ウルフ8
「……」
視界の先に広がる理不尽に絶句し、驚愕する。
木々の合間から咆哮と共に姿を現したのは、ウルフの群れだ。その数、十数体。
だが、それだけならここまで驚きはしない。驚いているのは、その十数体の個体全てが、先程までのウルフとは明らかに違う別種の――上位種の個体だということが見て取れることに、だ。
今まで相手をしていたウルフは灰色の体毛を持つ体高が7、80cm程度の大きさだったのに対して、血のように赤黒い毛を持つもの、光を反射するように真っ白な毛を持つもの、その全ての個体が体高100cm以上の大きさを誇り、無駄のない強靭な体つきをしていて、額に生えている角も太く、そして鋭い。
しかし、それらの個体よりも更に異彩を放っている個体が、群れの奥からこちらを見据えていた。……恐らく、いや確実に、あれがこの群れのボスだろう。
それは、どこまでも黒く、大きく、逞しく、美しい個体だ。
全てを飲み込むような漆黒の滑らかな体毛、額の左右に対になるように生えている二本の捻れた角。体の大きさは周囲の個体よりも一回り以上は大きく、大地を踏み締めるその足は、肉食獣のような強靭さと、草食獣のようなしなやかさを兼ね備えているだろうというのが見て取れるほどに素晴らしい。
が、その瞳からは、こちらを見ているようでありながらも、何も映していないような空虚さが滲み出していた。まるで、何かに落胆したかのような、そんな目だ。
その黒狼は、不意に俺からその背後へと視線を向けると、「ゥオン!」と一つ声を上げた。
明らかに俺に向けて吠えたわけではないというのに、全身に寒気が走り、体が震え、冷や汗が肌を伝い、心が畏縮してしまった。
これまでの経験で多少は恐怖に対しての耐性がついたと思っていたのだが、これは格が違う。
この世界で出会った誰よりも。もしかしたら、あの時の魔族よりも……。
だが、それでもまだ正気を保てているのは、腕の中にクレアの存在があるからだ。
この子の温もりが、この子から感じる鼓動が、俺をギリギリのところで踏みとどまらせてくれている。その笑顔を思い出す度に、心を奮い立たせてくれる。
そう、あの時とは違う。今の俺には他の何を置いても守りたいものがある。そのためならば、俺は何度だって立ち上がってみせる。俺の心を折ることは誰にもできない。
歯を食い縛り、目を逸らさずにウルフの群れを見つめる俺へ、黒狼が一瞬目を向けたが、体ごと反転させると、仲間を引き連れて森の奥へ引き返していく。
それを追うように背後から、俺を無視して灰色のウルフたちが駆け抜けていった。
背後へ目を向けると、唖然としたようにミリオもウルフの群れを見つめている。
……なんだ? まさか、俺たちを見逃してくれるっていうのか? 分からない。そもそもこいつらはいったい、なんのためにこんな場所までわざわざ出てきたというのだろう? 謎だ。
そのウルフの群れを警戒を解かずに見送っていると、一体の赤黒い毛色の個体が、群れのボスへと近づいていき何かを訴えかけるように一つ鳴き声を上げる。
それを聞いたボスは、首を一度後ろへ向け振る。すると、それが合図であったかのように、そのウルフが踵を返し、こちらへと戻ってきた。
その姿はまるで、獲物を前にした肉食獣のように嬉々としたもので、その瞳は爛々とした光をたたえていた。
「アスマ!」
その気配を感じたのか、背後からミリオもこちらへと駆け寄ってきた。
「あぁ、分かってる。どうやらこいつは、俺たちを狩るつもりらしいな」
群れの中からたった一体戻ってきた好戦的なウルフの上位個体。
こいつを倒さないことには、俺たちはここから帰ることはできないようだ。