【黒と白】
「ごめんね、わざわざこっちまで来てもらって。近ごろ体が思うように動かなくなっちゃって。んっ」
「いや、構わないよ。君には以前世話になったからね。それに、動けないんじゃ仕方ないさ」
ベッドに体を預けたままの女性が申し訳なさそうな表情で謝罪の言葉を述べるが、白い少女は首を左右に振って、起き上がろうとしている女性の動きを押し止める。
「あはは。うん、ありがとうね、えっちゃん」
「何度も言ってるけど、そのえっちゃんというのは……まぁ、いいか。それで、ボクに話があるってことだけど、なにかな?」
えっちゃんと呼ばれた少女は、そう呼ばれることに少し抵抗があるようだったが、女性の弱々しい笑顔を見て気が変わったのか、途中で言葉を止めるとそれを流して女性へそう問い掛ける。
「あ、うん。そのね、ここ数日、日に日に起きているのも辛くなってきてるから、今のうちに頼んでおこうと思って。私がいなくなった後のこと」
僅かに寂しさを滲ませたその言葉を受けた少女は、微かにその肩を震わせるが、動揺を押し殺すように一度咳払いをして真っ直ぐに女性の瞳を見詰め返し、その小さな口を開く。
「……そっか。もうそこまで魂が蝕まれてるんだ。その身に宿した権能のせいもあるけど、やっぱりこの前のあれがそこに拍車を掛けることになってしまったわけだ」
「そうだね。でも、それは覚悟してたことだからえっちゃんが気に病むことなんてないんだよ。この先に繋げるために必要だからやったんだもん。だから、ね?」
「でも、結局それじゃあ君は救われない。それに、この先ボクがあれをどうにかする手段を見つけられるかどうかも不確定なんだ。そのために君の残り少ない時間を更に減らしてしまって、これで本当によかったのかって、今でも思ってる。他にもっといい方法がなかったのかって、そう思ってる」
少女は悔いるように下唇を噛み、俯きがちになり、視線をさまよわせる。
だが、そんな少女の姿を見て、女性は困ったように微笑むと、力の入りづらい腕をなんとか動かして少女の手を取る。
「あっ」
「優しいね、えっちゃんは。大丈夫だよ。たしかに元の世界に戻る方法が見つけられなかったのは残念だったけど、この世界にも大切なものができて、その人たちの子供、その更に子供たちの生きるこの先の未来を守りたいって思ったから、私はあれをあそこに置いてきたんだもん。あれはもう戦えなくなった私が、勇者として未来に託した希望の光だから。だから、それに対して悔いることなんてまったくないんだよ」
「……カリン」
女性。カリンは頷くように首を僅かに動かすと、「それじゃあ、この話はおしまい」と言ってそこで話を区切り、最初の頼みごとに関しての話を始める。
「それでね、えっちゃんにはグリムとクロ、それにあの子のことをお願いしたいの」
「あの子たちか」
「うん。まずグリムなんだけど、あの子ああ見えて寂しがり屋さんだから、たまに会いに行ってなんでもいいから話をしてあげて」
カリンの頼みを聞いた少女は「……えぇ」という言葉と共に表情をひきつらせると、「それはどうだろう」と言って口元に手を当てる。
「だって、あの子ボクのこと嫌ってるよね? そんな相手がたまにでも会いに来たら嫌なんじゃない?」
「あぁ、違う違う。グリムってほら、あまり慣れてない相手だと緊張しちゃうところがあるから、別にえっちゃんのことが嫌いなわけじゃないんだよ」
「あの見た目で? あーいや、見た目で判断するのはよくないね。分かった、覚えておく」
「うん。お願いね」
少女が渋々ながらも了承の返事をすると、カリンはにっこりと嬉しそうに微笑んでみせた。
「クロについては大丈夫だとは思うんだけど、あの子人嫌いだから自分の縄張りに人が入ってきたら少しやんちゃしちゃうかもしれないから、そしたら叱ってあげて欲しいの。駄目でしょって」
「あぁ、それなら簡単だね。了解だよ」
少女としてはその頼みごとが先程のものよりも容易いものであったためか、あっさりと了承の返事をしてみせる。
「それで、最後にあの子のことなんだけど。私がいなくなった後、一番荒れるのはあの子だと思うから、無茶なことをしないように落ち着くまでえっちゃんのところで預かって欲しいんだ」
「ボクのところで? まぁ、それはいいけど、本当にいいの? ボクのところへ置くってことは、そういうことだけど」
「うん。これは私のわがままになるけど、どんな形であってもあの子には生きて欲しいから。でも、あの子がどうしてもその状況に耐えられないって言った時には、お願いできる?」
「……君がいいのならボクは構わないよ。あぁ、構わないとも」
少女の意味深な表情にカリンは苦笑いで返すと、握った手にできる限りの力を込めて「ありがとう」と少女に言った。
その後、とりとめもない話をしばらく続けていたが、カリンの目蓋が僅かに下がってきたところでそれも終わりを告げる。
「さて、それじゃあカリンもおねむみたいだし、そろそろボクはお暇しようかな」
「あはは、ごめんね気を使わせちゃって」
「いいよ。こっちこそ誰かと話をするのは久しぶりだったから、長々と話し込んじゃってすまないね」
「ううん。私も楽しかったから、ありがとうえっちゃん。それじゃあ、またね」
カリンの言葉に対して、少女は「うん、また」と言って小さく手を振ると、踵を返して扉の前に立ったところで、背後からの「えっちゃん」という声に首だけで振り替える。
「よろしく、ね」
「あぁ、約束は守るよ。だってボクは──だからね。絶対にそれを反故にしたりはしないよ。あれと違ってね」
「うん。お願いします」
カリンの言葉に力強く頷いてみせると、今度こそ少女は部屋から出ていき、そして、誰にも聞こえないような声量で独り言を呟く。
「約束するよ。君に言われた通り、あの子たちのことはボクが責任を持って世話をするとしよう。ただし──ボクなりのやり方でね」
口の端を上げて、先程までとは違う種類の笑みを浮かべた少女は、まるで霞のようにその場から消失してしまった……。