第157話「抗う者達の夕暮れ」
黄昏程に胸を打つ光景もそう無いだろう。
悠久の時を超え。
確かに人類の多くが共有出来る事の一つは夕暮れへの感慨だ。
崩壊したパリの鉄塔の上で彼女は1人黄昏ている。
ゲルマニア。
そう呼ばれる国にて若くして一軍を司る者。
軍事の申し子と仲間や弟妹達より呼ばれたのはこの数年。
父親に認められた兄弟姉妹達は数在れど。
不良娘と呼ばれるのは彼女や一部の者達くらいだ。
「………」
暮れ泥む廃墟の最中。
立ち上がれば、埃すら舞いそうな傾いだ鉄骨の上。
彼女はイギリス方面から垂れ込め始めた暗雲を目にして自らの唯一の好敵手と思えた女を思い出していた。
そう、それは偶然の出会い……では無かった。
イギリス唯一の戦える魔術師として海上に出ていた彼女に接触したのは人柄を知っておくべきだと思ったからだ。
いつか、自分の敵として倒さねばならないに違いない相手。
ならば、初めて殺す人間の顔くらいは見ておきたかった。
そう、それだけの事であった。
その為だけに国の外に出掛けた彼女を姉妹達は見咎めなかった。
一軍の将に成ろうと言う者が自らを危険に晒すなど論外。
だが、彼らは何処まで言っても滅び掛けた人類に嫌味と皮肉を言う為だけに生まれた存在であって、諧謔も嗜む感情剥き出しな激情家の集まりみたいなものだ。
そうでなくてどうして人類を滅ぼすのも厭わないような事を平然と行えるものか。
殆どの弟妹達は彼女達程に戦争や政治や外交というものを分かっていない為、然して問題にもならなかった。
ゲルマニアはそういう意味で言うならば、遠大で超大な御遊戯をする母亡き子らの学び舎。
あるいは家と言ってもよい。
彼らの父の怨讐を果たす為の道具にして、その後を白紙で渡された完全無欠の迷子だ。
三姉妹。
血統的には母の子である以外に父親とは何ら遺伝関係の無い彼女達三人が実質的な決定権を握るごっこ遊び。
ちょっと、他国を地図から消せるだけの実力がある。
それが普通の家庭でやるママゴトとは違うというだけだ。
「……お前が死んで、私の決意は宙に浮いた。此処から先は我々次第。もうお父上様は何も指示しては下さらない。ならば、どうするべきか。お前なら……遭難者と私を思って手厚く保護したお前なら……迷わずに行動を起こしたのか」
黒き箱の女。
あらゆる事象を箱から引き出し、彼女が秘密裡に用意した困難を、試練を強引に突破して尚、不適に彼女に笑みを浮かべて見せた女。
お嬢様かと思えば、殴り合いとて辞さない彼女はもういない。
『決まったかしら?』
「……グレ姉様」
彼女の横に小さな半透明の小窓が開いた。
映像が転送されて投影されている。
彼女が唯一自分よりも上だと認めても良いと思える人物。
四肢無き淑女。
グレースと呼ばれる姉を前にしてアシェンが顔を向けた。
『まだ悩んでいるの? 言ったでしょうお父様は……好きになさい。それが許される立場で許される状況なのだから……』
「人は指針無き時、無力なものです」
『また、そんな世捨て人みたいな事を言って……哲学の本なんて薦めなきゃ良かったわね』
「いえ、為になりました。人の世が今よりも過酷だった時代があった。そして、そんな時にも人は決して考える事を止めなかった……」
『では、決まったの?』
「悩むのは少しの間だけでいい。これより個人的な休暇を取らせて頂きたい」
『それは内政を司る我が領分だ』
映像に割り込んで来たのは三姉妹の1人。
少年のような少女。
ディートリッヒだった。
「休暇申請だ。陰謀屋」
『酷い言われようだ。まったく、それが休暇を出してやろうと忙しい中、わざわざ連絡してやった恩人に言う言葉か?』
「お前に恩を売られるようでは私もお終いだな」
『フン。行って来い。こちらはこちらで米国のネットワークのハッキングが忙しい。BFC関連の情報を引っこ抜くにはまだ時間が掛かる。土産くらいは期待しよう』
「……行って来ます。グレ姉様」
『好きになさい。お土産は……紅茶とフィッシュ&チップスでいいですよ。フフ』
「もう都市は残ってないでしょうが、連中の缶詰を幾らか失敬してきましょう」
『あら、ちゃんと払って来てね?』
「そうします。お父上様には明後日まで帰らないと」
『はいはい。もうそろそろ夕食ですから、言っておきましょう。アシェン……私の可愛い妹……その道行にどうか栄光があるように』
そっと植物の根らしきものが手のような祈りの形を組み上げた。
鉄塔が揺れる。
それは下からせり上がって来るモノがあるからだ。
虚空を上昇して来たのは20m程の小型艇。
白銀の舟艇は鋭利な聖剣にも未来的なクルーザーにも潜水艦にも見える。
流線形ではあるが、湾曲した側面から後方へ突き出す翼染みた機関は鳥のようにしなやかな連動を見せてファサファサと滞空中の姿勢制御を行っていた。
空飛ぶ船は何も要塞だけではない。
大陸より流れ着いた要塞内部にはそれこそ山の如く物資が満載されていた。
それもその一つ。
まぁ、無限に駆動する代物である。
大陸最高の軍事組織にして宗教組織。
七教会謹製の小型艇は主が船首から歩いて中央に向かうまでに進路を変え、イギリス方面へとゆるりと加速し始めた。
中央部で振り返って仁王立ちの彼女は少しずつ近付いてくる結界の気配に目を細めながら、片手を軽く下に振る。
すると、手の中にはいつの間にかソードブレイカー。
櫛型の刃を持つ剣が握られていた。
しかし、それもすぐに再び手が振られる瞬間には別の剣になっていた。
瞬間的な変質の間に起こった事象はよく確認出来ない。
転移の類か。
あるいは一本の刃が変化しているのか。
今度は船と同じ白銀の刃。
まるで船を模したかのような同じような形のソレが握られており、その切っ先がイギリスへ向けられ。
「束の間の余暇と洒落込もうか」
船艇が加速する。
それはあっという間に音速域に到達するが、上にいる彼女は微動だにせず。
風や慣性の影響も受けている様子は無かった。
だが、一瞬だけ動きがある。
彼女の剣がイギリス方面に振り下ろされた。
瞬間、数百キロ先で奇妙な出来事が起こる。
今にも防御陣地に肉槍を投擲しようとしていた巨人が真っ二つになって左右に開きとなって倒れ込んだ。
どうせすぐに再生する。
そう思われたが、その様子もなく。
急速に生気を失い始めると萎んで枯死する植物のように黒ずんでいった。
最後には炭化したかのような状態となって燃え上がる。
呆然とする陣地転換中の兵士達が車両で後方へと更に下がる間にも次々とイギリス南部で巨人達が同じような状態になっていった。
「こんなものか」
未だ到達しない船の上。
彼女は振っていた剣が輝きを増して燐光を零していくのを横目に剣を船の中央に突き刺して、手を置いたまま……まだ見ぬ大地の先を見据える。
参戦するわけでもなければ、救うわけでもない。
あくまで見に行くだけだ。
それに邪魔そうなのを斬っただけ。
そう、言い訳染みた事を内心で思いながら、瞳は遥か遠く。
アイルランドの北部へと向いていた。
*
嘗て、人形に命を宿した術者は言った。
この文字列は修辞でも字句でもない。
ならば、何なのですかと弟子は訊ねた。
それに術師は微笑み語らず。
しかし、そっと草花を指した。
「………」
大陸の魔術師。
特に死体や死霊、魂魄を扱う大系の者達に伝わる家伝。
その一つは他の例示される多くの暗喩と同じく。
命と死を刻む意味を問う。
「………」
同時にその深奥に付いても語るだろう。
死を憂うものに死を扱う資格無し。
死を敬わぬものに死を手に取る資格無し。
命を贖えぬと知らぬものに死の技を知る資格無し。
命を尊べぬものに死の智を得る資格無し。
「………」
誰もが常には忘れているもの。
少年が見続けて来たもの。
他が為にこそ本来その力は有るべきだった。
その点で彼の祖父と両親は大魔術師であり、1流ではあっても資格は無かった。
それは当人達が語っていた事だった。
そう、死の本質とは事象として散逸や停止以上に人にとっての概念であり、その人を蔑ろにしては成り立たないものでもあった。
死に名前を付けたのは大陸において人類種だった。
そう、異種達が大陸を統治していた時代にもソレはあったが、明確な定義は無かった。
それに初めて死という概念が付与されたのは人という生き物がいたからだ。
故に人が定義する概念の中で3つだけが宇宙を変えた。
それは存在の本質とされた命という事象。
それは知的生命が爆発的に増える切っ掛けたる愛という事象。
それは全てのものに等しく振り落ちる死という事象。
命を紡ぎ、愛を手に、死を迎える。
これこそが人であり、人が導き出した三大概念。
その最後に手を伸ばした家において魔術を学んだ少年は今こそ思う。
死が溢れ過ぎた坩堝。
世界は変わらずとも人には終焉であろう。
そんな星の上で手を伸ばす。
(僕には死を超越する事が出来ない。いや、超越する必要なんて無いんだ。誰にも……例え、神であろうとも……死は終わりじゃない……それが今の僕には解る……)
―――【 他が為に散りゆくか 】
(敵はいない。敵は……全てを見つめて……身を投げ出して……手を伸ばして……)
―――【 散ったものを胸にせよ 】
(幸福が命や愛にしかないと誰が決めた……そんなの……僕達の思い一つでしかない……)
―――【 笑みは遠くに在りて 】
(辿り着く必要はない……感情のまま……死んで生きて愛すれば……それが僕の……)
―――【 我は征かんと立ち 】
玉座があった。
崩れ掛けた粗末な代物。
石製のそれに座る者が1人。
少年は彼を前にして1人。
「 迷い子よ。 それがお前の想いか 」
「ようやく。会えましたね。今までずっとあの術式の発動中は感じていた……視線は貴方のものだったんですね」
陰りの中にいる相手の姿は見えない。
しかし、その瞳だけは少年にも見えた。
それは自分と同じだったから。
「 女神のように笑みを浮かべる女の夢を見た 」
「?」
「 黄昏に己の欲望の果てを見た 」
「………」
「 逆境を知り、反逆しもした 」
「貴方は……」
「 展望はあるか? 矜持を賭ける度胸は? 」
少年の前で瞳が細められる。
「 只人よ。 であればこそ―――」
その手が粗末な剣を少年の前に投げ捨てる。
「 運命亡き今、それでもお前が望むなら 」
少年を前にしてソレは目を閉じた。
「 決断せよ。 頚城を断ち切れ。 この世界の中心を 」
少年が振り向く。
其処には2人の少女がいた。
1人はフィクシー。
1人はヒューリ。
「どういう意味ですか?」
「 何れ解る。 何れ、な 救う為にこそ潜ったのだろう? 」
魂魄論。
大陸において魂の在処とは己の力の在処である。
力とは即ち自らの可能性。
そして、己の原点。
死から魔力を汲み上げ続けた少年は今、その深奥に踏み込む程に成長していた。
バーン家の魔術は陰陽自研の成果によって使う事が殆どなくなっていたとしても、その成果を十全に使う為に今人類生存圏で使われる9割以上の魔力を賄う少年は死の魔力との親和性を限界以上に引き出し続けて来た。
その結果は正しく自らの原初にある男に辿り着く程のものであった。
「……死の王。僕には一つ信条があるんです」
「 ほう? 」
少年が振り向いた男を前にして不敵とも違う。
そう自然体で笑んでいた。
「僕は全てを救えないと知ってます。でも、それでも救い尽すと決めた方が極めし術。魔導の徒でもあります。だから」
少年は手を伸ばす。
いや、差し出した。
「僕はこの手を差し出します」
「………………………」
その陰りの中。
男は何処か愉快げな唇を緩やかに曲げて。
「 野望も無く。 剣を望まず。 しかし、手は差し出す、か…… 」
「はい。僕に後ろの二人が教えてくれた事です」
少年が笑む。
それは昔よりもまた少し強いのかもしれない。
「 それは王の在り方ではないかもしれん。 だが、此処に新たな選択は為された。 人の世が大宇にある限り、死は滅ばず。 そして――― 」
男の姿が消える。
男の玉座が砕けていく。
だが、再び。
また、再び。
そう唱えるかの如く。
ソレら全てが小さな輝く球体となった。
少年は自らの胸元に近付いて止まった小さな宝玉の如き鋼の玉を見やる。
「これは……今、陰陽自研で造ってる……」
―――【 覚えておけ。 奇跡は無い。 そう、この世界に奇跡は“亡い”のだ 】
少年の瞳に最終試験中のブラックホール・エンジンと核融合炉の複合機が大きく映っていた。
【自立再生自在核種変換重力反応融合炉心】
通称ST。
超重力崩壊による物質のエネルギー生成機構。
超小型化に成功した超重元素を用いる核融合機構。
ディミスリルと魔力によってあらゆる物理量を創出し、封じ込める炉心機構。
全ての要素を複合した科学と魔術が用いられた初めての無限機関。
ソレが少年の前で淡く光ると彼の脳裏に流れ込むのは実験室の風景。
最終調整の瞬間だった。
間に合わせた男達の最後の稼働データの収集と補正プログラムの猛烈なタイピングが為される小部屋から炉心の輝きが見えた。
猶予が無い為、もしもの時には空間毎破棄しろという乱暴な防御機構がある地下最終層での稼働実験が実行中。
しかし、その機材が次々にレッドアラートに染まっていく。
暴走。
此処まで来て急いだツケを払う事になるのか。
臨界阻止は最後まで試みられたが、男達の必死の形相も空しく。
球体は輝く何かと化して全てを白く染め―――その場から消えていた
「……奇跡じゃない。だとすれば、何なんでしょうか?」
少年は訊ねる。
だが、答えは無かった。
「ありがとうございます」
少年はそう感謝を告げて、自らの胸に掴み取った炉心を……押し込んだ。
*
千切れ飛ぶ胴体。
舞い上がる四肢。
血風の最中。
確かに神の欠片は足止めされていた。
巨大な図体を生かした攻撃は正しく暴威。
物理精神問わずの侵食能力と合わせて超音速越えの機動能力に回避能力。
ついでに攻撃力もお高い。
そんなのを前にしてアイルランドとイギリスの軍警察の人員達は良く持ち堪えていただろう。
千切れ飛ぶ仲間を次々に後方の部隊に任せて、胴体や四肢が無くても死ねない体にされた事を心底に恨むべきか恨まざるべきか悩みながら。
『(侵食部位を即時切除。保護―――頭部酸素濃度維持)』
『(心臓、肺の3分の1を緊急破壊―――侵食進行遅延―――頭部保護、頸部より下を切断―――)』
『(左腕再生まで残り32秒―――装甲破損―――後方退避―――黒武内で武装再取得即出撃―――23秒)』
敵を押し留めるのに一分数十人。
今、数百人が犠牲になって尚、彼らの意気は途絶えない。
彼らに合流するべく追い掛けて来た隷下部隊の殆どが動き出した砲撃型の奇襲。
微粒子タイプとなったソレによって装甲を侵食され、通常よりも更に動きを鈍らされ、焼いても焼いても装甲を侵食されて身動きを取れなくされていたとしても、彼らは……怯まなかった。
泣きも喚きもしなかった。
隷下部隊が全ての微粒子を焼却して駆け付けるには最低2時間。
だが、その前に半死状態でようやく築いた人垣が崩れるのは確定的。
もはや、これまで……なんて言葉は無かった。
例え、その巨椀に胴体の半分を消し飛ばされようと。
例え、四肢が触手で貫き抉り飛ばされようとも。
対侵食能力に関する機能は十全に働き。
彼らの脊椎付近や首筋に仕込まれたMHペンダントは即死級のダメージを受けた刹那にその断面部分を切り捨て、それ以外を保護する。
心臓が破壊されたとしても血液に関しては脳内のものを常に内部だけで術式によって酸素を供給する方式が採られていた為、極論……首だけになってもスーツと装甲が全壊せず傍にある限りは死なないし、魔力で応戦が可能だ。
『まだまだ行けるぞ!! 首から上が残っていればなぁ!!』
『後方からの牽制に回れぇ!! 侵食率が高い者は後方で切除と再生を!!』
『痛覚遮断機能が無かったら、100回は死んでるな。はは』
彼らの脳裏と魂と遺伝子に刷り込まれた新たなる力。
レベル創薬は言っている。
敵は自分達を万人集めても勝てない能力。
だが、決して彼らの背後の者達が勝てない敵ではない。
此処に来て神の欠片側が人間臭い戦術を取り始めた事で逆に非人間的な化け物染みた強さを戦術的な優位で生かせなくなっていた。
もし通常の数で攻めてきたならば、彼らは到底……背後のシェルター都市を護り切れず、時間稼ぎに失敗していたのだろう。
天候状態。
遠距離攻撃。
分散進撃。
戦力の巨大化。
どれもこれも人間が使ってきたものばかりだ。
天地を見る知将がいたろうし、弓矢から銃まで世界のトレンドは未だに遠距離から相手を殺すのに余念が無いものであり、散兵戦術で砲爆撃の隙間から陣地へと浸透し、戦車による巨大な衝撃力が人類の陸上戦力でなら最強だった。
このような人が辿って来た道をなぞる敵はしかしだからこそ、戦術というものを戦術で押し返されるという事実を前に立ち止まらざるを得なくなっていた。
彼ら軍警察の人員の戦い方はたった一つ。
今まで化け物達が行ってきた戦術。
消耗戦、であった。
ただし、未だ生死不明レベルの傷を負いながら死んだ者はいない。
腕が千切れた程度ならば、即座に後方で回復されて、僅かな部分部分の細胞の寿命と引き換えにして戦線復帰を果たす程だ。
頭部への直撃さえなければ、何とか胴体を真っ二つにされようが、心臓を砕かれようが生きていられるという再生能力は人間から確実に外れている。
だが、それでも戦い続ける彼らの目に絶望は無い。
血の染みになった自分の胴体や手足を気にして戦う者はいない。
背後で何が起こっているか。
彼らは知っていたから。
『彼らは勝つだろう!!』
『我々が稼いだ時間は無駄じゃない!!』
『一分一秒でも留め切れ!! それが勝利の鍵だ!!』
『此処にはまだ希望がある!! オレ達の、オレ達の故郷の希望が!!』
『魔力を絞り尽せ!! 相手を威嚇しろ!! 我々こそが希望を護る壁だ!!』
もはやじれったくなったかのように20m級が人員達の雄叫びに呼応するかのように咆哮した。
その音圧はもはや暴力。
しかも、振動という点では兵器。
次々に吹き飛ばされた者達に超絶の秒間数千万回の超高周波によって砂塵や瓦礫の破片が全てを切り裂く全方位への広範囲爆発となって降り注ぐ。
摩擦を減らす塗装は剥ぎ取られ。
通常の砲弾なら何万発直撃しようと耐えるだろう盾は凹み。
盾と装甲を前面に押し出して耐え切っても明らかに威力と規模が桁外れなのは見るまでもなく彼らの身体が体感した。
その鎧も盾も今やベコベコで破砕されて歪んでいる。
部位毎の破壊だけではない。
侵食部位の保護中であった者にも攻撃は襲い掛かり、更に多数の肉片と変わらない程の状態になった者もいたが、頭部だけは死守する方式である少年の鎧は未だ彼らの意思の在処だけは侵食から護り切っていた。
それと同時に魔力はほぼ枯渇に近い程に消耗。
至近にいた者達は盾を翳して尚、その背後で付ける膝があれば、良い方という状態で全身の真皮までもグズグズに分解されていた。
爆発的な高周波はあらゆる物体を崩壊させるのみならず。
周辺の大気を歪めて気圧の大変動を引き起こす程であり、彼らのいる空間は歪んだ陽炎のように魔力の影響を受けながら揺れていた。
そんな彼らが立て直し、再集結するより早く。
その巨大な脚が跳躍。
一瞬の隙を付いて人員の壁を突破する。
『抜けられたぁ?! 直ちに追撃!?』
『今度はオレらが、ゾン、ビ、じょうたい、かよ……クッ……』
もはやこれで相手となる者は無い。
包囲さえされていなければ、脚を生かして動き回る事で敵を混乱させながら消耗させていく事が出来る。
少なからず、そうなるだろう。
―――彼らの護りし希望が目覚めなかったならば。
夕暮れ時は当に過ぎ。
宵闇が空に迫る頃合い。
紫雲がたなびき。
彼らはいつの間にか。
本当にいつの間にか自分達の見る限りの空が緑色ではなく。
黄色い月も浮かんでいない事に気付く。
『来てくれた……か』
崩れ落ちそうになった左半身の削れた男が呟く。
彼らの視線の先。
突破したはずの敵が立ち止まっていた。
その目の前には自分の半分程。
12mの巨人が2体。
虚空に浮いている。
そうだ。
球体状の燐光で形作られた半透明の結界に包まれていた。
その色合いは彼女達の魔力転化光のパーソナルカラーと機体の色を宿して黄昏と紫黒。
まったく同じように見える機体は装甲が極めて分厚く。
しかし、幾つもの装具を身に着けた魔術師。
否、祭司を思わせた。
防備は全ての無限者の中で最高の代物だろう。
外套状の装甲は首筋から顎までも包み込み。
肩から下は装甲越しでも解る程に威圧感を放っている。
最初から攻撃の回避や機動力は一切考えていない耐久性と継続戦闘能力のみに特化された二機の無限者は動かない限り、石像にも見えるかもしれない。
だが、敵もまた虚空に静止した二体と同様に地表で止まっている。
動けずにいる。
「みんな、ありがとうね」
「皆さん。後は私達に任せて下さい」
最も演習量が少なかった姉妹達はこうして先陣を切ったのだった。
*
―――ガリオス創成期1年目【-授業の時間-】
「つまりだ。孫娘殿。魔王の血統ってのは単純には酷界の文系。ついでに言えば、あっちで増え過ぎた血統種の棄民政策の先導者達なわけだ」
「ほうほう?」
大陸中央南部。
何処からやってきた集団に占拠され、新たに建国された国家ガリオス。
この新興国家では急激な復興が行われていた。
首都以外は無事だった為、民衆は流通を握って関税を操作する事で莫大な富を生んで来た南部の要衝が昔と変わらぬ商売をしてくれている事に安堵したし、逆に関税を限定的に撤廃するというお触れが出た時には大きな期待を寄せて為政者の挿げ替えには左程の異論は出なかった。
大規模なギルドや商会は現地で一定以上の人員を雇い入れて給料を支払っている限りは完全に関税を免除。
小規模な者達も国営の仕事を請け負う限りは免除。
そうやって次々に燃えた首都には商会やギルドが乱立し、新たな国王を商売上手なものだと誉めそやしたが、その当人を見た事のある者はおらず。
再建中の城の中央部地下。
無事だった基礎施設の一角ではその当事者が面倒な仕事を部下に投げて、可愛い孫娘に教師役として幾つもの叡智を授けている途中であった。
教室は広い講堂だ。
元々は教会用の設備だったらしいが、今は教会のレリーフは取り外され、品の良さそうな飴色の床と机と黒板だけが物言わぬまま窓から降り注ぐ偽の陽光の下で二人切りの教師と生徒を照らし出している。
「棄民か。御爺様も文系だと」
リスティア。
そう呼ばれる当代中央随一の美少女と囁かれた当人は机の上に頬杖を付いて、彼女の祖父がそんな文官みたいなやつだろうかと首を傾げていた。
「オレは召喚魔術系統が上手いわけで納得だろう?」
「……脅迫魔術の間違いじゃろ。持って来る連中がみんな御爺様に弱みを握られておったとかでえげつない感じに働かせられとったし、というか今も……」
王宮内部ではあるが、煌びやかな衣装など身に付けもせず。
上等だが、仕立てが良いくらいのワイシャツに黒のスカートを纏ったリスティアがこの数か月、王宮内で悲鳴を上げながら無限のように積み上がる仕事をさせられている魔族達の事を思った。
「話が逸れる。とにかくだ。オレはそう大したもんじゃない。所詮は小国の副宰相止まりだ。だが、血統的には三血統の黄金比に近い自覚がある」
「三血統の黄金比?」
「人間、魔族、異種の血を全て受け継いでる良いとこ取りの存在に近いって事だ」
「……では、ワシも?」
「ああ、お前は黄金比の上澄み層だ」
「上澄み……」
「最初に魔族と異種が存在した。表の世界である大陸を異種が、裏の世界である酷界を魔族が其々の頂点存在によって治めた。しかし、人類が登場して混血者が出ると異種との混血者は人類種や亜人、魔族との混血は血族種となった」
「ふむふむ」
「そして、その二つが交じり合う事で生まれるのが黄金比の連中だ。異種との混血はこちらでも起きてるし、この数十万年程度で世代交代を含めて、爆発的に血族種の大半もソレになった」
「ほうほう?」
「だが、ピンキリが激しい。高位魔族の数が圧倒的に多い血族種が他の魔族の二系統。自生者や大母子とか色々な総称で呼ばれる数人から数千人しかいないような連中と拮抗しているのは単純に数や総量が増えても質的に超えられない壁があるせいだ」
「成程。つまり、ピンが少な過ぎると」
「そういう事だ。だが、黄金比に近い存在はそいつらに肉薄、同等になれる可能性のある間違いなく強力な存在だ。そういう連中が今の血族種の上に立つ連中でもある」
「でも、協力は出来ないと」
「群雄割拠の戦国乱世だからな。仕方ない。総数と血統的に見れば、内輪揉めで大分戦力を削られてるが、それは逆に血統の淘汰も行う事で種族的には短時間で強くなってると言っていい」
「短期的には欠点だが、長期的には利点になると?」
「そういう事だ。元々オレの血統は小国の中でも最上位クラスだ。何せ大国の王族からの血と自生者、大母子の血が7、8人分流れて淘汰済みだからな」
「……こちらで言うところの凄い良いところのお坊ちゃん?」
「言い方」
「良いではないか。御爺様が良いとこのボンボンだから、こんなにかわゆい孫娘に恵まれたのであろう?」
「自分で言うな。自分で……はぁ、続けるぞ」
「あいあい」
教師役の王様は孫娘を前にして黒板にカリカリと白いチョークを奔らせる。
「でも、オレはそういう血統には恵まれてるが、個体としては連中から見て劣等だ。主に空間制御系統の一部。契約者を召喚する魔術だけが取り柄だからな。基礎的な部分でも星を砕ける程の力すら無い。大国の高位武官にも劣る。人間の血が濃いらしい」
「高位武官クラスでもう惑星が破壊出来るのかや? 主神クラスの神々が酷界と激突しても勝ち目は無さそうじゃな」
「当たり前だろう。こっちの神ってのは殆ど異種の始祖や魔族の始祖連中よりも歴史が浅い。強さもオレに翻弄される程度の小粒ばかりだしな。ま、そのオレは三極会議のお歴々にしてみれば、ゴミみたいなもんだが……」
「……御爺様より強い者を見た事が無いのだが」
「こちらにいるのは棄民だと言ったろ? 重要戦力を大陸に流出させてる余力があるとでも?」
「ああ、そういう」
「強さなんてもんは相対的だ。意味が有って派遣されてくる高位の武官連中はそもそも大陸を消し飛ばしたくて来るわけじゃない。俗世の些事なんぞに付き合う事も無い」
「つまり、些事に付き合ってくれる奇特な御爺様みたいな連中しかいないと」
「オレがあいつと出会った頃も大陸中央で最強を気取れる連中の大半は時代に取り残された中位魔族の成れの果てとか。太古の異種の生き残りとか。三極会議からの使者とかしかいなかったな」
「それ主要各国とかウチの重鎮連中じゃろ? まだ存命ばかりな気が……」
「主神、中級神格クラスはいたが、殆ど高位連中と戦える程じゃない。だから、中央の戦術や戦略が成り立ってたって部分もある」
「ふぅむ(`|ω|´)」
「それにこちら側の頂点存在連中も参加する【聖杯委員会】の目もある。後、稀に酷界の最上位クラスに匹敵するヤツがママゴトみたいに国家経営してたり、神様の皮を被って小さな集落や教団を使って遊んでたりもしてたな」
「……大陸は高位者の遊び場かや?」
「そういう事だ。大陸は大事にされてるんだよ。色々な連中からな。そう……愛されてると言っていい」
「嫌な話じゃ。それで人がバンバン死ぬんじゃろ?」
「全部、滅ぶよりはマシと考えておけ。それに人類がその最上位連中を唸らせる存在である事もな。愛って概念を産み出したのは伊達じゃない。種族単位で言えば、力でこそ劣るが精神的な優越で拮抗以上に勝ってはいるんだ」
「政治は難しいのう」
「また話が逸れたな。ちなみに人間の血統が最も種族としては最強だ」
「なぬ?」
「何故かと言えば、他の種族よりも明らかに子孫へ強く遺伝する。だから、どんなに強い種族の血脈も人間、今は人類種との混血で薄まる」
「子孫繁栄の能力だけは高いと」
「ああ。そして、その中に時折現れるようになるのが、人間の血が薄い種族としては劣等であるが、黄金比として純度の高い連中だ。お前はオレとあいつの子供の子供。人間としての比率が薄くて低いからこそ、逆に黄金比に近付く存在なわけだ」
「では、御爺様の血統の中には何れワシ以外にも黄金比に近い存在も生まれて来ると?」
「いつかな。何世代掛かるかは分からないが、隔世遺伝的には1000年要らないとオレは見てる。高位魔族にしてみれば、千年なんて1日、10日、1ヵ月、1年ちょいくらいの感覚だな」
「……どうして、そんな事をワシに?」
「お前の家族が出来た時、色々知っておいた方がいいだろ?」
「それはまぁ……」
「実際、その時の為に用意はさせるからな。で、それはそれとして……本当のところどうなんだ。青瓢箪呼ばわりしてるあいつとの事は……」
「な―――デリカシー0か!? それにワシは御爺様一筋じゃ!!」
「お前なぁ。あっちは本気だろう。どう考えても」
「フ、フン!! どうせ、ワシが大きくなったら興味無くすじゃろ!! 魔族の時間感覚なら一瞬じゃ!! そうすれば、あの青瓢箪もきっと諦め―――」
「姫殿下」
「うお?!」
リスティアが横から突如として響いた声に仰け反る。
其処にはいつも蒼い礼服を嗜む魔族の青年がいた。
「お昼の時間です」
「お、驚かすな!? ワシの心臓の寿命が十秒くらい縮まったぞ!?」
「申し訳ありませんでした。では、参りましょう」
「あ、ちょ―――」
リスティアがヒョイと背後から脇を持たれて席から引き上げられるとフヨフヨと浮かせられて講堂の外に続く扉へと進んでいく。
「は~な~せ~この青瓢箪!!? ワシは自分で歩くのじゃぁ~~?!!」
「そう言われて先日は逃げ出されたのですが」
「ちょっと花を摘みに行ってただけじゃぁ~~」
「花を摘みに行くのに城下の甘味処で買い食いですか?」
「―――どうにかして御爺様ぁ~~~」
「行って来い」
『裏切り者~~~』
リスティアの声が遠のいていく。
「悪いな。面倒を見させて」
「いえ、滅んだ国の者を臣下として迎えて下さった恩は忘れません」
蒼い礼服の男。
クアドリスはそう告げる。
「別に借りを返しただけだ。あの熱血漢にな」
「……姫殿下の昼食に付き合って参ります」
「そう口調を繕うな。お前もまた王だった。オレもな。だが、もう国は無い」
「いえ、此処にありますとも……此処に……」
クアドリスが一礼して扉を抜けると勝手に閉じられる。
残された男は1人。
「危ういな。だが、お前もだからこそ主と仰ぐんだろう」
『や、王城の修繕終わりましたよ!! 主の主』
「お前程の存在が赤子みたいな年齢の後見に付いている理由。今なら分かる気がする……オレも随分と変わったのかもな」
『主の主は昔から愉しい方でしたよ。それはカワズの長老もご存じです』
「はは、あの方の取り巻きに目を掛けられるとはオレもまだ酷界の魔族って事か……」
『お歴々も大陸中央を治めた手腕、唯一神の化身を倒した手並みは評価してましたよ』
「そのお歴々に名を連ねてておかしくないお前に言われて悪い気はしないさ。だが、アレはこの地に住まう連中の……この大地の民を愛した奴らと此処に住まう者達の力だ。オレ1人の力だなんてわけでもない……」
―――【……昔から変わらないな。君の可憐さは】
ゾワリとしたものを感じた少女の祖父は肩を竦める。
「おっと、お前や上の連中と違ってオレは異性とカワイイのが趣味だ……次は弱小な商会や商人辺りにお前の精神論でも叩き込んで来てくれ」
『……了解!! 元気が一番ですからね!!』
声の主は姿を現す事もなく何処かへと遠ざかっていく。
「やれやれ……大門が発動する前にどうにかしなきゃならん……あいつの代わりになる“頚城”が在ればいいが……もしもの時は……まったく、また恨まれそうだな……」
男が指を弾くと夕景は夜へと移り変わって講堂は闇に閉ざされていくのだった。
*
きっと、白昼夢。
二人の姉妹は夢を見た。
いや、それは夢ではないのかもしれない。
だって、いつか夢で見た誰かが最後に自分達を見ていたから。
もう思い出せない内容。
リスティアが御爺様と呼ぶ相手。
三血統の黄金比。
ただ、その言葉がすんなりと腑の底に落ちたのは彼女達が己の力を理解しつつあったからだ。
能力をただの力ではなく。
大系的にどんな能力と魔力の複合によって産み出されているのか。
それを理解する事はそれを制御する事に等しい。
『これなら……』
アステリア。
妹を護る姉は今、自らの精霊を産む能力が十全に働き始めた事を感じていた。
彼女の機体はまるで生き物。
いや、本当に生き物と言うべき何かに成り始めている。
部品の一つ一つ。
装甲そのものが細胞のように息衝き。
彼女の身に着ける全ての品が、全ての道具が彼女の手足の如く魔力の組織化と共に機能以上の自動化を果たし、目の前の敵に対して敵意を向けていた。
『いけるわ……』
ユーネリア。
セブン・オーダーズ最弱と自覚がある彼女。
そんな妹は今、自分の能力が自発的な展開を行うまでもなく溢れ出し、世界を侵食している事を感じている。
少年と出会って戦う事を決めてから魔術の叡智を学び、自らの能力の修練に努めてきた彼女はずっとずっと道具の力を借りて戦いこそすれ、自らの能力の大半を戦闘では殆ど活用して来なかったのだ。
だが、それも終わり。
幾多の戦闘経験と演習を終え、努力の成果を受け取る段階に成り始めた彼女は最低限度の準備が出来た。
(ベル……勇気、貰うわ)
少年に貰ったペンダント。
あの日の品を胸に彼女は己の能力が機体に呼応して溢れ出した光景を見つめる。
美しいと思う。
『空間創生結界。展開』
紫黒と暗き黄金。
それは彼女達二人の色。
常識を書き換える神の結界の内部にあって尚、彼女の空間を産む能力はそれに抗って領域を拡大している。
相手の優位はもはや無い。
雨も風も闇も無い。
この場所にあっては外部から相手が魔力を受け取る事も出来ない。
だから。
「お姉様」
「ええ、やりますよ。悠音」
相手の兆しを察した敵は機敏だった。
二人が同時に動き出すよりも先に機先を制する。
両腕が即座に禍々しい貝殻と乱杭歯を合わせたようなドリル状になった。
最短最速の突破を目指した高速機動。
唐突に出て来た敵を唐突に屠る一撃。
それこそ人類の反射など意味を為さない。
秒速kmは伊達どころではなく。
確実に相手を抉る脅威。
「無駄よ」
「ええ、無駄ですね」
分厚い要塞線を破壊した攻撃は二人の無限者を一瞬で砕き散らすかと思われた。
が、敵の攻撃が二人の並ぶ機体の前に展開された魔導方陣を前に押し留められて火花よりも盛大に魔力と魔力のぶつかり合いによる巨大な転化。
雷撃と熱と衝撃となって周囲を天変地異の如く襲う。
そうして、ようやく敵の腕がどうなったかが露わになる。
その今の今まで軍警察の人員を蹂躙してきた腕が今は牙か殻かも分からない先端部を止められていた。
正面突破不可能な防御力。
どんな原理かは分からずとも相手の判断は早く。
即座に離脱し迂回しようとして、その巨体が再び少女達の機体の目前へと走って来る。
迂回しようと後方に跳んだ直後に横へと向かったはずの敵。
が、しかし、その姿は二機の目の前。
この瞬間を待っていたとばかりに2人の機体の片手が其々に外套型装甲の合間から覗いていた。
その指が七望星を描く。
古来より不吉とされた七角形。
だが、その彼女達の指先が其々の色合いを宿した輝きを虚空に残せば、ソレは不吉とは思えない程に深く人を引き込むような己の色合いを宿し。
「「【七つ星】」」
二つの星が同時にズレて重なりながら回転し始めた。
その14角の象形が一つの方陣と化していく。
ベコリと敵の右腕と左腕が同時に空き缶を潰したかのように体積を減らした。
抉り取られたと言うべきか。
相手の速度と対応速度は人類には到達不能な値を示している。
だが、一度始まった事象は止まらなかった。
両腕に続いて右足、左足、左脇腹、右脇腹、左胸、右胸、右肩、左肩、右顎、左顎、右側頭部、左側頭部。
次々に抉れていく。
即座に失った部分の再生を図ろうとした敵だが、再生して気付く事だろう。
再生した部分も次々に同じような凹みに襲われていく。
超速の再生すらもソレからは逃げられない。
まるでお菓子を誰かが齧っているかのように再生と消失は相手の魔力が尽きる40回目まで繰り返され―――。
「再生してもいいわよ」
「ただ、食べちゃうだけです」
凡そ10秒で敵は魔力の消耗に耐え切れず再生が停滞。
最後は次々に穴開きチーズのように肉体を消しさられ、触手一つ残らず消えた。
見えざる力の正体を知る者は仲間達以外に無いだろう。
空間を創生する能力。
そして、精霊を産み出す能力。
嘗て、ベルを取り込んだ少女達の世界。
今、起こっている現象はその焼き回しだった。
機械魔導術式によって再記述された魔導の空間制御術式を妹が担い。
その空間を精霊化させる魔導の自動化を姉が担う。
1人ならば不可能な事も二人ならば可能。
そして、出来上がるのは【領域結界精霊】。
要は魔力こそ用いているが、その実態が空間であるという存在だ。
一種の生きた世界と呼べる。
その類は大陸にも存在を確認されていた。
それこそ魔の森等と俗称される魔族達の世界から流入する魔力で汚染された地域などはコレに近い性質がある。
それを人工的に生み出したのだ。
最大の特徴は相手が空間に干渉出来る存在でない限り、一方的な攻撃力や防御力を有する事である。
何せ、空間そのものが襲ってくるのだ。
本来は物質的な干渉が殆どだが、彼女達の力はその上をゆく。
距離は完全に征された上で相手のいる空間の断裂や捩じ切り、転移や空間の引き延ばしや縮ませまでも多用した攻撃は物質的な相手にはどうにもならない。
その防御力の前では正しくブラックホール並みの空間を歪ませるような攻撃が無ければ、核ですら無力だ。
それこそ今ソレを実現するのは善導騎士団と陰陽自研の使っているクェーサー・ボムくらいだろう。
であるからこそ、単なる神の欠片では役不足と言えた。
せめて、質量が元々の肉塊程もあり、重力や空間にまでも干渉する能力が残っていれば、どうにかなったのだろうが、20m級の人型程度の質量と追加されない魔力ではどうにもならなかったのだ。
本体からの魔力供給も途絶えては最初から敵に勝ちの目は無かったと言える。
「勝ったわ。お姉様!!」
「まだ、喜ぶには早いですよ。悠音」
「う、うん!! みんなの増援に行かないと!!」
神の結界へと迫出した二人の姉妹の領域がようやく他の軍警察の人員を蔽う程に大きくなり、負傷者を入れたカプセルが次々に彼女達の横を通り過ぎる。
運んでいく者達の誰もが彼女達に頭を下げた。
まだ無事だった者達が駆け付けて来る。
「セブン・オーダーズの方ですか!! 残りの方達は!!」
「ベルディクトさん達は此処を任せてイギリス本土と肉塊の方へ二手に別れました。私達も此処の態勢が確保されたら、再出撃します」
「お姉様。ベル達、大丈夫かな……」
「大丈夫ですよ。例え、どれだけ敵がいようと……まずは此処の防御を固めるのが先決です。八木さん!!」
姉妹達の声に後方の機龍CICの映像が映し出される。
『こちら機龍メインCIC。状況は確認している。イギリスへ向かったメンバーは分散しての遊撃中。肉塊へ向かった方とは通信が殆ど途絶した。九十九が全力でバックアップしているが、分かるのはバイタルサインと機体の破損状況が限界のようだ。どちらに向かうかは君達に任せる』
八木の言葉に少女達は考え込む。
こんな時、どうすればいいのか。
だが、何を選ぼうと彼女達は騎士見習いだ。
だから、常に正しいと思う事をする。
それがきっと間違いだったとしても、信頼とはそういう事だ。
そして、彼女達がいなくても信頼に値する人々はきっと大勢の人々の後ろからの支援を受けて勝利して見せるだろう。
「「イギリスへ!!」」
『了解した。後、25分程で態勢が整う。それまでシェルター都市と基地を頼む』
「「了解!!」」
二人の少女達はピタリと揃えるまでもなくハモリながら頷いたのだった。
*
地獄。
そう例えるのが正しい戦場だった。
山々も川縁も草原も高原も森林も都市も蒸し焼きにされた海産物と臓物の臭いに満たされて、シェルターの外は化け物達の死骸で埋まっている。
星も見えない黄色い月の下。
緑の夜に映えるのは人の輝きたる銃火。
だが、それもまた半魚人と巨人達の襲撃の前に少しずつ後退しつつあった。
戦線なんてもう当の昔に消え去っている。
それでも防御陣地や後退中の軍警察や自警団が側面や後方からの襲撃を受けていないのは全ての敵を把握して動きを予測演算する九十九。
そして、その実行の手足たるドローンと善導騎士団の手腕であった。
漸減戦術を取る必要が無くなった彼らは次々に殺到する巨人と半魚人の群れを牽制しながら誘導しつつ、各地で孤立化した友軍を集めていた。
時には自分の数百倍の体積を持つ敵にライフルや盾、刃片手の特攻染みた遅延戦闘を挑み。
時には退路の確保に数万体の敵相手に銃弾の掃射で押し留める。
相手の撃破は考えず。
あくまで乱戦で入り乱れた部隊の護衛が主任務となった。
シェルターの多くは未だに機能を喪失しておらず。
この状況下でも十分に持ち堪える。
ならば、後は戦力を集めて敵を叩く為に現場で再編して整えるだけ。
その為の後退を援護する彼らは正しく全員が殿であった。
50m級の巨人の質量での打撃は地形を変える暴力だ。
徒手空拳なんて単語が陳腐に思えるどころか。
音速を遥かに超える触手乱舞までもが彼らを襲う。
小さな個体ですら持て余すだろう敵能力に対して黒武、黒翔の援護があるとはいえ、それでも遅滞戦闘を行う様子はもう人間VS怪獣の図であった。
『何なんだ……あいつら、本当に人間なのか……』
『彼らが踏ん張っている時間を無駄にするな!! 後退だ!!』
『腕が弾け―――形を取り戻した?!!』
『巨人とガチンコで殴り合いかよ……はは』
一撃を受ける毎に盾を持った腕がスーツ内部で《《粉砕爆発》》し、寿命を削って再生した両手両足を用いて触手を掻い潜った先、巨人の顔面を魔力を込めた拳で殴り倒す。
超人と言ってしまうのは間違っている。
彼ら隷下部隊は元一般人だ。
そして、超人的な力を使えてもそれは道具の力に過ぎない。
痛みもカット出来るが、それも魔術具があればこそだ。
己の寿命を削りながらの再生は一撃受ける毎に細胞の再構築で莫大なカロリーを消費する。
細胞の増殖は可能だが、質量は補填出来ない為、スーツ内を実は培養槽や試験管の如く細胞再生用の薬液で満たしている状態。
それにMHペンダントと基礎的な治癒術式の特化能力を合わせて用いる事で高位超越者や特殊な再生能力を持つ亜人や異種並みの再生力を維持している。
そのバランスが崩れれば、彼らの肉体は道具の誤作動や副作用で癌細胞や病の塊になってしまうかもしれないリスクも孕んでいた。
それを背負いながら僅かでも後退したならば、男達は超高濃度の栄養剤を数リットル……黒武や黒翔から受け取った補給用タンクから無理やり飲み干し、再出撃していく。
再生の度に彼らのスーツ内は血と肉と骨のスープと化していた。
術式が奔って老廃物や再生に使えない物質はスーツの外に処理された状態で滲み出るように排出される。
多数の部隊を護る為、数部隊に1人単位で割り当てられた彼らは何でもこなせと言われたワンオペ中のアルバイトみたいなものだ。
無理を己の寿命とリスクによる無茶で貫き通す姿は悲壮を通り越して神々しいものですらあった。
『まだいけんぞおおおおおおおお!!!』
『おらぁああああああああああああ!!!!』
『死ねッ、るかッ、よぉおおおおお!!!』
形相は必至。
叫びは獣。
涙も鼻水も一滴ですら水分が惜しいからと魔術で出す事すら許されない。
再生に使えない老廃物を水分抜きで垂れ流すスーツは音速を越えて機動する敵の触手や打撃と衝突する度にその垢染みた細胞粕を吹き飛ばされ。
『体重がこの二時間で10kgも減ったな』
『ダイエットには丁度いいさ。だろう?』
『違いない!! コレステロールは怖いからな♪』
『オレ、美人な嫁さん貰って体が動かなくなったら介護してもらうんだ♪』
『知ってる。今、陰陽自研が作ってるロボ子ちゃんに一目惚れなんだろ?』
『生きて帰れば、女神とのラブコメ・ライフが待ってるぜ!!』
彼らは笑いながら獰猛に敵に肉薄して何とか巨人に食らい付く。
懸念する材料は精々が自分の余命に等しい魔力残量のみ。
一斉に掛かれば倒せる敵を一斉に掛かれず倒せないままに攻撃を受け続ける。
その消耗は想像を絶して精神と集中力を直撃。
体力はMHペンダントを用いてすらストレスも祟ってまともに保つのがやっと。
限界はとっくの昔に突破している状況。
回復可能だからと精神を術式で弄り倒す事にもなるのだ。
心身に良い訳も無い。
『早くゥッ、行ッ、けぇえええええええ!!!』
『必ずッ、2分持たせるッ!!』
『これが最後の速射だオラぁあ!!!』
それは男の背中だった。
女性隊員が混じっていてすら。
後退していく中には逃げ遅れた一般人が軍警察と共にいるという場合もあった。
緑の闇夜に全てを圧し潰す巨人が蔓延り、それを前にして魔力転化の運動エネルギーを用いて跳び上がっては何度も地べたに巨大な脚や腕で打ち下ろされ、拮抗し、時には大地に蠅の如く叩き付けられて拉げ形を取り戻す人々を彼らは見る。
『彼らが―――極東の騎士か!!?』
『あんなッ、あんな戦い方が出来るのか!?』
『神よ。どうか、あの方々にご加護を……ッ!!!』
数km、数十km先の何処から時折飛んでくる援護射撃を背にしただけで戦うのは勇気などと呼ぶにはあまりにも凄絶。
そう、それは少なくとも無謀ではないが無茶であった。
だが、確かに積み上げられた努力によって裏打ちされた無茶であった。
彼らが積み上げた30日の連続が、世界の終焉を前にして鍛え続けた対応力が、今は万全な装備の恩恵を受けられるという事への感謝が、背後の者達を護れなかった悔恨と懺悔が、人を強くする。
『あの時に比べりゃぁ!! 何て事ねぇさぁッ!!!』
『まだ、人類は滅んじゃいねぇぞ!! 化け物ぉ!!』
『オレ達、恵まれてんなぁ!!』
『ああ!! こんな装備で立ち向かえるんだッ!! 騎士ベルディクト様々だ!!』
強くなっても彼らは一般人。
幾ら鍛えても所詮は人間。
大陸の一般人にすら劣る可能性無き存在。
だが、だから、どうした。
自分に出来る事なんて高が知れている。
それを知って尚、彼らにはソレを為す意思があり、術があり、時間があり、覚悟がある。
『あの時とは違う!! オレにはまだ魔力も寿命も残ってるぞ!!』
『弾丸もスーツも装甲も万全で負けてたまるかよッ!!』
『オレ達程、幸せな軍隊も歴史上無いだろうよ!! HAHA』
『違いねぇッ!! さっさとおねんねしなぁ!!』
巨人が、巨人達が、殴り付けても殴り壊しても叩き潰しても立ち上がる者達の拳に、その自分の小指の先にも満たない拳によって撃ち貫かれ、殴り飛ばされ、尻餅を付く程に傾がされ、地べたにダウンする程にダメージを受けて周囲のクレーターを増やしていく。
『はは、カウント10まで休んでいいぜ。化け物』
『その間に回復出来れば、尚いいわね』
『だが、あっちは待っちゃくれなさそうだ。触手が来るぞ!!』
殴り倒された巨人の全身から触手が大量に姿を覆い尽す程に全方位へと射出され、後退中の部隊をい護る為、彼らはベコベコの盾を手にその射線上に割って入って攻撃を受けながら踏みとどまる。
何と幸運な事か。
何と満足な事か。
武装が無いままに死んでいった者達。
補給を持てぬままに散っていった者達。
それはこの世界の現実で彼らはソレを知っている。
だから、彼らは圧倒的に自分が恵まれているという事を理解して戦う。
死の間際にも笑って逝ける。
仲間達に微々たる可能性を託して命を終えられる。
その喜びを噛み締めれば、怖くとも、情けなくとも、苦しくとも、哀しくとも、耐えられた。
『クソ……もう目が……ッ、誰でもいい!! 20秒後に引き継いでくれッ!! 最後の機能を使う!!』
誰かが己の限界を悟る。
侵食能力のある敵。
囚われて敵の戦力になるような事だけは避けねばならない。
その為の方法は最初から与えられている。
最後の最後の最後に使う事を許された仕様だ。
―――自爆。
正確には肉体と装備を魔力の限界放出と即時転化で完全に消滅させる。
ディミスリルの魔力の爆発的な解放を用いた玉砕機能。
苦しみも痛みも無い一瞬の花火と化し、肉体を火の玉と変じるのだ。
巨大な力を持つ者はそれに義務も負う。
彼らが負う事になった義務は少なからず人類と彼らの背後にあるモノを護る為には絶対に必要なものであり、合理性に基く結論であった。
周囲に援軍無し。
最も近い味方は応戦中で支援は不可能。
魔力残量が限界に近い上に敵の攻撃を次に喰らえば、鎧は半壊して恐らく逃げる間もなく取り込まれるという時点で……己の任務と義務と使命に殉じる一人目が脳裏で展開された最終決断用の選択肢に自らの意志でY/Nを選ぼうとし―――。
『まだ、諦めるには早いですよ』
彼の背後から巨人に何かが吹き伸びる。
キュドッとソレは胸元に突き刺さったかと思えば、瞬間的に相手の内部で即座成長したのか。
黄金色の剣山が肉体を内側から食い破り、再生も許さずに枯死させていく。
相手の魔力が生命力と共に吸収されているのだ。
『―――』
彼は黒き無限者を見る。
漆黒の鎧は正しく騎士のように見えるが、ロボットと言う方がしっくりくる。
ただ、その細身の機体が纏う装甲は何処か禍々しい程に造形が流線形と曲線を多用し、一見すると黒き陽炎か幻にも思えるかもしれない。
その頭部より背後へと流れるモコモコとした羊のような髪のあちこちから伸びた金色の金具がジャラジャラと音も立てずに浮遊し、吹き伸びて巨人を完全に干乾びさせた黄金の剣山が元の槍状。
いや、剣状のアクセサリーに戻るとシュルリと髪の毛の下に戻っていく。
まるで仕様には無い頭部のせいか。
一目見ると本当にそういう生き物がロボットを着ているのかもしれないという錯覚に陥るだろう。
『今から半径30km圏内を掃討して回ります!!』
その言葉と同時に浮遊するソレが高度を取った。
そして、機体周囲に大量の漆黒の魔力を立ち昇らせたかと思うと。
髪の毛の先の黄金の剣が槍染みて捻じれながら細く長く引き絞られ、音速を軽く超えて四方八方へと放射状に射出された。
「……どうやら、上手くいったみたいですね」
機体の最中。
胸元まで埋まったヒューリが次々に黄金の槍に突き刺され、最初の個体と同じように魔力と生命力を吸われて干乾びていく数十体の巨人達を完全に破砕しながら移動を開始した。
―――【杭】
ソレがまだ機体コードしかないソレに積まれた兵器の名だ。
本来は機体に存在する七本の杭。
人類が現在到達した技術において用いられる文明すら屠るだろう武装。
【界葬器官】
そう陰陽自研で名付けられた兵器の一つを積んだ運用前提の機体である。
本来は超高密度に圧縮したディミスリルを空気中で瞬時に固定化。
原子崩壊ギリギリ、形状崩壊ギリギリまで加圧した状態で光速の数%程まで加速。
慣性制御と運動エネルギーの付与で叩き付ける超絶兵器……なのだが、生憎とブラックな魔族化したヒューリが用いた事で発生器官である杭本体の生成装置。
背面に供えられた七つの盾、キメラティック・アームドの改良版である箱型万能デバイスが少女の魔力に呑まれて髪の毛サイズにまで変化した。
魔力を受けたディミスリルの変容と形状の変質は創造主達の想像以上のものとなった。
少年が嘗て白滅の騎士相手に用いた限界以上に圧縮したディミスリルで行った攻撃を恒常的に引き出そうとする事で同じようなデータが出た事からディミスリル系の武装は使用者の魔力を受けて専用化、要は形や性質を変容変質させる機能が実装された。
ディミスリル化合金の一部が形状記憶合金に近いという性質がある前提での運用で武装がより先鋭化、使用者に馴染むようなるのだ。
魔力を用いて形状を変える事が可能という性質が事実上の武装の自動発展機能や進化に等しくなるのだから、大概だろう。
それを今出来る技術と理論を用いてシステム化するのには苦労した陰陽自研であるが、ハルティーナが用いた【大屍滅】がデータを取って一応のプロトタイプの完成を見た。
それこそが無限者の武装であった。
「……凄い威力。コレ、大魔術レベルですね……」
【杭】はその武装の性質故に魔力による形状や性質の変化が顕著だ。
髪の毛状にまで微細に変化した杭の生成装置はもはやどうやっても現在技術ではエンジニアリング出来るか怪しいレベルに到達していた。
髪の毛のような機関として変質後、超高圧縮の形状自在なディミスリル圧縮塊を産み出す代物と化したのだ。
恐らくは細くなった糸状のディミスリルが魔力で流動変容可能な状態で組み込まれた術式の記述通りに事象を顕現しているのだろうが、それにしてもその攻撃に必要な魔力量は恐らく開発当初からすれば考えられないような常識外れの代物となっている。
(でも、一撃で結構消耗しますね。私以外じゃ使えなさそう……)
本来の一撃を放つ程の威力は出ていない。
が、ヒューリが魔族化した際にやっていた肉体の変質を模した為か。
彼女の意思に比例して変幻自在の攻防一体の機動を描かせられる鞭や有線の誘導兵器のようになっている事で低威力高コストながらも《《巨人程度》》にならば、十分な威力の武装と呼べるようになっていた。
極めて汎用性が上がったと言えるし、変質させた当事者が念じれば、恐らく本来の力も発揮は可能だろうと搭乗していたヒューリは実感している。
「武装の照準はそっち任せでしたけど、どうですか? 問題ありませんか?」
その相貌の半分、左眼窩には黄金の瞳がある。
彼女の魔眼が変質したのか。
揺らめく溶けた金色を思わせる輝きは喜びに沸いていた。
『ええ、無いわよ。それにしても……まぁまぁの味ね』
そう彼女の唇から言葉が漏れると背部のコアである重力消費型の内燃機関。
【重力子消却炉】
それとほぼ一体化している武装のコアがギュルギュルと髪の毛の根本で渦巻き。
黄金の切っ先から急速流入していく魔力を一点に集めて、カァァァッと静かながらも高周波染みた音を響かせながら、敵から吸い上げた力を集積。
中枢に使用されている超純度超加圧状態のディミスリル・クリスタル製の回路に送り込み、其処から更にヒューリの肉体を通して機体周囲で空間を歪ませる程の密度で見えないままに方陣化、大規模な魔力を固定化させていく。
『使った分は補填完了。ついでに防御が固くなったわよ。良かったわね』
痛滅者が過充電になる程の莫大な魔力。
その力で機体がオーバーロード、爆散するような事が無いように少年が考えた
ヒューリ専用の仕様。
恒常型大規模防御方陣。
【無限向上方陣】
略称ICB。
精霊化技術を応用して魔術方陣そのものを自動化。
方陣そのものが処理能力を持って自己組織化しながら送り込まれる魔力を強固な防御方陣と魔力の倉庫として機体周囲に超高密度で織り込んで低コストで維持固定が可能になった。
つまり、魔力が続く限り、無限に防御方陣の密度と広さが引き上げられていく。
ソレはヒューリの定常出力する魔力を消費し切る程度まで拡大すると今度は魔導の空間制御術式を機体側の演算コアで代替して、空間の歪みを伴う威力すらも克ち祓う。
無限再生する黙示録の四騎士との超出力の激突。
大魔力による決戦にも堪え得るよう設計されていた。
そう、あの緑燼の騎士との決戦時のような一撃を喰らおうと戦い続けられるように……今度こそは少女を護り続ける事が出来るように……。
「方陣の制御はそちらに預けます。で、何ですが……味があるんですか? 私なら死んでもアレを食べるのはごめんですけど」
そんな風に自分の言葉に自分で答える少女は端から見れば不安定な人だった。
『貴女にもその内に解るわよ。高位魔族の食事はそもそも味を楽しむ為にあるの。無限に魔力を内部から汲み上げられる生物に外部からの食物なんて大抵要らないんだもの』
「私、まだ人間並みでいいです」
『アレは残滓とはいえ、神の魔力を宿してる。魔族の世界でも同族の魔力を喰らうのは勝者が行う事もある特権の一つよ。前に書庫で見たわ』
「そう言えば……その頃から意識はあったんですか?」
『どうだったかしら? ただ、知識は共有よ。この身体、魔力の浄化還元の効率も良いし、高位魔族は人の不の感情や幾つかのエネルギーも摂れるらしいし、色々試してみれば?』
「試したりしませんよ!?」
『きっと、あの子の魔力とか文字通り、死ぬ程美味しいと思うわよ。毒って大抵美味らしいから。あの大きい方の妹の料理に振り掛けたら良さげね』
「ベルさんを食い物にするなんて論外です!! 後、毒扱いとか許しませんからね!! 調味料でもありません!!」
『あっちの身体の方はいつも色々な意味で味見してる癖に……』
「う?! そ、それは魔族化した身体が悪いんであって、私だってちゃんと反省しました!!」
『そろそろいいわ。吸収した魔力、御馳走様。飛んで頂戴』
「もう!! ぜ、絶対食べちゃダメですからね!! 私とベルさんが何か言えない感じな事をしてる時とかでもですよ!?」
何やら一人芝居する少女だったが、自らの魂魄の内側から自称姉という相手に対話しながら、漆黒の無限者は上空を加速していく。
その黒、黄金、白の三色のコントラストが黄色い月の下。
世界に焼き付くような涼風を運んで死を覚悟した男は茫然としつつも、胸元のお守りを意識する。
「また、命を救われたな女神様。オレはアンタに付いていくぜ……」
彼の少し大きなペンダントの中には写真の画像を刳り貫いたものが入っていた。
善導騎士団ブロマイドを布教して回る男の1人はそうしてまた同志を増やすべく趣味に精を出す事を誓うのだった。




