第70話「夏の雪」
次回、第四章最終回です。では、次回。
光も届かぬ水底は震える指先を受け入れて。
酸素も殆ど残らない身体に最後の力を振り絞らせる。
まだ動く。
まだ泳げる。
まだ沈める。
そう、まだ、まだ……やれる。
暗闇の中。
導かれるように手を伸ばした先。
掴んだハッチを引き抜けば、確かに最後のスイッチはあった。
可視光以外すらも見える瞳。
それが捕らえた光はまだ途絶えていない。
掴んで、回す。
重く重く。
それでも腕が千切れても構わないと目一杯に。
回し切った時。
ガチンと装置がロックされた。
瞬間、遥か水底の底。
地殻を貫くパイルの果てで確かに何かが起爆した。
「―――」
限界……何のスーツも無しに行った。
それは当然の帰結。
遥か地底から地表へと向かってくる振動。
そのうねりが水を掻き回し、気泡が上がってくる。
だが、不自然な事に振動はすぐに周囲から消え失せていく。
何処かへと引っ張られていったかの如く。
まだ知らない仕掛けがあるのか。
それとも単なる超技術の産物なのか。
分かりはしない。
薄っすらと視界が閉ざされ。
水音は気泡に掻き消されていき――――――。
*
『カルダモン様!! 人が流れてきます!!』
『人くらい流れてくるでしょう。この国は戦争をしているのだから』
『いえ、それが……』
『?』
『一度、当家の別邸でお会いになった方で間違いありません』
『はて? 魚醤連合の高官なら大半が西部の連中に連れて行かれたのではなくて?』
『いえ、先日オルガン・ビーンズの一件で来訪されたお方です』
『あら……当方も中々にして世の不思議と言われてきたけれど、まさかそれ以上の不思議がこんな場所に流れてくるなんて……坊やも中々面白いわね』
『どういたしますか?』
『引き上げなさい。この天変地異の中に知り合いを置いていったとなれば、家の名に傷が付きます』
『は、はい。ただいま!!』
『………まさか、偵察に来て貴方に出会うなんて、面白い偶然ね。西部のお船も陸地に揚げられたら形無しのようだし、帰れる港がある内に引き上げましょうか』
『カ、カルダモン様!? あ、あちらをご覧下さい?! や、山が海の中から!?』
『―――天変地異の癖に陸地は地震が然程ではなく、津波にも襲われてない? ふふ、一体何をしたのかしら……此処に遺跡でもあったのか。それとも……』
『カルダモン様?! もうこれ以上は?! 最新とはいえ、この艦も危のうございます!!』
『分かりました。後の情報収集は陸地の者達に任せます』
『はッ!! これより当艦は帰還する!! 機関最大!! 無理をさせて構わん!! 港まで持てばいい!!』
『……これは殿下によい土産話が出来たわ。さてさて、貴方は帝国に何を齎してくれるのかしら? カシゲェニシ君……ふふふ………ん?』
『この音は雷?! そ、それにゆ、雪だと?! この季節に!? 馬鹿な?!!』
『落ち着きなさい。気象程度で狼狽する者は当家に必要ありませんよ』
『は、はい……』
波の音に紛れて。
熱いのか。
寒いのか。
痛いのか。
苦しいのか。
何一つ判然としない最中。
遠雷を聞いた気がした。
それが終わりを告げるのか。
始まりを告げるのか。
どちらだとしても、今はただ眠く眠く。
何一つ理解出来ないまま。
僅かに戻りかけたものが薄っすらと底に沈んでいく。
『少しは風流を愉しみましょう。世は破滅、空は霹靂、海は彼方、陸が広がるというのなら、これこそ我々が得るべき情報。さっそく帰ったら、陸軍と外務省を動かさなければ……忙しくなるわ……』
それでも一つだけは決まっていた。
己の底に残るのはいつだって日常。
このおかしな夢世界に来てから紡いできた人々との日々。
帰るのだ。
住めば都の言葉通り。
確かに自分にとっての居場所がいつの間にか出来ていたのだから。
―――時間は貴方の味方よ。
―――時間はお前の味方だ。
世界が変わる日。
確かに奏でられたのは胸に灯る決意だった。




