金星人、帰還する。
中学生時代、私のクラスには一人、宇宙人がいた。
名前は金田聖子、成績は中の下、ずんぐりむっくりした体型で、走ると胸やらおなかやらがぷるぷる震える関取系女子だ。彼女に友達と呼べる人は存在せず、いつもクラスの端で怪しい月刊雑誌やオカルト系の本を読んではブツブツ何かを呟いていた。
ある時馬鹿な男子が、彼女をからかおうと――或いはクラスに馴染む切っ掛けを作ってあげようとしたのかもしれないが――「いつもその本読んでるけど面白いの?」と話しかけた。それを遠巻きに見ていた女子達は口元に冷ややかな笑みを浮かべながら事の顛末を盗み見ていた。
彼女は「『月刊Δー』は宇宙一ユニーク」と答えた。
それは金田なりの精一杯のジョークだったのか――彼女が居なくなった今となってはその真意は分からないが、その日を境に彼女は「宇宙人」と認識されるようになった。そのユニークな発言は、男子には微妙に受けたが、女子達は冷笑を隠しもしなかった。金田は「イタイ奴」と認識され、苛められこそしないが、関わるのを避けるべき存在となった。
そんな彼女と私が関わりあうようになったのは、例の聖人の死んだ日、二月十四日のバレンタインデイからだった。
私――谷在家梓希は十年たった今でも、この時の事を克明に思い出せる。そう、一連の事件は彼女のこんな台詞から始まったのだ――。
――
「谷在家さん。コレ、受け取ってください」
昼休み。それは日々の学業からつかの間だけでも離れて、仲の良いグループ同士で席を寄せ合い、互いに昼食を楽しむ素敵な時間だ。けれどその楽しい時間は、金田がおもむろに私の席まで近寄りこう言い放った事で崩壊した。
「え――え?」
私は自分の耳と目と鼻と第六感を疑った。
先ず耳。そう言えば前に耳掃除をしたのは何時だったか――金田は「コレ受け取って」と発言したように聞こえた。
次に目。昨日、私の想い人であるマー君への告白脳内シミュレーションを念入りに行っていたため、寝不足でドライアイである。だからだろうか、金田がプイと両手で私に差し出しているその物体が――「アポロン」に見える。
(み……見間違いか? これは円錐形の形をした二つの味が楽しめる、かわいくてちょっとつまむ程度に最適の――チョコレートではないか!? 金田は今日が何の日か知っているのか?)
慎ましやかな私の胸の中では激しく混乱が起こっていたが、私はそれを並々ならぬ精神力で押し殺し鎮圧したので分析を再開した。
さぁ、今度は鼻だ。なにやら変な臭いがする。酸っぱいような、ツンとするような――この臭いは金田の体臭だと思う。という事はやはり私の目の前に存在する人物は金田である可能性が高い。
(なんだか、途方もなく嫌な予感がする……)
私の第六感は先ほどからそう告げている。そして、その予感は恐ろしい事に的中してしまった。金田はゆっくりと、そのぶ厚い唇を開いて発言した。
「私――谷在家さんのことが好きです。女の子同士だけど好きになっちゃいました」
教室の外からはガヤガヤと喧騒が聞こえるが、私が在籍する2―B組は金田の一言でヤっさんに恫喝されたように静かになった。クラスの皆の注意が私たちに向かっていたのだ。
(……落ち着け。ここで応対を誤ると、私までもが変人の烙印を押されてしまう)
「はぁ? 何言ってんの、何かの罰ゲーム?」
と、私は言おうとしたのだが、「はぁ」と言い切らぬうちに、唐突に金田が「あ、今日は焼きソバパンの日だった。食堂行かなきゃ」と呟き、実際にその通りに行動し始めた。
後には「ぁ」の口のままの状態で呆気に取られている私と、机にポテ、と置かれたアポロンと、ざわつき始めたクラスメートが残された。
――
「信っじられない! いや、信じない!」
翌日から私のあだ名は「ジョディ」になった。由来を聞くと、宇宙人と接触する映画に出てくる女優の名前らしい。
「受け入れなよ、ジョディ。広い宇宙にはあーゆー存在もいるんだよ」
「誰がジョディよ! 私には梓希って言う美味しそうな名前があるんだからそっちで呼んで」
私がそう言い返すと、吉田はくつくつ笑って「ツッコミ所はそこじゃないだろ」とタレ目気味の目で語ってきた。
「それで、ミネラル豊富な梓希ちゃんは宇宙人金田さんとどうなっちゃうの? 地球乙女と宇宙乙女が百合の園で禁断の逢瀬を果たしちゃうの?」
「何なのよその表現は! あんなヤツ無視よシカトよ音沙汰なしよ!」
「でもね、周りがそれを許さないかもよ」
「どうして?」
「昨日の事、噂になってるよ『宇宙人レズガール金田のアポロン告白伝説』って呼ばれてるみたい」
「誰によ」
「だから皆だって。あんたちょっとした有名人になってるみたい」
酷い。
私は金田の事を「宇宙人」と呼ぶのは避けていた。苛めのような――なんとなく嫌な感じを受けるからだ。彼女がクラスの皆に笑われている際にも私はそっぽを向いたりもしていた。その仕打ちがコレか。何が悲しくて同性から告白されにゃにゃらんのか。
「ふん。アイツは自業自得だけど、私はいい迷惑だわ」
「そうよねぇー。前から思ってたけど本当に金田ってキモいよね」
「――」
私は一瞬言葉に詰まった。吉田がそこまで直裁に金田をなじるとは思わなかったからだ。
「どったの?」
「え――う、うん。まぁ、付き合いやすい奴じゃあないよね」
「そんなレベルの話じゃないでしょー。アレは所謂ホンモノだよ。『電波ちゃん』なんて表現じゃ生ぬるいよ、『電波クソ野郎』だよ」
「そっちの表現がグレードアップするんだ」
「それよりアンタ結局アポロン受け取っちゃたんでしょ。アイツ勘違いしちゃうかもよ」
「でもアポロンに罪はないし……ミルクと苺の協奏曲が奏でられているチョコを捨ってられようか! いや、捨てられない」
「知らないよー? ジョディまで宇宙人になっても」
「ジョディは研究者だったでしょ」
私たちが席を寄せ合ってガヤガヤ騒いでいると、マー君が目の端に入ったので、慌てて話しかける。
「あ、マー君おはよう」
「ん」
実に素っ気無い返事だが、私は気にしない。何故なら私たちは昨日から恋人同士になったからだ。ビバ! 『恋人同士』って響き!
「田中君ずいぶん無愛想だったね。ジョディ、本当に告白成功したの?」
「したわよ! けど公にイチャイチャするのって……恥ずかしいでしょ? 節度ある付き合いをするサワヤカップルなのよ。私たちは」
「ふぅん……ね、ねぇ、どんな感じだったの……その、告白の時」
私は意図せず口角がにじり上がってくるのを隠そうと、泣き笑いの表情をしながら吉田の質問をはぐらかしていると、教室が不意にシンとなった。
「あ――」
吉田が向いた方向を見ると、金田が立っていた。
「谷在家さん、男の人と付き合っているって本当?」
金田は感情を感じさせない表情で私を見ていた。
「――」
どないしたもんか。と、吉田の方を見ると、丁度彼女が発言するところだった。
「そうよ。ジョデ――梓希はもう他の男と付き合ってんの。だけどソレが何? アンタには関係ないでしょ」
「関係ある。谷在家さんは私のチョコを受け取ってくれた」
「それは梓希が食い意地の張ったいやしい女だからよ!」
「なんだと」
「谷在家さんを悪く言わないで」
「アンタこそ梓希を困らせないでよ。アンタみたいな宇宙人に絡まれるの、迷惑に決まっているでしょ!」
私は吉田を諌めようとしてハッとなった。彼女の言っている事は、言い過ぎ――なのだろうか。
宇宙人――社会で生きる常識を弁えていない人間を、こうも呼ぶ。その意味では金田は立派な宇宙人である。そんな人間と関わり合うのは確かに迷惑だ。私は今まで金田を傍観していられたからこそ、無関係だったからこそ、彼女を害のある者と思えなかった。けれど、今は違うのだ。金田は私に積極的に関わろうとしている。
それは――それは――
「――でよ」
「え?」
「?」
私の声は小さすぎたようで、二人には届かなかったようだった。だから、私は皆にも聞こえるよう、語気を強めてこう言った。
「勘違いしないでよ。この宇宙人」
(とうとう言ってしまった。けれどココで引き下がっては私まで変な目で見られるんだ……)
金田の目線が私から私の足元辺りに下がるのが見えた。
「チョコは食べたけど、私はレズなんかじゃないし、アンタとなんか友達にもなりたくない。お陰で私まで笑いものになっちゃったじゃない。あんたなんか元の星に帰っちゃえば良いのよ!」
私が一気に言い立てると、金田はさらに深く顔を伏せた。教室は水を打ったような静けさが支配していた。数秒の後、金田はまたしてもそのぶ厚い唇から爆弾発言をかまして来た。
「母星にはまだ帰れない」
「……は?」
「金星は、すごく遠いから」
教室の静けさがさらに冴え渡り、お通夜みたいな雰囲気になった。
――
金田の母星が金星である事が発覚してから、数日が過ぎた。
相変わらずクラスの皆は金田を腫れ物のように扱っているが、なぜだか私までもが金田と同じように距離を置かれるようになってしまった。それと言うのも金田は私が拒絶するのにも構わず、こちらの都合にお構いなしに私に話しかけてくるからだった。私としてもどのようにして金田を追っ払えばよいのか分からず、仕方なしに彼女の相手をしてやっているうちに、どうやら周囲の人は私と金田は同類であると認識し始めたようだった。
その日も私が校門でマー君を待っていると、金田が巨体を震わせながらこちらに駆けて来た。
「谷在家さん、一緒に帰ろう」
「嫌」
「どうして?」
「アンタと一緒にいると、私まで宇宙人に見られるから」
「私は谷在家さんが宇宙人じゃないって知ってるよ」
「それが何なのよ。周りの皆は宇宙人と仲良くする奴は同類だって思うのよ」
「――わからない」
「ん。何が?」
「人は誰と仲良くしているかでその価値が決まるの?」
「なんか『名言言ってやった』って顔してるけど、あんたが普通に振舞っていれば全部解決する問題だからね、コレ」
「それは出来ない。でも谷在家さんとは一緒にいたい。私は現代のマクベスか」
「ハムレットって言いたいの?」
「綺麗は汚い、汚いは綺麗……キレイキレイは安価でリーズナブル。雑菌だけを狙って消して、それが毒と薬の違いなの? ラララ、ラララ……」
唄うように意味不明の言葉を羅列する金田は、教室では見れないような笑顔を咲かせていた。
(ブサイクな顔だけど、笑うと結構愛嬌があるな。いつもみたいに無愛想な顔をしていなければ、金田が孤立する事も無かったのかも知れない)
自由奔放と言えば聞こえは良いが、金田は今後社会でやっていけるのだろうか。私が心配する事じゃないのだけれど、無邪気に笑う金田を見ると、私は彼女を無下に扱うことは憚られた。どうしてなのかは分からないが、私は彼女のような人間が居てもよいのではないか、と思い始めていた。
「もう、電波飛ばさないでよ。ほら、一緒に帰ってあげるから」
「本当!? 嬉しい」
(金田くらい周りの目を気にせず、好きなように振舞えたら気楽かも知れないな)
私たちは二人並んで下校することにした。金田は上機嫌で、調子外れの鼻歌なんか口ずさんでいた。
「金田、なんか楽しそうだね」
「谷在家さんと一緒だから」
臆面もなくこう言われては返す言葉がない。なんとなく気恥ずかしくなった私は、わざと強い言葉で返答を返した。
「あ、そう。でも私は普通の人と一緒に居る方が楽しいよ」
「本当にそう思ってる?」
「な――」
私が金田の方を伺うと、彼女もじっとこちらを見ていた。
「なんでそう思うの」
「谷在家さんも普通じゃないから」
「私を馬鹿にしてんの」
「そうじゃない。谷在家さん、皆みたいに影で私を宇宙人って言わなかった。私に遠慮していたんだ。そんなの普通じゃない」
「普通の定義が揺らぐわね……皆が皆、変な奴を忌避するわけでもないでしょう」
「そうでもない。下にいる物を見て安心するのは人の性。攻撃するかしないかの違いしかない」
「急になに言い出すんだ」
「あのクラスの奴ら――谷在家さん除いた皆は、私を宇宙人と呼ぶことに違和感を覚えていない。それが当たり前になっていることの意味を分かっていない。けど谷在家さんは分かっている。だから好き」
「……金田がハブられてるのはアンタの所為でもあるでしょ。奇行ばっかり――」
(ん? あれ、そうだったっけ?)
ひょっとすると、金田は自分なりの普通の生活をしようとしていただけではないのか――?
思い返すと――金田は端で本ばかり読んで――ある時返しをスベッて――それ以外、人に避けられるほどの奇行は特に――
「って、私に告白したやないかい!」
「え!? な、なに? なんで関西弁!?」
「あ、ご、ゴメン……」
「う、うん……ええんやで」
(金田が戸惑うなんて――なんだか不思議な感じだ。本当はこの娘も一人が寂しいって言う普通の感覚の持ち主なんじゃあないだろうか)
「ね、ねぇ、何で私に告白なんかしたの? 友達が欲しかったのなら、そう言えば――まぁ、アンタがクラスに馴染むよう努力する気なら、考えてあげても良かったのに」
「――そう。ごめんなさい」
「なんで謝るのよ」
「私、やっぱり宇宙人だから」
「……? どう言う意味?」
「……」
「……ん?」
「あ、もうここまでだね」
「え? あ、ああアンタあっちだったのね」
「うん。さよなら、またね」
「あ――」
金田は曲がり角を折れて消えていったため、私の「またね」の言葉は届かなかった。
――
なんだかんだで金田とも一緒に帰ったりするようになってから数週間後。マー君から別れを切り出された。「あんな変人とつるむな。お前と付き合っている俺の立場も考えてくれ」との台詞が空々しく私のお淑やかな胸に響いた。
「ふぅん。そりゃマー君が正しいよ」
「そう――なのかな」
私が吉田に相談を持ちかけると、彼女は呆れたようにこう言い放ってきた。
「梓希、最近金田に構ってばっかりじゃん。サワヤカップルだかなんだか知らないけど、彼との時間を作りなよ」
「裏で作っているよ、でも金田も放っておけないし」
「それがおかしいんじゃん。アイツ女の癖に梓希のこと変な目で見ているんでしょ? そんな変人に構ってあげる奴なんかもっと変人じゃん。自覚あるの?」
「……金田と話してみると、意外と普通の奴だった。多分アイツも寂しかったんだよ」
「それがなんなの? アイツが宇宙人なのはアイツの責任なんだし、それを梓希が一緒になって負う必要がどこにあるの。アンタどこぞの聖人なの? バレンタインさん目指してるの?」
「目指してないよ。皆の為に死んでいったのに、その日にチョコ祭りが開かれるなんて――」
「話を逸らさないで、梓希。マー君に謝って金田との付き合いを止めな。そうじゃないとアンタも立場悪くなるよ」
「……」
「宇宙人扱いは嫌でしょ」
「……うん。でも、それは誰だってそうでしょう?」
「沢山の人と一緒に生活すると、そういった存在はどこにでも産まれるものよ。それが結局皆の為なんだって」
「なにそれ!」
「捌け口は必要でしょう? 笑うと安心できるでしょう? 皆が仲良く暮らす、居心地の良い良いクラスなんか、架空のお話の中にしかなくて――だからそれは売り物になるんでしょう? 現実を生きる私たちには、宇宙人が必要なのよ」
「なによそれ……暮らすとクラスがかかって――」
「こんなことワザワザ言わせないでよね。普通、皆わかっている事だよ」
――
下校時間、私がいつものように下駄箱で靴を履き替えていると、金田がどたどたと地面を揺らしながら私に向かってきた。
「谷在家さーん」
「……」
「今日は一緒に帰れそう? それともマー君に呼ばれてる?」
「……」
「そうみたいだね。嫉妬しちゃいますな」
「もう――」
「shit!」
私は金田の方を見ず、ただ淡々と言葉を紡いでいった。
「もう止めて」
「え」
金田も私の口調がいつもと違う事に驚いたのか、きょとんとした表情で固まっていた。
「もう、私に関わらないで」
「……」
「私、普通でいたいの」
「……」
「さようなら」
そう言って私は校門へ向かって歩いていった。そこで恋人であるマー君を待っていた。それが私の普通だった。金田がそこを通る際に彼女の目が真っ赤に腫れていた事なんか、私は気が付かない振りをしてマー君を迎えた。
――
次の日から、金田は学校に来なくなった。
私はマー君と寄りを戻したが、彼も私と同様「恋人同士」の言葉に憧れただけのようで、お互いの趣味や嗜好が全くと言ってかみ合わない事を悟り、自然と会うことが少なくなっていった。私は彼の「サッカー部エース」という肩書きに恋をしていただけだったのかも知れない。
吉田とも上手くやっている。
彼と別れた事を話すと、「初恋は普通皆そんなもん」と返され、ご飯を奢ってくれる事になった。悲しい感情と同時に嬉しい思いがこみ上げてきたが、その「残念会」の最中にも金田の名前は一つも出てこなかった。私もあえてそれに気づかない振りをして、その日は大いに食べた。吉田が帰り際に「やっぱ割り勘で」と言うほどに。
私の日常は「普通」に戻る事ができた。元々の形に戻っただけ。それだけのはずなのに、私の奥ゆかしい胸の奥には澱のようなものが残っている。私はそれを罪悪感と名づけて自分を慰める、醜くて矮小な存在だった。
――
そんな鬱々とした思いは、数日経ったある休日の夕方頃に掛かってきた電話の音で終わりを告げた。
「はい、もしもし谷在家ですけど」
「――」
「もしもし?」
「――谷在家さん?」
「!」
金田の声だった。たった数週間の付き合いだった彼女と電話した事なんかなかったけど、その「谷在家さん」の響きには確かな聞き覚えがあった。
「ひさしぶり」
「――」
なんて声を掛ければよいのだろう。
ひさしぶり――そんな気軽な口調で私は彼女に話しかけるのか。私にその資格があるのか。
アンタどうしてんの――これなら言っても良いのではないか。クラスメートが学校に来ないのを心配するのは普通の感覚だろう。
よし、と息を吐いたところで、金田の方から言葉が発せられた。
「私、ね。金星に帰ることにした」
「え?」
(……ん? どういうこと?)
「色々準備が整ったから――旅立つ事にした」
「――」
金田は決壊したダムのようにまくし立てた。
もう決めた事だから、今後会うことはなくなると思う。谷在家さんは私を恨んでいるかも知れないけど、良ければ見送りに来て欲しい。場所は学校の行事でも行ったあの山。ほら、結構坂道がきつくて谷在家さん途中でひっくり返っちゃったでしょ。あれは一年の頃だっけ。そう、あの頃から私は谷在家さんが気になっていたの。それから一年間は覚悟が決まらなかったけど、今年のバレンタインに決めたの。貴女に告白するって。だけど、土壇場で返事が怖くなっちゃって「食堂だ」なんてとびだしていっちゃったっけ。ごめんなさい。今思えばあの日から私が帰還する準備は整えられていたんだわ。うん。もう決まっちゃったのよ。ここにはいられないの。本当にごめんなさい。貴女に迷惑がかかることは分かっていたんだけど、貴女なら私を宇宙人と呼ばず、私を受け入れてくれる事を期待してしまいました。結局貴女も私を宇宙人と呼んだけど、あの時の貴方はとても辛そうに喋っていた。それが――分かっただけでも十分だったのに。私は欲張りだからもっと多くのものを望んでしまいました。そんな私には罰が当たりました。私のお父さんは金星の人で、お母さんは地球の人だと分かったのです。私はお母さんとは上手くやっていけなかったので、お父さんの下へ行こうと思っています。さっきも言ったけど、良ければ見送りに――なんて図々しい言葉だったかもね。ごめん。でも、もう宇宙人はいなくなるから。それは確かだから。
さよなら。今までありがとう。
との言葉を最後に電話は切れた。金田が発したとは思えない言葉の濁流に、私はしばし子機を片手に呆然となっていた。一息ついてから、私はじっくりと金田の言葉の意味を咀嚼し始めた。
(意味が分からないけど……あいつ、ひょっとして――引越しでもするのか? クラスの皆と馴染めないから? 私があいつの正体を理解した上で友人関係を断ったから? 両親の話は――なんだったんだろう? 父親が金星人? お母さんとは上手くやっていけない?)
こんなのタダのいたずら電話だ。宇宙人金田のギャラクシアンジョークに決まっている。
私は普通に生きると決めたんだ。こんなのにかかずらっている暇はない。
――そのハズなのだが。
私は防寒具と懐中電灯を取り出し、動きやすいスニーカーに履き替え、町を駆け出していた。
(アレは宇宙人の――あいつなりのSOSだったのかも知れない。もし違ってたならば、金田は私をさんざん笑えば良いだろう。それで彼女の気が済むのなら、私は――私だけはそれに付き合ってあげる責任がある。そして、もし――金田の言う事が――いや、そんなの考えたくもない。目覚めが悪くなるだろ! そもそも山に見送りって何なんだ! アイツは山賊にでもなるつもりなのか!?)
「会ったら絶対文句言ってやる!!」
夕日がビルの陰に消えていき、夜の帳が町に降りようとしていたが、私はあの山に向かう足を止めるつもりはなかった。彼女の言う見送りの場所には見当が付いていたが、もしそこに誰も居なくて、さっきのが金田の悪戯だったとしたら、その時は彼女との関係を綺麗サッパリ忘れよう。それが私にしてあげられる最後の常識的な対応だ。
――
夜の山道は洒落にならんほど暗かった。緩やかな傾斜だが確実に運動不足な私の心臓に負担を掛けている。夜に山を登るなんて経験はその時が初めてだったが、これほどまでに心細いものだとは思わなかった。
(金田め。どうせ思わせぶりな事を言って、私と話す切っ掛けが欲しいだけなんだろ?)
「くそう! 待ってろよブサイク!」
悪態をついて自らの勇気とやる気を鼓舞しながら、私はザクザクと山道を登って行った。暗闇は気を抜くと私の中にまで入り込んできそうなほどで、つい、不吉な考えが浮かんでしまう。
(それとも『金星に帰る』ってのは……。いや、そんな変な考えは止めよう。両親との不仲だとか……クラスでの扱いだとか……そりゃ地球には辛い事だらけかも知れないけど……でも、だからって)
「金田……」
全身の筋肉が悲鳴を上げ、顔を伝う汗が止まらない。けれど金田が居るであろう場所は、もうあと一坂越えた所にある。私は気合を振り絞り、その斜面を登っていった。
(そうだ、この坂を越えた先には広場がある。これ見よがしに沢山の木々が花を咲かせていた。一年の頃の私はそれをみて「ここで死んでも良い」なんていいながら倒れたっけ。もちろんそれはタダの冗談だったのだけれど、金田にはそうは聞こえなかったのかも知れない……)
もうすぐ斜面が終わり、華やかな広場が見えるはずだ。今は冬なので枯れた木々しか見られないだろうが、その光景は金田の目にはどう映るのだろう。
(金田。冗談だよな。あんな電話うそだよな。もし会ったら悩みとか話とか――幾らでも隣にいて聞いてやるから、だから――)
最後の段差を越え、私の視界が一気に広まった。
そこに――
「ベントラァーー! ベントラァーー!」
その広場の中央に金田がいた。
彼女は両の手を天に掲げ、音もなく浮遊する銀の円盤から照射されている光を一身に浴びている。
「ベントラァーーー!!」
一際大きな掛け声が山に響くと、金田の体がぷわぷわ浮き始め、円盤の光を照射する部分がパカッと開いた。
やがて彼女の体はその船の中に吸い込まれ、音もなく星空の遥か彼方へと飛び立っていった。
信じられないだろうけど、十年前に私が経験した本当の話なんですよ。