間章「準備の始まり」
―――旧ドイツ首都ベルリン周辺域。
現在、砂漠化が進行するEU各国は荒廃地帯を抱え、東ヨーロッパ平原の各所で生物の住める環境は徐々に少なくなっている。
そんな地域の市街地から少し離れた山林の中に未だ人が住まう村がある。
其処が発見されたのは数年前。
ドイツ失陥後、生き残った人々が《《丘陵地帯に囲まれた窪地》》が《《突如として出来た事》》を知ってからであった。
ユーラシアからのゾンビ禍がポーランド経由で押し寄せていた頃。
各地の変電所や発電所は限界まで持ち堪えるも計画停電後に停止。
インフラの約半数がゾンビからの祖国奪還を夢見て超長期の封印処置を施され、各種の特殊樹脂や外側を錆びさせる塗料で内部への侵食を防ぐ事でガッチリと閉ざされた。
人の手が入れなければ、ゾンビが入り込む余地は少ない。
生きた人間がいなければ、ゾンビは誘因されない。
という事から行われたこの封印は現在も比較的ゾンビの少なかった人口密度の低い地域では施設の保存状態を良好に保っている。
『クソ、タービンブレードがイカレてやがる。この精度の工作物を造る機械はここいらにゃ無いんだ。北部の工業地域になら補修用資材かソレ自体を作る為の機材があるかもしれんのだが……』
『此処の火力発電設備も限界か……ダムからの電線敷設はまだ終わらないってのに……このままじゃ冬備えの収量が落ちちまう』
一部の者達はそのインフラの封印を知っていたからこそ、世界規模の通信の途絶とゾンビ禍でもはや助からないと覚悟した直後に現れた謎の窪地への避難を誰の反対も押し切って決断した。
其処にはシェルターこそ無かったが、農園が複数点在し、小さなダムが有ったからである。
電線が死んでいるとしても、電力を引くケーブルを今一度引き直す事さえ出来れば、短距離なら最低限のインフラを復活させる事も可能。
もし農園が機能していれば、一部要塞化処置を施されたダムでの生活も出来るとの目論みであった。
『嘗ての我が国の電力事情を呪うばかりだな。小型ですら廃炉廃止……せめて、予備のパーツが朽ちてなけりゃ……』
『村長に伝えて来るよ。誰か街にやらなきゃいけないって』
『ああ、分かっとる。こんな時、あの子が来てくれたらなぁ……』
『外にまだ人がいるって話は聞いたんだ。それで良しとしようや。何処の共同体が残っていても、此処に来てくれる程、ゾンビ共と渡り合える戦力があるわけでもないだろうし』
『基地局もネットも死んでるんじゃどうにもならんか……』
その小さな集団の決断は正解だった。
ダムは放水によって電力を確保し、対ゾンビ用の放水銃や押し流す為の誘導通路などの設備が充実していた事もあり、籠る為の牢獄としては十分な設備だった。
一つ彼らにとって誤算だったのは農園がダムと共にある窪地はオカシな気候になっており、春夏秋冬を短期間でランダムに繰り返す異常気象地帯になっていた事であろう。
そして……ハウス栽培用の施設が殆ど無かった為、あまり農園が使い物にならなかった、という点であった。
食糧不足。
それに農園までの距離が約5km。
ゾンビは密度こそ低いがそれなりに徘徊しており、ハウス栽培した食料を安全にダムまで運搬するのは命掛け。
『外の事をもっと聞いとくんだったなぁ』
『まだ人類は生きとる。それだけでいい……』
『それもいつまで持つんだか……』
『まだやれるさ。まだ……』
『ああ、うん……そうだな』
そもそもハウス栽培しようとしたら電力を引く電線が切れており、敷設はゾンビを誘引せぬように地道にコソコソ行わなければならないという点で殆ど進まず。
ゾンビ禍で復活させた旧型の小型火力発電設備を使ってハウス内の温度を上げての食糧自給でしかまとまった数の人間を食わせる手段が無かった。
それすら発電設備の防音加工に丸々1年もの歳月が掛かり、数人の人々が犠牲になった。
銃弾が底を尽けば、後はナイフでのサバイバル。
しかも、重火器と弾薬が残る都市部へは40km以上という立地も禍した。
もはや、彼らにはゾンビに抗う手段が無く。
とにかく息を殺して食料を供給して生き抜く事しか出来なかったのだ。
だが、それにも今限界が来ようとしていた。
火力発電設備のタービン老朽化。
元々、ドイツはお国柄もあって再生可能エネルギーへと国内の電力の内訳を大きく偏らせていた。
結果として他国から電力を買う事になったのだが、それでも頑なに火力発電や原子力発電の撤廃を堅持。
結果として幾つかの電力供給網がストップすれば、電力不足で干上がる脆弱性を抱える事となり、それはゾンビ禍の中で一気に表面化した。
先進国に有るまじきと称されたブラックアウトが隣国との送電網の停止から続発し、殆どの都市機能が麻痺したのだ。
それに輪を掛けて深刻だったのは戦力の衰退だ。
現有戦力のアップグレードを更新停止。
もしくは運用延長したツケを払う事になったのである。
陸海空の各兵器の殆どが長期間の作戦行動が不可能な程に擦り減っていた為、ポーランドがロシアから脚を伸ばしたゾンビに蹂躙された頃には内部に浸透され、3か月程で事実上は国土を失陥。
EU各国の戦力は何とか防ごうと防衛線を張って対処したが、何分ヨーロッパの広い戦線をカバーし切れず。
巨大な波は防ぎ止めたものの、入り込んだゾンビまでは駆逐出来なかった。
浸透された後はゆっくりとシェルターが人々自身の愚かしさで虫食いの有様。
滅亡したシェルターがそのままゾンビの巣となって人類勢力の殆どが包囲殲滅されていった。
そんな状況下で残された設備の多くは綺麗に封印されているモノならば良いのだが、あまりの速度で国土を失陥した当時の状況から封印が半端で終わっているモノは朽ちるのが早く。
最終的にはハズレを引いたダムに引き籠った彼らは電力を命掛けでハウスまで引くか、あるいは火力発電設備の更新機材を都市部へ確保しに行くか。
その2択となっていた。
「村長!!」
ダム内部。
今は50人程の人員が詰める“村”は数か月前から時折、1人の旅行者が来る事により、このゾンビが支配する世界に未だ人類が生き残っている事を知った。
フラリと現れる彼女が食料を持ってきてくれた事もあり、何とか今まで騙し騙しやって来れたが、それも限界。
ダムの中央制御室に詰めていた50代の村長の下へ30代の男が速足に訪れていた。
彼らの恰好は水が豊富な事から薄汚れてはいないが、色褪せて縮んだ衣服や解れた個所から長期避難者のようにも見える。
「その顔……設備はやはりダメだったか?」
「ああ、ありゃもう無理だ。街に行くか。電力を麓まで引くしかねぇ」
「そうか……先日の轟音の事もある。本来なら今は街に行くべきではないのだが……」
「ゾンビ共の群れはまだ居座ってるのか?」
「ああ、先日の自然災害で東に向かった集団も北部から拡散して周囲に散ってる。山間部の輸送路も4本中3本がやつらのせいで使用不能。あいつらが他の地域に移動するまでまだ数か月は掛る。引いていた電線の延線部分も奴らのど真ん中……設備の更新しかあるまい」
「車両と人員の選定はどうすんだ?」
「6人1車両で向かわせる。幸いトラックはまだ動く。部品も何とかなるだろう。だが、燃料は片道だ。食料の緊急輸送以外では虎の子のガソリンは出せん。都市部で補給するしかない」
村長。
禿げ上がった男が擦り切れたジャケットからチビた煙草を咥える。
彼らの共同体は辛うじて持っていた生活が音を立てて崩れていくのを誰もが理解しただろう。
詰めていた他の村民も不安を隠し切れない様子で顔を俯かせる。
此処に立て籠って十年以上何とか生活出来ていたのはゾンビの大移動が殆ど無い状況下で食糧を継続して確保出来る場所が有ったからだ。
だが、先日の巨大な自然災害。
イギリス方面からの天変地異で他の地域からゾンビが大量に彼らのいる窪地へと迷い込んでいた。
今まで森の中に1kmで1人か2人見掛ける程度だったのが、殆どの地域と同じ30人前後の集団がウロウロするようになったのだ。
これではまともに車両を走らせるのも問題となる。
幸いにして火力発電設備への道は閉ざされていないし、そこからハウスまでの道も何とか確保されてはいたが、それだけだ。
木材はあるので燃料には困らないが、燃料を切り出すのに音が最小限の昔ながらの斧を用いる関係で供給量は限られている。
何とか細々と暮らすならば良かったが、もはやゾンビのリスクは他の地域と変わらない。
外の情報が入って来なくなった現在。
彼らは決断を迫られていた。
このまま限界まで粘って餓死、あるいはゾンビの過ぎ去るのを待つか。
都市部で物資を手に入れてくるか。
それとも彼らの出来る限りの物資を以て別の場所に移り住むか。
どうなるにしても、タイムリミットは刻一刻と迫っている。
「村長。若い連中はどうする?」
「……20歳以下は此処で待機だ」
「いいのか?」
「危険を伴う以上、年齢順から言ってオレ達最年長組で行く。戻って来なかったら、此処を放棄する準備を……後は村長代理であるお前に任せる」
「……分かった」
村長を中心に40代以上の6人が編成され、其々に最後の拳銃と小銃で武装してピックアップトラックに乗り込む。
目指すは工業系の研究所やプラントだ。
当時の地図は残っており、ドイツ失陥時の状況も分かっている。
唯一残った道は山の丘陵の境目を征く一本道。
突き進んで帰って来れるかどうか分からない地獄の片道切符。
半分以上準備を整えていた彼ら共同体は総出でダム施設の事務所前に集まり、六人の勇者が乗ったトラックを翌日の朝に見送った。
「行くぞ。狙い目は大手精密機械メーカーの社屋だ」
『おう!!!』
応える男達の装備は厚い。
弾帯を身体に巻き付け、銃の安全装置を解除しないまま。
彼らは山道を突き進む。
ドイツ失陥前後、各地域の一部で巨大な地殻の隆起や沈降が起こった時、奇跡的に道路の多くが無事だったのはその規模に由来する。
簡単に言えば、既存のインフラが整った一帯そのものがそのまま持ち上がった形になり、地震こそあったが崩れた場所自体は少なかったのだ。
ダムも奇跡的に穴や罅が入る事は無かった為、何とか彼らは長期間暮らす事が出来ていたのである。
だが、代わりに気象変動がおかしな事になったのは当初驚きを以て確認された。
ピックアップトラックが奔り抜ける稜線のあちこちで40度の高温や-12度の極寒、雪、雨、熱風などが1時間以内に8度も変わる。
冗談としか思えない通常の気象学では説明不能の状況。
しかし、長年住んで来た彼らはものともせずに雪を掻き分け、雨を弾いて車両で進んでいく。
都市部に差し掛かったのは2時間後。
周辺に民家が増え始めた時だった。
この頃になるとトラックはハイブリットの電池走行へと移行。
ガソリンは使わず静かに崩れて風化し始めた巨大な廃墟街へと入っていく。
まだ朝と呼べる8時。
彼らが幸いにもガソリンスタンドでガソリンを補給出来た事は今後の移動での大きな足掛かりとなった。
一気に移動範囲が増えた為、選べる選択肢が多くなったのだ。
「どうします? 村長」
スタンドの周囲を仲間に監視させながら副リーダーに訊ねられた村長が目を細めてカーナビを見つめる。
「物資が残っている可能性が一番高いのは郊外の施設だ。都市中心部よりはゾンビも少ないだろう。此処に来るまでゾンビを見たのは数体。だが、中心部に向かえば、更に多くなるのは必然……この企業の社屋に向かうぞ」
カーナビ上の目標を定めた彼らは弓矢と炸薬を減らした弾丸を装填しているサイレンサー付き拳銃を握り締め。
その場所へと更に北上した。
それから40分。
何とか目的地に着いた彼らは鎖で閉ざされながらも壁の一部が破壊され、社屋のガラスが全て割れた廃墟に到着していた。
周囲は草の茂みに覆われているが、破壊された壁はトラック1台なら通れる大きさであった。
「行くぞ。草むらを警戒しろ」
「了解」
緩々と車両が進み。玄関先の見晴らしの良い場所に停車する。
車両には2人残して4人での探索。
「!?」
割れた窓ガラスなどが散乱する場所は避け、玄関から入った彼らが見たのは大量のゾンビの死体だった。
バリケートがあちこちに積まれており、その周囲には朽ちたサブマシンガンが転がっていて、徹底抗戦していた事が伺える。
「行くぞ。資材倉庫もしくは工作機械のある場所を探索する」
元兵士の住民の下で訓練して十年以上。
互いにカバーし合いながら彼らが隙無く最初に向かったのは資材倉庫。
工作機械などの工業系技術に詳しい者が1人。
最初から何を確保するべきかは教えられていた為、スムーズに彼らは内部に入って目的のものを探す事が出来た。
一面の壁に置かれたタンクや部品の数々。
工具類も置かれており、期待出来るかと思ったのだが、そうは上手く行かないらしく。
「村長。自動車の整備に使えるものはあるが、タービン関連で必要なものが見当たらない。悪いが一度車両に部品を持って行ってからもう一度中を」
「了解した」
自動車整備用の部品を数十点。
結構な重さのソレを全員で袋に詰めて担いだ彼らはすぐに玄関前で待つ仲間達にそれを受け渡してから再びエントランス内から奥へと向かった。
途中、半開きの防火扉や隔壁もあったが、全員の力を合わせれば、ゆっくりとだが開く事は可能だった為、20分程で彼ら全員が社屋の最奥へと到達する。
「ふぅ。風雨で朽ちた書類に電源の落ちたPC……ハズレか?」
村長の言葉に探索が開始されてすぐ。
「村長。発電用ではないが、此処はどうやら航空機系のタービンは手掛けていたようだ。社屋の後ろにある工場内に何かあるかもしれない」
「分かった。そちらに向かおう。一端、車両に戻るぞ」
「了解」
再び車両の下に戻ってくると二人の仲間が出迎える。
「どうだ? 何か変化はあったか?」
「いや、先程3体のゾンビを遠距離から弓で狙撃して倒しただけだ」
「周囲にゾンビの影は無い。草むらの方も二人で見回ったが大丈夫だった。帰り道にさえ気を付ければ、何とか戻れると思う」
「分かった。もう少し待っていてくれ」
村長達が三度、社屋へと突入する工場に入る入り口は周囲が封鎖されており、社屋内の出入り口からという事になっていた為、空いているのか不安はあったが、彼らが見つけた工場への道はどうやらまだ健在らしく。
出入り口のロックは手動で開けられる方式であった。
六人で力を合わせ、重い扉のロックを取っ手を回して外すと。
ガコンと音がして内部へと開く。
大きく開け放った4人がヘルメットのライトを付けて、軍用の簡易照明。
折って投げて発光させるタイプの灯りを放り込んだ。
途端だった。
「!?」
彼らが息を呑む。
それもそのはず。
工場内部は時が止まったかのように綺麗なままに保管されていた。
上からチェーンに吊るされたタービンブレードらしきものが数個。
更に関連機材と思われるものがあちこちに点在していた。
「村長。此処ならお目当ての機材が見付かるかもしれん」
「分かった。入口に1人付け」
三人で内部を探索し始めて数分。
目的の機材や物資が見付かった事でその場に安堵の空気が流れる。
「これで何とかなるか?」
「応急修理なら恐らく問題無い」
「このタービンはダメなのか?」
仲間の1人が吊るされてあるものを指差す。
「さすがに転用は……こっちは本職でも何でもないからな」
「それでもコレで何とかなる。これで長居は無用だ。さっさと此処を―――」
「村長!! 来てくれ!!」
「どうした? 何か有ったか」
「コレを……」
仲間達の1人が向上の片隅で村長を呼ぶ。
すぐに駆け付けた彼が見たのは大小無数の重火器がガラスケース内に治められている様子だった。
「何だ? 会社の社員の趣味か? どうして使われもせず……」
「弾薬も一緒みたいだ。この中に有ったなら劣化は無いはずだ。一緒に持って行こう」
「……まだ、時間はあるな。ガラスケースは防弾でも強化ガラスでもないようだ。鍵も掛けられてないのか? その暇もなく全滅したのか……」
村長がケースの扉を横にスライドさせて、一番中央に置かれていたショットガンを手に取った時だった。
不意に工場内の電灯が明滅した。
「な?! 電源が生きてる!? マズイ!? 非常警報なんぞ鳴ったら!?」
彼らが思わず身を強張らせる。
だが、いつまで経ってもけたたましいサイレンの類は鳴らない。
だが、彼らの目の前で異常が起こった。
工場の端。
ガラスケースから見て右側の壁が真下からせり上がったかと思うと。
続いて次々に地面から1m程の幅の棚のようなものが10m程連続で階段状に押し上げられた。
内部は煌々と蒼い輝きが瞬いており、僅かに冷却されていたのか冷たい煙が溢れ出して、霜の付いた棚の内部がゆっくりと露わになる。
村長がそれを真正面にして霜の付いた面を片手で拭く。
「ッ」
彼が見たのは棚に収められた大型の籠手のようなものと自動小銃らしき漆黒の重火器だった。
「何だ……装備品の類も開発していたのか? それとも緊急用の?」
彼が取っ手を探して、その内部が見えるクリアなケースを開ける。
内部は思ったよりも冷たく。
彼が籠手と銃を1セット取るとその大きさの割にまったく重くなく。
「軽いな……金属で出来てるのか?」
「村長、ソレは一体」
「分からん。何かの武器かもしれん。一応、貰って行こう。他にも数名分あるが、この重さなら持っていける。そこの武器と一緒に持ち帰るぞ」
「あ、ああ」
彼らが袋に重火器と籠手と実弾を詰めて、そのまま玄関先へと向かう。
「待たせた。目的のものと武器を幾つか手に入れた。このまま帰るぞ」
全員が乗り込んだピックアップトラックが走り出す。
まだ9時を過ぎた頃合い。
これならば昼間でには帰れるかと僅かに安堵した彼らがそれでも気を緩めずに身を低くして重火器で後方と側面に銃口を向けた時だった。
彼らが走り出した直後、監視役の1人が異変を察知する。
「村長!! 十二時方向の空に黒い何かが浮かんでる!!」
「黒い、何か?」
思わず助手席から振り返った村長が後方の空を見やる。
すると、確かに朝の良い天気だった空に何か黒いものが浮かんでいた。
上空40m程の場所。
距離は400m程だろうか。
しっかりと見える事から大きさは100m近いかもしれない。
「何だ。アレは……ッ」
男達の目が黒い沼のようなものの中から真下に何か人型のようなものが投下されていくのを見た。
双眼鏡で覗いていた男が喉を干上がらせる。
「村長!! ゾンビだ!! 間違いない!! ありゃぁ人間じゃないぞ!?」
「クソッ、いよいよ天気でゾンビが降ってくるようになりやがったか!? 総員踏ん張れ!! ガソリンは満タンだ!! 最高速で突っ走るぞ!! 捕捉されるな!!」
トラックが猛烈な勢いでガソリンと電源を同時に用いて加速する。
ゾンビに見られたり、音を聞かれる前に探知圏外に出るというのは基本戦術だ。
彼らがトラック内で小銃を構えてスコープ越しに周辺監視を継続する。
「な、何だぁ!? あのゾンビ走ってやがる!? それも首が無ぇ!?」
「何!?」
「村長!! あいつら時速80km以上の速度が出てるぞ!!」
「クソ!? 振り切れるか!?」
訊ねた村長に横の運転席から悲鳴のような声が響く。
「郊外とはいえ、直線のストレート殆ど無いんだぞ!? アウトバーンに入って撒くんじゃなきゃ80kmは振り切れない!!」
「チッ、この先からそのまま山道に入ったらゾンビが追い付いてくるか」
「待ち構えてハチの巣にするんじゃダメなのか?!」
「ダメだ。あのゾンビ共普通じゃない!! あんなのを拠点に引き込んだら全滅するかもしれんぞ!?」
「じゃあ、どうすんだ!?」
彼らが最悪の結果としてゾンビを拠点から離れた位置で迎え撃って死亡する事を考えた時だった。
遠方から薄緑色の粒子らしきものが立ち昇り、直後にタイヤがビーム状の熱線のようなものが掠めて弾け飛んだ。
「グォ?! 掴まれぇえ!?」
運転手が咄嗟に速度を落として車両を回転させながら横転しないようにドリフト気味に周辺のカーブを曲がって20m程掛けて停車する。
「う、ぅぅ……大丈夫か!?」
村長に声に全員が何とか無事な様子で放り出されていない様子で応えた。
「しょうがない。此処で応戦する。トラックはどうだ!! まだ、動くか!!」
「あ、ああ、だが、タイヤが逝っちまってる。これじゃ低速で長くも走れないぞ」
「十分だ。包囲されるよりはマシだろう」
「村長!! あのゾンビ共が来るぞ!!」
「戦闘用意!!」
トラックが再び走り出す。
背後の左側がやられており、火花を散らしながら傾いた車体の上で彼らが何とか相手を照準する。
「何だよ!? ありゃぁ!? う、浮いてるのがいるぞ!?」
「小銃まで持ってる!? 首無しは緑色の光を出してる籠手みたいなやつを付けてるようだが、何なんだ!?」
村長の男がハッと気付く。
自分達が社屋から持ち出した装備とゾンビが使っている装備は瓜二つだと。
(まさか、ゾンビ共を兵器化しようとしてるって、当時のゴシップは本当だったのか? 人間の装備をゾンビが使ってる理由なんてソレしか思う浮かばん)
距離が詰められ、残り数十mとなった瞬間。
「攻撃開始だ!!」
全員が追い縋るゾンビ達に発砲を開始した。
「村長!! 首無しのデカブツに効いてないぞ!! こっちの弾が弾かれる!!」
「どうする!! どうする!?」
「落ち着け!! 手榴弾投擲用意だ!! タイミングを合わせて連中にお見舞いしてやれ!! 牽制役は常に撃ち続けろ!!」
首無しの巨体が高速で迫る迫力に息を呑みながらも彼らが一斉に手榴弾を投げる。
狙いは違わず。
ソレら数個が一斉に一番至近に迫っていた巨体の直下で爆発した。
「よっしゃぁ!!?」
「いや、まだだ!? 上を見ろ!? う、撃てぇえ!?」
「え?」
手榴弾の起爆寸前に跳躍した巨体が籠手を振り上げて車体へと急降下してくる。
それに次々と銃弾を浴びせ掛けるも、次の刹那に車体が吹っ飛んだ。
直撃はしなかったが、トラックのほぼ真後ろで爆裂した衝撃はトラックを跳ね飛ばしたのだ。
「車両から出ろぉお!?」
彼らが車体毎地面に叩き付けられる前に自分で車両から這い出して3m程上空から身体を何とか丸めて外に投げ出される。
トラックが地面に落ちた瞬間。
衝撃であちこちへバラバラになって弾ける。
「がぁぁあぁ!?」
「ぐぉ?!」
「う、ぐッ?!!?」
男達が地面に何とか受け身を取って背中を丸めて落ちる事に成功したものの。
それでも肋骨や大腿骨などに罅が入った者、折れた者が多数。
肺から空気を吐き出された彼らはビクビクと陸に揚げられた魚のように痙攣する以外に何も出来なかった。
村長が最も早く明滅する意識を立て直して、ヨロヨロと立ち上がる。
左腕が折れていたが、まだ右腕には小銃があった。
「あ?」
しかし、彼の目の前には影が差す。
巨大な体躯を持つ頭部の無いゾンビがガシリと彼の頭部をその片手で摘まみ上げていく。
「が、ぁあぁあああぁあ!!?」
軋む頭蓋に彼がバタバタと手足を痙攣させて振り回す。
『……どこにある』
その声は明朗だった。
ドイツ語だった。
しかも、耳元で頭部の無い相手から発せられた。
『どこにある?』
「な、なにが、どこ、な―――」
『銃と鎧』
その言葉にやはり彼らが持ってきたモノがゾンビに装備されていたのだと彼は悟り、そのゾンビの背後に何者かがいるのだと確信する。
「た、助けて、くれ」
『……何処にある?』
「ふ、ふくろ、袋の―――」
『おやすみ』
籠手付きの指に力が入り、彼の頭蓋一瞬で卵のように潰され―――。
突如として巨体の腕が消し飛んだ。
指先から離れた頭部を抑えるようにして村長が後ろに下がる。
まだ仲間達は起き上がっていない。
ならば、何がその腕を破壊したというのか。
それを目撃した彼は後にこう仲間達に答える事になる。
―――天使と漆黒の鋼の悪魔を見た、と。
最後まで意識を保とうとした村長だったが、頭部の亀裂骨折でそれは叶わず。
倒れ伏す最後。
声を聴いた気がした。
「もう大丈夫ですよ」
「この人よ? ウチが知っとるの」
*
―――村長の出発から5時間後。
「大丈夫ですか。我々は日本国の陰陽自衛隊と善導騎士団。皆さんを此処から救出しに来ました」
「村長!! ああ、村長は無事なんですか!?」
「大丈夫。今は眠っておられるだけです。此処にいる人々で全員でしょうか? 今から皆さんを運ぶに辺り、持っていきたいものがあれば、手早く取りまとめて下されば……我々もこの地域に長く留まる事が出来ません」
ダムの村は今希望に湧いていた。
何処かで見た事のある国旗のマークを付けた空飛ぶ鎧に身を包んだ部隊が2個小隊。
数十名もの村外の人類が彼らの前にいたのだ。
巨大な浮遊する戦車に引き連れられたコンテナ車が5両。
空飛ぶ鎧が10機。
空飛ぶバイクが10機。
そして、全身を鎧う装甲とスーツに身を包んだ者達が統制の取れた様子で大型の盾を肩に付けて彼らの前で整列している。
「助けが、助けが来たぞ!!?」
「やった!? オレ達助かるんだ!!?」
「皆さん!! 出来る限りの安全をお約束しますが、時間がありません。どうしても持って行かねばならないものだけを集めて下さい!! 30分後に此処を我々は起ちます!!」
その言葉にざわめく彼らは元々村を放棄するかもしれないと荷物を纏めていただけあって迅速に部隊の声に堪えてリュックやバックを以てダムの前に集合する。
「どうして、我々が生きていると?」
「何でも我々の上官と知り合いの女性の方が此処に立ち寄った事があると。それで案内して頂き。此処に……」
「それって!?」
「あの子だよ!! あの子が助けてくれたんだ!!」
「《《シュピナーゼ》》ちゃんね!?」
「あの子も無事なんですか!?」
「ええ、今は我が部隊の上官と共に」
村民達が次々に黒武に乗車していく。
それを警護していた部隊は次々に離陸すると。
高速で沿岸部へ低空ホバー状態で向かう事となった。
道は無視しての一直線だ。
それを見送った少年は郊外の村長達が発見した工場内の隠し棚の前まで来ていた。
「成程、此処はどうやらBFCの物資生産ラインの一つだったみたいですね」
「なぁなぁ。ベルはん。まだ掛るのん?」
「あ、シュピナさん。イギリスまで一緒に跳びましょう。もう此処での用は済みましたから」
「はいな」
少年がいつものはんなり着ぐるみ系アイドルと手を繋いで転移でイギリスのシェルター都市まで跳ぶ。
先程まで使っていた痛滅者は部隊に返却していた為、今は生身だ。
シェルター都市の自室に戻って来た少年はシュピナーゼにササッと紅茶と御菓子を出してから、部隊のリアルタイム情報を脳裏で受信しつつ、ドイツ内陸部まで延伸したディミスリル・ネットワークの稼働を確認して、いつでもゲルマニアに向かう準備が出来たと一息吐いた。
「これでゲルマニアへの遠征接触プランも準備完了。あそこの気候変動や諸々の環境情報も観測可能。後は……」
ユーラシアと中国方面の準備に取り掛かるだけだと少年は今日のお仕事が終了した事にホッとしつつ、シュピナーゼの対面に座った。
「シュピナさんのおかげであの場所の人達を助ける事が出来ました。今日はお願いを聞いてくれてありがとうございました」
「ベルはんの役に立った? ウチ」
「はい。それはもう……僕らの転移はマーカーが無いと難しいので」
「他の処も行く?」
「ええ、午後に後2回。イギリス方面と日本からシュピナさんが知ってる集落に案内してくれれば」
「はいな」
「今は転移で疲れてるでしょうし、ちょっとお休みしましょう」
ニコニコしながら少年は前以て準備していた明日輝印のおやつの数々。
マフィンだのスコーンだのワッフルだのクッキーだのを出しながら、自分もまたカフェラテを啜りつつまったりする。
現在、シュピナーゼが知っているという人類生存領域外の人々の救出作業が始まっていた。
手始めにゲルマニアとの接触を見越してのドイツ内の相手との接触が朝一番で行われたわけだが、ディミスリル・ネットワークやマーカーの無い場所への直接転移は今も難しい為、シュピナを起点としての転移先の構築が急がれていた。
ドイツ内には浸透した二個小隊が大量のマーカーとディミスリル・ネットワーク延伸用のビーコンをドローンという形で大量にばら撒いたので数日内にはドイツの何処にでも向かう事が出来るだろう。
他にもロシアのサンクトペテルブルグや日本にとっても未知であるニューヨークなどにも向かう事は決定事項。
少年はお茶しつつ、あちこちにディミスリル・ネットワークの枝葉を伸ばしながら自らの手の届く範囲をゆっくりと拡大していく。
しかし、その日の仕事は遂に終わる事は無かった。
それはロシアでもドイツと同じように気象変動や地殻隆起で出来た安全地帯に逃げていた人々を回収してからの事。
ニューヨークに跳んだはずの少年はその半径100km圏内に入る事なく。
その外縁部に転移し、イギリス方面から駆け付けて来る隊を待ちながら、その巨大な見えざる壁に接触した。
「これは……」
今も砂漠化が止まっていない周囲は荒野ばかり。
その荒野のど真ん中で少女が転移出来ない様子に首を傾げている合間にもコンコンと少年の指が方陣を叩く。
「見えませんけど、巨大な結界……それも完全な物理隔絶系ですか。先日の神との決戦時の報告から何かの魔術でも発動したのかと思ってましたが、本当に……それにしてもこんな規模の方陣……」
少年が手をゆっくり虚空の見えざる壁に触れさせて、解析用の術式を流し込もうとした瞬間。
バチンッとその身体が後方へと吹き飛んだ。
「ベルはん? 大丈夫」
少女が後方で何とか立って手を下に振っている少年の下までフヨフヨとやってくる。
「はい。今の干渉……大陸式のようにも……もしかしたら……」
「?」
「取り敢えず。収穫はありました。今日は此処までビーコンを置いて帰る事にしましょう。日本で夕飯にしませんか?」
コクコクと少女は頷く。
本日は日本のいつものホテルでディナー席を用意していた少年である。
2個小隊が少年達のいる場所まで来るのに2時間半。
合流したら一気に転移で日本まで戻る事が可能。
周辺には大きなゾンビの群れも殆ど見えない事から危険は無かった。
ただ、見えざる障壁だけが少年の目には九十九の映像補正によるCGで全体像が映り込んでいた。
(ハルティーナさんの報告にあった事が事実だとすれば、この結界は……でも、これだけのものを維持し続けるのは小規模な部隊では……少なくとも超越者級の人材もしくは大魔術師クラスと何らかの魔力生成機関が無い限り……)
ゾンビさえいなければ、静かな夕暮れ時。
少年は小隊に周囲へ拡散してのドローンとビーコンの敷設を行わせながら帰途に付いたのだった。




