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ごパン戦争  作者: TAITAN
統合世界-The end of Death-
739/789

間章「青い炎と白い獅子」


 北アイルランド神域戦終了後。


 一次的に主神級の神様を巨大な要石で封印した善導騎士団の働きがあってすら、イギリスはもはや自存不可能なまでに荒れ果てていた。


 善導騎士団のクェーサーボムの余波。

 降り注いだ海水と土砂。

 全てを薙ぎ払う大津波。


 侵食能力による精神汚染と物理汚染が動植物を完全に別の生き物へと変貌させて生態系は殆ど滅茶苦茶となった上でソレすら生きているモノは極僅か。


 核戦争後の環境破壊で荒れ果ててすら国土がこうも荒廃する事は在り得ないだろうというのが彼らの前に広がった荒漠な泥濘地であった。


『此処は……何処なんだ……』

『イギリスは一体、何処に行っちまったんだ?』


『HAHA、きっとティータイムにスコーンでも食ってるんじゃないか?』


『ジョンブルだって裸足で逃げ出すだろうよ』


『クソ……どっかの映画かよ……此処は地球だったんだよーってか?』


『ひ?! あ、あの生物、何だ? 山羊? 蛸? 鯨?』

『オイ?! 何か向かって来てるぞ!!』

『シェルターに逃げ込めぇええ!!?』


 全てを失った人々の前にあったのは侵食されても生き残った危険生物がウヨウヨしている海水で汚染され地形の変わってしまった世界だけであった。


 樹木の一つすら殆どロクなものが残っていない。

 文明の精粋である都市は消え失せ。

 街は壊滅し、インフラは存在せず。

 何をどうやって生きて行けばいいのか分からない。


 正しくゾンビなどとはまた違った滅びという現象の最中に彼らは放り込まれた。


 風雨が過ぎ去った後の青天の下、泣き崩れる者は多数。


 生き残ってもこれではどうしようもない。

 というのが正直なイギリス国民の感想。


 だが、その実際の感想が逸早く変化を来したのはベルディクト・バーンとイギリス政府の会合の場での事であった。


『善導騎士団と陰陽自には命を救ってもらった事に対して感謝しかないが、コレは……コレではあまりにも我々は―――』


『あ、復興プランでしたら、もう出来てますのでまずご一読頂いてから、感想と注文と意見をお聞かせ願えれば』


『―――ぐ、むぅ……わ、分かりました(;´Д`)』


『取り敢えず、概要だけで40頁。詳細は各分野毎に200頁程ですので』


『………はい(=_=)』

『はい(・ω・)』

『ペラペラペラ(´-ω-`)』


『あ、後、外に魔術師の団体の方々を待たせてあるので一時間くらいしたら、お話を……彼らの項目は復興プランの土木建築の項にあります』


『……はい(=_=)』

『はい(´・ω・)』


 正しく亡国となった国土で人々を生き残らせる為、何としても善導騎士団及び日本政府からの賠償と支援を引き出さねばならないという事態を前に死んでも約束を取り付けようとした閣僚達が見たのは戦闘終結から3日にして片腕が吹き飛んだまま復興業務が忙しいからそのまま応急処置してほったらかしの少年。


 そして、正史塔からやってきた魔術師の団体。

 いや、魔導師の団体であった。

 一言で言うと全部任せておけ。


 お前らの言いたい事とやって欲しい事はその中に全部載っているじゃろ?


 と彼らは復興プランという名の分厚い書類で殴り付けられ、渋々ながらも黙らざるを得なかった。


 何が何処にあったのか教えて欲しい。


 という言葉を聞いて、閣僚達は彼らに訊ねた。


 全て消え失せた都市をどうやって復興するつもりなのかと。


 それに少年はニコリと簡単に答えた。


『データは《《此処に来た時から取ってある》》ので建材とインフラと都市区画整理に関して一任して頂けるなら、どうにかします(・ω・)』


 日本国内でも不動産関連の諸々は国土交通省と国土地理院と不動産会社と地方自治体と個人の意見が入り組んだものであったが、ゾンビに襲われたところに関しては一端国民に権利を放棄してもらい、国に一時的に一括貸与するか善導騎士団に売り払う事で多くの場合は解決していた。


 不動産関連の財産権を全て超法規的に自分達に預けてくれれば、日本の復興モデルを用いて国土の再建は数か月以内には終了すると断言した少年を前にして彼らは色々と言いたい事が山のようにありはしたのだが、善導騎士団からの食糧・医療・生活支援が現在日本からの物資で賄われた事も祟って口を噤んだ。


 既に拠点としてのロンドンとエディンバラで先行して地方自治体の長と会合を事前に持ち、即座に復興の為の用地を借り上げていた事を後から教えられては黙る以外の選択肢は無かったのである。


 注文を付けるという行為は善導騎士団を前にしては単なる意見聴取に過ぎず。


 パーフェクトの重ね塗りで常人や有識者でも理解不能に陥りそうな最先端復興計画とやらを前に政治家に出来る事など無く。


 各地の人々の生の声、意見の集約後の要望を伝えるのが関の山であった。


『正史塔の事は前内閣の閣僚から……ですが、本格的に彼らを認める事になったとして―――』


『あ、その辺の事は日本での経験を元にした復興プランの魔術・魔導の項にあります。ちょっと分厚いですけど、400頁くらいなので』


『………はい(=_=)』

『はい(・ω・)』


 此処に来て魔術師の団体が表舞台に出て来た。


 その復興の総指揮を執るのは善導騎士団だが、物資の移動と建築に関しては魔導師の集団が活用される事が決定したので正式に政府公認の団体として認証して欲しいという話はもう彼らが嘗ての魔法なんか存在しない世界には帰れない事を意味した。


 こうして正史塔は一躍表舞台へと乗り出したのである。


 その後、復興の為にアイルランドのシェルター都市をモデルケースとした巨大都市型シェルターが国土内に多数乱立。


 政府と地方自治体の意見を交えつつ、まずは復興用の一時滞在用のシェルター都市整備、それから各地の都市部の復興という二部構成で計画は本格的に開始される手筈となった。


 残っている生物資源の遺伝子情報は軒並みドローンと各地の破壊された施設から回収され、変質した動植物は蒐集されてから魔導で各地で一か所に纏めて検査が終わるまで隔離。


 塩水が沁み込んだ大地は次々に空間制御で掘削されて巨大な国土整備用の浄化済みの土砂山がイギリス中を埋め尽くし、真っ平となった地平を人々は観つつ。


 善導騎士団からの支援物資で作った弁当を喰いながら野外で駄弁る者が大勢であった。


『一面見渡す限りの茶色い土と川……(T_T)』


『オレの生まれた家。あそこ……うん、あそこが何処か分からんわ(´Д`)』


『生きてれば、どうにかなるなる(´▽`*)』


『本当に( ̄д ̄)?』

『(´;ω;`)ブワッ』


『おーよしよし泣くな泣くな。お前はマーマイトを初めて知った乳幼児か?』


 多くの人々はその初期復興中の生活で北アイルランドの大地の代わりに地球へと埋め込まれた白き要石である封印を白き大地。


 ホワイト・アイランドと呼ぶようになった。


 また、大西洋の北部とイギリス周辺で海産物が絶滅寸前レベルで変質してしまった事から、海産資源の復興は極めて遅れる事が説明もされた。


 ただ……あの海産物との激戦を思い出して魚が喰いたいと言い出す人間は殆ど、本当に9割以上いなかった。


 軍の管理下で難民と国民が各地で技能集団に分類され、職能を持たないものは十把一絡げに土建業に転職させられて、ようやく動き出せるようになったのが数日後。


 だが、そこからの動きは神掛って早かっただろう。


 シェルター都市を立てて、国民を移住させて、重要地域から都市がディミスリル建材で再建されて、その莫大な作業は難民と国民から大量の土建業者になった人材に投げられ、職能を持つ者は其々に自身の職の業務再開用の資材と場所を提供されて簡易に運営を開始。


 運転資金は全て現物で善導騎士団が用意した為、莫大な物資がイギリスには流れ込んだ。


 生活用品のみならず。


 工業用品から生産活動用の各種機械、薬剤や食材や鋼材までもだ。


『ウチがもう再開出来るなんてねぇ……』


『ばーさんや。散髪しに来る連中が店の前によーけ来とるぞい』


『あぁ、“でぃみすりる”製のハサミ使ってますって書いといたのよ』


『んなの使ってたっけ?』


『ほら、蒼いヤツが昨日届いたでしょ。お爺ちゃん』


『お~ありゃハサミだったのか!!』

『すっかりボケちゃって。うふふ』

『いやぁ、あんまり軽いんで玩具かと思ってたわい』


 無論、全部善導騎士団というか陰陽自研のテコ入れが入ったものばかり。


 生産活動も従来より更に進んだ方法や機械や制度が導入された。


 それらは全て日本国内で培われた善導騎士団の復興用プランそのものであった。


 イギリス政府はそのあまりにもあまりな国家を回す程の物資の代価について藪を突いて蛇だと聞かないようにしていた。


 が、うっかり聞いた英国側の細事を詰める官僚の1人は本当の意味で善導騎士団を見縊っていたと少年の言葉で知る事となった。


『え? 別に返さなくて構いませんよ? 今の調子で消費しても30年分くらいなら余裕がありますし、そんな深刻に考えなくても……いえ、返したいなら借用書とか用意しますけど?』


 謹んで辞退した官僚は今世紀最大に冷や汗を掻いた事だろう。


 英国の未来の負債が自分の発言一つで決まるかもしれなかったのだから。


 こうして1週間が過ぎた頃。


 アイルランド南のシェルター都市では北部に白い山のような大地を見ながら、今はイギリス本土の復興を優先して欲しいという話をされた土建業技能集団がシェルター都市群の建設で遠征中なので復興が停滞。


 ただ仄々としばしのお休みという感じに緩く時間が流れていた。


 大人の男達の半数近くが消えたのだ。


 終日、彼らに食事を作らなくてもよいシェルターの厨房は大戦争中みたいな喧騒が紛争中くらいのものになったし、各地でのゴタゴタ諍いに関する係争処理も8割以上減った。


『あー忙しい忙しい』


『(料理長。今日は余裕があるみたいね)ヒソヒソ』


『(そうね。忙しいって口に出来てるもんね)ヒソヒソ』


『ほら、そこぉ!! 玉ねぎは弱火でじっくり炒めなさいよ!?』


『え? 二日前には最低限炒めりゃ食えるでしょって……』


『アンタねぇ?! 今日は時間あるでしょ!! なら、丁寧な仕事を心掛けるくらいの対応力身に付けなさい!? 今日は子供達にパーティー用のケーキも焼かなけりゃならないんだからね?! 雑に作ったら承知しないわよ!!』


『あ、そういや、戦勝記念式典的なのは今日やるんでしたっけ?』


『そうよ。子供達にまずはお祭り的なのでもう怯えずに済むって教えなきゃって話になってんの!!』


『りょ、了解です!!』


『(ああ、だから、張り切ってたのね。料理長……お子さん亡くされてからもう随分と経ってるって話だけど、未だに子供好きだったんだ……)ヒソヒソ』


『(え? そうなの……あの鬼料理長が……人って誰にでも色々あるのね)ヒソヒソ』


『そこぉ!? 無駄口叩いてる暇があったら、あっちのコンソメの灰汁取りして来て頂戴!!』


 このようにして徐々に生活への変化が出て来たのは何も一般職だけではない。


 今の今まで馬車馬の如く働いていた一部の都市運営中の議会関係者はバーンアウト寸前だった事もあり、ぼけーっとした時間を過ごしていた。


 目が覚めて床で起きなきゃなーと考えていたら、いつの間にか10時になっていたとかいう人々が大量の時点で今までが忙し過ぎた事は間違いない。


『(・∀・)………』


『起きなきゃ……あふぁあぅあぅあ~~(*´Д`)』


『(・∀・)………』


『あ、今日って四時に起きなくていいんだって』


『(-_-)………12時に起こして』


『それ夜の? 昼の?』


『(-_-)zzz………』


『ま、いっか(´-ω-`)ねよ………今、12時だけど』


 そんな風にようやく一息吐いた人々の中に善導騎士団や陰陽自の人間がいた事はまったく理解の範疇だろう……超人的な働きをしていても彼らとて人間である。


 イギリスの軍警察の人材。


 神の欠片と遅滞戦闘を繰り広げた彼らの半数は今では形がちゃんとした人型に戻ったが、侵食部位の切除と同時に侵食下環境での長時間戦闘の影響がどの程度なのかを見る為に再生させたり義肢で置換した部位の様子を確認する保護観察中であった。


 というか、エヴァン先生以下大量の医師が派遣されていてすら未だ手が回り切っていないと日本からは2000人近い医師が義肢接合術式の実戦訓練と称して医療現場に転移で放り込まれた。


 機械と肉と骨の音が響く医療現場から治療後に戻って来られた人々はちょっと顔色が悪かったが、戦闘も仕事もせずダラダラ仲間達と食事して遊んでてねと言われて療養を開始。


 陰陽自と善導騎士団の派遣組は侵食影響が精神に与える影響で暴走したりしないか心配だという理由から業務を日本と北米のHQからようやく暇になってやってきた仲間達に業務を引き継ぎ、数日の休みと洒落込んでいた。


 北米は北米で今世紀最大のゾンビ砂漠化現象とやらが起きてしまっていたが、イギリス方面のインパクトが強過ぎて、北米で漸減したゾンビを狩って狩って狩り尽す勢いで数千万規模で実践訓練を積んだ大隊が大いに戦訓を得たという事実はひっそりと新聞の2面記事に北米防衛線大勝利と見出しに乗った程度。


「ぅ~~~」


 そんな忙しかったり、暇にしていろと言われた人々の中にカズマがいた。


 アイルランドにやって来てからこっちずっと行方不明のように姿を消していた少年であるが、実際にはベルから仕事を請け負って極めて重要で極秘な任務に付いていたのである。


 だが、物凄くアレな出来事があった。


 簡単に言えば、最低限の仕事はやり切ったが、戦闘に間に合わなかったのである。


 いや、最後の最後の最後の最後くらいには間に合ったが……その失態は彼が自らの仕事を終えて意識を途切れさせた事から始まる。


―――??時間前異相宙域。


 青く揺らめく蝶がひらめき。

 暗がりを照らした場所に彼はいた。


「……っ、寝落ち……はしてないはずだが、どうなってんだ?」


 カズマ。


 仲間達からそう呼ばれる少年はイギリスに来てから、ベルディクト・バーン当人の要請でたった一つの事に従事している。


 ソレが余人には知れない場所で干渉しようもないのならば、彼に辿り着く者は皆無だ。


 しかし、彼の周囲は暗がりで彼の上には青き蝶が一羽舞う。


 薄ら溶けるような鱗粉の輝きか。

 あるいはまた別の光なのか。

 煌々と零れ落ちる青き燐光。

 ソレに照らされたモノが暗がりの中に出でる。


「………?」


 それは黒き獣だった。

 しかし、ただ黒いのではない。

 全てが焼け焦げた四足獣。


 しかし、瞳だけがハッキリと明確な理性の下に彼を見ていた。


 その青白い虹彩に自分が映り込む様子が何処か間抜けに見えて、思わず彼は立ち上がる。


「何だ? お前」


『人の子よ。我らの末よ』


 カズマが思わず片手で頭を押さえる。


 まるで輪唱のように脳裏へと重く響く声の圧力に気圧されて。


 それと同時に獣の周囲に幾多。


 本当に幾多の獣達が黒焦げの様子でやってくる。


「―――おいおい。洒落になってねぇ」


 今、襲われたら一溜まりもないだろう。


 そう焦る表情を見て……しかし、獣達は襲うでもなく。


『我らは焦げ朽ちたもの。名すら焼却されしもの。しかし、幾多の輝きを継ぎ続けた末の灰』


 カズマが己の頭を握った腕が微かに内部から青白い輝きに燃えているのを見た。


『覚悟はあるか? これは死ではないが焦げゆく定め……それは死より哀しき道程』


「何かこういうの今更だよな。何なら、あの時に来てくれたら良かったのにさ」


『強き意志持つ子よ。汝、無限なる白の血脈……大いなる始祖の血統にして更なる高みへ昇る者よ……落日の邦を今一度照らすか?』


「ベルの依頼は完遂……してるんだよな? なら、後はちゃんと仕事くらいするさ。オレは陰陽自衛隊対魔騎師隊所属白木3尉だ」


 焦げた獣達が道を作る。


 歩き始めた少年は幾多の《《数間》》の先に小さな姿を見た。


 チョコンとまるで白いライオンの子供。

 いや、縫い包みのように座るのは青き瞳の獣。


―――【母を焼きし我が身は炎の神となって尚燃え盛るもの】


「お前が……始まり、か」


 その幼い声のライオンは座り込んで少年を見やる。


―――【焦げゆく末よ。汝が我が力を欲するならば、心せよ】


「オレが焦げようが消えようが、泣いてくれる連中が忘れちまおうが、あいつらが笑っていてくれる時代になるなら、別に構わん。あの時、オレの青春は終わっちまったからな」


―――【………後で氷菓を献上せよ】


「何?」


―――【我が母の欠片に祝福を、我が血統の末に祝福を、神為るものよ】


 白きライオンの子が少年の下までやってきて抱き上げるように促すと手の中へと納まる。


 すると、ようやく彼は自分の背後に何かいるのを感じ、振り返った。


「―――スゲー今更なんだって。だからさ……でも、受け取っておく。ありがとさん。ご先祖様」


 カズマが歩き出す。

 ゾロゾロと後ろに焦げた獣を従えて。

 その背後、何か山のようなものがあった。

 白く光沢質な暗がりに置かれた何か。


 今も日本の地底でマグマ溜りを補強し、地殻を支え続ける何か。


 炎獄の主。


 あるいは古き神話に語られる母焼き殺した炎の神。


 煌めくのは蝶だったか?


 いつの間にか彼の上を舞うのは火の粉になっていた。


 蝶などいない。


 いや、最初から蝶などではなかったのだろう。


 それはひらひらと舞うが、その実……方陣であった。


 何時の時代、いつの世代、いつの誰かが造ったものか。


 彼だけの、彼らに受け継がれた円環の理。


 崩された文字列を判別する事はカズマの知性程度では不可能だろう。


 だが、確かにソレは人の世を照らす為に大勢の誰かが彼らの為に手を加え続け、幾多の《《数間》》達が使い続けて到達した代物だった。


 今、方陣は少年の目前へ。

 そして、少年の額へ。

 その奥底へ。

 魂の在処へ焼き付く。

 カチリと時間の帳尻が合わせられた瞬間。

 彼は白光の中へと融けて消えていく。

 目覚めている。

 最初から。


 だから、それは動き出す合図。


「ま、取り敢えず、あいつら阻むもんを燃やしてから考えるさ。ただ一途に専心せよとオレの親友殿も言ってた事だしな。問題なんぞ、その時のオレが考えるだろ」


 極大の能力の使用が齎した刹那の邂逅は焼却される。


 だが、確かに付き従う者達の列は途絶えず。


 白い炎となった子獅子は少年の胸の奥へと消えた。


「お前らが何者かは知らないが覚えておけ。オレが対魔騎師隊の特攻隊長!! 白木二真だ!!!」


 何かを殴り飛ばした時、少年の腕は確かに白き炎に焼べられ、白き鋼の如き何かに鎧われていた。


 そして、彼は気付く。


 自分が造ったはずの白き封印の要石。


 その頂上で殴り飛ばしたのは見知らぬおっさん。


 彼の前には片腕が無いベルが銃を手にして驚いた顔で固まっていた。


「カズマさん。目覚めたんですね」


「おう。何かパワーアップして帰ってきたぞ。装甲的なものを自分で出せるようになったし、結構強いんじゃね? オレ」


「あ、はい。確かに今の人を殴った時、普通なら逆に即死するくらいの防御方陣が敷かれてましたけど」


「マジかよ?! ってか、人間? 化け物が敵なんじゃなかったのか?」


 少年が引っ繰り返って何やら黒い箱を手から零したおっさんにバスバスと拳銃弾を撃ち込んでいるのを見て、きっと相手は悪人か何かなんだろうなぁーという感想を抱いた。


 しかし、遠方の方に仲間達が倒れ伏しているのを見て。


「アレ? オレ、間に合った、よな?」


「え、ええと、そのぉ……本命が終わって行儀の悪い魔術師の人を殴ってただけなので……」


「ま、まさか……オレ、一番肝心な時に……いなかった?」


「だ、大丈夫ですよ!! この玉だけでも随分と役立ちましたし!! この規模の物体を物資を消費せずに作れただけでカズマさんは英雄ですよ!! いや、本当に!!」


「な、慰めないで!? ソレすっげぇ刺さるから?!! また、またかよ!? オレ、肝心な時に……ぁあぁ……何の為にパワーアップして帰って来たんだっての!?」


 あまりの事に膝を付いて呻くカズマにあははと汗を浮かべたベルはそうしてようやく数十m先で姉に寄りそうようにしていたシュルティの傍まで浮遊しながら向かった。


「お姉ちゃん……」


「スパルナのザ・ブラックが敗れた……神の力を手にして……死者すら蘇らせる秘奥に至りながら……善導騎士団、見縊っていたのはわたくし達だったようですわね」


「ルル・スパルナさん。抵抗しますか?」


「抵抗? 祖父と父と母を下した貴方に? 術師として殺されすらしない程に力量が開いた貴方に? 冗談でもやりませんわよ……抵抗は……致しません」


 全てを呆然と見ていた姉妹。


 しかし、全てを理解してしまった姉はもはや自暴自棄にも等しく全ての力が抜けたとばかりに俯いていた。


「ベルディクトさん……」


 どうすれば良かったのか。

 何が間違っていたのか。

 何も分からず。


 ただ、全てを見ていたシュルティの瞳が少年を見上げる。


「済みません。本当は家族の再会を祝ってあげなきゃいけないんでしょうけど、僕も一応……こういう身体ではありますけど……人間じゃありませんけど、それでも……人間みたいなつもりではいるんです。許せない事や怒る事もあります……」


 シュルティは自分の家族達が倒れ伏しているのを見て、未だに息があり、気を失っているだけだと知っているからこそ、その少年の強さを見た気がした。


 少年の失った腕の方の半身は僅かに引き摺っていた。


 恐らくは重症。


 MHペンダントや治癒術式を掛けてもという事となれば、恐らくは侵食された負荷や汚染によって随分と酷い有様になっているはずだ。


「謝らないで下さい。いえ、本当に謝るべきはきっと私達なんです。どれだけ良い事だとしても、それが確実かどうか。本当に良い事なのかどうか。それを大勢の人に確かめもせずにああいう事をしてしまった」


「ええ……」


「食料やゾンビからの防衛。あの人達が本当に死んだ人達なのかも含めて、沢山……沢山……ご迷惑をお掛けして……」


 言っている合間にも大粒の涙がシュルティの瞳の端から零れる。


「シュルティ……例え、敗北したとしてもスパルナの死者蘇生の奥義は完璧なのですわ。アレは間違いなく本物の―――」


 そう言った途端だった。


 ずっと機能停止せずに起動していたザ・ブラックが映し出す遠方の映像の最中。

 奇妙な現象が起き始める。


 建物も人々も悲鳴を上げるように軋んで次々と薄緑色の粒子となって分解されていった。


 元々、そこに存在していた建物は多くが残っていた部分毎全て消え失せ、地表が更地となっていく。


「え?」


 呆然と。

 本当にルルがただ茫然と呟く。


 その間にも巨大な粒子の柱が国土に幾本も生えたかと思うと全てが消え去った剥き出しの荒野だけが街だった場所に残った。


 その輝きは遠方からも見える程であり、イギリスの野外活動中の兵員なら目視出来ただろう。


「やっぱり……」


「《《やっぱり》》?!! どういう事ですの!? 何か知ってるのですか!? ベルディクト・バーン!?」


 ルルが思わず食って掛かる。


 その形相は畏れにも恐怖にも見える怯えが怒りに上回って混じっていた。


「……この世界はもう貴方達の知る世界じゃないって事です。根本的な環境の違いは魔術がどれだけ完成されていようと効果を不完全にしてしまう。水の沸点が高度の高い場所だと低いみたいなものです……僕も人を蘇らせようという流派の端くれですから、推測は出来てました」


「一体、何が変わったと言うんですの?!」


「この世界の在り様です。黙示録の四騎士が今もずっと人類を滅ぼしもせずに何かに邁進しているのもきっと関係してるんでしょう。巨大な地球規模の環境変化。惑星規模の超規模儀式術……それが世界を変容させ、死者の蘇りを許さない。恐らく、そういう事でしょう」


「そんな?!! では!? では!!? 我々の秘術は!? 奥義は!?」


「無用の長物です。一部、例外はあるでしょうけど」


「―――そんな」


 あまりの事にルルが両手を地面に付く。


「………そんなの……あんまり、ですわ……だって……」


 ポロポロと少女の瞳から大粒の涙が零される。


「みんな……死んだのよ?……わたくしが護って来た人達……生き返らせる為って……わたくしが……護らなかったせいで……学校の仲の良かった友達も近所の優しくしてくれたおばあちゃんも……みんな……」


「お姉ちゃん……」


 妹が姉に掛ける言葉など有るわけも無かった。


 全ては人々を蘇らせる為。

 多くの人達を救う為。

 大の為の小の犠牲。


 だが、その考え方こそがもはや命の価値を失わせる秘儀の本当の意味での副作用である事を……妹はようやく心の底から理解出来るようになっていた。


 そう、少年の言っていた事は正しかった。


 その秘儀の犠牲者は何よりもまず自分の家族であった事を……彼女は知ったのだ。


「お願いが、あります」


 崩れ落ちて蹲る姉の横で立ち上がった少女は目の前の少年に恐らく本当に初めて1人の人間として向き合う。


「はい。何ですか?」


「……わたしの……わたしの家族を……助けて頂けませんか。騎士ベルディクト」


「助ける、とは?」


 少年の瞳は真っすぐに少女を見た。

 そして、そんな妹の様子に思わず姉は顔を上げる。


「家族がした事は許されるのか。あるいは許されないのか。わたしは知りません。本当に人々を救えたのか。そうでないのか。わたしには分かりません。でも……」


 薄緑色の燐光が周囲に立ち昇り始める。


 複製されたザ・ブラックそのもののみならず、倒れ伏したスパルナ家の人々。


 また、ルルも己の指先から零れていく光の粒子に何が起こるのかを悟る。


「……いいのですわ。どうせ、もう全て遅いのですから……わたくしは何も護れず……スパルナ家はただ無為に人を死なせただけの―――」


 姉の言葉を切るように妹は目の前の少年に頭を下げる。


「大切な……家族なんですッ、もう失いたく、ないんですッッ……」


 少年は世界が残酷である事を知っている。

 そして、その残酷さが人を呑み込む時。

 きっと、それは不幸という名の形を得ている。


「シュルティさん。善導騎士団のもっとーとか知ってますか?」


「それは―――」


「僕らは善なるを導く者。善導騎士団……例え、国王だろうと神だろうと僕らの前では、理念の前では平等です。だから、きっと多くの騎士団が無くなっても此処まで僕らという集団は辿り着いた」


 少年は銃を持ったまま胸に手を当てる。


 輝きが高まっていく。


 世界を照らす程に純粋な白と黒の煌めきを零しながら。


「僕らは人々に教えなきゃなりません。それは凄く傲慢な話でしょう。でも、善い事を善いと示すには奇跡なんか無くても手を差し出すだけでいいんですよ」


「手を……」


 シュルティが思い出す。


 それはあの日、ハルティーナに差し出された手。


「今はそれが傲慢にしか過ぎなくても、いつか僕らの手を差し出した人が今度は力強く僕らの手を掴んでくれるかもしれません。まだ、(かよわ)く力無い人達に自らの手を差し出すかもしれません。だから」


 少年は片腕で作った剣。

 その後には銃へと練成したソレを高く放った。


「もし貴女が望む事を為すならば、貴女に科す義務が一つだけあります」


 その銃の最中から溢れ出した空白と漆黒。

 世界の死と魔力の顕現が陰陽の太極を描き出す。


「善導騎士団所属外部協力員シュルティ・スパルナには今後も継続して我々の仕事への帯同を願う。命を懸けて共に戦う事を要請する」


「―――!!?」


「行きましょう。いえ、共に行って貰います。それが貴方へ掛ける多くの人達の努力と叡智の結晶である力の代価です」


 太極が四つに分裂してスパルナ家の者達に降り注ぐ。


 ソレは終わりの土の力を用いて今にも儚く解けゆく粒子の実態。


 遺伝情報を読み取り、血肉として再生し、同時に消えゆく魂に対して死より汲み上げた魔力と死そのものを与える事で粒子より組み上げられた物体としての属性ではなく、再び生命として再定義する儀式術だった。


 だが、それは少年は常の魔術ではなく。


 今まで彼が他の人々と共に紡ぎ上げてきた汎用式。


 魔導機械術式を用いた初めての生命の再生であり、再誕であった。


 元々はゾンビ化した頚城を人間に戻す事や黙示録の四騎士を人間に戻す事で無力化する手段として開発された代物だ。


 彼らを救うのは一つ一つは異なる目的の為に作られた力だが、それは束ねられて善導騎士団の現在の目標の一つを担うと目されている。


人類再生計画オペレーション・リライフ


 この今や生命すらも手中に収めつつある少年の力を前にして粒子化が止まって欠けた部位がゆっくりと再生し始めるのを見たルルは真に敗北するというのがどういう事かを理解した。


「………シュルティ」


 その呟きはもう妹には届かない。

 自分の一番大切な者の心が今何処にあるのか。

 それを知れば、もう彼女に相手へ掛ける言葉は無く。


「お? 何か改心した感じ?」

「誰ですの?」


「オレか? オレはシラギ・カズマ。あいつの……ええと……上司と部下? いや……親友? 違うな……ああ、そうだ。あいつの同志だ」


「同志?」


 ルルの横にやって来たカズマが苦笑しながら、本当の意味で善導騎士団の一員となったシュルティが少年に頭を下げ、それを受けて少年が慌てて顔を上げさせているのを見やる。


「ウチのベルは凄いだろ?」


「ええ、一番大切なものを……取られました……」


「あはは、んなの序の口だぜ? あの知ってるヤツはみんな幸せでないと気が済まない病に掛かってる我らの【魔導騎士ナイト・オブ・クラフト】はケロリとしてとんでもない事をしでかすからな」


「……身に染みて今知ったところですわ」


「そう思ってるのがもう甘い。ま、しばらく反省したら、適当に妹さんの仕事でも手伝えばいいさ。黙ってた時間で色々と情報共有して見せて貰ったが、あいつのご機嫌を損ねたのはアンタらが人間とその死を軽んじたからに過ぎないだろうし」


「………」


「じゃ、オレはもう一働きするから、ちょっと下がっててくれ」


「え?」


 何の躊躇も警告も無く。

 予備動作すら無く。


 カズマの周囲から摂氏4万度程の小さな火の粉のように見える球体が蛍の如く上空へと吹き上がり、下に放射線も放射性物質も降らせる事なく。


 ただ、上空30m付近から暗き星空の世界を吹き飛ばした。


 途端、空の一部から僅かに燃え尽きそうになった何かがヒラヒラと落ちて来て、彼らの数m上で滞空し、紅蓮の球体となって最後の力を行使する。


『まさか、気付かれていたとは……陰陽自衛隊の超越者を甘く見ていたようね』


 そんな女の声がして、少年は倒れ伏したスパルナ家とシュルティ―を背後に前へ出る。


「女の声? ってー事はアンタが紅蓮の騎士か?」


『初めまして。シラギ・カズマ……私は紅蓮の騎士。曉光(ぎょうこう)騎士団で騎士団長をしていたの……名はエウリカ・マーセナリア……』


「お優しいんだな。名前まで教えて、あの状況でちょっかい掛けて来ないとか」


『あはは、無駄な事はしないだけよ。まさか、あの方が言っていた通り……そう、そうなのね……だから、貴方達なんだわ』


「何?」


 何かを得心した様子で紅蓮の光の玉から声が響く。


『十五年越しの来訪者。大陸からやってきた最後の騎士団。我々がこの人の形を真似た獣共を狩り尽そうと決意してからやってくるなんて……デウス・マキナのつもりなのでしょうね。我らを此処に送り込んだ者達にしてみれば』


「送り込んだ?」


『こっちの話よ。まぁ、いいわ。緑燼の騎士アインバーツ……彼の事は残念だったけれど、これで予定が繰り上がった。その神も単なる巻き込まれただけの端役に過ぎない。あわよくば、そのまま人類を滅ぼしてくれてたら楽だったんだけど、そう上手い話は無いって事ね』


「人類はまだ生きてるぜ? お優しい女騎士さんよ」


『でも、何れは消える。それが遅いか早いかの違いじゃない。大人しく滅んでくれたら助かるわ』


「残念。無理だな。オレが、オレ達が此処に、この世界に居る!!」


『……認めるわ。善導騎士団……陰陽自衛隊……あいつの騎士団が最後に来た意味。これがもしもそうであるならば、我々は……貴方達に勝つ必要があるのでしょう』


「不可能だ」


『断言する理由は?』


「その内分かるさ。手の内が分かった手品なんて興醒めだろ?」


『そうね。その通りよ……いいわ。待っているわよ。善導騎士団、陰陽自衛隊……あの始まりの都市で……でも、何もしないで待つなんて性に合わないわね。嫌がらせくらいは受けて貰おうかしら』


「性格の悪い女は嫌われるぜ?」


『これでも生身の時は引く手数多の良妻賢母のお手本みたいな女だったのよ? 私』


 フッと光の玉が消える。


 そうして、ようやく大気圏を突破した真空地点では全ての敵との全戦闘が終了したのだった。


 ドッと疲れた様子でカズマが大きく息を吐く。


 やってきたベルがその様子によく頑張ったと労うよう肩へ手を置いた。


「あんなので良かったのか?」


「ええ、腹芸が出来ないと思ってたので驚きでした。実はカズマさんて多芸ですよね?」


「褒められてる気がしねぇ。まぁ、とにかくだ。また、どっかからちょっかい出される前に全員連れて降りようぜ? 空気とか殆ど無いし、気圧も低いっつーか無いんだろ? 此処」


「はい。今は魔導で誤魔化してますけど。じゃあ、そろそろ呼んでた黒武が到着するでしょうし……力仕事お願いします」


「最後は人力ね。あいよ」


 二人の様子でルルはもう何も本当に言えなくなった。


 人類を滅ぼした悪魔。

 黙示録の四騎士を相手に決して怖気ず。

 それどころか言い返し。


 (あまつさ)え、敵から有力な情報までも引き出して見せた。


 自分と同年代くらいの二人の背中。


「て、手伝います!!」

「全員載せるのに魔術使えるか?」


「すいません。さっきの戦闘で限界です。侵食率がちょっと……黒武内で通信が繋がれば、エヴァさんに繋げて貰って医療ドローン・オペレートをお願いしたいと―――」


 少年が力尽きたようにパタリと倒れる。


「っと。ギリギリまでお疲れさん。シュルティさんだっけ? 車両が来たら、ベルを医療ブロックに突っ込んでおいてくれ」


「は、はい!! ベルディクトさん!! しっかりしてください!! 傷は浅いですよ!! 絶対!!」


 戦車が引くトレーラーの如きCP車両がやってくる。


 それに次々倒れ伏した者達が運び込まれていくのに……ただ、黙っている事も出来ず。


「シュルティ……お母様とお父様達はわたくしが……」


「……う、ぅん」


 ぎこちなくもまたルル・スパルナも動き出した。


 帰るまでが遠足。


 基地まで戻る空飛ぶ戦車が巨大な白い地平を滑り落ちていくように飛ばす姿を数分後にはオートになっていた各種のドローンが確認。


 シェルター都市に置かれたHQ内ではようやく映像や音声まで繋がった通信でカズマの報告が為され、涙を浮かべる者やガッツポーズする者、書類を放り出して喜ぶ者などが出たのだった。


 *


 ほんの数日前の事を思い出しながらカズマがシェルター都市内に新設された医療シェルターの特別室で外の景色を見やる。


 実は超長期、通常空間内をお留守にして別の空間で仕事をしていた彼の肉体は物理的精神的なストレスで疲弊していたのだ。


 結果としてその日の内にベル達を搬送した先の医療テントで倒れ、現在も一応のお休みという形で治療と称してダラダラしていた。


 此処は最上階の善導騎士団や陰陽自衛隊の幹部関係者が集められたエリアだ。


 窓の外には晴れ模様の空が広がっており、地平の先には白き山脈が雲間から首を傾げても見えない程の天空までも広がっている。


「ふぁ……ねむ」


 広い室内は12畳程もあり、寝台の横には冷蔵庫が有ってぎっしりと治療薬……ではなく、普通に超お高そうなフルーツだの甘味類と缶珈琲の類が入っている。


 カズマはジュースよりもお茶派だ。


 ついでに日本で出回り始めた大手製菓会社の菓子類……ではなくて、実は近頃気に入っているショコラティエが造るチョコレートを用いたケーキ類がホールで入っていた。


 1人で喰うには多い。

 が、数日間食べるなら問題無い量。


「さ、食うか」


 寝台横から目の前に出たサイドボードの上にPCを置いて現状の民間の状況をネットで検索していた彼は作業を終えると珈琲に少し出して常温にしておいたケーキをモクモクと喰らって満喫、日本から取り寄せて貰った漫画本の最新刊をパラパラとめくる。


 あの後の各員の事は現在も色々と同時進行している状況のせいでCICの八木に聞いても不明瞭だったのだが、どうやら最も重症なのが少年だったらしく。


 完全に汚染の影響をエヴァン先生に除去された後、本来ならば失った腕を義肢として取り付ける手術が必要なところを休止して飛び回っているとの事。


 他は全員が翌朝には目覚めたようで今は其々の用事に出向いているのだとか。


 起きた時にはルカと教官からの連絡があり、心配されてるんだか、評価されてるんだか分からない様子で一時間ほど話し込んだ。


 それも命に別状はないとの話をすれば、鈍らないように退院したら鍛えてやるとの有り難い言葉が返って来て、思わずカズマの手は通信が不明瞭だなぁとか言いながらスイッチをオフにしていた。


「それにしても片腕で仕事って、ウチのベルはマジでどうなってんだろうなぁ」


 そう呟きつつ、珈琲とケーキと漫画を交互に食うなり飲むなり見るなりしていたカズマが不意に思い出して、冷蔵庫からゴソゴソと最中アイスを取り出す。


「コレコレ、昔はチョコが入ってたってテレビで言ってたヤツ。元に戻ったとか泣いてるおっさんおばさんが大量とか。どんだけ旨いんだか」


 バリッと包みを剥がしてゴミ箱に捨てて大口で齧っ―――。


「(T_T)」


 横で白いライオンみたいな縫い包み的なアレが青白い炎が宿る尻尾の先をユラユラさせていた。


「普通に出て来るのかよ」

「……(T_T)」

「おーい。お前、喋れんだろ?」

「献上せよ(T_T)」

「……ほれ、好きにしろ」


 横に差し出した最中アイスを口で咥えて受け取った白い子獅子はそのままテクテクと歩いてカズマの寝台の後ろに潜ると音も無く気配を消した。


「アイツ……これからアイス喰う度に出て来るんじゃないだろうな?」


 そう言ってみても、もう声も気配もしない。


「はぁ、アイス喰い損ねた。ま、いいか……今度だ今度」


「マヲマヲ」

「クヲクヲ」

「あん?」


 思わずカズマが後ろを見るのを止めて自分の手前にあるPCを置きっ放しのテーブルを見れば、ケーキに左右から首を突っ込んでモクモクと頬を膨らませている白猫と黒猫がいた。


「あ、こら?! 人のもん取るなよ!? つーか、お前らもオレと同じで行方不明だったってベルが言ってたが、何してたんだ?」


「マヲ~~♪」

「クヲ~~♪」


 二匹の猫ズが虚空を見ると過去の映像らしきものが浮かび上がる。


 そこには人間らしい白い衣服を着た女性が数人。


 何やら手にオイルを手に取ってムニムニと映像の主。


 つまり、それを見ていた相手をマッサージし始めた。


 その中では白い手足や黒い手足が爪先までオイルを揉み込まれている。


「………」


 今度は柵の無い空一面のプールが映し出される。


 やはり、白と黒の猫の手足が猫掻きしており、バシャバシャと音もする。


「………」


 最後に出て来た映像内では豪勢なホテルの部屋のテーブルに御馳走が並んでいた。


 少なくともそう呼んで良いだろう多国籍料理だ。


 さすがに肉は無かったが、野菜と魚が丁寧に使われており、カレーやらパイやらは湯気を上げていた。


「……つまり、リゾートで遊んでた?」

「マヲ!? マヲヲ!!」

「クヲ!? クヲーヲ!!」


 遊んでたんじゃない!?

 接待されてたんだ!!


 と胸を張る猫ズであるが、生憎とカズマは猫語?を解さない。


「それにしても何処だ?」


 映像が続き、外を見れば、何やら巨大な塔の上だというのが分かった。


「コレ……正史塔とか言うのか?」

「マヲー」

「クヲヲー」


 そうだよーと答えた猫達はよくよく見て見れば、毛並みと艶が良い。


 サラッサラだ。


「あの場所が襲われてた時もあそこにいたのかよ……ちょっとは手伝えよな。はぁ……」


 映像が変わると今度は奇妙な樹木がビルと絡み合い。


 不思議な球体が空に浮かぶ都市の光景が目に入った。


 その都市で最も高いらしい場所から下を見下ろした後。


 二匹が1人の英国の老人らしい相手の座る座椅子の肘掛に左右から腰を下ろす。


『おお、貴方達は……御見苦しいところを見せて申し訳ない」


『マヲ~』

『クヲ~』


 老人が何やら猫ズに畏まった様子になる。


『いや、これは己が納得して行っている事。当面は出る気もありません。ですが、此処にいるとなれば、善導騎士団の方へ伝言を頼まれてはくれないでしょうか』


『マヲウ?』

『クヲゥ?』


『この老い先短い老い耄れの頼みを聞いて頂ければ……アレは―――』


「ストォオオップ!? 停止!! 一時停止!!?」

『マーヲ』


 映像が停止された。


「何でこんな重大そうな話をオレのとこに持って来るんだよ!? ご主人様に言え!?」


「マヲヲ……」


 だって、ベルは忙しいし。


「クゥーヲウ」


 暇そうなのはお前だけだったし。


 的な事を言われたのだが、やはり猫語を解さないカズマはツッコミも入れず。


「何か、このじーちゃんが重大な事を話し始める前にお前らの言葉が分かるヤツとベルを連れて来い!! オレ、お前らの言葉分かんねぇから!!」


 やれやれと肩を竦めた猫ズはカズマの言葉に頷くとテクテクと歩いて病室から退室していったのだった。


 *


「で、コレかよ」


 カズマの前には八木と神谷と明日輝とハルティーナが集められていた。


「いきなり連れて来られたのだが、何かあったのか? カズマ3尉」


「猫に転移で連れて来られるとは思わなかったぜ。つーか、謎の侵食危険生物の囲い込み業務中だったんだが?」


 その神谷の言葉にもはやカズマは土下座する勢いで顔を蒼褪めさせ、『こ、こいつらぁ……わざとオレが威圧的に出られないラインナップ選びやがったな』とピキピキしそうな顔を何とか務めて普通に保ちつつ、今までの事を説明した。


「つまり、何か重要な伝言らしい映像を突然流し始めたので誰か話が分かるヤツを呼んで来いと言ったら、我々が集められたと」


 八木にカズマが頷く。


「という事は我々には話が分かるヤツが含まれていると考えられたわけか。ふむ……後はこの子達の言葉が分かる二人。本来は騎士ベルディクトが此処にいて然るべきだが……」


「マヲゥヲ」

「クークゥヲ」


「あ、ベルさんは忙しそうだから呼んでないだそうです」


 八木に明日輝が翻訳する。


「そういうところは主人思いなのだな。使い魔というのは……」


「で、その爺さんの映像を見ればいいわけか? オレ達が」


「え、ええ」


 カズマが神谷に頷く。


「これでボケた爺の映像だったりしたら……都市1周な」


 神谷が悪い笑みでカズマを見やる。


「ひぃ?! 分かってますよ!? ええ!?」


「そう脅してやるな。仮にも我らが騎士ベルディクトがヤバイと称する猫型生物達の持って来た情報だ。重要でなければ、平穏であって良し。重要ならば、それはそれで良しとするべきだろう」


「一佐も一応、日本の防衛省と全体会議中でしたよね?」


「すいませんすいませんすいません」


 もはや、カズマが涙目で頭を下げる。


「いや、良い。陰陽自研の話で煮詰まってたところだったからな」


「煮詰まる?」


 明日輝が首を傾げる。


「いや、あの戦闘の映像と情報を見せられては……各自衛隊も本格的な武装を陰陽自研に依頼するべきだろうとの話題が持ち上がって、騎士ベルディクトに依頼しようとなってたんだが、イギリスの復興事業で忙し過ぎて今しばらく待って欲しいと諫めていて」


「大人って大変なんですね……」


 明日輝がその場で会議を主導していたのだろう八木の心労を思って今度何か差し入れを作っていこうと心に決めるのだった。


「マヲー。クヲー」


 今まで猫ズをモフモフ延ばしたり撫でたり縮めたりしていたハルティーナが言うと。


 二匹が了解とばかりに招き猫みたいに片手を上げる。


 すると、映像が再び流れ出した。


『―――結論から言おう。BFCは人類を救う気なのだ。それは死んだ人々の蘇りによって果たされる。だが、それを米国政府は戦線都市が壊滅する寸前の時期に握り潰した。方法は単純だ。彼らを皆殺しにしたのだよ』


「は?」


 思わずカズマが呟く間にも衝撃的な話がこう続けられた。


『その蘇りを行う【天門計画ヘブンズゲート・プロジェクト】に携わった人間は米国に消された。遺跡発掘調査隊や各地の内容を知っていた出資者の多くも物理的に消された』


「オイオイオイ?! これって!?」


 思わず神谷が今暴露されているのが今まで隠し通されてきた米国の秘密の核心部分だと理解して思わず目を剥く。


『米国は戦線都市壊滅に発掘された3体の頚城を使った。数年前にやって来て戦線都市がモルモットにしていた異世界からの来訪者達を騙し、戦線都市に復讐という話を持ち掛けてな』


「まさか、こんなところで秘密を聞く事になるとは……」


 八木が思わず目を細める。


『モルモットにされていた者達を救おうとしていた彼らの一部……今、黙示録の四騎士と呼ばれている者はその復讐を持ち掛けられた連中を止めようとしたが、時既に遅く……戦線都市は米国の読み通りに来訪者達からの反乱で瓦解した』


「どういうこった? BFCは消えるまで米国側じゃなかったのか?」


 カズマがその老人の話に首を傾げる。


『本来、その後もBFCの設備を用いて敵は食い止められるはずだったようなのだが、何らかの理由からそれが出来ずに飽和核で消し飛ばさざるを得なくなったようなのだ』


 老人が溜息を吐く。


『後に米国は四騎士の出現を予見して今の状況では襲われて奪われる可能性のある頚城を分散して隠し、発掘時の襲撃で四騎士に渡った頚城へ対抗する為に技術解析を続けている。いつか、アレらと同等の戦力を開発する為に……』


 その顔は何かを思い出すように細められていて。


『ビッグ・ファイア・パンデミック。ゾンビ発生の真相はそもそも戦線都市の前身機関が人間を蘇らせようとした最の実験の失敗だったと聞く。四騎士の頚城が本来揃っていれば成功していたという情報もある』


 ハルティーナが目を細め、明日輝が思わず固まる。


『だが、戦線都市は滅んでいなかった。BFCは当時、ロスアラモスの地下研究所で死者蘇生の実験を繰り返し続行していた。それが砂漠化した世界に未だあるとされるもの。影の門(シャドーゲート)と米国が呼ぶモノの真実だ……米国がこの十五年で幾度も兵を向かわせたのもその門と施設の奪取が目的だ』


 老人の口から出た言葉が如何に世界が残酷であるかを示す。


『黙示録の四騎士と背後にいる者達は恐らくBFCから奪取した門、本来死者を蘇らせる為の冥府と現世の境界たる門の先に拠点を構えている。嘗ての目的が変わっていないならば、BFCの最終目標は四騎士を駆逐して頚城を奪い、七つの頚城によるヘンブズ・ゲートの再起動と掌握。これによる数十億の人類の蘇生だ』


 老人の瞳は哀し気であったかもしれない。


『だが、それには恐らく大量の人々の死が必要だろう。オリジナルの七つの頚城の幾つかから生成した術式を用いて製造されたゾンビ達が良い例だ。彼らは周辺環境に残留する死を動力源にしてソレを消却しながらでなければ動けない。だが、それは逆に言えば、死さえあるならば、頚城はより完璧に動作するという事なのだ』


「ゾンビは不完全、なのか?」


 神谷が険しい顔で呟く。

 まるで悪夢だ。


 人を蘇らせる為に必要なのが人の死だというのだから。


『魂の無い死体が物理法則を無視してゾンビとして動くのは……頚城の術式で別の領域に格納された魂。そして、BFCが形作った術式によって外部の空間へ共に記憶されたバックアップ情報が通常空間の自分の肉体に作用しているからと考えられる』


「魂とデジタルデータ。どちらも使って人間を復活……コピペも真っ青な話か。胸糞の悪い」


 八木が思わず大きく息を吐く。


『だが、黙示録の四騎士は圧倒的なゾンビの物量を背景に人類を未だ滅ぼしもせずにいる。背後でBFCが生きている事を知っていたか。あるいはそもそもずっと争っていたか。どちらにしても、彼らはBFCとの決戦に勝つ為に何らかの計画を進めているはずだ』


 老人の言葉は重苦しいものに満ちて。


「ベルさんのレポートに書かれてあった……」


 明日輝が思い出す。

 黙示録の四騎士による巨大な儀式術。


 騎士を名乗って演じる事がそのまま魔術であるとの話を。


『これが大まかには真相だが、まだ調べても分からない事がある。黙示録の四騎士の情報を集めていた際の話だが、彼らは頚城によってゾンビと化すまでの間、この星の人間達と協力関係にあったらしい』


「マジかよ……」


『中には優しいおじさんやお姉さんだったというような情報すらある。それが今のような言動をするようになった。頚城の効果なのか。あるいは自分達の同胞への扱いに絶望したのか』


 しかし、老人は何かを確信するかのように瞳を細める。


『分からないが……何らかの人を憎むに足る別の真実を彼らが知ったのではないかと思うのだ。彼らは元々、この星の人類との共存を望み、悪辣なBFCから同胞を救って現地の支援者達と共に事実を公表するつもりだったのだからな』


「……まさか、そんな連中だったなんて……こりゃ、とんでもねぇ爆弾だな」


 思わず神谷が驚く。


『裏は取れている。当時の情報を収集した時の話だ。彼らは人格者だったと証言する者が多数だった。まぁ、彼らが今は四騎士になっているという話は誰も知らなかったがね。そして、その話を聞いた者達の多くもこの数年で戦場となった地域で死んでしまった』


「これが米国の隠していた真実、か」


 八木が瞳を険しくする。


『彼ら四騎士は自分達の同胞が実験体にされていた事も知っていた。だが、それでもその時はまだ人類側の協力者とも信頼関係があったと我々は確信している。しかし、BFCと米国による内紛。戦線都市崩壊直前の事件の後、何かが変わった……その事実の先にまだ隠された真実があると私は見ている』


 老人がようやく全てを語り終えたとばかりに猫ズを見る。


『善導騎士団。陰陽自衛隊。君達に一つ頼みたい事がある。正史塔の現責任者として……君達に塔の運営を引き継いで欲しいのだ。私は現在ゲルマニアに囚われている。だが、米国に加担した手前、米国に消された人物達の然るべき行く末を見守ろうとも思うのだ』


「まさか、この老人は正史塔から連れ去られたと報告があった……」


 八木がようやく相手の素性に思い至る。


『塔の管理は優秀な従業員達が行ってくれる。君達は彼らに指針を与え、これからの魔術師達の在り方と世界への関わり方に付いて道を示して貰えればと考えている』


「我々に正史塔を……?」


 八木が唐突な話。


 いや、今までの善導騎士団の働きからすれば、逆にそういう相手として選ばれ得るかと納得する。


『今、多くの魔術師が道を失っている。それは嘗ての世界においての科学発展に伴う衰滅とも違う。純粋に自分達のやりたかった事がもはや時代遅れだと理解する故の無力感だ。しかし』


 老人の瞳には僅かなが輝きが宿っている。


『君達は自らの行動で魔術を他者と社会の為に役立つものだと証明してきた。その君達の在り様こそ次なる世代に世界に今も生き残る術師達を連れていくものだと私は確信する』


「買い被られてますね。一佐」

「ああ、だが……」


『元々、個人的な願いの為に魔術は発展してきた。しかし、それがやがては一代では為せぬ事、大義となって一族を支えて来たのだ』


 ハルティーナがシュルティやベルから聞かされていたスパルナ家の秘密とやらを思い出す。


『だが、その大義が実質的な意味合いを喪失し、実社会内部での願いと現実の齟齬を引き起こすに至る家がこの時代少なからず出た』


「齟齬?」


 明日輝がよく変わらず僅かに呟く。


『要は百年前の願いが百年前の思考で動作していては現代において大義足り得ない。遠くの人と会話したいとの願いを叶える魔術は今や単なる通信技術だ。今の世の中、その為に人を犠牲にしたりはしないだろう? そういった時代遅れさが、多くの魔術の発展の大義として使われてきた犠牲を許容出来なくなった社会において、我々を単なる時代錯誤な狂人、いやそれ以下としたのだ』


 ハルティーナが大陸における魔導師と魔術師の関係みたいなものだろうと理解して何も言わず。


『今、道を失ってしまった同胞達に大義と道を示し続ける事は旧いパラダイムである老人の仕事ではない。君達のような力強い活力に満ちた意見を紡ぐ若者達の特権だ』


 老人が椅子から立ち上がり、頭を下げる。


『異世界からの来訪者。原初の大陸より来たりし者達よ。君達の同胞に残酷な仕打ちをした者の1人である私の言葉を身勝手な願いだと思うかもしれない。それを承知で君達に頼みたい』


「頼み?」


『どうか、我々人類の……愚かの代償である滅びを……止めてくれ。その為の鍵は北極、南極、ユーラシア中央の古代遺跡。そして、ニューヨークにある……』


「ニューヨーク? あそこって今も米国が報道規制とか情報統制しててどうなってるかあんま分かんないんだよな。確か……」


 カズマが陸自時代のテストの答案内容を思い浮かべる。


『もし到達出来た上で君達が全ての頚城を回収したならば、その時はこの世界の救い方を教えよう。BFC、米国、魔族、そのどれとも違う第四の選択肢を……』


 彼らの前で映像が終わる。


 すると、猫ズが欠伸をしてカズマの寝台の枕の左右に丸まって寝入り始めた。


「……何かトンデモナイ事になりましたね。一佐」


「結果的にこの人選は正しかったな。さっそく騎士ベルディクトへ報告しに行こう。ご苦労だった。カズマ3尉。また、その使い魔達から何かあったら呼んでくれ」


「は、はい」


 思わず敬礼したカズマの前からゾロゾロと大人組が退場する。


「ぁ~~焦った~~はふぅ」


 ようやく緩んだ空気に少年がヘニャッと目の前のテーブルに倒れ伏す。


「ええと、カズマさん。しばらくは安静なんですよね?」


「ん? ああ、まだ2日くらいはって医者。エヴァン先生に言われてる」


「それじゃあ、後で差し入れ持ってきますね」


「え? 結構、喰い過ぎで太りそうなんだけど、明日輝ちゃんの飛び切りの差し入れじゃ受け入れざるを得ねぇ……太るなオレ」


「すぐに片世さんとの訓練で減りますよ」


「はは、違いない」


 明日輝と談笑する様子のカズマに大丈夫そうだとハルティーナが眠そうな猫ズを回収して両手に抱え、頭を下げてから病室を後にする。


 通路を歩く途中、二匹は目をショボショボさせていた。


「……疲れているようですね。今まで何をしていたのか報告を」


「まをー……」

「くをー……」


 ウトウトしながらも猫達がハルティーナの脳裏に情報を送り込む。


 血縁関係にある使い魔からの情報の受け取りはヒューリなども出来るはずなのだが、基本的な資質というのが足りないのか。


 ハルティーナの方が感応能力は高かった。


「ん……」


 ズッと意識が水底に引き込まれていく感覚。


 すぐに彼女は其処が現実にある場所の何処かだと理解した。


 摩天楼。


 そう呼ぶに相応しいビル群が乱立しながらも道路にはゴミが散乱し、あちこちに死体の残骸が骨だけ残った都市。


 よく見れば、ビルも汚れており、廃墟だと分かるだろう。


(……先程の話にあった都市?)


 東京にも負けず劣らずの都会の成れの果て。

 正しく、ソレはニューヨーク市街地だった。


 だが、何故猫ズがそんな場所の記憶を持っているのか。


 首を傾げた彼女は都市を俯瞰する視点がグッと引き寄せられるのを感じて流されるままに見る。


 視点が移動していくと大きな公園が見えた。


 その最中。


 幾つもの死体がそのまま放置されて骨と化している芝生の最中。


 ハッチのようなものを確認する。

 視点がそのハッチの下へと潜る。

 梯子を下った先。

 薄汚れた格好をした軍服らしい衣服の男達が二人。

 梯子の前で扉を背後に小銃を持って歩哨に立っている。


 その先、二層、三層と扉がある先の通路へと視点が移動すると。


 最後には地下に広大な空間を持つ壁面と断崖が隣り合わせで粗末なバラック小屋の素材を使ったかのような梯子が大量に掛けられた世界が見えて来る。


 まるで鍵穴の壁面に住んでいるかのような錯覚。


 灯りは最小限度だが、間接照明が用いられているせいか。


 太陽程明るくはないが、温かみのある薄暗さというくらいの光量があった。


 その奥の奥。

 崩れ掛けた一角がある。


 真新しい事故現場のような場所には数十mはあるだろう槍のような物体の切っ先が外側から内部に突き刺さるようにして出ている。


 その周囲には七つの剣が突き立つ丘の紋章が掲げられた幕屋が複数設営されており、その周囲には大勢の病人や怪我人らしき人々が足の踏み場も無さそうな様子で寝かされていた。


「ッ」


 意識を引き戻そうとする少女の視界にはまた別の風景が幾つも割り込む。


 地下の坑道と思われる場所の奥にある聖堂。

 その最中にあるテントの群れ。

 大きな窪地。


 カルデラのような場所に置かれた鉄条網の先にある村。


 白い雪と氷に閉ざされた世界に未だ厳然とある基地のような施設。


 あらゆる場所に人の姿があった。


 そして、猫の視点は最後に平原の上に在り、その草花が生い茂る世界の中央に白い鎧が寝転んで大の字になっていたところで終了する。


「……ベル様に教えないと。でも、どうして疲れて?」


 怪訝な顔になるハルティーナが猫ズを見やる。


 だが、二匹はまるで答える気も無さそうに欠伸をしてモニャモニャと口元を蠢かせるのみ。


 人知れず戦う猫達の話は未だ母たる少女にも把握し切れぬものらしかった。


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