会敵
そして、十分以上の警戒心と共に盾を構えいざ草むらの陰を覗き込むと、そこには──何も居なかった。
「……」
念のために左右と森の奥へも視線を向けてみるが、それらしい姿が見つかることはなく森の中は静かなものだ。
居ない、か。
見た限りではあるが、それでも資料で見たワイルドボアの大きさからして隠れられるような場所もなさそうだし、どうやら杞憂だったようだ。
まぁ居ないに越したことはないからそれはそれで構わないんだが、ちょっと気が抜けたな。
「どうだ? 何か居たか?」
そうしていると、背後から男に声を掛けられたので《感覚強化》を解除し、振り返って首を左右に振ることで否定の意を示すと同時に言葉を返す。
「いや、何も──」
居なかった、と続けようとしたその時。視界の端、家屋の陰に、それを見つけた。
それは月の光を受け暗闇の中でもよく映える血のように赤い輝きだ。
二対あるそれは、真っ直ぐにクレアたちの居る場所へと向けられていて、次の瞬間、その巨躯と共に物陰から勢いよく飛び出してきた。
「後ろだっ!!避けろっ!!」
それは見張りを立ててまで現れるのを警戒し続けてていたワイルドボアだった。
何故背後から、なんて間抜けなことを言うつもりはない。
森の方向ばかりを気にして凝視し続けている人間の姿がそこにあるのなら、その背後を突くなんていうのは当たり前のことだ。
ワイルドボアが森を棲息地としていること、今まで目撃されたワイルドボアの出現場所が森側だったことから、こいつらは森からしか出てこないと勝手な考えを持っていた俺たちのミスだ。
なんでそんな簡単なことすらも分からなかったのか、自分の考えの甘さに失望を覚えるが、今はそんなことで落ち込んでいる場合じゃない。
俺の上げた声に即座に反応したクレアはともかくとして、村人二人は突然の俺の大声の意味に気づかず未だにこちらへ呆然とした目を向けている。
クレアならあの突進を避けることはそう難しくはないだろうが、このまま何もしなければ間違いなく二人は跳ね飛ばされて重傷を負うことになるだろう。もしくは、そのまま……。
相手がどうしようもないほどの強敵ならば、自分とクレアの保身を考えて確実にこのまま二人を見捨てていただろう。
関係性の薄い相手を命懸けで助けるほど俺はお人好しでもなければ死にたがりでもない。
でも、あの程度の突進力なら俺でも十分に対処は可能だ。
なら、ここで彼らを見殺しにするという最悪の選択肢を取る必要はない。助ける余裕があるのなら、最善を尽くして助けにいく。
このタイミングなら普通に飛び出しても間に合わない。だから、躊躇することなく力を行使することを決める。
『アクティブスキル《力の収束》発動』
脚部に力を集束し、解き放つことで体を超加速させ一気に相手との距離を詰めに掛かる。
そして、相手の元へ到達するまでに自己強化を済ませ、構えた盾ごと相手の鼻っ面へと飛び込む。
「らぁっ!」
交錯した瞬間鈍い音が響き渡り、ワイルドボアの鼻が潰れ大量の血液が飛び散り悲鳴のようなものがその口から漏れ出る。だが、そちらに意識を向けることもなく間髪入れずに握った槍をその目元へと突き込む。
「ふっ!」
抉り込ませるように突き上げた槍は少しの抵抗と共にワイルドボアの目を貫き、その奥にある器官を破壊した。その後に槍を引き抜くと、ぬるりとした感触と共に血と何かよく分からないねばねばしたものが引っついてきたので地面にそれを振り払う。
「……ふぅ」
集中状態を僅かに緩め息をつく。ひとまずは驚異を排除することができたようだ。
体の調子は悪くない。よく動く。思っていたよりも重量があったので腕に掛かる衝撃はなかなかのものだったが、それでも想定していたよりかなり楽に倒すことができた。
これなら、余程数が多くなければなんとかなりそうだ。