我慢
このまま消えてしまった方が幸せなんじゃないだろうか。
あぁ、そうだな。痛いのは嫌だ。苦しいのも、寂しいのももう嫌なんだ。
だから、俺はもう、ここで……。
苦痛から逃げるように瞳を閉じ、体を脱力させ、このまま自分という存在を放棄しようとし、意識を手放そうとしたその時。
ゆっくりと硬質な打音が二度、滑り込むように耳へと入ってきた。
……この音は。聞き覚えがある。何度も聞いたことのある音だ。
硬質でありながら柔らかさを感じさせる音の中に宿るのは、相手を思いやる優しさと、相手の反応を窺う少しの気弱さ。
その音を作り出した主を俺は、空回る頭ではなく、心から湧き上がる気持ちと共に思い出し、その名を口から零れ落とすように発声した。
「……クレ、ア」
と、その名を口にした瞬間、脳に電撃を流し込まれたかのような衝撃を覚え、途切れかけていた意識が瞬時に覚醒する。
「ぅぐっ!?」
遠退いていた意識が元に戻ると同時に、失せかけていた感覚も蘇り、その痛みに思わず声を上げてしまう。
その声に驚いたような気配を扉の向こう側から感じ、その直後にそれが開かれた音が聞こえ、足音がこちらへと近づいてくる。
たぶん、クレアが俺の上げた声を聞き、心配して部屋に入ってきたのだろうが、今のこんな情けない姿をあの子に見られるのは避けたい。
幸いなことに頭から布団を被っているので、あちらから俺のことは見えていないはずだ。だから、これ以上こちらに近づく前にあの子をここから遠ざける。
『アクティブスキル《思念会話》発動』
頻繁に使用しているスキルなだけあって、ほとんど無意識的に自分とクレアとの間に繋がりが確立される。
最初のうちは視界内にいる相手にしか効果を発動させることができなかったが、今ではこうして相手の存在を意識するだけでスキルを発動させることが可能となった。ただし、これは慣れている相手に限っての話で、あまり交流のない相手には使えない手ではあるが。
とにかく繋がりは確保した。後は、できるだけこちらの状況を悟られることなくこの場から退出してもらえるようにしないと。
虚構で自分自身を塗り固め、平然とした態度で俺という人間を演じろ。そういう痩せ我慢は得意だろ?
『……クレアか?』
『うん、そうだよ。大丈夫? アスマ君』
『え? 大丈夫って、何が?』
『お兄ちゃんから聞いたの。アスマ君がシャロちゃんのところで、私が魔力の操作を上達させるために受けたのと同じのを受けてきたって。だから、大丈夫かなって』
ミリオ。余計な心配を掛けるだけだから言わなくてもよかったのに。