第6話「戦争と狂人」
魔導鋼都:東京。
その玄関口は正しく魔族領と騎士団の激戦地となっていた。
魔族の大半がトリモチの海に沈んだが、同時に残った精鋭達は圧倒的な不利を力押しで貫くべく。
上空のみならず地表からも侵攻。
死んでもおかしくない状況でも何故か死なないという奇跡を背景にして少しずつ進軍は進められていた。
特攻して重症を負いながらも仲間達が開いた魔導鋼都の最下層への大穴。
地表から120m地点に向けて全速力で殺到。
無論それを理解している善導騎士団の結集済み部隊による大規模な対空迎撃網が無類の真価を発揮し、次々に山となった重傷者達が外延部には死屍累々。
トリモチに飲み込まれて嵩張らないように何処かへと流されていく。
―――大穴が塞がるぞぉおおおおお!!?
―――再生する前に攻撃を当て続けろぉ!!
―――損害に構うなぁ!!
―――急げぇえええええええ!!
男達は次々に襲い掛かる弾幕を防御役の者達に任せ。
魔力を使い果たしてトリモチの海に落ちるのを前提でマンパワーを注ぎ続けていた。
巨大な穴の再生を阻止する端から迎撃網を潜り抜けた猛者達がちらほらと10人単位で最下層区画へと侵入し、次々に彼らは被害を出して落ちていく同胞の背後からの声援を受けて、魔導鋼都:東京の広大な領域を踏破するべく。
破壊工作を行いながら上空に向けて攻撃で大穴を開け、次々に階層を食い破るようにして上空に急いだ。
無論、破壊した先から精霊たる機動要塞は自己再生を開始しており、その急ぐ彼らの往く手には大量の対空迎撃用のドローンやディミスリル弾の雨が降り注ぎ。
本来ならば弾けていたはずの弾も魔力と気力と体力を削られたせいで直撃、そのまま墜とされてドローンに捕獲される者も出ていた。
だが、順調に上層階へと抜けていく者達の背筋には何か空恐ろしい感覚が、魔族の勘という奴が嫌な汗を浮かべていた。
―――オカシイ……。
―――どうしたんですか!?
―――早く行かねぇと塞がっちまう!!?
―――我らはもう40層にも及ぶ階層を抜けたはずだ。
―――だから、どうしたんです!?
魔族達の一部がハッとした様子で周囲を見回し、広大な領域の果てから果てまで、その魔族の超視力で覗き。
ソレに気付いた。
「クソ!? 図られた!!?」
即座に気付いた魔族の1人が仲間達に連絡を取ろうとしたが、内部の通信が繋がらない事に最初から誘い込まれていた事にようやく気付く。
「我々は同じ階層を延々と上に昇らされているぞ!?」
「はぁ!? 嘘でしょう!? 上も下もまったく別の景色じゃねぇですか!?」
「そんなバカな!? 空間の不自然な歪みも分かりませんし、本当ですか!?」
魔族の1人はその視力を最大まで用いて周辺領域で上に昇っていく穴を開けている同胞達を見つけたが、その者達も後続もまったく別々の顔である事を確認して歯噛みする以外無かった。
「これは巧妙な罠だ!! 魔導鋼都の1階層の横幅が明らかに100km以上と有り得ない程に広い。この分だと横幅だけで何千kmになるか。その広大な領域の上下の階層間の座標を何処の部隊とも被らないように関知出来ない程遠い同じフロアの場所と事前に繋げて、自然に1階層を延々と繰り返させている!!」
「ッ―――」
「そ、そんな!? ど、どど、どうしたら!?」
「この類は横もループしているはず。くッ、この無尽の街を破壊し尽くしても意味がない!! 空間破砕は上級格の者がそれなりの時間を掛けてやる術式だ。時間が掛かる!! 魔力と気力を奪われた我らが少人数でやっても1時間……他の者達を遠距離から集めて即時突破、それを繰り返すしかない!!?」
「わ、分かりました!? 各自、散開!!! この情報を他の連中に届けるぞ!!」
彼らは事実に気付いてすら時間経過を気にせねばならない関係上、ロクな対処法が無いという点で既に善導騎士団の事前計画の術中に嵌っていた。
そして、この時点で凡そ300万人規模の前衛部隊が溶けており、魔族領側の戦力はトリモチを吹き飛ばして地下から外に大穴を開けて出撃。
関東圏各地で500m級の巨大な大穴が次々に地表に開いて、4000万近い後続が到着。
限られた期限6時間の宣言から凡そ1時間が経過し、続々と移動しながら魔導鋼都が集結してくる都心へと向かっていた。
無論、他の魔導鋼都の足止めと攻略は同時に行わなければならないとされて、戦力は東京以外に3割、残りが魔導騎士がいる東京へと向けられ、更なる激戦が始まる寸前であった。
『どの要塞が残っていても、敗北する可能性がある!! とにかく、全てを足止めしろ!! 我らには時間が無いと思え!!』
『クソゥ!? 全戦力を一極集中させないつもりか。魔導騎士めぇ!?』
トリモチの海に沈まないよう鋼都の最下層ブロックから広げられた接地用の巨大なアームの上に陣取る多くの部隊は正しく無限の消耗戦を仕掛けてくる魔族相手に死を覚悟して“非殺傷兵器”を向けたのである。
何故ならば、殺せと命令されてなんていないのだから。
彼らは善きを押し付ける騎士団。
そこに暗い影は極力要らないという事を多くの者が心得ていた。
それは正しく大結界に覆われた世界にも昇った太陽。
たった一人の男。
セブン・オーダーズ最弱と名高かったウェーイ。
アフィス・カルトゥナーのこの100年以上にも渡る演説と彼が見せた背中を見た誰もが理解するところだったのである。
「ふ、オレちゃんよりカッコイイじゃん。あいつら」
それを見届けた男は滓かに笑った後。
ウィンドウを閉じて、魔導鋼都:東京の中層階。
騎士団の用いる軍事区画の一部倉庫の前で5万人にも及ぶ精鋭達が一糸乱れぬ装いで黒武に乗り込み、黒翔に騎乗し、自分の声を待っている様子にニカリと笑みを浮かべて、背後の妻に差し出された一度も使った事の無い剣を受け取って掲げる。
「魔導騎士が帰った。今こそお前らにオレ達の本当の目的を話そう」
嘗ての若い頃の姿のまま。
しかし、この百年以上で培った威厳のまま。
いつの間にか英雄を演じる事すら無くなった若者はそのものとして今目の前にいる完全武装の自身の手足となる大隊を前にして微笑む。
「魔族は完全階層制の寡頭政治社会だ。故に最初からセブン・オーダーズの意見は一切変わらない結論を得ている」
男の見つめる虚空に巨大な映像が映し出された。
「魔族はこの星に生きる1種族となった。彼らは間違いなくヒトだ。そして、この最後の戦いは戦争じゃない」
英雄は背後から被せられたメットというよりは兜と形容するべきだろうフルプレートの装甲に顔を鎧われていく。
「目標、魔族領首魁クアドリス、シヴァルヴァ、ヴァセアの三名である。この三名に対して全武装、全戦術、全魔力、全能力の解禁を宣言する」
英雄は剣を鞘に戻した。
「敵は星を滅ぼす真正の大魔族三名である。その捕縛及び排除こそが主目的であり、それ以外はほぼ副目標である。今、魔導騎士その人が首魁の元へと向かっている。我らの使命は魔導騎士の背後を狙う全ての障害の盾となる事である!!」
歓声が上がる。
「また、敵の大範囲儀式術らしき反応を検知後、魔族領の兵隊の不死化が確認されている!! 同型ゾンビと魔族達は殺せないが、今の我らには関係の無い事だ。この百年以上、あの痴漢や毒婦共を殴り倒してきたのは誰でもなく我々だからだ!! 殺せずとも戦い!! 倒せずとも制圧し!! 昏倒させられずとも圧倒したのは外ならぬ我らだ!!」
騎士達の間から笑い声と喝采が上がる。
「善導騎士団魔導議会付き近衛大隊【オールド・ボンド】の諸君。初の実戦で済まないが、諸君らの栄光はこの決戦で終わり、新しい戦いの轍として歴史に刻まれるだろう!! 諸君らが家族友人知人恋人達の下に戻るまで戦いは終わらない!! 命を賭して命を護れ!! 誰も悲しませるな!! それが諸君らにこの草臥れた男が望む最大にして最後の願いだ!! 総員!! 出撃せよ!!」
その空間が揺れる。
彼らのいる倉庫そのものがターンテーブルのように回転し、ゆっくりと開いていく外部ハッチから差し込む光の最中へと次々に部隊が飛び出していく。
残された英雄は死地に送った若者達を見送って、剣を手に取って、妻にハンドサインを送る。
同時に彼女が頷いて背後の通路の先へと消えていった。
「賢い事だ。アフィス・カルトゥナー」
「シヴァルヴァ・ハスターシャ……主の元へ向かわずいいのか?」
アフィスが倉庫の地表に降りて、紅蓮の鬣の如き長髪を伸ばした騎士団の装甲服姿の剣一本の男と向かい合う。
「敵わぬ事は分かっていて、立ちはだかるのだな?」
「オレちゃんはこれでも臆病者だからな」
ニヤリとした男は外では数か月前に過ぎない頃の笑みを浮かべる。
「陽動にしても此処を落とさねば、宣言通り、我らは敗北するのだろうな」
「ははは、分かってんじゃん。やれやれ、第一次鋼都造営戦の時には何も出来なかったから心苦しかったんだよね。これで少しは死んだ連中にも仕事しただろ!! って、自慢出来るわ」
「フン……この結界……魔力の吸収に特化しているな」
「当たり前だ。この機動要塞は全てお前ら個人を殴り倒す為に作られた特別製。外から来たらお前らを倒す武器になり、内部に潜れば、お前らを倒す牢獄となる」
「はぁ、魔導騎士。厄介なものを造ってくれたものだ。この要塞のおかげで主を失う事になる。死ぬ前に四基全て墜とさせて貰おう」
「やらせると思うか? これでもオレちゃん、文系としちゃ優秀なんだぜ?」
アフィスが剣を地面に転がした。
そして、小さなペンを一本、タクトの如く手にした。
ゾブリとシヴァルヴァが自分の利き手内部から魔力が大量に流出し、瞬時に巨大な結界内部が100万度を超える熱量地獄と化したのに驚く。
そこには今アフィスが握っていたはずのペンが刺さっており、莫大な魔力を受け切れずに溶解していく。
「コレ、は……」
「お前ら魔族のお家芸だろ? 魔力形質に最も有った能力を使うのは」
噴出した魔力そのものによって隔離された区画が溶鉱炉どころではない空間となって全てが白く染め上がっていく。
巨大な熱量の最中。
僅かも溶けていない床、燃えてもいないし、蒸発すらしていない魔導議会元議長、そしてシヴァルヴァだけが、残された。
そんな死地を前にしてもアフィスは余裕の笑みを浮かべる。
「能力の箍が破壊された? ゴフッ……」
シヴァルヴァが血を吐いて、己の内部を急速に破壊する極大の魔力が迫り出そうとしているのを抑え込むようにして胸の上から心臓を押し込む仕草をする。
「魔族最大の弱点は魔力だ。使う制御リソースが多過ぎる。逆にオレちゃんはそこそこな魔力を持ってる連中の方が怖いという結論に達した」
「くくく、貴様のような戦いに向かぬ者が魔族殺しの技を持っているとはな」
クツクツとシヴァルヴァが笑う。
「その魔力、ヒューリアちゃん並みじゃねぇか。そんなの一部でも開放したら、この星が物理的に消し飛ぶ。そして、お前は護る為に此処へ来た。つまり?」
「時間制限付きで敗北が見えてくるわけか」
「そゆこと♪ ウチの副団長代行の術式を改良したのさ。あの封印された触手の欠片に使ったヤツ。お前はもう魔力を使えない。能力とステゴロでって事だ。自分を内部から破壊する魔力に対処しつつ、オレと殴り合いっても―――」
ゴシャリとアフィスの右顎がフックで吹き飛ばされる。
「ッ」
しかし、同時にシヴァルヴァの右脇腹にブローが突き刺さった。
「ほれはこれへも100年以上格闘技やってんだぜ」
「もうフラ付いているぞ。元議長」
再び男達の拳が互いの肉体を打つ。
一時噴出していたシヴァルヴァの魔力は完全に止まっていたが、それでもエネルギー転化した魔力の余熱は二人を炙り続けている。
そして、ゆっくりとアフィスの衣服も焦げ始めていた。
互いにノーガード。
一発でも多く相手に打ち込む為、どちらも自身の体を気にしてはいない。
だが、どのような能力、どのような身体機能であろうとも、極限環境における戦い方は決まっている。
「ッ」
「ッ」
相手の防御を貫いて、環境に殺させる。
アフィスが現在使っているのは単純に物理量を遮断する能力。
外界からの魔力転化現象で死なない為の最低限の機能を魔導鋼都というデバイスで再現したレベル創薬を体内で使っている状態。
シヴァルヴァは元々の魔族の身体能力と自身の元々の魔力による肉体の保護。
どちらも一長一短であり、魔力転化による熱量の極限環境下ではアフィスの防御機能に分が有り、シヴァルヴァの魔力を推し留めて壁とした防御には同じ魔力を用いて防御する関係上、干渉を受け易いという弱点がある。
だが、能力を駆動するのは脳だ。
そして、シヴァルヴァは借り物の魔力を体内で押し留め制御するという仕事を同時並行して行いながら外界環境からも身を護り、殴り合うという状況。
アフィスの脳は既に駆動させた能力の処理で疲弊していたが、疲弊した先から細胞内に再現された片世の再生機能で脳を揺すられて機能が落ちる度に状態を元に戻し、僅か肌が焦げる程度で済んでいた。
「何で一人で来た」
猛烈なアッパーをステップで回避しながら、アフィスがジャブで相手の肝臓や顎を狙う。
「フン。貴様らにこれ以上、若い芽を潰されるのは敵わんのでなぁ!!」
男のラリアットがアフィスの胴体に炸裂し、同時に肘の打ち下ろしが、シヴァルヴァの首に突き刺さる。
「嘘吐け!! どうせ、鋼都の制御でも狙わせてるんだろ?!」
互いに血を吐きながら男達が複雑な超近接戦闘の殺陣の如く防御をしない削り合いで次々に相手の急所を殴り壊し、抉り壊し、離れては再生して構えを取った。
「分かっているではないかぁ!!」
男達が拳で相手の拳を砕こうと互いに真正面から肉体をぶつけ合い。
同時にまた相手の胴体、頭部を集中して狙う。
しかし、やはり実戦経験の差は如何ともし難く。
アフィスの鳩尾に膝が突き刺さり、吹き飛んだ上から肘の内卸が顔面を捕らえ、猛烈な熱量で焦げていくアフィスがそれでも焦げた体で足払いで相手を後ろに跳躍させ、地表に指を付きながら、燃えていく肉体のままに再び構えた。
「よくもまぁ……極限環境動作確認済みの単一能力を連続高速再生する脳髄で処理……だが、貴様らには魔族の何たるかが分かっていない」
「ッ」
「嘗て、酷界ではあらゆる殺戮方法が試された。血族種はその多彩な攻撃方法を以て、他の遥か格上である【自存者】にも【大母子】相手にも渡り合った」
シヴァルヴァの拳が放たれ、空気圧が熱量に比例して炎の槍の如きアフィスを呑み込んでいく。
「三極会議を形成する……あの酷界のお歴々共にすら食い込む程の威を見せ付けた。何故だと思う? 貴様らのように足掻いたからだ」
シヴァルヴァが自らの胸を自らの抜き手で貫いた。
「―――ッ」
「魔力が多くて制御に困る。なるほど、真理だ。だが、だからこそ、甘い……己を犠牲にして積み上げ、他者を犠牲にして磨いた技は決して裏切らぬさ」
心臓が抉り出され、男の背後に放られる。
それは紅蓮の炎の如き煌めきと化して虚空に静止した。
術式による魔力の凍結で固定化されたソレはしばらくは問題無く沈黙するだろう。
「これで我が魔力は先程の1万分の1以下。だが、貴様を殺すには十分過ぎる」
「はは、オレちゃん死んじゃうかも……」
アフィスが言い終わった途端。
男の高速での右ストレートがアフィスの左脇腹を抉り抜いて後方へと血飛沫として消し飛ばしていた。
その傷がすぐに高速で再生していくが、再生した先からアフィスの反応速度を超えた猛烈なシヴァルヴァの指が肉体の上半身と言わず下半身と言わず。
全てを千切り取って持ち去っていく。
3秒後、アフィスに残された肉体は胴体の73%と下半身の33%。
足の質量をほぼ削り尽くされ、指の型すら残さない程に襤褸クズとされた元議長の体は再生を前にして傷口が焦げていく。
「魔族とは犠牲の上に己を磨く強者だ。故に多くの魔族達は自らを魔族だと思っているが、真なる魔族とは言い難い。犠牲の数を誇る者は二流だが、犠牲の上に遥か高みを目指そうとしない魔族も二流だ」
「へぇ……一流とかあるんだ」
アフィスの減らず口は魔力波動で流された。
肺の32%が消えて焦げ付いているので喋って音声を伝達する事も出来なかったのだ。
どれだけの熱量があろうとも光や波動で意思疎通出来る者はいるし、魔力でやり取りする情報の多くは極限環境でも大半は伝わる。
「己の犠牲の上に全てを得ようとするのは奇特を通り越して不可解かもしれんが、我が主のあの姿勢こそがオレ達にとっては指針だったのだ」
シヴァルヴァが背後を振り向く。
アフィスという名前の肉塊は今や再生する先から焦げる何かと成り果てていた。
「貴様は知るまい。酷界の戦争が如何なるものであるか。仲間を食い殺しながら進軍し、敵を屠りながら犯し増え、世界の崩壊に巻き込まれながら進む。兵隊とは消耗品の事だ。戦闘なんて上品な言葉に想像出来る事象は貴族間でしか起こらない」
シヴァルヴァが今にも蒸発しそうな黒い人型だった物体を真正面から手刀で唐竹割にして破壊した。
「何も言わずに逝け。魔導鋼都は墜とされるだろう。アフィス・カルトゥナー」
『へぇ、オレちゃんを倒すとはやるじゃないか。いや? そんな言う程のもんじゃねぇけどさ』
「ッ―――」
シヴァルヴァが死んだはずの男の声に周囲を見回す。
「いや、確かに殺したはず……いや? 殺せないはずが―――ッ」
そこでようやくシヴァルヴァが顔を引き攣らせた。
「貴様ぁあ!!? 恥を知れ?」
その怒気に苦笑が帰る。
「はははは、ようやく気付いたか。オレちゃんは何でも使う主義なんだよ。ウチの魔導騎士様はそうしてるからな。たぶん、あいつの事を一番分かってるのはヒューリちゃんでもあの姉妹ちゃん達でもないんだ」
ユラリと黒い焦げた破片がゆっくりと浮かび上がる。
蒸発していなければオカシイ。
(魔族、ヒト種族、人類の順に死が取り除かれる事まで予測されていたか。己の種としての属性すらこいつらは―――)
叫びながらもシヴァルヴァが内心で相手の覚悟を前に唇を噛む。
アフィス・カルトゥナーだった破片がカチャカチャと音をさせながら元に戻っていくのはどういう事か。
「切り札が大雑把なのは頂けないな。どうせ、善導騎士団の魔族の血筋が少ない事を見込んで数があれば、問題ないと思ってたんだろ?」
「ッ―――我らの策を利用するか!! アフィス・カルトゥナー!!?」
「勿論、無論、その通り。死なないってのは痛いんだな。いや、こんな破片になってすら死ねないのかよ。はは、再生する度に激痛奔ってるんですけど」
アフィスの形を取り戻した破片が焦げながらも焦げる速度よりも早く再生していく様子はホラーですらある。
脳髄が無いはずなのに意志が感じられるのだ。
「今のオレは魔族って事♪」
ギョルンと白い眼球が焦げながら再生し、頭骨が復元され、ジワジワと肉体が元に戻っていく。
「いやぁ、百式には頭上がらないわ。事前に魔族化してたのは効いたっぽい。あんな状況でも意識が途切れない。概念論系の不死に近いんだろうな。うん……あの状態で死んでないってのも嫌な経験だな」
「ッ、魔族を騙るか!!?」
「お前が死なない以上、足止めは不可能だと思うだろ? だが、そうだよ。人間に今の時点では足止めなんて不可能だろうさ。オレが人間ならな?」
「ッ~~~!!?」
「だが、死ななくても痛いし、死ななくても力は落ちる。塵以下の原子分解ですら殺せない以上、一定以上の能力がある連中が本気で足止めすれば、お前は全てを滅ぼす魔力を開放する以外ではこの場を突破出来ない。お前のこの状況に対する解法は存在しない。ウチの九十九たんや百式からのお墨付きだ」
「ならば、心を削り尽くす!!」
「ああ、やって見ろよ!! 心が弱くてセブン・オーダーズなんぞやってられないんでな!! グダグダ戦争しようぜ? 今までみたいになぁ!!」
「貴様を行動不能にして、この要塞を止める!!」
再び男達は激突する。
アフィスはあまりにも不利だ。
頭部どころか次々に肉体は瞬きの間に削り尽くされる。
だが、その状態ですら平気で反撃が飛んできて、その拳や腕を粉砕したシヴァルヴァは猛攻を加えて再び相手を塵にまで戻していく。
塵すら残さず蒸発させる程に苛烈な攻撃が殆ど実態が無い虚空に向けて行われるが、それでも尚再生し始める相手。
そして、再生を許さず延々と攻撃を続行するシヴァルヴァはその時点でハッと気付いて後方に下がった。
「時間稼ぎ―――最初から!! この空間の時間を加速させたな!?」
「くくく、九十九たんが優秀過ぎて困る。オレちゃんこれでも百戦錬磨の魔導議会議長ですしおすし。どうせ、セブン・オーダーズの魔族連中以外はどうにかなると踏んで会わないように予測までしてたんだろ? だが、逆にソレが落とし穴だ」
お茶らけた言葉の上で元に戻るアフィスがまだ再生し切っていない顔で微笑む。
「何故だ!? 常人の精神ならば、もはや死なずとも消え去っているはずの激痛に状況だぞ!? 魔族ですら、死を望む状況で何故笑っていられる!?」
「お前、甘いって言ったよな?」
「何?」
「オレちゃんはちゃんと訓練したんだ。毎日毎日訓練したんだぜ? そりゃぁ、心くらい強くなる。あいつのおかげで無限に地獄も見た。それでも譲れねぇもんの為に魂は捧げといたってだけの話さ」
「訓練でどうにかなるわけが―――」
「なるんだなぁ。それが……12億30021日」
「何だと?」
「だから、12億30021日。オレが絶望の日々を送った数だよ」
「まさか、貴様は、いや……貴様ら起きている連中は―――」
シヴァルヴァが僅かに顔を歪める。
「ホントさぁ。あの魔導騎士様の人の心を折る訓練。半端じゃないぜ? 人類滅んだ世界で何百年、何千年戦うとかさぁ。宇宙で無限にも思える日数窒息しながら太陽に焼かれつつ相手と戦ってねとかさぁ。いやいや、どうなったら、こんな状況になるんだよって、思わん?」
「~~~」
「でも、言うんだよ。あいつ……夢の中でさ。全部、可能性の話だって言うんだよ。オレ達の心が折れた時、人類が滅ぶんだって言うんだ……夢で体得した技能の大半すら超長期訓練で擦り切れてロクに覚えちゃいないんだぜ? でも、分かるんだよ。オレの魂が、心が、精神が、覚えてる」
アフィスの肉体の上にゆっくりと服が再生されていく。
魔族特有の事象。
魔力による物質の創造。
「諦めたら、消えるんだ。消えちまうんだ……全部。頑張ったから報われるわけでもないってのは分かってるさ。でも、無かった事には出来ないだろ? 大勢の連中が紡いだ日々は、この世界で起きた出来事は夢幻じゃないだろ?」
初めて、シヴァルヴァの額に汗が一滴流れる。
蒸発するとしても、確かにソレは己の生きた地獄と同等以上時間を繰り返してきた人類という存在に向けられる差が埋まっていたと知った故の畏れだった。
「シヴァルヴァ・ハスターシャ……お前にオレちゃんが折れるか?」
アフィスの顔を覗き込んでしまった一角の魔族は僅かに後悔した。
「魔導騎士……奴め……精神だけを超越者にする訓練とは……真にダークナイトが創られたか!!」
「さぁ、一方的なワンサイドゲームでも始めようぜ? お前とオレ、どちらも折れないなら、時間が過ぎるだけでオレの勝ちってゲームだ」
「貴様ぁああああああああああああああ!!!?」
「悪いな。弱くってよぉ。すぐに時間が経って負けちまうお前には同情してやるよ。ただ、ウチの知り合いの夫婦が泣いた分くらいは……あの時、造営戦で死んだ連中の分くらいは……ま、ゆっくり絶望していってね♪」
叫んだシヴァルヴァが最大速度で肉体がもはや見えない攻撃を繰り出し、アフィス・カルトゥナーは消し飛ばされ、同時にまた再生されながら、戦い続ける。
あまりにも一方的な魔族の全力を受けて尚、何一つ折れない男の雄姿を……全ての結果を封じ込める結界を張る者達すらも知らない。
だが、それでも、彼の伴侶だけは……見えずとも分かる男の背中を思い。
その心の強さを想った。
傷付き、倒れそうになって帰ってきたら、一杯抱き締めようと思った。
だって、彼女は知っていたから。
痛みも苦しみも本当に嫌いで泣きべそを掻いてしまう男の弱さを知っていたから。
誰よりも弱いから強さを知った青年が真の英雄になれると知っていた彼女は涙を振り切るようにして己の役目を果たすべく走る。
未来をより良い方向へと向かわせる為、用意していた策を起動しに急ぐのだった。
*
「シヴァルヴァ卿の奮戦を無駄にするな!! この階層を抜ければ、後は魔導鋼都の中核霊廟まで一直線だ!!」
高位魔族の男女数名。
今は善導騎士団のデフォルト・スーツ姿で通路を駆ける彼らは魔導鋼都を止める為の切り札を託され、セブン・オーダーズの足止めに向かった男の事を想いを無駄にせぬ為、上を目指していた。
巨大な要塞内部は基本的に数億単位の人間が詰め込まれているが決して人口密度が高くない。
それはつまり内部構造が広過ぎるという事だ。
殆どの魔族達が知らない事であったが、魔導鋼都は内部拡張が自動で行われ、居住スペースや生産拠点の用地に困る事が無い。
この点で明らかに人口増加率に対し、住まう場所が足りなくなりつつあり、限界が来ていたヨモツヒラサカとは違った。
故に人に出会わず最上階を目指す事も決して無理ではない。
「霊廟前の確認用のフロアはこの術式を身に着けていれば突破出来る!! 後は霊廟内部の中枢ターミナルを乗っ取るだけだ」
直走る彼らは遂に魔導鋼都の最上階手前のフロアへと到達する。
その白いガランとした何もない領域は40m四方程でしかなく。
しかし、直前に襲撃を掛けていた部隊の戦闘が付けた弾痕があちこちにあった。
用心深く早足で抜けようとした彼らはふと―――ラーメンの屋台が置かれているのを目にした。
しかも、香気が漂ってきて、思わず誰もがゴクリと唾を飲み込んだ。
「安いよ安いよ~~」
彼らが最後の仕事前に食事にしようかと自然に屋台に導かれ、座席に座るとすぐにお通しとして湯葉の盛り合わせが出て来た。
三つ葉が添えられており、一緒に出されたメニュー表は小さいが数種類のメニューが並べられていた。
「このお任せセットを5つ」
「はいよ。お任せ5つね。お客さん、初めてじゃないかな?」
「あ、ああ、ダメだっただろうか?」
「いやいや、此処はみんなの屋台さ。問題ないですよ」
店主はまだ年若く。
爽やかなイケメンでわり、彼らの内の女性達がちょっとその明るい笑顔に頬を染めていた。
「お任せは今日のラーメンに餃子と日本酒、チャーハンのセットなんだ。お勧めの食べ方はラーメンチャーハン、時々餃子と日本酒だね」
「そ、そうか。こういうところに入った事が無くて疎いものだから、助かる店主」
「いやいや、こういう出会いを大切にしたいと常々思ってるからね。お客さんには美味しいものを食べて欲しいといつも思ってるよ」
言ってる傍から店主はまるで踊るが如く華麗に立ち働き。
包丁捌きも優雅に添え物用の漬物を切り分け。
魔術で大量のお湯で麺を湯で、最適な加減で引き上げるとキラキラと宝石のように引き出された麺を優しく湯切りして、温めていたラーメン用の碗にかえしとスープを注ぎ入れて、そっと麺を潜らせ、トッピングを載せていく。
具材はメンマ、ナルト、海苔、半熟の煮卵、大ぶりで厚切りのチャーシュー3枚。
最後に上からそっと香辛料らしきものが僅かに指先から振り掛けられ、白髪ネギが添えられてほぼ同時に5杯が供された。
続いて屋台の内部で動魔術によって振られていた鍋から大量の黄金チャーハンが煽られ、虚空で更に丸く盛り付けられる。
チャーハンの具材はどうやら角切りの根菜類らしく。
味付けはシンプルなようだ。
そして、今まで蓋を被せられて蒸し焼きにされていた場所が開かれ、羽根付き餃子がザッと返しで器に引っ繰り返され、全員の前に並べられていく。
「チャーハンは根菜をメインにしてるから、カリカリとホクホクとパリパリとふんわりが同時に味わえる。食感豊かにしてみたんだ。今日の餃子は海産物で固めて、海老とホタテのプリプリとした触感に牡蠣と牡蠣油を混ぜたネギ餡。皮に香辛料を練り込んで焼いてあるから、一口食べれば、ラーメンやチャーハンとも違う薫りが楽しめる」
ゴクリと再び彼らの喉が鳴る。
「日本酒は純米大吟醸の聖王だ。専用米の可食可能な中心部3%だけを使った贅沢な品でね。味わうとバニラのように甘い飲み口なのに後味は辛口のように爽やかなんだ。餃子の後に油を流せば、正しく極楽ってヤツだね。飲み方は常温の水割り。熱い舌には丁度良い23度前後。風呂上りにも美味しいんだよねコレ」
やはり、ゴクリした彼らが頂きますと丁寧に両手を合わせてから端でラーメンをすすり始める。
「こ、これは細縮れ麺?」
「それにこのスープの香り……しょうゆベースのスープなの? で、でも、このどっしりとした満足感は……一体、何の出汁かしら? カツオではないような?」
魔族領の若者達に店主はニコリとして告げる。
「正真正銘しょうゆベースだよ。出汁がちょっと特別でね。鹿肉と熊肉の純粋培養肉を使ってるんだ。餌の匂いがそもそも付かないものだから、細胞が取り込む栄養素が他の肉と同じなら、畑で収穫すればまったく獣臭くないんだ」
「へ、へぇ……知らなかった」
「でも、出汁を取る前に一工夫しててね。獣肉専門の節を造るところがあるんだよ。そこでカツオ節みたいに茹でて乾燥させてという工程を経て、専用の黴を使うんだ。熟成期間も含めると8か月くらいかな。肉の熟成による芳香を閉じ込めた輝く浅黒いルビーの出来上がりさ」
「スゴイ!! こんなの食べた事無いわ!!」
「ははは、そんな事ないよ。全部、大昔の誰かがやってきた事で造られてるものに違いないしね♪」
店主は誉め言葉にニコニコと上機嫌に答える。
「チャーシューは培養肉の中でもちょっと世間にあまり出回らない豚肉を使わせて貰ってる」
「出回らない?」
「失敗作と呼ばれるヤツだね」
「失敗作?」
「今の関東圏の食糧事情的に余計な油が付いたり、余計な栄養素が多過ぎると不健康になる層が一定数いるんだ。だから、そういう過剰なうまみ成分や油が含まれると肉は栄養素として再加工されて、再び肉の培養に使われる。その一部を譲り受けるルートがあって、ちょっと油や旨味が多いのを使ってる」
「へぇ~~あなたスゴイのね!! そんなものを手に入れてしまうなんて」
「いやいや、昔関わった時にちょっとね。卵は市販のコカトリスのだし、メンマは自家製のマチクを使ってる。海苔は東京湾産の天然もの。ナルトは深海魚専門の培養業者がいてね。そこから持ってきた本格的な百年以上前の日本で食べられていたものを再現してる。香辛料を入れてるから、お摘みにもいいよ」
男女が聞いている横でラーメンを啜り、チャーハンをレンゲで掬い、餃子を箸で口に運んでいく。
「旨い!! 旨過ぎるッ……こんな、こんな世界があるのか(´;ω;`)」
思わず泣き出した魔族の青年が一人。
「おや? 食事時に涙は似合わないね。良かったら話を聞くけど、どうしたんだい?」
「……オレは良いところに生まれたんだ。家門は正しく指導者層で……でも、ヨモツヒラサカの最下層にいつも遊びに行っていた。そこで出会う子達は良い友達だった……でも、食べているモノを分けてくれた時、思わず顔には出さなくてもマズイと思った。どうして、こんなものを美味しいと言って食べられるのか。そう思ったんだ……」
「それは文化や暮らしている集団が違えば、そういう事もあるんじゃないかな?」
「違うんだ!! オレはそいつらと分かり合えると思ってた!! もっとちゃんと楽しく付き合えると思ってた!! でも、違いが分かる歳になって、どうしてこれで満足できるのか。どうしてこんな劣悪な状況で笑っていられるのか。もっと、ちゃんとした暮らしをしたくないのかと……」
「もう、呑み過ぎよ?」
横から女性の1人が背中を摩る。
「うぅ……暮らす世界が違ったんだ……常識がッ、今まで知らなかった世界が有った!! 同じヨモツヒラサカに住んでたのにオレはそういう場所がある事を知っても何も出来ない自分が情けなかった」
「お客さんも苦労してるんだね」
「苦労など!? オレはあいつらに謝りたいんだ。あの時、最後に自分達の精一杯の金で食わせてくれたあの食事に美味しいと言ってやれなかった!! そんな自分が恥ずかしくて……情けなくて……分かり合えない事が分かってしまって……だから、あんな場所からあいつらが他のところに……もっと良いところに住めて、旨いものを食えるようにしてやりたいと……うぅぅぅぅ(´;ω;`)」
「店主さん。ごめんなさいね? 彼、実は泣き上戸で」
グビグビと日本酒を飲んだ青年はカーッと叫んで喉を焼かれた口でラーメンを啜り、夢中で食べていく。
「いつか、叶うといいね。いや、君なら叶えられるよ。その願い」
「そうだろうか……オレは……情けない男だ……」
店主はそっと魔族の青年の肩に手を置く。
「この世界は広いんだ。いつか、この結界が消えて、外の世界に出ていく時、君達は自分の生き方を選ばなきゃならない。その時にこそ、自分のやり方で自分の願いを叶える為にこそ生きればいい。君の願いや思いは決して悪いものじゃない。誰かを思いやり、その人達の生活が良くあれと、君にとってすら良いくらいに向上させようとするなんて、ちょっと傲慢かもしれないけど、優しい願いじゃないか」
「て、店主……(´;ω;`)」
「おっと、お腹も一杯になったらデザートもあるよ? 結構お腹に溜まる食事だからね。最後にスッとして貰いたくて、デザートは柑橘系で甘さ控えめのゼリー寄せにしてある。柑橘類と日本酒と牛肉の赤身で作ってあってね。さっぱり食べられるから、しめにはいいと思うよ」
こうして魔族の青年淑女達はラーメン屋台で腹ごしらえを終えて、今日はそろそろ時間だからと屋台を牽いて部屋の通路の先に消えていく店主を見送った。
「よし!! 行くぞ!!」
「ええ、お腹も一杯になったしね」
溌剌と彼らが最上階に足を踏み入れる。
その顔には正しく元気が満ちていた。
そうして彼らがやってきた廟がある最上階。
巨大な魔力プールの上に浮かぶ廟を目にする。
巨大なクリスタルがその中央にはあった。
あまりにも分厚い円柱状のソレの内部には―――何も無かった。
「何も入ってない?」
「いや、何処かに……索敵!!」
「魔力探査中!! この階層に生命反応無し!!?」
「どういう事だ!? セブン・オーダーズがいるのではなかったのか!?」
「分からないけれど、これはチャンスなんじゃないの!?」
「そ、そうだな!! 各自!! 気を抜くな!! 魔導鋼都の乗っ取りを開始するぞ!!」
彼らが急いで中枢だろうクリスタルに浮かんで近付き。
魔力プール内にも何もない事を確認して、クリスタルに接触。
その内部にあると思われる制御中枢へのアクセスポートを探す。
「何だコレは―――」
「一体どうした!?」
「制御中枢へのアクセスルートが見当たらない!? 此処にはアクセス権限のある機材も場所も無いぞ!?」
「何ぃ!? どういう事だ!? 確かにこの部屋を用いてセブン・オーダーズは制御を行っていたはず!? 何か!? システムに介入する機材や場所一つ無く制御をしていたとでも言うのか?!!」
あまりの事に混乱した彼らが自分達がアクセスするべき機械的な部位が無いか。
隠されていないかと丹念に調べ……そして、無いと気付く。
「じゃ、じゃあ、今まで我々が調べていた全ての情報によって導き出される答えは……」
「ええ、セブン・オーダーズはこの何もない廟の中に眠っていながら、この魔力プールがあるだけの場所から……」
「この巨大な魔導鋼都を自分の力量だけで直接制御していた?」
「し、信じられん!? クアドリス様やゼームドゥス父上ではないのだぞ!? いや、その二人ですらこれほどに巨大な物体を制御するには然るべきシステムが必要なのは間違いない!! 奴らの頭は最新のスパコンを遥かに超える演算力を有しているとでも言うのか?!!」
「待って!? みんな待って!? よく考えましょう。魔導鋼都の事は表層的な能力は分かっていても実際のところは分かっていない。もう一度よく考えるの!!」
「考えるって、そもそも魔力だけあっても制御方式がまるで分からないぞ!? 九十九ネットワークすらディミスリル建材を用いても高度な計算は基本的にシステム本体である量子魔導演算機無しでは不可能だ!!」
「最新の術式タイプなら可能性はあるが、アレはそもそも極めて繊細で魔力の濃度や他の環境に左右され過ぎる」
「基本。そう基本よ。基本的な能力の確認に立ち返りましょう」
女性魔族がそう汗を浮かべながら確認する。
「魔導鋼都の基本能力って言ってもこの魔導鋼都そのものが精霊だって事くらいで他にはディミスリルの建材の塊って事くらいしか」
「そもそも九十九ネットワークも何処か一か所のシステムに依存しているわけではないですし……」
そこで言い出しっぺの女性魔族が気付く。
「ッ―――もしも、もしもよ? この場所から制御してるとして、この魔力プールは何の為にあると思う?」
「え? そりゃ、魔術を使ったり、眠る時の術式の維持動力としてじゃ?」
「じゃあ、制御に使ってないと思う?」
「その可能性は低いんじゃないか? 制御方法が見当たらないだけで制御そのものにはやはり魔力が必要だろう」
「この濃度と密度の魔力塊……でも、とても安定してる」
「ああ、そうだな。普通なら爆薬みたいに滅茶苦茶危険なはずなのに一切転化する様子が無い……」
「精霊化……いえ、この要塞が精霊の肉体だと仮定すれば、此処って何処に当て嵌るのかしら?」
「え、そりゃ、頭部じゃないか?」
そこで何かに気付いた女性魔族の顔色が急激に悪くなっていく。
そして、彼女がそのひらめきに確信が必要だと動き出そうとした時。
彼らの1人はフワフワと自分達の上空に浮かぶ小さな精霊を見付けてしまう。
「アレ? 精霊?」
「―――ッ」
彼女が逃げてと言うより先に彼らの大半が魔力プールに墜落した。
「な、何だ!? この圧力!? 重力操作か!?」
「みんな!? 上の精霊から離れて!?」
気付いた女性魔族の言葉に咄嗟反応し、彼らがプールの端に逃げる。
その時、ゴバッとプールの底が抜けるようにして一瞬で魔力が見えない穴の底に落ちて行った。
「こ、此処は!? 此処はッッ!!? 口なのね!?」
『どうやら気付かれてしまったようね』
「誰だ!?」
魔族達が叫ぶと同時に銃や剣をあちこちに向けて構える。
その最中、小さな一匹の精霊。
地表でならば珍しくないだろうものが下りて来た。
ソレは一見して鳥のように見えるが、胴体の中心部に目を持った軟体動物のようにも見えた。
『初めまして、皆さん。私はバルバロスα……人造神格精霊第一号基』
誰もが小さな精霊の言葉に固まる。
精霊の力は内包する魔力とその構造の複雑さと体積に比例する。
「何者だ!? 精霊だと!? セブン・オーダーズの手の者か!?」
『うふふ。無知は罪じゃないわ。でも、手の者と言うのは少し違うかもしれないわね。魔族も人もヒト種族も私の中に住まう者達……私を破壊し得るのも殺し得るのも制御し得るのも貴方達じゃないわ』
「何ぃ!? 一体、何を言ってる!?」
『物分かりの悪い魔族さんねぇ。私の別名は魔導鋼都:東京よ』
「何、だと!?」
驚いている魔族達の中でも始めに気付いた女性魔族の肩に降りたアルファと名乗った精霊が優雅に浮遊して目の前をユラユラと泳ぎ始める。
『セブン・オーダーズの最優先事項。七課題の幾つかを解消する為に生み出されたのが私……嘗て、東京において顕現した神格位に迫る人造精霊。古き精霊、始祖のバルバロスに近しい再現個体。それを二人のお母様達は魔導鋼都として造営したの』
小さな精霊がスイスイと泳ぎ回りながら、魔族達をその一つしかない瞳で見つめて、細めた。
『制御なんて必要無いのよ? だって、私がそれそのものだから。お母様達とニュヲ姉様が私達の育ての親という事になるかしら?』
「まさか、この鋼都そのものが精霊として意識を持っているのか!? そんなバカな!? 精霊化しているとは言っても、こんな巨大なものを精霊化させる魔力を安定させられるわけがない!?」
常識論が魔族達の口によって語られる。
『それはこの世界の常識。でも、私は私という世界の常識で安定化しているわ。此処はそういう定理で組まれた“異世界”なのよ。規定が違う。設定が違う。物質のスピンの値から、定理まで少しだけ、外の世界とは違うのよ』
クスクスとアルファは笑う。
『貴方達の首領。クアドリスが主に死に掛けているのも私達の食事にされたからというのに知らないって罪ねぇ』
「な、何ぃ!?」
驚愕に魔族達の目が見開かれる。
『魔導鋼都は魔族達から人類を隔離し、生存させる機能を持った世界として創られた。けれど、それを制御するだけのシステムを当時開発する事は関東圏単体では不可能だった。だから、お母様達の能力によって自存する精霊として、メイン制御システムというよりは精霊を世界化し、その内部に住まわせる計画。ティル・ナ・ノーグ計画。妖精郷計画が独自に発案、始動された」
魔族達の周囲に次々に当時の映像や画像、計画書が映し出される。
唖然とする彼らの前に小さな妖精は空を泳ぐ。
『妖精郷は常若の島、水底の島、勝者の島、けれど。最初に求められたのはどれでもない。私は無垢なる島。精霊を世界化し、物質世界における箱舟の島とする第一号機……私達は何れ星より遥か巨大な星系を内包する船となる手はずなの』
「ま、まさか!? 地球脱出計画のあの船は―――」
『うふふ。将来の私達が成長した姿よ?』
魔族達が絶句する。
『私達が当初予定のシステムの代わりにディミスリル・ネットワークに接続し、外界と繋がった時、この世界そのものを私達と化して、あらゆる定理、あらゆる事象を操作出来るようになる。これこそが私の御父様、魔導騎士の計画、その別の可能性、終着点の一つ』
精霊がゆっくりと大きくなりながら中央の円柱にぺったりと張り付く。
『本来は御父様に魔力を貰う予定だったのだけれど、大結界は良い食事処だったし、今も大量の魔力を貴方達の上司は私に吸い取られているわけね』
「まさか!? 魔導鋼都そのものが化け物の腹の中だったとは!?」
『心外ね? 私達はお母様達や御父様の手前、お行儀の良い子よ? それに貴方達の事も気に入ってるわ。何とも思ってない生物を自分の中に住まわせるなんて嫌じゃない♪ 貴方達だって、胃腸に善玉菌や悪玉菌がいてもいいけど、寄生虫は要らないでしょ?』
「行儀の悪い怪物にクアドリス様の魔力が食い荒らされているのならば、此処で叩かせて貰う!!」
『うふふ。くふふ。可愛いわね。魔族って……あのカエルの翁ならまだしも、貴方達程度にどうこう出来る事なんて無いわよ? シヴァルヴァ・ハスターシャやゼームドゥスのクラスならば、私と同等以上に戦えはするでしょうけど』
「魔族領は勝つさ!! 貴様のような化け物にもな!!」
全員が戦闘態勢を取った。
『貴方達は勘違いしているわ。世界には勝てない。勝てるのは世界を滅ぼせる……明確な線引きで滅ぼす側に立てる者だけよ。魔導鋼都は本来、魔族領の誰が相手でも、始まりの5人の魔族以外には護る必要すらない』
「―――?!!」
『今は百式ちゃんが結界を敷いてくれてるけれど、失礼な物言いの貴方達には上司の人がやられる姿を見て欲しくなっちゃった♪ カルトゥナーおじさんはいつも私の事を労ってくれるから、好きなんだ~~ちょっと手伝っちゃお♪』
「な、何をする気だ!?」
彼らの目の前に映像が映し出される。
それは殴り合いの映像だった。
あまりにも一方的な殴り合い。
魔族に流れる人の代表者と呼ばれて久しい英雄。
その倒れても倒れても起き上がる不屈の男と彼らの上司の殴り合いには安定感すらあった。
が、その均衡が崩れる。
アフィスの拳が苦し紛れの一撃がシヴァルヴァの顎にまぐれ当りした。
途端、高位魔族であるはずの肉体が僅かに揺らぐ。
「シヴァルヴァ卿!? こ、このぉ!? 怪物めぇ!?」
攻撃魔術を編もうとした魔族の青年淑女達であったが、魔術が発動しない事に気付いたと同時に肉体が俊敏に動かない事に愕然とする。
『言ったでしょう? 此処は私という世界なの。例え、大結界クラスの隔離障壁が敷かれても、世界の規定そのものを弄る私には意味が無い。それこそ新しい世界となる規模と質の結界でなければね。つまり、“死なない魔族”をその定理から外す事だって出来るわけ♪』
アフィスの拳がボロボロに崩れながらもシヴァルヴァの鳩尾に入った。
血反吐を吐き出すシヴァルヴァが均衡が崩れている事は承知で更に敵を殴り飛ばして距離を置こうとしたが、アフィスが腰に組み付くようにタックルを掛け、しつこく肉体にしがみ付きながら制圧しようとするのに相手と同じく叫びながら突き離そうと攻撃を加え続ける。
しかし、破壊され、砕かれ、散逸する肉体相手ではそれ自体がまるで何もない虚空に攻撃を仕掛けているようなものだ。
それでも実体を保ちながらゾンビよりも尚不死身の男を前にして掴み掛り、真向から殺そうと向き合う姿は……互いに獣のようであったが、紳士的ですらあった。
『これで互角。でも、どうかしら? ずっと寝た切りの陰謀野郎だった男に毎日毎日戦い続けた彼が倒せるかしら?』
ゴシャリと一発。
顎に入った一撃でシヴァルヴァが揺らいだ。
『お前ら魔族がどれだけ強かろうとオレらの何万倍生きてようと関係ねぇ!! 数の暴力!! 魔力の質!! 何が劣ってても意地くらいは貫き通して見せるさ!!』
『こ、の?!』
シヴァルヴァが殴り返そうとした時、男の二発目が顔面に入った。
『どんな善意悪意利益の為でも泣いた子供も大人もいたんだ!! 東京にはそんな悲劇が溢れてたんだ!! あの日、東京でお前らが起こした事件でどれだけの人間が人生を終えたか!? それよりも残された連中がどれだけ苦しんだか!!』
死なないと痛くないは同義ではない。
死なないと不調であるも同義ではない。
死に続けても戦う男は死なずを体現し続ける魔族の長の1人に向けて拳を振るう。
その拳が相手の拳によって砕け散っても止まらず。
『ッ、オレの生徒になってくれた連中には沢山いたよ!! 騎士になろうと言ってくれた子供達にだっていた!! お前らには単なる矮小な人間モドキ風情の人生に起きた小さな悲劇なんだろうよッ。でも、あいつらがッ、あいつらの力が今、オレを!! オレちゃんを此処に立たせてるッ!!」
遂にシヴァルヴァの脳髄が猛烈に揺れた。
己の頭蓋が砕けるのも構わず。
獰猛にヘッドバットを決めて笑う元議長は揺らいだ瞳を睨み付けて。
『他人様の人生の上で繁栄なんぞ謳歌してんじゃねぇッッッ!!!!』
頭突きが遂にシヴァルヴァの首の負荷を限界を超えて突き抜けた。
首の皮一枚でぶら下がった頭部が、頭蓋すら要らぬとばかりに全身の崩壊と再生を繰り返す男の立ち姿に唇を噛む。
(我が主……人は……人間は……やはり、あの頃と同様……我らにとって最大にして最後の壁であるようです……どうか、最後まで己の道を……)
シヴァルヴァの頭部がアフィスの拳によって打ち砕かれた時、絶叫を上げた者達が虚空に手を伸ばしたが、映像が途切れる。
『馬鹿な!? シヴァルヴァ卿が!? 始まりの魔族が、人間に負けた?! お前かぁ!!?』
彼らが虚空で回遊する鳥にも見えるディティールの妖精アルファに叫んだ。
『貴方達も見ていたでしょう? 最前線から百と数十年退いていた男と永遠にも思える時間をこの百年以上の時間戦い続けていた男。その差は単なる魔力と血統の差でしかない。その差が埋まった時、二人の男がどうなるか。分からない?』
クスクスと妖精は笑う。
『哀れね魔族。半魔族のヒト達は最初から知っていたわよ?』
「な、何ぃ!?」
『騎士団の誰もが訓練を欠かさない。頭脳、魔力、能力、技能、どれ一つ魔族に届かない奴らは五万といるわ。でも、彼らは魔族と戦えている。それは武装や技術の差なんてものよりも大きな力を彼らが得ているから……』
「何だと言うのよ!?」
『努力、根性、勇気……陳腐な話……マンガね。いえ、アニメかしら?』
クスクスとクツクツと妖精は分かり切った最後の答えを魔族達に聞かせる。
『意志力よ? 努力は必ずしも報われない。根性でどうにかなる敵はいない。勇気と蛮勇に違いはない。けれど、人間には……いえ、善導騎士団には、陰陽自衛隊には、それが無い人間は決して入れない』
「―――?!!」
『貴方達に分かる? 百年鍛えても魔族の子供にも負けるような資質。千年鍛錬したって、魔族には届かない魔力、万年磨いても魔族の反射に負ける技能……だからよ? 弱い者はソレらを良く理解する。そして、理解するからこそ、対策し、準備し、相手を観察し、全てを丸裸にして……万全で望むわ』
その言葉に背筋が凍るよりも砕かれたような衝撃を感じる彼ら魔族の青年淑女は精霊が降り立ったクリスタルの円柱前を見つめる事しか出来なかった。
『あの男が負けるのは必然よ? もしも魔族と同等の力や資質、数を持てば、単なるヒトでも魔族に一方的に負ける要素はない』
精霊の姿が捻じ曲がる。
そして、フッと消えた時。
円柱が光り出した。
『接続フェイズ第一段階。ヨモツヒラサカへの連結信号を発信―――開口部招来』
その時、魔導鋼都:東京の直下。
今までトリモチの海だったはずの地表が一気に黒い大穴の拡大で消え失せ、穴底へと落ちていく。
―――うわあああああああああああああああ!!?
―――ひ、飛翔しろぉおおおおおお!!?
―――無理だぁあああああああああ!!?
―――こんなところで死ぬのかよぉおおおお!!?
幸いにして、魔族達はそのトリモチの弾力によって墜落で死ぬことは無かったが、全身の骨を粉々にされる衝撃で精神の摩耗が加速、正常な状態を保てる閾値を超える激痛に気絶する者が大半だった。
半径4.6kmの大穴の底が見えた。
「ば、馬鹿なぁ!? ヨモツヒラカサが無い?!!」
虚空に浮かべられた映像を前にして誰かが叫ぶ。
それは魔導鋼都の最上階でも同じであった。
『ふふ、物理的な接続部はこの星の奥よ? ディミスリル・ネットワークですもの。ヨモツヒラカサ最下層に引き込んだマントルの先に術式中核は置かれている』
「ぶ、物理接触する方法は最初からッ」
『あはははは!! ヨモツヒラサカを圧し潰したりしないわよ? だって、コレは概念域や異相と繋がる巨大な経路……魔術の基礎の基礎。遠隔で魔力を接続する方法の超巨大版なんですもの♪』
ゆっくりと魔導鋼都:東京が大穴の底へと落下していく。
その最中、彼らは見た。
大穴の横にはヨモツヒラサカの様々な階層の者達が見えた。
しかし、誰一人として命を落としている者は無く。
本来あるはずの建造物や構造物はまるで無かったかのように断面を晒している。
「く、空間が折り畳まれて?! 大結界内部なのよ!? 空間制御戦中にこんな事出来るはずがない!?」
『言ったはずよ。世界が違うと。空間制御戦は最初から相手の土俵で戦うアウェーな戦い。世界そのものである私達が一度も披露した事の無いホームでの戦いで負けるわけないじゃない?』
よく見れば、移動していた全ての鋼都が次々に大穴を開けて、落下態勢へと入っていた。
魔族達はあまりの出来事に一瞬茫然としながらも接続を回避せねば、自分達が敗北する事を悟り、次々に魔導鋼都の最下層外延装甲へと群がり、あらゆる手段で落下を阻止するべく上空へと機動要塞を持ち上げようと試みる。
―――止まれぇえええええええええええええ!!!?
―――落下させるなぁッ!!!
―――心魂果てて我らが死骸で埋めてもいい!!
―――何としても止めるんだぁあああああああ!!?
『うふふ♪ 残念だけど、私達を止められるのは始まりの魔族達くらいよ。でも、それですら怪しいわ。だって、純粋な物理的質量において延々と溜め込んだ一基で地球の30分の1よ? 膂力で止めるにしても、魔力で止めるにしても、能力で止めるにしてもゼームドゥスが消えたのは痛いわね。彼の魔力の残滓は私のお腹の中……それを加速に用いれば?』
最上階で絶叫が響く。
「や、止めろぉおおおおおおおおおおお!!?」
魔族領軍の集まっていた軍団が一瞬で半数を血飛沫に変えられた。
それでも死なない。
再生する。
再生する再生する。
再生する再生する再生する。
死なない。
だが、死なずとも心は摩耗し、死なずとも、元に戻るとしても、魔族達の肉体はその魔導鋼都の莫大な質量が動いた空気を媒質とする熱量、運動エネルギーの余波でプラズマまで昇華され―――巨大な切っ先の周囲に纏われる光の帯となっていく。
それを見ていた善導騎士団の多くも瞠目する以外無かった。
魔導鋼都が動く。
その空恐ろしさと遥か自分達の果てを行く技術と魔導の先端にいる者達の力は脅威を通り越して神話の域にある。
それはもはや有象無象の魔族達の数を何一つ……本当に何一つ問題としない。
不死であろうが、無限に再生しようが、意味など無かった。
「止めろぉ……止めてくれぇぇ!?」
「止めてぇ!? もう、彼らは!!?」
もはや、最上階の魔族達は自分達には何も出来ないと痛感していた。
『貴方達は何を言ってるの?』
心底不思議そうな精霊の声に彼らが背筋を凍らせる。
それはまるで駄々っ子に対して呆れているような声だった。
「「「「「!!?」」」」」
『貴方達は人間が止めてと言った時、男でも女でも人の貞操を奪うのを止めた事があったかしら? 力強き者は決して弱き者を侮ってはならない。それを一番初めに善導騎士団では教えるのよ?』
魔族達の習いは常に強者こそ正義であるというものだ。
ジャスティス・イズ・パワーというわけである。
『侮った貴方達は今まで好き放題した結果を受け止める時期に入っただけ……目に焼き付けなさい。魔族と名乗りし、ヒトの子らよ。己の、魔族という社会の終焉を―――』
超大質量体の魔力による増速に合わせて魔族達が正しく肉体そのものを肉の塔の如く最下層の接続部に集めて、魔力を次々に放出し、相手の運動エネルギーを相殺しようとする。
だが、相殺出来る限度は何百万、何千万の肉体を以てしても1m沈むのを数cm押し戻すようなものでしかなく。
明確に時間稼ぎですら僅かな出来事に違いなかった。
あらゆる能力と魔力が注がれた矛盾の切っ先。
それを外部装甲近辺の足場から見ていた防衛部隊の大半がこの状況で魔族に攻撃を仕掛けるのは倫理的に良いものかと少し考え込んだ。
が、すぐ各々の端末に予測状況において魔族側の反抗が予告され、今の内に死なずとも気絶させておけという指示の元、猛烈な弾幕を地下の魔族達に浴びせ掛けた。
昏倒、気絶させる為のディミスリル弾は何処に当たろうが相手の意識を吹っ飛ばす最強の制圧武装の一つだ。
それらが正しく転移で弾を延々と供給されながら、地下に魔族溜まりとも呼べるだろう穴底に向けて殆ど狙いも付けずに放たれ、意識を刈り取り、魔導鋼都の接続部に集う魔族達を沈黙させていく
『五千万発の転移準備確認来ました!! 連射力の優れた痛滅者のガトリング武装を追加で降ろすそうです!! 虚兵装備の方ぁ!!』
虚兵に乗り込んで非殺傷系の弱装弾を十連装のミサイルランチャー形式でばら蒔いていた者達が上空の転移用の安全マーカーが方陣形式で見えて、慌てて受け取るように片手を上げた。
途端、その上からゴシャッと得物が落ちてくる。
腕が取れそうな加重の巨大ガトリング砲。
虚空から現れて腕に抱えられたソレに今まで虚兵を操縦していた者達の顔が引き攣ったのも無理はなかった。
『こ、これ痛滅者のキメラティック・アームドだろぉ!? 一挺で数百万人規模のゾンビを葬ったって言う!?』
虚兵の内部で3D式で武器説明書が垂れ流され、彼らの視界に読み込ませられる。
『はぁぁぁ?!! 非殺傷と言っても、コレ一丁で射程3000kmって!? 何だコレ!? こんなの大昔は使ってたのか!?』
多くの者達が驚くのも無理は無かった。
この100年以上、細々とした兵装の類はマイナーチェンジやグレードアップが重ねられてきた。
が、人類側の兵器類の大半は鎮圧に特化して、様々な規制を受けた上で認可され、現場の人々に使用されてもいた。
ゾンビを殺す為だけに特化された武装の殆どはまったく降りて来ず。
根本的に殺傷可能な武器は使った事はあったにしても、虐殺に近い殲滅能力特化の兵装はほぼ見た事も無かった。
4m程の巨大な縦長の盾の内側から迫り出した9連装ガトリングガン。
アドバンス・アサルトと現在は俗称されるカスタム銃器の原形。
ソレが自動でリンクし、全武装の攻撃先を割り振り、地表に向ける必要すら無く。
トリガーのロックを解除し、いつでも撃てるとばかりに下方の地獄の内情。
撃つべき対象の詳細情報をデータリンクで魔導鋼都の観測網の映像に重ねて多重表示した。
その畏れるべき仕様。
知性ある存在に向けたならば、一発で百万人以上が即死する殲滅兵器をゴクリと唾を飲み込んだ彼らが引き金を引いた途端。
多重高速情報処理によってターゲットの無力化を確認した先から各銃器のターゲット変更が人間には知覚不能の速度で次々にリアルタイムで起り、一発の撃ち漏らしも無く秒速30kmの弾体が1mで2倍計算で大量に増殖、遥か下で魔族領の未来の為に戦う戦士達にシャワーとして襲い掛かる。
―――?!?
―――!!?
―――?!!
そうして、気絶させられた先から彼らは巨大な魔導鋼都の圧力に磨り潰されてオーロラ染みて死なないままの地獄へと還っていく。
『ッッッ』
多くのトリガーを引いた者達は恐怖した。
コレは正しく人間の合理性と感情を伴わない兵器の極限系なのだと。
『こ、この弾体誘導方式は―――魔力でも、データ処理でも無い? 概念系術式? 死と生の異常を感知して殺到する不死者殺しの……【メメントモリ】……こ、こんなのを100年以上前は使ってたのか!? こんな!?』
殆ど最初期の陰陽自衛隊や善導騎士団の者達は魔導や魔術に明るくない人々ばかりだった為に視線誘導弾以外の大抵の弾体誘導方式なんて良く分からんが当たるという感覚で何でも使っていた。
だが、それに詳しい者、洗練されてきた100年以上後の彼らの末裔は知ってしまう。
その明らかに人類が手にしてはいけなそうな誘導弾は……正しく死者と生者を切り分けて追い続ける禁断の魔弾なのだと。
最初期の武装とは違い。
現代の関東圏の大半は多くが米国が用いていたMVTのような情報処理での誘導方式や術式誘導がメインとなっていて、詳しい内容が分かってしまう彼らは大結界外の人々よりもずっと直接的に魔導騎士の怖ろしさを知ったのだ。
『180°以上も軌道変更するのか!? それもこの弾速で蛇のようにあらゆる物体を検知して回避?! こんなものを使わねば倒せぬ相手が黙示録の四騎士なのか!?』
阿鼻叫喚の地獄絵図。
嘗て少年が造ったものよりも性能が数倍以上まで上がっていた弾丸が運動エネルギーを使い切るまで永続で軌道変更を繰り返し、銃弾とは思えない回避性能を付与され、最新式の慣性制御術式を併用し、死の槍となって魔族達の頭部に命中。
その後、魔族達が意識を取り戻す前に肉体毎消滅していく様子は虐殺というよりは殲滅というのに近く。
凡そ400挺が10秒間斉射した後。
ゆっくりと魔導鋼都は地底へと落下し、その切っ先を異相空間越しの日本列島内部にまで侵食を行っていた少年のディミスリル・ネットワークの中継地点へと接続する事になった。
そして、それと同時にすっかり絶叫も途絶えた地下から噴き出していたオーロラが大量に穴の淵に吹き上がり、上空から再生しつつ精神をやられた魔族達が何の落着への対処も出来ず降って来る。
オーロラ後魔族な天気模様。
だが、彼らは死なない。
死なない以上は降り積もり続けるし、呻き続ける。
その光景は正しく常識外であり、落着で潰れていく魔族達をも目にした殆どの人類側戦力は自分の正気が削れていく音を聞いた。
合計で4億4000万人規模の豪雨。
仲間の重量で潰れて再び再生していく魔族達を見て、慌てて善導騎士団は保護するべく魔族の雨の上から動魔術で莫大な数の魔族達を拘束して並べて手当するという大仕事に取り掛かる事となる。
しかし、トリモチの海に未だ埋没していた後方にある魔族達の出撃を続ける出入口付近は未だ殆どが健在。
一時、絶望に駆られた魔族の後続達であったが、後方からの声に我に返っていた。
『諦めるな!! 魔導騎士は6時間と言ったのだ!! あんな巨大な物体が一瞬で何もかも接続する事など不可能だ!! まだ芽はある!! 態勢を立て直せ!! 壊滅した前衛は奴らに任せて、次波の再編を急げぇえ!!』
現地部隊の隊長達はその司令部からの声にすぐ己の成すべき事を悟り、まだ前衛部隊が壊滅しただけだ、という何の慰めにもならない現実を飲み込んで魔導鋼都からのトリモチ弾の雨を回避しながら部隊の再編に務めるというあまりにも忙しい仕事へと戻るのだった。
*
―――アバンステア帝国首都旧帝国技研領内。
「恐らくだが、この虚無……无と表記するが、この領域は実際には我らの次元観測や現行の予測では分からない巨大な“空の時空”なのだ」
「カラのジクウ?」
「恐らくはな。時空間が存在していないのにどうして知性体が存在するのか? その問いへの唯一の答えは簡単だ。この領域にあるのは全て世界。つまり、個体性世界とでも言うべき概念論そのもののような生命がいるという事になる。あるいは精神生命とも言っていいかもしれんが、恐らくは概念的に似ているだけで別物だな。我らの世界の定理より更に上位の次元で表すしかない存在だ」
「ほむほむ」
「外なる者達。あの方は神と呼んでいたが、ソレを恐れてはいなかった。それが今ならば良く分かる。あの知性体達にとって、正しく我らはシャーレの中の細菌に等しい。この世界に自らの影を落としているが、影から学ぶというのは聊か考え難い。どちらかと言えば、環境が彼らを操作する。世界と世界が交じり合う。つまりだ……」
声の主が白いボードに数式やら定理やら連ねていく。
「彼らはこんな微小な世界に干渉してわざわざ生命体に対してアプローチしてくるヘンタイ……我ら研究者のような存在だ。平たく言えば」
「平たくし過ぎでは?」
「だから、彼らは本来受けないはずの影響をわざわざ受ける。それを楽しんですらいるのではないかと思える。つまり、活動なのだ。この世界への干渉は自身が動く理由……面白い、好奇心、知的活動、その類のレクリエーションと考えられる」
「ぬ~~~う。確かに……」
「无の中にいる宇宙は正しく宝箱。そこは観測者として定理を望む者に開放される神の領域……そして、あの方はまだ届かないが、恐らくソレを疑似的に再現する事が可能だ」
「例のゲームですか?」
「エメラルド・タブレット。アレの解析結果は今後の人類が絶滅するまで連続運用される程に有用だが、言ってしまえば、疑似的な无を生み出すものだ。OSの入っていないパソコンみたいなものだよ」
「……宇宙一つを再現する処理体ですか」
「だから、劣化模造品であるドラクーンに渡されたアレは創れる世界が銀河くらいに容量が小さいだろう? だが、それを逆に身に纏う事によって殆どの攻撃を無力化可能だ。要は全ての現行の宇宙の定理や法則下の事象をアレによって量子的に別次元に落とし込んで情報化、処理する領域が発生している。アレの作動原理は量子重力次元トンネル理論の発展形だが、突き詰めればそうだな?」
キュコキュコとマジックで一つのものが描かれる。
「ドーナッツ?」
「左様。あの方が我らの世界に齎したオカシのようなものだ。差し詰め、无に浮かぶ菓子とは宇宙、と言う感じか?」
「世界を纏う、ですか?」
「時空間の創造原理は凡そゼド教授の理論と矛盾が無い。また、この世界の地球にある技術。魔術だか、魔導だかの諸々の解析をしている最中だが、時空間の干渉や創造は可能な範疇らしい」
「世界を生む者。神、ですか?」
「ドラクーンは否定するだろうが、彼ら一人一人が本当に全力を尽くせば、恐らく我々の現行宇宙よりは低位の次元世界を生み出す事は出来る。問題は我々の次元における宇宙の神に近しい存在。ドーナッツの大半を占めていると思われる敵があまりにも先行有利な情況という事だ」
「勝てます?」
「まぁ、結論を急ぐな諸君。勝てないから勝とうとするのは矛盾しない。無謬だ。そんなものは我らには必要無い。誤謬こそを正し、正確に理解してこそ、我らではないかね? 合理性は決して完全ではないのだ」
「同意は可能だな」
「問題はこの无を再現出来ないかという事にある」
「无を創る。難題では?」
「恐らく、この次元の行為でしか、敵を倒す方法が無い。奴らもまたソレは行っているだろうが、完全なる解析や制御は不可能と見た。理由は単純。そうであるならば、この星はとっくの昔に無くなっている」
「………続けてどうぞ」
「で、だ。无を創る為のシステムは現行の技術的には恐らく可能だ。エンジニアリング用に原子核魔法数999番台以降が必要という試算結果が出た。ただ、宇宙の崩壊と創造の話にまで規模が大きく成り過ぎる」
「作れても共倒れですか?」
「共倒れが我らの限界だ。我らの技術力のみであれば」
「ほうほう?」
「だが、新たな世界の技術の解析結果はこれを覆す。そして、局所的な无を生成する装置の開発は……可能だ。あの方のお嫁様達の御一人に提出して頂いた外なる者達の力。あの炎……世界を消却した。この无の領域への穴を生み出した力は我らの創造を遥かに超えて……有用だ」
研究者達が大きなガラス製の蓋をしているだけの研究所の保管庫を前にして世界の外があるとされる場所を覗く。
だが、そこには床しか見えない。
「この認識もまた世界からの恒常性による処理ですか?」
「それは間違いない。観測機器は嘘を付かん。動作しているが、未だに何もないがある。我らは宇宙に欺かれている。ソレを認識してしまえば、狂うか。もしくは存在の変質で宇宙が壊れる生物にでもなってしまうのだろう」
「で? 有用な炎とやらは?」
「少し貰って来た。今、ゼド教授と方々がゼド機関の発展形をエンジニアリング中だが、【世界消却機関ワールドフォール・エンジン】WFEと名付けられた」
「ワールドフォール・エンジン……世界の消却、相転移エンジンの次元、宇宙版ですか?」
「左様。外なる者の宇宙消却能力を超重元素で制御してエンジニアリングし、真空の相転移を超える破滅。いや、世界という時空間の相転移、終わりによって世界を燃料にして動く宇宙最初にして最後になるだろう機関だ」
「そんなもので得られる出力を制御出来るのですか?」
「可能だ。疑似的に下位次元の宇宙を創造して出力を概念的に圧縮する。3次元のビックバンも四次元のビッグ・クランチも2次元の内部ならば、マンガだって起こせるだろう? 宇宙の崩壊と創造を同時に行える出力を押し込めた領域そのものを持ち運べば、解決だな」
「ははは……我らの技術の如何程が使えるものか……」
「そう悲嘆するな。我らのデータが大本だ。内燃機関の設計は地方研究者達の渾身の作が使われた。そして、あのお方に献上されるドレスの制作は佳境に入っている。あのお方から得られた知見も全て使われた」
「ジ・アルティメットを超える力……」
「間に合わなければ、我らは滅ぼされるだけだ。今まで宇宙で幾度と無く繰り返されて来ただろう興亡。そんなものに興味は無い。宇宙の始まりから終わりまで一度くらいしか起こらない事象を観測する方が有意義だな」
「【深淵機関】……」
「俗称かね? いいではないか。人があのお方の畏怖によって己を律し、宇宙の終わりまで繁栄したならば、それは伝説ではなく神話となる。その名称一つが残ってすら我らの勝利は揺るがない!!」
研究者達は苦笑交じりだ。
だが、誰もがギラギラとした視線で互いにニヤリとした。
「さぁ、諸君。あのお方に愉しんで頂けるよう武装案はあるかね? 今なら、何だって作り放題だぞ?」
「ハイハイハイ!! 場を弄る機構をこの間考え付いたのですが!!」
「却下。相手だけ滅ぼすものにしてくれ。真空崩壊を制御出来るのか?」
「今までの話から可能だと判断します!! 要は真空崩壊そのものを瞬時に終わらせれば良いわけでフェムト秒クラスの超極短の瞬間的な終了を掛けられれば、可能なはずです!! 要は領域を区切れば良いのです!!」
「ふぅむ。マシンのデータでやって良さそうなら作りたまえ。但し」
「はい!! 実験せず姫殿下に直接お渡しする事は確約致します!!」
「よろしい。では、次」
「はいはいはいはい!!! 場の定理制御が可能なら、時間の逆行は出来ずとも時間の遅延は可能だと考えます!!」
「時間停止系か? 案外普通の発案だな。この間のデータか?」
「はい。姫殿下が身の内に迎え入れた緑炎を現在も観測しながら理論構築しておりました!! 宇宙が崩壊する時に時間を永遠に先延ばしする方策として考えていたのですが、時間停滞領域による物理量攻撃の遮断は防御面では副防御兵装の盾として利用出来るのではないかと!!」
「ビッグ・フリーズみたいなことにならんだろうな?」
「それはもう!! ちゃんと考えてあります!! 宇宙を冷やして固める事も熱して流動させるのも結局は定理。スピンの値を弄れるなら、殆どの物理量の余波は制御範囲のはず。どんな力も物理量である限りはどうにかなります!!」
「よろしい。次!!」
「はーい!! こっちは加速系です!! 実は対象物質を光速の8203%まで加速する方法を発案したんですが!!」
「ブラックホールになるのでは?」
「そこを何とかする方式として光を超高速で通す粒子を生み出せる可能性がある超重元素の量子的な分解方法を模索中です!! 原子核魔法数800番台が使用可能ならば、相手のブラックホール化や宇宙の終わりに叩き込んで強制終了させることが可能です!! たぶん!! 開発期間と予算を3か月下さい!? お願いします何でもしますから!?」
「うむ。採用!! よし!! 次ぃ!!」
「そ、そのぅ……あのぅ……姫殿下に先日お声を掛けて頂いて……えぇと、ぅう……姫殿下のご尊顔をあらゆる生物の遺伝子と原子核構造に叩き込んで刻み付ける光波の制作をしているのですが、先日ちょっと出来たので開発人員を……」
「「「「最優先でやろう!!」」」」
「は、はい!!? 皆さんよろしくお願いします!!?」
こうしてガヤガヤと騒がしく狂人達は自分の好きな研究で人類の興亡よりも大切な姫殿下への贈り物を制作するべく。
和気藹々と破滅を弄び始めるのだった。




