治療
「…んっ」
体に走った僅かな痛みにより、目が覚めた。
…あれ? 天井がいつもと違う。どこだ、ここ?
思い出そうとして眠る前の行動を呼び起こそうとしたが、寝起きのためか上手く頭が働かず思い出せない。
前にもこんなことがあったような気がする。あー、ゴブリンにやられた時か。あの時も目が覚めた時はこんな感じだったような気がする。
ろくに何も思い出せないが、今分かっていることはここが家ではないということと、体中に気怠い重さと多少の痛みがあるということ。それに腹が妙に重いということ。視線を向けてみると、体に掛けられた布の腹の部分だけが変に盛り上がっている。
…何だ? 何か乗ってるのか? 感触としてはひんやりとしていて、少し湿り気を帯びている。
奇妙な気持ちになりながらも、確かめないという選択を取れるはずもなく。俺は自分の体に掛けられた布をそっとめくって中を確かめてみた。
「うおぉぉぉっっ!?」
布の中を覗き込むと、そこにはスライムがいた。
俺の腹の上に鎮座し、時折ふるふると揺れている。何故こんな状況になっているんだ? というか、そんなことを考える前に早くこいつを退かさないと溶かされる!
俺は体に掛かった布を引っぺがしスライムの核を破壊しようとしてしたが、遅まきながら武器を持っていないことに気づいた。
どうしよ? 素手でもいけるか? いや、考えるよりも先に行動に移せ。駄目なら駄目で他の方法を試せばいいだけだ。
そう覚悟を決めて、握り締めた拳をスライム目掛けて叩き込もうとした瞬間。扉の開く音が正面から聞こえ、そちらに視線を向けると、開いた扉の向こうから物凄く胸の大きな女の子が姿を見せた。
「あっ、やっぱりさっきのって君の声だったんだ。もう起きても平気なの? というか、凄い寝相だね。掛けておいた布がこんなところまで飛んじゃってる」
その女の子は先程俺が引っぺがした布を拾い上げ、床に落ちたそれの汚れを払うように一度強く振ると、胸の前で器用に畳みこちらに持ってくる。
そして、その子の顔とその胸を見て俺はようやく眠りに落ちる前の出来事を思い出した。
そうだ。水浴びを覗…観察した後見つかって、胸の小さい女の子から弱パンチで許してもらって、囲いの中に案内してもらおうとした瞬間にスキルの効果が切れて倒れたんだ。
…怪我してる状況で何やってたんだろ俺。いや、でもあの芸術を前にして無関心でいられるほど俺は枯れてない。男として、仕方のないことだったんだ。たぶん生存本能が三大欲求の一つを刺激して、俺をあの場に縫い止めたんだ。きっとそうなんだろう。うん。
そんな俺の葛藤を知る由もない女の子は枕元の棚に布を置くと、俺の腹をじっと覗き込む。
「って、そうだ! あの、このスライムどっかから入り込んできたみたいで俺の腹に乗ってるんですけど、何とかしてくれませんか? このままじゃ溶かされる!」
「え? あー、大丈夫だよ。その子はそんな悪いことはしないから」
「いや、は?」
え? 魔物にいい子とか悪い子とかあるの? こいつらって絶対人間殺すマンじゃないの?
「その子、ヒールスライムっていう種族の魔物なんだけど、村長さんが調教済みの子だから人を溶かしたりしないよ。それよりも、ほら」
そう言ってその女の子は俺の腹に乗っていたスライムを持ち上げた。あれ? スライムって手で持ったりできるんだ?
ていうか、調教って。スキルもなしにそんなことできるのか。
「どう?お腹の傷、綺麗に消えてるでしょ?」
「…あっ。本当だ」
「ヒールスライムの能力でね、この子を傷口に置いておくと数時間で重傷でも治してくれるの! ね、いい子でしょ?」
「お、おぉ。そっか、ありがとうなスライム君」
そっか。魔物って経験値になるだけの害獣だと思ってたけど、調教して適切な使い方をすればこんな風に役立たせることもできるんだ。
「でも血までは元に戻らないからまだあまり動いちゃ駄目だよ?」
「あぁ、分かっ…あー、と。駄目だ。すみません、ちょっと俺が帰るのを待ってる人がいるんで、できれば今すぐにでも帰りたいんですが…」
「待ってる人? あっ、もしかして奥さん?」
「いや、その。…妹、みたいな子です」
「へぇ、妹がいるんだ。そっか、それじゃお兄ちゃんとしては早く帰ってあげたいところだね」
「えぇ、まぁ、そうっすね」
夜には絶対帰るって約束しちゃったし、帰らないと心配するもんな。
「でも、もう少しで暗くなっちゃうからなぁ。んー、よし。じゃあお姉さんに任せて! 森の外まで案内してあげる」
「お姉さん?…あーいや、それは助かりますけど、それじゃ貴女が戻ってくる時に危険なんじゃ」
「大丈夫。友達にもついてきてもらうから。ね、それならいいでしょ?」
「…本当にいいんですか?」
「うん。任せちゃっていいよ」
「じゃあお願いします」
「よーし。それじゃ私は友達連れてくるからちょっと待っててね」
そう言って女の子はスライムを胸に抱えたまま扉から走って出ていった。胸を弾ませながら。…スライム、なんて羨ましいやつだ。
というか、俺の装備ってどこにあるんだろ? ズボン以外脱がされてんだけど。まぁ、それはさっきの子が戻ってきたら聞けばいいか。
そういえばあの子、自分のことお姉さんって言ってたけど自分の方が俺よりも歳上のつもりなのかね?…いや、エルフなら見た目が若くても歳まで若いとは限らないのか。不思議だな。
それから数分して先程の女の子が二人の友達を連れて戻ってきた。というか、何となくそうじゃないかと思ってたけどやっぱり一緒に水浴びをしてた二人なのね。
「お待たせ。友達連れてきたよ」
「ちゃんと怪我治ったのね。良かったじゃない」
「あ、はい」
「アタシがここまでアンタを運んできてあげたんだから感謝してもいいわよ」
「おぉ、そうでしたか。ありがとうございました」
「ん。どういたしまして」
そっか、あの時倒れた後この子が俺のこと運んでくれたんだ。やっぱりいい子なんだな。
「ね、それじゃ早く行こうよ。あまりゆっくりしてたら本当に暗くなってきちゃうよ」
「何を張り切ってんのか分かんないけど、その前に村長のとこに連れていかなきゃ駄目でしょ。コイツが起きたら連れてきてくれって言ってたじゃない」
「あ、いけない。そうだった。えへぇ、やっぱりリィちゃんは頼りになるね」
「村長の次に年長なんだから当たり前でしょ。ほら、さっさと行くわよ、ついてきなさい」
へぇ。あの子リィちゃんていうんだ。そういえば自己紹介も何にもしてないから名前すら知らないんだけど。
まぁ、それは帰り道にでも聞けばいいか。それよりも俺の装備は?
「服」
その時、今まで口を開かずに事態を傍観していた褐色肌の子がぼそりと一言呟いた。
「え?」
「その子、服、着てない」
「あら、本当。待っててあげるから早く着替えなさいな」
「いや、起きたらズボン以外なかったんですけど…」
「あっ!」
と、胸の大きな女の子が突然手を叩いて声を上げた。
「ごめん。血で汚れてたから私が脱がして洗って乾かしておいたんだった。ちょっと取ってくるね」
そう言うと、再び扉から走って出ていったが、今度はすぐに戻ってきた。俺の防具一式を持って。
「あの、武器は?」
「ん? 武器なら入り口に立て掛けてあるから心配しなくてもいいよ。大丈夫、取ったりしないから」
「あぁ、いやそんな心配はしてないんですけど」
と言いつつ、実はそう思ってたけどな。まぁ、部外者である以上俺を警戒して武器を取り上げててもおかしくはないし、そうなんじゃないかと考えてたんだけど、違うのか。
「じゃあ、着替えるんでその、じっと見られてると着替えづらいんですけど」
「そう? じゃあ外で待ってるから早くしなさいね」
「…」
リィちゃんと呼ばれてた子と褐色肌の子が連れ立って部屋の外へと出ていったが、もう一人の胸の大きな子はそのまま部屋の中に残っている。
「んー。着替え、お姉さんが手伝ってあげよっか?」
「いや、大丈夫ですんで。はい」
「そっかー。じゃあ私も外で待ってるね」
「ういっす」
何でそんな残念そうなんだ。あれか、世話焼きってやつなのかな。でも、着替えを手伝ってもらうのはさすがに恥ずかしいから勘弁してほしい。
着替え終わったら、村長さんに挨拶しに行って、それから帰るって流れか。ここから森の外までどれぐらい時間が掛かるかは分からないけど、遅くても今日中には帰りたいところだよな。森を抜けたら全力疾走だなこりゃ。貧血で倒れないか心配だけど。
というか村長さんってどんな人なんだろ? やっぱ、あの子たちみたいにエルフなのかな? まぁ、それは会ってからのお楽しみにしておくか。




