優諚降下による問題点の整理
「組閣の大命を拝受したる宇垣大将は、難航海を続けつつある」
――神戸新聞 1937年1月27日
「宇垣大将に対する陸軍部内の情勢は個々の折衝をなすまでもなく何人も後任陸相たるを肯んぜざること極めて明瞭であった」
――大阪時事新報 1937年1月27日
「今回の組閣における宇垣大将の粘りは相当なものでこれが陸軍対宇垣大将の対立という形をとっているだけにこの組閣に一大特異性を与えているわけである」
――大阪朝日新聞 1937年1月27日
「宇垣氏が何を持って登場するかをこそ第一に見極めなければならないのではないか。それ以前に、宇垣内閣が否定されようとする根拠は薄弱ではないであろうか」
――国民新聞 1937年1月27日
「国民的に時局打開の最大の切札と推されて期望せられている宇垣大将の組閣工作が、かくの如き羽目に陥ったことは、時局をますます紛糾せしめ、非常事態を篤からしめるものとして憾みなきを得ないではないか。吾等は重ねて国民的協調の道に出る最後の打開策はないかと叫びたい」
――大阪毎日新聞 1937年1月27日
このインターバルでは、今一度優諚が降下された後の宇垣内閣が抱える問題を挙げ、これから組閣までに何に対処する必要があるかを見ていく。
【1】閣僚人事
まずは、分かりやすい所から。
現時点で決定した大臣級の閣僚人事をまとめると以下の通り。
内閣総理大臣 宇垣一成
外務大臣
大蔵大臣
内務大臣
司法大臣 (小原直が候補)
文部大臣
農林大臣
商工大臣
逓信大臣
鉄道大臣
拓務大臣 (永田秀次郎と交渉中)
陸軍大臣 宇垣一成 首相兼任
海軍大臣 (陸軍大臣が決定すれば候補者を選定する約定を交わす)
・そのほか、砂田重政と交渉中(どの大臣かは未決定)。
・民政党・政友会ともに大臣選出には協力姿勢。
……うん。全然決まっていない。
更にここに内閣書記官長と法制局長官、各省庁に議会との折衷役である政務次官と参与官(省内序列は1位大臣・2位政務次官・3位各省次官・4位参与官)を決める必要がある。(1937年以降の内閣では、議会の影響力低下から政務次官と参与官を定めなかった例もあるが。)
とはいえ政務次官と参与官は基本的に衆議院・貴族院議員のいずれかを選出するため、議会や政党からほぼ全面的支持を受けている宇垣一成であれば、ここは難航しない。
問題は陸軍。前内閣である廣田内閣の組閣時にケチを付けてきたのは2点。
(1)5名の閣僚人事
・吉田茂(外務大臣)→自由主義者の重臣牧野伸顕の女婿だから
・小原直(司法大臣)→天皇機関説に対して厳格な態度を取らなかったから
・川崎卓吉(内務大臣)→政党の人物を内務大臣に添えて欲しくない
・下村海南→自由主義的な東京朝日新聞の副社長だから
・中島知久平→政党に資金を出しているから
(2)閣内の政党出身者比率
既成政党(民政党・政友会)から2名ずつ入閣していたことに対して、陸軍は各党1名ずつに限ると注文。
既に陸軍と全面対決の姿勢をとっている宇垣一成だが、いくら陸軍大臣を出してもらう必要が無くなったとはいえ今後の内閣運営まで視野に入れたとき、どこかで陸軍とは和解しなければならない。
【2】陸軍内の処遇
優諚により陸軍大臣となったので、法的には陸軍人事を握ることに成功している。(とはいえ、陸軍省人事局と三長官会議を無視することはできないが。)
まず、問題となるのは現在の陸軍三長官の処遇。
寺内壽一は宇垣が陸軍大臣となる以上、どこかにスライドさせる必要がある。
杉山元は、教育総監なので留任させても良いが、結果的に宇垣に対して真っ向からぶつかってきている。
閑院宮載仁親王は、今回の組閣の件で際立った動きはしていないが、かといって大臣候補を出さないという三長官会議の決定に謀略があったとはいえ翻すこともなかった。参謀総長の座から勇退させるのか、留任するのか。
現時点では教育総監を畑俊六にするという構想を宇垣が語ったが、了解は得ていないどころか交渉もしていない。
更に次官級の人事はどうするのか。陸軍三次長も結局三長官と同じく部内の反宇垣の動きに対して無力であった。
特に宇垣は兼任陸軍大臣であるため、政務は陸軍次官へほぼ丸投げとなる。現陸軍次官の梅津美治郎をそのまま続投させるのか。
最後に、最も強硬に宇垣に対して反旗を翻した石原莞爾と満州派。懐柔するのか潰すのか。
【3】大権干犯と天皇の政治利用問題
そもそも優諚を利用して自身を陸軍大臣に就けるということは、天皇を政治利用して自分の都合良く物事を進めようとしているという批判は受けることとなる。
一方で反宇垣派の行っている、大命降下を受けた人物に対して特定の勢力が組閣を妨害する行為もそれはそれで天皇の有する大権への干犯と言える。
国体明徴声明にて天皇主権説を採用した大日本帝国の統治機構が、果たして陸相に関する優諚という天皇の意志を見せられたとき、果たして天皇主権説の立場にあくまで則り全面的に賛同するのか、はたまた天皇の政治利用問題に引きずり込むのか。
あるいは陸軍や各省庁に留まらず、民間勢力は今回の宇垣の対応をどう捉えるのか。そして宇垣が語るように『爆弾が飛ぶとか、ピストルを撃つ』という話はあるのだろうか。
【4】陸軍以外の宇垣内閣歓迎姿勢の変化
陸軍は組閣当初より反宇垣で固まっていたが、海軍・新聞社などは概ね好意的に宇垣を評しており、世論や政党・財界も宇垣内閣に対して歓迎姿勢を表明している。
だが宇垣を選出したはずの宮中が陸軍の強硬姿勢を前に足並みが揃わなくなりつつあり、そして優諚という政治的な危険球が出された以上陸軍以外の勢力の姿勢が変化を伴う恐れがある。
【5】棚上げにされた宇垣現役復帰の為の特旨
優諚は出されたことで宇垣を陸相に就けることを合意した昭和天皇であるが、一方で軍部大臣現役武官制の存在から本来であれば宇垣は現役に復する必要がある。(とはいえ天皇が現役武官制の破壊について仮に強行突破するのであればその限りではない。)
湯浅内大臣が消極的な態度を示したように、本来宮中が政治的な意志を発揮するというのは立憲主義的観点から極めて望ましくない。昭和天皇自身も田中内閣総辞職の際に当時の田中首相に事態の追及を行い過ぎて総辞職を招いたことで西園寺公望より注意を受けて深く反省している。
にも関わらずここで宇垣内閣のため天皇自身が動いた、ということは先の天皇の政治利用問題とは別に、宮中内でも波紋を呼ぶ出来事であったとも言える。
【6】憲兵司令官・中島今朝吾について
これは中島自身が常に語っていたことであったが、陸軍憲兵を利用した政治は皇道派の荒木貞夫を想起させかねないとして現在の陸軍部内に対する受けが悪いと説明している。
実際に現在の陸軍部内がそれを問題視するか否かはともかくとして、そう言っているはずの中島は今回の組閣において憲兵を極めて政治的・私的に利用するという矛盾を抱えている。
彼のもたらす情報は有益であることが多いが、その反面彼自身が憲兵の政治的有用性を証明しており、かつ悪しき先例として体現しつつある。
果たして、彼のことをどこまで信用すべきなのか。あるいは、どの段階で切り捨てるべきなのか。