旅の続き 夢をくうバグ 下
木場公園
10月に入り、気候も良く青空の下木場公園でバーベキューでパーティーを開く。会費3000円。相も変わらず同じメンツが集まり飲めや歌えの大騒ぎ先ずは豊「乾杯」で始まり、街の灯り、もしもピアノが弾けたなら、遠くへ行きたい、秋止符、赤色エレジー、好きにならずにいられにい、カントリーロード等々歌い飲み騒いでいると、豊何時の間にか他の女子グループに紛れ込み、女子からリクエストを貰い歌い酒などをご馳走になって居るでは無いですか?この辺りが豊の生まれ持った才能でしょうか。兎に角お見事の一言。暫くすると、豊が皆を呼びに来る。豊「女性陣が一緒にやりませんか?と、お誘いしてくれましたけど。行きましょうよ。」裕次「酒も少なくなったことだし、女性が酒を持って帰るのは、気の毒だし、帰りの荷物を少しでも軽くするのが、男の義務と言うものだ。」吉秀「裕次いいとこに気が付くね。そうだとも」裕次「俺、行って聞いてみてくる。」と言い聞きに行。直ぐに戻り皆でお邪魔した。豊ギターを持ち、メリージェーンを熱唱。女性陣からの沢山の拍手喝采、気を抑止、女性陣にビールをついで回る。旭「いい日旅立ち」を歌う。裕次「竹田の子守唄」を歌う。勝洋は「カントリーロード」を英語で歌う。そんなこんなで楽しく過ごし、友達に也、連絡をするようにし、又会うことを約束し別れた。
リフォ―ム
11月に入り然程寒くもなく、熱くも無いので、家のリフォームをすることにした。トイレの床の張替えをするにあたりホームセンターへ行き床材をやや大きめに買い、ボンドとカッターを買う他の道具は色々な所で買っておいてある。勝洋は暇を見てはリサイクルショップや、フリーマケットへ行き、職人さんが使わなくなった道具類を買い揃えるのが好きで、暇を見ては探しに出掛けた。そんな訳で以外に道具類はそろっていた。
フローリング材を置き、隅から型紙を取るように少しずつ、柱や便器の形を取り、フローリングが型良く切れたら、ボンドを塗りフローリングを張る。この様な作業は妻のお得意とすること、勝洋は邪魔にされる。壁紙は未使用の着物の反物を使い、同じ生地でトイレットペーパーホルダーも、小物入れのカーテンも妻が作る。これは勝洋には到底無理なこと。スパーで買い物した際ダンボ―ル箱に品物を入れ帰り、ダンボール箱を着物地で、のリとボンドを適当に混ぜ合わせ、箱にのりを付け着物地を張る。とても綺麗な化粧箱ができる。これも妻の方が上手い。他にも娘は家の壁にペンキで絵をかき、外階段も娘が色を塗る。其々DIYの得意分野が有り、其々がDIYを楽しむ。
おでん
12月に入り寒さが歳折には厳しい時期が到来する。そこで勝洋はおでんで忘年会をやることにした。この時期大根が上手く也、タコ、つぶ貝、牛筋、卵、その他練り製品等を買い集め、出汁を取り、大根を約8センチの大きさに切り、厚く皮をむき、コメのとぎ汁で下茹でし、そこから4日火にかけてはおろし、火にかけてはおろし、約4日かけて大根に充分出汁を吸い込ませやっと出来上がり。厚切りのコンニャクも同じく4日はかかる。4日目の夜6時に其々が酒を持ち込み、パーティーが始まる。一時間もすると豊の十八番「乾杯」を歌いだす。幹久が「安奈」を歌い吉秀が、「望郷酒場」を歌い旭が「雪国」を歌い勝洋は「ホワイト・クリスマス」を歌い、皆できよしこの夜を合唱し、今年最後の慰問先の出し物を勝洋はクリスマスソングを一部に二部は雪をテーマにした歌を歌うのはどうかな?とみんなに訪ねた。するといいね!と、皆も賛成し、勝洋は「どうだろう。一発目に皆でジングルベルを合唱するのは?」吉秀「いいね!ミッチ・ミラー合唱団の様に。」勝洋『まず。指揮棒を持ってリーダーを吉秀が演じる。服は前に有るポンチョを着るか。其のあとはめいめいがクリスマスソングを歌う。因みに俺はホワイト・クリスマスを歌うので、かぶらないように。」吉秀「俺、ジョンレノンのハピ クリスマスソングを歌いたい」勝洋【あとは其々で何か考えて、今からでも新曲作ってもいいかもね?」などと言い慰問の日を楽しみに待つメンツで有った。
クリスマス イブイブ
クリスマス前前日。1時よりパーティーを開催。2時よりショウタイム、5名がベレー帽にポンチョ姿で「メリクリスマス」と挨拶をし敏樹が「短い時間ですがどうか楽しんで下されば、私たちも幸いです。」と、挨拶しジングルベルを合唱した。終わってみると吉秀の指揮者は初めてとは思えないほど美味かった。この辺りが学生時代にバンドを組み、あちこちの余興に出て居ただけに、度胸は据わっていた。次いで勝洋は「ホワイト・クリスマス」ビングクロスビーになった気分で優しく歌った。吉秀『ハピ・クリスマス」を歌い、その後もきよしこの夜、赤鼻のトナカイ、サンタが街にやってくる、等の歌を披露した。
二部には雪をテーマに
先ずは勝洋は雪国、豊が雪は降るを歌い、吉秀が津軽平野、勝洋の妻が特別出演で津軽海峡 冬景色等の歌を披露した。すると前に一人のおばあちゃんの為にアル・ジョルスンのアニバーサリーソングを歌ったことが有る。おばあちゃんはあの日の良き思い出をもう一度聞きたくリクエスト曲にア二バ-サリーソングをリクエストして来た。
勝洋はそんなに喜んで頂けたとは、感無量でリクエスト曲に答えた。すると以前と同じく涙を浮かべた。それを見た勝洋は貰い泣きをし、つくづくうたの魅力をかんじた。
歌は人に感動と喜び生きる力与えてくれる。国は違えど歌は有る。人は自然と歌が生まれ口ずさむ。勝洋は歌に人の感動と喜びを与える歌をこれからも歌い、ひとを喜ばせ、楽しんで貰える様に心の中で精進して行事を心に決め、又来ることを約束し、施設を後にした。
反省会
リエ「初めて人前で歌を歌ったけど、最初は緊張したが二番、三番と歌っていくと緊張が解れ、歌って居るうちに楽しく也、もっと歌を練習したくなった。家に有るカラオケで練習をする事にする。」吉秀「それがいいよ。声が良いから直ぐに上手くなるよ。」リエ「歌が上手く成ったら、衣装を特別に作ってみようかな?」勝洋「好きに作れば、然しミニスカートはやめてくれよな、皆ぶったまげちまうからな。」豊「人は不気味なものとか、汚いもの、等を見たがる人もいるよ。」勝洋【バカなこと言ってんじゃないよ。俺が表歩けないよ。」と馬鹿馬鹿しい事で話を膨らませた。
勝洋が来年1月に入ったら新年会を10日前後に景気良く、酒しゃぶしゃぶで新年会をやろうと思っているのだが、如何でしょうか。と尋ねた?
すると幹久が「酒しゃぶしゃぶてなあに。」勝洋「水を一滴も使わず、酒一升を鍋に入れ、火にかけアルコールを全て火をつけて飛ばし、酒のうま味だけで牛肉をしゃぶしゃぶして食べる。椎茸何ぞ肉の出汁をすいこれまた絶品。」豊[一升はもったない。五合ではだめですか?一升はもったないですよ。」勝洋〔五合だと足りなくなってしまう。後から酒を足すわけにはいかない。だから景気良く最初から酒一升を使う。」吉秀「来年じゃなくて、今年
でも食べたくなるね?」勝洋「来年のお楽しみ。と言う事で今日所は此れにてお開き。」と言い解散した。
新年会
年も明け、七草も過ぎ10日ともなると、寒さが強まり熱燗が一層上手く感じ、都々逸の文句に酒飲みは奴豆腐にさも似たり、始め四角で末はグズグズなんてね。
新年会を明日に決まり、勝洋明日の準備をする。先ず氷を2貫目を買い、冷凍庫に保管する。明日氷を削り雪を作り、鎌倉を作るために仕入れておく。其のあとカラオケボックスに一人で新ネタを完成させに行。其々新ネタを披露するのに合わせ勝洋も練習に余念がない。冬の1月矢張り春とか、南国、季節を先取りし、ハワイアン、とか北国の春、宗谷岬、別れの磯千鳥、等を練習していた時。勝洋はふと思い出す?そうだ昔三波春夫が酋長の娘を歌って居たことを思い出して、腰実のの代わりに紐に徳利をぶら下げて、椰子の実のブラジャーを付け、歌と振り付けで歌う事に気付く。
これだと思いすぐさま家に帰り徳利10本に一本づつ紐で結びそれをベルトに結び腰実を作り徳利をユラユラ揺らせ、顔は黒く塗り歌う。所々で音程を外す。勝洋は得意げに也、新年会を開く。
当日
6時集合が5時半には全員が集合した。聞けば酒しゃぶしゃぶは初めてなので早く食べたくて来たと皆が言って来た。勝洋は、わざと最初におからの炊いた物を出した。皆不服の顔をする。次いでふろふき大根を出す。と、皆が洒落は分かったから、本命を早く食べようよ。と、皆さんが口々にするので、焦らすのはこれぐらいとして、酒しゃぶしゃぶを始めると皆の目が鍋にくぎずけ。豊が「酒もったない。」と言いぐい飲みで一杯しゃくて飲んだ。すると他のメンバーも真似てぐい飲みでしゃくて酒を飲んだ結果酒が足りなく也、もー升を追加し、酒が発火点に達した時を見計らい、火をつけた。青白い火が約30センチ程火柱を上げ軈て消え準備が整い肉をしゃぶしゃぶした。吉秀『旨」誰しもが「こんなしゃぶしゃぶは食った事がない。これは旨い。」と皆が喜んだ。
鍋が終わり新ネタの披露する事に相成り、勝洋は先頭きって,酋長の娘を披露する。すると皆から面白いこれで決まりですね。豊「面白いことをやらせたら誰もかなう者はいない。良くそんなに面白いことを考えられますね?矢張り道、間違えたのでは無いですか?今からでも寄席に出たらいいのではないですか?」他の連中も「そだ、そだ」と連呼した。吉秀「俺矢張り、にのせんで行。お笑いはそんなに次から次へと考えられない。矢張り俺は持って生まれた二枚目、只管おやを恨むことしか出来ない。」勝洋「それ受ける。慰問で人前で、その顔で言うと絶対に受けるから、タイミングを見て言って。」吉秀「俺、笑いをとろーとして言ったつもりじゃない。」勝洋「そこがいいんだよ。本人は気づかずとも、客は其のギャップが面白い。」勝洋「どうかな。俺が湯島の白梅を歌うから誰かがお蔦主税をやってくれない。例えば旭が主税で幹久がお蔦をやるのはどうかな?」吉秀「いいと思うよ。」旭「俺はいいけど。お蔦何処からか、いい女探しに行かない。
例えば、木場公園で有った彼女たちの誰かから来てもらえる人を?」勝洋「それなら、豊に連絡してもらい、来てもらうように連絡を入れ誰か口説いてもらおじゃないか?」豊「いいですけど。でも幹久のお蔦も見るだけでも笑えるけどね。」勝洋「では、多数決で?」7名で決めることに也5対2で幹久が決まり、衣装をこしらえることにした。「婦系図湯島の白梅は泉鏡花の小説。後に映画化。主演山本富士子」
慰問
当日早目に行き準備を始める。ビデオの設置やマイクの設置アンプの具合カラオケの曲目、等を準備して置く為に早く生き、打ち合わせもした。
時間近く也車椅子に乗り続々人が集まり、スタッフによろしくお願い致します。と、挨拶をされ、今回は英夫が新年の挨拶と司会をやることに決まり、マイクを持って壇上に上がり軽く挨拶を済ませ、すぐさま着換えにかかり、男6人で前に受けたAKBの服で歌と踊りを披露した。最初は受けなかったが、皆が真面目にいい歳した爺さん連中が若い女の子の真似をしているので、馬鹿馬鹿しいやらおかしいやら、次第に笑いと拍手喝采に也、やってるメンバーも楽しく也、演技も大げさになる。
最初にバカ受けすると、後がつらい。二番手には皆が引いたので、勝洋は自らフルートを出しここはしんみりと月の砂漠をフルートで一番は普通の音程で、二番は1オクターブ上げ、三番は普通に戻し、フルートの演奏の次にカラオケで歌った。これがおばあちゃんに結構受けたので、皆に童謡を歌う様に指示し次に竹田の子守唄、砂山、浜千鳥、花嫁人形、などを次々と披露すると、おばあちゃんたちも皆口ずさんだ。その他にも数曲歌い締めに湯島の白梅を勝洋が歌い、お蔦を幹久が出るや否やそれだけで笑いが取れた。狙い道理。それでも三人は笑わず真面目な顔で歌と踊りを披露した。が 最後は寛一御宮に也、足で蹴ると皆大笑い。狙い道理で無事終了。
バレエモンテカルロ
勝洋は妻と二人で、トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団を見に行。他のバレエは見に行かずとも、このバレエだけは二人とも好きで、東京公演が有ると良く身に行。男性だけで構成されるアメリカのコメディ・バレエ団で兎に角面白い。それに技術的な物も凄い。見に行くと病み付きになる。バレエを見て帰ると、妻にバレエのコスチュームを作ってくれと頼む。妻「今度はバレエ団を作る気?」勝洋「あんなに旨くは踊れないが、笑いなら取れる。下手なりに。」妻「次から次と良くやるね?作る方は大変なんだから。」勝洋「シューズは学校の上履きで、1年2組と名前を入れる。コスチュームが出来ないのなら何処か宴会芸の店に有るはず。春に成ったらやる。冬は寒いのでダメ、風邪を引いてしまう。それまでは練習をして、春本番。」あきれたもんだ。
ミーティング
日を改めミーティングを開く。勝洋は皆にトロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団を見に行った事を話、そしてパンフレットを見せ、次いでユウ チュウブを見せた。すると挙って面白い。これいい運動に成る。夜良く眠れそう。等とみなも賛成したので、やることにした。出し物は白鳥の湖ではなく、黒鳥の湖を適当に踊る。練習所として区民館等で練習をすることにした。CDを持ち込み皆で振り付けを考え、役柄をくじ引きで決める。そして余り熱心に練習をしないようにする。なぜなら歳折烈しい運動をすると、寝ているときに足をつる。そこで歳折酒を飲み水分不足になるので、寝る前に枕元に水を用意して置くように、勝洋皆に話をした。
雨の日することが無く、フル・モンティのビデオを見ることにした。1997年度英国アカデミー賞、主要4部門制覇した。どん底の男たちが、スッポンポンになる映画で東京公演初日動員記録樹立。面白い映画で有るがこれは慰問には不向きであると判断しビデオを皆に見せることにした。
ひと月も過ぎたころ豊が、「あの映画面白かった。何処か違う場所でやったら面白いと思うけど?」吉秀「いいね?でもやると設楽宴会芸で、飽くまでも内輪でやるとか?」勝洋「結構芸人も下ネタの事をやっているけど、意外に綺麗に可笑しくパロディ的な事を織り交ぜて披露するてことは?・・・・・結構むずかいかもね?それと何を使うか。おぼん、うちわ、秘密兵器、その他色々考えて。」幹久「急ぐこともないし、先はいくらでもあるし。」等と話し合い、いつの日かやる時が来たらやろうではないか?と 言うぐわいで解散した。
都々逸
勝洋は忘れたころに、三亀松を思い出し録画したカセットテープを出しては都々逸を聞いた。聞いた話によると、子供がいないので、犬を乳母車に乗せ、奥さんと不忍池を良く散歩していたとか?寄席で2 3 ど見たことがあるが?兎に角色っぽい都々逸が好きでした。粋でいなせと言う言葉が最近では使わなくなりつつあるが、この言葉が良く似合う人でした。池之端の師匠と呼ばれ、桂文楽は黒門町の師匠と呼ばれ地名も粋でした。その後三代目三遊亭金馬の藪入り、と 居酒屋を聞く。が金馬の口調と声の良さ、そして風貌は落語家その物。この人は落語家意外に他の道は無い。と 思う位出てきて顔を見ただけで笑いが取れた落語家であった。話しが聞きやすく、リズミカルに歯切れよく、流石東京本所生まれ。
春が来た
歳折には長い冬が終わり要約桜の花が咲き始め、人はこれ程に桜が好まれるのか?矢張り散り際の美しさ、花は桜木 人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖はもみじ花はみよしのと続くそうですが。兎に角着る物が軽くなり体も楽になる。寒いと体がこわばる、動きも悪い。天気の良さそうな日を選びポンコツ爺のお花見を実行する。
当日は自分の飲み物と天ぷらにする材料を何処かで調達してくること。例えばタンポポの花、葉っぱ、根っこ、はこべ、あさつき、ゆきのした、柿の葉、等を持ち寄り桜の木の下で天ぷらにして、塩で食べる事を計画実行した。其々が公園や川の土手に行き、野草を取って持ち寄った。中には孫のおやつの残りのビスケットを持って来るものも。この様に落語の長屋の花見みたいに、金をかけず、面白いメンツが集まれば面白く、愉快にパティは開く事が出来長生きの秘訣のもととなる。
勝洋は種をまいて少し大きく成った玉ねぎと人参の葉っぱ、タンポポ、ハコベ、柿の木の新芽、お茶の木の新芽、等と鍋とキャンプで使うコンロと油、小麦粉、水等を用意し持って行き、皆が持ってきたものと合わせ、天ぷらにし、小さな玉ねぎは、みそを付けかじった。これが意外と酒が捗る。
酒が回り気分が良くなった頃。豊が持って来たギターを持ちだし例の乾杯を歌う。其のあとに勝洋は「まわり道」をうたった。その後桜に因んだ歌を選び桜の花の下で楽しい一日をお過ごすことができた。ラストソングに皆でわが良き友よを合唱し解散した。
ジジバレエ
陽気も良く也愈々バレエ団を見せに行く日がやって来た。何回か場所を借り練習をしたが、したところで然程上手くもならず、前にも申した通り本番に強いメンバーで本番の緊張感が良い刺激に也、120パーセントの力が出るのである。舞台のそでにめくりに「黒鳥の湖」と書き、司会が挨拶をする。
メイクアップをド派手に、笑える様な化粧に仕上げる。互いの顔を見吹きだす。そして其々が靴に学年と名前を考え、マジックで書きこんだ。
最早化け物。音楽が鳴り豊が先頭きって出ていき、後に続くと笑いの渦が。勝洋はこれで良し、後はストーリーも何もない適当にモンテカルロバレエ団をyoutubeで見たまま面白そうな動きを自分なりにやって居るだけ。ただ笑って貰えればそれでいいわけで、一羽の白鳥を四羽の黒鳥が蹴ったり、殴ったりし、後は其々適当に面白い動作で人を笑わす。何とか人より笑いを取ろうと皆創意工夫して踊る。仲間同士で吹きだす事もあり、終わって戻ると、アンコールが、皆がビックリ。アンコールがあるとは誰も考えて居なかった。仕方なく皆が舞台に立ち、勝洋が一人一人を紹介して、其々にスピーチをして貰い舞台を降りた。
次の準備の間吉秀が繋いだ。田端義夫の島育ちを歌い、時間が足りないのでもう一曲歌ってもらう。歌はリンゴ村からを歌い終わると、勝洋が準備を終え舞台に上がる。めくりに旅姿三人男。歌は東竜之介と司会が挨拶を入れ音楽が流れると勝洋が三度笠から顔を出す。しまのかっぱを肩にかけ、何時も道理脇差は例の如く長ネギ歌の合間に長ネギを振り回す。例の如く笑いが起こる。勝洋はテレビやyoutubeで立ち回りを見、研究していた。どこで刀を落とすか、どこで刀を回すか常に練習をしていた。これまた終わると反響が多かった。其のあとは豊がテンポの良い歌を歌い他のメンバは車椅子の人を、連れ出しダンスを踊り、歌いたい人が居たら引っ張り出して、デュエット曲をかけ歌い楽しい時間を過ごし、時間が来たところで施設を後にした。
反省会
何時もの如く反省無く良かった良かったばかり。今日も受けたね。笑わしましたね。何をやっても受けるね?いっその事、メジャーデビューするか?等と一もの冗談が出る。勝洋がこれからもどんどんレパートリーを増やしたいから、色々面白い出し物を皆で考えて行こう。と勝洋が言うと豊が、「勝ちゃんみたいな面白い事は俺たち考えが浮かばない。良く次々と面白いことを考え付くもんだなと、感心しているんだ。何を見ても笑いにしてしまう人。仏事には向かない人て、居る。その一人かも?」勝洋「その通り、家の法事の時は最初にお上人に、有難いお経は私には分かるが他の連中はただ長いだけで、何を言ってんだかサッパリ分からないので短めでお願いします。と 頼んでいる位仏事には向かない。」豊「本当にそんな事言うのですか?」勝洋『話すと、お上人笑っているよ。よーはお金。だからなんまいだなんまいだと拝むだろう」皆が笑う。落ちが付いたところでおひらきにした。
潮干狩り
勝洋家に居ると潮干狩りの得意な友人から、アサリを取りに行くから、一緒に来ないかと誘われついていくことにした。塩が引くまでは船の上からルアーでスズキを狙うがスズキではなく、小型のフッコが三匹釣れ、塩が引いたら、アサリ取りをいい加減取れた所で塩が満ちて来て、カレイ釣りに変え、5匹釣り上げ、皆に連絡を入れフッコの刺身とカレイの刺身と唐揚げとあさりの酒蒸しで宴会。締めにあさりの味噌汁。皆も毎回毎回思考を変えての宴会に喜んだり飲み過ぎて転んだり忙しいことで、歳折残り少ない人生を満喫していた。豊群馬県生まれで潮干狩りをしたことが無く、今度一度連れていってくれないかと聞いた。勝洋「俺はもういい、潮干狩りは歳折には重労働で明日は足腰が居たくなるはず。アサリは買って食う方が得策。子供のころは毎年良く行ったから。」豊「そうなんだ。」勝洋「昔は一年に一度全校生徒で学校から歩いて潮干狩りに連れて行かされたもので、この年になるとあさりは買って食べるのが一番。」吉秀「そうだ。学校から海まで約2キロそこから半日海の中をウロウロし、そこから又2キロ歩いて帰ると一日中歩きどうし、家に着くとヘロヘロで風呂にも入りたくなく、寝たいが親に叱られ止む無く風呂に入るが眠りたくしかたがなかった。」等と幼い頃の潮干狩りを思い出す。昔の様な潮干狩りやスダテ遊びが学校の年中行事になったと設楽、今の子供たちはどう反応するだらう?
種まきの時期が来た
今年は何の種をまくか、考えて居た。矢張りゴーヤの種とオクラの種をまくことに決め、ホームセンターに行き、良さそうなゴーヤを見つけ、買ってきて、実の部分は食べ、種を肥料の効いた柔らかな土に種まき、陽当りの良い場所に置き、目が出るのを待った。オクラは種をまき発芽を待った。その他の野菜は自然に生ごみの中から出てくるのを待つことにした。毎年自然に出て来るものは、ちそ、つるむらさき、カボチャ、冬瓜、山芋、類は目を出す。今年も既に、梅のみがかなりの数が実を付けている。
6月の20日頃に収穫する。その後梅酒にする。そして4か月位経った頃に成ると、リエが一人毎晩梅酒でほろ酔い気分。そして居眠りタイム。共に極楽とんぼ?
暫くしてゴーヤが芽を出し、プランターから地か植えにし、添え木を立て追肥をやり、水を与え、余分な枝を取り除き花が咲いたら受粉してやり、沢山取れたらジュースを作り、健胃薬として飲む。苦みが胃に良く勝洋は良く飲んだ。オクラも夏に成ると朝早く花を付け、午後には花を落とす。其の落ちたばかりの、花を天ぷらにし、食べる。花もオクラ同様にぬめりが有り、美味しく頂きます。今年もカボチャが芽を出し、追肥をたっぷりと遣り、茎を育て茎を食べた。カボチャの実は売って居るが、茎は売って居ないので茎を育て蕗の様にして食べるのが、蕗より上手く勝洋は好んで茎だけを食べた。赤紫蘇は自然に前の年に種を取り、庭に地かにまき、自然に目がでた物を、移し収穫時期に葉を取り、赤紫蘇ジュースを作り、夏の健康飲料水としてのむ。青じそは、ニンニクと青じそと青唐辛子とじゃこで青じそ唐辛子を作って食べる酒のあてにも、飯のおかずにも、よく合う夏の食べ物。つるむらさきは手入れも然程いらず、良く出来る初心者向けの野菜で良く取れて、食いきれ無いので、人にあげたりする。今年も取れた野菜で収穫祭が楽しみである。
屋根の上のバイオリン弾き
勝洋は次なる出し物は、屋根の上のバイオリン弾きを,演じたくなり、バイオリンの練習と歌の練習を始めた。サンライズサンセットの譜面とyoutubeから森繁の歌を聞き昔森繁久彌の屋根の上のバイオリン弾きを劇場で見た時の感動と喜びを思い出し、勝洋はサンライズサンセットを特訓する事にした。日生劇場で見た森繁のテブィエーに成り切り、日々練習をした。いつの日か何処かで出来る日を夢見て?
おじいちゃんに会いに行く
何時ものメンバーでおじいちゃんの居る施設に慰問に行。何時もながら歓迎され、暖かく迎えて貰う。先ずは勝洋がゴンドラの唄を歌うと、森繁が好きだと言う、おばあちゃんに、勝洋気を良くし、バイオリンを取出し知床旅情を演奏と歌を歌った。其のあとは皆が歌ったり、雑談したり、手品を見せたり、芸の幅を広げお年寄りにリクエストが増え有難いことです。
そんな時勝洋は下北半島のおじいちゃんのところに行き、話を聞いた。するとおじいちゃんの連れ合いが今月の初めに亡くなったことを聞かされる。勝洋はお悔やみの言葉を述べた後『、惚れた女が死んだとき」を涙を浮かべ熱唱した。すると聞いて居たおばあちゃんも涙を浮かべ聞き入っていた。勝洋皆さんにいちにちも長く生きてください。と 挨拶し施設を後にした。
監督ビリー・ワイルダー
勝洋が映画監督の中で誰が好きかと尋ねられると、何時も決まってチャーリーチャップリン、とビリー・ワイルダーと答えた。今でもつまらないことが有るとチャップリンかワイルダーの作品を見ることが有る。ビリー・ワイルダーは生まれはポーランド スハ・ベスキズカ とオーストリア・ウィーン出身と有るがアメリカに来るまでには英単語100位しか知らなかったらしいです。それが映画監督、脚本家、プロデューサー等と活躍し95歳で亡くなった。アメリカの偉大な映画監督である。
ビリー・ワイルダーはユダヤ人で有りながら、あそこまで登り詰めた人は、のちに色々な人を育てた。偉大な人で有った。そして常に明るく楽しく愉快に、暗い過去を微塵も見せず、笑い顔がとても印象に残る監督で有った。その作品の中から、ジャックレモン、シャーリー・マクレーン、マリリン・モンロー、オードリーヘップバーン、ウォルターマッソーその他多数の作品を通して広く私たちに感動を与えてくれた人でした。そんな監督の作品を見るのが勝洋の心の癒しで有った。
映画鑑賞
その日の夜、皆を集め酒を飲みながら、ビデオを見ることに成った。映画は勿論ビリー・ワイルダー監督のお熱い夜をあなたに、を見ることにした。この映画を見た人は誰も居なかったので、それと勝洋のお気に入りの一つである為、是非とも皆に連絡をし、美しいイタリアとのんびりしたイタリア人の、のんびりしたものの考えや、飲んで、歌って、恋をして、その合間を見て仕事をする。と 言った具合に生活する、イタリア気質が最初は嫌いだったアメリカ人がイギリス人と知り合い、やがて恋に落ち毎年イタリアで会うことにした、コメディ映画である。酒を飲みながら皆がゲラゲラ笑い、最後には皆が監督とジャックレモンのとりこに也、酒と会話が弾んだ。
次回は、お熱いのがお好きが見たいとか?アパートの鍵を貸します、が 良いとか?七年目の浮気が良いとか、恋人よ帰れわが胸に、が 良いとか色々な意見が出た。
勝洋「それは次回のお楽しみ。」と言い、お開きにした。
タイ釣り
ある日の事、千葉の友達からタイ釣りの誘いが有り、勝洋は千葉県大原港に出向き、友達と合流して船に乗り沖に出、港から出るや否や大波を幾つも乗り越え釣行ポイントを船長が探し魚探を見ながら、竿をおろし、待つこと30分で友達に当たりが有り、30センチ程の真鯛を釣り上げた。
暫くして、勝洋にも当たりが有り、釣り上げるとウマズラハギでした。これはこれで結構うまいもので、勝洋はニッコリし又釣りを続けた。暫くして勝洋に又あたりが有り、竿を上げると今度はカワハギが釣れた。その直後に友達に当たりが有り、竿を上げるとウマズラで、次もウマズラ、その次もカワハギと、如何やらウマズラのポイントに、入ってしまった様で、船長が竿を上げろと言うことで、魚探を見ながら場所を移動した。すると然程時間も掛からない内に勝洋に大きな当たりが有り、リールを巻くのに少しばかり手古摺らされた。直ぐに友達がたもを取出し、魚が顔を見せた時素早くたもで救い上げた。見事な目の下1尺の真鯛が上がり、勝洋は大喜び。勝洋「もう帰ろうか?俺これで十分。ウマズラもハギもあるし、これで酒が飲める?」友達「俺にも後1 2枚釣らさせてくれ。」「いいけど、余り遅くならないうちに、帰ってからの宴会が遅くならないうちに。」『わかった。後1時間で辞める。」「わかった」等と話其のあと直ぐに勝洋に当たりが有り上げると、たい焼き程の鯛が釣れた。鯛が居ることには間違いはないと確信し、友も俄然はりきり、何時もの釣り名人と呼ばれているプライドをかけ、全神経を竿の先に集中して挑む。この時ばかりは真剣な眼差し、普段はマンボウの様なぼーとした目つきがこの時ばかりは、鷹の様な鋭い目に。すると遂に石に立つ矢。鯛を釣り上げた余りの大きさで鯛も色が薄く也これは骨酒様にし、残りの時間に掛けた。
残り時間10分前に友達が30センチ弱の鯛を釣り上げ港に戻るや否や皆に連絡を入れ、酒を二升持って来るように言い、骨酒パティを今晩開くと連絡を入れ、急いで二人は家に戻った。そして鯛の刺身とウマズラ、カワハギを肝和えにし、一番大きな鯛は塩焼きにし、鍋に入れ熱々の燗酒を1升をなべに入れ、少し置きお玉で汲み骨酒を飲む。
物の5分と経たず内に1升の酒が無く也、もう1升を前と同じく熱々に燗をし注ぐ。すると皆が前より味が落ちたと言い出す。吉秀「こんなに味が変わる物かね?」勝洋「最初に良い出汁出ちゃったのだ。この次はただの熱燗に過ぎない。家に少し前の残りが有るからやってみるか?」と言い試すが単なる燗酒に過ぎず、鯛を食べてみるが、ちっとも上手くもなく、ゴミ箱に。後は肝和えの取り合い。豊「この次は寒ヒラメがいいですね?」勝洋「俺はダメ、寒くて耐えられない。冬の船の上は寒すぎて、俺には耐えられない。前に一度やった事が有るが、粉雪が降り寒くて、寒くて釣りどころじゃない、船長が帰ると行ったとき嬉しかった。それ以来真冬の釣りはお断り。」豊「残念。」釣りの友、吉野が「俺が釣てきて上げる。ヒラメの時期に成ると鹿島に行から,良い型のが釣れると思うよ。」豊「よろしくお願いします。」等と言い解散する。
吉野は酒を飲んでおり、勝洋の家に泊り朝早く勝洋が寝てる内に家に帰った。
利尻富士
勝洋が以前から計画をしていた利尻富士登山をすることにした。何故ならば勝洋が65歳を過ぎシニア割引で稚内まで割引料金で行けるからである。但し空席が有ればの事で空いている日を選び航空機会社に電話を入れ空き状況を確認し、更に前日の日に電話を入れ、当日に空きが有れば乗れるわけで、飛行場へ行って見なければ確かなことは、分からないので日曜日に電話を入れると残り10席あるとのことで、行くことにした。
当日月曜日に行と残り5席が空いており、席を選ぶが左側の窓側席は空いておらず、後ろの通路側の席に着いた。何故左側の窓側を希望するかと言うと、稚内空港に向けて行くと空港近くに成ると高度を下げ上空から左に利尻富士が条件次第で綺麗に見えるから、その時がシャッターチャンスだからでる。案の定そのとうりになった。着陸態勢に入り眼下に海、右側に陸地、左側に利尻富士が綺麗に見えるが、写真に収めるのは不可能、弱いぎやっこうに照らされ水面に浮かぶ利尻島は是非とも写真に収めたかった。
空港に着くと時間が遅れ船の出る時間が残り少なく、タクシーで稚内港に急ぐ、すると道路の脇にルピナスの花が自然に咲き乱れていた。東京では考えられないことだ。
車は7分前に着き、急ぎ切符を買い乗船し空いている場所を探し、荷物を置き、カメラを取出し、宗谷岬、ノシャップ岬、利尻島を写真に収め船が港に着くのを待った。
船は16時40分発18時20分鴛泊港に着き、港に宿のおかみさんが迎えに来ていた。車に乗り5分ほどで宿に着き、荷物を置き利尻富士温泉に行と、何と外国人観光客が何人か居たので、どこの国から来たのか聞くとスペインのバルセロナから来たと言われた。船の中にも何人かの外国人が居たが、日本の外れの利尻富士温泉にも何人かが来ていると言うことは明日、利尻富士登山には何人の人と出会うのか?今や京都、奈良、大阪、広島、東京、だけでなく日本の隅々まで観光客が来ている。凄いことだ。
温泉を後に、地元の料理を食べさせてくれる店を宿の女将みから聞き、行って見た。矢張り観光客が来て居て、店は繁盛していた。
翌日朝5時出発。宿の女将が行きは登山口まで車で送迎してくれた。そこからいよいよコースタイム10時間の登山が始まる。登山口の側にキャンプ場があり設備が管理され幾つかのテントが張って有った。そこにも外国人観光客が何人かいた。トイレを済ませ、ストレッチを済ませ、愈々登山開始、少し行った所に第一の目的の名水百選に選出された湧水[甘露泉水」が有りそこで水を補給し、下すら歩くが最初の30分位は心肺機能が余り発揮せず、暫くして心臓も肺も馴染んで来た。が・・・・・・一向に山頂は見えず森林の中を延々とひたすら歩く、海等何にも見えず木々の間を休み休み歩いて居ると登山客の中に外国人観光客が何人か居たので話しかけ、国を聞くとデンマークコペンハーゲンだと言った。最初にオランダ人に会い、温泉でスペイン人に会い、今度はデンマーク人に、日本は今凄い事になっている。そのまま雑木林の中を歩くと、細かい虫の集団が、幾つも有り、そこを通り過ぎたころ肩の部分の8合目に着き、やっと海が見えた。
視界も良く也、大きな木もなく也、日本海も見えドンドン高度を稼ぐが、気温が高く汗の量も多く、3リトルの水が心細くなるが、どこにも水場が無く、少なくなった水を大事に大事に持たせ、歩幅を小さく、なるたけ汗をかかぬ様にし登り、頂きからしまを見下ろし、ゆっくり休み休み降りて来た。3合目で水にたどり着き、たらふく水を飲み、ヘロヘロに也登山口までたどり着き、これ以上は歩きたくないので、タクシーを呼び、宿に戻り其のあと温泉に行き、疲れを取る。
翌日は、花の島の礼文島に出向き、高山植物を見に行くが、時期が遅かったようで花は散ってしまった。この年はラベンダーが時期が遅れ、礼文の花は早く咲き、何時もながら花を見るのも難しい。となれば電動自転車を借り島めぐりに行くがどこも似たり寄ったりでつまらなく、港に戻り店に入り酒を貰い、つまみを貰い、其のあと礼文島温泉 うすゆきの湯に行き利尻に戻る船を待った。温泉から見る利尻富士は高く、あの山を登ったかと思うと、自分にご苦労様でした。と自分を褒めた。船に乗り宿に戻り、遅くまで酒を飲んでいた。明日は家に帰るだけで、待ち時間が多い為有る酒を全て飲みほした。
翌日勝洋女将さんに、お礼を言港に行き、船を待ち時間道理に出港し、時間道理に稚内港に着き、バスを待ち空港へ行きチケットを買おうとして受付に行くと、何と満席と言われ、キャンセル待ちをする事に成った。離陸30分前になれば答えが出るとのことです?稚内空港から羽田は一日二便、然も後の便も満席、後は千歳空港まで高速バスで5時間で行き、千歳からなら便数は多く、席は取れるがバスで5時間?矢張り待つことにした。昔知り合いに、航空機会社の株主さんで、飛行機の事が詳しい人がいた。その人の言う事には、必ず3席は空けて有るはず。とか言っていた。お偉いさんが急に乗ることを想定し、必ず3席は有ると言っていたことを思い出し、待ってい居たら、30分前に放送され搭乗することが出来た。然も前から5番目、窓側・・・・・・隣と隣は空席。矢張りお偉いさんの3席であったのかな?ラキー。飛行機は定刻通りに羽田に着いた。それ以降混む時期はシニア割引での旅は考えてから行くことにした。シニア割引で行かずともLCC航空を使えばよいが、行先が限られる。が 飛行機は綺麗だ。
アメイジンググレイス
勝洋が一人部屋で考え事していた。暫くして考え付いたことは、お坊さんの衣装に坊主の桂、そして歌うはアメイジンググレイス英語で、パーカッションは木魚でやったら受けるだろう。と一人でニヤニヤする。そして親父の形見の紋付き羽織と着物でかみさんにミシンでそれらしく、面白く衣装を作て貰い、後は何処で披露するか?それが問題だ。
前に一度パティでアメイジンググレイスを英語で歌い、木魚でリズムを取ったら、結構仲間から受けたので、バージョンアップをして、桂と衣装で笑いを取る事にした。
後は誰のマネをするか?受けを狙うと設楽、ここはルチアーノ・パバロッティが受けるだろう。と一人でご満悦。
その日からパバロッティのアメイジンググレイスを何回も何回も聞き、口に綿を詰めパバロッティの歌マネをした。それと森繁の屋根の上のバイオリン弾きも同時に、練習をした。今は二人ともこの世にはいないが、私にとっては今でも生きていて、何時も人生の灯りをともす人でこれからも、人生の水先案内人であり、よきみちを案内してくれるはず。人に感化されるも居心地のいいものだ。それが偉大な人ほどいいものだ。
8月収穫祭
勝洋の庭で取れた野菜で恒例の収穫祭パティを開く事に、それと稽古の出来具合を見てもらうために、皆に集まって貰い、披露した。
取れたプチトマトとアスパラガスをベーコンでまき、塩コショウで味付けし、ホイル焼きにし出すと、これは皆が酒のつまみに良いと言い。次にオクラと長芋のぬかずけも好評、次にカボチャの茎の天ぷら、冬瓜と鶏ひき肉の煮物、最後に北海道名物、中山峠の揚げ芋。を まねた揚げいもを出した。先ず芋を皮をむき、適当な大きさに切り、塩ゆでにし、一晩冷蔵庫で寝かせ翌日、パンケーキミックスと砂糖、牛乳、塩、で油で揚げるが、ジャガイモが東京産の為芋がホクホクしておらず、いまいちで有ったが、他の皆は本当の味を知らないため、それなりに喜んで食べてくれた。暫くして酒が回り、練習をした芸を見せることにした。
先ずはパバロッティのモノマネを披露する。口に綿を詰めタキシードを着、アメイジンググレイスを英語で歌い、木魚を叩く。が・・・・ルチアーノ パバロッティを知らぬ者が居たので、ただじっと見ていて、後から質問された。「パバロッティ誰。」勝洋「イタリアのオペラ歌手、3大テノール歌手の一人パバロッティ、ドミンゴ、カレーラス三人がテノールの神様」豊「俺知らないけれど、ドミンゴをやらして」勝洋「やるかい。」吉秀「じゃぁ俺、カラス、だか何だか知らないが、残りのカラスに似たのをやらして。」勝洋「では三人で3大テーノー歌手をやるか。」豊「テーノー歌手なら練習をしなくとも、地で行ける。」吉秀「英語の歌もいい加減にThis is a penで?・・・かい。」勝洋「それらしく、真似てやれば、受けると思うよ。後は何時ものアドリブで?」そして暫くして勝洋がテビィエの真似をし、バイオリン弾き、サンライズサンセットを歌い、登場する。「サンライズ、サンセット、サンライズ、サンセット時は行く・・・・・・・・・・・・・・・」と歌いながら出て来た。吉秀「よーおー待ってました。森繁。」豊「まーあーつぎからつぎえと良く考えるねー?」勝洋「俺の趣味」吉秀「屋根の上のバイオリン弾きか?いいねこれもいいよ。絶対に良い。」豊「流れ石だね。」勝洋「流石、頂きました。星3つですか?」等と何時ものただの酔っぱらい爺の自己満足で平和の極楽とんぼで有った。が…・その後皆が足繁く勝洋の家に尋ねては、練習をした。と同時に3大テノール歌手を調べた足り、屋根の上のバイオリン弾きの歴史を調べたり、陰で以外に真面目に彼らなりに調べた。
リュックサック
勝洋と妻は日曜日に骨董市に出掛けた。すると、勝洋女物の袋帯を見て思い着いた。こんなに沢山の帯が捨てられ行き場がなく売られているのを見て、作った職人さんたちの事を考えた時、何時の時代も、時代に捨てられ行き場のない物に?・・・・・・・勝洋思い着いた事が、こんなに綺麗な日本の美がタダ同然に売られている。
世界にこんなに美しいベルトが有るか?刺繍をシタモノ、文字を書いたもの、絵を描いたもの、全てのものが丹精込めて作ったものを、行き場がなく捨てられる?ならば帯を締めることのできない人も、帯の美しさは他の国の人にも分かってもらえる。寧ろよその国の人の方が日本の美に対して良く知っている。
日本の着物、帯は世界の女性陣の憧れの的。誰しもが来てみたいものだが、着ることが出来ない。故にお見上げで高い帯を買い、家に持ち帰り、テーブルクロスにしたり、壁掛けにしたり、その他色々に。そこで勝洋の思い着きは、帯でリュックサックを作る事を思い着いた。お太鼓の部分を生かし、動く絵を。早速椿の絵の刺繍の袋帯を買い、家に持ち帰りリュックサックを妻に作らせた。案の定妻の愚痴が始まる。それでも出来上がると、満足感が有りそれなりに喜んだ。
ある日の事。勝洋妻が作ったリュックサックを背負い、妻と出掛ける。昼に也、お蕎麦屋に入りお蕎麦を注文をした後で、女将さんがそのリュックサックをどちらで買ったのですか?と 尋ねられ?勝洋「私がデザインして、妻が作りました。」女将「本当何ですか?」妻「私が作ったものです。だから一つしかありますん。帯で作りました。」女将「売っているのですか?」妻「いいえ。趣味で作ったものです。」女将「すごいですね?売ったらいいですよ。売れますよ。」勝洋「作るのは簡単ですけど売るのは難しいですよ。」女将「絶対に売れますよ。」勝洋「値段ですよ!生地代、手間賃、時間給を換算すると、1万は最低出もかかります?そうなると買う人はいません。
女将「そうですかね?」勝洋「そんなもんです。」女将「いい物見せて貰いありがとうございました。」と 言い去った。
妻店を後ににんやり。勝洋「ホラー見ろ褒めて暮れる人がいるだろう?良いものは誰が見てもいいのだ。」妻「今度は私の気に入った柄で創る」勝洋「いいと思うよ」勝洋「もっともっと評価される物を作ればいい。」等と言いながら家に帰る。
その後帯からハンチング帽やトートバッグ、スコップ三味線の袋、ベスト、その他色々なものを帯でリメイクした。
ある日の事、妻と二人で日暮里に布地を買いに行く。色々な店を見て歩き、蚊帳に適した生地を見つけて買ってきて、車内に使う蚊帳を作る事にした。寸法を測り、仕立てフックを付け窓を開けて寝られるように仕立てた。夏は蚊が多く窓を開けて寝られず、閉めると熱くなるため、車内の蚊帳が欲しかった。
基本的に自分たちで出来る事は自分達で作る。その楽しさ、苦しみ、愛着、完成された時の喜び等を味わい、色々チャレンジし、それを楽しむ。
リホーム
次なるチャレンジは家のリホーム。キッチンの床の張替え、流し台の張替え、棚の作り直し、壁紙の張替え、家の至る所のリホームがあった。
ホームセンターに行き、必要性が有るものを買いこみ、道具類は暇を見てはリサイクルショップやフリーマーケットやホームセンターで既に買い揃え、ある程度の道具類は用意して有った。作業の仕方は友人、職人さん、その他の人から見て習、後は自分達の自己満足でやる。これが結構な仕上がりで笑える。直したところを見て貰うと、内のも直してくれないか?と言われることが有る。妻リエは何時も服等の型紙を取っているので、フローリングカーペットなどの型を取るのは好きで、苦にならず勝洋が手を出すと怒った。「私がやるから手を出さないで。」と 言ったぐわい。ここは触らぬ神に祟りなし。と 行った所で勝洋部屋に戻りフルートの練習を始める。
暫くして勝洋作業を見に行くと、相変わらず張替えに夢中。声を掛けると噛みつかれそうでそっと部屋にもどり、今度はバイオリンの練習をした。
出来た頃合いを見に行と、仕事の後かたずけをしていた。仕事ぶりを見て勝洋はいまいち納得がいかず後日改めて、両面テープを剥がしボンドで張替えた。
娘の部屋は娘が自分で壁にペンキで花の絵を描いた。娘マキは二科展で二度の入選を下ことが有り、それなりの絵を描いた。勝洋とリエは絵が描けないため、ベルサイユ宮殿の壁の真似をして、着物を張り付けた。勝洋の父親は着物の仕立屋を営んでいたので、勝洋は生まれた時から着物地を見て育ち、着物の中に居ると妙に落ち着く訳で、父親の膝に抱かれているような何とも言えない安堵感に心の居場所を感じた。
風呂の脱衣場と廊下の壁は、掛布団の生地で柄を合わせ、張り付けた。汚れた壁紙が日本の美に変身。然も壁紙よりも安く、簡単に出来た。数年経ったら剥がし布は又何かに生まれ変わり、壁は又他の柄の生地を探し張ることにする。DIYは昔からどこの国でもやって居たこと。今更取り上げる事もないが、然し今は昔より遥かに安く、早く便利に素人でもリフォームが出来る為に職人さんに頼まずとも出来てしまう、他にもトイレのリフォームは凝りに凝って、壁、棚、トイレットペーパーのホルダーを全てを同じ着物の生地でリフォームした。馬鹿馬鹿しい事は言うまでもなく、馬鹿馬鹿しく面白い。この馬鹿馬鹿しさが人間として生きていく潤滑油に也、馬鹿馬鹿しさが生きる事に活力に成る。他の人から見ればつまらない事でも、好きな人から見ればそれが生き甲斐なのだ。女が好きな人には女につぎ込むことが生き甲斐で有り、光物が好きな人は、光物が生き甲斐で有り、車の好きな人には車が生き甲斐で有り、興味がない人から見れば、何とも馬鹿馬鹿しい事で、何の生き甲斐もなく生きているよりか、何かを好きに也、人生を楽しく、馬鹿馬鹿しく生きた方が人生の後悔も、しないで後悔した人よりも、・・・・・どちらも後悔はするがあなたならどちらの道を選択するか?
御岳
勝洋は一人で奥多摩の山に出掛けた。軍畑で下車し、そこから日出山に向かい、山頂で野宿していたアメリカ人と知り合い、二人同行となり御岳山からロックガーデン、大岳山
に登り、下山途中で風呂に入り、湯上り後ビールで乾杯し、別れ際に又の再開を約束し、新宿で別れた。
一週間後アメリカ人のポールが、勝洋に会いに最寄の駅に着き、再開をし勝洋の家でパーティーを開いた。何時ものメンバーらが自分の楽器を持ち込み、自己紹介をし、其々が得意の歌を披露した。先ずは豊の乾杯から始まり、吉秀の逃げた女房。これが吉秀の振り付けと、歌、身形がアメリカ人のポールには、とても大受け、外国人に大受けするのを知った。次に勝洋は尺八を取出し、カントリーロードを吹いた。するとポールが歌い出し、勝洋のギターで弾き語りを始めた。勝洋は奥多摩の山で知り合い、ポールがギターバンジョー、マンドリンを演奏をすることを聞いて居たので、家に招待しパーティーを開く事を計画した。勝洋はポールにshow me to the placeをリクエスト設楽ら、ポールが喜んで歌ってくれた。その後ポール尺八に興味をもち、勝洋から運指表と使わない尺八を貰い、練習をすることを約束し、又会うことを約束し、パーティーを終えた。
それから数日後に、ポールから郵便物が届く。開けてみると、DVDと手紙が入っており、手紙を読むと、ロサンゼルスで録画したもので、友達とホームパーティーを開いた時のものだと書いてあり、DVDを見ると楽しいパーティー風景を見せて貰った。矢張りアメリカ人は遊びの天才なのかな?家の中にステージを作り、プレスリーの衣装を着、リーゼントの桂をかぶり、プレスリーに成り切り歌い、観客もそれに乗り、盛り上げる。この馬鹿馬鹿しさが何とも言えぬ至福の時で色々なアメリカ式宴会芸を見せて貰った。
その後、DVDを皆に貸し出し見て貰い、今後の出し物のバイブルとして記憶に止める事にした。
ブロードウェイは何と言ってもショービジネスの聖地、それとカーネギーホールは是非とも行って見たいとこらで有る
慰問
ポールも連れての慰問。Long time no see の下北半島じいちゃんに会いに行。勝洋はポールと二人でローハイドをやることにした。1959年から1965年までNET系で放送された西部劇 フランキー・レーンのダイナミックな歌い方で、一世を風靡した歌で日本でも毎日ラジオから歌が流れた。二人はテンガロンハットをかぶり、妻にローハイドを作って貰い、手作りの鞭を持ちステージに上がり二人で熱唱すると、下北半島のおじいちゃんに、大受けアンコ―ルが入り、急遽もう一回やることにした。勝洋はこんなに横文字の歌が受けるとは思っても居なかったので、やった勝洋の方がビックリした。ポールに聞けばカントリーソングの好きな人はアメリカでも受けるらしい。との事。
次に吉秀がスコップ三味線を持って風雪ながれ旅を熱唱。これまた下北半島おじいちゃんに受けた。続いてポールが紋付き袴で尺八でカントリーロードを吹き、その後ギター
に変え弾き語りを披露した。そして最後にぼけを一言「変な外国人」と言った。勝洋からのアドバイス。
次に勝洋は高下駄を履き、ズボンのすそで下駄を隠し、足を長く見せ、石原裕次郎の真似をし、ブランデーグラスを真似て歌った。勝洋は足の短いのをコンプレックスに思い、足の長い石原裕次郎に憧れ、初の裕次郎の真似をした。長いズボンを履くことが勝洋の夢で、子供の頃のあだ名は10円玉。どうが90パーセントと残り10パーセントが足?等と言われ、今度知り合ったポールも足が長く、ここまで来たら短い足を笑いに変えて高下駄で出ると、ポールに偉く受けた。次なるは豊が紋付きと袴を着、手作りの槍を持ち、黒田節をレコードに合わせ踊るが、レコードが古く波を打ち、間延びするは二度歌うは。それに合わせ二度踊るはで、仕込んだネタが大受け、大爆笑をいただいた。勝洋の予想道理に行き勝洋心の中で大喜びで有った。そして最後にポールにShow me the plsceを歌ってもらうと、ポールの詩的な歌い方に皆が感動した。矢張り音楽には国境はない?・・・・・・・・家に帰り、反省会を開く。ポールが『また、きたい。呼んで下さい。」と言ったので、勝洋「of course]ポール「ありがとうございます。豊さん。おもしろかーたです。私にも、おしえてくーださい。」豊「ポールがやれば、もっと受ける事間違いなし。」吉秀「ポールが覚えて、どこかの寄席でやっても受ける事間違いなし。」勝洋「売り出すか?誰かマネージャーをやり営業して歩き、最終目的はアポロ・シアターに。」等と何時ものバカげた話に和気藹々酒が捗る。そしてポールも新メンバーとして皆から歓迎された。そして今後の出し物をポールも加え検討した結果、皆で顔に靴墨を塗り、ルイアームストロングの歌のWhat a Wonderful World をやることにした。そしてポールが女装してベットミドラーのThe Rose をやることにした。そして豊がエルビスのこの胸のときめきを、吉秀が明日に架ける橋などその他色々な出し物が次々と出た所でお開きにした。
築地市場
平日の日にポールが時間を作り、築地市場に行く事を約束をし、築地本願寺じで待ち合わせをし、市場を見学した。勝洋が案内して歩くが、ふと振り返るとポールが居なく、よく見るとずーと後ろで写真を撮り、何やら話しかけ、聞いて居る様子で、確かに色々興味深く見ていたので、勝洋「ゆっくり見て居たら全部見ないうちに店が終わってしまう。」と言い、もう少し早く歩く様に と言い急がすが、又興味深い所で立ち止まり、写真と質問をしていたので、勝洋もそんなに喜んで貰えるのなら、好きなだけ時間を上げた。その後茂助の卵ご雑煮を食べた。ポール「rice cake ]勝洋「イエス 雑煮」ポール「ぞうに、はじめてです。スープがおいしー」等と話をした後、場外を見て歩くと包丁屋の前で止まり、包丁が欲しいと、言い出した。勝洋はここの包丁はプロが使う包丁で高いと言うと、一つはお父さんにプレゼントして一つは自分が使いたいと、言うので買うことにした。後から聞くと前から日本の包丁が欲しかったようで築地に行ったら買うつもりで居たらしく、築地に着たかったらしいが、築地を案内してくれる人が居なかったので来ることが出来ず、やっと来ることが出来たので今日は楽しかった。と言ってくれたので、今度時間が出来たら合羽橋商店街を案内する。と約束をし駅で別れた。
合羽橋商店街
一月後。田原町駅で待ち合わせし、車で合羽橋商店街へ行き、車を置き店を見て歩く。矢張りここでも興味を示し見る物見る物に楽しんで居る様子で、案内する側も遣り甲斐が有った。特にサンプルを見ると眼を大きくし、これサンプルと尋ねて来た。勝洋「イエス」ポール「beautiful] と言い何かを買をとしていた。暫くして寿司のイヤリングと寿司のかけ時計を買い、アメリカの母とイアリングは妹に送るとかで喜んでいた。その後たこ焼き器を見つけ、家でホームパーティーでたこ焼きパーティーを開くとかで、たこ焼き器を買い、その後かっぱ寺〈曹源寺、台東区松が谷」にカッパの手のミイラを見に行くが、予約をしていないため見せて貰えず、止む無くどぜうをたべに浅草に行き、ドジョウを見せ、食べた事が有るかと聞き、食べた事が無いと言うことで、食べて見るかと聞くと?イエスとの事で食べさせると?delicious.と言い上手そうに食べた。
勝洋今度お好み焼きパーティーを開くから来るように誘った。
スーパー銭湯
一週間後にお好み焼きパーティーを開事にした。時間に早く来てもらい、二人でスーパー銭湯に行き、風呂に入る。すると客が少なくポール大きな湯船に感激し、大の字に也湯船にダイブした。そしてニッコリ微笑み、wonderful と言いその後色々の風呂に入り出よとしないので、勝洋は先に出て、ビールを飲んでまっていた。大分待たされ、やっと出てきたら、隣にいた知らない歳折からビールの差し入れが有り、ビールを頂き話をした。おじさんも如何やら楽しそうにポールと話をし、ビールを3本も頂き、ポールもご機嫌に也、家に帰り、お好み焼きパーティーを始めた。ポールに山芋をすらせ、キャベツの千切り、魚介類を入れ、小麦粉、卵、キリイカ、その他色々なお好み焼きを焼き、ポールに喜んで貰い、酔いが回った頃にカラオケボックスに出掛けた。
先ずは豊がイマジンを歌い、吉秀がレット・イット・ビー、幹久がイン マイ ライフを,勝洋がこの胸のときめきを歌い、ポールが上を向いて歩こうを歌いその後も、何曲か其々が歌い、解散した。
暫くして、勝洋の知り合いから、施設の慰問に行ので、助っ人として来てもらえないかと、依頼された。以前にその友人に勝洋が世話に也、今度は助に行番で、喜んでメンバーを、引き連れて出掛けた。先ずは勝洋の鉄板芸のラーメン丼をかぶり、チャイナドレスを着て、二胡で蘇州夜曲を演奏しその後、カラオケで出鱈目な夜来香を歌い、大いに沸かし、ポールによる上を向いて歩こう、豊がサン・トワ・マミーを歌い、吉秀が逃げた女房を仮装し歌と振り付けし、皆を笑わす。その他にも何曲か披露し、お開きに也、勝洋の友人と共に居酒屋行き、乾杯をし楽しい時間を過ごした。
ハゼ釣り
9月も終わりに近づき、ハゼも型が良くなったと思いハゼ釣りをすることにした。ポールの休みに合わせ、勝洋、ポールにハゼ釣りを教え、釣れたハゼを天ぷらにして食べさす事を考え、沢山釣るように教えた。餌は家に沢山いるミミズで釣る事にし、其々が好きなポイン トを探し、散っていく。暫くして、ポールに当たりが有り、竿を上げると、ダボハゼが釣れた。勝洋「これは、食べない。捨てる。」暫くしてポールが30センチ位のミドリ亀を釣り上げた。ポール大喜びで「これ、食べるか?」勝洋「誰も食べない」ポール「ペット、飼、タートル、OK]勝洋「いいけど。入物有るか?」ポール「大丈夫。」勝洋「家に使わない水槽有るけど、持って行くか?少し重いけど。」ポール「サンキュー。いただきます。」等とやり取りをしていた。 勝洋は自転車にのり、皆の釣りの成果を見て回る。すると5寸あるかないかのハゼ2匹と3寸程のハゼが全部で12匹、ボラが1匹、フナが2匹、ボチボチ帰るか?とポールに聞くと「あと30分。釣りたい」ということで、30分間時間を延ばす。残り5分になった時、ポールが[eel.eel,]と叫んだ。勝洋たも網を持ってウナギの下にたもを添え、ガッチリ逃がさぬ様に釣り上げた。勝洋、ポールが何かを持って居る人だと再確認した。そして家に帰り、ポールに魚の下ごしらえを教え、ウナギは妻リエが裁いた。ポールそれを見て、「wonderful 「wonderful ]と連呼した。フナも、ぼらもハゼと同じく天ぷらにし、皆で食べたり飲んだり歌ったり、帰りに、水槽に亀を入れ、持ちやすく梱包しもたせた。勝洋「see you again]ポール「さよなら。また。」と言い帰っていった。
音楽会
一月後、豊から連絡が有る。『田森さんから、ホールを5時間借りられたので、一緒に音楽会をやらないか?と 言われ行くと返事をしといたのですが?行かれますよーね?」勝洋「何時」豊「10月23日。11時から4時」勝洋「今回は秘密兵器を連れて行くか?」豊「ポール」勝洋「その通り。彼に何かをやってもらう面白いことを」豊「では、行かれると、返事をしておきます。それでいいですね?」勝洋「ありがとう。後はよろしく。近い内に会って話そう。じゃねえ。また。」と言い電話を切り、勝洋出し物を考える。勝洋は前々からやってみたい事が二つ有った。一つはジリオラ・チンクェッティの夢見る思いと、ベットミドラーのザ ローズを仮装し、金髪、付けまつげを付け、歌と振り付けで、皆を笑わす事が望みで有った。
翌日からせっせとカラオケボックスに一人勝洋は通った。部屋に入り、夢見る思いを歌うと、遠い昔の事を思い出す。1964年東京オリンピックの年、この夢見る思いが、サンレモ音楽祭優勝曲、当時ジリオラは16歳の新人。早速レコードを買い、毎日毎日繰り返し聞いた日の事を、当時ステレオでレコードを聞く事が何よりも楽しい至福の時だった。レコードをかけるまえに、必ずレコードふきでふき、大事に大事にレコードを傷つけず聞いた遠い日の思い出が蘇る。
そして、次にザ ローズを練習する。この歌は1979年制作のアメリカ映画ローズの主題歌、27歳でこの世を去ったロックシンガー ジャニス ジヨップリンの半生を描いた作品をベットミドラーが勇気付け、そして心に癒しを与えたうた。日本では都はるみが「愛は花 君はその種」で1991年にリリース。
勝洋はベットミドラーのファンで全ての作品を見ていた。この二人の歌をどのように、仮装し、化粧し、イタリア語と、英語を如何にこなすか?
寄席
勝洋とポール日にちを合わせ浅草の寄席に行。二階席の一番前に座り、酒と弁当を食べながら見学をした。ポールは日本に来て、初めての寄席で、生の落語を見るのはとても、日本語の勉強に成ると言い、録音をしたいがそれは無理と教え、只管芸に集中させた。落語は難しく、曲芸や紙切りは反応が早く、講談、漫談は分かりにくそうであったが、楽しんで居る様子でした。寄席を出、手打ち蕎麦屋に入り、日本酒を頼み、生卵の黄身の味噌漬けを、食べさせると?「ワンダフル、デリシャス、」と偉く感激。初めての生卵に感激し、お代わりを頂く。酢の物を頂き蕎麦を待つ。ポール「能舞台は見ないのか?」と聞いてきたので「オーノ」と言って断った。「なぜ、見ないのか?」と聞く『能は難しくて、俺には分からない。」と言って諦めて貰った。すると今度は「歌舞伎は?」と聞くから「一度行ったが、俺は落語の方が好きで、歌舞伎も行かない、行なら英語の説明が有るから、行ったらいい」と教えそばを食い別れた。
音楽会当日
音楽会当日、豊が勝洋の家に向かいにくる。何時ものメンバーに今回は隠し玉のポールを連れてホールに向かう途中で、連絡が入る。もう始まるから直ぐに来る様にとの事。で 直ぐに行と答え10分もしないうちに着き、司会者から一人一人紹介された。遠くは静岡から新幹線に乗り朝早くからこの日の為に来たという。
聞けば毎回楽しみで、新幹線に乗って来るそうで、ご主人を無くし、ウクレレとハーモニカが趣味とかで、最初に演奏をするが緊張がすごくがちがちになっていた。
その後ギター演奏、二胡の演奏、フラダンス、ハモニカの演奏。その後も色々な出し物が続き、休憩が入り、この時勝洋のメイクと仮装し番を待つ。休憩時間が終わり、最初に勝洋の番が来たので出ていくや否や、ドット笑いが起きた。そしてカラオケに合わせ歌う、二曲を歌い終え、着替え、豊の歌の番が来たので、勝洋がドラムを叩いた。曲は泉谷しげるの春夏秋冬を歌った。次にイマジンを歌い、ポールが上を向いて歩こうと、カントリーロードを歌い、吉秀が安奈とロードを歌い、その後も歌と演奏は続いた。暫くして、終わりの時間が来たので、二次会をカラオケの店に行く事に也、参加者の一人がカラオケスナックをやっており、その店に行く事になった。店はホールから近く、店に着くと、乾杯をし直ぐにカラオケが始まり、最初に勝洋が指名され、勝洋。妻リエが居たので、新井満のこの街でを歌った。
其のあとポールが尺八を吹き、カラオケに合わせアメイジンググレイスを歌い木魚を叩いた。すると、田森「誰だ。仕込んでのは?」ポール「私は、変な外国人です。」皆が笑う。ポールもニッコリ嬉しそう。その後皆で次々に歌い、終わり近くに又勝洋にマイクが回って来たので、勝洋「大した男じゃないのに何時もありがとう。吉幾三の別れの時は、を歌わせて貰います。」と言いカラオケの伴奏に合わせ心を込めて歌った。すると誰の歌、何と言う曲教えてと、質問される。勝洋少しでも皆さんに感動が伝われば、こんなにうれしいことは無かった。
田森さんから次の時も必ず来てよね。約束だよ。と言われ勝洋「ありがとうございました。又お声かけてください。来ますから。」と言い妻リエの運転でかえった。
豊「しかし、レパートリーが広いね?色々な楽器を弾き、歌も何曲知っているのですか?ストイックですね。」勝洋「暇だから。何かをしていないと退屈で死にそう」吉秀「分かる。俺も役所に入りたての頃、暇で暇でやることが無く、部長の前の机で昼ねを設楽、嫌な顔をされ、その後は毎日眠く成ると、現場に行って来ますと言い、喫茶店でコーヒーを飲んで時間潰し、小遣いが幾ら有っても足りない。暇はつらいよ。」と吉秀ぼやいた。
豊「俺なんか、休みの日家に居ると、奥さんに有れやれ、これやれと色々言われ、自分の時間が欲しい。たまの日曜日、ゆっくり寝たいよ。」勝洋「人は必要とされて居るうちが花。」豊「私は花の咲かない枯れすすきが羨ましいです。」勝洋「美人の奥さんを貰ったのだから、それくらい我慢しなくちゃいけない。」豊「俺今度、関白失脚を歌おーかな?」勝洋「あれ、長いからな。」豊「長い分だけ目立つ。めだちたいの俺。面白さでは勝てないから、マイクを持ったら1分でも長く持って居れば目立つ。」勝洋「十分目立っている。あなたはおばちゃんのアイドル。憎いよこのばあちゃん殺し、」等と何時もの馬鹿げた話をして家に帰宅。
クリスマス会
11月半ばに、施設から今年もクリスマス会を開きたいので、来ていただけるか?との連絡が有り、勝洋喜んで伺いますと答えた。が何をやったら良いか、何も考えて居なかった。行くからには去年より更にバージョンアップを考え、着ぐるみ、仮装、雪、その他色々の事を考え、実際それが出来るか?が問題だ。後一月ちょい。で どこまで出来るかが問題。出し物としては、ジョンレノンのハッピー・クリスマス ビングクロスビーのホワイト・クリスマス、アメイジンググレイス、アベ・マリア、きよしこの夜等。どれをやれるか?アベ・マリアときよしこの夜とアメイジンググレイスの譜面は有るが、そのうちの一曲に選択し、歌はハッピー・クリスマスかホワイト・クリスマスのどちらかに洗濯し、練習をすることにした。
後日皆が都合の良い日に来てもらい、今年も去年と同じく施設からクリスマス会を開くに当たり、是非クリスマス会を盛り上げて欲しいとの事で受けた訳で、12月22日午後2時より4時までの2時間。都合の悪い人は?今のとこら誰も居ない。後は先の事だから生きているかが問題だ。と勝洋何時もの詰まらない冗談を言う。吉秀「俺生きて居られるかなー自信ないなーひ弱だから。」勝洋「貴方が一番長生きする。間違いない。誰からも香典貰えない。そんだね。」吉秀「俺、生きてるうちに葬式やっちまう。明日にも?」豊「俺も生きている内に、後まで宿題を残さないように、生きてる内に。」勝洋「馬鹿な話はそれ位にして、やる事決め手ネ。人に感動か笑いかどちらかを。期待しているから。」吉秀「笑点風に、なぞかけとか、お題を決め、一言、とか、お年寄りと二人羽織とか?」勝洋「それいいね。なぞかけ。二人羽織。良いかのね?」豊「それにきめましょう。他に考えても大した答えは出ないのだから。」勝洋「そうだな、それに決まり。決定。一件落着。」その後解散し、各自が出し物を考え、競居あうことに努力した。
高尾山の紅葉
11月20日頃が高尾山の紅葉時期で、勝洋カメラを持って紅葉の高尾山に行。終点高尾山口駅で下車し、駅前広場を右に少し川沿いに行と、見事な紅葉が有る。
午前中は絶好の逆光、紅葉の写真は順光よりも、もみじの葉の中に入り、葉の裏側から太陽に向かい取る方がより綺麗に映る。そのポイントが駅からすぐの所に有る。但し晴れて青空の時。次に向かうは高尾山薬王院の紅葉で有る。然しカメラマンが多い。次に向かうは紅葉台に行。ここの楓は葉が大きく、夕日に染まる紅葉はとても綺麗で勝洋は毎週天気を見ながら写真を撮りに来る。その後温泉に行き、入浴後一杯やり、うつらうつらしながら家に帰る。
それと最近、山で蛇を見かけない。聞くと何でも山にイノシシの餌が無く、マムシでも他の蛇でも何でも食べてしまうそうで、高尾山には猪、タヌキ、ハクビシンは見た事が有る。
家に着くと、暫くして吉秀からの電話が「もしもし、かつちゃん、次の出し物、俺ザ・ロネッツのBe My Babyt とシュプりームスの恋はあせらずを、やろーと思うのだが、どうだろう。」勝洋「てことは、俺と豊に手伝え、て ことか?」吉秀「話が早い。其のとうーり。」勝洋「てことは、黒く塗る。」吉秀「そのとーり」勝洋「口パク。」吉秀「いや。俺がセンターで歌う。」勝洋「では、衣装はクリスマス色の赤か?ド派手にサテンの生地で、日にちが余り無いから、裏地無で寒いけど我慢。」吉秀「歌はばっちり覚えるから。」勝洋「一番受けるかもね?」吉秀「だといいのですけど。」勝洋「期待している。頑張ろう!」と言い電話をきり、豊に電話を入れ、その旨を話、了解して貰い、出て貰う。
翌日エリと二人で日暮里に行き、安い赤のサテンの生地を買い、先ずは勝洋のミニのドレスを作り始めた。
暫くしてドレスが出来上がり、勝洋が試着して見る。鏡の前に立ち、自分を見る。勝洋「靴下は、網タイツか?髪はロン毛の黒、顔と見える部分は黒く塗り、後はバックで踊りとコーラスか。」リエ「どお。これでいい?」勝洋「良すぎる。モット不格好の方が、笑える。まあーこれでもいいけど。」リエ「不格好に作ると私が恥かしい」勝洋「笑ってもらう為に行くのだから、笑ってくれたら最高だ。」リエ「あとの二人の寸法を明日にでも。」勝洋「今連絡しとく。」と言い明日来てもらい寸法取りとデザインを聞くことにした。
次の日の夜、先に豊がやってきた。勝洋のドレスを着せた。すると豊「俺のは、もっと胸を開けて、胸に詰め物沢山入れるから。靴下は真っ赤な色で、首に内の犬の首輪をつける。髪は黒のおかっぱ頭。それでどお」勝洋「お好きなように。」と話をしていると吉秀が「こんばんは」と言い入って来て豊を見るなり、大笑いする。吉秀「この格好で出れば歳折みんな吹きだす。歌要らないかも?」勝洋「はい。お次貴方の番。服を脱いでドレスに着替えて、寸法を測る。」吉秀「内に嫁入り前の娘が居る。これで一生嫁に行けない。」勝洋「出たり入ったしなくてすむ、これで安心。」吉秀「俺のはこのドレスよりもっとシンプルにして長めに。何たってセンターで歌と振付。私が主役。主役を食う様な事はしないで。でも食われそう。」リエ「余りシンプル過ぎても面白みがないのでは?」吉秀「あくまでも歌で勝負。毎日特訓中」勝洋「俺も良く、youtubeを見て振付を見ているが、ひな壇の上で水着の様な服で踊って居るギャルが居るが、あれ真似たらドカンと受けると思うが?」吉秀「受けるの間違いない。前に椅子から転げ落ちて笑わせたことも有ったが、笑い過ぎてだれも歌を聞いて居ない。今回俺、主役。くれぐれもよろしくお願い。」リエ「出来たら一度仮縫いする。」豊「いいですよ!みんな分かりはしないのだから。あとは適当に。」等と言い帰って行った。
翌日勝洋は日にちも迫りつつ有るため、出し物を決めた。アベ マリアはフルートで演奏し、歌はハピークリスマスに決め、特訓に励んだ。
本番当日
施設には1時半に行き、トナカイの着ぐるみを着、発泡スチロールでこさえた雪をざるに入れ、竹棒に吊るし上から降らす。余り良い出来ではないが、この方が可笑しく笑えたので、納得し本番に挑む事にした。
2時に也、いざ本番に也、早々に挨拶を済ませ、先ずは勝洋のフルートに寄るアベ・マリアを演奏。次にハピークリスマスを熱唱し、豊がきよしこの夜を弾き語りで歌い、吉秀がホワイトクリスマスを歌う。勝洋、着ぐるみを着、豊、雪を降らし、リエ、鈴の音を鳴らし、旭、照明を落とし、幹久がダンボールでこさえたソリに乗り勝洋トナカイが、それを引く。吉秀本日初の主役。をバッチリ決め、拍手喝采を浴びる。本人もご満悦そうであった。
その後旭に司会を任せ、三人は仮装に行。先ずは肌を黒く塗り、真っ赤なドレスに身を包み、桂をかぶり、付けまつげを付け、子供だましの首飾りと、豊、犬の首輪を付ける、真っ赤な口紅を付け、いざ本番に出る。旭照明を落とし、真っ暗なステージに幹久が三人を案内し、旭がライトを当てる。と思っていたどおり爆笑が。そして吉秀がセンターでビー・マイ・ベイビーを歌うと、豊が今までに見せた事がない、ダンスを披露する。と観客は一同が豊に目が移動し、笑いが起こる。吉秀、一瞬やられたと思い、演技を派手にした。次にシュープリームスの恋はあせらずを吉秀、熱唱した。三人が下がり、着替えに行き、幹久がマイクを持ち、お年寄りと、童謡を歌う。これも毎回受ける。月の砂漠、花嫁人形、浜千鳥、等を歌い、着替えが済み、第二部のお笑いのタイムに。なぞかけを最初にやることにした。先ずはお題をスタッフから聞く。スタッフ1「勝洋さん?」吉秀「勝洋さんと掛けて、梅雨時と説く、そのこころは、何時も降られっぱなし。」旭「上手い、煎餅一枚」幹久「勝洋さんと掛けて、重い荷物と得。その心は女には持てねだろ。」旭「上手い。一枚」 勝洋「勝洋と掛けてダイヤモンドと、得、その心はどちらも女だったら欲しがる。」旭「ダメ、顔に墨」勝洋「帰ったら、酒なし。」旭「煎餅二枚」等と笑いを取り、次にお年寄りと組み、二人羽織をやる。これまた大いに沸かす。次なるは勝洋のバイオリンに寄る。音真似を披露した。先ずはバイオリンの開放弦のラとミを弾くと。ラミラミと繰り返すと、救急車のピポピポと聞こえる。お年寄り、クスクス笑い、次に勝洋「今度は、猫がトタン屋根を滑り落ちる音」と言い、弓でゆっくり弦にしっかけ弾く。ギィーギギギーと猫が爪を立てトタン屋根を滑る音がする。するとメンバーもスタッフもお年寄りも笑った。
そして最後に勝洋、タキシードに着換え、吉幾三のありがとうの唄を熱唱するとお年寄りの女性、何人かが涙を浮かべ拍手した。帰りに又来てくださいと、多くの人から言われる。
帰りの車の中。豊が「流れ石だね?最後にいいとこ、持って行ってしまう。俺のダンスは何だったんだ。一生懸命に練習をしたのに?」吉秀「流石、遊び人最後に泣かせる何て、憎いよ。この年増泣かせ。今日はウヰスキーストレイトでごちに成る。散々歌練習をしたのに、最後にいいとこ持って行かれた。いい勉強になりました。」と言い家に着くと、用意しておいた酒で乾杯し、冗談が始まり和やかなパーティーが始まる。
氷柱花
クリスマスも終わり、今年も残すとこもう僅か。勝洋、高尾山薬王院に、一年間、遊ばせて頂き、お礼を言いに出掛けた。お参りの後はもう一つの楽しみが、この時期に見られるかもしれない、氷の花が出来る。それを楽しみに気温がぐんーと下がった、良い天気に出掛ける。雨が降っても、雪が降ってもダメ、兎に角気温が低く、晴れた日が良い。霜柱の花です。その為気温が上がると、解けてしまう、儚い寿命で枯れた植物が、水を吸い上げて出来る自然の芸術品を写真に、収めたく日の当たらぬ北斜面を見て歩く。とはいうものの、毎年出来る場所は決まっている。近年都心では霜柱を見ることも、霜柱の上をザクザク歩くことも無い。昔は学校の校庭も冬に成ると、良く霜が降り、朝の内校庭が霜でバリバリに也、日中に成ると、霜が解けてぐちゃぐちゃに也、田んぼの様に成った。それが小、中の思い出で有る。目当ての場所に来てみたが、氷の花は有ることは有ったが、写真に取るほどのものは無かった。これも自然又年明け5日過ぎにでも、新年のお参りに来た時にでも、又見に来る事だし、温泉に入って帰る事にした。
年が明け、七草も過ぎ、鏡餅も壊し、細かく砕き、日向で干し、揚げ餅にして、新年会を開く。皆の都合を聞くと、10日が良いとの事で、10日6時で決まり、各々が酒を持ち込み、新年の抱負と希望、新ネタ、その他気が付いた事を言い合い、慰問先で喜んで貰える様に、誰しもがボランティア活動に恥を捨て、夢中に成れる喜びを皆が持って居た為、もめることもなく、お年寄りから生きるすべを教えて貰い、今日に至るわけで、私たちが今日、平和で贅沢に生活が出来るのも全てが、みんなお年寄りのお陰で有る。と勝洋は思い、皆に協力をして貰い、今年も健康で有るよう、山登りと歌と花と野菜作りをし、自分が耄碌ないように頑張って慰問に行。勝洋先ずは今年の出し物を話す「今年早々、下北半島のおじいちゃんに会いに行くので出し物が、すみだ川にしょうと、思うのだが、協力して貰えるかな?」豊が「どんな事をすればいいの?」勝洋「豊ちゃんが、まるいメガネをかけ、直立不動ですみだ川を歌い、吉秀ちゃんが田中絹代の台詞を。」吉秀「あの、あなたが二十歳、私がイタチ?のあのセリフ?」勝洋「そう。あなたが二十歳、私がイタチ。そして俺が、女ものの着物を着て、踊る。これどう」豊「俺は良いけど。」吉秀「俺田中絹代みたいな、女の声でないよ。」勝洋「敏ちゃんなら出来る。めっぽう色っぽくやれるはず。」吉秀「じゃあやりますか?俺も日本髪かつらをかぶり、お化粧し、紅を付け、色っぽく、下北じいちゃん口説いてみたい?」勝洋「じいちゃんビックリして死んじゃったら大変、やるなら死なないていどに頼む。」吉秀「お熱いのがお好き、見たいに、逆に口説かれたらどうしょう?」勝洋「その時は、映画の様にすればいい。」吉秀「財産が入ったら、皆にやらない。俺。独り占めする。」等といっもの場合羽話に花が咲き、今年も相も変わらず皆の健康と幸せを乾杯し、豊に寄る乾杯を皆で歌い新年会を閉めた。
梅の花
昨年12月20日に紅梅が一輪花が咲き、元旦には5輪の花を付け、10日に成ると紅白で15輪の花が咲き、20日に成ると、紅梅が終わり、ピンクの梅が咲き、来月20日頃に成ると、南高梅が毎年見事に花を咲かせる。知らない人が写真に撮ったりして暮れたり、嬉しい限りです。他にも花が咲いているときに、見知らぬ人から、何時も綺麗に咲かせますね?と言われると、お袋の楽しみは、これだったんだと知らされる。人に癒しを、花が人の心を感動させてくれる。私たちは音で人に感動を与えようと頑張るが、花は無言で人に感動を与える。料理人は美味しい物を作り、感動を与える。人それぞれに感動を与え、生きていく励みに精を出す。感動に乾杯。
そしてこの寒い時期に土作りに励む。この時期仕事がしやすい、良い土壌が出来れば後は、綺麗な花が咲き、野菜も出来る。故に公園に行き、枯葉を大量に貰い、米糠を貰い、鶏糞を貰い、貝殻を入れ、後で工藤石灰を入れ、なるべく中性に近づく様に、リトマス紙を使い土を見る。小学生の理科の実験結果の要で以外に楽しいものである。これからの時期木瓜の花が咲き、椿、桜、などが次々と咲くので、辛く寒い冬も花に力を貰う。
日舞
勝洋、次回に備え日舞の練習を、youtubeやテレビで見て習、蒲鉾板に家元勝洋流日舞とし、玄関に飾り、受けを狙った。
先ずは5分で学ぶ日本舞踊の基本、日本舞踊花柳流教室、藤娘坂東流、夜桜お七、等色々見、あとは一ものアドリブと適当プラスお笑いを交え、役に成り切る。
ここが勝洋の特技。何となくまとめ上げる。不思議なことに先生に付いて習うより、独自でやる方が上手い。何と不思議な人である。子供の頃から落語、演芸、ダンス日舞、詩吟、浪曲、等のレコードが有り、雨の日に兄と二人で蓄音機をいじり遊んでいた。帰らぬ遠い思い出。良く喧嘩をし、口を利くものかと思うが、直ぐに口を聞き遊ぶ、今生きて居たら酒を飲み、喧嘩をし又一緒に酒をのみ、あでもない、こでもないと言っては小さなことで言い合い、馬鹿だ、チョンだと言ってもめる。兄弟ていいな。我が家の人間は先祖代々芸事が好きな家系図である。
妹も母親の影響で日舞を習、娘道成寺、八百屋尾お七、藤娘、手習子、お祭り、と言ったことを発表会と題してやって居たことを思い出す。今思えば母親の貧乏人の女の夢であったはず。綺麗な着物を着て、日本髪を結い、白く塗り、紅を指し、人前で踊ることが母親の夢で有ったはず。そんな日舞を勝洋流のコントで、新年会の慰問先の施設でバッチリとやることに。
勝洋、すみだ川を演じる前に、東海林太郎の名言集をyoutubeで見て納得。流石に東海林先生長い間、歌の世界を生きた人。今も久保田城に銅像が残され、秋田人の誇である。それをどお演じるか?が・・・・・・勝洋の見せどころ。
慰問新年会
遂に来た。新年会の初踊り。めくりにすみだ川と題して、カーテンが開き、勝洋が仮装し、後ろ向きでしゃがむ。伴奏が始まり、ロイドメガネを掛けた、豊が直立不動で歌い出す。それに合わせて踊り出す。流石好きこそ物の上手なれ。と言った具合に中々堂に入る。しかし台詞で吉秀緊張の余り、声がひっくり返り、ドット笑いが起き勝洋つかさず、ユーモアを入れ踊る。と更に笑いが起き、終わると思って居た以上に拍手喝采に也、怪我の功名に也、家に帰ると、皆で大笑いした。人間万事塞翁が馬で有った。勝洋これからも楽しく失敗を恐れず、直ぐにリカバリして、見ている人からはこれは芝居だと思わせれば……それはすごい。それにはドンドン失敗して場和夫踏むしかない。と言い乾杯を。いつもいつもプラス思考の反省会で有った。
お寺からの依頼
近年お寺離れが深刻に也、特に若者が寺に余り来ぬ様になり、墓じまいや、無縁仏に成る傾向も有る。それは色々な理由「わけ」が有り、やむを得ず寺に来ることが困難に也、寺離れが深刻なことになっている。その他にも寺離れの理由は有る。そこで勝洋達の慰問活動を何処かで聞き、寺の大広間で何か余興をやってもらえないか?と・・・・・頼まれた。勝洋も近い内に寺に行事だし、ご先祖様も世話になって居ることだし、何か役に立つ事ならお手伝いを、させて頂きます。と返事をし、日にちと人集めをして貰い、お上人の法話と、お上人が若い時にギター演奏をしていたと言うことを聞き、一緒にコラボを考え、勝洋の案でベサメムーチョと吉幾三のありがとうの唄とこの街でを、歌うことにした。お上人も人前でお経を読んだり、お話をすることは慣れているが、人前でギター演奏をし、歌う事はしておらず、その日から特訓を始めた。スペイン語でベサメムーチョを歌う事に、少しばかりの恥じらいが有るようで。ベサメムーチョとは沢山キスして、と言った意味で、お上人としては、恥ずかしいと思われ、最初は乗りきではなっかた所を、クラッシックギターの腕と、お上人の声の良さで勝洋に押された。勝洋は普段お上人の堅苦しい性格が、若者や子供がとっつきにくい、親しみ憎い、特別の人で有り、気軽に話せず、相談にも生きずらい、近寄りがたい存在で有るがため、勝洋の思い切った考えで、親しみ易いキャラに変える事にし、何でも相談に行ける明るいお寺になるように考えた。
法話とコンサートと題して、日曜日の午前10時から始めた。お上人の挨拶そして法話、そしてコンサートが始まる。先ずはベサメムーチョから、メインボーカルをお上人が歌い勝洋と豊がバックコーラスをやることにし、ソンブレロをかぶり、ポンチョを着、黒いテープでもみあげを作り出ていくと、普段のお上人とは違い、ドット笑いが起き、親しみ易く、好感度を上げた。 歌い出すと普段から毎日のお勤めでお経を読んでいるので、声が通り腹式呼吸で鍛えた歌は中々のもので、歌が終わると沢山の拍手喝采で、お上人もにんまりして嬉しスであった。次にありがとうの唄を勝洋が歌い、この街でを皆で歌い盛り上げた。すると観客の中から、歌いたいと名乗りを上げてくれた人がいて、歌って頂くことに。生まれは岩手出身歌は南部牛追い、聞けば民謡大会で二位を取ったとか?上手いはずで有った。次に中年の女性がオカリナ演奏を、曲は故郷。お寺で聞くオカリナの音は、心に響き癒しとなり、来た観客も又来たいと言う気持ちにさせた。そして最後に勝洋、お上人に衣装を借り、坊主の桂をかぶり、木魚うを叩きアメイジンググレイスを歌った。すると皆に大受けし、アンコールがあり二度目はお上人にやってもらうと更に笑いが起きた。
そして最後にお上人から終わりの挨拶が有り、又何時かコンサートを開きたいので、そのせつは色々な方をお誘いしてきていただくようにお願いします。本日はお忙がしい中来て頂き本当にありがとうございました。と挨拶が有りコンサートを終えた。
ロシア音楽
勝洋次なる挑戦はロシア音楽に決めた。黒い瞳、百万本のバラ、カチューシャの三曲に決め図書館に行きCDを借り、歌詞はコピーを取り、練習をすることにした。
勝洋は以前からバイオリンの練習曲として、カチューシャの譜面は持っており、ギターとバイオリンで弾いていた。カチューシャは勝洋が若い時に、アル・カイオラ楽団がエレキギターを取り入れ、編曲し一世を風靡した。ロシア歌曲。youtubeで調べるとカタカナで歌詞が書いてあったので、勝洋は写し取り、練習をした。
百万本のバラはロシアのアラ・ブガチョワが歌ったオリジナル曲で日本では加藤登紀子が1987年にヒットさせた。ラトビアの悲劇の歴史が描かれた歌謡曲を勝洋が仮装し、歌う事に挑戦する。何時もながら選曲は良いが?果たして結果は・・・・・・・?先ずは、黒い瞳をギター演奏で弾き、歌はデュエットで伊藤久雄と黒木曜子風に。カチューシャはバイオリンで弾き、歌はロシア語で、百万本のバラはロシア語で歌い、衣装は仮装してやることにした。youtubeで歌詞をスマホで移し、必死で覚えた。が アラ・ブガチョワには程遠かった。
ある日の事豊、が勝洋の家に尋ねて来た。話しによると木場公園で有った、女子チームから「カラオケパーティーをやりませんか?」と連絡が有り、来たわけで?勝洋「日にちは何時?」「決まってないそうです。」勝洋「場所は?」豊「うちらで決めていいみたい。」勝洋「なら簡単。いっもの店でどうだ。貸切で?」豊「俺もそう思い、それらしいことは言ったんだ。」勝洋「俺今、ロシア音楽にハマっていて、何処かで披露しょうと思って居たとこ。これで発表する場所を得た。一丁やったろかい。面白く成って来た。明日から特訓だ。」豊「今度はロシアですか?何時もながら良く次から次干支気が付きますね。見上げたモンだよ勝ちゃんふんどし、だね?」勝洋「そーよ。おいらのふんどし錦の袈裟でできている。そんじょそこらの屋根やのふんどしとはちょいと違う。」豊「大したモンだね勝ちゃんのふんどし」勝洋「あたぼうよ。」豊「なんですか?あたぼて?」勝洋「じれてな。当たり前べらぼめをちじめて、あたぼよと言うの。」豊「勉強にならました。然し余り役にはたちそうもないですね?」勝洋「そんなにおいそれとは役にたたん。俺なんか何の役にも立たず60年以上生きて来た。そこで今少しでも人の為に何か出来るかと思い、ボランティアの真似事を?」豊「人の事言えませんね?私も自分と家族のことしか出来ません。ボランティア活動も自分が好きで、歌いたいからやっていることで、自分が一番楽しんで居る」「それで、いい荷駄。自分が楽しくなけらば他人も楽しくない。」等と話、夜も遅く也帰って行った。
パーティー当日
11時半には全員が集まって久し振に挨拶を済ませ、12時に也乾杯をし、豊が音頭を取り先ずは乾杯の歌を歌い、次に女子チームが二人で、手作りの衣装でピンクレディの歌と振り付けでにぎわした。かなり色々な所でやって居るようで、中々道が入ったもので、男子チームは見とれていた。次も女子が鼻を黒く塗り、北島三郎の与作を歌う。勝洋。この人結婚しているのか?していないのか?気になった。多分未婚だと思った。然し慰問の時に一緒に出て暮れたら良いキャラしていると思い、歌が終わると、勝洋話し掛けた。すると直ぐにOKがでた。吉秀の番に也、エルビスプレスリーのこの胸のときめきを、を歌い、幹久があなたのすべてを歌い、女子がキャンディーズの春一番とザ・ピーナッツの恋のバカンスを歌い、豊が長渕剛のとんぼを歌い、勝洋の番が来た先ずは、バイオリンでカチューシャを弾き、二番を日本語で歌い三番をロシア語で歌った。流石人のやらないことをやると、人は一目置かれた。次に幹久が女装して、みだれ髪を披露した。が歌が下手でリズムも外れ、そこが逆にバカ受けをし、拍手喝采に成る。勝洋やられたなと思い、念入りにバッチリメイクをし、付けまつげを二枚付け、胸も二重に盛り、特注のドレスを着、力が入り愈々本日の18番の百万本のバラを披露した。すると誰もがききほれてシーンと也、歌い終わると、拍手喝采に也アンコールが起きた。そこで勝洋が用意して来た黒い瞳をギター演奏と歌とを披露した。すると皆が立ちあがり拍手を贈った。勝洋皆に感謝しお礼を言い、最後に我が良き友よを合唱し、パティを閉めた。
アビーロード
店を閉めた歳、妻が胸の腫瘍を取る手術をした。結果はOK一安心。この三年毎年誰かが入院した。勝洋身も心もズタズタそんな時どうしても行って置きたい所が有った。
そこはアビーロード。勝洋の青春時代。1966年6月29日遂に日本にやって来た。午前3時39分ものすごい勢いで日本中が祭り。勝洋16歳もつべきものは友。考えもしない所から偶然にビートルズのチケットが4枚手に入り武道館公演に行く事が出来た。夢の30分何が何だか分からない内に終わってしまった。本当に夢の様な出来事であった。
その夢の続きを、妻の快気祝と勝洋の亡き兄と亡き友を忍んでアビーロードに行。
そこはビートルズの聖地、三人の家族ずれが横断歩道で写真を撮影していたので、勝洋家族三人の写真を撮ってやる。すると皆で撮ろうと言われ、ご一緒させて貰い、話をするとアメリカから来たという。ニューヨーク生まれで、子供の頃にニューヨークでコンサートを見たと言う。歳も勝洋より一つ年下で、大のビートルズフアンで話が弾み、その後ロンドンの町を一緒に観光したり食事をしたり、ハードロックカフェに行き、ジョンレノン直筆のイマジンの詩のメモを見た。
流石天才直筆のメモを見て分かった。何か偶然に天から降りて来た言葉を、近くに有ったメモにスラスラと書いたと思われる直筆のメモ、卑しいかな、このメモ、オークション に出したら,いくらで落札されるかと考えた。嫌ですね?貧乏人の考えることは。然しあの名曲がこんな小さなメモ用紙にスラスラと思い浮かんで書いたとは?その他日本に来た時の日本航空のハッピーも懐かしく思い。その他にもスターの使用したギターなどが沢山展示されていた。
その後マイ・フェア・レディの舞台コベェントガ―デンに行き、見学した。夜に也、アメリカ人の子供デュロウがお腹が空いたと言うので?何が食べたいか聞くと、ワンタンが食べたい。と言ったので、ロンドンに有る中華街に誘い夕食を食べ、連絡先を交換し、プレゼントを贈る事を約束し、明日はお互いに帰国。いつかニューヨークで会える日を約束し、別れた。
日本に帰り早速リエ、お手製の世界に一つの袋帯でこさえたリックと着物で作ったドレスシャツ、帯で作ったハンチング帽、その他柿の種、日本茶等を贈った。
暫くするとアメリカ・デラウェアからマイク・プライスが色々な物を送って暮れた。その中に何とビートルズの日本武道館公演のDVDが入って居た。その他にも記念アルバム、その他ビートルズのグッズ等色々な品が入って居た。
勝洋直ぐに海外文通と海外分通ハンドブックから文章を抜粋して文章を作り、エアーメイルで送ると、今度はエアーメイルで長文が届いた。
勝洋頭が痛くなる。辞書を引き調べるが、分からない単語が有り四苦八苦する。そんなやり取りを何回かしていると、娘がニューヨークへ行と言う。そこで勝洋娘がニューヨークへミュージカルを見に行と、手紙を送ると、いつ来る?ホテルは何処?名前は?年は?等と書いてきた。そこで娘の写真とホテル日にち、を書いて送ると、ホテルに向かいに行と言う。そしてディナーを一緒に行こうと誘ってくれた。娘も大喜び、ニューヨークに一人旅。誰も知り合いも無く、言葉もろくに出来ず不安ばかり、そこに来てのアメリカ人の知り合い、勝洋プライスファミリーに感謝致します。と手紙と贈り物を贈った。
ニューヨークで
ニューヨーク一人旅。着いた翌日の夜6時に、プライスファミリー三人がマキの部屋に迎えに来てくれた。そして予約をしておいた店に招待され、ステーキをご馳走に也、会話が弾む。『ドュロウ・プライス8歳、この子は可愛い男の子。明るい物怖じしない性格。マキにとっての良き先生」ドュロウ早口で一人、しゃべくりまくる。
マキひっひで聞くが、初めてのアメリカ人の会話のスピードに仰天。すると父マイクが分かり易くスローテンポで優しい英語で話をしてくれた。マキ、ドュロウ8歳に 圧倒的に感化される。ドュロウの習い事、空手道、ギター、ドラム、ピアノ、ボーイスカウト、アイスホッケー等多彩な習い事。ギターテクニックは子供ながらプロ級。父マイクもドュロウに大きな期待を持って居た。食事の後音楽を聞きに行き、ワインを飲みながら、マキの趣味を聞いて貰う。先ずは絵、映画、音楽、カラオケ等を紹介するとドュロウが描いた絵を見たいと言われ、帰ったらドュロウに描いて送る事を約束し、ホテルまで送ってもらい、今度は家族で来いと言われた。2週間の旅も終え、帰るや否や英会話教室に通う事に成る。マキにとっての初の先生に感化される。時間を見て和、マリリンモンローの似顔絵を描く。出来上がるとそれとドュロウのステージ衣装を勝洋がデザインし、リエが縫製した。リバーシブルでスタンドカラーで表に大きな音符の絵が、裏には細かな音符の絵が、ひざ下20センチの長めのステージ衣装を作り、それと勝洋が手作りの大きな絵皿と、日本の絵ハガキ、切手、日本茶等を入れ、それと大事な礼状を書き、贈った。
すると然程日にちもたたず内に、エアーメイルが届く。又もや長文。辞書を引いたり、ヤフー翻訳で調べたり、知り合いのポールに聞くが、余り日本語が分からず苦労する。然しドュロウのからのマキ宛の手紙に、絵が上手い、続けて書くようにとの文が書かれて有った。8歳ドュロウ先生のお言葉。その後何年かして本格的に絵を描き始め2度二科展で入選した。夢はあきらめないこと。
ビデオレター
次なるレターはビデオ。これなら分かり易いと思いビデオを編集し送る。暫くして贈り物が届く。ビデオレターと文章に寄る質問が。ビデオは分かり易く、住んでる家
、家の中、親子でのギター演奏。親戚の女の子の歌。これが凄く上手い、いい声。ドュロウがプロのミュージシャンと共にステージに上がり演奏。兎に角圧倒される。 因みにマイク・プライスの仕事はアメリカのトヨタで仕事をしている。生まれはニューヨークの島で生まれたとか。妻シンディの生まれがデラウエアとか。ドュロウは遅く出来た子とか。可愛いのが良く分かる。それにドュロウが良く答える。素晴らしい家族である。
その後もちょくちょく手紙やらはがきやら、DVDなどもやり取りを繰り返す。本当に有難い友で有る。
そして遂に勝洋ファミリー3人がニューヨークで会う事が出来た。時間道理にホテルに会いに来てくれた。マキがフロントに行と時間道理に来た。其のあと部屋に来て貰い。お見上げの交換をし、日本茶を出し30分程会話をし、マイクが予約をしておいた店に行き、ディナーを食べ、その後ミュージカルのオペラ座の怪人を見に行った。
次の日、マイクがニューヨークの町を案内してくれた。勝洋がメトロポリタン美術館に行きたいと言うと、今日は休館日と言ったが、中に入れずとも外観だけでも見たいと言い。案内して貰いその後、セントラルパークに有るストロベリー・フィールズ・フォーエバ。メモリアルモザイクの「イマジン」ジョンレノンの記念碑を見学した。其のあとマイクがジョンレノンが射殺された現場を、案内してくれた。何とも言いようのない寂しい気持ちに成る。ジョンレノンが好きすぎた結果の事。
何とも言えない複雑な気持ちに。その後公園の中を歩き映画で見た場所や桜や、リスを見た後、のども乾き、少し疲れたので、ニューヨークで一度泊まることはできないが、お茶位なら出来ると思い憧れのホテルプラザホテルに行。因みに映画ホームアローンの舞台になったホテル。映画の最後のシーンで父親がケビンのホテルの明細書を見てケビンと大声を上げる。其のとうーり6人でイングリッシュティのセットの料金が一人約日本円で4500円お茶で良かった。その後も色々な所に案内されたがB.Bキングブルースクラブ&グリル。スタジオに案内されランチをご馳走になる。その後も色々な所に案内され夜はレストランに誘い、その後ジャズ聞きに行き、ホテルまで送ってもらい、マイクも仕事が忙しい為翌朝早く、客との待ち合わせに帰った。勝洋家族一生涯忘れる事の出来ない良き旅行をした。 家に帰るや否やマイクに電話を入れた。そして礼を言いまたいつの日か会える事を楽しみに電話を切り、プライスファミリーの服の寸法を聞いたので、着物地でドレスシャツを作り送ることにした。
最後の家
勝洋、最後に入る自分の個室を作る事にした。萩から土を取り寄せ、手びねりで作る事にした。先ずは土を菊練りし、底に成る部分を平らに伸ばし、焼きあがると2,3割がた縮むので大きめに作る。其のあと粘土を紐じょうに伸ばし、そこの部分から張り付けるように、巻き上げて、上に上にと巻いては張り付け、スキマの内容に先ずは壺を作り、蓋を後から作り、暫く乾かす。其のあと素焼きをし、其のあと釉薬を塗り、本焼きをする。
暫くして、焼き上がりを見るとなんと、釉薬が流れ、壺の部分と蓋の部分が釉薬の流れたことで蓋がくっいており、蓋が開かないでは無いですか?何処から勝洋入ればいいのか悩んだ。
次によせばいいのにプライスファミリーが日本茶が好きなのを知って居たので、急須を作り送る事を考え、急須作りにチャレンジする。今度は電動ろくろを使い、土を練り、先ずは急須の胴体部分を作る。次に注ぎ口を作り、最後に蓋を作り、暫く乾かし、削り出しをし、サイズの調整をし、胴体に注ぎ口の穴を開け、注ぎ口を付ける。次に胴体と蓋を削り出し、微調整を取り、乾燥し、素焼きをし、釉薬を塗り、本焼きをした。二日後取出し、見るとまあまあの出来ぐわい。これならマイクに送れるかと思いきや蓋を開けようと設楽?またもや蓋がくっいて開かない。これまた失敗。とならば手びねりで、抹茶茶碗を二つ作り、抹茶と柿の種、羊羹、落雁、八つ橋、高橋竹山のDVDと羽織を入れ送った。
そして暫くすると、マイクからビートルズの記念の限定1000枚のガラスの絵皿にAll You Need is Love と書いた絵皿が届いた。勝洋これにはたまげた。
勝洋が作った抹茶茶碗が、限定1000枚のビートルズの記念の絵皿に。勝洋悩む。直ぐにE-メールを送ると、直ぐに返事が来た。すると、マイク何時も送って貰う物に、何時も驚かされる。本当にありがとうと言われる。勝洋本当にあなた方の親切に感謝致します。とメールを打ち、いずれ何かの形でお返ししたいと思う。
妹癌発覚
妹が勝洋の家に尋ねて来た。様子が可笑しいので聞くと、健診で癌発覚。一週間ご手術をする。と言われ、まさか大丈夫なのか?と聞くとがん研究センターでするので、大丈夫だと言い、見舞いは良いから、お寺さんに行ってお参りしといて、と言われそのとうりにした。
手術が終わると義理の弟が、結果を知らせにやってきた。結果は腫瘍が細かく数が多いため取れず、放射線治療で取り除くとか?開いて見て直ぐにふさいだ。とか?
なので、入院は短く、一週間で退院。暫く家で薬を飲み放射線治療法の為入院。その後退院して来たが、顔色もよく、痩せた様子もなく明るく振るまう。勝洋先ずは一安心。兄34歳で亡くし、友逹19歳で亡くし、28歳で交通事故で友を亡くし、4か月後、姪6歳で事故で亡くし、その後31歳で姪癌で死亡。その他にも何人かの友達知り合い、そして数年前母親を亡くし、人の死はもう沢山と言うほどに見て来た。何が何でも妹は先に行っては成らぬ。と勝洋心の中で叫んだ。
アニバーサリーソング
勝洋辛い時、悲しい時、そんな時、家に籠って居ると余計に辛くなる。そこで慰問に出掛ける。慰問先は何時も明るくにこやかなおばちゃん。ダンスでご主人と知り会い、恋に落ち結婚。平凡な人生。時に二人で出かけ、ダンスをしたり映画を見たり、食事をしたり、クルーズ旅行に出掛けたり、子供が居ない分妻に優しく接して暮れたご主人。そして二人が愛した歌。アニバーサリーソング。この歌を聞くと二人は黙って席を立ち、踊りだす。映画の1シーンの様に。勝洋今日はタキシードに着換え、ジョルスン物語の様にアニバーサリーソングを感情を混めておばあちゃんの為に歌った。その後はアンチェインド メロディを歌う。おばあちゃんの目に涙。そして、あなたのすべてを、最後に吉幾三のありがとうの唄を歌い、おばあちやんにお礼といつまでも元気に長生きしてくでさい。近い内に又皆で来させていただきます。と言い帰って行った。勝洋心の中のもやもやが、僅かの時間で有ったが、癒された。
カワセミ
妹天気が良く、体の体調が良い時には散歩に出掛けた。顔色も良く元気に話す様子を見ると一安心。今日カワセミを見たと言う。行って見たら、と言われたので、カメラを持って天気の良い日にカワセミを探すが、一度もお目にかかれず、メジロ、鴨、バン、サギ、カワウ、その他冬の渡り鳥しか見ることが出来なかった。
河津桜にメジロが良く、蜜をすいにくるが、勝洋一度も家の近くではカワセミを見ることが出来なかった。
行徳の塩を運ぶ「塩の道」新川は江戸市中に様々な物資を運ぶ水路が今は千本桜が2キロ川の両側に咲き乱れる。一番先に河津桜が咲くとメジロがやって来る。
勝洋青空の日には毎回カメラを持ちメジロを撮影に出かける。次に寒緋桜が咲きここにもメジロがやって来る。梅の木にもやって来るが、ソメイヨシノが咲くころにはメジロの姿は無く山の方に行ってしまう。渡り鳥も行ってしまうが?よそに行かずヒナをかえし、一年中新川に住み続ける鴨も居る。親子で泳いでいる姿は、癒しその物立ち止まり写真を取る人が沢山居る。以前は川に近ずく人も居なかったが、今は朝早くから夜遅くまで、ジョギングをする人、ウオーキングをする人、釣りをする人、花見をする人、犬の散歩をする人、その他色々の人が集まる観光地に変身。死んだ兄も、親父、お袋も、ご先祖様も皆見たら驚くに違いない。
石垣島
シニア割引で東京から飛行機で一番遠くの飛行場は石垣島で有るので、桜を見に行く事にした。羽田空港に行き空席を調べ、空きが有るので、行くことにした。
所時間3時間25分矢張り遠かった。飛行場からバスに乗り、離島ターミナルに行き、広告を見てレンタカーを借り、ホテルを探し荷物と車を預け、島唄ライブハウス安里屋へ行き、海の幸と、アグー豚を注文し、泡盛を頂く。暫くしてライブが始まる。先ずは三線と歌が始まり、ライブを楽しむ。が島唄の言葉が分からずいまいち楽しめず、泡盛ばかりが捗る。少し時間が経つと客が大勢に也、そこで沖縄伝統楽器三板「サンバ」を渡され使い方を習う。慣れたところでライブに参加する。歌、三線、太鼓、それにお客の三板でのライブの始まり。歌の意味は分からずとも、三板を持たされリズムに合わせ三板を叩き、音を楽しむ。これが音楽。暫くしてライブが終わり帰ることにした。そこで帰り際、三板を買い、他の店に行き、沖縄料理を食べ、酔ったところでホテルに戻り、風呂に入り布団に入るが、ここは石垣島、羽根布団が熱くて寝られない。他に掛ける布団も無く、布団を掛け無いと寒くて寝られず、掛けると熱くて寝られず。沖縄に羽根布団はいるのか?疑問に思った。
翌日車に乗り島の見物に出かける。先ずは川平湾。国の名勝に指定されているので見に行。シーズンオフの為観光客も少なく、閑散としている。
次に米原ヤエヤマヤシ群落に行き、見学をしさとうきびジュースを飲み平久保岬に行き、ホテルに戻る。島を一周したが、何処にもまだ桜は咲いて居なかった。
石垣島は桜の木がないのか、季節が早いのか、沖縄本島は1月から2月にかけ早咲きの寒緋桜が咲くはず。しかし島一周しても見られ無かった。時間を見計らい、飲みに出掛けた。島の特産品の夜光貝のさしみ、モズク、ゴーヤチャンプルー、アグー豚、沖縄そば、泡盛で良い気持ちに也ホテルに帰り寝た。
翌日石垣港離島ターミナルに行き、竹富島に行。高速船で約10分、ブーゲンビリアと赤い屋根、石垣と水牛、白い砂浜、大きなお墓、綺麗な海。然し今は冬、誰も居ない海。歳折一人、土産の星の砂を買い、ホテルに戻る。見せが開いたので飲みに行き、後一泊するつもりが急遽明日帰る事にした。矢張り勝洋は山の方が向いているようだ。
翌日時間は早いが、部屋に居ても仕方が無いので取り敢えず、飛行場に行き、空きが有るか調べ、空きが有ったので、切符を手に入れ、レストランで時間潰しをする。
何時もながら、飛行場では退屈と時の流れの遅さに飽きが来る。そしてやっとの思いで、搭乗し飛んだが石垣島から羽田は矢張り遠かった。シニア割引でも、もお良い近くにすることにした。
花の手入れ
今日は体の体調も良いと思われる。花に水をやり、手入れをしている。良い事だと思い、話を聞くと良く成っている。と言うので一安心。何より健康が一番。
映画のDVDが有るので見るか?と尋ねると、録画した映像が沢山有るのでいいと言われ、何か食べたい物が有るか?と尋ねると刺身が食べたい。と言うので翌日市場に行き魚を届ける。食欲が有る事は良いことだ。食べて早く元気に成って、花づくりに勢を出して貰いたい。
翌日久し振りに、マイクにメールを入れる。直ぐにメールが来た。翻訳と辞書で長文を訳すが?良く分からない所が所々出て来る。如何やらシンディのお父さんが、入院したらしい。然も癌らしい。シンディは一人娘で、母親と父親を見ているようで有る。毎日病院と母親を訪ね、疲れも来ている様子。休みの日には、家族三人で父親と母親を見舞いに行って居る様子。
勝洋老いの現実、厳しさ、誰もが平等に来る老化。体の痛み、筋力低下、老眼、歯の減少、耳の廊下、その他諸々全てが悪く也、治り難く也、苦しみぬ気、地獄を通り抜け最後に極楽へ行。生まれた者は皆、平等に死がやってくる。勝洋最後の住まい、安いプラスチックの家か?納得する。
妹明日から又一週間の、放射線治療法に行。ここ数年目出度い話はとんとない。あるのは誰誰が亡くなった。とか入院中とか、通院中とか、具合が良くないとかその他諸々、歳を取ると笑う事が少なくなる。半面嫌な事が増える。そんなこんなで、メンバーに連絡を入れ、皆でカラオケに誘うが一人、ヘルニア手術で入院。これも歳の精、何処も悪く無い人て、それだけでも幸せなのかもしれない。人数は一人減ったが、来られるメンツで陽気に愉快にやることにした。
先ずは豊、黒の舟唄、次いで吉秀が赤色エレジーを歌い、幹久があなたのすべてを歌い、旭が君こそわが命を歌い、勝洋現在練習している曲の中からアンチエインド メロディのエルビス風に真似た。何時もながら盛り上げる。その後酒も回り、陽気に進む。その後時代おくれ、夕焼け雲、心凍らせて、まわり道、二度目のマイクが勝洋に又もやエルビス風にマイ・ウェイを歌った。勝洋最後に大きな声で歌い、ストレス発散に成った様だ。
メール
暫くしてマイクからメールが入り、義理の父が退院したとの事。難波ともあれ良かった。勝洋今までの慰問先での受けた映像、歌、踊り、ダンス、女型、二人羽織等の面白い映像を抜粋し、干し柿、干し芋、煎餅等日本のものを一緒に入れ送った。
その後2か月が過ぎたころ、マイクから小包が届く。中を開けてみると本とDVDが入って居た。本の内容はマイクが自費出版したもので、とても厚くどう見ても訳す事が無理と諦め、マイクにメールを入れると、如何やらマイク家のルーツを書いてあるらしいが、とても分厚いので積読事にした。
DVDはホームパーティーの快気祝での、映像がとても見事な演出で、マイクとシンディが二人でプロデュースしたもの。流石パーティーを数をこなすお国柄見て居ていても感心する。流石ショービジネスの町に生まれたニューヨーカー勝洋良い勉強に成った。
妹も退院はしてきているが、家の中から出てこない。矢張り放射線治療法のせいか、髪の毛のせいか?いずれにせよ余り体調が良くないのであろう。10回の入院らしいので、これからも病気と、自分との闘い。体調が良く成ったら友達とカラオケにでもいき、好きな歌を歌い気晴らしでもして、一日でも早く良く也、娘と一緒に旅行にでも行く事が良い。 陽気が良く成り、土いじりには最適な時期が到来。勝洋とリエは土を耕し、種をまき水をやって居ると、妹も家からでてきた。すると、チューリップの球根をプランターに植え水をやり、花の咲くのを待った。妹はチューリップの花が好きで毎年植替えをしていた。
勝洋今年はモロッコインゲンの種をまき、発芽を待った。それから暫くして、妹が又入院した。一週間も過ぎたころ、弟が勝洋の家にやってきた。神妙な顔をして、玄関に入り話をする前に、「勝洋不吉な予感が?」した。『実は医者が言うには持って一ヶ月。既に癌が全身に転移していて、手の施しョウがない。と言われました。」
勝洋「やっぱり駄目だったか。今まで色々ありがとう。後は成る丈苦しまないように頼む。」『わかっています。この後又病院に行き、先生と色々話が有るので、病院に戻ります。」「よろしくお願いします。」家に戻り車をとりに行き病院に出掛けた。
勝洋の妻リエと勝洋の妹、そして義理の弟は、三人同じ学年で有った。勝洋。妹から癌で手術すると言われた時から、最悪の事も考えては居たけれど事実残り一ヶ月と言う事を聞かされると、何とか奇跡が起きないものかと、佛単を拝む。
それからの一月針の筵に座る思い。辛く長くやり場のない気持ち。電話が成るとビックリオドオド。仕方のない事。全ての大事な人の不幸は電話からの連絡。何時も急な電話。然も皆若い人。何度経験しても辛く悲しい。こんなに辛いのなら、俺が先に行きたかったと屡々思う。
一月が経ち、容態は以前変わらず、何の変わった様子もなく。以前と同じとの事。勝洋奇跡が起こるかもしれない。と こころの中で呟く。一週間が過ぎたころに、弟が今日か明日と言いに来た。勝洋覚悟は出来た。ダメとならば余り頑張らず、苦しまず、亭主、子供にも長く苦労を掛けず、安らかに成仏して貰いたいと勝洋心の中で呟く。その後亡くなるまでの、4日間広い個室に家族4人で夜は過ごし、5日目の夕方5時13分に亡くなる。折しも妹が植えたチューリップの花がプランターの中で、色とりどりに満開の花が、主の帰りを無言で待っていた。
9時過ぎになって無言の帰宅。その後勝洋チューリップの花を枕元に飾った。そして林芙美子の、花の命は短くて苦しきことのみ多かりき か?と心の中で呟く。
そして、最後に残るは俺一人か?心の中で呟く。いい奴ばかりが先に行、どおでもいいのが残せれる、ほーれた女が死んだよは、何を言いても愚痴になる、・・・・・と小林旭の惚れた女が死んだ夜は。を一人家の台所でひやざけを飲み、口ずさむ。その後お葬式も終え四十九日も終え、勝洋白馬三山に出掛ける。
新宿から京王高速バスで白馬駅へ行き、バスを乗り換え猿倉へ行き、白馬尻小屋で一泊し、翌日大雪渓を登り、ガラガラの道を急登し、高山植物の咲くねぶかっぴらを通り白馬山荘に一泊し、翌朝白馬岳に行き、杓子岳を通り、鑓ガ岳を登り、鑓温泉に入り、猿倉へ。大自然の中に居ると、人間の小ささが良くわかり、人の一生など極々小さいものに築かされる。人は死んでも魂は残る。そして生き続ける。そしてそばにいる。
勝洋、辛い時は山が心の傷をいやして暮れた。山に感謝。猿倉からタクシーを呼び白馬駅行き、高速バスで東京へ帰る。その日の夜は熟睡できた。翌日は気持ちの良い朝が来た。白馬三山ありがとう。然しきつかった。
山の疲れも有り、DVDを見ることにした。1988年のイタリア映画二ュー・シネマパラダイスを見ながら考えた。なぜ勝洋は生かされているのだ?
幼いころ川で溺れ三途の川を見、運よく助けられ、その後も何度か死にそうに也、今日まで生きている。兄34歳で亡くし、妹62歳で亡くし、一番先に死ぬと思って居た勝洋が一人生きている。
今生きているのはなぜなのか?なぜ生かされているのか?今後どお生きればいいのか?呆然と二ュー・シネマパラダイスを見ていた。すると答えは映画の中にあった。
好きな事を一生やればいい。勝洋今までの生き方でいいのだ。悪い事をしなければ、人に迷惑を掛けなければいいのだ。大した男でも無くてもいいのだ。助けてくれた人に感謝し、自分の出来る範囲で、ボランティア活動をし、自分が先ずは楽しむ。ことに改めてしる。このまま元気が有るうちは、やることに喜びを改めて励む事にした。
メール
勝洋気持ちを新たにマイクにメールを送った。日頃慰問先に出掛け、何人かのメンバーで毎回志向を変えお客様に喜んで貰える様に努力し、仲間同士が健康で好きな音楽を何時までもやりたい気持ちで頑張っていることをメールに翻訳した分かりずらい文章で送った。
すると二日も設楽、マイクも義理の父母が施設に入り、そこにボランティア活動でメンバーを集め、慰問に行っている。と言うメールが届く。
勝洋、そのメールを見るとどうしても、シンディの両親に慰問に行きたくなりメールでマイクに家族でシンディの両親の施設に慰問に行き、セッションをして両親と施設に居る皆さんに見て貰えたら嬉しいのですが?とメールにしたため、送った。
暫くして、マイクから返事が来た。施設からもOKが出たので後は日にちの問題。飛行機のチケット、ニューヨークからの行き方。デラウエアでのホテルの手配等その他細かい打ち合わせを、その後メールでやり取りをし、行く日を決める。
プライスファミリーからのリクエストがメールで来ていた。以前送ったDVDを見て、勝洋の女形、日本髪かつらに着物姿、チャイナ服にラーメン丼、長ネギを持って歌と剣舞、スコップ三味線、その他色々なことが書いてきた。勝洋以前送ったDVDがここまで受けていたとは驚きである。楽器は持って来なくとも良いとの事。
勝洋嬉しくて、練習に励む。が楽器のテクニックではとても叶わない。勝洋は端からお笑いで皆さんに見て貰う事が何よりの喜びで有った。
勝洋はリエにお土産を作る様に伝えた。先ずは帯でリックとベスト、ハンチング帽、着物地で暖簾、それと帯でテーブルクロスを土産として、娘マキは、デュロウに感化され、二度二科展で入選をした。なので絵を描いて持って行くことにした。
勝洋はメールで用意して貰いたい物をメールで伝えた。スコップ、長ネギ、を当日に用意して貰う事を頼んだ。すると直ぐにメールが届く。ニューヨークへ向かいに行くとメールが入った。
次に飛行機チケットを予約をし、ニューヨークに何時に着くかを知らせ、ホテルの予約を取って貰う。
段取りが順調に進み、後はいざニューヨークへ行ばかりに也、勝洋は化粧の仕方、着物の着付け、「リエが着物の着付けは習、着付けの手伝いは出来る。」それに詩吟の間、夜来香の中国語の発音。少しでも似ている様に発音の練習。それに何と言っても本場での英語の歌。これはどうにもならない。困ったが生かし方ない。なまった英語で、笑いを取るしかない。笑って貰えたらそれだけで嬉しい。後は売れない噺家の決め台詞。「今日の客はダメ、俺の芸が分からない。」と言って安酒のんで寝る。か?
遂にデラウエアへ
10年前に、ロンドンのアビーロードで知りあい、今日に至るまでの楽しい時間をプライスファミリーに感謝し、良き友を得た事に最大の喜びに居たり、そしてまた再たび再開できる事に感謝した。共に慰問が出来る喜びを全ての人に感謝し、生かされている事に何よりも感謝した。成田空港からニューヨークまでの長旅が、特に長く感じ、今日の飛行機は何時もの飛行機より遅いのではないかと思う次第。やっとの思いでニューヨークへ着き、荷物を受け取り出口へ行と、プライスファミリーが出迎えに来てくれていた。先ずは抱き合い喜びを分かち合い、デラウエアに行。ホテルにチェックインし荷物を置き、マイクが予約をしておいたレストランへ行き食事を済ませ、ホテルに戻り、明日からの予定を軽く話し合い、その日は爆睡。翌日はシンディの両親の居る施設の下見に行き、両親と面会。明日10時から来ると言いプライス家に行き、準備をした。先ずはスコップを化粧し、スコップ三味線を作り、立派な帯で出来た袋に入れた。次に長くて刀になりそうな長ネギを一本貰い、持ちてを作り、明日の剣舞の舞に用意し、明日のプログラムをマイクと打ち合わせをし、夕食を作りたいので、台所と材料の仕入れをする為に店を案内して貰い、見つけた魚で、鯛の塩釜焼きを、後はちゃわん蒸し、天ぷら。お好み焼き、肉じゃが、肉豆腐を、作り、明日のメンバーも集まりパティが始まる。料理も大変大受けし、酒もはかどり気分が良く成ったころ、マイクの友達がギターを持ち、スタンド・バイ・ミーを歌い出した。その後マイクもブルースをギターでデュロウと共に演奏した。そしてマイクがイマジン、デュロウがレット・イット・ビー、その他何曲か歌い、勝洋にも何かやれとの事で、フルートを借りイエスタデイと、長ネギを持ちだし、白虎隊を詩吟を入れて披露する。アメリカ人こんなの初めて見たので、真剣に見ていた。暫くして終わるとスタンディングオベーションをして呉れた。勝洋明日が楽しみになる。
本番当日
9時半に現地入り、音合わせ出番の打ち合わせ、カメラのセッティング、衣装の順番等色々準備し、10時本番開始。シンディに挨拶をして貰い、デュロウがトップを飾る。
見事なギター演奏を披露した。次いでマイクがイン・マイ・ライフを歌う。勝洋の番がきた。紋付き袴姿で大事そうに三線を持ち、おもむろに中からスコップ三味線を取り出す。観客目が点に成る。勝洋の風雪ながれ旅の曲をかけ、音楽に合わせ歌と三線の代わりのスコップを叩き歌を歌う。終わると皆が笑い、拍手を、次にその衣装まま長ネギを持ちだし白虎隊の歌と詩吟をやる。これまた大受け。次いでマイクの友達Aが思い出のサンフランシス、次いでギターの先生がジャニーギターを披露した。
その後、デュロウの従妹の女の子がフルート演奏をし、暫くして勝洋の番が来た。準備は整いチャイナ服にラーメン丼の姿で出ていくと。最初からバカ受け。顔を白く塗り付けまつげを付け夜来香のカラオケを流す。適当な中国語で歌い大いに客を笑わす。衣装の着換えの時間、マイクとデュロウと友達が交代で場を盛り上げて暮れ次に湯島の白梅の女形の変な踊り。これも受け、次いでエルビス、拾って来た縄のれんの衣装で、好きにならずにいられない。と最後にタキシードに着換え、アニバーサリーソングを心を込めて歌った。するとシンディの両親が涙を浮かべ喜んでくれた。勝洋下手な英語の歌が本場アメリカ人に感激を与えたことに。勝洋自身も涙を浮かべ、それを見ていた妻と娘も涙を流す。と それお見ていた人も涙流し、盛大の拍手で幕がさがる。
その後ドリンクパティが始まり和気あいあいと也、翌日ニューヨークへ行き、6人で夕食を取り、その後アポロ・シアターへ行。勝洋ショーの素晴らしさに納得。
勝洋次なる夢はここアポロ・シアターに出たいと言う夢。