1937年1月26日午後3時51分―同日午後6時30分
「非常時局で何か来そうであるから総てをそれに対処するために今からその下準備として国防国家――国家的国防を建設するのが目的である。決して悪い統制を希望しているのではない。一番愉快に見事に出来る政治的統制を希望している。従ってそれは実際に際して慎重に審議をして多数の学者・実際家の意見も徴して、これならば『まあ、よかろう』というところで断行して行く、それを断行するだけの立派な政府が出来て欲しい、とこういうわけなんです」
――建川美次
1937年1月26日午後3時51分
東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部
幸楽での組閣参謀と友人らに今朝吾君を交えての会談は実に有意義であった。
近衛公と平沼議長。華族の中核と司法の首領。その両者に対して思うことを皆から意見を聞けたのは良かった。
そして何より。石原氏について、今朝吾君は我等では知り得ぬ情報を有していた。
「少々、よろしいでしょうか宇垣さん」
「おお、安井君か。済まぬな、組閣本部の細々としたことを任せっきりにしてしまっていたな」
ふと声を掛けられ考えに耽っていた意識を戻すと安井君――安井誠一郎が、私に話しかけてきていた。
彼は、西原さんや今井田君よりも小回りが利くため、組閣本部での対応を任せていた。いや、総督時代には秘書として仕えていたから、どうしてもその頃の癖が抜けない。
今では拓務省の要人であるのだから、このような雑務を任せたりしてはいけないはずだが、どうも頼りになるが故に任せてしまう。
私が、そうした仕事の割り振りをしてしまったことを謝罪すれば、彼は一言「その為に此処に詰めているようなものですから」と殊勝なことを口にする。
それで安井君の用事を尋ねると、奥の部屋へ連れてこられる。
中に入ると大量の箱と紙が散乱している。その紙を何やら区分けする職員が数名。
「……これ、全て。組閣本部と宇垣さんの本邸に届いた激励の手紙ですよ。数千は下らないでしょうな」
何と、小部屋を埋めつかしかねない程の組閣に対して応援の手紙が来ているとは……。
目に付いたものを拾い上げながら更に安井君に尋ねる。
「これで全てか?」
「いえ。まだまだ帝都周辺と航空郵便のものばかりですから、内地外地問わず増え続けるでしょう。
更に『頑張れ』という電報も無数に届いております」
手紙に電報。それらがこれから増え続ける。
それは市井の一部の意見でしかないことは重々承知している。でも、私の為にこうやって激励を送る市民も存在する。
「……おや、これは……?」
「宇垣さん、やはりそれに目を付けましたか」
――そこに書いてあった文字は、正直言って拙かった。
『お年玉に貰ったお金ですがお国のために役立てて』とそう書かれており、中には手紙以外に1円の為替が入っていた。
「松江の小学四年生の女子児童から、だそうで」
「……これは。
――随分と重たい1円だな……」
「……ええ。確かに」
1月26日午後4時4分
東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部
「拓務省の安井誠一郎さんですね? 中島今朝吾と申します、先の海相官邸訪問時には山本五十六海軍次官と意見交換したとか……」
「はい。『海軍は大いに援助する』とのお言葉を頂きました。
……中島中将のお噂は、今井田さんよりかねがねお伺いしております。陸軍に代わり宇垣さんのことを御支えになっているとのことで……」
引き続き整理された激励の手紙を読み続けていたら、この小部屋に今朝吾君が入ってきた。どうやら安井君とは挨拶をしていなかったようで挨拶を交わしている。
「……今朝吾君。
わざわざ此処に来たということは、私を探してのことだろう。何か用件があるのではないのかね?」
「ああ、失礼しました宇垣閣下。
――2点、ございます」
「ふむ。聞こうか」
この今朝吾君が話すことは、時折とんでもないことが混ざるので心持ちとしては少し身構えてしまう。とはいえ、それを表に出すほど私は青くは無いが。
「まず、4時30分より三長官会議が開かれるとのことです。
閑院参謀総長宮殿下も参加するようで、既に邸宅を発たれて陸軍省入りしたとの情報もあります」
ほう、宮様が三長官会議に参加するとは珍しい。
「会議の内容は私の内閣に対する陸相の推薦……であるな?」
既に香月君が記者の前で拒絶を述べており、杉山君は私の眼前に現れて陸相に就任しない旨を口頭で伝えられている。大方、その辺りを形式的に任命するだろうとは思うが。
これは幸楽でも話したな。
「――ほぼ、間違いなく。
ただ……宮殿下はそれが拒絶の場であることを知らされているかどうかは……」
もしや、宮様を謀ったか……?
いや、あり得る話ではある。通例通り参謀次長に任せて決めたとして、後から全てを知らされた宮様がもし怒りを顕わにすれば全てが覆される可能性が残されている。
であれば、謀略だろうと何だろうと騙し討ちのように決めてしまえば、知らなかったとはいえ自分の意思も入れて決定したこととなる。そうすれば騙されたことに憤慨しても、決定したことをひっくり返すことはやりにくいであろう。
小賢しい小細工である。
「……して、もう1つは?」
「宇垣閣下の陸相時代の側近であった予備役中将の建川美次閣下が、こちらに向かっている模様です。もう間もなく到着するかと」
「そちらを先に言いなさい。……安井君」
「ええ、はい。応接室の準備ですね」
……まったく。準備が要る建川君の話を先にしてもらわねば困るではないか。
1月26日午後4時10分
東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部応接室
「――して。建川君、現役を退いた身にて何用か?」
この小柄な元部下が、今私の前に姿を現した理由は良く分からない。
昨年の二・二六事件以後の粛軍人事にて予備役に編入された彼は、中将であったが杉山君のように現役陸軍軍人ではないので、現役武官制に阻まれ陸軍大臣になれるわけでもない。
「昼頃に、杉山さんが此方に来られたとか? どうでしょうか、陸軍大臣の選定は首尾良くいきそうですかね」
「……ふむ。確かに杉山君は来たが、相当難航しそうだよ。
彼も大臣には就かぬ、と申してきた」
「……ああ、それは……」
一瞬、建川君に伝えるか迷ったが、別段隠し立て出来ることでもないが故に雲行きが怪しいことを教える。すると、建川君は顔を曇らせる。
……まさかこの時勢に世間話をしにやってきたわけではあるまいな。
「――三長官会議が間もなく開かれることはご存知で?」
それを伝えに来たということだろうか。残念だが今朝吾君から聞いている。
頷き返すと、少々驚きの表情をみせるが、そのまま続ける。
「……で、あれば寺内陸相も杉山さんも陸軍大臣など出すつもりなど無いことは知っておりますよね……。
ええ、はい。宇垣大将は私が来た理由について伺いたいのですよね。表情を見れば何となく察しは付きます。
あまり大将を困らせることを言うのは本意ではないですが。陸軍部内の意を受けてやって参りました。三長官会議にて陸軍の意見を出す前に、自主的に大命を拝辞して頂きたいということらしいですよ、先方は」
つまり、最終勧告ということか。そこに宇垣派であった建川君を引きずり出してくるというのは随分とまあ凝った趣向を施しておる。
私が沈黙を貫き続けると、止む無く建川君は話を続ける。
「事の善悪は別としてですね。今回の一件は、宇垣大将の出馬が憂慮すべき事態の原因となるがゆえに陸軍は全軍一致して、拝辞を希望している……ということです」
「……有り体に言えば、陸軍をして組閣妨害の汚名を被りたくないから腹を斬れ、ということだろう、それは」
「まあ、そういうことです。宇垣大将に首相に就いて貰いたくは無いが、かといって内閣を潰した責任を負うのも嫌、と。
勧告は勧告ですが、児戯に等しいやり口ですね」
その勧告の伝達者であるはずの建川君が、辛辣なことを言うせいで、私の方の毒気を抜けてしまう。
「……私がその事実に怒り狂うならまだしも、伝えにきた張本人が不満を顕わにするとは、な」
「ああ、申し訳ございません。宇垣大将の心中は御察し致します。
……ですが、考えてみても下さい。大将の組閣を堂々と妨害しておきながら、寺内陸相や杉山さんの影に隠れてこそこそ、と。
謀略とはかくあるべきなのかも知れませんが、これは黒子風情が舞台を動かしていると錯覚し愉悦に浸っているだけで趣味ではないですね。大体宇垣大将に敵対するのに、一度も敵を知ろうとはしないその態度。
此処、組閣本部に統制派の面々が一度でもやってきましたか?」
建川君は随分と憤慨しているが、謀略そのものを否定している訳ではないというのは彼らしいと言えば彼らしい。
ただ、確かに組閣本部に此方に完全に付いたとみえる今朝吾君以外の幕僚らが顔を見せに来ては居ない。杉山君の一件にしてもそうだ。あれは彼自身が禊をしたいという自罰も込めての行動だろうが、その杉山君の内心をも利用して、徹底的に私のことを不服に思っている人間は一向に出てこない。
……石原氏のことを指しているわけではない。彼はむしろ最強硬派として大手を振って主導権を握ろうとしているが故に、現状潰さねばならぬ敵対者ではあれど、足りぬ階級を自らのカリスマ性と弁舌のみで部内全体の雰囲気すら煽動しているので、あれはむしろ天晴れである。まあ状況次第では潰すが。
問題はその石原氏よりも身代があり、私の首相就任に反対しているにも関わらず――建川君の言を借りれば――黒子に徹している面々である。
そして、その者らは杉山君や寺内君、あるいは建川君にこうして役目を押し付けるばかりで自らは何も動かず、座して嵐が去るのを待つのみ。
建川君の怒りは尤もだと思う。
だがその反面、陸軍や自らに政治的な失点をつけまいと尽力する黒子らの動きも、私個人としては悪くない……いやむしろ評価出来るとは思う。
がむしゃらに自己保身と部内に迎合することで、自らの意志と信念が貫けるのであれば、それは時流に見事に乗ることが出来た成功者だ。陰口を叩かれようと手中に収めた権勢は嘘を付かぬ。
――だが、もし。只1つ彼らが過ちを起こしたとするのであれば。
「いや、誰もやってきては居ないな。それで私に降伏を薦めるか。
――流石に、それは宇垣一成という男を舐め過ぎではないかね。
悪いが建川君」
「はっ」
「……私は最後まで足掻かせて頂くよ。そう決めた。
行きなさい」
建川君は無言で直立し、私に向かって挙手敬礼を長々と行い、応接室を後にした。
1月26日午後5時42分
東京府麻布区広尾町 宇垣一成組閣本部応接室
「おお、寺内君。待ちわびていたぞ。三長官会議の結果は出たのかね?」
会議は5時を少し過ぎた段階で散会したと聞いている。時間を考えれば、さして間も置かずに私の下を訪れたということになるだろう。軍部大臣現役武官制について廣田さんと取り決めた裏取引を今朝吾君に看破され、私がそれを詰問したことを思えば、少々気の毒にすら思えてしまう。
そして案の定、寺内君の顔色は悪かった。彼に次に発する言葉はお互いに予測出来ているとはいえ、昨日の今日で伝えるのは憚られると感じるのは私にも理解できるからだ。だが、組閣本部まで来てから最早引き下がることも出来ないだろう。
「閣下。……三長官会議にて推挙した三名の候補。
――第一候補、杉山元教育総監。
第二候補、中村孝太郎教育総監部本部長。
第三候補、香月清司近衛師団長。
慎重考慮の結果、選んだいずれの候補者も皆自信が無いと断ってきました。他に陸軍大臣に適当な人物は居りませぬ。
――よって。……陸軍から陸軍大臣の推挙は出来かねます。誠に遺憾で御座います」
1月26日午後6時30分
組閣参謀・今井田清徳より報道発表
『先刻、陸相が宇垣さんの組閣本部を来訪し、色々と懇談したことにつき回答がありました。
その回答は陸軍当局においては三名の陸相候補者の選定をせられ、就任を交渉せられたるも何れも辞退せられた旨の回答でありました。
なお宇垣大将は、右の回答を受け、慎重に考慮して今後の対策を考える積もりであります』
※用語解説
本作に登場する用語をこちらで簡単に補足いたします。
解説事項は作中時間軸である1937年までの事項を基本的には前提としています。
安井誠一郎
元内務官僚。宇垣一成の朝鮮総督時代に宇垣から請われて秘書官として近侍する。朝鮮総督府専売局長、京畿道知事を歴任するが宇垣の朝鮮総督辞任後内地へ戻る。その後は拓務省拓務局長に任じられる。なお同時期の拓務大臣は永田秀次郎で宇垣派として擁立工作に動いている人物である。
安井自身は、1934年の帝人事件以後に宇垣内閣擁立工作として林銑十郎の実弟・白上祐吉(内務官僚)を通じて軍部諒解を求める工作を行っていた。宇垣大命降下後は組閣本部に詰めている。
1円の価値
消費者物価指数ベースで考えれば、1937年当時と現代では貨幣価値におよそ1800~1900倍の差がある。すなわちそのまま当時の1円は現代の1800~1900円、概算2000円くらいだと推定はできる。
だが、この数字を現代の経済感覚でそのまま受け止めると重大な錯誤を招くので注意が必要。確かに生活必需品である白米10kgの小売価格を見れば2.4円(1935年)とこれは概ね2000倍換算でいけるものの、純喫茶店のコーヒー1杯の平均価格は15銭(1935年)、かけそば1杯が10銭(1935年)程度で、これらは2000倍するとコーヒー1杯300円、かけそば1杯200円と現代の感覚と多少ずれる金額が出てくる。かと思えば、卵1個の価格は3銭(1935年)で2000倍で60円。10個入りパックの価格平均221円(2019年)に生きている私達にとってはこの卵の値段は高い。
このように流通や生活への密着度、社会情勢や貧富の格差などで個々の物品の価値は大きく変動するため今の2000円で買えるものが、当時の1円で購入可能というわけではない。
そしてもう1つ、当時の日雇い労働者の日当の平均が1.2円(1934年)で1円は一般的な非正規雇用者の1日の収入でもある。収入ベースで考えると1円の価値は変わり、これは支出と収入のバランスも時代が変わるとまるで乖離していることを示している。
松江からの1円為替
史実でも組閣本部に届いていたらしい。しかし当時の郵便のタイムラグを考えると、おそらくこれが1月26日時点で届いている可能性は低い。(戦前は速達は無く航空郵便が最速だがこの時期の山陰に空港は無く、通信文付為替電報に関しては戦前に関する情報を調査し切れなかったため詳細不明。)
本作では送り主が当時まだ活発でなかった為替を使いこなしていることから、知識ある大人が背後に付いていると考え、宇垣大命降下前に本邸宛で送られた手紙として処理することでこの時期に登場させることとする。
建川美次
予備役陸軍中将。日露戦争においては建川挺身斥候隊を率いてロシア内陸1200kmまで偵察任務を遂行し将校斥候として活躍。宇垣一成が陸軍大臣就任後は参謀本部第二部長として宇垣を支えた。三月事件、十月事件に関与。満州事変においては、陸軍中枢が事変発生直前に気付き事変を阻止するために建川を現地に派遣したが、そもそも陸軍中枢主導の満州での行動計画(満蒙問題解決方策大綱)を策定したのが建川であるため、彼自身は事変の勃発にそこまで反対ではなかったとされ積極的に防ぎはしなかった。
二・二六事件以後の粛軍人事で予備役に編入。
三長官会議と宮様参謀総長
三長官会議は陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三職の合意が必要であったが、閑院宮載仁親王が参謀総長である1931―40年は、皇族への責任追及が出来ないため、通例参謀次長が三長官会議に代理出席(決定権は陸軍大臣と教育総監にある)することが多かった。
今回の『宇垣への陸相候補の推薦』は、例外的に閑院宮載仁親王が三長官会議に出席した事例である。ただしこの会議が事実上の『宇垣への陸相推薦の拒否』の場であり、三名の陸相候補(杉山元・中村孝太郎・香月清司)の誰もが陸相を引き受けないことは、閑院宮載仁親王には知らされていなかった。