31日午前9時19分―同日午前9時38分

 「それにしても、私たちを諫めていた先輩たちがやむにやまれず、天皇の赤子として天皇の聖明をおまもりするために革新への突撃を敢行したのに、今その天皇の命令によって処刑されようとしているのだ。一体これはどうなっているのだ。私は狂わんばかりの憤激をおさえることができなかった」


 ――黒崎貞明


 1937年1月31日午前9時19分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部


 昨日の杉山君の訪問について、あれから今朝吾君と話したが、陸軍部内の如何なる動きに連動したものか断定することは出来なかった。

 私は石原氏の策謀かと思ったが、今朝吾君はどうも梅津次官による遅延策と考えているようだ。無論他の者にも相談はした。

 すると弥三吉君は、杉山君の背後には誰も居らず彼の意志以上のものは介在しないと、意見を述べた。一方で今井田君辺りは杉山君を影で操れる人物は居ないという部分は弥三吉君と同意見なものの、陸軍部内の空気感によって動かされていたのではと前回の杉山君との対談で彼自身が語った話を統合した結論を出していた。


 逆に言えば、それ以上類推する材料が無かったとも言える。杉山君を隠れ蓑にして密かに動く人物が居るのには違いないだろうが、それが誰かも分からず、その人物が果たして今の陸軍部内でどれだけの影響力を発揮出来るのかも分からない。


 結果的に決まったことは、梅津次官との対談スケジュールが今朝吾君主導で今日の午後に入ったことくらいだ。そういえば、梅津次官は今朝吾君の同期であり竹馬の友であったな。


「宇垣さん。お伝えしたいことが……」


 私が思慮に耽っているところに話しかけてきたのは、民政党党員の鶴見君であった。


「何用か。民政党関連で動きでもあったか?」


「いえ、そちらではなく。

 宮中の湯浅内大臣から言伝を預かっております」


「うむ、聞こう」


 優諚を賜る前までは、この鶴見君を使って宮中工作などは行っていたが、ここ何日かは民政党議員や永田拓務大臣、そして法制局長官に任命する予定の池田さんなどの折衷を任せていた。

 だからこそ鶴見君が宮中に関わる余裕は無かったはずなのだが、彼自身も『言伝』と言っていることから何か活動をしていたわけではなく、本当に一報を受けて私に知らせているのだろうと言外に込められた意図を察する。


「――宇垣さんの現役復帰の特旨に関して、内示が出されたそうです。

 差し支えなければ、2月の2日に行いたい、と……」


 明後日か。陛下の御前に参内したのが1月27日であったことを踏まえれば、おおよそ1週間程度かかったとも言える。

 そして……。


「私が現役に復すれば、何の障害もなく陸軍大臣を兼任することが出来る。

 となれば、その2月2日が――」


「――事実上の組閣までに残された刻限。そう解釈しても良いでしょう。

 無論引き伸ばすことも出来るやもしれませぬが……」


 だが、私に大命降下が為されてから既に6日が経過している。2月2日時点でなら8日。大命降下の際に宮中へ参内して欲しいという侍従長の電話を受けたタイミングから換算すれば9日だ。

 少々組閣に時間を掛け過ぎているのは確かである。やはり、特旨を奉じる時節で内閣を発足させねばなるまいて。


「何、問題は陸軍部内くらいだ。

 今日の午後には梅津次官と話し合いをするから、その後大蔵大臣と農林大臣を決めれば――」



 私が全てを口に出す前に、この僅か瞬刻後に組閣本部は喧騒と怒号に包まれたのである。

 1937年1月31日の午前9時23分のことであった。




 1月31日午前9時23分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部


「……何事だ?」


 遠目に入口の方を見れば、何やら軍服を着た3人がこの組閣本部を警備する警察官に詰め寄っている姿が目視で確認できた。

 その様子を見た瞬間に、まずは一昨日の明朝に今朝吾君から借り受けた拳銃の所在を手探りだけで確認する。


 直前まで会話をしていた鶴見君は当然私と同じく事情をまだ飲み込めていない。


「――此方から決して銃を抜くな!!」


 次に聞こえてきたのは、安井君の大喝であった。これにより、無意識的に銃に手をかけようとしていた警備の警察官は寸での所で立ち止まる。

 直後、私の下に駆け寄ってきたのは今朝吾君と護衛2人――上砂中佐と秀澄少佐であった。


「閣下……一旦後方に退避を」


「いや、構わん」


 今朝吾君が短く進言してきた内容を取り下げる。既に安井君の檄により、此方の発砲による暴発の危機は一時的に去った。となれば恐れるべきは相手の暴走だ。

 ここで動けば、逆に自棄になって私を狙いに来るかもしれん。よもや爆弾を持っていたら取り返しのつかないことになりかねない。


 それは警備の警察官らも心得ているようで、彼等不法侵入者を囲みつつも決して安易に捕縛の為の行動には動かなかった。


 此方から相手の顔や表情は読み取れない。が、声は聞き取ることができた。


「我々帝国軍人は憲兵の命には服するが、貴君ら警察官の命に服することは出来ぬ」


 その声を聞いた後の今朝吾君の指示は早かった。


「上砂君、行きなさい」


「はっ」


 時間が止まったかのように、各人が動きを止めている室内で上砂中佐の足音が響く。


「――東京憲兵隊所属の上砂勝七である。階級は中佐だ。

 まずは貴様らの所属と階級を名乗りなさい」


 上砂中佐はあくまで毅然に、けれども優しく語りかけるように口を開いた。流石に警官相手には啖呵を切れても、憲兵本人が登場したとなれば分が悪いと考えたのだろう。

 相対する3人は徐々に大人しくなり、その中でも最も年上と見受けられる人物から話し出す。


「……予備役の大岸頼好と申します。階級は大尉で、昨月に待命を受けるまで第4師団の歩兵第61連隊で中隊長をしておりました」


「独立守備歩兵第6大隊の黒崎貞明です。階級は中尉です。

 それでこちらは士官候補生の……」


「津野田知重であります! 宇垣閣下に是非お伺いしたいことが御座います。お取次ぎ願えぬでしょうか!」


 第4師団――大阪か。いや、確か来月には満州に駐屯する予定で移転を進めていた中途のはずだ。

 そして独立守備隊は満鉄の守備隊だ。何故満州の守備部隊の将校が帝都に居るのだろう。


 いくつか疑問が出てきたが、折角目の前にこの手の人物眼に優れた人間が居るのだから聞いておこう。


「今朝吾君。素性は分かるか?」


「士官候補生の津野田というと……50期生でしたでしょうか。すみません、私もあまり詳しくは存じ上げません。

 ですが、48期の三笠宮様の後輩にあたる人物です」


「士官候補生の方は期待していない、尉官の方は分かるか?」


 口ではそう言ったが、一士官候補生の所属まで網羅している今朝吾君には内心驚かされる。

 だが、そのような驚嘆の念は次の今朝吾君の言葉で吹き飛ばされることとなる。



「黒崎貞明。二・二六事件当時に満州に居たが故に、直接関係はしておりませんでしたが首魁とみられた死刑囚・村中孝次と強い関係を有した人物ですね。満州にて事件直後に東條英機関東憲兵隊司令官によって捕縛されましたが事件には関与していないため釈放されています。

 そして、大岸頼好……。同じく二・二六事件では直接関係していないので不起訴となりましたが、皇道派の青年将校の思想的な中心人物の1人です」



 ――よもや、ここに来て二・二六事件の幻影が私を捉えることになろうとは。粛軍人事にて皇道派は壊滅したと聞いていたが、成程。

 完全に押し留めることまではできなかったらしい。宇垣派将校まで巻き添えにした上で、所詮その程度の統制派将校らの報復であったという訳である。



「……今朝吾君。君は如何様に考える」


「正直に申し上げて……分かりかねます。

 陸軍部内の動きと、今の状況が連動しているとは流石に考えにくいでしょう。多少強硬に対処したとしても、現在の陸軍主流派にとって皇道派は不俱戴天の仇。

 大勢に影響を及ぼすことは無いとは思うので、お引き取り願っても問題ないかと考えますが……」


 随分と歯切れが悪い。今朝吾君にとって、今の出来事は青天の霹靂であったということだろうか。これまでの歯切れの良さを潜めている。

 それでも分かったのは、今朝吾君は目の前に居る3人の要求を飲むことには反対のようだ。


「何故、今朝吾君は反対であると考える?」


「……っ。

 彼等が美濃部さんにしたように、隠し持ったピストルを話している最中に撃ち出したときに、閣下をお守りすることがおそらく難しいからです」


 彼は心情的理由を極力排して、警備上の問題を告げた。そしてここで美濃部さんの話を持ち出すか。五・一五事件でも相澤事件でも良かろうに、『わざわざ被害者が生存した』襲撃事件を持ち出すとは。

 何とか私の意見を翻そうというのであれば、もっと私のことを脅せば良いものを。



 だが、彼に何を言われようと私の意見は最初から決まっている。


「今朝吾君」


「はっ」


「……大命降下前に、六郷橋で車に乗り込んできた君に話した通りだよ。


 爆弾が飛ぶとか、ピストルを撃つという話では私は退くつもりは無い。――全員応接室に通しなさい」




 1月31日午前9時26分

 東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部応接室


「まあ椅子に掛けたまえ。そのように立っていては話も出来ぬよ」


 私の脇は今朝吾君と護衛2人が固め、更に応接室の内部には警備の警官らも同席している。その厳戒態勢の中では、落ち着かないのか私に面会を強行的に求めた3人は所在なさそうに視線を泳がせている。

 それでも腹を括ったのか、年上の予備役大尉から着席したのを確認して私はゆっくりと話を切り出す。


「正直に言えば、君達のことを私は微塵も知らぬ。だから、今日此処へ一体何をしに来たのか教えてくれぬか」


 一応尋ねてはいるもののこうも挙動不審の様子ではどうせ私の暗殺だろうな、と半ば内心では決めつけてかかっている。

 そうしたら、まずは年長者である予備役大尉の方が声を上げた。


「閣下等はおそらく勘違いなされているかもしれませんが私と黒崎は、この士官候補生の津野田は実のところ大した面識は無いのです。

 ただ風の噂で、偶然彼が暴挙を仕出かそうと考えていたので……先達として、まずは話だけでも聞いてみろ、と半ば連行してきたのであります」


 さらりと『暴挙』という言葉が出てきたが、つまり彼の言をそのまま真実とすれば一応突発的な行動を押し留めたということになるが。

 しかし肝心の尉官2人が関係者であることは、予想通りであるが厄介である。


「……こうして席を用意してしまったからな。話してみなさい」


 すると士官候補生の方は、ゆっくりと胸中に秘めた思いを吐き出すかのように語りだした。


「……実は学校内で、三笠宮様から拝聴したお話なのですが。

 閑院参謀総長宮殿下が、閣下の組閣に関することで苦労していると……憂慮する内心を吐露してくださったので……これは私が宮家の安寧の為にも行動せねば、と居ても立っても居られない状態になって、こうして閣下の御前に参上した次第であります」



 その言葉が切れた後も、しばらく沈黙がこの空間を支配した。


「……んっ? 津野田候補生。重大な取り違いをしていないか?」


 今朝吾君がその空気を代表して切り出すと、凄い勢いで反論が返ってきた。


「お言葉ですが! 三笠宮様のお話を疑うということですか!?」


「……あっ、いや。閑院参謀総長宮殿下の心労ということであれば、おそらく三長官会議にて事実上の宇垣閣下への陸相推薦拒否の場だと知らされずに、宇垣内閣の下で陸軍大臣を引き受けない者に対して候補者を推薦する片棒を担いでしまったことだと思うが。

 三笠宮様も宇垣閣下側というよりも、陸軍部内の動きについて憂慮していたのでは無かろうか」


「――えっ?」


 士官候補生はその言葉に対して一瞬、完全停止する。そして頭で今朝吾君の話を理解できたと見るや否や、おそらくこの中で味方であろう予備役大尉と中尉の方を向き直る。我々が嘘を付いている可能性を肯定して欲しいのだろう。

 するとこれまで口を開いていなかった中尉が声を発した。


「……おそらく、中島閣下の話していることが真実だと思うが。

 2年前に真崎教育総監の罷免を鶴の一声で成し遂げた閑院宮殿下だが、統制派の連中に心服してそれを為したとはとても思えぬ。今回の見苦しい動きをむしろ諫める側に回る方が自然だ。

 そしてそれが為されなかった、ということは……嵌められたのだろう」


 想定外に我々に与する発言が彼の口から出たが、それもそうか。

 皇道派である彼にとってみれば、今の陸軍中枢は憎き統制派の天下で自らを獄中へと送った張本人なのだから擁護する理由が無いのか。


 そして、そこまで明確に告げられた士官候補生は顔を真っ赤にして、この場に居る面々にまるで腹でも斬りかねぬ勢いで謝っている。先ほどまで喧嘩腰であった警官らに対しても随分とばつの悪そうな様子だ。

 そこまで態度が一変すると、流石に命を賭して私のことを守ろうとしていた空気すらも弛緩する。「もう一度、三笠宮様のお話を深く伺い御真意の程を理解したいと思います」と告げたので、私が退席を促したらもう一度謝罪してそのまま脱兎のごとく去っていった。



 しかし予備役大尉と中尉の2人は、そのまま深く席に座り続け一向に退席する気配は無い。



「……で。あの彼と一緒に帰らないということは、君達はまだ用件があるということかね?」


 そう告げれば、無言で頭を縦に振った。予備役大尉の方が口を開く。



「……宇垣閣下。

 閣下は覇道的制度機構を握る政党や財閥らと繋がり、宮中の奸臣らとも仲が良い。

 そして文武の大権を握る陛下から畏れ多きことに、優諚を引き出した。


 ――もしや自身の権勢の確立のために、陛下の御言葉を悪用しようとしているのでは無いでしょうか」

※用語解説


組閣にかかる日数

 当然だが、大命拝辞が起こると別の人物に後継首班奏薦を行う必要があるので組閣までに要する日数は変わる。例えば、第1次山本内閣(1913-1914年)は3月24日に総辞職を行ったが、その後27日には元老らは徳川家達を指名したが家達は辞退。31日に改めて清浦奎吾が指名されるものの海軍との予算交渉に失敗し4月7日に組閣を断念。13日に再々度、大隈重信に大命が下され16日に第2次大隈内閣が発足。このように前内閣の総辞職から3週間以上要するケースも存在した。

 その意味では、廣田内閣が総辞職したのは1937年1月23日であり、仮に2月2日に組閣される場合でも10日。この日数は極度に遅いという訳でも無い。

 しかし、一方で単独の人物が大命降下を受けてから組閣に至る日数は、陸軍に直接的な組閣妨害を2度受けた廣田前内閣であっても4日で成立、五・一五事件により犬養毅が暗殺され初の挙国一致内閣を組閣した斎藤実内閣も5日。宇垣が大命降下を受けたのは1月25日なので、かなり時間をかけて組閣を行っているのは事実である。


大岸頼好

 予備役陸軍大尉。1930年に西田税の指揮する秘密政治結社・天劔党に属する。同年4月には「兵火」という名のパンフレットを配布し、その中で陸海軍と農民労働者による政党・貴族に対しての武装蜂起を呼び掛けている。彼の思想は従来の西田・北一輝らの国家改造運動とはやや異なる、農本主義的な思想傾倒が見られる。1931年には「皇政維新法案大綱」を執筆。1934年には「皇国維新法案」を新たに発表した。また1935年に相澤事件を起こし永田鉄山を斬殺した相澤三郎(大岸自身は永田の暗殺には反対し一度相澤を止めている)を始めとして、大岸の思想共鳴者は数多く居り西田・北に率いられた青年将校グループとはまた別の皇道派一派(皇魂派とも)を形成していたと見られている。二・二六事件時には、蹶起将校が陸相官邸にて要望事項を読み上げたが、その中に『速やかに東京に招致すべき同志将校』として名が挙げられている。

 しかし二・二六事件鎮圧後、実際には直接的に何ら関与していなかったのにも関わらず、その影響力を恐れられ、粛軍人事の一環として1936年12月に予備役へと編入された。


皇政維新法案大綱

 昭和維新への道程を5期に区分して国家の制度改造論を述べている。国家総動員の発動を前提として、天皇自らが大権を発動し枢密顧問官らを罷免、華族制も廃止したうえで新たに顧問院を設置し国家改造内閣を樹立する。そして天皇を含めた全ての国民の私有財産・土地・資本を国家へと上納し、農村・都市・工業といった単位で「自治制」を採用して地方議会・国会・憲法を再規定した上で、家族単位の国家を樹立することが目標とされた。


皇国維新法案

 皇政維新法案大綱にあった制度改造論から、大きく天皇主義へとシフトしファシズム・共産主義双方の思想が織り込まれた。

 天皇主権をもって祭政一致の親政による天皇直接統治論を主張し、大和民族の使命である世界修理(創造的世界革命)を成し遂げること、国外に対しては「最高同義国家」として満州国の独立保全と、ウラル以東や西南アジア、インド、南西太平洋を巻き込んだ「亜細亜連盟」の結成が必要だと訴え、対ソ・対英戦の必要性とアメリカとは協調関係を保つことが記されていた。また日本を取り巻く情勢の悪化には天皇信仰が不足していることが要因として、個人主義・民主主義・資本主義は否定されるべき思想だと述べている。

 また政治においては政党政治・議会主義を非国体原理制度と断じその廃絶を訴え明治憲法の放棄を訴えた。天皇親政を前提としながらも「信教の自由」と「宗教神道」の廃絶を訴え、それに代わるものとして「民族信仰」と「国体教育」が必要とした。

 更に経済方策においては天皇の経済大権を新たに設け、万民が「連帯協和勤労の実」を発揮することが主張されている。


黒崎貞明

 陸軍中尉。士官候補生時代より革新運動にのめり込み、そのときに村中孝次と知己を得る。その後満州にて守備隊付将校となり長らく赴任するも二・二六事件(1936年)の発生後に連座して同年3月に逮捕され代々木刑務所へ護送。二・二六事件蹶起将校らとともに取調べを受ける。獄中で先輩将校らとともにモールス信号や手旗信号でやり取りをしたり、哲学書を看守より仕入れて学習する。あるいは西田税の牢から菓子が届けられたりと、入獄者同士でコミュニケーションを密に取っていた記録が残されている。同年7月3日に相澤事件にて逮捕された相澤三郎の処刑、そして7月12日に先輩将校や同期生を含む蹶起将校15名が銃殺刑に為された際に獄中より射撃音を耳にしている。そして釈放日には北一輝より「当面は戦争しないように」という遺言を授かった。


津野田知重

 陸軍士官候補生。父である津野田是重は日露戦争において乃木希典の参謀を務めた軍人。父の跡を継ぎ軍人を目指すが、是重の部下であった山下奉文の影ながらの助力もあった。1937年12月に陸軍士官学校を50期で卒業予定。

(史実では1944年に東條英機暗殺を計画するが、東條内閣打倒には賛同していたが暗殺までは容認できなかった三笠宮崇仁親王が、津野田より計画を聞いた際に陸軍省兵務局防衛課の黒崎貞明へ通報したことで露見し逮捕され免官された。)


相澤事件

 1935年に皇道派青年将校に共鳴していた相澤三郎が、統制派の中心人物であった永田鉄山を陸軍省内で白昼斬殺した事件。その先年に発生した陸軍士官学校事件にて皇道派青年将校らと士官学校生徒が停職・退校処分になると相澤は事件の背後に永田が居るとして大岸頼好に永田の暗殺を相談するが、その時は大岸が説得し断念。しかし、皇道派の重鎮である真崎甚三郎が教育総監職を罷免されると、同時期に流布された怪文書からまたもや永田が罷免騒動の背後にいることを確信。更に皇道派青年将校の免官も重なったことで事態は一刻の猶予も無いとして、執務室に乱入して軍刀で永田に斬りかかり、刺突を加えて殺害した。

 その後相澤は軍法会議にて死刑判決が下り、1936年7月3日に銃殺刑に処されている。



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