第108話「復活のR」
シエラ・ファウスト号内には薄い煙が漂っていた。
が、それは術師にならば、魔力の煙だと分かっただろう。
僅かに転化した魔力が次々に発生源から漏れているのだ。
通常濃度の魔力でも敷地面積当たりで通常の術師が持っている分が漂っていれば、気分が悪くなるくらいの事は普通に起こる。
しかし、その薄い白い煙は大陸の魔力が強く残留する場所ですら中々お目に掛かれないような数百倍の濃度であった。
内部にいる人間はふとした拍子に突然死するか。
あるいは魔力の些細な転化で爆発的に連鎖する各種エネルギーの発生に巻き込まれて死ぬか。
そういう状況が危惧されて然るべきだろう。
内部に侵入された時用に非戦闘員を隔離するパニックルームなどは存在していたが、それにしても応答が無い事は不自然。
艦の中枢である上部CICに向かう道を急いだ一行はロックされた隔壁を手動で開けつつ、何とか最後の一枚の前に辿り着いていた。
「この充満している魔力……まるで漠然としていて、どんな性質のものなのか正体が掴めません。ベルさん……八木さん達は……」
「大丈夫です。CIC内は魔力の過剰な充満を防ぐ機構があります。ハルティーナさん」
無言で頷いた碧い少女がロックの隔壁がベルのパネルの手動操作によって開いたと同時に飛び込む。
「八木さん!! 皆さん!!」
しかし、内部には八木と連絡将校役の自衛官達が倒れ込んでいるだけで魔力の煙も無く。
危険な敵もいないようだった。
すぐに少年達が内部に入って隔壁を閉めると換気口が音を立てて煙。
魔力を吸い出していく。
「大丈夫ですか!!」
ヒューリが八木と他の者達にMHペンダントを掛けて複数人に方陣を使って更に治癒を開始。
八木の胸に手を当てて数秒後。
「ぅ……騎士ヒューリアか。という事は我々は気を失っていたようだな」
八木が逸早く目覚めて、ゆっくりと身体を起こす。
「一体、何があったんですか?」
「騎士ベルディクト。済まんが分からん……いきなり、艦の制御が効かなくなり、CICに全員集めて艦の制御を取り戻そうとしたのだが、急激に気分が悪くなって倒れたのだ。連絡しようとしたのだが……全ての機器の制御が我々の手を離れていて……」
「そうですか。分かりました。では、皆さんを……ハルティーナさん。ヒューリさん。お願いします。僕はこの状況の原因を探りに行きます。お二人は全員が目覚めたら即座に脱出を。外部に送り届けたら、リスティア様のところまで来て下さい」
「リスティア様の? ベルさん。今回の事ってリスティア様と関係があるんですか?」
「金属と細胞の試験の件ですが、リスティア様を蔽っていたディミスリルと髪の毛でした」
「え?」
「調べてたんです。米国がどんな実験をしていたのか。あのディミスリルが何なのかを……」
「そう、だったんですね……」
ヒューリが納得した様子となる。
「魔力もあの時点では確認されていませんでしたから。ですが、どうやら非励起で膨大な量が髪一本にすら貯め込まれていたみたいです。あのディミスリルの僅かな粉末状の欠片一つと合わせて、あんな事になるとは思っていませんでした」
「気を付けて下さい。すぐに私達も向かいます。ユーネリア、アステリアも」
「分かりました」
「分かった。ベルはあたし達がしっかり守るわ」
「はい。八木さん。持病がある方などは―――」
少年がその場をヒューリとハルティーナに任せて、リスティアの納まったディミスリルの箱のある元中央ミサイルハッチ付近へ向かう。
「ねぇ。ベル」
「何ですか?」
「リスティア様って……この艦に眠ってた私達の遠いご先祖様、なのよね?」
「ええ、ヒューリさんのご先祖様です。大陸中央諸国を束ねるアルヴィッツ王家の正当血統らしいですが……どうやらアルヴィッツの大公と共に正体を隠してガリオスを建国してたみたいです」
「その人はどうしてこの艦にいたの?」
「ガリオスで何らかの封印を受けたと当人の言動から推測出来ます。そして、ガリオス首都が転移に巻き込まれた時、この世界に流れ着いた。当人は何故此処に組み込まれていたのか分からない様子だったので、恐らく封印された状態のまま米国で何かの実験に使われていたんだと推測されます」
「……実験」
「でも、その方……」
「ええ、身体は生きていましたが、魂魄が恐らく死んでいました。最後に再び組み込まれたディミスリル塊が閉じてしまったので今まではそのまま艦を使用して、この艦の運用が終わったら、何処かに埋めてお墓を造ろうと思ってたんです」
言っている合間にも通路の先にミサイルハッチ下部の広大な空間が出て来る。
だが、その光景に少年が驚いた。
「な―――開いてる?!! 離れず付いて来て下さいお二人とも!!」
「う、うん!!」
「はい!!」
悠音と明日輝を連れて少年が駆け出して、艦内に広く華のように開いた金属塊の前に続く通路を走り続け、ようやく到着してやはり目を見開く。
「―――いない」
少年の目の前にあったのは巨大な金属塊内部の冷却装置も剥き出しに冷却するべき当人が見当たらないという異常事態。
元々、リスティアの遺体がすっぽり入っていたはずの場所には脚から腰まで入りそうな穴がぽっかりと開いているだけだった。
(米国が? いや、在り得ない。この内部空間に干渉し得る程の実力があって理由もありそうなのは魔族以外には……)
「悠音さん。明日輝さん。気を付け―――」
「きゃッ?!!」
「おっと、そこまでじゃ」
「え?」
「はぁ~い。急に振り向いちゃならんぞ~~振り向いたら、このかわゆい姉妹の首がスパーンじゃ!!」
その知っているような幼い声を前にして少年が動かずに両手を上げる。
「よしよし。分かっとるの~~そうそう、直が一番じゃ。お主、手を上げたまま振り向くんじゃぞ~~ゆっくりじゃぞ~~」
少年が言われたままゆっくりと振り向くと。
一番最初、目に付いたのは大きな白い翼だった。
だが、そのディティールは硬質で禍々しい光沢を放っており、羽は無く。
純粋に骨格が武器のようにも見えた。
有機的なフォルムながらも鋭角な代物。
触れれば切れそうな艶めいた魔力が轟々と赤黒く渦巻いたソレは根元に向かう程に白く白くなり、終には一人の少女。
いや、幼女と言うべきだろうか。
本当の姿の悠音や明日輝よりも明らかに幼いだろう少女の背中へと肌のように同化する。
巨大な翅に反比例するかのように元々の姉妹達よりも更に低そうな背丈は虚空に浮いており、何よりも何一つ身に着けていなかった。
折れてしまいそうな鎖骨からまだ膨らみすら微かな胸部から幼いというのに妖精のように可憐な肢体はまるで生ける彫刻。
何処か悠音に似ている。
いや、悠音が彼女に似ている、と言うべきなのだろう。
豪奢な金糸の髪の毛は背丈よりも長く。
今は背後にフワフワと浮遊していた。
その猫のように瞳孔が縦に割れ、紅蓮の輝きを宿している様。
それは確かにこの船の元々の主そっくりだった。
「貴女は……」
「かぁーかっかっかっか!!! さすがワシ!! この美貌、天高く轟いておるようじゃのう!!」
その少女はヒューリア、ユーネリア、アステリア……三姉妹達を足して2を掛けたような自信満々傲岸不遜の超良い笑みで犬歯を覗かせ。
翼の先で姉妹達の首筋を捉えながら少年を動物でも見るかのように見下ろす。
「我こそはアルヴィッツ女王が孫にして大公の末!!! リスティア・アルジェント・アルヴィッツ・シグナリア!! さて、大そうな魔力をワシに供給してくれたお主は一体、何処の誰じゃ? 南部の帝国か? 東のガイラか? それとも西の鍛冶国の何処か? いや、この大絡繰りの船ならば、北部三国かや?」
「……やっぱり……という事はマヲー、クヲー」
「マヲー」
「クヲー」
いつの間にか猫達が姉妹の頭に載っていた。
「ぬぉ?! 何じゃ、この猫!? いや、猫の形しとる癖に《《ワシよりヤバイ》》ではないか!? というか、んん? お主らワシの魔力持っておらんか?」
「マヲー♪」
「クヲー♪」
猫ズが頭からヒョイとリスティアの翼に軽やかに飛び乗る。
「や、やめい?! せ、せっかく集めたワシの魔力がぁ~~~?!!」
リスティアの翼が猫達に載られてからヘタッとなったかと思うとすぐにシュルシュルと小さくなり、背中に消えて、彼女がボテッと冷たい床にお尻から落ちた。
「イタァ?! く?! まさか、御爺様か御婆様。いや、親戚の隠し子や隠し使い魔か?!」
「マヲヲ~~♪」
「クヲゥ~~♪」
違うよ~~と言いながら二匹がリスティアを名乗る幼女の跳びついて全身を(^ω^)(^ω^)ペロペロ舐めて親愛の情を示し始める。
「あひゃひゃひゃひゃ(*|ω|*)?!! や、やめい!? ワシは動物を愛でるのは好きじゃが、愛でられるのは嫌いなんじゃぁ~~~?!! ワシを愛でていいのは御爺様だけなのじゃぁ~~!!?」
猫ズの凌辱?を受けた少女が一頻り舐められまくってグッタリしていく様子を姉妹が思わず見ちゃダメと両手で少年の目を蔽って隠す。
その猫に負けた幼女がゼェゼェしながらもようやく満足したらしい猫達から解放されて三人を睨む。
「くッ、不覚……祖国出奔を前にして、よもやこのような方法と輩達に止められるとは。ええい。好きにせい!! どうせ、ワシの身体が目当てなんじゃろ!! や、優しくないと後で国際問題にしてやるからな!! 切り刻んだりしたら、許さんからな!! ぅぅ、何て人生じゃ!! ちょっと、魔族の血が濃いだけじゃのにぃ~~!?」
何やら自己完結甚だしい性格らしく。
嘆くやら投げやりになるやら、最後に悔しそうにメソメソし始めた幼女はガックリと敗北宣言する。
少年が困惑して困った様子になる姉妹の下から歩き出し、騎士団の外套を取り出して、少女の肩に掛ける。
「ん? 何じゃ、情けか?」
「いえ、僕は貴方に救われたんです。だから、貴女にお返しをさせて下さい」
「何? ワシはそちなぞ知らんぞ?」
「でも、僕は貴方を知ってます。貴女の事情も……だから、衣食住は確保させて貰います。それからお話しましょう。貴女には一杯話したい事があるんです……」
「何じゃ……お主良い奴ではないか。ワシの身体が目当てではないのかや?」
「あはは、違いますよ。でも、今の貴女が心細いのは分かります。ですから」
そっと少女を立ち上がらせてから、その身体をヒョイと少年がお姫様抱っこする。
「―――」
『『………』』
姉妹がその行為に思わず何か見てはいけないようなものを見てしまった気分で少し赤くなった。
「まずは温かいところで食事を摂りましょう。落ち着いたらお話して、どうして貴女が……リスティアさんが此処にいるのか。お伝えします」
「………(*|ω|*)見掛けに寄らず、力強いのじゃな。そちの腕」
「これでも騎士ですから」
「騎士。騎士か……うむ……見た目ナヨナヨしてるがそちになら任せても良かろう。ワシを運べ。そちが運びたい場所へ……これでも御爺様に褒められるくらいには人を見る目はあるつもりなのでな」
「はい。お運びします。リスティア王女殿下」
「……んむ。許す……ワシは“でりけーと”じゃから優しく、な? それとこの奇妙な翻訳術式の事に付いても後で教えるのじゃぞ?」
「分かりました」
「そちの名は?」
「ベルディクト・バーン。みんなはベルって呼びます」
「ワシはリスティア様で良いぞ。だが、ワシを助けてくれると言うのだ。お、恩人にはリ、リスティ……と呼ぶ事を許そう」
ゴニョゴニョと少し口籠りつつも少女がちょっと朱い頬で少年に呟く。
「はい。分かりました。じゃあ、リスティさん」
「んむ……」
「ああ、言わないといけない事があります」
「言わないといけない事?」
「未来の異世界にようこそ」
「え?」
幼女がその言葉に声を出して、周りを見回して、妙に自分と似ている姉妹達を見てから、まるで何がどうなっているのかは分からないが、少年の言葉だけは真実だろうと理解し。
「ぁ」
感情が降り切れた様子で物凄い顔(´|ω|`)をしてから意識をカクンと落とした。
「行きましょう。二人とも」
思わず気を失ったリスティアをそのまま抱いて少年が姉妹を連れて歩き出せば、途中でヒューリとハルティーナが合流し、事態は更に混迷の度合いを深める事となる。
『ベ、ベルさんが今度は幼女をお姫様抱っこで連れて来てる!?』
ヒューリの胃は今まで以上にシビアなストレスに晒される事が決定したのだった。




