第185話「合流する運命」
「ん……」
ゆっくりと目を開けた少女は隣でスゥスゥと眠っている聞き覚えのある寝息に視線を横に向けて、少年が共に眠っているのを確認していた。
米軍の野戦用の大型テントの一角。
医療用の機器が運び込まれた野戦病院の最奥。
身を起こして彼女はようやく自分の体が黒く染まって羊の角が出ているのに気付く。
魔族化しているのは解ったのだが、戻れという感覚で命令してみても肉体は変わらず。
起き上がって左右を見やると。
少年の横にもう一人。
自分の姿をした少女を認めた。
いや、自分の姿というのもオカシイだろうか。
自分そのものが眠っていて、何故かパチリと目を開けて片手で目元を擦り、自分を見やる。
「何だ。妹じゃない」
「は?」
思わず険悪な声が出た彼女ジト目になった途端。
テント内部にフィクシーがやってくる。
「目が覚めたようだな。二人共」
「フィー。あの、どうなったんですかコレ? 何か私が2人になってませんか?」
「ああ、その事か。ロナルド・ラスタルは月軌道に逃がしたが、仮面は確保したのでな。一時休憩、三人並べて寝かせて置いた。ちなみに今、スープを持って来た。取り敢えず、食べながら聞け」
「は、はい……」
「はーい」
「ぅ……自称姉と分裂するとか。私、そういう生物じゃないはずなんですけど」
取り敢えず、2人が少年を横に挟んで病院着姿でやってきたフィクシーから受け取ったスープを啜りつつ、現状を訊く事にした。
「とにかく、まずはベルが全部何とかした。それからヒューリ。お前に施された頚城の術式でお前の魂魄が変質するのは止められなかった。変質速度が早過ぎて、出来た事は二つだけだ」
「二つ?」
「魂魄の変質をお前の中の魂と分け合う形で軽減した」
「え? それって……」
ヒューリが驚く。
「ああ、それで何か変な感じになってるわけね」
「どういう事ですか?」
姉妹が同時に呟く。
「この体、ヒューリの血肉で造ったクローンだっけ? あの終わりの土を使った義肢の寄せ集めでしょ?」
「ッ」
「そうだ。ベルが現地に持ち込んでいた私達の体の予備を用いて、魂魄の変質を分け合った二つの魂を体から分離して一時的に定着させている。その頭の中身は陰陽自研で開発が終了する目前になっている義肢人形用の受信装置の部位にヒューリの卵子で造ったこちらの技術の細胞で復元した脳髄を使っている」
「あ、あの、フィー? それって……」
「前にお前が生理の時に流れるはずだった卵子を採取した事があっただろう。肉体を失う場合を考えて、魂魄を疑似的に保存する為の入れ物を作るとか聞いていたはずだな」
「あ、ああ、アレもう出来てたんですか……」
「医療部門の成果だ。終わりの土を用いて肉付けし、魂魄が発生しない器として義肢人形で生き延びるプランもあったからな。もしもの時にセブンオーダーズが肉体を捨てねばならない事態を想定したベルの準備の一つだ」
「……どうして分離したの?」
まだ名も無き自称ヒューリ達の姉である彼女が訊ねる。
「二つの魂で侵食を分割したのはいいのだが、変質後にヒューリの肉体が暴走しそうになった」
「ッ」
「魔族の肉体を不用意に暴発させれば、この星が吹き飛ぶ。直近で莫大な魔力を消費していた事もあって不安定化していたところに劇毒のような術式で魂魄汚染。恐らく魔眼の安定化能力の許容量をオーバーした」
「そ、そうだったんですか。それで……魂と魔力を分割したんですか?」
「そういう事だ。魂は二つ。魔力は共有だったのでな。魔力そのものを分割したせいで出力は下がっただろうが、星が吹き飛ぶよりはマシだろう」
「それはそうですけど。何で私が黒羊さんモードなんですか?」
「お前を安定化させた際の映像がある」
フィクシーが魔術で虚空に映像を投影した。
『ベルの準備に感謝だな。ヒューリ……必ず助ける』
テントの内部。
大量のDCのペンダントを周囲に置いた状態で発光し続けるヒューリから溢れる魔力が周囲に拡散し、あちこちの空で猛烈な勢いでオーロラが輝いていた。
電子機器は全て使用不能の最中。
義肢人形として持ち出してきた肉体のパーツを繋げ、脳髄部分に脳に似ていながらもまるで硬質なクリスタルにも似たソレを納めて治癒術式で再生しながら縫合。
脳幹から背骨までをザックリと何とか埋め終えたフィクシーがヒューリの体を横にして儀式術の為の方陣を編み上げ、白い球体を頭部から浮かび上がらせ、その手で人形頭部に押し込める。
「あ、案外、原始的というか。もっとこう繊細なものだと思ってました」
「生憎と概念系なものでな。基本、雑に見えるだろうが、そこは我慢してくれ。ちなみに義肢人形をヒューリ化するに辺り、お前の血液を貰った」
映像の中では魂らしき白い球体を入れ終わったフィクシーがヒューリの指を切って、血と魔力を抜き出すように人形の胸元に当てさせた。
それと同時に急激に魔力の移動し始めたせいか。
周囲のDCのペンダントが大量に色合いを漆黒に変質させて魔力の流入に沿って色合いを変えていく。
その魔力の流入を仲介するフィクシーのあちこちから血が流れ始めていたのを見て、思わずヒューリが蒼褪めた。
「だ、大丈夫だったんですか!? フィー!!?」
「ああ、MHペンダントもあったし、魔力の流入補佐は九十九。補助システムとしてベルが用意していたDCペンダントを大量に使ったからな」
こうして儀式が終わった途端に倒れ込んだフィクシーが、気合で何とか寝かせていた寝台の上に置き上がり、魔力安定化用のDCを外部から更に動魔術で運び入れ、2人の周囲へ大量に並べ終わったところで力尽きた。
「大丈夫じゃないじゃないですか!?」
「二日前だ。ディオに背負われた事は一生の不覚だな」
フィクシーが肩を竦める。
「問題は儀式後だ。すぐにお前の肉体が魔族化した。理由は単純だろうな」
「単純?」
「今まで私はお前の母上が分割した魂魄の部分は魔族側の部分だと思っていた」
「え?」
「だが、逆だったんだ。ヒューリ……お前が魔族側の部分で、そこの自称姉の方が人間部分だ」
「?!!」
そこでようやく人間形態のヒューリな顔をした姉がなるほどという顔になる。
「つまりだ。恐らく魂魄は分割された際に人間部分を外部に逃がす事で安定化させたのだ。確かに言われれば、そうだと納得出来る。人間から魔族の部分を引き抜くにはリスクが高い。だが、魔族の部分から人間を引き抜くのはリスクが低い。強引に大きな力は引き剥がせないのが普通だ」
「そ、それって……」
「ただし、魔族としての能力は姉の方にあったんだろう。要は外部からの制御役としてヒューリ姉は分割された形だな」
「つ、つまり、魔族の肉体と魔力は私に、この自称姉には人間部分と魔族の能力を分割して安定化させていたって事でしょうか?」
「そういう事だな。たぶん、分割した魂魄の資質も込みで色々考えた末のものだろう。お前達が互いを認識して半分融合したような形になっていたのが今までの状態。ブラック・ヒューリ状態だ」
「その名称は断固否定しますよ!?」
「済まない済まない。だが、とにかくだ。今回の魂魄、魂の変質に付いて色々と九十九にも調べさせたのだが、頚城化というよりは……」
僅かにフィクシーが言葉を濁す。
「な、何か問題があるんですか?」
「落ち着きなさいよ。妹」
「妹呼ばわりしないでください!! 断固、私がお姉ちゃんです!!?」
「続けるぞ。頚城の事に付いても降伏したニューヨーク市長から聞いたのだが、元々の超越者や魔族を頚城にすると本来は9割自滅するらしい」
「自滅?」
「元々が、人間の魂魄を神のような高次存在に引き上げる為のものだからという話を聞いた」
「それって……屍は神とか何とかの話ですか?」
「ああ、そこら辺は後から情報を纏めるが、今はとにかく魔族には劇毒の類らしい。要は魔族に神の力を付け加えたら、制御出来ずに自爆するか。それを受け止めて魔と神の力を宿すかという極めて低い可能性の2択だからだ……」
「私が変質し切ってないって事は……」
「半分人間、半分魔族だったお前達は互いに汚染されたが、その影響力は半分に抑えた。元々が異なる種族の血を受け継ぐ存在で、そういった他の種族の力を受け継ぐ資質にも長けていたのだろう」
「つまり、あたし達が神になった?」
「まだ仮の話だ。最終的な変質は恐らく不完全ながらも精度の高い頚城の術式を受けて、人の要素が2分の1以下、魔族の要素はそのままで頚城という魂の変質による神へと至る為の資質が人の割合が減った場所に居座っている状況だと思われる……済まないが詳しく調べようにも安定しなければ、何とも言えん」
「……2人ともですか?」
ヒューリが訊ねる。
「ああ、そうだ。オリジナルの肉体はヒューリが主導権を元々握っていて、分割されていたヒューリ姉は義肢人形の方で肉体はヒューリ基準まで引き上げたが、魔力を引き受けた為に半ば生物ではなく。精霊化している状態だ」
「へ~~ま、そんなものでしょうね」
「あ、あの、何かさっきから軽くありませんか?」
一応の姉に思わず少女がジト目になる。
「別に妹の体から離れて好き勝手出来るなら、肉体を乗っ取る必要もなさそうって事よ」
悪戯っ子のようにヒューリ姉が唇の端を歪ませる。
「う……何かトンデモナイものを世に解き放ってしまった気がします」
「ただ、魂魄はともかく。肉体はオリジナルのヒューリを基礎としているとはいえ。それでも元々が義肢人形だ。変質したヒューリの肉体には一歩劣る。そこに大量の魔力を受け入れた以上は劣化せぬように色々とやらねばならない事が多い。ついでに言えば、仮初の肉体に近い為、魂魄を宿らせている中核を魔力に耐えられるものに移し替える必要もあるだろう」
「このままだと儚い命って事ね」
ヒューリ姉が肩を竦める。
「そこは左程問題視しなくていい。ウチの医療部門は優秀だ。あのエヴァン先生とやらも何とかしてくれるだろうし、ベルがお前をみすみす死なせるわけもない」
「期待させて貰うわよ。そこらへんは……」
「それでヒューリ。お前の肉体が魔族化した理由だが、検査の結果。アステルが創るような疑似神格に似た反応が肉体そのものから出ている。姉よりも強くだ。要はお前は人であり、魔族であった過去よりも更に強くなる神の肉体資質を得た」
「ッ―――」
「わーお。遂に本当の野菜の女神様の爆誕ね♪」
「茶化さないでください!?」
「はいはい」
「うぅ、自称姉がこんなにちゃらんぽらんな感じだったなんて!?」
「失敬ね。貴女の中身としてしばらくやってたから、中身も引っ張られて欲望に偏ってるだけよ」
「わ、わたしには理性があります!!?」
「理性吹っ飛んだ時の事はあの子も教えてくれないわよね」
「どういう事ですか?! 何か知っ―――」
「ヒューリ」
フィクシーが軽く息を吐いた。
「あ、はい。すいませんでした……続けて下さい」
「危ない事は危ないが、お前らの事はまだ後回しにしても何とかなる」
「何とかなるんですか?」
「別に死に直結する異常事態は起きていない。色々とやらねばならない事は増えたが、それだけだ。問題は……」
「「ッ」」
2人が同時にフィクシーの視線の先。
自分達の横にいる少年を見やった。
「ベ、ベルさんがどうかしたんですか!?」
「お、教えなさいよ!?」
「落ち着け。すぐにどうこうという問題は抱えていない。だが、戻って来た時からして、ベルの肉体と魂魄が異常な数値を示している」
「異常?!」
ヒューリの肩に手が置かれた。
「良く聞け。ヒューリ……ベルは……」
その深刻そうなフィクシーの顔に少女の顔も蒼白になっていく。
「ベルは生きている」
「………?」
「あの、見れば解りますけど」
「そういう事じゃない」
「どういう事なんですか?」
「ベルは今まで動く死体だった。生物では無かった。それは理解しているか?」
「あ、はい。その……解ってます」
「それくらいはね」
2人が神妙な顔付きになる。
「ベルの肉体を見て、驚いた。もうベルは一個の生命だ」
「生命?」
「動く死体では無くなっている」
「ッ、それって……」
「だが、同時にベルの魂魄と幾つかの数値が異常な値になっている」
「どういう事よ?」
ヒューリ姉が解らないという顔で訊ねる。
「簡単に言えばだ。ベルは人間ではない何かとして生を受けている」
「人間ではない何かって何よ?」
「そうだな。まだ、本格的な検査前の段階で解る事を話すとだ。ベルの肉体は生命体ではない。生きていると言ったが、語弊がある」
「語弊?」
「このような数値を示す存在と一度だけ善導騎士団……いや、ベル自身が戦った事がある」
「え?」
「北海道戦役でベルが最後に倒した存在の事は知っているか?」
「頚城の術式を使った人形でしたよね? 運命というか因果律を操る、的な?」
「ああ、そうだ。ベルの肉体は終わりの土という概念域の物質を使って再生する。だが、それよりも高次の存在。運命、因果律を操る存在が観測された初めての戦闘でソレらは観測時に特異な数値が出ていた。ベルの数値がソレに似通っている」
「その人形と同じようなって事ですか?」
「因果律の観測手段が今のところ我々には無い。ただ、神と戦い高次元関連の研究が進んだ為、次元関連の観測技術で色々と見られるようになった。その観測方法から今のベルは……観測されていない限り、存在を検知出来ない事が確認された」
「それって一体……いないって事、ですか?」
「簡単に言えば、ベルはこの次元よりも高次元の存在。外なる者達と同列の何かと近しいものになっている可能性がある」
「つまり、あの神様達が本来いるような次元にいる?」
「ああ、要は存在する次元が我々の次元からはみ出ている。我々の世界に漫画やアニメのキャラクターが出て来るようなものだ。この場合は我々がキャラクターで、外なるものやベルが読者という事になるか」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
「いいから聞け。主神級を超える高次性を備えた物理法則に依存しない生物……正しく、あの白い肉の塊や封印中の巨大触手……ああいうものの世界に片足を突っ込んだ状態なのだ」
「そ、それって……」
「ただし、認識されている限りは物理的な制約を受けるようだ。ただ、不安定になっている」
「不安定?」
「機械が観測出来ていない間、あいつがこの世界に確定情報で存在しないと九十九たちが予測している。そして、観測出来ない状態から観測状態に移行した時に存在の揺らぎのような……あちら側に引っ張られて、こちら側の物質的な肉体としての存在が希釈されている可能性が示唆された」
「ッ」
「ついでに言えば、未知の元素……終わりの土が変質したように見受けられる何かで肉体が構成され、骨も超重元素のような何か。胸元のアレも動力炉というよりは未知の波動を発する何か。そういうものに置き換わっている事が確認された」
「………ベルさん。そんなになってまでみんなを……」
「ベル……」
2人の姉妹が同じ顔で僅かに涙を堪えるように俯く。
「フィラメントからの情報では大陸で言うところの“上がり”の現象に近いのではないかと言われた」
「上がり? ええと、確か……」
「時空間関連の魔術や高次元の魔術を極めた存在が大陸から姿を消す現象だ。その多くはまだ別の宇宙の何処かにいる。というような状況だと一部の高位超越者達は言っているが、世界から排斥されているだとか。別の次元に旅立っただとか。そう言う者達もいる」
「―――ベルさんがいなくなるって事ですか?」
「通常の機械では認識出来ず。存在を認識する相手がいて初めて機械が認識出来るという事のようでな。一人にしておくと不意に存在が消失。この次元から消えて戻ってこれなくなる可能性すらある」
「ッ、そんな?!」
「………ああ、それで私達の傍にいたのね」
「ああ、そうだ」
「どういう事ですか!?」
ヒューリア姉にヒューリが食って掛かる。
「私達の認識力。知覚能力でベルを認識していれば、そういう事はたぶん防げるって事よ」
「そ、そうなんですか!? フィー!!?」
「ああ、緊急の措置だな。これからは誰かが一緒にコイツをずっと見てやる必要が出て来た」
「わ、解りました。つまり、ベルさんを四六時中見ていればいいんですね?!」
「観測してれいばいいので傍に誰かが居れば問題無い。トイレの中まで見なくても位置を生身の五感で観測していれば問題無い。取り敢えず、夜も傍に一緒にいてやるヤツが必要だな」
「つ、つまり、ベルさんは私と一緒に御布団に入って一緒に寝ればいいんですね!!?」
ゴクリとヒューリが唾を呑み込んで食い気味に言いつつ拳を握る。
「まぁ、空けられない用事がある場合は周辺女性陣に頼めばいいだろう」
「何か一気に気が抜けたわね」
ヒューリ姉が溜息を吐く。
「そう言えば、お前の名前も決めなければと皆で話し合っていたのだった」
「え?」
「いつまでも姉なるものとか。自称姉では困るだろう。ヒューリア、アステリア、ユーネリア、リスティア、ハルティーナ、私、ベル。この全員で幾つか候補を絞った。好きな名前を選んでいいぞ」
いきなり言われてヒューリ姉が虚空に映し出された文字列を見やる。
「フィニア……これ、元は何の名前?」
「囁くもの。いつもヒューリを助けてくれていたお前を想起してベルが出した候補だ」
「じゃあ、これでいいわ」
「そうか。では、フィニア。お前はこれからはフィニアと名乗るといい」
「そっか。フィニア……フィニア……ふふ」
「……嬉しそうですね。姉名乗るフィニアさん」
「姉だから仕方ないわね。自称姉のヒューリアちゃん」
「「………」」
互いが互いに少年の手を握りつつ、バチバチと視線をぶつけ合う。
「姉妹喧嘩は日本に戻るまでお預けにしておけ。お前達はしばらくベルと一緒に休みだが、善導騎士団の仕事は立て込んでいる」
「まだ、何かあるわけ?」
フィクシーがテント内部のジッパーを開いて窓を作る。
「絶賛、世界は混乱中だ」
その先には巨大な……ただ只管巨大な何かが虚空に浮かんで移動していた。
大量の軍艦らしき七教会の船をズラリと引き連れながら、星空のような底を見せて……。
*
「善導騎士団副団長殿」
「そちらがゲルマニア皇帝陛下ですか」
「そのようなものだ。ただのごっこ遊びだがな」
巨大な“地域”が大西洋での巨大な現象の最中に旧ドイツ領を半ば半分以上地殻毎破壊して現れた時、世界にはまったく余力が無かった。
何処もそうだ。
そして、それを逸早く知った米軍からの通報で事態が発覚する最中。
騎士団は通信が完全回復し、内部とも連絡が取れるようになったニューヨークでセブン・オーダーズの隊員の負傷と重症の報を聞きながら、更にアフリカの世界規模でのゾンビ襲撃の中核を撃破。
同時に人類生存領域内でのシェルターの保護の為に全力を尽くしていた為、ようやく一息吐く暇も無くの対応は殺人的な業務量となって騎士団を圧迫。
最終的にロス・シスコ間を転移で移動しながら都市守備隊を率いて陣頭指揮していた副団長ガウェインがその大西洋を横断し、北米大陸へと浮遊しながら移動している全長数百㎞の小大陸とも見えるソレの上に軍用機で着陸し、その発着場に整えられた簡易の会談場所に脚を運ぶ事になっていた。
旧式ながらも残っていた軍の輸送機で降り立ったのは相手に敵意を抱かせない為だが、それにしても副団長の傍には黒翔が数機いるのみだった。
ゲルマニア皇帝。
そう名乗った男は太った体にも思える巨体を外套に包んでいた。
だが、その内部にあるのが脂肪などではない事がガウェインにも分かった。
僅かにだが、機械の作動音が響いているのだ。
「お体が優れないようならば、会談場所は屋内にしてもいいのですが」
晴天の下。
ニューヨーク上空で男が肩を竦める。
「これはこの船を手に入れた時の後遺症でな。左程の事もない。人生の大願は既に叶った。だが、その為に生み出したこの子達の為にも死ぬまではしばらくごっこ遊びでも最後まで責任を取る地位に居たいと思っている」
「……MHペンダントなら予備もありますが?」
「必要無い。これは肉体の損耗ではないからな。魂そのものを治すとしても、長く生きたい人生でもない。早めに伴侶の下へ向かうのが目下、最後の愉しみだ」
「ふむ。失礼しました」
「では、本題に入ろうか」
七教会が嘗て用いていた単純な折り畳み式のテーブルを挟んで男達が向かい合う。
「我が方としてはゲルマニアがどうして動いたのか。そして、この巨大な船……我が大陸にすら無かった規模の船を何処から見付け、どんな情報を持ち、どんな理由で動かしているのか。ご教授願いたい。解っていると思いますが、今の我々は忙しいのです」
背後で三人娘。
皇帝の実の娘として育てられた者達の一部が顔色を変えて何かを喋ろうとしたが、四肢を樹木を動かして形成している寝台に座る長女らしき者に留められた。
「最もだ。では、順にお答えしよう。この船は古代遺跡ガリオスと繋がる巨大な異相内部の倉庫に入っていたものだ。我が最愛の妻が発見した。当時の遺跡発掘隊最後の功績だよ。そして、妻が言うにはコレは滅んだ人類が頚城として神の領域に入り、嘗ての大陸。つまり、君達が来た世界に連れ帰る為の代物、らしい」
「―――らしい?」
「詳しい事は解らないのだ。妻は心無き者達のせいで研究の途中に死んだ。残った私にはそれを引き継げるだけの知識と技術が無かった。辛うじて妻が書き残した多くの成果を運用するのが関の山……その時の事故で体はこの有様だ」
男が外套を剥いだ。
すると内部には骨をコーティングしたような硬質な肉体内部に大量に魔術具らしきものが埋め込まれている様子が見える。
太って見えるのはその肉体を覆うジェル状の透明な何かが体積を取っているからだろう。
「では、この船を動かした理由については?」
「彼女が予言してくれていた。“静寂の王”が熾る時、世界は安寧の黒に包まれる。しかし、もしも、その時、人が、人類が生き残っているのならば、まだ人にはきっと可能性が残されている」
「可能性? 静寂の王…」
「……妻は言っていた。嘗て、ガリオスに存在した誰か。それが獣たる人類を死で満たし、回収する役割を担っていると」
「魂の回収。ふむ……」
「だが、人類とそれを救おうとする稀人は相対し、静寂の王を封印した。幾多の文明が滅んでも決して人々を見捨てなかった稀人達は一人一人消えゆきながらも、それでも人が先へ向かい、文明を発展させ、いつか静寂の王すらも超える存在として自ら起つ日を信じた」
「稀人……」
「古代ガリオスの遺跡を読み解いた彼女は言っていた。やがて、滅びの時代に到達した人類はその時にこそ静寂の王と相対する事になる。そして、ガリオスには人類が滅びる時こそ、救う為の切り札があると」
「切り札? それはコレではないのですか?」
「コレは我々人類が静寂の王に敗北した時、静寂の王に回収されなかった魂を運ぶ為の箱舟。嘗て、内紛によって滅んだガリオスから、人の可能性に掛けた者達が運び出した代物だ」
「ッ―――ガリオスが、内紛で滅んだ?」
さすがにガウェインが固まる。
「ガリオスの騎士よ。君達には我が妻が知った残酷な現実を伝えねばならない。ガリオスは二つの勢力によって二分され、片方は静寂の王を支持し、片方は獣たる人の可能性を信じ、互いに致命的な状況で相打った。だが、静寂の王は蘇った。あの四騎士達と共に……」
「まさか、最後の大隊があの方と呼ぶのは―――」
「そうだ。古き時代。ガリオスを滅ぼし、稀人……君達が魔導師と呼んだ文明の紡ぎ手者達と相対して封印された存在……滅びた静寂に坐する王だ」
ゲルマニアの言葉が世界を動かし、同時にまた一人の少年の運命を導いていく。
皇帝を名乗る男は言う。
「我らゲルマニアは人類の一角として生き残る為、静寂の王の遣わした四騎士やBFCとは違う道を行く。だが、我が妻を殺した者達は人社会において絶望し、失意の内に死ぬ事が確定した事は確認出来た。もはや、我らに人類生存領域に対する蟠りはない」
「つまり?」
「米軍とは協力出来ない。だが、君達相手にならば、協力しよう。我らの力が欲しくないか? 善導騎士団副団長殿……もしも、君達が我らを輩とするならば、我らは四騎士とBFCとの戦いに参戦し、隊伍を組む覚悟がある」
「………日本でも、人類生存圏の諸国でもなく。我々善導騎士団に協力する。そういう事でいいのですか? 皇帝陛下」
「左様だ。この老い先短い男がこの子達の為に最後にしてやれる事だ。何、君達は手を取るとも……何せ、我らゲルマニアは赤ん坊も同然だ。この我が子達の幼さの前に何もせずに放置して君達と敵対する道を歩ませてやれる程、君達は人情の無い大人かね?」
「陛下!!?」
思わず長女らしき四肢無き樹木の乙女はそう僅かに声を怒らせる。
「そう怒るな。お前達はまだ未熟だ。大人になる前にまずは子ども扱いしてやれなかった私の代りにちゃんとした大人を知れ。そして、お前達が本当の意味で独り立ちした時、私は、オレはようやく死ねるのだ。済まないが、コレがお前達にしてやれる。最後の事なのだ……」
三人の娘達が思わず涙を堪えて唇を噛みながら俯く。
そして、その背後にいる少年少女達がまた同時に涙ぐんでいた。
「この国に大人はいないのですか?」
「ああ、この船の設備で我が子達を儲けた。我妻の遺伝子と私の遺伝子でな」
「解りました。この船が我が祖国の遺した希望。忘れ形見だと言うのならば、そこに暮らす者は国民も同然。色々と禍根はありますが、国家の争いに子供を巻き込む程、いや……もう巻き込んでいる以上、貴方と同様に戦う我らに否は無い」
ガウェインが初めて背後の三姉妹達を見やる。
その曇りの無い瞳に見竦められて、僅かに三姉妹の背筋に汗が伝った。
「内政、軍事、外交。三つを其々に担当される方々だと聞き及びます。ならば、まずは大人として礼は尽くしましょう」
ガウェインが片膝を着いて三姉妹の前に頭を下げる。
「お初に御目に掛かる。騎士の無骨を無礼という形でお見せした事にまずは謝罪を……」
立ち上がる男が胸に手を当てる。
「私はガウェイン。ガウェイン・プランジェ……古き魔術の祈りを継し家の子にして当代の当主にございます。皇帝家筋の皆様を前にしての無礼、どうかご容赦を。今後も見苦しいとは存じますが……我らは騎士団。須らく、全ての子らに等しく。遍く灯の護り手として、礼は無くとも野卑に非ずとご理解を。故に方々に我らが規範を示す所存。我らの手は未来に繋がれるものと信じます」
その得難き騎士の微笑みを騎士団の古参勢が驚きながらも思い出す。
そう、目の前の男は元々が魔術師崩れを自称する本当の上流階級の出なのだ。
“わざと”無骨を絵に描いたような不機嫌顔で人々の前で副団長役を買って出ているが、それはそれが最も彼にとって必要な顔だったからに過ぎない。
本当の彼の素顔など彼らは見た事も無いが、その笑みを一度だけ見た事のある者は「ああ」と思ったのだ。
そう言えば、騎士団に来る子供達の後ろ姿をこんな笑みで見ていたっけな、と。
まるで幻かと見直した時には消えている笑顔。
それを目の前にして彼らは思う。
騎士団はようやく僅かなりともガリオスの真実に近付き。
同時にその新たな家の子を前にして護るべきものを再度得たのだ。
「話は決まった。これより、騎士団の誘導に従い。我らゲルマニアはしばらくの後、日本へ向かう航路を取る」
皇帝の一言に三姉妹が頷いた。
「一つお尋ねしたい。どうして、日本へ?」
「……妻との約束だ。そして、君達が最も恐れるべき者達と対峙する為だ」
「畏れるべき。今の状況でソレは……」
「魔族だ。嘗て、ガリオスを滅ぼした静寂の王は魔導師ともう一つの勢力が手を取り、一時的に滅したとの情報がある」
「それが魔族?」
「そうだ。君達が今、対峙しているのはガリオス興国騎士団最後の生き残りにして魔族の小領主。星すら砕く真の超越者の一角。嘗て青瓢箪の名で親しまれた興国期の宰相その人なのだ」
「―――?!!」
さすがにガウェインの顔が驚きに染まる。
「古い古い秘められた話。黒き者達の逸話……それがこの船には残っている。運命を司る神、創造主の影を断ち切る為、因果の頚城として留められた角持つ少女と国の宰相との悲恋譚」
皇帝の背後から少女達が一冊の大判の書籍を持って来る。
それは大陸標準言語。
それも現代ガリオスでも数百年前に使っていた古い様式と書体で書かれた一冊の日誌だった。
そこには騎士団の歴史に詳しい者ならば恐らく知っているガリオス初代女王の名が記されている。
「頚城とは元々……君達の祖国を護る為、興国者が生み出した運命の中心となる人物を用いた大儀式術の中核を創る術式……星の因果を束ねて断つ……滅びる世界の運命を断ち切る為の“生贄”を得る為のものなのだ」
ガウェインは知っている。
その少女をもう知っている。
世界の命運は確かにまた一人の少女の手の中にあった。
『ッ、クシュ。ワシも齢かのう。ハッ、だが、元々歳なのでは? いやいや、輪廻したんじゃから、どちらかと言えば、生後数か月? まさしく、オギャー中のはず……はは、あの青瓢箪が涎垂らして見てきそうじゃのう……ん? ワシ、そんな奴に会った事あったか?』
小首を傾げながら、ヒューリ達のいるニューヨークを護る為にフィラメントの修理中の天辺で警備を続けていた少女は自分の頭をコンコン叩きながら、テント内部の若者達の恋愛事情を繁々とオフラインで覗いていた。
また増えた姉妹達は少年の左右を取り合いながら、姉妹ランキングなる序列の為にギャーギャーと言い争っている。
中央に置かれた少年は悪夢に魘されたような顔色であった。
「ま、良いか。とにかく、また世界は救われたしのう。あの姉だか妹も一緒に緋祝家にご招待じゃ。まだまだ部屋は余っとるしな♪」
こうして、世界規模のゾンビ襲撃から数日。
善導騎士団は新たな勢力との和解の末。
日本への帰路に就く事となる。
しかし、その横でまた2人の男女がテントの中で相対していた。
『………メイ。オレを殺すなら、今だけだ。今後、市民達がオレをどう判断するにしても、忙しくなる。断罪されるにしろ。投獄されるにしろ。その判断には従うつもりだ』
『そんなの分からないわ。でも、一つだけは確かよ……私は貴方の傍にいる。私が殺すにしろ。誰かに殺されるにしろ。最後まで貴方の行く末を見届ける。それが仲間達に誓う私の覚悟よ』
『馬鹿だな……今更、こんな化け物になったオレを見てる暇があれば、自分の人生を生きればいいじゃないか。他の誰もソレを咎めやしないってのに……』
『―――取引したわ』
『取引?』
『フィクシー副団長代行。そして、ガウェイン副団長。ハワード大統領。彼らとポラリスの取引よ。最後の一人として市民を護る為にね……』
『何だ? 我々……いや、君に彼らと取引する材料はもう……』
『あるじゃない。此処に1人』
『ッ、ああ、そうだな。好きにしてくれ』
男が覚悟した様子で頷く。
『じゃあ、そうさせて貰うわ。ジョセフ市長はやって来ていたBFCから市民の命を盾に取られて脅されていた。ポラリスと市長は共に化け物とされ、BFCの手先にされそうになったのを善導騎士団及び合衆国大統領、ポラリスの最後の1人の助けによって救われた』
『!!?』
『市長は洗脳を解いてくれた善導騎士団と大統領に感謝すると共に生き残りであるメイ・アンコールドを政府首班の中核とし建国。合衆国と善導騎士団を主軸とした人類の反抗作戦の前哨基地としてニューヨークを開放する』
『………はは、随分と厳しいな。君は……だが、君の最後の時間は……我儘だとしても……そんな事に使って欲しくないんだ。オレは……』
『その取引で貴方の頚城としての術式を代価に陰陽自研。彼らのブレーン達が不完全な頚城を長持ちさせる方法を考えてくれた、らしいわ』
『ッ、そ、それじゃあ……』
『まだ、当分仲間達に会えそうも無い。最低でも後20年……さっき、私の体に使う薬と術式が届いた……これから打つ事になるけど、背中に打たないとならないの』
『は、はは……ははは!! クソぅ……本当に君は何て連中を連れて来たんだ。馬鹿野郎……君より先に死ねなくなったじゃないか……ぅ……っ……ッッ』
一人の男が俯いて片手で顔を覆う。
それは少なからず、絶望の涙では無かった。
『両腕付きよ? 義肢もサービスしてくれたわ。馬鹿みたいに高性能なんだから。間抜けな男一人殴り倒して言う事を聞かせられるくらいね!!』
その強い笑みに男は「ああ、ああ……」そうとしか言えず。
男の嗚咽が、女の震える声がテントの中に漏れる。
『私達の罪は誰も贖えない。私達が大陸の、ガリオスの人達を生贄にした機械で戦っていた事も、貴方がポラリスを犠牲にして市民を救った事も、誰も贖ってはくれない。贖えなんかしない』
『ぁあ……』
『でもね。まだ、戦う事は出来る。戦って戦って戦って、最後まで戦い抜けたら、きっと自分を許せなくても、悔いばかりでも、安らかに眠れる気がするの……』
『……そう、だな……』
『薬……打ってくれる? ジョセフ・シモンズ市長』
『市民の健康を護るのが市長の務めだ……勿論、打たせて貰うとも……メイ・アンコールド隊員』
その日、ポラリスが最後までビッグ・クレイドル内に隠匿していたBFCの基礎技術……科学によって魔術を扱う“秘儀の箱”が善導騎士団に押収され、すぐ陰陽自研に転移で輸送された。
世界が惑星規模の混乱とゾンビと災害に巻き込まれる中。
それでもまだ人々は希望を捨てる事無く。
急変する空模様を感じながら、己の新たな家や寝床となったシェルターへ身を寄せて、明日も無事でありますようにと生きる。
彼らの常に見る端末は今日も善導騎士団の活動報告を垂れ流していた。
曰く、ニューヨーク開放。
米合衆国大統領との連携。
世界政府樹立に伴っての一大反抗作戦。
ユーラシア奪還が遂に目前へと迫っている云々。
恐らく先にも後にも人類全員が視聴した善導チャンネルでは今日も漫才が繰り広げられつつ、サラッと重要な情報がニュース形式で流される事となる。
―――日本へのセブン・オーダーズの帰還。
それは数日後を予定している、との話であった。




