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ごパン戦争  作者: TAITAN
統合世界-The end of Death-
743/789

間章「準備の前に」


―――ニューヨーク突入数週間前。


 イギリス・アイルランドの一件が一応の鎮静化を見てロスもしくはシスコでの業務へと向かったセブンオーダーズの次なる仕事は―――何も無かった。


 いや、有るには有ったが、殆どの場合においてソレは彼らでなくても良い仕事であり、彼らには結城陰陽将及び日本政府からの打診によって報告した頚城関連の情報から米国には秘密裡での残りの頚城の探索と各地の探査が打診された。


 最終目標は全ての頚城の確保と超規模儀式術による世界の変質の停止だが、それまでに重要な情報を齎してくれた正史塔のオーナーの言からニューヨーク及び南部ヘブンズ・ゲート、北極南極の調査がユーラシア遠征前に行われることになったのである。


 これに際して日本側の遠征プランは遅延を余儀なくされたが、遠征した先で頚城が無くて全滅するような事があっては結局意味が無い。


 という事でその前の最後の詰めの作業を行うべく。


 セブンオーダーズ単独での強行偵察任務へ向かう為に必要な準備を彼らはロスとシスコで行う事になっていた。


「セブンオーダーズの皆さんに敬礼!!」


 未来の騎士候補。


 少年少女達がベルと三姉妹とクローディオに敬礼する。


 騎士見習い養成校として出発する事になった南のシスコ本部は北の人口が少ない地域への遠征掃討演習も行うくらいの規模にまで膨れ上がっていた。


 現在、在校生3000人。


 確実にマンモス学校と言える規模となっている。


 都市区画の再開発で周辺を更に9ブロック呑み込んだ本部の周囲はあのマンションも取り壊され、教会も移設されて騎士養成校の内部に付属する形で統合されていた。


 現在、周辺ブロックの殆どが再開発で嘗ての正しく世紀末な様相を一変させ、真新しいカラフルなディミスリル建材の色合いの都市部として生まれ変わっている。


「……面影は残ってますけど、前よりもずっと大きくなりましたね。ベルさん」


「そうですね。数か月前とは見違えるよう……というか、別物ですね」


「ま、明らかに別ものだわな」

「そうなの? 大っきい基地だなぁって思ってたけど」


「ベルディクトさん達がいた頃はもう少し小さかったってパンフレットに乗ってますね」


 久しぶりに戻って来たホーム。


 数か月前まで拠点になっていた場所を前にして少年とヒューリがあちこちを見回し、ようやく日本の魔族監視業務から解かれたクローディオが至る処にあるマシンガン設置用の台座の上で缶珈琲を片手に先程敬礼した在校生達が長距離走……年代別の重さの背嚢と各種装備を背負って移動する様子を観察していた。


 騎士は体力が資本。


 後でMHペンダント諸々でブーストされるとはいえ。


 それでも強靭で耐久力のある肉体を必要とする事から、己と同じ体重くらいのものを持って移動行軍する為の訓練は基礎として行われている。


『アフィス先生すらコレくらい出来るぞぉ!? あのヒョロもやしなウェーイ以下の体力ですと宣言したい奴から脱落しろぉ!!』


『あのウェーイですら25kgは背負って30kmは行軍出来たのよ~~それ以下の惰弱が騎士になれると思うの~~さ~走って~~♪』


「「「「「………(・ω・)」」」」」


 思わず真顔になった彼らは教官達の発破に本当にやらされてたんだろうなぁという感想を持った。


 実際、東京本部にやって来てから色々と合同訓練なども行われていたのだが、忙しくなる前は普通にアフィスもヒィヒィ言いながら並みの騎士くらいの装備は付けて魔術や道具無しで走っていたのだ。


 前ならば確実に出来なかっただろうことが出来ていたので鍛えられていた事は恐らく間違いない。


『ウェーイ以下の烙印は嫌ぁ~~~~!!?』


『く、ウェーイより下とか、もはや一般人ッ、が、頑張るしか!!』


『先輩?! アフィス先生って机の上で書類しか作った事無いデスクワーク専門人員じゃなかったんですか?!』


『……アレでも騎士団の別動隊で最初期からメンバーだったんだ。先生があの黙示録の四騎士を倒した騎士ハルティーナを助けたという事実もある。あの人はあれで結構なものだとオレは思ってるよ』


『ま、まさか、いつもノリの軽いにーちゃんみたいに振舞っていたのは……実力を隠す為に?』


『そういう事も、あるのかもしれないな……』


 生徒達が次々に出世していくウェーイが実力を隠した大物だったのではないか説を前にざわつく。


 聞いていた彼らはまったく同時に思う。


「(いえ、素だと思います)」

「(素ですよね。明らかに……)」

「(ま、ウェーイだしな)」


「(ウェーイの人って腹芸出来なさそうだったけどなぁ)」


「(ウェーイさんはご飯美味しそうに食べてくれるので良い人だとは思いますけど、大物の風格じゃないですよね。ええ、どっかの居酒屋で合コンの盛り上げ役やって女性全員から振られる軽いおにーさんて感じです)」


 しかし、実態を知っているはずの生徒達すら、今や世界政府を創る男になった事は聞いている為、アフィス・カルトゥナ-凄い実力者説はヒソヒソと実しやかに信じる者も出始めるのだった。


 そんな僅かな学校見学の後。

 基地機能の本丸である地下設備に向かうでもなく。

 少年達が街に繰り出す。


 目指すは政府機能が置かれたビル群スカイラインの一角だ。


 今まで大量の壁に囲まれていた一帯は大量の襲撃ゾンビの後片づけと移民者の手を借りての活動領域の拡大に伴って撤去となり、要塞化された壁が4度目の改修工事によって8層まで増やされ、都市活動の領域は飛躍的に広くなった。


 そんな街の所々には少年が嘗て誘因した魔力による急激な成長で出来上がったと思われる巨木がストリート横に乱立。


 自重で倒れないかと心配になる程の大きさで何処か爽やかな朝を演出している。


 それこそビル程にも成長して、ビルそのものを呑み込み取り壊せなくさせるような代物は現実的ではないが、今更魔術も魔導もある世界でならば日常か。


 構造としては安定しているとの事で史跡として、旧時代の石碑の如く鎮座しており、正しくこの数か月での一大転換期を象徴しているようであった。


 沿岸部には造船所と海獣迎撃設備が大量に並べられ、差し詰めディミスリルの沿岸要塞のようになっており、広い海岸線沿いの地域には要塞線と造船所が増設延長される毎に彼らの生活に必要な各種の店舗が新規に進出。


 受け入れた移民達が要塞線と造船所の合間を縫うように作られた狭い道の店舗にガヤガヤと密集していた。


 一応、巨大な造船用の部品運搬の為、通路が4車線程確保されているがその両脇はキツメに詰められていて、もしもの時の為の地下シェルターへの通路入口が店舗と各地の道路脇に多数設置してある。


 緋祝姉妹は周囲の露天の美味しそうなものやら珍しいものに惹かれてあっちこっちをウロウロしていた。


「ベルさんベルさん」


 そんなのを横目に歩きながら真新しくなった街に少し愉し気なヒューリがデート気分で少年の袖をクイクイと引っ張る。


「はい。何でしょうか?」

「アレ、何ですか?」

「アレ?」


 少年が首を傾げた刹那。

 周囲に置かれた巨大な黒い円柱に目をやる。


「ああ、アレはデポですよ」

「アレが?」


「あ、はい。実物の映像はまだ見てなかったんですね。コレです」


 少年がヒューリの網膜にデポと呼ばれた簡易補給基地機能を備えた構造物のデータを術式で転送する。


「……アレ一つ一つが市街地戦用の戦術級の魔術具なんですね」


「ええ、壁外のものとは少し仕様が違いますが、同じように全て個別に自動診断モードで常に自己捜査術式を奔らせてます。あらゆる外部からの干渉に関してプログラムされた通りの反応を返す代物です」


「おっきいですね……」


「殆ど中身が大出力のM電池なので。クラスDまでの装備を無制限に効果範囲内の登録アカウントからの要請に応じて飛ばす機能があります」


「簡易の転移用の魔術具……七教会みたいですね」


「あはは、七教会には負けますよ。転移関連の術式だって僕らが使ってるのは魔導関連のものを弄って使ってますが、根本的に軍用じゃありません」


「そう言えば、ベルさんの魔導って普通の方、なんでしたっけ……」


「はい。軍用系の転移関連技術は大陸の端から端、星一周分くらい軽く飛ばせる代物です。それも魔術と比べられないくらいのローコストで」


「デポはどうなんですか?」


「かなりコストが高いので今のところは僕の魔力頼みです。一応、最新のM電池を使ってディミスリル・ネットワークからの魔力誘導能力も持ってるので他の通常電源と合わせてもかなりの代物ですが、それでも単独での能力の最大稼働状態は4か月持ちません」


「(´-ω-`)……(四か月持ったら十分なんじゃないかな、という顔)」


「そもそも本部からの転移で超精密に大質量体だって送れるくらいの開きがあるので、まだまだ七教会には程遠いですね」


「そう言えば、戦艦クラスのものは転移出来ないって地下儀式場の仕様書で見た気がします」


「ええ、そのせいでシエラⅡをマスドライバーで打ち出す必要があったわけで……根本的には僕が魔力を直接充填しない限り、かなり基地の魔力を消耗するので超長距離の大質量転移は誤差を含めるとお勧め出来ません」


「あの神の封印用の白い球はどういう原理なんですか? いきなり、現れましたけど」


「ああ、アレはカズマさんを異相空間側に置いておいただけなので横着しました。カズマさん用に異相空間での長時間活動用のスーツを造って、僕が制御した空間を異相側で引き連れている感じですかね」


「ポケット内じゃなかったんですね」


「ええ、そもそも今後の異相活動、探査用のシステムを応用した調査実験でもあったので。実用に堪え得るかどうかのテストも必要だったんです。最悪、あちら側に突っ込んで封印する可能性もありましたから」


「こっちで封印出来たのは行幸、でしたか?」


「まぁ……神様相手で上々な結果でしょう。色々と異相側で準備してたんですけど、あの時はちょっと危なかったんですよ。実は……」


「そうなんですか?」


「神の本体が出た直後に制御してた異相側の空間の接続が途切れちゃって……封印球、あの大玉はさすがにすぐ見つけたんですけど……」


「え、見失ってたんですか? カズマさんを?」


「はい。一応、魔力を大量に打ち込んで数万年単位で漂流しても大丈夫なようにしてはいましたけど、自力であっちから出て来た時にはちょっと驚きました」


「今、知る衝撃の真実なんですけど……」


 さすがにヒューリが額に汗を浮かべる。

 当人が効いてもゾッとしないだろう。

 最悪はMIAで戦闘中行方不明という扱い。


 生き残って地球に戻った頃には人類が全滅してるとか普通にありそうなSF染みた話にもなりかねないのだ。


「カズマさんの血で創る白い結晶。アレも実は超重元素らしくて。どうしても大質量を完全に魔術具化するには真空か異相空間じゃないと周囲への影響が大きかったんです」


「それで通常空間外で作成を?」


「はい。カズマさんもあっちでの活動中は飲まず食わず。魔力のみで活動出来る仕様の身体に調整してた事で何か悪影響が無いか今も検査中だったりします」


「ああ、だから、身体に侵食で影響が出てないのに長期入院だったんですね」


「一応、血液の結晶化能力を最大限に使用してたので問題がないか今もくまなく身体をリアルタイムで解析してます。大仕事は終わったのでお休みしてもらおうかと思って有休休暇を出したんですけど……要らなかったかもしれませんね」


「確かに……朝から自主練だって片世さんに挑んでふっ飛ばされてましたね。物好きで努力家過ぎですよ。カズマさんは……何処かの誰かさんと同じで……」


「ええと、近頃はちゃんと休んでますよ?」


 思わず少年の目が泳いで少女がジト目になる。


「……大丈夫ですか?」


「あ、心配してくれるのは嬉しいですけど、前みたいに手足が吹っ飛んだりしませんよ?」


「じ~~~(T_T)」


「マヲーとクヲーが手伝ってくれる上に九十九のネットワークにも術式の代理演算して貰ったりしてますし、魔力を励起後の工程をドローンや機械で自動化したりもして、物凄く最初の頃から改善されたので」


「じ~~~(T_T)」


「だ、大丈夫な顔(;´Д`)」


「大変じゃありませんか?」


「大変ですけど、前より全然楽ですよ。いえ、本当に!!」


 ヒューリが怪しげなものを見る表情となる。


「む~~~ベルさんはアレですね」

「あ、アレ?」

「嘘は言ってないけど、本当でもない感じがします」


「………ええと、作業量は数百万倍に跳ね上がりましたけど、効率も数百万倍に跳ね上がったので……九十九のネットワークの演算さえ可能なら、魔力の遠隔励起の中枢として常に各地の映像を見てればいいだけ―――」


 ムニーンと少年の頬が延ばされた。


「ソレずっと寝てないって事じゃないですか!!」


『あ、いえ、脳の一部は起きてるだけで!?』


 チャンネル越しに声が少女に届けられる。


「ソレ!? 明らかに寝てませんよね?!」

「こ、効率は落ちまひぇんひ!! だ、ダイジョブでふ!?」


 ヒューリが指を少年の頬から離した。


「もう……」


 ヒューリが溜息を吐いた。


 彼女が道端のあちこちに植えられた巨木となった果樹から軽く遠隔操作系の動魔術で果物を高い場所からもぎ取って少年の前で取って差し出す。


「あんまり無理しないで下さいね?」

「は、はい。ごめんなさい」


 受け取った少年は恐縮し切りだ。


「謝るのも禁止です。しょうがありません。準備期間中にベルさんにはまた休暇を取って貰う事にします。フィーに相談しなきゃいけませんね」


「あ、あのぉ……これからちょっと大変な仕事が結構立て続けに入―――」


「そんな休日返上で戦うサラリーマンみたいな言い訳しないで下さい!! まったく……ベルさんは働き過ぎです!!?」


「は、はぃ……|ω・)」


 口出し不要で一緒に歩いていて呆れた様子のクローディオの後ろに思わず少年が半分隠れる。


「そういうのは男らしくバシッと矢面に立った方がいいぞ。後で尻に敷かれても……いや、もう手遅れか」


「ぅ……ぜ、善処する方向で」


 クローディオが肩を竦めるのを見て、少年が顔を引き攣らせつつも打開策かも怪しい言葉で対応する。


「役人みたいな仕事させてたから、役人みたいな事言い始めたな。やれやれ……これが今、世界を救おうって連中の頭の一つだってんだから世の中分からんもんだ……いや? あのウェーイよりは分かりはするかもしれんが……」


 ガヤガヤと姦しいヒューリの注文を受け取りながら、少年達はバージニアの元へと向かっていく。


 その背中は昔よりも……もしかしたら大きく他の者達には見えたかもしれない。


 ただ、そんな背中で歩きながらも少年はチラリと話題に出ていた空間転移に関するデータを脳裏で少し検証していた。


 理由は単純。


 ゆっくりとだが、転移時の魔力使用量が下がっていたからだ。


(僕らが来てた時よりも明らかに……魔術構築環境の激変……ザ・ブラックの事もあるし、今後も気を付けて見ないと……)


 イギリスでの神の本体の一部を封印する際、出てこようとしていた本体は莫大な消耗に晒されて現実への顕現を果たせないのではないかと少年は当初推論していた。


 だが、当時の計算結果は実際に覆った。


 一部が顕現後に《《容易く封印された事》》も計算結果からすれば、かなり確率の低い出来事だったのだ。


 これは地球上の相対的な時空間に対する環境の変化がゆっくりと進んでいるからだ、というのが九十九と専門家達の回答であった。


 大規模な儀式術による変化は着実に見えない形で世界を蝕んでいた。


(これが限界まで変化した時、恐らく儀式術の完成と共に何かしらの効果が表れる……止める方法も色々模索していかないと恐らく間に合わない……)


 不安にさせぬようあらゆる人員への情報の譲渡や管理を一手に引き受けるようになった少年にしてみれば、そちらの方が神の顕現や封印よりも余程に大きな出来事であった。


 カズマが自力で戻って来た事にしてもそういった変化為しには不可能だっただろうとの結論が既に陰陽自の解析班からは出ている。


(ヒューリさんのお姉さんや明日輝さんの赤ちゃんの件……あの時、悠音さんの結界が通常よりも強度が高い状態で展開されたから、僕達が殆ど無事だったって事も……全部、きっと世界の変質に影響されてる……急がないと……)


「まぁた大丈夫じゃない顔してます!? ベルさんには徹底的な休養が必要なようですね( ゜Д゜)」


「え?! だ、大丈夫な顔(´Д`)」

「(#^ω^)」


 まったく、精力を減退させる様子もなく実を成らせ続ける果樹の如く。


 その気張った姿はいつか終わりが来るだろう。

 そう思うからこそか。


 少女は少年を安楽椅子に括り付けてでも休ませようと固く誓うのだった。


 *


 少年が切実に休ませたがる少女の猛攻を受け切ってゲッソリした午前が過ぎ。


 諸々の今後の予定を女傑バージニアとの間に詰めた午後。


 ようやく1人となった少年は帰宅までの仕事と称して善導騎士団本部から少し離れた路地まで歩いていた。


 理由は単純。


 自分を明らかに監視している視線の人々を発見したからである。


 クローディオやヒューリが気付かないのだから相当な手練れだろう。


 というのも、少年が気付いたのは単純にシステムの力だったからだ。


 まぁ、アレだ。


 誰にも言わずに真面目な警備システム……対黙示録の四騎士用……要は相手が極秘に潜入し、破壊活動を行うような時に備えた陰陽自研のセンサー類を稼働していたのである。


 能力を全部載せした端末と解析用のプログラム。

 この二つが現在重要な拠点では運用されている。


 それを知るのは防衛大臣と総理と陰陽将以下数名の騎士団上層部だけだ。


 それが相手を複数確認したのだ。


 魔術による隠蔽は元より、敵の位置捕捉のみならず、現在の一定領域内に存在する物体の分子組成までも自然放射されている魔力波動を使って計測して看破する力はどのような欺瞞も殆ど許さない。


 《《何か在る》》のを探る装置ではなく。

 《《何が無い》》のかを解析する装置でもあるからだ。


 その空間に無ければならないものを記録から検索して現在の環境と照らし合わせて誤差を検出する。


 概念魔術すらも感知する魔導と科学技術の精粋だ。


 あらゆる隠蔽が完璧ならば、完璧であるからこそ、有るはずのものが無いという事実を浮き彫りにするのである。


 九十九の解析能力とネットワークの力があれば、ソレは神の結界すら検知する。


 あのタコ足な邪神の結界を解析する為に試作されて後、継続的にシステムは開発を続行、静かに運用されていた。


『まさか、我らを見取るとは……』


『やはり、四騎士様達の1人を亡ぼした手並み侮れん』


『………油断するな』

『行くぞ』

『総員。包囲を継続』


 5人。


 全員が紅のローブに何らかの組織の制服姿。


 誂えたように少しゆったりとした袖口と厚い生地には金属片が織り込まれており、防火服か鎧のようにも見える。


「騎士様?」


 少年が首を傾げた。

 現在地はとあるお店の前。

 まぁ、アレだ。


 前に少年が連れ去られた時に2人の少女が破壊し尽した場所だ。


『四騎士様に盾突く愚か者』

『フン。皆殺しでも足りぬ』

『予定を繰り上げるか?』

『良いとの遂せだ』

『手足は要らぬ。頭部のみで構わん』


 少年が首をかしげている合間にもまだおやつの時間には早い路地裏で圧倒的な強者感を醸し出す制服がゾロゾロ。


 顔ぶれは年若いのが多く。

 40代1人、20代2人、10代が2人。

 10代の少女1人以外は全員が男性。


「……隠蔽用の術式は大陸型……こんなに高精度って事は紅蓮の騎士当人の代物。彼女の人間の配下ってところですか?」


 それを前にして諸刃の剣を腰に下げた少女が目を細める。


 四十代の男が巨大な鉄球らしきものを鎖でジャラ付かせて隙無く構える。


 それと同時に彼らが現実に迫出すかのように実態を以て観測された。


 それまでシステムの恩恵を受けた少年にしか観測出来ていなかったのだ。


 通常の計測用のシステムでは影すら見付ける事は不可能だろう。


「教導者よ。如何する?」


「如何な獣の味方とはいえ子供を苦しませるのは趣味ではない」


 二十代の青年が二人。

 身の丈程もある紅の槍と盾を其々に構える。


「教導者。此処より先は後戻り出来なくなりますが、よろしいですね?」


「構わん。やれ」


 少女が酷薄な瞳で同じ十代の少年の言葉に告げる。


 彼らの瞳は紅に染まっていた。


 それどころか少年にも身に覚えのある魔力を立ち昇らせている。


 そう、それは紅蓮の騎士の力。

 武具と身体に纏う魔力は本物だ。


「使い魔? いえ、狂信者? ああ、でもそうなると……ええと、お聞きしたいんですが、皆さん今まで何処に隠れてたんですか? ちょっと教えて下されば」


 だが、その言葉に対する応答は攻撃。

 正しく神速。


 武術に精通する者の一撃が武具から繰り出されれば、少年は一溜まりもなく四肢を襤褸屑のように消し飛ばされ、達磨とされる可能性もある。


 《《繰り出されていたならば》》、だが……。


「?」


 少女が怪訝な顔となる。

 部下が動かなかったからだ。

 彼らに油断は無い。

 そう、それこそ相手の対策は万全だ。

 最初から魔力を纏い。

 相手の魔術を遮断する方陣を大量に纏い。


 空気も必要とせずに数時間活動出来る程に肉体は活力に満ちている。


 魔力による自己完結した生態活動は正しく下位魔族並みの能力を持っている。


 魔術師技能とて大魔術師には負けるが、高練度だ。


 そして、何よりも死を厭わぬ気迫と決意と信仰が彼らを支えている。


 彼らはそう育てられ、そう教えられ、そうして今まで表裏で多くの事案を裏から操作してきた。


 全ては彼らが信奉する紅蓮の騎士の力故だ。

 彼らの精神は正しく今も偉大なる騎士の力に護られ。

 その核心は揺ぎ無かった。


 ………ただ、彼らは知らなかったのだ。


 残念ながら、彼らの出番が遅過ぎたという事を。


「ッ」


 少女の前でゆっくりと部下らしき者達が倒れ込んでいく。


 それと同時に彼らの四肢の腱が一人手にブチリと切れてジュウジュウと音を立てて焼き潰れていく。


 再生している、が……再生が間に合わない程の速さで高速で焼け焦げながら再生回数が連続で増えていく。


 そして、その再生と焼け焦げの交互の波が収まった時、終に再生が停止した。

 再生限界。


 テロメアの枯渇。

 細胞の増殖が不可能になったのだ。


 幾ら魔力でブーストしようが、生物の生態や遺伝子の限界はある。


 そして、魔力でクローディオのように復元や再現する事すらも彼らには許されていなかった。


「!!!」


 少女は剣を構えて、即抜き放つ。

 鞘走りは音速を越えている。

 いや、超音速すら超えている。


 その肉体が繰り出す斬撃は確かに並みの騎士ならば、真っ二つになるだろう。


 とにかく速い。

 身のこなしすらも準じて早い。


 彼女が軌道を描いて刃を降ろして背後に抜けた時には相手は半身になっているはずであった。


 だが、それもまたはずでしかなかった。


「?!!」


 彼女は見る。

 自分だけの音速を越えた世界が鈍くなる。

 静止するかのような静謐。


 超スロー再生でもしているかのような周囲の只中。


 少年の瞳がキロリと彼女を見つめていた。

 本当にただ見つめただけだ。


 だが、その―――何かモノでも見ているかのような瞳に今まで人生で一度たりとも恐怖や恐慌というものを感じた事の無かった彼女は……敬愛する紅蓮の騎士に相対した時よりもハッキリと……死のような何かを感じた。


 彼らの周囲のビルが唐突に乱切りされた野菜のように崩れ落ちていく。


 刃は届かずとも威力は存在し、集中の乱れでバラけたのだ。


 まだ、再開発の手が届かない数日後には無くなる一帯だが、住民は中心部への移転後だった為、人的被害は0だった。


「ディミスリルの刃? やっぱり、あちらにもその加工技術はあるんですね。単なる復元だけでは無い、と」


「―――」


 何も無い声だった。

 どういう事か?

 彼女に対する感想は何も無い、という事だ。

 そんなはずはない。


 彼女は必殺の斬撃を再び相手の小さな身体に刻むべく剣を振るう。


 思わず引いていた刃が今度こそ少年を両断する。

 そう、刃は狙い違わず。


 彼女の意に反して……いつの間にか挙げられていた少年の手の甲に当たり、袖の一部をスパリと両断し、両断し、両断し、超スローの世界で彼女は己の感覚を切った。


(これはッ?!)


 刃が通らない。

 いや、正確には肌に喰い込んで止まっていた。

 満身の力を込めている。


 魔力すらも瞬間で出せる最大出力が刃先に集束している。


 だが。


「(微動だにッッ、しないッッ?!!)」


 明滅する脳裏の焦りよりも身体に叩き込まれた超越者としての反射が刃から手を離させ、拳が少年の顔面から家数軒を吹き飛ばし得る衝撃を叩き込む。


 だが、彼女の五指から伝わる振動が全てを理解させる。


 拳が、魔力で強化され続けて来た超越者の拳が罅割れていく。


 そして、威力が何処かに消え失せた。

 まるで巨大な大穴を打ったような徒労感。


 ならばと。


 少女はそのまま片腕を失うのを前提で己の最大火力を出すべく魔術を練って最速で叩き込もうとしたが、脱力した肉体と精神がソレを許さなかった。


 元の時間に戻って来た彼女の身体がブルブルと震えながら小鹿のようにか弱く膝を折り曲げてペタリと尻餅を着く。


「さすがに少し時間が掛かりましたね」


 辛うじて震えながらも上を向いた彼女は叫ぶ。


「貴様、一体我々に何をしたぁ!?」


 だが、子犬のようにしかもはや吠えられない彼女は其処に自分の標的がいないと気付いて、背筋が感じた凍り付く死よりも冷たい感触を得た。


「あ、別にそんな大そうな事は……十数日前からシステムが稼働してたはずなのでこの都市内部にずっと居れば、影響は受けてるってだけです」


「シス、テムだと?!」


「僕が特定の信号を送ると通常の魔術師には認識出来ないレベルの微細な術式が特定の短距離の空間で活性化します。魔力は関係ありません。皆さんずっと魔力を帯びて空気を自己完結した空間で生成して吸ってるわけじゃないですよね?」


 ゾッとする程に軽い言葉だった。

 少女は理解する。

 目の前の男が何をしたのか。

 それは呆れる程に単純だ。


 都市内部に通常の魔術師が確認出来ない精度の微細な術式を張り付けた何かを空気中に拡散させ続けているのだ。


 ソレが恐らくは彼らが襲撃準備を始める前から彼らの体内で彼らを蝕んでいた。


 ケロッとしているが、都市内部の人間なら誰でも殺せてしまうとんでもない話に違いなかった。


「BFCの技術の再現用なんですけど、もしもの時の為に使えそうだなって拠点周囲の都市で稼働させてるんです」


「ッ、やつらのペネトレイターのレプリカか!?」


 彼女は内蔵の温度がスゥッと数度か冷えたような心地になる。


 心臓を吹き飛ばされたって、そんな気分にはならないだろう。


 例え、BFCに殺されたってならないに違いない。


 問題なのは目の前の少年。


 善導騎士団の中核となった相手の容赦や加減の無さが、明らかに人倫を超えている姿が、まるで当然のように見えた事だ。


 その様子は必要だからやっただけだと言わんばかり。


 そして、それに何ら感慨も無いというのならば、狂気や正気を疑うよりも易く寒気を覚えて然るべきだろう。


「ああ、ええと……今日の夕食、何が良いですか?」


「な……に?」


 彼女は背筋が、身体が勝手に流す汗というものを初めて知る。


 それが生物本能に根差した冷や汗だと未だ浅い人生経験から経験した事が無い故に未知の感情がその脳裏を襲った。


「一応、今日の本部の定食はハンバーグなので人気メニューなんですけど、牢屋の中で食べるのも味気ないというか。お好きなものを何かお付けしますよ?」


「何を、言っている……ッ」


 背後からの声に彼女は得たいの知れない恐怖というものを知る。


 今日知らなくていい事ばかりを彼女は知ってしまった、理解してしまった。


「皆さんは人間です。それに紅蓮の騎士に洗脳されてるようなので……ある程度の不自由は我慢してもらう事になると思います。洗脳が解けるまでしばらく矯正カリキュラムを受けて貰うという事でよろしくお願いします」


 彼女の戦士の心は振り向けと肉体に命じる。

 だが、彼女の見知らぬ彼女。

 本能とでも言うべきものが彼女に命じる。


 お前がもしも何も知らないままに生きて行きたいのならば、振り向くなと。


 そんな自分のオカシな挙動が汗となり、唾となり、軋む機械のようにゆっくりと首を後ろに向けようとした。


 だが、トンと。

 彼女の背後に手が振れた瞬間。

 ヒタリと彼女の股間が生温く湿った。


 ソレが恐怖。


 否、畏怖の効能である事を彼女は知らない。


 ヒタヒタと自分の股間から漏れる液体が何であるか彼女は最初理解出来なかった。


(失禁? どうして今? 私は何を―――)


 そんな疑問すら浮かぶ程に彼女という人格は理解し切れていない。


 自分という存在が、今まで強固に創り上げられてきた彼女という存在が、今崩れそうになり……ただ、彼女という人間の生物としての本能が叫んでいるのだという事を……ソレがそう遠くない過去……神を封印した巨大な白き世界の頂点で愚かな魔術師が味わった残酷な事実である事を……。


「何故、私は……こんな……震えて……」


「ああ、さすがに恥ずかしいですよね? ちょっと乾かしておきますから、後で着替えだけ持っていきますね」


 準備をした魔導師相手に魔術師が並みより戦える程度の実力で抗う事が出来るなんて事は断じてない。


 神に蟻が挑むようなものだ。


「―――はず、かしい?」


 彼女の唇は僅かに笑みの形で引き攣っていた。


「一応、女性ものの下着は手持ちがあるので。取り敢えず、東京本部にこういう時に力になってくれる女性騎士の女医の方がいて、そういった女性的な不便の面では大丈夫だと思います」


 ヒクリと彼女は自分が今、何を目の前にしているのかを知った気がした。


「ああ、でも、下着のサイズは……もし合わなかったらその方に頼んで下さい。さすがに僕が買っていくのは気が引けるので。色々な意味で……ええ……」


 ヒクリと彼女の今まで超越者然としていた無表情の唇が歪む。


「尋問は1回で大丈夫ですから。後は矯正カリキュラムだけで……そうですね……2年くらい、でしょうか? 安全は保障します。その間に騎士が倒されたりした場合でも情報は上げられないと思いますが、頑張って下さい」


「何、を……」


 少年はスッと少女の背後から離れた。


「皆さんが《《真っ当に絶望出来るようになったら》》、ある程度の償いは覚悟して頂ければ。寿命が人間並みに落ちるとか。精神や肉体が人間並みに落ちるとか。後は魔術が使えなくなったり、戦闘技能が使えなくなったり、ですかね?」


「………ッ」


「精神的な方だと恐らく精神制御系の技能は剥奪。それから、しばらくは思考監視も付くと思います。もし人権に関して不満がある場合は言って下さい。皆さんの状態に合わせて色々と規則とかは緩めるので」


 彼女は自分の未来を騙る。

 いや、ただ普通に語る少年を振り返ってしまった。


 そうしなければ、ならないような気がした。

 そうしなければ、何も納得出来ないような気がした。


 そうしなければ……きっと、一生自分が誰であったのか思い出せなくなるような気がした。


 それがきっと一番愚かな選択肢だとしても彼女は思ったのだ。


「     ああ     」


 ニコリと。


 少年はガラス玉よりも透明な瞳でとても優しく安心させるように彼女へ微笑んだ。

 《《単なる迷子の少女を見るかのような何の他意もない瞳で》》。


 化け物。

 それは彼女達の為の言葉だ。

 だが、その瞳を前にして彼女達は霞むだろう。

 それは化け物ではなく。

 人間の瞳だった。


 少しだけ他者と違うのはその瞳が彼らを何とも思っていないという事か。


 この巨大な魔力と超越者という肩書と実力を持つ者達を前にして、歯牙にも掛けないどころか。


 無力で哀れな《《被害者》》と思っているのだ。


 まるで排水溝に水が流れているを見ただけのような感情の無さ。


 無感情なのではない。

 感情は有るが、彼らには動く程の事でも無い。

 というのが正解だろう。


 これならきっと黙示録の四騎士の方が戦闘中ならば、人の意を組んで会話のキャッチボールをしてくれるだけ、もっと人間らしいに違いない。


(術師として住む階梯が違い、過ぎるッ)


 だが、最も違うのは魔術師のお決まりな行動や常識などまるで意に介さない、強さに至るまでの努力への敬意や暗黙の了解のようなものを持たない事だ。


 そもそも敵としてすら認識されていないのが彼女には痛過ぎた。


「お前……は……」


「魔導師です。魔術師もそうですけど、大陸では超越者の多くも魔導師から酷い目に合わされたというのが多かったそうです。でも、仕方ないと僕も今なら思うんですよ。だって」


 少年が苦笑する。


「自分より大半がかよわい人に見えたら、保護したり、護ったりしたくなるのが人情だと思いますし」


 少年は言う。


 お前は倒すべき敵でもなければ、殺すべき標的でもない。


 単なる一般人と同類の護るべき被害者だ、と。


 それが武人にして力を蓄えて来た彼らにしてみれば、死をも恐れぬ無礼であるという事を彼は自覚していないに違いない。


 ベルディクト・バーンは魔術師ではあっても武人ではなく。


 戦闘はこなしていても、大陸で言う戦者……戦う人ではない。


 何より人の心が分からないと揶揄される魔導師になるくらいには善良だ。


 だから、彼らが今まで積み上げて来た武力を前にしても何ら感慨も無く。


 グシャリと積み木を崩す子供のように……何の敬意も無く……彼女達の中核である今までの積み上げて来た時間(ソレ)を踏み潰す事が出来た。


「―――そう、か」


 少女は思う。


「お前が、魔導師……か」


「どうにか出来る人達に自分が出来る限りの事をするのは魔導師が一番初めに学ぶ義務なんです」


 そう、敵ではない。


 少年に護るべき人類認定された少女は理解する。


 感情が無いとか。

 制御出来るとか。

 超越者だとか。

 人も殺せるとか。

 人類を滅ぼすとか。

 今まで犯してきた罪とか。


 そういう……そういう事は一切関係なく。


 単純に自分にどうにか出来ると認定した相手に無償でただ善意から手を差し伸べる傲慢を前にして彼女は悟る。


 まともに絶望出来るようにされて、まともに償う未来を決められて、まともに情報をペラペラ喋る自分にされていくのだろうという事実を。


(我々は一体、何を相手にしているというのだ……)


 それは今まで彼らがやってきた理不尽と何も変わらないのだろう。


 本質的には理不尽に人を殺すように理不尽に人を幸せにする。


 それが相手にとってどんな行為なのかなんてソレこそ分かっていてやっているのが魔導師……悪意を駆逐する善意。


 そう、正すでも変えるでもない。


 駆逐するという形容が正しい魔導師の本当の姿なのだ。


 それは殺人やテロや虐殺を厭わないカルト狂信者にだって分かる単純無比な天命構造にして多くの人々が受け入れざるを得ない《《正しさ》》に成り得る。


「取り敢えず、今は一つだけ教えてください。貴方達の仲間は何処にいますか?」


 少年は少女の前に戻って来て、その瞳を覗き込む。


 それだけでもはや勝敗は決した。

 カランと剣が手から墜ちる。

 汗は流れないが、彼女の心が屈した。


 目の前の《《人間》》はもしも彼女が危険ならまるで容赦なく魔術で焼き殺しもすれば、同時に親身となって幸せな生活を与えてもくれるだろう。


 その非人間的な程に感情の伴わない機械のような行動は矛盾しないのだ。


 彼ら魔導師は憐憫や情よりも先に《《決断出来る人》》なのだから。


 まぁ、それで《《護るべき人》》を殺したり、傷付けなければならなくなれば、それこそ一生を掛けて彼らを蘇らせるなり、癒そうともしてくれるのだろうが。


(私の剣は……私の……忠誠は………紅蓮の騎士様……)


 刃が二度と自分の手に戻らないのだろうことが少女にはハッキリ分かった。


 敗北とはそういう事。


 そして、底から這い上がって目の前のナニカへ挑もうと思う程、彼女は人間的に強くも無ければ、精神的なハングリーさを持ち合わせてもいなかった。


 普通の人間が持って然るべき生き汚さが無かった。


 圧倒的少数派。

 人類の敵の使徒。

 閉鎖環境において強固に磨かれた精神。


 その何処にも魔導師を畏れるなとは書き込まれていなかった。


 魔導師が恐ろしいものだとは知らされていなかった。


 そして、最悪の形で知ってしまった今。

 彼女に勝ち目など有るはずも無かった。


「あ、言いたくなくても構いません。現在、記憶走査系の術式は完成してます。読心系能力者の方々の献身で随分と早く出来たので思い浮かべるか。あるいは思い出さないように拒絶してくれれば、その反応自体で場所程度なら分かります」


「―――」


 それは心を無にしろと言われたに等しい。

 だが、そんな事出来るはずがない。


 この目の前の相手を見てしまって尚、平常心など保てるはずがない。


 何も思い浮かべない事が出来ぬのならば、そう彼女が全身に仕込んだ術式を起動した途端、ほわんと妙に温かな心地が彼女を包み込む。


「自爆とか自己崩壊関係の術式はさっき背後を取った時に魂魄単位のものまで書き換えが完了してますから、無駄ですよ?」


「      」


 声も無かった。


「実は前に魂を消却する術式にしてやられた事があったので相手が無防備な状態なら至近距離で術式の書き換えや割り込みを行う方法を考えたんです。神様にも効く術式割込み術、ウチのフィー隊長の成果なんですけど」


 彼女は己の全てがもはや目の前の相手には何も出来ないと知る。


「はい……場所も特定出来ました。ええと、こう言ったら怒られるのかもしれませんが、《《ありがとうございます》》。皆さんのおかげで明後日にやろうと思ってた黙示録の四騎士の手下の検挙、今日中に終わると思うので」


 検挙と少年は言った。

 排除でも処理でも制圧でも抹殺でもない。

 検挙、だ。


「皆さんのおかげで地盤固めも捗ります。個人的には《《お仕事を減らしてくれた手前》》、何か《《感謝の品》》でもお送りしますね。これでヒューリさん達とのんびりお休みが取れそうです(・ω・)」


 笑顔の少年はいつも通りだ。

 ソレを狂っていると彼女は言えなかった。


 それこそ自分達の方が世間的には狂っている部類なのだから。


 だが、その非人間的でありながら、どうしようもなく善良な人間。


 邪悪な人間とベクトルが真逆なだけの偏った存在を前にして自分がマシだと考えられる程度には……真の絶望と抗ってはいけないナニカがいる事を理解するしかなかった。


「では、お休みなさい」


 少女の意識が無理やりスイッチを切られたかのように途切れる。


 彼女に何かを聞く必要が無いから意識を落とす。


 まるで人を機械か何かのように調整した少年であるが、これでも優しい方だろうというのが彼女には言動で分かる。


 そう、彼女に肉体的なダメージを与えて気絶させたって良かったはずなのだ。


 それをしないという事はそれが必要無いという事。


 都市一つを虐殺出来る彼女達は、そうしようとしていた彼女達は……この少年にとっては《《殺すにも値しない脅威》》である。


 そう彼女に単なる意識の途絶を以て教えたのである。


 人々を皆殺しにしてもまるで反省しないだろう人々への仕打ち。


 だから、これで済んで良かったですねと。


 戦闘すら《《させるつもりはない》》という時点で力量差は歴然。


 これが本業の魔導師ならば、ただただ事務的に対応して絶望すらないお前の人生は無為だったという事実を何の気無しに単なる言葉と現実で叩き込んで廃人のようにしてしまう事もある。


 まぁ、それでも人格すら再生させられる手前。


 良心的な人間にする為に頑張ったりはしてくれるのだが。


「本部守備隊強襲班出動。A班は所定の場所を封鎖し、内部の人員を即時検挙して下さい。B班は9分以内に新型独房の受け入れ準備を開始。監獄への移送は尋問後にお願いします」


 少年の声が響いた時。


 本部地下基地内の待機任務中の部隊が立ち上がる。


「方法はB。もしもの時の為に《《敵重軽傷者の搬送車両》》を用意。装備を受領後、ただちに仕事へ掛かって下さい。後、お仕事が終わったら検挙対象のお名前を募集します。彼ら、役職名はあっても名前は無いみたいなので1人で女性と男性どっちも3人ずつよろしくお願いしますね」


 少年が周囲にいつものポケットに直通のリングを地面に展開し、内部から直接独房へと彼らを輸送する。


 既に一報入れていたエヴァン先生がスタンバイ済みだ。


 超越者の肉体関連はほのぼのバーサーカーと揶揄される片世の細胞や肉体の研究で大きく進展している為、対象の何処をどうすれば、単なる人間並みになるか分かっている。


 明日までには常人からちょっと逸脱したおじさんやおにいさんや少女となっている事だろう。


『オイ。我らが【魔導騎士】の無茶振りが酷いぞ……』


『てーか、何故人類の敵相手に名前を考えるのが部隊のオレらなんだ?』


『柵の無い人間に送られた方が良いって考えたんじゃないか?』


『まぁ、仕事だ。各位、人名辞典を後で端末から参照しておけ』


『市街地戦の初任務が緊急出動どころか。通常業務内とか……オレらよりも弱い人類の敵って何なんだ? いるって思われてた奴らはもっと高位な連中を想定してなかったっけ?』


『あの方の事だ。どうせ一番上とか潰した後なんだろう。そんな気がする……』


『あの訓練を考える地獄の主と戦えると思ってたなんて……同じ人間としてマジで敵には同情しかない……』


『だな……人間の悪意と残酷さを煮詰めたような訓練内容で平然と昼と夜に30日ずつ……数十年単位で戦闘経験積ませようとか考える相手を前にして何で勝てると思うかなぁ』


『ほらほら、皆さん。愚痴ってないで行きますよ。我らが【魔導騎士】がお呼びです。ああ、ベルきゅんの生声!! (ウットリ)』


『(近頃、こういうベルきゅん教? みたいなの増えたよな)ヒソヒソ』


『(何でも女性民間人が立ち上げたファンクラブらしいぜ)ヒソヒソ』


『(お宝映像・画像データや例のブロマイドが出回ってるんだと)ヒソヒソ』


 午後、軍用車両数台が急行した場所で何が起こったのかは殆ど民間人には漏れ聞こえて来なかった。


 一説には惨状が広がっていたから、騎士団が隠蔽したのだという話もあったが、それは当たらずとも遠からずだったろう。


 抵抗らしい抵抗など無く。


 無臭無音の鎮圧装備だらけの部隊に区画毎BC兵器で攻められた挙句。


 音速くらいの戦闘機動に対応可能な一般隊員に触れたら意識を即消し飛ばす装甲や近接対人武装をガン載せ。


 そういうのに疾風の如く責められては誰が何をする事も出来なかった。


 彼らが炎や水などの物質を操ったり、特別な魔力で特別な魔術を編んだりする事が可能だったところで抵抗が可能だった事実は無い。


 残念ながら、ソレらの殆どは少年とフィクシーが編んだ対処用の魔術及び魔術具、科学を用いた対処兵装でほぼ無駄になった。


 戦闘時、周囲の環境を保持して外部からの干渉を防ぐ者にしても常に大気組成を通常の空気と同じように保つ能力者、なんてものはいなかったのだ。


 何処からか空気を補充しているのならば、無味無臭で現存する科学的な殆どのフィルターを透過するBC兵器を魔導で改良したものが効く。


 正しく悪魔の力。

 陰陽自研の魔の手から逃れる術などありはしない。


 北海道でラグに使われた代物の発展形は生物ならば大抵有効だ。


 そんなのを投入されては生体活動が人間並みの生物に抗う事は不可能。


『おお、紅蓮の騎士様のお力が漲ってくr―――』

『これから、この都市を壊滅s―――』

『おお、そろそろ出撃為された方々がもどってk―――』

『な、何だ。敵の攻げk―――』


 仲間達はいきなり倒れ伏し、魔術の痕跡は無く。


 気付いたら肉体をエヴァン先生に弄られて常人並みにされ、魔術も精神的な耐久力も何もかも剥ぎ取られて、今日から矯正カリキュラム受けてねハートマークとか女医に言われる事になって初めて彼らは知るのだ。


 全てが遅きに逸した事を。

 彼らの敵はもはや大き過ぎるのだという事を。


『先生。患者12名追加です』


『多いな。こいつらって切り刻んで解析して良かったっけ?』


『冗談でもやらない方がいいですよ。騎士ベルディクトが怒ります』


『やらんよ……そうしてやりたいのは山々だが、我らが救い主は人類を救うと遂せだ。人類の裏切り者も人類認定する辺り、懐は深過ぎるな』


『で、どういう処置にします?』


『ん? ああ、全身の肥大した筋線維と神経の何割かを削いで、こっちで用意した代物に置換しておくだけだ』


『相変わらず悪魔ですね』


『傷付けると逆に太くなるからな。常人並みにするには置換するのが一番早い。全身の細胞も生殖細胞と脳脊椎以外はある程度、薬で器質的に劣化させる』


『普通なら廃人じゃないですか?』


『身体能力が常人の二十倍以上だぞ? 廃人なんてとてもとても……お薬と専用の術式で魔術だの能力は一生使えなく出来るんだから、やるべきだな』


『《《再利用》》しないんですか?』


『必要あるとでも? こいつら程度の能力や魔力なら魔術具と装備で代替可能だ。自衛隊の隊員に陰陽自の兵装渡した方が早いだろう』


『まぁ、確かに……』


『コレでどんな狂人が来ても真人間まっしぐらだ。魔力が出せたってあのディミスリル製の牢獄じゃ炎一つ起こせやしない。超常の力だって脳の一部に制限を掛ければ封印は可能。まったく……我らが【魔導騎士】と陰陽自研様々だな』


『銃弾一発で済む話でしょうに……』


『そこは倫理面から合理的と言って欲しいな。どうせMHペンダントで更に最良まで平均化するんだ。悪人に成りようが無いなら、あいつにとっては護るべき一般人だ。健やかに日常生活を暮らさせてやろうって身勝手だが、此処では誰が何と言おうとアレが法律で倫理とやらの基準だ』


『でも、何年でも牢獄で健やかにとか。甘いのでは?』


『フン。ソレこそ甘いな……この都市の特別監獄の仕様知ってるか?』


『いえ、詳しくは……ただ、凄く囚人に優しいって話ですけど』


『この世の地獄があるとすれば、それはあそこだ』


『地獄?』


『結婚可。牢獄で個室可。2人部屋可。子供作るのも可。三食美味しい飯付き。学校かってくらいに勉強もさせてくれるし、ゲームや本や映画やアニメだって買えるし、見られる。スポーツに励んで大会だって開催していい。働いて金も稼げれば、家族を作ってイチャイチャしたって怒られない。看守も朝と夜の朝礼以外は来ない。一部の連中には天国と見えるだろう』


『旧EUの死刑無い国も真っ青ですね。激甘では?』


『だが、この世界から外には出られない。子供が出来たら即養子に出される。月に1回会えもするが、刑が終了するまで一緒に暮らせはしない。外の世界の情報は基本垂れ流しだが、何処か重要な部分が制限される』


『手が届かないと?』


『ああ……そして、あの監獄にはプライバシーなんてものはない。全ての情報が観測され、蓄積される。能力の強弱やバイタルやあらゆる肉体と精神と技能の情報は筒抜けだ。何より』


『何より?』


『緊急時の優先度は最下位だ。何かあれば、一番最後に対処される。連中は文句言えない立ち位置にいるって事だ』


『………』


『当人が真っ当にされてるのに真っ当な生活が出来ない。分かるか? 此処は常人にされた人間が絶対に常人扱いされないという矛盾した場所なんだよ』


『矛盾……』


『そのストレスは恐らく長時間住む程に進む……それなのに生きて行けてしまうし、死ぬ事も許されないし、不満は我慢しろと言われる。気付いたヤツは本当の意味での罰を受けるわけだ。気付かない鈍いヤツは死ぬまで飼い殺しだな』


『結構、騎士団もエグイんですね』


『いや? これは魔導師がエグイんだろう。あの我らが【魔導騎士】はあんな顔で毎日いちゃこらハーレムしてるように見えて、仕事はしてるって事だ』


『仕事……』


『罪人や悪人に対する罰ってのは当人の良心の呵責やどうにもならない事をどうにもならないままにさせておくって人間の本能に反する形で行われる。MHペンダントや矯正カリキュラムで自己啓発的に改心するんだから、罪を償うというのは外部から与えられる絶望でなければならないってのがアレの解釈なんだろう』


『真っ当に絶望させてようやく罪を償ったと言えるわけですか?』


『こういう方法は根本的にどんな狂人にも有効だろうよ。自分が知らぬ間に変えられていく恐怖。前は感じなかった罪悪感や良心。人間並みになっていくのに非人間的に扱われる空恐ろしさ。人間の扱い方を弁えた絶対敵にしたくない類の相手が考えそうな事だ』


『黙示録の四騎士も真っ青ですね』


『あちらの方が優しいかもしれんな。何せ、時間も掛けずにぶっ殺してくれるんだからな』


 紅蓮の騎士。


 最も巧緻に長けた謀略の騎士の手並みは残念ながら動き出す前に瓦解し、人類の裏切り者達は真に人を絶望させる激甘な牢獄に直行。


 その日、ロス、シスコは平穏無事な夜を迎える事が出来たのであった。


 生憎と並みの超人や魔術師やカルト程度が【魔導騎士】の揃えた準備や予測を上回る事は無かったのである。


『此処は何処だ!? 何だこの鉄格子は!?』

『無事起きたか。同志よ!!』

『ああ、だが、これは……テイクアウト?』


『フム。食事か……毒は……入っていないようだが……』


『ま、魔術が使えんぞ!?』

『ろ、牢獄の檻も腕力で開けられない?!』

『お、お前体形が変わってないか!?』


『身体を弄られた?!! まさか、能力が使えんのは薬物の類か!?』


『能力が発動しない。クソッ!? どうなってる!?』

『く、我々を尋問して飼い殺しにするつもりか!?』


『此処は一時的に入れられる場所らしい。監獄への輸送時にならば脱出の機会があるはずだ……』


『教導者様達がきっと我らの代わりに任務を果たしてくれ―――』


 検挙された彼らの大半は何処かの部屋の声がボリュームマックスで垂れ流されるに当たり、顔をゆっくりと強張らせていく。


『は~い。囚人番号001番の教導者ちゃ~~ん。あなたね? 騎士ベルディクトが心配してたわよ~~はい。これ着替えね。シャワーはあっちよ。ああ、後生理用品もちゃんと用意してあるから、牢獄で何か不便があったら言って頂戴』


『教導者様が捕まっている?!!』


『あ、もしかして使い方分からない? 後でおねーさんが優しく教えてあげるわね。うふふ』


 最初こそ自分達の指導者に希望を持っていた彼らであったが、その希望に満ちた瞳は長く持たなかった。


『それと女の子なんだから、身だしなみを整えなきゃね。あ、綺麗な紅髪してるわねぇ。後で梳いてあげるわ。生活に必要な最低限の品は個室に置いておくから。そんな表情してちゃカワイイ顔が台無しよ』


 まるで自分達の指導者が普通の女の子のように扱われているという異常事態にダラダラと彼らの背筋を汗が流れていく。


『これから貴方にはリーダーとして部下を統率してもらわなきゃならないんだから、シャキッとなさい』


 彼らは単なる女医らしき女のマシンガントークを前に、その相手が切り殺されるか魔術で焼かれる様子もないという事実を前に、瞳を虚ろにしていく。


『あ、これは明日からのカリキュラムと点呼時のマニュアルね。頭良さそうだし、明日からよろしく。いや、絶対やりませんみたいな顔されても……無駄よ?』


 確固たる意思において彼らが自らのリーダーの反抗を期待した。


 だが。


『此処じゃ基本的なマニュアルの行動には抗えないし、自発的にやった方が楽よ。あ、思考制御や感情制御も不可能だし、魔術も使えないし、反抗そのものも不可能だから。ほら、自分の番号と今の気持ち喋ってみて』


 そこから聞こえて来る声が自分の囚人番号と今の気持ちを正直に語る。


 困惑する心情。

 相手に絶対勝てないという確信。

 喋りたくないのに喋ってしまうという事実。


 何かも理不尽で自分の心が折れていくのが怖いという真実。


『あ、泣いちゃった……でも、不思議そうね。そりゃそうよ。だって、此処では《《非人間的な事》》なんて貴方達に《《許されてない》》の。だって、それって《《人権が制限されてない人》》の特権でしょ?』


 女医の声はニッコリだ。


『泣きたかったら泣けるように貴方の精神は普通な状態に戻ってるのよ。これから真っ当に絶望しながら真面目に償って頂戴。いいじゃない。だって、人類の裏切り者が普通にこれから殺されもせず真っ当に暮らせるんですもの。代価としてなら安い安い♪』


 今日、スーパーで卵が安い並みに彼らの現状はそう連呼された。


 自分でも理解し切れない心情を喋らされて完全に圧し折れた少女が普通の少女のように何も隠せず赤裸々に泣き始めた下りで彼らは悟る。


 もはや、自分達には今までの人類を滅ぼすという決心の欠片すら許されないという事を。


『他の子達にも問題解決したり授けたり寿命伸びましたとか諸々説明したりしなきゃいけないから、そろそろ行くわね。う~~ん、貴方達の不幸があるとすれば、それは彼をこの世界に来た最初の頃に殺さなかった事でしょうね』


 その言葉に誰もが思う。

 自分達は出遅れたのだと。


『忙し過ぎよ。あ、後で名前募集したのあるから、自分で良さそうなの選んで頂戴。選ばなかったら抽選になるからよろしくね~』


 少女は最後まで涙声で『はい』としか返さなかった。


『………(/ω\)』×牢獄や独房に一杯の《《犯罪者》》。


 彼らの無駄に強そうな外見や衣服や魔術の名前や兵器や諸々は何のドラマもなく、彼らが今まで外部と隔絶しながら創り上げた世界観は陳腐な小競り合いすら無く、十数年も鍛えていようが研鑽していようが護れることも無く、全ての決心と共に無駄となった。


 魔導師の恐ろしさを味わった彼らの未来にはもはや真面目に償う事しか残されていなかった。


 そんなの数時間前の誰が想像するだろう?


『これが絶望か……』


『は、はは、何か、何かの悪い夢だ。これは……』


『悪夢ならもう見ているつもりだったんだがな……』


『クソ、クソ、クソ、何も出来ずに我々は……』


『うわぁあぁああああああああああああああああああ!?!!?』


 悪意ある者に祝福を。

 悲しむ者に祝福を。

 寿命無き者に祝福を。

 全てを失いし者に祝福を。


 彼ら個人が紅蓮の騎士の為に働く事になった動機なんて殆ど少年には解決可能な程度の問題でしかなかった。


 悪意を魂魄から消し去り、涙する者に労る隣人を授け、寿命をクスリで伸ばして、失ったものには与えるだけの事。


『それにしてもどうしてあたしなのかしら?』


 首を傾げる女医役の女騎士は少年が自分に一番近い精神構造してるから代わりにお仕事を頼まれたとも知らず。


 人類の裏切り者達をジワジワと諦観と絶望へと追い込みながら、真っ当で文化的で冷たかったりしない生温くてフワフワでご飯も美味しい爽やかライフな監獄へ放り込む為、お仕事に邁進するのだった。


『ま、いいわ。さ、呼んだ能力者の方にも時間掛けさせられないし、バンバン尋問行かないとね(・ω・)』


 次々番号順に呼ばれた彼ら紅蓮の騎士の精鋭は記憶の底まで読心能力者によって読み込まれ、一番圧し折れる方法を片っ端から試されて、実際に九十九の予想通りの時間内でポキポキパキパキ、スナック菓子より軽く心を折られて自白していった。


 その程度が出来ずに魔導師が魔術師を超える事など無かった。


 今の少年を前にして悲劇で釣った超人なんてまるで役立たずである事を騎士は後に知るだろう。


 セブンオーダーズの次なる旅へ向かう為の準備が着々と進んでいく都市に陰りが存在する余地など何処にも無かったのである。


 *


 何か本部から初めて出動した対ゾンビ市街地戦のスペシャル・ユニットが数時間で戻って来てまた通常待機に戻った翌日。


 尋問だの諸々は専門家に任せた少年は朝からヒューリの休んでいるかどうかチェックする視線をヒシヒシと感じながらコソコソと地下の自室から出ていた。


 本日の準備は地下乾ドックでのお仕事である。


 それに際して日本及びイギリスでのポケットを用いた大量の物資の原子変換業務は停止する運びとなっていた為、どちらの国も現在非常態勢が取られ始めており、朝からストップする莫大な関連業務従事者達は雑務に追われていた。


 少年が休めば、国家が冷える。

 これが今の現状だ。


 何にしても錬金技能と無限に近い魔力で原子変換し続け、莫大な質量を元素毎に必要な物質として錬金、仕分けて各種の関連事業へと注ぎ込んでいるのだ。


 近頃は巨大建築用の超規模の物資集積が行われており、日本にもイギリスにも北米にも資源基地が追加で数百以上増築されている。


 イギリスの復興、東京の復興、日本各地へのベルズ・ブリッジの造成や地下都市計画の推進。


 日本各地を繋ぐトンネルの掘削と構築やら北米で生み出されたゾンビ絶対許さない森林とかの拡大を留める為の堤防やら幾ら資材があっても足りはしない。


 今も電子決済でガリガリと脳裏で仕事を進めている少年であるが、その決済業務も途中からフィクシーと副団長の秘書達に投げる事になっていた為、久しぶりに休息という状態に近くなっていた。


「騎士ベルディクト。お待ちしておりました」


 ドックの玄関口で待ち構えていたのは数人の白衣と作業着姿にメットの技術者が数名であった。


「あ、皆さん。ご苦労様でした。今日は本格的に竜骨(キール)の製造に入りますのでよろしくお願いします」


 全員が少年が頭を下げたので下げ返した。


 そうして彼らが少年と地下へのエレベーターに乗りながら、各種の進捗状況を報告していく。


「艤装の方は?」

「4割完了致しました」

「電子機器の設置はどうですか?」


「入れ込む方は490万点完了致しました。苦労しましたよ。ギリギリまで陰陽自研の最新機材で置換してましたので。ああ、でも、魔導師の方の転移が随分と助かりました」


「内装はどうでしょうか?」


「申し訳ありません。現在3割に留まっており……」


「予定よりも少し遅れてますね。原因は?」


「内部の対人設備関連の人員が先日の大襲撃時にベルズ・スターの補強で出払ってまして」


「分かりました。日本側から幾らか人材を……」

「助かります」

「物資と弾薬と予備部品類の集積状況は?」

「現在、78%まで充足しております」


「現在、日本で簡易劣化版の痛滅者。【虚兵】の生産設備が稼働し始めました。色々と繰り上げましたが、量産した一部はこちらに納入する手筈です。数百機程度ですが、こっちの工場でも初期ロットの10%は納入されるので各所で警備に使用して下さい」


「了解です」


「後、新型の痛滅者が届いてると思うんですけど、何処に?」


「ああ、アレならこちらに搬入済みです」


 彼らがエレベーターのガラス越しに近付いてくる巨大な繭を上から見る。


 その全てがディミスリル及びディミスリル化合金。


 薄っすらとピンク色をしているのは原材料として指定されて現在備蓄されているディミスリル化合金の配合比率によるものだ。


「こちらです」


 エレベーターから降りた一行が今度は繭内部に続くエスカレーターで虚空を昇る。

 人間が数人並んで通れるくらいの穴から内部に入れば、その内部構造がよく分かるだろう。


 壁は何かの糸で織り込まれたような幾つもの網目が見えており、その周囲にはシャカシャカと8つ脚のムカデのような機械が頭の部分に数百キロはありそうな毛玉のようなディミスリルを抱えて、糸状にソレを伸ばしては溶液で拭き付けながら壁に隙間なく張り付けていた。


「ドローンの動きの誤差とかは大丈夫ですか?」


「はい。実機は完全です。繭も重量バランスと重力、熱量の計算を常に九十九がしてくれているおかげで崩れる事はありませんし、設計図との誤差は13億分の1以下で推移しております」


「皆さんの仕事には頭が下がります」


「騎士ベルディクト。CICへの直通路を開きます。我々も電子機器の納入後初めてですよ。今はどうなっているものやら」


 男達の1人がリモコンを操作すると彼らが歩いた先。


 丁度繭の下腹の辺り。

 内部の格納庫の扉が開いた。


 その先には上に昇る為の籠状の大きなゴンドラが用意されており、その上に向かう先までムカデ型の作業ドローンが次々にもしもの事が無いようにか連結して滑車式のゴンドラの周囲にレール状の道を作る。


 それからの数分でゴンドラは時速数十km程の速度で斜め上に上昇。


 更にその先は水平の穴の中を移動。


 辿り着いた駅のようなホームがある場所で降りた全員が今度は先程よりも狭い通路を縦一列で歩き出した。


「そう言えば、本日の作成は竜骨のみですか?」


「ああ、いえ。竜骨に組み込む予定のグラビトロ・ゼロのコアが完成したのでそちらも一緒に組み込みます。今まではドックから通電させてましたが、これからは船本体から通電させられますよ」


「おお!? 完成したのですか? ですが、アレ程の大きさの物資の搬入予定は無かったかと思うのですが」


「今、30人くらいのポケットを借りて作業してるので、竜骨の作成後、僕のポケット経由で載せます。コア以外の部分は明日までに精密部品込みで派遣組みの皆さんが完成させてくれると思うので」


「そう言えば、何か仕様変更があると聞いたのですが?」


「ああ、それはですね」


 彼らが少し開けた大きな扉の前に出た。


 少年が構わず扉の前に歩いていくと1人手に扉が開く。


「九十九。ご苦労様でした」


『はい。マスターアドミニストレータ』


 白い少女が虚空に現れ、ペコリと少年に頭を下げる。


 後ろから付いていく男達はイギリスから運び込まれた最重要パーツである九十九のアバターを前にしてようやく船の完成が近付くのかと年甲斐もなく緊張していた。


 扉の先にあるのはCICが置かれる事になっている空間。


 電子部品やユニットらしき箱が多数、虚空にディミスリルの糸で固定化されて蜘蛛の巣に引っ掛かった蟲のようであった。


 30m四方の空間は2段になっており、彼らがいるのはメインCICの艦長席と周囲のメイン・クルー用の座席が14席。


 更に下段はその3倍の数の座席が収まる事になっている空間があった。


「仕様変更に関してですが、第二第三のCICに関しては廃止。その代わり武装可機能が追加されます」


「どういう事でしょうか? 武装可?」


「ええ、CICを置くよりも純粋に武器として使い潰す事にしました。左右の分離艦艇そのものを武装可して痛滅者、無限者の統一規格で接続可能な兵器にします」


『………(´-ω-`)』×一杯。


 今、彼らが言われた事を要約するとこうだ。


 やっぱ、この船の合体分離する《《艦》》は武器にするわ。


 その巨大な武器をどうやって振り回すのかとか。


 どうやって制御するのかとか。


 色々とツッコミどころが満載であったが、何も言わない事にした。


 彼らとて自分の常識は護っていたい方の側だ。


 直径数千mの《《武装》》で数mから十数m程度のパワードスーツっぽいロボがどうやって戦うのか聞いたところで頭がパーンしてしまうだろう。


「了解しました」


「詳しい仕様変更は全体ミーティングで説明しますね。じゃあ、さっそく退避勧告を発令します。各員は壁面施設に退避。ドローンも所定の位置でブロック化して退避。皆さんは特等席で見てて下さい。数分後には始めます」


 アラートが鳴ると同時に予め言われていた人々がバラバラと繭から抜け出し、多くのドローンも施設の端に退避してブロック状に積み上がって柱の如く擬態する。


「では、始めましょう。騎士団の未来と人類の生存。どちらにとっても必要な準備を……」


 少年の全身から白いものが溢れ始めた時。

 彼らは知る。


 今から目の前で起こるのは後世の歴史において必然的に重要な転換点の一つとして位置付けられる事なのだと。


 その日、都市を震度1以下の地震が立て続けに7回襲った。


 そして、それに気付く者はそう多くなく。


 気付いた者の一部は少年のいつもの(・ω・)顔を思い浮かべたのだった。

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