第4話「裏返る時代」
「馬鹿な!? 馬鹿な!? 馬鹿なぁ!!? 我が魔力が!? 我が力が消えていく!!? 何故だ!? 鋼都全域の魔力が今、手中にあるのだぞ!? どうして、我が長年の悲願を前にして我が魔力が消え―――」
群馬にある巨大な要塞の最上階。
巨大なフロア中心部の芯柱。
鋼色の室内は硬質な金属で出来ており、六角形状の室内の中心にある柱から広がる蒼い魔力によって入った者を容赦なく溶かす硫酸染みたプールにしている。
物質化した魔力の濃度はそれだけで劇毒の類。
しかし、そのプールの内部。
戦い続けていた翼持つ魔族の壮年の男が己の魔力の消失と同時にジュワッと体を溶かし切られて消え去った。
「ったく。油断も隙もねぇな。おーい。引き上げてくれー」
相対していた少年の言葉にDCディミスリル・クリスタル製のワイヤーがウィンチで巻き上げられ、腰のベルトで背後から引き揚げられた少年が仲間達に魔力の水滴をポタポタ落としながら片手を上げた。
ウィンチが巻き切られた後にクレーンが少年を脇の通路へと降ろす。
「ひゃふ。大丈夫? クロイ?」
「おう。大丈夫大丈夫。つーかさぁ、鋼都の警備ザルじゃね? 何かあった?」
「ひゃふ? 騎士団がベルきゅん様が帰ってきたって大騒ぎしてる」
「まぁた、偽ベルディクト何某かよ。はぁぁ~~懲りねぇなぁ。魔族連中も」
「今回は本物だって」
「は?」
「さっき、確認したら、全員走って行っちゃった」
「そういや、連中が見えねぇ……って、アレ? もしかしてオレ置いてかれた?」
プルプルと犬のように魔力の水滴を周囲に振るい落とした陰陽自衛隊所属なアサギリ・クロイは相棒を見やる。
「行く?」
「いや、きっと此処にまた魔族連中来るだろ。これからは取り合えず、最終防壁染みてゴールキーパーするわ」
「うん。それでいいと思う。ベルきゅん様なら、きっとどうにかしてくれる……」
「あっちはあっちで任せとこう。それにカズマさん達が恐らく備えてる。最後にオレが此処を護ってれば、あっちもお手上げだろ?」
「……うん。強くなった……クロイは……」
「はは、よせって。今もやっぱりセブン・オーダーズの人達相手じゃ負けちまうし」
「それはクロイが負けると思ってるから。そもそも正式なセブン・オーダーズの人員登録されてないだけでもう正式隊員みたいなものだし」
「そうか? 案外、埋められない差とか感じるんだが……カタセさんとかカズマとか。ルカはオレと同じくらいかと思ってたら、努力だけで何か置いてかれた感がある今日この頃……」
「クロイは弱い……だから、強さを諦めた時、きっと最強になる」
その長年共に戦う相手の言葉に少年は僅か目を細めて頭を掻く。
「強さを諦めた時、か。そんな時は来るのかどうか……もし、変われるのなら、オレは……誰よりも強くなりたい。ガキだった頃みたいにさ」
「それでいい。クロイの道はクロイが決めていい。ベルきゅん様達が私達に示してくれたように誰もが自分の道を決めていい」
「はは、そうかもしれない。さ、オレはしばらく内側に潜る。頼めるか?」
「ひゃふ♪ 任せておく!! これでも伝説の相棒」
「伝説ねぇ……都市伝説の方じゃないかソレ?」
「本当の伝説はベルきゅん様達だから、私達にはこれくらいが丁度いい」
「ははは、違いない!! さてと、あの2人が揃って部隊を率いてるんだ。こっちはこっちの仕事をしよう。エレミカ」
少年は両手を胸に手を当てて、通路に背中を預けて瞳を閉じる。
次なる戦いの為に少年は自らの力を高めるべく己の中へと意識を落とし込んでいくのだった。
*
「悲しいわね。【女神】」
群馬最上層階へと続くフロア。
その手前に侵入していた複数の魔族達の部隊が二人の女が率いる部隊を前にして足止めを食らっていた。
表向きの魔族達の侵攻は殺されないという前提で何一つとして武器を持たない生身での突撃を以て【全裸の行軍ノーガンズ・マーチ】と呼ばれる。
しかし、それは本当に表向きに過ぎない。
肉体と能力が最大の力である魔族達の実質的な支配領域への挑戦は事実上停滞しているし、実際に本気で攻めてきているわけではない。
魔族領側は決して無能ではないし、多くの場合実際に致命傷を与える為の手練手管を練って放つ熟練の武装諜報戦は最初期から行われていた。
その最も始めの標的は鋼都の造営への妨害で始まり、今や内部侵攻による無人フロアを踏破し、鋼都を落とす事に焦点が当てられている。
「リト。下がって下さい」
「アリア。いいの。私達が止めてあげなきゃ」
女神と呼ばれた少女。
否、部隊の長。
彼女はこの百年以上変わらぬ姿で共にメイド姿の相棒と共に魔族達に恐れられたスイーパーだ。
彼女の周囲を固めているのは善導騎士団の正式採用装備“ではない”全てが白く統一された機械鎧の兵隊であった。
それと相対するのは善導騎士団の2世代前の正式装備を身に纏う人型魔族の群れ。
重火器と盾を備え、背後に無数のドローンを備えたCP車両付きの黒武や黒翔までもが存在している。
「ねぇ。ミアミ……戻って来ない? 家に……」
「今更に説得なんて、アサギリ家の始祖がどういう風の吹き回し?」
リト。
嘗て、アサギリ・クロイに救われた少女は今や敵に回ってしまった相手へ優し気な視線を向ける。
ミアミと呼ばれたのは20代前半程に見える派手な紅蓮と白と基調としたライダースーツのようなインナーに同じ色合いの魔族領製の装甲。
善導騎士団の技術を解析して生み出された武装を身に纏う女。
その二人の顔は良く似ていた。
「アサギリ家がどうして塔の番人をしているのか。貴女はまだ知らなかったでしょ? でも、それを知れば、貴女はもう戦う理由を失っちゃう。だから、今まで何も言わずに来た……」
女の顔が僅かに険しくなる。
「何ですって? 母と父を!! 自分の血を分けた親族を見殺しにした貴女にこれ以上、私を説得する言葉なんてあると思うの!?」
リトの背後に嘗ては喋れなかったはずのメイド、アリアが立ってそっと両肩に手を置いた。
「……あるよ」
「ッ、アサギリ家は今までずっと鋼都を、あの中心核となったセブン・オーダーズの封印廟を護ってきた!! 父も母も!! その使命に殉じた!! でも、貴女は父も母も助けなかった!! あの大災害の時!! 私は此処に潜入していた魔族領の者達に助けられたのよ!? 分かる!? 今まで敵だった者達の方がずっと!! ずっと私の事を理解してくれた!!?」
叫ぶ女が感情を剥き出しにして拳銃をリトに向ける。
「うん。そうだね……」
「両親の支援要請を断った貴女が、あの時ちゃんとした決定を下してさえいれば!! 二人とも生きていたのよ!? 玄孫とはいえ!! 血を分けた子供達を見捨てた貴女は母親としても家の長としても失格でしょ!!?」
「……ミアミ。貴女の両親は生きてるよ」
「―――嘘よ?!!」
「嘘じゃない。嘘じゃないんだよ……」
思わず銃口がブレる。
「なら、今すぐ合わせて見せなさいよ!?」
叫ぶ女を前にして、彼女の周囲にいた人型ドローン。
スイーパー。
掃滅者と呼ばれた、女神と言われた女の手足。
その内の二つが彼女の前に進み出る。
「ッ」
ミアミ。
彼女が何か嫌な予感を感じた。
そして、同時に二人の人型ドローンの頭部のフェイスメットらしきものが片手で外された。
そこにいたのは―――彼女には見覚えのある金髪と黒髪の両親。
『ミアミ』
『ミアミ……』
何処か沈んだ様子の二人を前にして彼女の額に汗が一滴流れる。
「嘘よ!!? ドローンに顔を被せて両親ですって!? 馬鹿にするのもいい加減に―――」
『ミアミ。お前が生まれた時にオレが母さんに言った言葉。小さな時に教えたの覚えているか?』
「―――ッ」
『オレはこう言ったんだ。例え、生まれは違えども、一生護っていく』
「そ、そんなの!? 長であるあの女にだって報告してたかもしれないじゃない!!? それとも何!? 目の前で死体まで吹き飛んだ時の記憶は嘘だとでも言うの!? あの時の爆発は絶対にッ、絶対に二人を殺してた!? 首も胴体も繋がってなくてどうして生きてるってのよ!!?」
拳銃が二度。
彼女の手によって両親の顔をしたドローンの胸元に打ち込まれ―――しかし、両親の指に寄って受け止められた。
『ミアミ。貴女に教えた事。まだ覚えている? 二人だけの秘密。お父さんにも秘密だって言ったわよね?』
「ッ―――嘘!? 嘘!? 死者の魂を冒涜したの女神!!? それとも脳を再生!? そんな技術あるなんて聞いたこ―――!?」
彼女が叫ぼうとして思わず可能性に気付く。
しかし、それを振り切るように同時に拳銃を幾度となく両親の顔をした者達に打ち込んでいく。
だが、その弾丸は撃たれた者達の指で全て受け止められた。
そして、同時に彼女の前で二人が両手を握り合って頷き合う。
『ミアミ。お前にも言っていなかった事がある。そして、お前自身の事も教えてはいなかった。あの事故の時、魔族領にお前の身柄の返還を願い出た時……その代価を我々は払う事が出来なかった……それは……許されなかった……』
父親の顔をしたドローンが苦渋の顔のままに握っていない方の手を握りしめる。
『ミアミ。秘密はね。本当なのよ……』
母親の顔をしたドローンが俯き胸元に手を震わせながらきゅっと握りしめた。
「秘密? 秘密って何よ!? ミアミの事が心配だから、絶対死ねないのって!? バカにしないでよ!!? そんなの!!?」
『ええ、それが秘密。秘密なの……魔族領にも明かせぬ秘密。例え、どんな犠牲を払ったとしても秘密にせねばならなかった事……』
『何を……ッ』
『それが露見した時、我々は、人類の魔族領との戦争に敗北する可能性があったの。でも、でもね……誓ったはずなのに……貴女の為に……死んであげられなくて……ごめんね……』
思わず泣き出した伴侶を抱き締める父親。
その両親の様子に彼女が自分の知る両親のままのドローンの様子に体を震わせる。
「ドローンじゃない?! 遠隔? いえ、そんな事在り得ない!? このフロア内のあらゆる密閉は大結界並みなのよ!? 内部にいない? ドローンに脳が組み込まれてる様子すらない!? なら、貴方達は両親のAIだとでも言うの!?」
彼女の叫びは至極全うだ。
そして、同時にリトが前に進み出る。
「ミアミ……此処にいるのが貴女の両親だよ。嘘偽りなく。どんな契約をしても、これだけは真実だと私の名前に、あの人達の願いに誓って証言する」
彼女の喉が干上がる。
「じゃあ、何? 私の両親は機械だったとでも言うの!!?」
ミアミが僅か一歩後ろに下がる。
「それは正解の一部でしかないんだよ」
「一部?」
「それは教えられない事だったんだ」
「教えられないって何よ!?」
「善導騎士団東京本部付最精鋭……5000余名の彼らを魔族領の人々はこう呼ぶ。終末の兵隊……ラスト・レギオン……魔導騎士の部下、と」
「終末って……それは鋼都造営時の何度かの戦闘で全滅したって……あいつが言ってた。自分の魂を半分持って行った怪物達って……」
「うん。彼らはね。この大結界の外。未だ殆ど時間が経っていない世界にいる敵。最後の大隊と彼らが操る全てのゾンビ達を斃す為に錬成された部隊」
「まさか、お母さん達がそうだって言うの!?」
「「………」」
両親が顔を伏せる。
「な、何よソレ!? 単なる兵隊でしょ!? それが、それが!? 例え、不老処理を受けたって!? 今じゃ、そんなの―――」
「そうだよ。それは今の為政者の人達にとっては大物ならやってたりする事かもしれない。でもね。そんなものじゃないんだ……貴女のご両親は……世界の命運を握ってる……」
「世界のって何よッ!!」
リトが指を弾くと上空に映像が映し出される。
それは未だ鋼都の無い世界で無限にも思える同型ゾンビが押し寄せる世界に戦い続ける兵士達の姿だった。
だが、すぐに魔族領の部隊の隊員達が震え始めた。
畏怖、恐怖、絶望。
あるいはその力の代償が如何なるものであるかを知ってしまった故に。
―――何だよアレ………。
そこでは魔族の魔力を大量に流し込んだ巨大な巨人型のゾンビやら竜型やら他にも明らかに数百m級の巨大ゾンビ達が無限に押し寄せる都市外延が見えた。
それに対し、戦っているのは小さな人型だった。
関東圏全てを埋め尽くす勢いで溢れたド級フロッカーよりも強力な山より巨大な魔力の超凝集体を体内に持つ敵。
そんなものが最初の東京中心域へと総進撃中なのだ。
だが、その総力戦にも見える戦闘は押されていた。
ちっぽけな人間の部隊が、それを押し返していた。
「魔族領と第一次鋼都造営戦が起こった時、魔族領の主である男から大量の魔力を奪う事で鋼都を稼働させる計画が練られたの。その時、当然のように潜伏していた魔族達は戦力が揃わぬままに攻めてくる事になった……いえ、攻めさせたの……人類が今後の100年を勝つ為に……」
無限にも思える敵を駆逐していくのは数百倍以上小さい部隊が撃つ銃弾、斬撃、魔術、あるいは拳であった。
彼らは戦っていた。
必死に戦っていた。
だが、次々に血の染みになっていく。
巨大質量による魔力全開の圧し潰し。
全てを破壊する爆発。
何もかもを薙ぎ払う閃光。
都市を一撃で破壊する打撃の連打。
地域そのものが消し去られていく。
消え去っていく。
だが、それでも兵隊達は立ち上がる。
復元されていく。
「彼らは本当ならもっと後に総力戦を行うはずだった。けれど、大結界敷設時に恐らくダメージを受けていた魔族領の首領にして元ガリオス興国期宰相……俗称青瓢箪と呼ばれた大魔族クアドリスは結界の維持の為に動けなかった。チャンスだったの……原初の魔族達に大打撃を与えなければ、人類の敗北が覆らないと当時のメインシステムである九十九が予言したから」
それは事実だった。
巨大な結界を生み出し続ける人柱として彼は自らを封じていた。
故に手足となるモノたちが新たな魔族の時代を築いたのだ。
だが、彼らは万全では無かった。
たった一度の機動要塞の造営戦において原初の魔族の一角を再起不能にされたからだ。
「結界から魔力を過度に抽出し、負荷を限界まで引き上げる魔導鋼都の造営はあちらからすれば、主を失う可能性のある危険な計画だった」
光の粒子に導かれ。
血の染みになってすら実体を取り戻し、あらゆる症状がまるで時間を戻しているかのように実体を持って再生し、屠っていく。
その上空では無限にも思える魔力と無限にも思える熱量が鬩ぎ合い。
終わりなく続く戦いの最中にも太陽を隠す関東を覆う巨大な獣が自分の肉体を三日月のように抉られて、無限に等しく血潮で東京を水没させていく。
腕を千切られても、胴体が消え去っても、頭部が砕けても、蒸発しても、磨り潰されても、兵隊は止まらない。
人間らしい絶叫と、人間らしい雄叫びと、人間らしい涙を流しながら、それでも戦い続ける。
「彼を救う為、魔族領は地表の人類を限界まで粛清してでもこちらを止めようとした。そうして、今は殆ど情報を残してないし、欺瞞情報ばっかりにしてる魔族と人類の初めての総力戦が始まった」
無限の消耗戦。
無限の戦闘。
それは正しく地獄の如き人の魂を磨り潰した防衛線。
「お父……さん?」
その兵隊の一人の顔は泣きじゃくっていた。
泣きじゃくりながらも叫びながら突撃し、殺され、屠り返し、無限とも思えたはずの巨大なゾンビ達を、山より高き絶望を、女の顔をした膨大な魔力を内包する人形達を平らげていく。
「おかあ、さん……?」
その背後、全身をグチャグチャに砕かれて、再生される度に魔力と相手の放つ瘴気に汚染され続けながら、腐敗し、崩壊する体を引きずりながら、魔術を放つ後方要員が男よりも尚猛き叫びを挙げて……あらゆる手段を用いて敵を殲滅していく。
何でも使って何でも消費して、己の命の全てを投げ捨てて、それでも倒せぬ相手に何回だろうと死の先で勝利を勝ち取っていく。
「彼らは弩級フロッカーを無数に投入、超高位の頚城も多数出撃させ……銀座や新宿まで攻め寄せた。当時の東京都民の殆どを収容した善導騎士団東京本部を中核とする部隊はそこに最大戦力を常駐させた上で他の全戦力を投入した大規模防衛線を展開したんだ」
巨大な獣が墜落し、それに東京全てが押し潰されそうになってもまた熱量によって全てが蒸発し、その雲霞の如き重金属雲の最中で襤褸雑巾の如く半身を焼け爛れさせた銀髪の男が不死の兵隊達の手によって五体を分割され、頭部までも破壊される寸前―――転移で消え失せる。
「アサギリ家はね。表向きはクロイと私の家って事にしてる。それはね……そう思わせておきたかったからなんだ……こんな事になってた当時、子供なんて儲けられなかったよ。でも、“そういう事”まで使う必要があった。善導騎士団、陰陽自衛隊合わせた人員の中でも最も隠蔽能力に長ける私と対処能力の高いクロイが居れば、欺瞞は可能だと百式ちゃんは言ってた」
それ以上の言葉を紡ぐ前にリトの肩に手を置いた両親が更に前へ出た。
「原隊陰陽自衛隊戦略防衛戦術教導隊。現善導騎士団東京本部付ライジング・ウルフズ教導技官長。騎士【間洋二】」
「現善導騎士団ブラック・シープ副司令。騎士【間美奈子】」
「!!?」
ミアミ、彼女の目が見開かれた。
父と母の事は魔族領側として働く事になってからも調べていた。
その情報でも二人は民間人として電気工と薬剤師という事になっていた。
だが、それがどんな嘘であったのか。
始めて彼女は知る事になったのだ。
「ICS保有者。登録番号3233番」
「同じく。登録番号3225番」
少女がフラッと後ろに下がる。
「……貴女のご両親を止めたのは私だよ。殴り込んで殺されても、研究材料にされて、どんな酷い事をされるとしても、子供を護るのが親だって……振り切ろうとしたのを止めたのは……このリト・アサギリ……」
「イモータル・コンバット・システム……悪魔の遺産」
彼女は知っていた。
それは嘗て騎士団が要した最終兵器染みた兵隊達の力だ。
だが、それは度重なる魔導鋼都の造営戦によって消耗し、今や存在しないか極少数であるというのが魔族領の全体的な見方だったのだ。
「二人が……不死の兵隊……?」
ミアミは理解してしまっていた。
魔族達の悪夢。
その死なない兵隊は常に魔族領を阻み続けてきた。
必ず、絶対に、魔族領の最も致命的な作戦を阻止してきた。
その度に莫大な損失を出して倒してきたと魔族領の一部の者達は言っていた。
曰く、頭部を消滅させても死なない。
曰く、魂を空間毎葬り去っても死なない。
曰く、再生能力を殺す魔剣で殺しても復元する。
曰く、次元と空間を操る魔術や魔導で五体をバラバラに別次元と別領域に封じ込めても、その全てが本人として再生し、最終的には復活した。
結論として彼らを殺す方法は本当に一部に限られ、あらゆる隠蔽された彼らそのものの能力を保全し、記憶や人格を封じた波動的、光波的、魔力的、機械的、全ストレージを同時に消滅させ、本体は1gの質量すら残してはならない。
「死んだ人もいる。でも、殆どの人達は生きてるんだ……色んな偽装を施して、魔族領との最終決戦が始まるその時まで戦力として隠匿する必要があったの」
それは表向きとは違って魔族領の最精鋭の部隊にとっては……死もしくは悪夢と同義なのだ。
「ッ、人を人とも思わない。あらゆる技術と魔術で存在を復元し戦わせる……そんな、お父さんとお母さんが……じゃ、じゃあ私は―――」
彼女の母親が真実をその重苦しい口で告げ始める。
「体が在った頃に凍結保存していた生殖細胞を使ったのよ。でも、貴女をどうしても自分で産んであげたかった。だから、無理を言って……生身の肉体を再生させていたの。一番脆い一般人だった頃の肉体を再現して……」
母親の言葉に彼女が震えた手を自分で抑え込む。
リトが捕捉するように事実を告げていく。
「貴女の事を二人はずっと心配してた。でも、貴女が初めて魔族領の手先として戦い始めた時、二人は泣いて喜んだ。だって、もう戻って来ないと思ってた娘が戻って来たんだもん。嬉しくないはずない。でも、貴女に真実を教える事も貴女をすぐに開放する事も出来なかった」
「どうしてよッ!? 真実を話して連れてくればよかったじゃない!!?」
「シヴァルヴァは貴女を傀儡にして暗に娘を人質にして、こちらに攻撃を仕掛けてきた。貴女を常に監視していた。もしも貴女が途中で戦いを放棄すれば、放棄した瞬間に殺されるのは目に見えていたの」
「ッ、私は、私は―――」
リンゴーンと鐘の音が鳴り響き始める。
それに戸惑った魔族領の部隊が行動を起こす前に全ての人員が転移で現場から消え去っていた。
「ッ、彼らをどうしたの!?」
「心配しないで。魔族領との戦争が終わるまで別空間で凍結してるだけ、数日後には開放する。もう隠蔽も必要無くなったから……」
「な!? い、今まで此処は結界で!? それに隠蔽が必要ないってどういう事よ?!」
「その結界はもう必要無くなったの。決着は付いたんだよ。ミアちゃん」
「決着!?」
リトが幼い頃の少女へのあだ名で呼んで再び指を弾く。
「彼らが揃う。ううん。正確にはあの人が帰ってきた。だから、もう魔族領に勝ち目は無いんだ……その為の準備は全て終わってる。この永い永い戦争は……人類の勝利で幕を閉じる事になる」
「な―――何で!? 誰が帰って来るって言うの!?」
「誰もが知ってる人が帰って来たんだよ。この世界にいないのに勝利して見せた。全て、あの人のおかげ……本当にスゴイ人なんだ。だって、全部お膳立ても準備も終わってたんだから……必要なのは時間とそれを引き継ぐ人だけだったんだ……」
「リト。時間です」
「うん。行こうアリア。みんなが待ってる……動き出した時間を取り戻しに行かなくちゃ!! 魔族領が鋼都に押し寄せて来る!!」
ミアミに背を向けて二人が走り出し、その背後をドローンの兵隊達が追従してフロアの奥へと消えていく。
だが、残された人型ドローンに顔の付いた男女と20代の女が1人。
「………これが真実だ。お前がどういう選択をするにしても、魔族領は降伏を余儀なくされるだろう。もしまだ戦いたいと言うなら、最後まで付き合う。お前が魔族領の者達を大切に想っている事は知っている。だからこそ、言おう」
父親が離れ。
再び仮面を被る。
「掛かって来い。もうお前は大人だ。自分の大義と自分の意志で目の前の壁に挑戦するんだ」
母親もまた離れていく。
「そして、負けたならば、負けた事実を噛み締めなさい。勝てても逃げても納得出来る人生を送りなさい。それが親としての私達の望みよ」
「―――」
そうしてケジメは付けられる。
新たな時代の幕開けと古き世界の終わりの日。
魔族領からの鋼都奪取の任を請け負った部隊はこうして敗北する事となる。
厳しい両親だった事を今更に思い出した魔族領の実行部隊の隊長はこうして久方ぶりに故郷の実家に気絶させられて帰った。
目が覚めた時、食事を作る母親の後ろ姿とリビングのソファーで涙してまともに読んでいない新聞に顔を隠した父を見た時、何かが決壊した事は間違いない。
結局、二人に傷一つどころか何も敵わなかった彼女は心の底から「ああ、敵わないな」とそう敗北を認める事になったのだった。
*
異なる世界からの来訪者。
異なる日本から派生した技術による宇宙の脅威。
そんな絵空事というよりは誇大妄想に近い事を言われた昨今の陰陽自衛隊。
富士樹海基地は最大限の警戒態勢を敷いたままに活動し続けていた。
無理もない。
誇大妄想を現実に持ってきたようにしか見えない巨大な機械竜が地球上どころか宇宙にも多数確認されており、その殆どが謎の場を変質させる能力を用いて、莫大な質量を加工して何やら作っている様子なのであり、ついでとばかりに地球防衛圏域のようなものを敷いていたからだ。
地球から月、火星、金星などの星系内側にある星の上には既に大規模な干渉と巨大な惑星規模の防衛要塞らしきものが急ピッチで建造されている途中に見えるのだから、SFに足を突っ込んでいた陰陽自衛隊もまたビックリの状況である。
そんな彼らが新たな太平洋上に現れたハワイを消して太平洋を更に広く広げた“大陸”を前にして慌てふためいて解析しているのも無理からぬ話。
次々に入って来る大陸の情報を現地の行政組織との間にやり取りしながら、彼らはこの大陸の歴史というか。
何かオカシな人々を前にして何とも言えぬ違和感を感じ取っていた。
―――陰陽自衛隊第三情報解析室。
「お邪魔する。不躾で悪いが、単刀直入に訊こう。連中どういう人間なんだ?」
そう訊ねているのは八木五朗准将。
陰陽自衛隊に出向となった上で昇進したばかりの男であった。
彼の周囲には複数人の白衣の男達が詰めており、今も流れ込んでくる相手側からの情報を収集し、保管し、類別し、解読に勤しんでいる。
「准将。艦隊の方は?」
「ああ、現在、太平洋のダイヤモンド航路が崩れた影響で第四帝国との間に必要な物資輸送を行いつつ、各国の大陸の定常警務航路に入っている。というのが表向きだが、すぐに集結が完了する。結界破砕と同時に突入する為の術式調整に入っている……後20分後には出撃だ」
「そういう事でしたか。来るとは聞かされていましたが、准将自らとは思いませんでした」
「いや、色々とあの大陸の出現で情報が錯綜していた時に結界ギリギリを航行していて今は東京が無くなった際の人員の繰り上げ昇進に巻き込まれてる最中というわけだ」
「それはそれは……結論から申しても良いでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ。生憎と文系だからな」
「結論、彼らは日本をモデルにして創造された文明です。此処50年に関しては」
「モデルにして、とは?」
「文字通り。陰陽将から情報は聞いているのですが、どうやら別世界の日本の技術に長けた者達が異世界で創造した星が使われているそうです。元々は化け物が跋扈する惑星をその科学者集団がテラフォーミングした結果出来た星に人類の遺伝子を使った生命を移住させて発展したとか」
「ふむ。SF三文小説かな?」
「ええ、まぁ、そうですね。“彼女”の言葉を借りるならば、その先住民が現在バルバロスと呼ばれている怪物達の大本の遺伝子を持った知性体であったらしいです。それを滅ぼした科学者集団はその遺伝子も込みで完全な地球型惑星を生み出したらしく。重力環境も地球と殆ど変わらず空気組成も誤差0.1%未満」
「つまり、ほぼ地球?」
「違うのは埋蔵資源でしょうか。こちらではディミスリルや地下の金属資源や炭素資源が例の世界規模の儀式術で爆増させられていますが、彼の大陸はそれ以外の超重元素が大量らしいです」
「それを元にして文明の開発が行われているのか?」
複数のウィンドウが虚空に浮かぶ。
「いえ、それが……蒼力と呼ばれる能力を用いる人類が発生後、その力を機械的に再現し、拡大する事で周辺領域の物質を自在に加工する事が可能になった上、一種の無限機関の開発に成功。続けて、無限にエネルギーさえあれば、無限に増殖させられる物質を用いて、巨大な惑星規模物体の作成も可能になって、一気に宇宙進出を行う為の船も作成済み。という状況だそうで」
「……我々よりは進んでいそうだな。というか、その点ですらよく似ている。偶然とは思えないな……」
「ええ、それは我々も思いました。実際、もう民間から別惑星への移住。もしくは創造惑星を用いた脱出計画が存在するらしく。その為に単独で環境が完結する惑星へと星を改造する一歩手前だったとか」
「我々より数歩先に進んでいるらしい」
「それで結局、この状況になって、あちこちで計画は進めているけれど、停滞中なので暇な人材がこちらの情報と引き換えに色々と教えてくれました」
「……で、何が日本的なのか聞いても?」
「社会構造が極めて洗練されています。ついでに法規に関しては現行の隅々までかなり先進的です。後、何か国々の国民性がヤケに全う過ぎて怖い」
「全う?」
「犯罪率とかの数値が異常です」
「高いのかね?」
「いえ、低過ぎるんです」
「ふむ……」
「法規関連や技術開発関連、他の歴史的な年表やらを見ると全てたった一人の少女が始めた大改革によって大陸はこの半世紀で大革新期を経て、生まれ変わった後という事らしいですが、彼ら半世紀前は中世並みの文明だったって信じられます?」
映像の内部では近代的なビルやら歴史的な街並みやらが映し出されているが、その多くでは人っ子一人おらず。
大規模なシェルターを出入りする船や車両しか地表には見受けられなかった。
「大陸全土の国民が避難しているのかな?」
「ええ、統一政体リセル・フロスティーナが呼び名だとか。ついでに社会形態や社会保障、制度関連がえらく進展してて、今世界政府案になってる世界憲法と各種の法規を先取りしたみたいなのが定着してます」
「我々よりも随分と進んでいるわけか」
「ええ、半武力統一のような状態らしいですが、経済、物流、法規、文明による世界統一が完成されてます」
「笑うしかないな」
「まったく以て。ついでに付け足すと大陸人の言語解析をすると日本語や和製英語がゼド語って言う言語として山程出てくる上にどいつもこいつも猫も杓子も“聖女”の単語が頻発します」
「聖女。それは今来ている?」
「ええ、俗称は“あの方”で親しみ易ければ聖女殿下、姫殿下。正式な呼び方ではフィティシラ・アルローゼン聖姫殿下。現在の尊称は大皇竜姫フィティシラ・アルローゼンとなるそうです」
「……たいこうりゅうき?」
「大きい皇帝の竜の姫という事らしいです。彼女の祖父は悪逆大公とか、虐殺大公とか呼ばれていた人物らしく。その生きていた当時は小さい竜の姫で小竜姫とか、大公の竜の姫で大公竜姫とか呼ばれていたとか」
「彼女は50年も生きているのか……いや、それなら納得の風格だが」
「いえ、それが、活動して数年後に外なる神らしきものと戦って、時間の檻に囚われていたとか」
「は?」
「何か見覚えあるシチュエーションですよね」
「それで? 彼女不在で残された人間が大陸を?」
「はい。その通りです。あの大陸の現代史の歴史書を幾つか送られたんですが、それの書き出しが笑ってしまう事に世界最大の帝国を牛耳る大公の家から一人の少女が碩学……あっちで言う科学者。それも女性の科学者を生み出す為の超エリート女学院みたいなところに転校してくるところから始まるんですよ」
「全ての歴史書で?」
「ええ、大陸の各国の近代の歴史書のほぼ始めに“その頃、あの方が”という枕詞みたいなのが必ず付きます」
「……偉人?」
「いえ、それ以上の何かでしょう」
八木は今、陰陽自研で自分のサンプルを採取させてくれている相手が明らかに別世界の盟主みたいなものであることを実感した気がした。
「何せ彼女の情報だけがやたら多いんです。特に偉人の説話としてのあらゆる分野における功績が“この分野における最大の功績と始まりは聖女殿下とその家臣団にある”との事で……現在の大陸の各分野に関わっていないものがない」
「異世界の日本から文明の下地を何もかも移植したという事か……」
「恐らくは……一番恐ろしいのは彼女がハーヴェスターズと同じような事を臨床心理学分野の情報で行った形跡がある事です」
「心理学?」
「はい。民間心理誘導術。マス・プロジェクションとでも言うんでしょうか? あらゆる分野に心理学分野の痕跡があります。その為の専門機関が置かれ、あらゆる社会の悪徳の是正や情報操作に使われたように思われ……人を誑かす手練手管は百選錬磨と言ったところかと」
「むぅ……あの陰陽将の事だから誑かされる事は無いだろうが……」
「逆に取り込みたいと思われてるんじゃないですかね」
「この事を陰陽将は?」
「ええ、事前説明させて頂きました」
八木が溜息を吐く。
「厄介事にならねばいいが……」
「今はとにかく騎士ベルディクト待ちですからね」
「内部からの報告は受けている。こちらとあちらの時間差もほぼ是正されているのが確認されているが、それにしても何もかも早過ぎる気が……付いていかねば振り落とされそうだ」
「それは間違いないかと。どうやら大陸側の統治者層、政治家達は彼女からの情報を受け取って、人間の形をした人間以外に変貌する可能性のある知的生物として、慎重にお付き合いしたいように見受けられます」
「……それは内心では心外だが、行動は理解も納得も出来るな」
「いやぁ、我々が元々は外なる神々の因子で生まれた落とし子、スポーンとか言うのが祖先なんて言われても、人間として生きてきましたから……」
「今はそれも是正されたとは話してくれているそうだが、それにしてもまだ互いの理解が及んでいないというのが現状だな」
「ええ、まったく。それと聖女殿下とやらの映像や画像で残っている複数の戦闘行動見ます?」
「見せてくれ」
こうして陰陽自衛隊ではお客様として出迎えている大使とやらの内実が密かにあちこちの部署と実際の実働戦力達によって共有され「こいつはやべぇ……」という顔になる人々が大量に出た。
西部砂漠での時間を操るとされた秘密結社。
そのテロ組織壊滅時の映像はもはや少女が少なからず魔導騎士に匹敵するか凌駕するかというくらいのものに見えたからだ。
そして、宇宙での戦争の様子にしても惑星規模攻撃を応酬している様子が見て取れただけで彼らはもう笑うしかなく。
巨大な大陸を光の粒子にして取り込んでいる状況なんて、もう溜息しか出なかったのである。
*
『彼ら恐怖を押し殺して戦い続けているんですね』
呟くのは地球衛星軌道上に警戒状態で待機している浮かぶ要塞と見紛う巨大竜。
その狭いコックピットだった。
いや、その言葉には語弊があるかもしれない。
普通の人間がコックピットと呼んで想像し得る物は操縦桿とシートかもしれないが、SFが好きな人間だとしても人間を部品にくらいが普通だろう。
しかし、彼らは違う。
融合しているのでもなければ、接続しているわけでもない。
虚空の闇にただ眠るように浮かんでいる。
そこから奔るか細い蒼力の光の筋だけが彼らの輪郭を僅かに浮かび上がらせては闇に消して、インターフェースと呼べる形あるものは周囲に無い。
だが、その虚空に胎児のように膝を抱えて丸まっている者達の姿は完全武装だ。
黒鎧。
俗称される黒騎士の正式採用装備は嘗ての半世紀前のものからしても似ていない。
ソレは全身鎧でありながら、鎧というよりは巨大な装甲に見えるのだ。
そう、実に機械が人型になって丸まっているというような様子に見える。
だが、その内部の肉体に鋼や炭素に置き換えている様子は無い。
彼らはサイボーグですらないのだ。
一つ確かなのは彼らが確かに有機物で駆動する生命体であり、同時に炭素や金属元素までも取り込んだ生物である事だろう。
彼らの人体に見える肉体はその体毛一本から排泄物まで全てが常人には劇毒の類という濃度であり、処理方法だけで言えば、産業廃棄物相当となる。
肉体の重量と密度がそもそも常人とは根本的に違う。
故に彼らの事を学術的には半有機生命と呼ぶのが大陸の一部の科学者達の間では普通になって久しい。
学者達が詰め込んだ技術と叡智は人間を重金属物質を自ら利用出来る理化学的な作用を体内代謝構造に持つ存在として彼らを生まれ変わらせた。
それはバルバロスの生物細胞の理解と技術的な再現や進展と合わせて常にアップデートされ、ドラクーンの半分はもはや有機生物の範疇から脱している。
半ば細胞自体が土神と呼ばれた金属生命に近しくなった彼らは同時に蒼力の技術的な再現が可能になり、それを大脳内の領域に能力として備えられる事になった事で本来は自然淘汰される遺伝的なエラーと環境への対応可能な固体の交配と繁栄という過程を経ずに一代で別の生物へと進化……変貌した。
蒼力による物質とエネルギーの循環機構を物理的な作用として代謝に取り入れる事すらも成功して以降、遺伝子すら自前で少しずつ変貌させられるようになった彼らは宇宙にすら出るようになって初めて実感するのだ。
―――こんな状態で一人の少女は戦い続けていたのか、と。
この自分が自分ではなくなっていく感覚を味わいながら、己が己で無くなってしまう恐怖に打ち勝ちながら、我らの主は人を超え、人を癒し、人を慰め、人を勇気付け、人を導ていたのかと。
外なる神々。
時空間にすらも干渉する存在の情報が後になって理解されるようになり、それすらも内包して戦い続けていた一人の少女の事を彼らの古株が思い出す時。
そこには断固とした意志と明確な目的と慈愛があった。
それを意識として他の同輩に共有出来るようになった後。
その光景を見た新参者達もまた己がドラクーンになる為に夢の中で殺した少女が如何に非凡で何処か壊れてしまいそうな笑みで優し気だったのかを知った。
古参達は見ていた。
その時はまだ分からなかったけれども、今ならば分かるという程に精細な記憶は何一つとして忘れられない思い出として、彼らの脳裏に刻まれていた。
毒で敵兵を斃した時、一瞬だけ彼らを見た彼女の瞳が薄っすらと悲しみに満ちていた事……人々を避難させて大陸北部で液体金属の怪物と戦いに向かう後ろ姿は凛々しくも雄々しくも拳を握りしめ、僅かに震えていた事。
誰と会う時も人々に頭を下げる時、彼女が本気で感謝を形にしていたのだと。
それを彼らは知っている。
知ってしまっている。
ああ、それは普通ではない。
恐怖を克服なんてしていない。
それでもそうしなければならなかった少女は前を向いて諦めず。
『恐怖を受け入れて、全てを受け入れて戦う兵に悪い人はいません。我らの主がそうであるように……』
呟くドラクーンの一人は今も地表で働き続ける者達を見やる。
まだ、戦う任に付いて日が浅い者も多かったが、その背中には全うな義務感と恐怖を前にして抗う姿勢がある。
その姿は少なくとも自分達にも似ていると知れば、何処か知人くらいには近しく感じるのが人間というものだ。
そう、少なくとも人間を自称するドラクーン達は感じていた。
『我々が自制と制御の究極を目指す者だとすれば、彼らは抵抗と自己犠牲に向かう途中……愉しみです。願わくば、彼らと共に戦える日が来ますように……』
そう言って、ドラクーンの一人はその言葉を全ての者達に送る。
誰かはドラクーンが完成された兵士だと言った。
だが、それは彼らの重んずるところにこそある。
それは獣の如き闘争心と争いを渇望する心と同時にそれを抑え、理性によって死すらも受け入れる自らを律す心。
それは正しく主を自らの手で殺す事になろうとも一片たりとも曇らない決意。
彼らは大陸に生まれた資質と共に心すらもサラブレットな戦巧者であり、そんなものは恐らく少女が生み出した大陸にしか存在しない人種だ。
そんな本質がどこか狂っている事を彼らは自覚するが、同時にそれが自分の主の人間としての本質でもある事を本能的に知っていた。
人間はそんなに上手く物語の人のように一辺倒にはなれない。
迷い、悩み、何かの判断を誤れば上手くいかずに絶望して死ぬのが普通だ。
だが、たった一人の少女は幸か不幸か。
己の遺伝子を、己の情報を万能薬という形で人々に導入した。
今や大陸は正しくたった一人の狂える少女の事が理解出来る人々ばかりだ。
人らしく在ろうとしながらも、迷いを苦しみを抱えながらも、もしもの時にはどんな冷徹で冷酷な事だろうと行ってしまえる少女。
人間を挽肉にして、己の手で殺しながらも最後までちゃんと見届け、健全な心を保ち続けていられる少女。
あまりにも健全で狂える彼女の事を誰もが愛している。
それが畏敬と憧憬と最も実感に近しいドラクーン達だからこそ、彼女が自分をもしもの時には殺して欲しいと頼むのも分かるのだ。
自分とて、自分より上にいる人々がいなければ、きっとその持てる力の大きさと己の歪さにそう思うと理解出来てしまったのだから。
『さぁ、パーティーの準備を始めましょうか。未だ惑星規模の敵がいない真っ新な星系……あの方の指示通り、惑星内の相手はお任せして、我らはこちらの仕事を片付けなければ……月で見付けたアレの事もありますし、ね?』
そんな聖女と呼ばれる彼女に共感すら出来てしまう者達の大陸こそが現代のリセル・フロスティーナであった。
帝国人は変態で聖女病で人々に揶揄されるくらいには自制と規律を重んずる子供の時からおかしな奴らだと誰もが思っている。
『こちらジ・アルティメット/19……これより海王星軌道へと跳躍する。増殖炉心300000個を保持。全能力を増殖と造営に当てる。帰還予定732:20を予定。以上』
それを外側から見た時、彼らをそう揶揄する大陸の人々もやはり何処かオカシイというのは正しく異世界でなければ分かろうはずもない事実であった。
そうして最も少女に近しい人々は新たなる太陽系の各地へと光の速度を超えて空間転移へと入り、要塞化する為の惑星の製造と各星の資源化へと向かうのだった。
*
地球周辺の宙域から防衛体制を敷いていたジ・アルティメットが幾つか消えた頃。
リセル・フロスティーナの国民の多くは地下シェルター内で日々、鬱々とした現実を前にして腐っていた……りはしなかった。
それもそうだろう。
色々と衝撃的な避難であったとはいえ、彼らには今物凄く集中せねばならない事があったからだ。
名前の無いゲーム。
仮想宇宙内におけるシミュレーション活動が数十億人単位で活発化していた。
シェルターは基本的に人口密集が酷いので肉体を維持する為の日々の食事と運動以外だとシェルターそのものの運営や人々の世話をする役柄となった者達以外は通信環境でも出来る仕事以外、かなり暇を持て余している。
だが、高度な知的水準を要求される仕事の大半も実際には研究機材が無かったり、サーヴィス業は特に失業状態という者もいた。
結果として高度人材の約7割にも及ぶ人々がやる事が無い為、ゲームの仮想宇宙へとダイブし、その先の時間の加速によってストレス解消と実益を兼ねて商売やら研究開発実験をそちらの世界で行い始めた。
いっそ、企業の研究開発現場はそっちに移そうかというところも出ており、正しくもう一つの逃避先として彼らは魔法が使える夢のワンダーランドを謳歌していたのである。
大人から子供まで自由に遊ぶ時間や寝る時間やストレス軽減の時間が取れる夢のハッピーライフの到来である……すぐに現実よりも食事やインフラを揃えて満足に衣食住を得る事が難しい事に気付いた者はいたが、それは言わないお約束。
始まりの大陸にして女王の住まう地。
その首都は今や急ピッチで魔法一杯夢一杯の建築土建業者達によって次々に半世紀前風の建築が大流行で施工されまくっており、毎日街区が1つ出来ては人々が退去して押し寄せ、不動産屋をしている国の直営店は大賑わい。
飛ぶように物件が売れては資金繰りも順調。
右肩上がりの建築業からの多額の納税で国庫はウハウハ。
ついでに現実からやってきたドラクーンだのリバイツネードだのが人々を此処でも子供から大人まで誰だろうと教育機関として実力者を取り立てつつ、治安維持に当たっており、もはやもう一つの国家はごっこ遊びでは済まない規模にまで膨れ上がっていた。
「堪忍やぁ~~堪忍してぇぇ~~~?!」
「お姉ちゃん……その姿は妹として、とても目を逸らしたくなる醜態だよ……」
「い~や~や~~!!? このお酒の樽は初めての給料で買ったんよぉ~~~!? 現実ではバカスカ飲める身分や無いんやから、こういう時くらいは~~」
赤い髪の十代後半くらいに見える姉を青い髪の妹らしき相手が止めていた。
エーカとセーカの姉妹。
王城での事である。
今やその国の女王の友人……聖女のお嫁様達は現実での忙しさを紛らわすかのように一日に一回は入り浸っており、そこで休憩がてら好きに遊んだり、知的な面での残業をしていたりするのだ。
こうしてゲーム内でバイトに勤しんだ聖女のお嫁様の一人はホクホク顔でこの世界では出回り始めたばかりの酒を一樽まんま買ってきて、おつまみも万全に「さぁ、飲もう」としていた所で時間切れ……。
現実へと強制送還されそうになり、酒樽にしがみ付いていた。
「まぁ、気持ちは分かるぞ」
「いえ、分かっては困るのですが」
ノイテがデュガシェスに突っ込みを入れる。
「此処での飲食って現実で太らないし、スゴイ飲み食いするだけなら滅茶苦茶嬉しい話なんだけどなー」
聖女のメイドというか秘書業が忙しい人物は多い。
それなりに苦労していた周辺の少女達であるが、近頃は特大のイレギュラーである別世界への転移によって次々にお仕事の多くが宙ぶらりんで停止。
結果として暇になったので更に暇を持て余したいか。
もしくは秘書業の効率化の為に会議その他の話し合う場所をゲーム内に移して行う事になっていた。
それにしても現実では時間はちゃんと流れている為、もしもの時の為にも早めに帰る事になっていたのだが、うっかりそれを忘れて飲み会を始めたお嫁様がいたという事なのである。
『みんな~~ウチの旦那さんから連絡だぞ~~。後5日くらい此処で待機だって~~』
始まりの大陸の女王。
ついでに正妻と本人から名言されている当人の声が仲間内に響く。
「おっしゃぁああああああ!!? 飲むで飲むで飲むで~~~!!?」
引き上げる前につまみと酒を護り切った姉はガッツポーズし、妹はやれやれと肩を竦めて手を離した。
大広間の一角での出来事は他の誰も見ておらず。
そんな仲間達の様子を魔法で覗いていた妙齢の黒髪ロング。
シュリがイソイソと虚空のウィンドウを閉じて、チラリと高速で過ぎていく外の様子を写す別のウィンドウを見やる。
東京から離れた富士樹海基地で血液検査やら腕の一部細胞の採取を心良く引き受けていた当人は何か針が刺さらないと困った様子の医療班に自分の両腕から僅かに自分の指で千切った肉片を渡していた。
その行為にドン引きする周囲にこうでもしないと基本取れないのでと言い訳しつつ、即座に治した肉体で相手の基地内部の見学を申し出た様子を見る限り、まったく問題なく馴染んでいる様子が伺える。
「何してるんだか……」
聖女のお嫁様達はこうしてグダグダしながら仕事の合間の息抜きに宴会を始めつつ、伴侶が帰って来るまでのんびりしている事が決まったのだった。
そんな彼女達が現実で寝ている都市の外延部。
一人の白い人型竜の如き2m程の何かが虚空を睨んで微動だにもせず。
検問所の上で仁王立ちしていた。
「護る。護る。護る……むぅ」
本当は聖女当人に付いていきたかった帝都の守護竜ことフェグがちょっと膨れるというのも都市の守護を命じられたからだ。
お嫁様達を護れるのはお前だけだとか。
そういう適当な言い訳で置いて行かれたのである。
その横には番犬よろしく人型をした顔が犬の男が一人。
緑炎の申し子の一族の一人にして長となった彼も生身で剣を一本以て横に立って時折お茶をペットボトルで嗜んでいた。
彼らの視線の先では都市ルインの外延部を走る巨大な数mはあるだろう大型獣が見えている。
緑と蒼。
二つの色合いを宿す獣が本来の姿で走っているのは気ままに走るついでに警護もしているからだ。
「……暇と言ったら、怒られそうだ」
「暇ぁ……暇ぁ!! むぅぅぅぅ!!」
膨れた相手が主の傍にすぐにでも飛んでいきたい様子なのを何とか宥めながら、犬顔の男は結局、食い扶持の為に働く自分に溜息一つ。
「……一族の連中にも働けと言うべきなのかもしれん」
そう、聖女何かに協力しないもんという強情な子供染みた者達を思い浮かべて肩を竦めた。
*
世界が急激に動き出した頃。
大結界内部。
地下領域。
ヨモツヒラサカと俗称されるようになった場所では大規模な会戦を前にして人型魔族達が戦支度を整えようとしていた。
巨大な地下シェルター。
いや、地下空間を用いた巨大設備である地殻埋没型のアーコロジーは関東圏だけでも凡そ10の真球状領域が空間転移用の陣で連結された一種の小さな世界群として機能を果たしている。
大結界内部においては既存の設備の半数以上が使用不能になったまま。
その上に物流システムとして魔族達が物理的なトンネルで連結したが、本当は死の世界と呼べる空間を渡って瞬時に転移で行き来出来るものになるはずだった。
が、それも100年以上のシステム解析にも関わらず利用出来ておらず。
居住性能が4割以下になりながらも全てを魔術と魔力で強引に稼働させているのが魔族領の現状であった。
銀座や新宿に跨る巨大な地下世界は他の連結された領域を束ねる政庁が置かれた魔族達の政治的な中心地。
近代的なビルが立ち並ぶのに公園や緑化された地域が多く。
降り注ぐ疑似的な日差しの下。
魔族達が誰の目を憚る事なく子作りと仕事に勤しんでいる。
彼らは清々しい程に実力主義だが、同時に感情的な面においては素直でもある。
人間よりも激情型の人物が多く。
同時に思慮深い者もいるが、それも脳筋的な思考がデフォだと人間達には言われている。
このような評価を以て、半魔族と呼ばれる魔族の血が薄い人型魔族も人間も異種と呼ばれるようになった亜人カテゴリのヒトも彼らを「根は良い奴ら」と称する。
その事実こそが彼らの限界であり、同時に可能性である事を多くの人々は無言の内に評価もしていた。
詰まるところ。
彼らは人間臭いのだ。
それは憎悪にも駆られれば、憎悪の対象にもなるが、同時に慈愛も示せれば、慈愛を示すに値する相手でもあるという事である。
都市全体が歓楽街のような雰囲気に満ちてこそいるが、薄汚れたような印象の無い中央政庁が置かれるヨモツヒラサカの中枢都市。
【大魔獄】
インテリとノウキンの二種類の者達が同居する都市の中央ビルというには巨大な塔の前にはデカデカと四対の翼を付けたヨモツヒラサカの主の銅像が立っている。
貴族風の礼服に身を包んだ痩身の男。
青瓢箪。
酷界の元小邦の長。
どう呼ばれても民間には一切顔を出さない男の姿を見たければ、此処に来ればいいというのが実態だ。
政庁の地下大会議場。
そこでは最後の詰めの審議が行われていた。
「つまり、彼女があの領域を捨て去ったと?」
議員達は部隊による報告を防衛局の者達から聴取し、虚空の映像を食い入るように見つめていた。
そこでは長年、彼らの目の上のたんこぶだった人物が地上へと戻っていく姿が映し出されており、複雑な表情をする議員達が多い。
「また、地表で大規模な事前陽動を行っている各部隊より港の連絡船が露見し、周辺のスラム街が制圧された様子であるとの報告が……」
「制圧……遂に露見したか。だが、問題は何故この時期にという事だが……あちらも怪しんではいたか?」
「情報が足らんな」
議員達がガヤガヤしているところ。
議場の裏手から職員が走り込んで来て、議場の議長席に座る老人にヒソヒソと耳打ちした。
誰も彼もスーツ姿な彼ら人型魔族は翼と角を揺らしながらまた面倒事かという顔になって、議長席を見やる。
「え~~魔導鋼都の奪取に失敗。潜入部隊は隊長1名を失って撤退。アサギリ家の奇襲を受け、各隠密部隊が各階層で被害を出して脱出。更に霊廟に向かったグロノシス師団長の生命反応が契約解除から途絶……死亡したようだ」
その言葉に議員達がやっぱり陽動以上の事は出来なかったかという顔になる。
「議長、アサギリ家の戦力は其処に今釘付けですか?」
「確認されていない。ただ、長である片方……アサギリ家の女当主が出て来たと報告があった。しばしの時間はあそこに留めおく事が出来るだろう」
「……議長!! 今こそ、地表へと打って出る時では!!」
「分かっている。だが、そうなれば、地表の半魔族共同体への避難勧告も出さねばならん。奇襲は無しとなれば、【灼滅者】が出張って来る」
「何の為の陽動ですか!! 戦力が整い切った今!! 今こそが勝機ですぞ!!」
「最後の報告が来ておらん。あの女が地表に戻ったという事は最大戦力の一角が増えた事を意味する。それも含めて準備は万全とはいえ……作戦発動の最後のカギが揃わねば……」
議長が僅かに逡巡し、やはり此処は石橋を叩こうという姿勢を堅持した。
そこに再び走ってやってくる伝令が耳打ちする。
「何? それは本当か? 分かった」
議長席の老人が立ち上がる。
「諸君!! 朗報だ!! 全ての準備は整った!! 聖櫃……連中の格納庫の解除に成功!! 直ちに部隊に転移で送る!! 後備え以外の全戦力を招集し、奴らの剣にて鋼都を落とすぞ!! 旧いとはいえ、当時の善導騎士団の地下駐留用機甲戦力の全てだ。バックアップと支援体制はある!! 後方部隊に配備しろ!!」
周囲が盛り上がった。
「ようやくか!! 機甲戦力が在れば、連中との防御力は互角以上!! 必ずや勝てるぞ!!」
「よろしい。我らが父達へのご裁可を仰ごうではないか!!」
議長が通話用の端末を取り出してコールする。
『もしもし!! ああ、ようやくかな?』
その声は若々しく力に漲っていた。
「ゼームドゥス父上。全ての準備が整いました。地表侵攻の最終段階の目標ラインに到達。いつでも出立出来ます」
『お? 頑張った!! 頑張ったな!! みんな!! よろしい!! こっちも丁度時間が来たんだ!! みんなで地表に乗り出そうか!!』
議会がワッと喝采に溢れ。
議長の一声で最後の議決前だった最後の選択が成された。
「これより地表侵攻作戦最終段階となる【帰還作戦】を開始する!!」
拍手と同時に魔族領は動き出す。
そして、通信を切った男。
百年以上前から同じ青年の姿をした超高位魔族の男。
今はタクヤを名乗る彼が巨大なクリスタルの前で端末を切り。
その玉座に座る青年に恭しく頭を下げる。
「主……どうやら、ようやく地表に出られそうです」
『……そうか。ならばいい』
呟きを零すヨモツヒラサカの主はそう静かな声で呟く。
その姿は座っていても分かる程に衰弱していた。
こけた頬。
落ち窪んだ瞳。
あばら骨が浮いているだろう手足は枯れ木のようだ。
「ご苦労様でした……主。大結界……解かれますか?」
『いや、後僅か時は残されている……この世界の事はこの世界の者で決着を付けるのだ。そうしてこそ、ようやく本当に我らの国家は……ごほごほっ』
「主!!?」
ビチャビチャと血を吐いた枯れ木の領主は目を細める。
『あの頃に比べれば、何と言う事も無い。父も母も先に亡くなり、残された最愛の妹を失い、失意の底で邦を失くし、あの大陸で得た愛すらも消え果て……あの頃に……あの時に比べれば、今の何と恵まれている事か』
「主……」
『全軍に動員を掛けろ。これが最後の関門だ。ゼームドゥス、他の者達を招集し、打って出るぞ』
「灼滅者、アサギリ家、残り少ない不死の兵隊、セブン・オーダーズ、魔導鋼都、何もかもを全て墜とし、建国としよう。《《クアドリス》》」
『お前にそんな風に友として呼ばれるのも久しぶりだな。ヴァルンケストは滅んだが、まだお前達の中に在る。先に行け……結界はしばらく持たせてみせる……』
「ああ!! ああ!! お前の一番の親友が確約しよう!! この国は……このゼームドゥスがッ!! ヴァルンケストの英雄が護ってみせるさ!! 今度こそ!!」
もうタクヤ……彼には分かっていた。
二度と主が地表を見られない事は……時間が来たのだ。
彼の主は存在自体が崩壊し掛かっている。
大規模な結界というだけではない。
大結界自体が時空間への干渉、宇宙への干渉を行っている。
その反動は男の魂を正しく罅割れさせ、今や風前の灯。
魔導鋼都の設立。
それが最初で最後の彼らの敗北だった。
たった一戦にて全ては決した。
そうだ。
彼らの主が死を覚悟して国を興した時から、彼は二度と国を墜とされる事は無しと決意を固めていた。
巨大な四つの塔。
その一つ目を立てられそうになった時、彼らの一人が死力を尽くして戦ったのも、それが分かっていたからだ。
結界を解けば、国は興せない。
結界を弱めれば、敵が攻め寄せてくる。
結界による絶大な負荷と同時に魔力を収奪された男は結界内部の魔力を逆に収奪する方法もあった。
しかし、己の国とする為に領土と人民を囲ったのだ。
その相手を悪辣な方法で追い詰めれば、彼らが王として認められる事は無い。
それが滅ぼされる側だからこそ分かっていた彼はソレを良しとはしなかった。
結局、地下世界の護りにゼームドゥスを筆頭にした大規模な防衛戦力を当てる事によって地表からの侵攻は一切無い状態で戦力を増強する事は出来た。
それが同時に主たるクアドリスの最後を以て可能であるという事実が彼ら始まりの家臣達を精神的にも現実的にも追い詰めていた。
主は止められない。
だが、主がいなくては国を興す意味は無い。
この二律背反を前にして一刻でも早く相手を屈させる。
その為に万全の態勢を整えるまでに百年以上。
彼らにしてみれば、正しく刹那にも等しい時間が経った。
(主……貴方が望んだ国は……興せましたか?)
振り返らず。
ゼームドゥス。
いつも熱血漢を絵に描いたような男が後ろ手に扉を閉めて、その肉体が燃え上がると同時に炎が形を持ったように紅蓮の炎のようなスーツ姿へと変貌していく。
大陸の貴族風ながら、炎の象形を持つソレからは僅かに燐炎が溢れていた。
歩き出した彼の横にはすぐに陽炎のように現れた同じ色合いの衣装とトレンチコートを着込む者達が付き従っていく。
「父上。師団長から最後の通信にてアサギリ・クロイを廟の周辺に確認。地表戦力からは巨大な気配が蠢いているとの話も……塔の電力供給が一時ストップした事もあり……恐らく、セブン・オーダーズの解凍が実行中と思われます」
「うん。じゃあ、全て斃しに行こう。僕らの戦いは此処からだ」
ゼームドゥスが髪を掻き揚げた時、スポーツマンらしい角刈りだった男の髪が炎のように広がって長髪へと変貌し、その髪には幾つもの魔術具らしい髪飾りが浮かび上がっていく。
「……“奴ら”の動向は?」
「それが今日に至るまでやはり一切ありませぬ。頚城の気配を一切絶つ事は難しいはずなのはご承知の通り。これだけ探してもいないというのは……」
「死んでいるか。もしくは此処にいないかという事かな?」
「あるいは魔族領の誰にも分からない程の隠蔽を敷いて何処かに隠れているか。ですが、そんな事が在り得るのでしょうか?」
無数の娘や息子達を引き攣れながら、男は目を細める。
「在り得る……君達に教育した通り、外で彼ら善導騎士団は我ら超高位魔族を超える力と技術や技能を手にしていた。魔力量と戦闘能力、戦闘経験だけなら、こちらが上かもしれないが、それ以外の事は決して何一つ不可能と断じる理由が無い」
「……では、観測班と捜索部隊を引き続き?」
「いや、この段になったら、それも全て出てくるしかない。重要なのは戦力だ。灼滅者を筆頭にした彼らを打ち負かすにはこのヨモツヒラサカの全戦力がいる。文字通り、全ての、だ」
「―――善導騎士団。陰陽自衛隊……救世の騎士達、セブン・オーダーズ」
「彼らの中で一番弱いウェーイ君が今じゃ人類の守護者をやってるんだ。彼らの力は一人一人が主神級神格に匹敵するよ」
「ウェーイ君?」
ゼームドゥスが苦笑する。
「君達には夜の騎士と言った方がいいかな?」
「ッ、ま、まさか!? 魔導議会の議長が一番弱い、のですか!? アレで!!? ダーク・ナイトが!? 弱い?!!」
思わず驚いた青少年達が本当に目を見開いて驚愕に固まる。
「あははは。ああ、そうかもね。今の彼からは考えられないか。君達は何度かやり合ったから、猶更かもしれない」
「……暗殺計画の時に兄弟達が複数名、重症を負いましたから」
「間違いなく最弱だよ。彼は……いや、だからこそ、君達は覚えておくべきだな」
「何をでしょうか? 父上」
「人間の狂気と執念を前にしたら、例え星一つを砕けても砕けないものだってあるって事さ……まぁ、彼は個人としてなら順当に倒せる。だが、倒せても勝てるかは分からない。だからこそ、全戦力がいるんだ」
「……父上のお言葉、我ら一同胸に刻みます」
二十代から十代の少女達が尊敬に値する男として知る地表の人類の首魁の評価を前にして、そう頷いた。
「さぁ、国興しの最終幕だ。僕らが、君達が、勝利の―――」
その時、確かにゼームドゥス。
男は油断していた。
自分達の庭が一度たりとも侵攻されていない。
その僅かな魔族特有の油断。
時間の間隔が他の生命体。
特に人間とは違う彼らの多くは殆どが極短いサイクル……百年くらいの時間起こらない出来事は起こらないと認めて動く。
それは他の知的生物の大半の寿命が短い事に起因しており、それらと渡り合う為に“迅速な意思決定”を行う為の比較的普通の常識だ。
そして、致命的だったのは彼ら高位魔族は割り切りが良いというところにもある。
侵攻されないというのは侵入されないというのと同義ではない。
と、彼らはまだ知らなかった。
フッと男の姿が消え失せ。
同時に男の陽炎のような魔力だけが現場に残された。
その魔力の塊は男が用いる力の半数以上。
それが……男に出来る唯一の抵抗であった事をまだ子供達は茫然として知らず。
ただ、紅蓮の炎の塊を前にして茫然とする以外に無かった。
―――???
「はは……この隠密性……引き込む為の罠を僕にも悟らせず……情報戦と諜報戦は敗北か。どうやら、最初からこちらの出鼻を挫く予定だったと見える」
僅かに男の額には汗が滴っていた。
いや、滴っていたというのは比喩に過ぎない。
何もない虚空。
宇宙空間。
そのような場所に男はいた。
ゼームドゥス。
彼は即座に魔力波動で周辺を確認するが、星々の光はあるのに何一つとして空間には帰って来る波動が無い。
(完全な虚空。宇宙? 知識では知っている。でも、惑星間規模の波動探査にも掛からない? これは……)
あらゆる波動が帰って来るまでに膨大な時間を要する。
という事が彼には本能的に分かっていた。
「……この世界……空間創生結界か。という事は……君は姉妹の片割れかい?」
『あ、ゼームドゥスさんて、そういうの分かるんだ?』
虚空から響く声に男が目を細める。
「こんな規模の結界。いや、世界を創る……ああ、そうか。そういう事か……僕らの主から魔力を収奪していたのは弱らせて人類を養う為じゃなかったのか」
『……怖いんだね……そういうの分かっちゃうんだ』
「そりゃ、そうもなるさ。緋祝ユウネ。いや、ユーネリア……ガリオス王家の血を引く君があの塔の中核である事は分かっていた。だが、無限機関を用いずに殆ど主の魔力から塔の維持コストを牽いているのはおかしいとも思っていた」
『そうだよ。この世界はクアドリスさんの魔力で創ったの。この百年以上、ずっとずっと色々と使わせて貰ったんだ。貴方達に勝つ為に……私とみんなで考えたの。ベルがそうしてきたように……私達に出来る倒し方がこれだよ』
「く、くくく、君は分かっているな?」
『……うん。今も怖いもん。だから、どんな戦いになったとしても、必ず貴方を斃して見せる……その為に此処を創ったんだ』
ユウネ。
嘗て、小さなビー玉の中に一つの世界すら作れなかった少女は今や小さな小さな宇宙一つを造れる程に卓越した空間制御術師となっていた。
その声の後。
彼は自分の肉体の3割、主に脇腹に大穴が相手回復不能の効果付きで不意打ちで消し飛んだのを感じた。
それと同時に彼らから凡そ20000km程先で極大の転化による爆光が太陽の如く現出し、男は返しの拳で打ち抜いた相手の左腕が折れ曲がってこそいるが、拉げただけで原形を留めている事に獰猛な笑みを浮かべる。
「君とは一度やり合ってみたかった。カタセ准尉」
『はっはー♪ それはこっちのセリフぅ~~♪』
僅かに距離を取ったカタセが薄紫色のスーツに装甲を付けただけの姿で手をブンブンと振った途端、その腕がギュルンッと逆戻しのように元へ戻る。
『初めまして。ゼームドゥス。貴方よね? ず~~っとこっちを見てたの』
「まぁね。君程の超越者はあちらの大陸でも珍しい。それこそ、聖女共にも近しい力だが、惜しむらくは能力が開花しなかった事かな」
『能力?』
「超常の力とは古き異種達が持っていた能力の派生形なのさ。特にガリオスの血筋から気が遠くなるような時間の末に再現出した君は肉体だけならば、魔族達の祖……起源異種……【大母】に連なるもの達に近いだろう」
『へぇ~~~』
「さ、話しはこれでお終いにしよう。これでも主の命を削った者と最大の障害を前にして燃えてる。君達を元気にしてやろうか?」
その時に起こった事を語れば、簡単であった。
その宙域。
100億3000万km程の真球状の領域の3%が突如として現れた20兆度の熱量による灼熱で太陽の如く光り出して。
その出所たる男は物理法則を超越した様子で自らの肉体から離れた全ての物質を完全に制御下において熱量の中で編成しながら超高温プラズマの大海を生み出し、呑み込んだカタセを焼き尽くさんと全力で近接攻撃を仕掛け始めた。
普通の生物なら蒸発。
否、物質としては極高温プラズマと化して消えているはずの状況。
惑星すらも消し飛ばす本気の超高位魔族の全力に襲われた生物の大半は少なからず惑星規模の攻撃や防御以外ではソレを食い止める事も出来ないだろう。
だが、その極温の最中でシュウシュウと焼け焦げながら女は楽しそうに笑った。
「ふぅ♪ 熱いじゃない?」
その体にはもう装備なんて付いていない全裸だ。
だが、その長く伸びた髪だけが、まるでヴィーナスが生まれた時の如く女の肉体を包んでいた。
『―――酷界のお偉いさんの中では割と中位くらいに付けてたんだけどな。法則干渉、原理干渉レベルの力……ああ、そうか。分かっていたから準備したわけか。僕を斃す為だけにこの空間を造っていたと!!』
男が背後から翼を露出させる。
それは紅蓮の翼。
しかし、一対しかない。
だが、残りの翼が彼の遥か後方。
10万km程の場所で一翼一つが地球の三つ分くらいの半径はありそうな勢いで広がり、その魔力によって女を焦がすべく。
波動を収束してレンズのように敵を貫く紅蓮の螺旋状の光線を数万、数十万、数百億規模の波濤として宙域のあらゆる回避先に打ち込み始めた。
「いいじゃない!! それでこそよ!! あはははは」
だが、その光の中を悠々と男に向かって突撃し、互いに殴り合いが始まる。
女は焦げていた。
だが、焦げているだけだ。
この熱量の最中ではもはや物資は形を保てない。
放射線による莫大な被ばくはどんな生物をも中性子線含め多数のあらゆる粒子線に飲み込んで消し飛ばす。
だが、女が消し飛ばされる様子も無い。
主に受けている攻撃原理は惑星の崩壊時に放出されるガンマ線バースト。
つまり、世界の終焉に奔る光。
その最中で殴り合う彼らは互いの拳を受け止め、殴り返し、膝や肘で受け、互いの隙に攻撃をねじ込んで必ず同等のダメージを与えるべく殴り続ける。
「定理掌握、原理掌握、君にその能力は無い。つまり」
『この世界はあたしのものだよ。ゼームドゥスさん』
「自身の得意な領域に引き込んで殲滅。僕を呑み込んで尚広い世界の構築。あらゆる観測に掛からない隠蔽能力。ああ、空間制御術師……大陸では遂に彼らと一戦もする事が無かった……響いてるな。コレは……」
「はーい。デカイの行くわよ~~♪」
光の数%近い加速度の乗った拳が男の胸を強打する。
だが、男は物理法則下の攻撃で死ぬような軟な存在ではない。
はずだった。
「ッ―――定理の掌握度合いで瞬間的に押し負ける? この僕が?」
男の胸元に拳の跡が付いていた。
『ヒューリお姉ちゃんの力の解明を進めたんだ。魔力制御に使われてたリソースは多重魔眼による魔力へのパラレル・オーバーライド。制御不能なものを制御するのは複数の次元と領域を一つずつ掌握する能力の混合による鎮静化。他の高位魔族も何処かに制御用の能力を内蔵してる器官があるんだよね?』
「………君達は元気が良過ぎるね。はは、困った困った」
男が幼い子供達に笑い掛けていた溌剌とした笑みを浮かべる。
それは何処か若い相手の指摘に滲む歓びにも見えた。
『角と翼は最たるもの。高位魔族の多くは魔力の制御の為に次元や空間への干渉を行う事に制御リソースを割く関係で具現化する能力の殆どは魔力の大きさに比例して単純化し、単一能力の制御以外が不得手になる』
「よく研究してるね」
男の右腕が唸りを挙げて、目の前の女の顎を打ち抜く。
だが、その焼け崩れた顎に構わず。
女の拳が今度は心臓を砕いて貫通させた腕を即座に切り離し、回し蹴りで吹き飛ばして距離を取った。
『だから、魔眼持ちは貴重なんでしょ? 角、翼、爪、表皮、そういう基本構造の特殊器官以外で脳に直結した能力発動器官だから。脳内に持つ制御リソースは殆どが自身の能力で死なない事に費やされてるせいで小手先の能力の多様さで負ける』
「確かにソレは僕ら酷界にいた超高位魔族の常識だ」
『貴方の事をこの100年以上ずっと観測してくれた人達がいたの。貴方の能力は熱量を操るものじゃない。物質の原子核の殻が持つ質量の本体……エネルギーを貯め込んだ構造を開放する質量殻破壊能力……』
「些細で困るね」
『貴方の元気を他人に分ける力は波動錬金術系の事象じゃなかった』
「まったく、誰にも気付かせずに侵入されていたわけか」
『物質の破壊で相手の体内で取り出したエネルギーを対象の内部で置換、変換、還元する物質由来の物理的な肉体機能の賦活。そして、本体は物理事象による肉体の破損を許さない強力無比な定理に護られてる。物理的質量を用いない魂のある次元に波動生命として生きる貴方は物質の滅びに縛られない』
「………」
『事実上、貴方を滅ぼすにはブランク・ワード級の魔術で意識保存してる領域の構造を粉々にするか。もしくは……』
「そうさ。魂の固着する定理そのものを処理する為に僕の周囲に付随する領域や次元そのものを無効化。もしくは脆弱化させた状態で物理破壊を行えば、こちらの領域内にしか存在しない扱いの魂は肉体を含めて崩壊する」
だが、炎の化身の如きゼームドゥスがその魔力転化によって再現された世界の終焉から得られる輝きの中で未だ崩壊している様子は無い。
「確かに正しい。だが、それを君達が全うするには定理の掌握状況が慢性的に悪いね。通常領域や次元に存在する高位魔族同士の殺し合いの多くは相手の物理的な破壊を目指さない。その点で君達はまだ初心者って事さ」
完全に掌握された法則化においては高位魔族の多くは特定の物理現象では死なない事すら当たり前の状況で戦うのだ。
ゼームドゥスを前にしてまだヨチヨチ歩きの赤子にしか過ぎないカタセは焦げた肉体が祟って少しずつ殴り返される時間が増えていく。
「嬉しい!! 嬉しいわ!! こんなに嬉しい事ってある? 初めて全力出せるなんて!! 泣いちゃいそうよ!!? ねぇ、今度一緒に火星とか破壊しに行かない?」
だが、同時にゼームドゥスの肉体にも罅が入った。
「ははは、意味不明な君を全力で殴っているこっちの方が既に壊れ掛けるか。定理を掌握してすら、この力は一体―――」
殴り返されながら、カタセの拳による殴打が男の体に少しずつ罅を増やし始めていた。
「実はこの拳、あの神様の細胞を凝集して作ってあるのよ? いやぁ、世の中自分の力じゃ全力出せないとか理不尽よねぇ……」
『そういう、こ―――』
ゼームドゥスの左頬がカタセの拳で刳り貫かれ、同時にカタセが今や全身焼け焦げた状態ならがらも楽し気に力の落ちて来た肉体を全力で躍動させ、次々に殴り付けた肉体に罅割れを入れていく。
巨大なガンマ線放射領域内部で行われる極限の打撃の応酬。
その一発一発の度に宇宙を震わせる程に広大な領域で光すら届かないはずの距離からすらも分かる程に物理事象を超えて大きな輝きが散る。
それは正しく天文単位の華となって虚空を彩る精彩そのものであった。
打撃で砕けた物質が極限環境の熱量とエネルギーを前にして散逸し、水滴が爆発するかのように世界へ散っているのだ。
だが、それを生み出す黒焦げの焼死体寸前の女の肉体に異変が起こる。
奔り出した光。
いや、粘性を帯びた青黒いベールのようなものが黒焦げの内部から溢れ出す。
『ッ―――外なるモノに下るのか!?』
「あはは~~違うわよぉ~~話してみたら、案外気の良いヤツなのよ? 彼……ちょっと、会話する言語と方法が人間を狂人にしちゃうだけで基本的に弱い生物が利用しようとするからそうなるってだけだったり?」
女の拳が罅割れ、打撃の度に砕け散り、内部から現れる拳は鱗の如く変貌し、ガラガラと砕けながらサメ肌のように変貌した肉体が露わになっていく。
装甲のように纏われていく盛り上がった流線形の鋼片のような鱗。
否、極小の装甲のようなものが関節部を固めていく。
それは何処か最初に彼女が使っていた騎士用の装備に似ていた。
「うん。彼が言ってた通り、貴方はあの小さな影にしか過ぎないアレにすら肉薄する程の……残念……此処が貴方のいた世界なら、もっと追い詰められて、もっと面白くなったかもしれないのに……ああ、本当に残念よ。ゼームドゥス。いや、今はタクヤって名乗ってるんだっけ?」
『………後は彼らに任せるしかない、か……いいだろう。僕の負けだ。人類最強はどうやら執念でも信念でもなく……歓びで僕すら殺すらしい』
「おお、褒められちゃったわね。うふふ」
本当に幸せそうにほのぼのバーサーカーは微笑む。
『でも、君達を決戦には行かせない。どの道、これだけの領域だ。時空間の制御リソースは随分と必要だろう」
男が拳で殴り返すのを辞めた。
容赦なく男の頭部が何度か女の拳で砕かれ、サメ人間か魚人か。
あるいは青い装甲を身体に一体化させたような人型のソレは片腕で拳を寸止めし。
「君達も元気にやるといいさ……せーのッッッ」
男が叫ぶ。
―――元気ですかぁああああああああああああああ!!!
男の肉体が瞬時に原子一つ分からしてバラバラに弾け飛んだ。
「ッ、ユウネちゃん!?」
思わずコレはマズイと四肢を盾のようにして縮こまって防御を固めたカタセが叫ぶのも無理はない。
その爆発は明らかに物理的な代物だけでは無かった。
『うん。分かってる!!? これはッ、やらせないよ!!』
空間があまりの熱量に歪みながら泡のように弾けていく。
それは空間そのものが焼き切れているという事に他ならないが、切れるというよりは溶けて弾けているに近しく。
空間創生結界による巨大な檻の内部からパチパチと弾ける泡のように世界の外へと向けて泡が潜り込んでいく。
幾つもの領域、空間が挟み込まれた多重構造の領域が只管に巨大なエネルギー塊の爆発によって虫食いのように破壊されながら、世界の外に泡が弾け出ようとするのを新たな領域の生成が食い止め。
虚空の先―――一粒の泡が現実へと向かって堕ちていく。
『あ!? コレ以上はもうッッ?!!!』
悲鳴が上がる。
世界の上空、現実にある日本の静止衛星軌道上に到達した。
ポンッと大気圏の限界高度100km程の地点で軽い音が響くと同時に齎された40億度程の熱量の塊が……放射線すら出さずに次々に流星雨と化して世界各地の善導騎士団の関連基地直上へと降り注ぎ。
しかし、その大半が巨大な腕とそれが使う幕に接触して伝導し、次々に輝く銀河の如く発光して巨大な人型竜達の内部へと吸い込まれていく。
「おや? 危ないところでしたね」
「はい?」
陰陽自衛隊基地の内部。
少女がユギ陰陽将を前に検査と採取が終わってお茶を嗜みつつ上空に視線を向け、温室の花々を前にして薫りを楽しみつつ、クッキーを齧る。
「今、突然宇宙空間から40億度くらいの熱線が各地の軍事基地に降り注ぐところでしたよ」
「………どちらの?」
「ああ、こちらでは恐らくないですね。知らない波動です。魔力のものでしょう。安心してください。ウチの兵隊なら、ちょっと全身を軽く10万度くらいのオーブンで蒸し焼きにされた程度の傷でどうにかなります。もう回復しました。というか、新しいエネルギーで惑星8万個クラスの質量が創造出来そうなのでかなりお得でしたね」
聖女はニコリとする。
それに10万度に8万個……という顔になった老人が溜息を吐いた。
「………後で何かしら、感謝の気持ちでも」
ユギがそう続ける。
「いえ、想定外が想定内で収まったのなら、これ以上に嬉しい事はありません。ウチの部下達も気が引き締まったでしょう」
「敵はそこまで、ですか?」
「まぁ、大量の銀河系が殴り掛かって来るのを想像したら、この程度は芥子粒程度の攻撃にも足りはしません」
「10万度で焼かれて、どうやって再生しているのか聞きたいものですな」
「ふふ、詳しい事は研究職の方に聞いた方が良いかと。我らの敗北はそちらが思っているよりは遠大で過剰だと思われますし、説明していたら数時間では足りませんしね」
「はは、絶望感がより深まる話だ。全て単なる侵略者の嘘っぱちなら良かったと今も思います」
その言葉に肩が竦められた。
「この波動の出所は東京の結界内部からのようです。あちらはどうやらドンパチ中、そろそろ行きましょうか」
「行く、とは?」
「ええ、あまりこういうのはしない事にしているのですが、人々の安全な暮らしや生活保障の手前、政治家というのは前線に立つのが大陸の流儀でして」
「……大陸の、ですか?」
ユギが少し疑わしそうな様子でジト目になる。
「ええ、大陸の、です」
聖女がニコリとして、大嘘……少なくとも大陸の常識にした自分の流儀で動き出したのだった。




