ウルフ15
「くそっ! なんで! 壊れないっ!」
腕を、足を、胴体を、頭を。この血槍を破壊することだけを考えて、全身をがむしゃらに振るい続ける。
しかし、その甲斐も虚しく、血槍をどうにかすることはできなかった。
軋みはするし、多少なら曲がりもする。だが、それまでだ。破壊するまでには至れない。
何度も力任せに動かしてみて分かったことがある。この血槍は、まるで剣のような造りをしている。外側は鉄のように固く靱やかなのに対して、中心部は鋼のような高い強度を持っている。その二つの異なる特性の相乗効果で、生半可な力ではどれだけ抗おうとも、この血槍を砕くことはできないというわけだ。そう、生半可な力では。
ここに来て、ようやく気づいた。どうやら俺は、自分の能力の低さを盛大に見誤っていたようだ。
《起死回生》というスキルの効果は、肉体の損傷具合により段階的に自身の能力を何倍にも向上させるというものだ。
つまり、この血槍を破壊できないのは、俺自身の基礎能力が数倍になったところで、このブラッドウルフという魔物には通用しないという単純な理由によるものということだ。
今までに《起死回生》が発動したのは、この世界へ来て初めてゴブリンと遭遇したあの時と、冒険者として活動するための条件を達成するために西の森へ行き、オークに殺されかけた時だけで、ゴブリンとの戦闘の時はまだスキルの存在など知りもしなかったし、スキルが発動していただろうということも後になって知ったことだ。なのでその時のことは省くとして、あのスキルについて印象強く記憶に残っているのはオークを相手にそれを発動させた時のことだろう。
今でもあの時の万能感を、体が、心が覚えている。普段とは段違いの膂力、反応速度、知覚力。
オークを素手の一撃で屠った破壊力に、森の中を高速で縦横無尽に駆け回った敏捷力。
俺の実力ではまず再現することが不可能な数々の力に、頭では否定していても、心の片隅では酔いしれてはいなかっただろうか?
いざとなればこの力で盤面を引っくり返すことができると、この力を使えば自分に敵うものはいないと、心の片隅で思ってはいなかっただろうか?
表面的な思考では、自分は大したことがないと思いながらも、心の底ではこのイカサマのような力を持っていることに優越感を持っていなかっただろうか?
それらがこの致命的な勘違いを産んだのではないだろうか?
……だとすれば、それはなんという傲慢なのだろうか。
不甲斐ない自分を鍛え上げ、大切なものを守るために力を手に入れるという思考も、結局はその力の上に成り立っているものに過ぎなかったのだろうか?
そうなのだとすれば、今のこの状況を作り出したのは、俺自身ということになる。この力に頼り、慢心し、驕り高ぶっていた俺の心が招いた結果だ。
(……死ね)
ならば、俺にはこの状況を解決しなければいけない責任がある。たとえ自身の何を犠牲にしてでも、それは絶対にだ。
(……死ねよ)
だが、どうすればいい? 体を動かすことすら難しいこの状態から抜け出すにはどうすればいい?
(……死ねよ、小金井アスマ)
俺の心の葛藤を余所に、事態は着々と進行していく。
俺の背後に回り込んでいたブラッドウルフが、地を蹴り上げこちらに駆け出してくるのが、視界の端に映る。
クレアは先程の体勢のまま立ち上がれずにいるが、その瞳には諦めないという意志が宿り、今も地に突いた手で、必死に体を持ち上げようとしている。
が、ブラッドウルフがこのまま直進してくれば、その正面にいるのはクレアだ。もしかしたらこいつは、血槍によって動きを封じた俺よりも先にクレアを始末することを選んだのかもしれない。何もしなければ、確実にクレアが立ち上がるよりも早くブラッドウルフはこちらに到達するだろう。
ミリオがこちらに駆けつけるのは、たぶん無理だろう。間に合わない。爆裂属性の矢を放つのも無理だろう。この距離で放てば俺たちもその巻き添えを食う恐れがあるから。他の矢では血盾に防がれてしまうから、それも無理だ。
なら、やっぱり俺がなんとかするしかないないんだろうが、どうすればいい?
(……舌を噛み切って死ね)
舌を噛み切る、か。いいな、それ。
現状で手足がろくに動かないっていうのなら、肉体の損傷具合を進行させて、スキルの段階を上げればいいだけの話だ。どうせ痛みなんてないんだ。
急速に冷めていく心が命じるままに、舌を前歯で挟み込み、顎の力で一気に押し潰す。
痛みはないが、歯に触れる感覚で舌が半ばほど切断されたのを理解する。
『肉体の損傷が一定の基準に達しました。《起死回生Lv1》が《起死回生Lv2》になりました』
舌を噛み千切るまではいかなくても段階が上がったようだ。
だが、口の中で半分繋がったままの舌が無造作に揺れ、断面から血が溢れ出してきたことで、その不快感に顔をしかめるが、血と共にそれを飲み干す。
さすがにクレアの目の前で血を吐き出すわけにはいかない。こんな量の血を吐けば心配を掛けてしまうからな。
……この子を大事に思っているこの気持ちは、俺の本心なんだろうか? それとも、この気持ちも自分を正当化するために産み出した、まやかしのものなんだろうか?
いや、違う。この子のことを考えると心が暖かくなるこの気持ちだけは本物だ。これは、まやかしなんかじゃない。
そう、これまでの自分の思考が嘘に塗れたものだったとしても、今こうして俺を突き動かしている原動力だけは、最初から何も変わってはいない。
なら、するべきことは決まっている。
(……死ね。本当に大事かも分からないものを守って、道化として死ね)
何があっても、この子だけは守り抜いてみせる!
その決意と共に、手足を貫いている血槍を力任せに強引に引き千切る。
生物の骨がへし折れたような鈍い音を響かせ血槍の拘束から抜け出した俺は、今にもクレアに飛び掛かろうとしていたブラッドウルフに瞬時に肉薄すると、真横から渾身の蹴りを放った。
「らぁっ!」
血槍の破砕音により、こちらが拘束から抜け出したことに気づいたのか、蹴りが直撃する寸前に血盾を展開してたブラッドウルフだったが、蹴りの威力に押され、かなりの距離を吹き飛んでいき、血盾の破片を撒き散らしながら、四つ足を地面に押しつけ、速度を殺していた。
それを見送った俺は、一度視線をクレアへと移し無事なのを確認すると、遅れてこちらへと視線を向けたクレアに、もう大丈夫だということを笑顔で伝える。
そして、正面へ向き直り、笑みを消しつつ、背中から盾と槍を取り出して構えると、威勢をつけるために声を上げる。
「さぁ、反撃といこうか!」