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ごパン戦争  作者: TAITAN
統合世界-The end of Death-
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第165話「料理人とメイドと超人と狂人」


「アルスメリウス・ラト・エルヴァーナ・クルジス。それがお坊ちゃまの本当のお名前です」


 1人のメイドさんが静かにそう語り出す。


 彼女の周囲にはセブンオーダーズの仕事を終えた人々が集結していた。


 キャサリン・アルテージ・ミッツァ。


 完璧なメイドさんとも思える様子。


 そもそも何故メイド服なのかと言えば、彼女がそれを望んだからだ。


 秋葉から取り寄せた最高級品とかではなく。

 少年の魔導で手作りした代物だ。

 陰陽自研で細胞の採取。

 肉体の複製が終了して1日。


 円柱内部から慎重に取り出された彼女は脳髄と周辺の生体部分を肉体に移植。


 九十九の支援で五感の調整プログラムを流されつつ、何とか身体を取り戻した。


 まぁ、本体とも言える脳髄部分は未知の部分が多過ぎて解析は未だ終わっていないが、その技術的な部分の多くは科学である為、数日中には終わるだろう。


 そんな彼女が専門のカウンセラーと数時間話した後。


 少年が事前に幾らかの現状の説明をして、その上で混乱する彼女に話しをして欲しいと頼むのは端から見れば、かなり忙しなく思いやりが無いようにも見えたかもしれない。


 まぁ、女性陣から一端白い目で見られたのだが、全てを話した上で協力を取り付けるのが最も誠実だし最良であると考えた少年の行動に水は差されなかった。


「お坊ちゃまは七教会の影響で財政的に傾いた家の再興の為、ガリオスにおいての騎士団統廃合の折に来ていたお話……要は騎士団長になったならば、財政支援を行うという話に乗りました。あくまで選考会で選ばれればの話でしたが……」


 キャサリンが沈んだ顔になる。


「ミッツァさんの最後に覚えている記憶が僕らの大陸での最後の日から数年前の出来事ですから、恐らくは数年分の記憶が欠落してます。ただ、まだ大災害は起きていない時期だったようです」


 その言葉に彼女が頷く。


「私自身も何か己に欠けているように感じております。恐らくはお話にあったガリオスの消失やその後の……ガリオス人を用いた道具の生贄にされた時に……ただ、お坊ちゃまは少なくともあの時点までは……決して、人を悪辣に殺して……国や世界を滅ぼすような……そんな……そんなお人では無かったのです……きっと、何かがあって……それで……」


 思わず涙を浮かべるキャサリンにハンカチが差し出される。


「ありがとうございます。今のお坊ちゃまの姿、お声……確かに私の知るあの方であると思えます。でも、それでも……悪魔の如き所業を行う存在だとしても……私にはどうしてもあんな事を好きでやっているようには思えないのです」


 ハンカチで目元を拭った後。


 その気丈な瞳が目の前の面々に向けられる。


「この世界との確執によって変わられてしまったのだとしても……私は……私はお坊ちゃまを信じたい。あの頃のお優しかった心がまだ残っていると……お坊ちゃまがどのような罪を犯したとしても、私には今も変わらず……大切な唯一人お仕えするべき方なのです。ですから……」


 僅かに息が座れた。


「お坊ちゃまがもしもまだ罪を重ねようとするならば、お止めします。我が一命に代えても……その上で皆さんにお頼みしたい事があるのです」


 部屋は夕暮れ時。


 入って来る輝きを横から受けた彼女は顔の陰影に涙を散らしても自らの使命と義務と願いを叶える為に見知らぬ彼らに頭を下げる。


「どうか、私をお坊ちゃまの下まで連れて行って頂けないでしょうか。無論、戦闘になれば、私の事は捨て置いて構いません。お坊ちゃまが人の心を無くされてしまったのなら討たれる事は妥当なのでしょう。ですが、それでも話を聞いて、話をして……もう一度あの方の真意と声を……聴きたいのです」


 そのシンとした室内にポタリと何かが落ちる。


「え?」


 その光景にキャサリン当人が驚く。


「うぅうぅぅぅ~~~」

「お姉ちゃん。助けてあげようよぉ~~」


「そうですねぇ!! そうですねぇ!! 敵は敵ですけど、女性のお願いを無碍にしたら、騎士団失格ですよねぇ!! ぅうぅぅぅう~~~~」


「良い話なのじゃ~~~こういう従者や侍従が大陸時代欲しかったのじゃ~~」


 ガリオス系お姫様四人衆。


 ヒューリア、リスティア、ユーネリア、アステリア。


 全員が全員涙をハンカチで抑えつつ、良い話と涙ながらに頷いていた。


「ま、どうせ倒しても殺せないんだし、いいんじゃね?」


「身も蓋も無いけど、今の状況だと確かに相手を抑えるのに説得は有効な手札だと思うよ。ボク」


 カズマとルカが現在の四騎士を殺せないという制約が有り得る戦闘を想定している状況ならば、コレは一つの手段であろうと納得の面持ちとなる。


「ま、あいつら相手に殺さず制圧しろとかゾッとしねぇしなぁ」


「緑燼の騎士程の手練れが最弱であるなら、懐柔もまた手の一つだと思います」


 クローディオとハルティーナが頷く。


「ベル」


「はい。勿論です。僕らは善導騎士団ですから。いえ、セブンオーダーズですからって言い直した方がいいかもしれませんけど」


 少年とフィクシーが頷き合う。


「お姉ちゃん。いいよね?」


「……そうね。そういう選択肢も必要なのでしょうね……」


 四騎士との戦闘を経験した事のあるルルが僅かに沈黙していたが、これ以上人類の犠牲を許容出来ない以上は戦う以外の道も残されて然るべきだろうと己の中のモヤモヤしたものを一端閉まってシュルティに頷く。


「大丈夫ですよ。さ、お昼時ですし、そろそろ食事にしましょう」


 そう言って普通のオフィスの一角にも見える室内にカートが引っ張られてくる。


「僕もそれでいいと思いますよ(キラッ)」


 何か陰陽自衛隊の制服を着た好青年にしか見えない歯も眩い男が次々にテーブルへとランチプレートを置いていく。


 そして、その場の殆どが思った。


『誰?』


「オイ。挨拶もまだだろう」


 安治が同じカートを押しながら室内に入って来る。


「おっと、これは失礼しました」


「ああ、コイツは甥っ子でな。優秀なので色々と試験やら陰陽自研で研修させるやら実戦訓練するやらしていたんだが、ようやく騎士ベルディクトの出した基準の能力まで追い付いたのでセブン・オーダーズに招集した」


 青年が一部の隙もなく今までの笑顔が嘘のように真面目な顔で敬礼する。


「安治総隊長の甥になります。陰陽自衛隊所属加賀谷芳樹(かがや・よしき)伍長。只今着任致しました」


「こいつは食品関連のスペシャリストだ。陰陽自研で糧食及び魔導と合成タンパク質やらの論文も短期間で書上げた。医学、生物学、薬学、食品加工学、植物学、家政学、魔導遺伝子学……まぁ、コイツが勝手に名乗ってるだけだが、そういうのに詳しい。現場の研究者のお墨付きだ」


 安治の言葉にカズマが『うわ。オレと違って本当にエリートの匂いしかしねぇ』と顔が引き攣った。


「いやぁ、彼らが習ってた居合の先生にも師事してたから、ちゃんと刀もイケますよ。叔父さん」


 爽やかイケメンが爽やかに笑えば、やっぱり爽やかだ。


 事実、その場の誰もが涼風が頬を撫ぜた気がした。


「そうだったな。お前は何でもこなす方だ。取り敢えず、何か困ったらコイツに押し付けて構わない。整備関連も医療機器や研究機材の修理だけならプロ並みらしいからな」


「よろしくお願いします。皆さん」


 全員の感想はこうだ。


『あ、はい』


 山の者とも海の者とも知れぬ男はそうしてセブン・オーダーズに着任した。


 数多くの女性達を現場で狂わせた魔物であるが、彼に引っ掛かるような普通の女性陣がいないセブン・オーダーズでは『何か変な人だなぁ』と言うのが第一印象であった。


「あの~~」


 そこにすっかり主役の座を食われたキャサリンがおずおずと声を上げる。


「み、皆さんの配膳や給仕はお任せ下さい!! こう見えても帝国の家政学校で正式な雑用メイドとして修業を積んだので、掃除洗濯何でも一通り致します!!」


「叔父さん。彼女、僕のアシスタントとして料理現場や掃除洗濯全般手伝ってもらっていいかな?」


「……好きにしろ。全員の心は決まったようだしな。オレは全体会議で八木一佐とまた詰めなきゃならん事があってな。後で報告してくれ」


「了解しました」


 安治がキャサリンに頭を下げてから出ていく。

 後には仄かに湯気を上げる夕食があった。


「あ……」


 とある事に気付いたカズマが固まる。


「どうしたの? カズマ」

「伍長……の胸元」

「?……あ」

「どうしたのじゃ?」


 さっそくキャサリンとイソイソと食事の準備を始めるイケメンに対して固まるカズマとルカにリスティアが首を傾げて近付く。


「あの人、レンジャーだわ」

「“れんじゃー”……確か……」


「陰陽自衛隊のレンジャーはアレだ。片世さんに一番近い層の略称になった。徽章は新しく作ったらしい」


 確かに加賀谷の胸元には僅かに輝く紫陽花色の鈴蘭のバッジらしきものが見て取れる。


「どこら辺が略称なのかは分からぬが、ワシも言いたい事は分かるぞ。ふむ……アレは我が祖国なら騎士団の副団長とか。政治家の怖い層の秘蔵っ子役じゃな」


「優秀過ぎて泣けるんですけど。いや、マジで」


「ま、万年筆記で60点ではそうも思おう。じゃが、ほれ。ウチはアレじゃ。大体、現場主義じゃから。先輩風を吹かせても良いのではないか?」


 10分後。


「うん。やっぱり、さっきの無し。お主達が先輩と呼ぶのじゃな。カズマ。ルカ……ワシは気に入ったぞ。あやつの料理」


「旨過ぎるんですけど……料理」


「ごめん。カズマ、火力以外は全部負けてる……ボクはルックスと点数以外全部負けてる。恐らく私服のセンスとかも」


「ふぐ?! 頑張って埋まらない差を感じる!!」


「?」


 こうしてセブンオーダーズの陰陽自衛隊組には爽やかイケメン(性癖が歪んでいる)とメイドさんが加入したのだった。


 *


 その日、日本の加工食品を扱う企業から善導騎士団東京本部に向けて品物が発送され、その量が十トントラック40台分になった事はちょっとした騎士団内のニュースになった。


 お礼状曰く。


『旅に出ると聞きました。ウチの商品をお使い下さい』


 との事である。


 何がお礼?という顔になった受け取り中の隷下部隊員達であったが、数日前に配信された善導チャンネルの事を思い出した輩がいた。


 北米で騎士ベルディクトを筆頭にするセブンオーダーズが今後の北米奪還の為に調査を開始する云々。


 そうポロッとメインパーソナリティーの二人が零したのだ。


 別に後から発表する事になっていたのだが、フライング気味に出て来た情報に各企業が食い付いたというのが正しいだろう。


 お礼というのも単純に日本を救ってくれてありがとう的なものが殆どだ。


 中には従業員や創業家を救ってくれて的なものもあったが、基本的にはバチカンに品物を奉納してみる的な宣伝目的が多い。


 まぁ、それはそれとして大量の食糧品がザラァッと雪崩の如く食品保管用の冷蔵庫に入れられたのは言うまでもない。


 生憎と騎士ベルディクトwith愉快な仲間達はトラックを引き連れては行けない。

 一応、お礼状は電子メールの形で全部内容が送られた。


 後、送られてきた食料品の中で日持ちして嵩張らない系の代物や冷凍したら味が落ちる系のものは騎士団で仲良く消費される事にもなった。


 だが、そういった送られてきた食料の幾つかは日本人並みにモッタイナイ精神を発揮した少年が北米に転移で運んで色々と《《運用》》する事になっていた。


「~~~♪」


 爽やかイケメンとメイドが加入したセブン・オーダーズが準備をほぼ万端整えて3日後には出発という頃合い。


 シスコの本部では少年少女達が郊外にゾンビ狩り実習へ行っている間に大科学実験的なガラス製の巨大フラスコや様々な物質の元素を切り貼りする為の薬品がドラム缶単位でズラリと校庭に並べられ、大量の食品がパッケージ毎横に並べられて、一体何をしているのか怪しげな雰囲気に包まれていた。


 本日の主賓はクローディオ、フィクシー、無理やり連れて来られたアフィス、ヒューリであった。


「なぁ、オレらは今何を見せられてんだ? 副団長代行殿」


「ディオ。今はしばし待て」


 部隊への狙撃演習中だったクローディオがフィクシーと共にアフィスを引っ掴んで日本へ連れて来たのは数分前。


 先に来ていたヒューリが『ベルさんが何か怪しげな事をしている。これは一体……?』という顔で出迎えた。


 彼らの目の前では大量のビーカーが周囲にグツグツと透明な液体を入れて煮え滾っており、少年は虚空に浮きながら、周囲のフラスコや試験管から色々な色彩の液体を混ぜたり、煮詰めたりしつつ、愉し気な様子で実験的なものに勤しんでいる。


「ベルさ~ん。一体、何作ってるんですか~~後、あの食材の山どうしたんですか~~」


 しかし、そうヒューリが訊ねても少年はニコリとしただけで再び顔を怪しげな液体達の入ったガラス製の容器に向けた。


 こうして数分後。


 地表から錬金技能で練成された超巨大ビーカーに次々大量のドラム缶から薬品が流し入れられ、その色の悍ましさにゾワリとフィクシー以外が鳥肌を立てた。


 そして、その中にはフヨフヨと動魔術で浮いた食品が包装を剥かれて投げ入れられていく。


 グツグツ。

 ドロドロ。


 最初こそドブより酷そうな色合いであったビーカーの中身が急激に色を薄れさせてサラサラな液体へと変化していく。


 途中、七色になったり、ショッキングピンクになったりもしたが、最終的には無色透明となって量もドンドン減っていった。


「………出来ました」


 少年が良い汗掻いたと言いたげに微笑む。


 彼の前にあっあ超巨大ビーカーは一升瓶くらいの大きさにまで縮小され、最後に実際に一升瓶型になった。


 座らされた来賓席の前に次々グラスが置かれ、少なくとも数百トンくらいありそうだった薬品と食料が凝集された怪しげな液体の瓶を持って少年が戻ってくる。


「ベルさん。それ何なんですか?」


 ヒューリが訊ねる。


「あ、はい。これはですね。魔術師の家によく伝わる薬酒です。色々な大家にとって先祖伝来の酒を改良しながらずっと残し続けるのは伝統の一つなんですよ。術師が独り立ちした時とか。出征したり、今生の別れとなる時とか。冠婚葬祭の時にも嗜まれます」


「ああ、そういうのだったんですね」


 少年が今まで作業していた場所にはもうビーカーもドラム缶も包装も無い。


「ドラム缶の中身も必要そうな食料を全部煮溶かした代物で香りと風味が重要なものは最後に他は全部栄養分として入ってます」


「うわ……初めて見た。アレだろ? 伝統芸能的な薬酒って値段が付けられないレベルなんだろ?」


 アフィスが説明を聞く内に興味津々であった。


 人類中アルコールに飢えている男筆頭は彼である。


 毎日ほぼ傍に付いている少女の手前。


 そういうのを口にする機会は激減というかほぼ途絶していた。


「有史以来殆ど絶滅した薬草とか生物とか使ったお酒もありますから。まぁ、帝国だと千年樽が有名ですね。元々は魔術大家の薬酒が文字通り千年入っていた樽でその年最高の原料を仕込んだ穀物酒なんですけど。国民が人生で1口飲めれば良い方って言われてて、現皇帝陛下も祝い事には嗜まれるとか」


「ベルさんの家のお酒はどいうものなんですか?」


「まぁ、些細な効能があるちょっとほろ酔いになるお酒です」


「へぇ~~~」


「作り方は前から学んでたので調査に出発する前の気付薬だと思って一杯どうぞ。これを呑んだ後、アフィスさん以外は陰陽自研で最新装備の受領に向かいましょう。あ、アフィスさんの分もちゃんと用意してますから、必要になったら取りに行って下さい」


「オレちゃん……今日も後32件処理しなきゃだから……ふへ……ふ、ふふ……」


 思わず暗い顔になったアフィスがどよんと肩を落とす。


 それもしょうがない。


 近頃、真面目に副団長や副団長代行よりも仕事をしていると評判の男である。


 殆どの処理案件において九十九のバックアップで判断を行っているとはいえ、書類仕事と利権や法律関係の紛争処理や紛争解決に尽力している姿は新聞記事になる程だった。


 事実、アフィスの功績として適当に処理された旧時代からの国家間の軋轢やら亀裂やらの修復は多い。


 殆ど機械がやっているとは知らなくても、外側から見れば、善導騎士団アフィス・カルトゥナーの名と成果は国家間の融和や法規の策定において指針とされるようなものになっていた。


 グラスに並々注がれた透明な薬酒だが、先程までのオドロオドロシイ感じは無くて、芳香と透明感だけが強調されていた。


「わぁ、お酒なんて久しぶりです」

「確かに……」


 ヒューリとフィクシーが同時に呟く。


 彼女達の前の飲酒は少年の目が虚ろになりそうなフィクシーが薬酒を持ってきた時以来であった。


 この世界に来てからはそんなものを飲んでいる暇はなく。


 日本に行ってからは成人ではないからと同僚と食べに行く事はあっても勧められる事は無かったのだ。


 だが、大陸標準の飲酒年齢はほぼ成人と見なされる16で大体固定されている。


 それより前にも祝い事には本物を味合わせるのが上流階級の嗜み。


 元お姫様に魔術結社の一人娘である。

 味が分からず。

 自分の適量が分からない。


 というのは貴族階級社会や社交界だと苦労する。


 そのせいで失敗したり、男性に篭絡されたりしないよう。


 そういう面では厳しく躾けられた二人であった。


「酒か。こっちの酒は標準的なもんが上等。高級なのはさすがって感じだが、あっちの特上系には劣るんだよなぁ」


「ディオ……それが分かるだけ呑んでいるのか?」


「ちょっと、ちょっとだけですよ。副団長代行殿」


「はぁ……まぁ、いい。正体を無くす程には酔うなよ?」


 フィクシーに愛想笑いで頷いたクローディオが毎日のように魔術でアルコールだけ飛ばして、利き酒しているなんて言えず。


 静かに嗜み始めた。

 それに他の全員も習う。

 クイッと一口。

 別に吐き出す程にマズイわけでもなく。

 かと言って、美味しいというには味が薄く。


 水のようにも感じるが、微かな芳香とアルコールの揮発によるものか。


 甘い香りが全員の口に広がった。


「……甘口で薄い普通のお酒……的な?」


「あ、気付薬の効果は特定条件満たさないと得られないので。でも、栄養は有りますよ。これも特定条件満たさないと得られませんけど」


「特定条件?」


 首を傾げるヒューリに少年一枚の紙を差し出した。


「僕の家、死の研究してたので腐敗とか肉体の細胞の死滅とか。壊れ方とか壊し方とか。病気の症状とか。怪我の悪化時とか。そういうものに精通してるんです。なので術師用の死から使用者を遠ざけるお薬とか色々造ってたんですよ」


「これがお前の家の……ウチのは娯楽用だが、実用的な方か」


 フィクシーに少年が頷く。


「これが効能表……ええと、脂肪やグリコーゲンが尽きてカロリーとして筋肉以外に消費出来るものが無くなった時の飢餓耐性と栄養供給。怪我をした時の細胞の再生時に出る老廃物の代謝速度昂進。頭部以外の致命傷で血液が不足した場合の脳の保護。って……完全にアレですね。スゴイお薬ですねコレ」


「今回MHペンダントが結界に入らなかった上、ペンダントに使う治癒術式も持ち込めなかったようなので」


「コレ私達だけになんですか?」


 少年が苦笑した。


「アルコール入りはそうです。薬酒ではなくて薬としてなら陰陽自研で普通に幾つかの薬を混合すれば、同じ効能のものが作れるので後でシロップ入りのを今回選抜した人達に呑んでもらう予定です」


「そう言えば、今回の選抜予定者は誰なんですか? まだ、聞いてませんでしたけど」


 ヒューリがグイッと飲み干してから訊ねる。


「フィー隊長、ディオさん、ヒューリさん。ルカさん。カズマさん。ラグさん。ミシェルさん、僕です。他はお留守番で」


「……戦闘技能が高い人、でしょうか?」


「後、身体資質か能力が高くて武器に頼らなくても戦える人です。基本的には魔術師技能がちゃんと身に付いてる人ですかね。ちなみにミシェルさんが此処にいないのは他のお仕事の関係です」


「ウチの妹達は……そうでした。大事な事がありますから、確かに今回の調査は無理ですよね……」


「はい。そろそろ明日輝さんの出産なので傍に悠音さんも付いていて欲しくて。マヲーとクヲーにもお願いしておきました」


「あの二人、近頃は動物達の神様してるって聞きましたよ。というか、異種というか。いきなり出て来た使い魔さん達に『ははぁ~~~っ』て崇められてましたけど、いいんですか?」


 ヒューリが東京本部で次々に魔力を持った動物達が話していた様子を回想する。


「好きにさせて悪いようにはならないと思うので」


「後、ルルさんとシュルティさんは……そもそもザ・ブラックが持っていけないんですね?」


 途中から気付いたヒューリに少年が頷く。


「はい。その通りです。なので今回は各地のもしもの時のサポートに……」


「まぁ、ウェーイさんも今はお仕事ですしね。でも、ハルティーナさんは今回打って付けなのでは?」


「ああ、今回は別のお仕事がありまして」

「お仕事?」


「アフリカに幼年部隊や騎士見習い、未熟な隷下部隊の大隊を幾つか追随させてBFC関連施設とゾンビの分布を先遣調査して貰います。可能ならばアフリカからゾンビを排除して幾らか安全地帯にした後、色々建設予定だったりもします。ルルさん、シュルティさんは姉妹で実戦形式での訓練を片世さんと一緒に集中してやってもらう予定です」


「え? 大丈夫ですか? 大陸で活動ってあっちは行動範囲内で四騎士にバレるんじゃ」


「まだアフリカには四騎士が浸透する余力が無いと判断しました。精鋭も1個大隊付けるので過去最大規模の実戦演習になるでしょう」


「もしかして……ベルズ・スターに置いてあるものとか持って行きます?」


「はい。アレも実働データがまだ足りないそうなので」


 全員が飲み干し終わった後。


 少年がいつものホテルに各地から届いた産品を生かし用意して貰った食事が振舞われた。


「お、豪勢だな。こっちの食事は文明圏だと美味いよなぁ。特にツマミが」


 クローディオが箸で懐石料理ならぬ創作和食やフレンチの品々を摘まみながら、何処から取り出したのか。


 ワインボトルを開けていた。


「ふぐ?! 久方ぶりの葡萄酒!! これぞ命の水!! ウェエエエエエエイ!!!?」


 涙ながらに料理と酒で満たされたらしいアフィスがボロ泣き状態であった。


「ベル。お前は食べないのか?」


「いえ、実はこの後、明日輝さんの夕食を食べないとならないので今日は薬酒だけにしておきます」


 少女達の傍に座って残っていた薬酒をグラスで嗜む少年はほろ酔いになっている様子も無く小さな乾物らしきものを口に含んでいる。


「ベルさん。それって何食べてるんですか?」


「ああ、これは新式の糧食の試験品です。日本の乾物に倣って動物と植物の細胞を掛け合わせたものを凝集して圧縮過程で乾燥させたもので高カロリーなんですよ。味はお肉と野菜を入れて香辛料で味付けしたのでカレー味みたいですけど」


「飴玉サイズなんですね」


「ええ、でも、重さが結構あって、呑み込んで胃の中でふやけると満腹感もあるので十分だと思います。ちなみに一個1500gくらいです」


「え? そんなに? うわ、ホントです?! 金属かと思いました!?」


 少年から受け取った飴色のビー玉のような糧食が一個でそれなりに重かった為、ヒューリが驚きながら繁々とそれを凝視する。


「密度が高いんですか?」


「はい。ちなみに総カロリーは10万kcalくらいです」


「女の敵ですね!!」


 恐々と少年へ飴玉が返された。


「これって作るのに陰陽自研の最新研究が使われてるハイスペックな品なんですけど、現場の精鋭部隊に試食してもらったら不評でした」


「味は美味しいんですよね?」


「はい。味は文句無いらしいです。ただ、重過ぎて舌が疲れるとか。硬さが金属並みだとか。数分舐めて専用のボックスに戻して必要な時にまた舐める的なのがダメらしいです」


「え、衛生管理はしっかりしましょうよ!?」


「いえ、ボックスに入れると自動で表面洗浄と殺菌がされるんですが、心理的に出した飴玉は舐めたくないとの事でして……なのである程度食べ慣れないとダメらしいです」


「そ、そりゃそうですよ……毎回同じものを吐き出して口に入れたり、舌に1.5kgとか……」


「ただ、緊急時の糧食としては嵩張らず大量に詰めるので優秀です。なので、食べ慣れない方用のライト版を作る予定になりました」


「ソレ飴玉のままなんですよね?」


「はい。そっちは500gでcalも3分の1ですよ。ちなみに寸胴にお湯を張って入れておけば数分で高カロリースープにもなります」


「それでも3万……やっぱり、女性の敵なのでは?」


「液体糧食の方は10gで50万calくらいするものが開発中ですけど、味を感じるレベルで摂取すると死んじゃうらしいので消化吸収の極低下技術を開発中です。でも、開発が終われば、超長期の漂流でも水さえあれば、長期間の生存が可能になりますから、かなり便利なはずですよ」


「女性として絶対口にしたくない食べ物ランキングが更新されるとは思いませんでした……」


「ちなみに爆薬にも成るそうです。calが高くて複雑で重い物質なので。何かハイカロリーを追い求めていたら、いつの間にか液化爆薬みたいな分子組成になっていたそうで甘いらしいです」


『『『『………(`・ω・´)』』』』


 何も言わず。


 自分が試食する日が来ない事を祈る仲間達なのだった。


 *


 もしも、最後の晩餐に臨むならば、人は何を注文するだろうか。


 母親の手料理。

 恋人の手料理。

 行き付けの食事処の一品。


 だが、生憎とこの終末期の地球において食べたいものが食べられるとは限らないのみならず。


 殆どのゾンビが出てから生まれた世代にとって手料理やら食べたい品というのは嘗ての食糧が溢れていた日本からしては貧しくなったかもしれない。


 基本が缶詰である事から、若年層に聞けば、最後に食べたい食べ物は恐らく缶詰を調理した代物が上位に来るだろう。


 それを見た大人達が真顔になるのも致し方ない。


 我が国もこういう状況になったかと思う程度には落差の激しさに思う。


 こんなものしか望ませてやれない自分達の不甲斐なさを。


 それすらも良識と常識のある人間だけの話。


 その日暮らしである者にとってはそんな他人に感情や時間を使っている暇も無いのが現実であった。


 だが、善導騎士団の登場と共に日本中へ嘗てのように大量の食糧が供給されるようになり、それが支援として各家庭各個人に行き渡るようになった現在。


 子供達の多くにとって食べる事は愉しい事になった。


 明日はうどん。

 今日はカップラーメン。

 明後日はそば。


 乾麺の類で食い繋ぐ者とて多い。


 缶詰は他国に比べれば、かなり上等ではあるとはいえ……それでも味の濃い単一の缶詰ばかりという家庭が全体の2割に達する。


 そこに野菜が格安で卸され、生の食材が大量に降って湧いた。


―――【善導チャンネルお料理教室】


『今日は何かな~~』

『ふふ、すっかりお料理に夢中ね』

『うん!! 知らないお料理沢山だもん!!』


『そう、よね……っ……うん……一緒に作りましょうね?』


『どうしたのお母さん?』

『……何でもないわ。今日はお魚だって!!』

『わ~~い!!』


 善導騎士団が各国に食料の供給のみならず。


 食料の調理を自前のチャンネルで紹介するようになると子供を中心に革新的な出来事が起こった。


 料理が出来る。

 美味しいものが食べたい。

 食べられるものは自分で創りたい。

 これは世界規模の変化であった。


 この変化に嘗ての食卓を再現出来るようになった大人達はとにかく子供達に自分達の祖国の味を教えようと躍起になり始めた。


 母親の味。

 故郷の味。

 地域の味。


 それは掛けがえの無い財産。

 そうと分かるからこそ。


 闇の中でも火を消さぬよう受け継ぎ続けて来た料理人。


 あるいは世の母親達父親達は起ち上る。


 自分で作るやら、有休を取って店へ連れていくやら。


 だが、一番多いのは確実に国から費用が出ている無料の自治体市町村単位の週1食事会への参加であった。


『お父さん。お食事会楽しみだね~~♪』


『そうだな。お前に故郷の味を食わせてやれるなんて夢みたいだ』


『あはは、おーげさだよ~~♪』

『そうかな? うん……そうかもしれん』


『泣いてるの? もぉ~~涙もろいんだから~~』


『悪い悪い。娘の前で格好悪いところは見せられんな』


『早く行こ?』

『ああ、行こう』


 彼らが無料で食事会や定期的な子供達への料理の講習会や料理の宅配までも手掛けるようになったなら、それを支援するのは国家のみならず騎士団もであった。


 だから、陰陽自衛隊と善導騎士団はその日常を護る事にした。


 変わる世界に今、微笑む者達がいる。


 地獄の中にある楽園には一摘みの涙も要らない。


 そして、そんな心配すらもさせるべきではない。


―――4時32分43秒。


 冬も半ばという夜も近い時間帯。


 多くの親子や子供達が集まっていく各地の市町村の会場はもう満杯。


 その芳香に混じるのは人の笑い声だけでいい。


『【寡法恒常結界(プロイベーレ)】起動』


『自衛隊各基地とのディミスリル・ネットワークによるオンラインOK』


 日本国内の全ての情報を統制した九十九。


 そして、再編され、最低限以上の訓練を終えた陸自、空自、海自、全ての基地において直上に漆黒の沼地を確認。


 しかし、その時には既に音も無く姿も無く。


 その基地の最も高い屋上を持つ建造物の上で待機していた者達がトリガーを引いていた。


【アンブッシュを確認。ベルトコマンダーズ2割を損失。直ちに概念域を閉鎖。分割解放開始。プランD-32A】


 巨大な沼地は自衛隊の隊員達には見えていない。


 だが、それを知らせる九十九からの知らせがヘッドマウントディスプレイによってAR空間内の表示となる。


 それに巨大なクリスタルを背負った者達が連射を掛けていた。


 基地には厳戒態勢が敷かれていたが、アラートは鳴らない。


 またゾンビが出た際の国家規模での避難警報も出なかった。


 連続する銃声。

 無限のように続く掃射音。


 だが、それも結界を越えて外までは届かない。


 次々に沼地が溶けたかと思えば、基地の各地に分散してのゾンビの射出が始ま―――る前にその沼地の中に手榴弾が大量に放り込まれた。


 ドローンだ。


 基地の死角や人気の無い場所に配置されていた試作量産型の遠隔転移マーカー型のドローンが展開した短距離転移用の空間制御方陣が縦横斜め。


 屋内にすらも出現して、沼地の現れた瞬間に莫大な量のディミスリル製の榴弾を流し込んだのだ。


【アンブッシュを確認。ベルトコマンダーズ4割を損失。直ちに概念域を閉鎖。周辺地域よりの分散解放を開始】


 だが、その通信はすぐに困惑にも似た沈黙を挟む。


【―――分散解放不能。空間閉鎖結界を大規模に確認。市街地及び各人類生存居住地より3km圏内への発現不能。5km以上の距離を推奨。直ちに結界外部よりの多重飽和攻撃を開始】


 市街地や人の居住区より5km以上離れた虚空や地表に沼地が出現する。


 その内部から次々に黒い影が現れる。

 空飛ぶ漆黒の骸骨。

 巨大な首無しの籠手付き。

 三つの複眼を持つ簀巻きにされたような装甲の新型。


 そして、日本各地192か所において更なる未知のゾンビを確認。


 ソレは巨大であった。

 直径20m級だが、問題はその肉体だ。

 殆ど筋肉のようなものはなく。


 骨格らしきものへ大量の棺のようなものが押し込められており、その内部からは次々に漆黒の骸骨と配下にも思える飛ばない骸骨がザラザラと湧き出すように吐き出され続ける。


【―――展開完了。即時進軍開始。全兵装解放。目標自衛隊各基地。陰陽自衛隊、陰陽自研、善導騎士団本部よりの戦力誘導開始せ―――】


 胸の鼓動を熱く感じながら、鋼に鎧われた男と女が数百名。


 空の彼方で地球の丸さを感じながら、二隻の船に載って地表に《《上》》を向いていた。


 天地真逆の空の境。

 遠く永遠の闇が広がる真空。

 下は日本列島を見る絶景。

 彼らの手にはライフルが握られていた。

 巨大な代物だ。

 対物ライフルを二倍程に伸ばしたような重厚さ。


 巨大な銃身の内側から輝く機関部はまるでプラネタリウムの如く星々の輝きを映し出すかのように煌めく。


『チャンバー内与圧終了。C4IXにネットワークをフルコネクト。実包転移装填開始。転移誤差修正完了』


『各員個別地域照準。4000連射3段10秒間……敵進軍開始と共に撃滅せよ』


 世界にもしも守護神とやらがいたならば、きっとゾンビなんて現代社会において出て来る事も無く消え去っていただろう。


 だが、生憎とこの世界に神は無く。


 今、滅び去ろうとする人々に希望なんて無かった。


 何処かで諦めていた。


 もはや希望が無いならばと悪に堕ちる者は多く。


 また、諦めたからこそ。


 静かにただ熱も忘れて冷たくなっていく己をよしとした。


 生きた屍と然して変わらぬ心の灯を消した者達。


 それは人形と変わらぬ程に無感動だったかもしれない。


 しかし、今更に救いは齎された。


 それが誰かを救った結果だと人類の多くは未だ知らず。


 そして、誰を救ってしまったのかを多くはやはり知らず。


 けれど、此処にはそれを知る者達がいる。

 彼らは1人の男に薫陶を受けた。

 己の全てを護れなかったと嘯く男。


 嘗て英雄と呼ばれ、愛する者を死なせて尚生きていた屍。


 男は彼らに言った。

 お前らはオレと同じだと。

 そして、同じ資質を持つ者だと。

 それは正しい。


 そういう者が意図的に選抜されたわけではない。


 だが、彼らは醒めていた。


 資質のある者を集めたら、そういう層だったという事だ。


 そうして……1人の男に火を灯された。

 否、再び熾されたのだ。

 嘗て男が行った全ての実戦情報。


 そう……己が護れなかった家族との日常すらも訓練として再現を許した男は今も三百回を超えて同じ訓練で家族を救い続ける。


 相手がもはやどれだけ強かろうと構わない。

 生身で装備も無く。


 何度死んでも何度死んでも繰り返して到達し、到達の先で更に巨大な敵を再設定してまでも続けた。


 それに帯同した者達は知っている。

 見ていろと男は言った。

 男は見ている者達の前で無様に死んだ。

 何度も何度も何度も死んだ。

 死んでも死んでも食らい付いた。

 護る為に対処能力を身に付けた。

 魔術や技術を磨いた。


 そうして彼らに公開した訓練中、ようやく彼は救った。


 思わず泣いた者達がいた。

 彼らの胸には陽が灯る。

 灯された。


 彼が彼らへ己の訓練を見せて、受け継がせたかったものが何か。


 彼らはようやく理解した。


 何度も何度も救ったはずの家族に泣きながら謝る男に嘘は無かった。


 全部、終わった後、恥ずかしそうに訓練の事には触れず。


 ただ、彼らに笑った男は鍛えろとだけ言った。


『………(´-ω-`)』×一杯な狙撃手達。


 彼らの手が引き金を引く。


 それは彼らの手が届く限りのものを撃ち抜く為ではない。


 彼らの手が届く限りのものを護り抜く為である。


 現状、追加の敵や多数を相手する為に未来予測と同時に情報処理を行う九十九の処理能力はそう多く使用は出来ない。


 しかし、機械が出来ない事は人間がすればいい。


 努力と根性と祈りと。

 冷静な頭と熱い心と。


 この手に銃があるだけ希望のある自分達が出来ないはずもない。


 あの人は銃すら無くても絶望に打ち勝てたのだから。


 そう、彼らは引き金を引いた。


 嘗て痛滅者が雷撃の流星雨を降らせた時、人は空に希望を見た。


 しかし、今は誰の目にも止まらず。


 だが、誰かの希望を大いなる御手達が放つ弾が護る。


 ライジング・ウルフズ。


 そして、その周囲に集められたのは騎士団の狙撃者としてkm級スナイパーの認定を持つ者達。


 衛星軌道上での長期実働待機任務。


 心を無に等しく沈めて数十日間連続して《《艦外部で》》日本列島を見続ける。


 呑まず食わずで己のコンディションを保ち続けるスーツと投薬と術式とMHペンダントを合わせ使う彼らが待ち続けた敵は確かにやってきた。


【シエラⅡ4号機-透龍(とうりゅう)-】

【シエラⅡ5号機-伏龍(ふくりゅう)-】


 二隻の装甲は完全に宇宙船。


 真空に対応する為の代物であり、その上で専用の光学迷彩を可能にする光学術式を備えている。


 二隻は通常のシエラⅡよりも聊かスマートで容積を減らして被弾面積を絞ると同時に超長期航行のあらゆる叡智を詰め込まれた事実上の大気圏離脱能力を持つ戦艦であった。


 今や海自からの出向者達が扱う空の要塞は術式で透明化するのみならず。


 結界で多くの情報を一方向からのみ受け取る見えざる警戒網の要である。


 先日ロールアウトしたばかりの二艦の腹の底で地表に頭を向けて、彼らは全てを見通していた。


 日本の衛星軌道上より遥か下。

 上空100km地点。

 西日本と東日本。


 両艦がカバーする地域への目視観測による超遠距離射撃。


 長期超連続警戒任務は艦外活動であり、その数十日間脳を殆ど使わず、眠らないまま狙撃の事だけを考えて身動き一つせずに待つのだ。


 彼らの一撃は静かだった。

 空気も殆ど無い最中。

 放たれた弾丸は加速し。

 終端誘導時。

 敵群に当たる直前。

 上空30m下で初めて散弾化する。

 それは正しくシャワーだった。


 雪崩を起すように次々に骸骨達を吐き出していた棺桶だらけの巨人が上空から雨に打ち貫かれながら崩れ落ち、行軍を開始しようとしたはずのゾンビ達は頭部や肩部を破壊されて地面に崩れ落ち、空飛ぶ骸骨達はその散弾のシャワーに地表へと撃ち落とされた。


 全ての同型ゾンビ達が膝を屈し、圧力すらも伴う弾丸の雨によって身動きする事も出来ずに破壊されていく。


【ベルトコマンダーズの破壊を確認。再生を開始】


 破壊されたならば、再生させればいい。


 巨人の傷はシュウシュウと音を立てて回復していく。


 細胞の活性ではない。


 どちらかと言えば、魔力による復元に近いだろうか。


 元々骨の合間に棺桶を入れたスカスカな構造なのだ。


 弾丸の雨に打ち貫かれながらも復元で対抗すれば、棺桶すらも再びゾンビを垂れ流す事が出来ただろう。


 その程度を想定していない相手だったならば。

 ギッと軋んだ巨人が立ち上がろうとして気付く。

 体中のあちこちに苔らしきものが生えている事に。


 振り払おうとするも取れない。


 そして、ゾンビ達の躯が次々に生い茂り始めた苔に覆われていく。


 やがて、集団そのものが苔の筵と化して、巨人そのものも呑み込んだ。


【ベルトコマンダーズの表層より未知の真菌を確認。侵食されている模様。侵食部位の切り離し実行】


 次々に表層の骨や棺桶がガリガリと削れて巨人が細っていく。


 だが、復元しながら細る巨人に追い打ちを掛けるかのように苔の筵の上でピョコリとソレが首を擡げた。


 キノコだ。


 次々に芽生えた薄桃色のキノコ達が苔から養分を吸い上げているのか。


 急速に大きくなって互いに成長しながら融合しつつ、ゾンビ達を呑み込みながら膨れ上がっていく。


 やがて、キノコの中で復元し続けていた巨人は自分の表面全てから浸透してくる菌類の延ばす根に深部まで犯され、冬虫夏草の苗床のように枯死した。


 キノコが一本の巨大な大樹のように40m近い成長を見せる。


 すると、今まで存在していた漆黒の沼地も蕩けるように消え失せた。


【空間の同調途絶。概念域との経路を遮断された模様。コンタクト途絶によって新規コマンドの入力不能。残存するベルトコマンダーズ4割に撤退指示……侵食中の未知の真菌を解析……空間隔離用の結界術式らしきものを分子に―――】


 襲撃が沈静化した後。


 日本中の山や森に残ったのは巨大キノコのみであった。


『あのキノコ一体何なんです?』


 日本中に巨大キノコが発生した様子を観測していた陰陽自研の新人が班長に訊ねながら、解析中の敵の出入り口……俗称で沼地と呼ばれ始めたソレを機械と同期させた魔導師技能を持つ者達の目を通して蒐集されたデータから解析していく。


『菌類や分子組成改造の研究班が出した成果だよ』


『やっぱ、危険なんですか?』


『危険? とんでもない。生きた森って知ってるか』


『まぁ、名前くらいは……北米のですよね?』


『アレは北米で使ってる生きた森に生息してる菌類を培養した代物でな。あの苔と共に胞子をばら撒くと特定条件下で茸と苔が良い具合に爆発的な増殖力を見せて巨大化する』


『共生関係なんですか?』


『ああ、苔が菌類の苗床の下地作りをして、その上に茸が生える感じだな。ゾンビを構成する“終わりの土”は生命の苗床として極めて有用な培地になるんだが、それを応用して、あのゾンビ共を苔と茸の養分にした』


『弾丸の中に?』


『ああ、凍結してるが、散弾化する時に周囲へ拡散する。熱や乾燥にも強くてな。増えた茸は増殖して一つになると更に仕込まれてた術式を展開して、特定の術式を無限ループして自身の中に取り込んだものから魔力や養分を完全に絞り尽すまで止まらない』


『どんな効果が?』


『空間を封鎖する結界だよ。自身の生息環境を保全する為の生物の本能。いや、遺伝的な性能を紐付けた代物だ。魔力で遺伝子の形質を強めて、それを触媒にして概念系の魔術で外部からの干渉を遮断する。茸と苔は環境の増殖限界に達すると今度は飢餓時に発動する遺伝子で急激に自身を休眠させる。ほら、見てみろ』


 茸がゆっくりと萎れていく。


 すると、後にはディミスリルの砂のようになったものだけが残り、縮んだキノコが4m程の砂山の上にチョコンと転がっていた。


 周囲は何か汁らしき濁った水でヒタヒタになっている。


『休眠状態のキノコは乾物と変わらん。吸って蓄えた栄養分は本体、水は現場に還元。再び爆発的な増殖が可能な下地が出来るまではそのままになる』


『下地?』


『終わりの土だ。コケ類も同じ。干乾びて現場に残る。言うなれば、ゾンビ用生体接触式の地雷だな。吹き飛ばす方じゃなくて取り込んで吸収する方の……ちなみにどっちも食えるらしい。味が凄い良くて出汁が上手いとか。オレは絶対お断りだが』


『班長に人間らしい心が残ってるようで安心しました』


『いやぁ、現場の連中が終わりの土で食用の食材造ってる時に発見した爆殖の裏技なんだ。ぶっちゃけ、そこまでしてゾンビを資源化、糧食化して喰いたいわけじゃないし。ゾンビ茸って名前が付いている時点でアレだろ?』


『ゾンビ茸……アレ喰う勇気があるなんてさすがですね。陰陽自研』


『気持ちの問題らしいぞ? 安全で美味いならゾンビも食えるだろって連中だからな』


『でも、それ同型ゾンビだけですよね?』


『まぁ、気にする連中でもないだろ? ちなみに隣の研究室の連中は加工食品系の研究室なんだが、栄養価高いから栄養ドリンクやら超高カロリーな液体にしてる最中だって話だ』


『栄養剤として色々な糧食に混ぜ込まれたり……』


『無いとは言えんな。ただ、直接喰うと超高カロリー摂取の弊害で即死するとか。扱い方間違うと液化爆薬並みに爆発するとか聞いたぞ』


『(=_=)(隣の研究室に配属されなくて良かったという顔)』


『後、あの砂はゾンビに含まれてたディミスリルだ。茸は金属類は吸収出来ないらしくてな。液体に混ざった金属類はああして現場に残るから資源回収も捗るし、ディミスリルで汚染された地域の浄化にも一役買うとか』


『至れり尽くせりですね。絶対喰いたくはないけど』


『ま、ウチに来て良かったろ? あっちよりは健全だ』


『そう言えば、まだ研究内容聞いてませんでしたけど、此処の研究ってどんなのなんです?』


『見てくれ!! 肉が畑から取れるんだ(*´ω`*)(カーテンを開いて研究成果を新人に見せびらかす陰陽自研でも狂気のマッドサイエンティスト呼ばわりされる善人仄々スマイル)』


『わん・もあ・ぷりーず………(・ω・)』


『いやぁ、君は優秀だと聞いている。是非、脳髄以外の全部分を畑から収穫出来るように頑張ろう!! あっちは膵臓。こっちは肝臓。ああ、アレは膀胱と小腸であっちは肩ロースとスペアリブだな!! 樹木型と骨型どっちがいいかで迷うんだよなぁ。斬新な提案を期待しているからな♪』


『(世の中には知らない方が良い事ってあるんだなてか誰だお前今までの適当に淀んだ瞳のおっさんが目ぇキラキラさせて我が子を自慢する親馬鹿みたいに肉の生えた樹木や骨を紹介するとかもう正気度残ってねぇよ絶対早くおうち帰りたい((/ω\))』


『アレはマグロの目玉だ。あはは、動くんだよコレ~~カワイイだろ~~でも、収穫時には食べないで~~って涙流すんだけど、単なる反射だから、気にせず収穫してくれていいぜ♪ うまいんだよなぁ。あのゼラチン質と肉の蕩け具合がさぁ』


 その日、国民に被害が出る事は無く。


 時報でゾンビが一時的に出て来て即時各地で鎮圧されたので警報を出す暇も無かったという事実のみが記載された。


 ただ、その規模に関してだけは外部に情報が出る事も無く。


 SNSで山間部に巨大キノコ現るという都市伝説染みた映像が投稿され、善導騎士団の実験が行われた云々と憶測が飛び交った。


 ただ、公開される事になる情報にはこうと載るに留まる。


『アレは将来的に主食の原料に成り得る超高カロリー茸です』と。


 こうして人知れず日本の危機はもぐら叩きのように叩き潰されたのである。


 それがどれ程の技術と叡智の上にある出来事であるか。


 考えたところで多くの者には理解出来ないだろう事件は静かに幕を閉じた。


 夜明け前の吉兆を思わせて震え始めた世界にいよいよ火が放たれる時間が来る。


 それを目前として後一つ。

 少年は準備を終える事となる。


 それは騎士ミシェルが多量の術式を駆動させて寝込んだ日の翌日。


 その昼頃。

 日本の陰陽自衛隊富士樹海基地竹林の園。

 緋祝家での出来事であった。

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