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ごパン戦争  作者: TAITAN
統合世界-The end of Death-
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第88話「真夏の夜の夢#2」

 翌朝、何とか寝間着で眠った少年が何かを掛布団の上に感じて目を薄らと半分開ける。


 すると、少年の上に馬乗りな悠音がいた。


 今日は若草色のフリルと袖付きのワンピース姿であった。


「ユーヤ。朝よ……起きなさい……ラジオ体操遅れちゃうわ」


「ラジオ、タイソウ?」


「そうよ。また、忘れちゃってる……あたしに毎日付き合うって言ってたじゃない」


「ええと、着替えてから何処かに行く、でいいの……かな?」


「そうよ。お姉様が着替え持って来てくれたから、ほら……」


 昨日の事も感じさせないような嬉しそうな笑みで少女が少年の椅子の上に置いた着替え一式を指差す。


「すぐに着替えるので、ちょっと待っててくれれば……」


「ちゃんと、一人で着替えられる? あたしが手伝ってあげようか?」


 昨日の事がフラッシュバックした少年がプルプルと首を横に振って、ササッと起き上がる。


「ひ、一人で出来ますから!!」

「なら、扉の前で待ってるから、ね?」


 悪戯っぽい笑みでクスリと微笑んで小悪魔のようにその場から退散した少女が扉を閉める。


 少年は寝間着を脱いだ後、折り畳んで布団の上に置き。


 その白に黒の英文のTシャツに膝元まで広がるゆったりとした短パンを穿いて、そのまま扉を開ける。


「出来た?」

「は、はい」

「じゃ、顔を洗ったら行きましょ」


 悠音が少年の手を問答無用で握って、引いていく。

 途中、居間に差し掛かると。

 もう、キッチンにはエプロン姿の明日輝がいた。


『悠音~今日の朝御飯は和食ですからね~』


「はーい」


 洗顔後、玄関先で二人でサンダルを履いて玄関を出たら、再び悠音が少年の手を握って、町内の歩いて5分程の場所にある公園へと向かう。


 その早朝という時間帯にも関わらず。


 まだ、欠伸をしながらも集まって来る子供達の中には大人も混じっていて。


「おや? 緋祝さんとこの……ユウヤ君、新しい学校は慣れたかね?」


「え、ぁ、は、はい!!」


 見知らぬ60代の男の言葉に少年が何とかそう返す。


「そうかい。そりゃ、良かった……でも、危ないと思ったら、止めりゃいい。何せ―――」


「ユーヤ。行きましょ」

「え? あ、ちょ」


 少年の手を掴んだまま走り出した悠音は少し硬い顔をしていた。


 そうして、二人が走り去った後。

 スゥッと男の姿が朝霧の中に消えていく。


「もう、ユーヤがお話してるから、始まっちゃってるじゃない!!」


「ご、ごめんなさい」


 いつの間にか辿り着いた公園ではもう大きな箱型のラジオの放送の内容に合わせて身体を動かして体操をしている子供と大人が何十人といた。


 すぐにそれに加わった悠音は小声で少年に指示しながら、一緒に体操を数分行い。


 最後に体操を仕切っていた老人にスタンプを首に掛けたカードに貰ってから、少年の元に戻ってくると手を繋いで家までの道を再び戻った。


「明日からはもう少し早く起しに来るからね?」


「う、うん……」


「ユーヤは早く起きられないかもしれないけど、あたしは早起き得意よ」


「いや、その……僕も朝起きるのは早い方で」

「え?」


 少年が横の少女が固まっているのも分からず。


「いつも見張りで……みんなには朝までは寝てて欲しかったから、夜の番は……」


「ミハリって何?」

「え? ええと、だから、あそこでその……」

「あそこ?」

「……ぅ、何でもありません……」


 言葉に出来なくなった何かを表現し切れず、その少年の言葉が途中で途切れる。


「もう……キオクソーシツになってから、変な事ばっかり思い出すんだから。それよりも早くあたし達との事を思い出してよ。まったく……」


「ご、ごめんなさい」


「……ぅぅん。本当はあたし達がユーヤに助けて貰ってるんだもの……だから……」


 ふと少女の顔が陰って、少年を見上げる。


「ユーヤだけは……いなくならないで……いなくなっちゃ……ダメだからね?」


「………」


 それに何とも答えられず。


 しかし、今にも泣き出してしまいそうな雰囲気の悠音をそのままにもしておけず。


 その頭を少年が撫ぜる。


「も、もぅ……馬鹿……レディの頭を撫でるなんて、とんだジェントルマンだわ」


 少し頬を朱くして、俯きながらも不満なんだか嬉しいんだか分からない複雑な顔で悠音が繋いだ手をキュッと少しだけ強くした。


 そのまま、後は無言で帰った二人を出迎えたのは白米と塩じゃけと納豆、薄味の味噌汁にキャベツのぬか漬け。


 そして、朝食を前に正座で待っていた優し気な明日輝の顔だった。


 *


 朝食の後。


 手帳を取り出した悠音は今日の予定を見て一言。


「お昼までユーヤが家の全域のお掃除よ!! あ、ちなみにあたしはちゃんと予定が入ってて、お昼まで作るものがあるから、手伝えないわ。お姉様はお昼と夜と明日の朝の買い出しがあるから」


「わ、分かりました!! お掃除ですね!! 掃除は得意なんです。ええと―――を使えば、かなり楽に……?」


「何を使うの?」


「ええと、だから――を……ごめんなさい(*´Д`)……何でもないです」


「お掃除よろしくね」


 少女が自分の部屋へと戻っていく。


 結局、その言葉を言語化出来なかった少年が居間の外に出る。


 すると、玄関先から。


『二人とも仲良くしてて下さいね。お昼は天麩羅にそうめんですよ~』


『やた~~♪』


 少年にはどちらの声も聞こえて来ていた。


 取り敢えず、家の掃除を任された少年は広いお屋敷の何処に何があるのかを確認するべく。


 まずは庭の方に行き、グルリと周囲を見て回る事にした。


 お屋敷はそれなりに大きく。


 普通の家庭が暮らす平均的な日本の一戸建ての敷地が数件は入りそうな代物だった。


 庭は野草が茂っている場所と何も生えていない場所の落差が激しく。


 刈り込まれた離れの周囲は綺麗なもので。

 更に裏手には土蔵が一つ。

 古びれてはいたが、手入れはされているらしく。

 壁はまだ欠けもない。


 鍵は掛けられていなかったが金属製の閂がされており、少年が好奇心をそそられて、閂を外し重い扉を外に思い切り引く。


 するとちゃんと油が刺されているらしく。


 軋んだ音も立てずに内部の闇が上がっていく気温の最中も冷たく溢れ出し。


 陽光が僅か入る天井付近の採光窓が黄金色の埃を闇に見せた。


「(ゴクリ)」


 探検が好きというよりは古いものが好きな少年はゆっくりとサンダルで内部に脚を踏み入れていく。


 内部には防虫剤が所々に並べられた和紙製の冊子、旧い書物が入った書棚。


 壺や巻物も多数。


 他にも桐箱が幾つか納められた棚や布の掛けられた長方形の何か。


 しかし、それよりも少年の興味を引いたものは一番奥にあった。


 道のように空いた中央を進みゆく少年の視線の先。

 壁に立て掛けられたのは鞘に入った剣だ。

 少年には見慣れた大陸標準規格。


 丁度―――が持っていた帯剣と同じくらいの長さのソレ。

 柄拵えから黒塗りの鞘の彫金に至るまで見事な代物だ。


 両刃らしく。

 鞘と柄に刻まれた印は何処かで見た事がある。

 白の円内部に黒の一対の翼と中央を貫く剣。


 それに手を出そうとして―――。


「マヲヲ~~」

「クヲヲ~~」


 後ろからの声に振り向いた少年は開けた土蔵の扉の外。

 左右から黒と白の尻尾がユラユラしているのを見付ける。


「猫? ええと、《《クヲー》》、《《マヲー》》」


 その言葉と共にパリンと何かが壊れるような音がした。


 そして、ヒョイと扉の左右から顔を出した二匹が少年の傍に寄って来る。


 屈んだ少年の手が撫でようとすると。

 それを掻い潜って、袖が口で引っ張られ、外に誘導される。


「どうしたの?」


「マヲゥヲ~( ´Д`)=3」

「クゥヲヲ~( ´Д`)=3」


 溜息らしいものを吐いた二匹が少年を先導するように縁側から家の内部に入る。


 玉砂利の敷かれた庭から上がった少年が付いてくるのを確認しながら、二匹が広い邸宅の一角。


 黒い襖のある場所に辿り着いた。


「此処に連れて来たかったの、かな?」


 二匹の無言の圧力というか。


 さっさと開けろ的な瞳に仕方なく横手に開いた少年の前には闇に呑まれた一室。


 壁の横手の取っ手を弾くと。

 内部に電灯が灯る。


 其処はどうやら人が暮らしていた様子で壁際には黒い大人の男性用のオーバーコートが一つ掛かっており、小さな部屋は機能的で寝台と襖と後は小さな机しかない。


「………」


 その引き出しを少年がそっと開けてみる。


 すると、内部には万年筆の入った箱と小さなノートだけが入っていた。


 ノートは少し古びれており、表紙には何も書かれていない既製品だ。


 それを開くと――――言語で書かれた文面があった。


「読めない……」


 文字は認識出来るのだが、今の少年にはどうやら解読不能らしく。


 内容は分からない。


 それでもパラパラと捲っていくと最後のページに3つだけ読める単語があった。


「……《《ヒューリア》》……」


 その最初の単語を呟いた時。

 パリンと再び何処かで何かが壊れる音。


「………」


 少年はその冊子を元の引き出しに入れた後。

 コートの中を少し物色してみた。

 すると、中から鍵らしきものが出て来る。


 鍵と言ってもどちらかと言えば、小さな短剣に似ているかもしれない。


 だが、切れ味の無さそうなソレはギザギザとしており、玩具のようだが、黒曜石で出来たかのような光沢を放っていた。


「マヲヲ~♪」

「クヲヲ~♪」


 猫達がもう此処に用は無いとばかりに外に出ていく。

 少年もまた外に出てから、その部屋の主に頭を下げる。


「お借りします」


 そうして、パチリと電灯を消して襖を閉め、短剣を後ろポケットに入れて角を曲がった時だった。


「あ、見付けた!? もう!! 何処に言ってたの!? 掃除はどうしたの!? ユーヤ!?」


「え、え? い、今からしようと、その……」

「もう少しでお昼時よ?」


 呆れたジト目で悠音に言われて、少年がまだそんなに時間が経っているはずない、と言おうとしたが……前に差し出されたスマホの時刻は確かに午前11時3分を示していた。


「お掃除!! あたしも手伝ってあげるから、一緒にちゃちゃっとやっちゃうわよ!!」


「う、うん!!」


 手を引かれて、そのまま走り出す少年は結局、少女に指揮されて息吐く間も無いような状況で掃き掃除、モップ掛け、水拭き、乾拭き、諸々を遣らされて、温まって来た屋内でゼェゼェした後。


 殆ど水のようなシャワーを浴びてから、悠音の持って来た甚平(じんべい)に着替えさせられて12時には食卓に着く事になった。


 その忙しない二人の姿を見ていた明日輝はフフッと微笑み。


 天麩羅をカラリと揚がった。

 海老、野菜の掻き揚げ、白身魚。

 キンキンに冷やされた麦茶と素麺の汁。


 少年は初めて食べる揚げ物や涼やかな薬味の利いた麺類に箸が進み。


 結局、小食なはずなのに全部平らげる事が出来たのだった。


 お腹が膨れた後。

 掃除も終わった少年が一度自室に戻ろうとすると。


「ねぇ、ユーヤ。夕方になったら……ちょっと、遠出しない?」


 悠音がそう少年を誘う。


「遠出?」


「街並みが見える公園や神社が山の方にあるの。今日はあっちの方だと夏祭りの1日目が有って……電車で一駅、後は歩きで往復1時間くらいなんだけど」


「いいですけど」

「やた……じゃ、じゃあ、お姉様!!」

「はいはい。浴衣用意しておきますね」

「お姉様、大好き!!」


 悠音が思わずエプロン姿で二人が片付けた洗い物を食洗器に入れていた明日輝に抱き着く。


「アステルさんは来ないんですか?」

「あ、私は少し準備があって」

「準備?」

「はい。なので、今日は悠音と共に行って来て下さい」

「分かりました。じゃあ、後で」


「はい。少しお休みしていて下さい。お掃除、ありがとうございました」


「約束だからね!!」


 姉妹に頷いて少年が自室に戻る。

 居間に残された二人がポツリポツリと呟く。


「お姉様。あたしね……《《今日がいい》》……」


「分かりました。悠音……私の分まで楽しんで来て下さいね……」


「うん!!」


 世界は晴れていた。


 何一つ瑕疵無き青空は何処までも澄み渡っていく。


 *


 僅かに午睡みに落ちていた少年がふと目を覚ませば、もう4時を過ぎた時間帯。

 まだ日は長いとはいえ。


 それでも夕暮れ時までもう少し。

 起き上がると下半身の当たりが妙に重く。

 少年がチラリと見やれば。


「マゥヲゥヲ……マゥ~ヲ~~……」

「クゥゥヲゥゥクゥヲ~~……クヒュ……」


 何やら寝言を言いながらダラダラ幸せそうな顔をした猫ズが載っていた。


 夢でも見ているのか。

 妙に動きが激しい。


 仕方なく少年が退かした布団の上に猫達を優しく並べておく。


「マゥ~~~」

「クゥ~~~」


 互いに寝ているはずなのだが、猫パンチしたり、ブロックしたりしながら戦い?を始めた二匹をそのままに部屋を出た。


 そう言えばと少しだけ探検の続きをしてみようかとまだ歩いていなかった通路を進んで何か無いかと見て回る。


 すると、襖ばかりの屋内に壁際に面した部屋が見付かった。


 奥まった場所にあるが、扉とドアノブのある部屋だ。


 ソレをガチャリと回して見れば、内部へとギィィッと軋んだ音を立てて扉が開く。


 外からの陽光にすっかり温められた室内の温度はムワリとした空気だけで分かったが、室内には大きな姿見が一つと本棚と化粧台。


 それから寝台にクローゼットが置かれていた。


 姿見には布が被せられており、化粧台の上には化粧品らしきものや宝石箱らしきものがあった。


 だが、それよりも目を引くのは書棚の中央に空いた場所に写真立てが置かれている事か。


 それはアルバムでも見た事の無いものだった。

 金髪の60代の男性と黒髪の30代の女性。

 共に40代くらいの外国人らしい銀髪の男性と女性。

 それら四人の前には二人の姉妹と一人の少年が並んでいて。

 屋敷の庭で撮られた写真は春なのか。

 桜色の花弁が庭に所々散っていた。


 庭には大きな樹木が数本有ったが、それだろうかと少年が写真に近付く。


 すると、その写真にオカシな点がある事に気付いた。


「これって……」


 写真立てを手に取って、少年がそのフレームの端に見えていた別の写真の僅かな色合いを見て、後ろの写真を止めていた枠の金具を外して、内部の写真を取り出す。


 それは二枚目の同じ構成で撮られた写真だった。


 しかし、それを見て驚いた少年はそっとソレを懐に忍ばせ、一枚目を元に戻して元の位置に写真立ても戻す。


(……一体、どういう事なんだろう)


 一度、自室に帰ろうと部屋を出て角を曲がった時だった。

 目の前に明日輝が立っていて。


「アステルさん?」

「どうかしたんですか? ユウヤさん」


「あ、このお屋敷を探検してたんですけど、襖じゃない部屋があったので見てたんです。その……ダメでしたか?」


「いえ、あそこは母の部屋ですけど、今は誰も使っていないので……」


「え、あ、ご、ごめんなさい……」


「いいんです。記憶が無くて不安なのにあの子に沢山言われても分からない事もあるでしょうし……それに母も父も……ユウヤさんの事は愛していたと思いますから……」


 明日輝が薄らと笑んで少年を縁側に誘った。


 開かれている窓の先には幾つかの樹木と香草の茂った場所が見える。


 乱雑なようでいて、実際にはどれもが種類毎、綺麗に自生しているらしく。


 蟲に喰われているものが一つも無く。


 管理されている庭なのが暮れ始めた陽射しの中でも少年には分かった。


 嫋やかに足を崩して、薄紅のスカートに袖を詰めたシャツ姿の明日輝が団扇を2本取り出して、少年に1本渡した。


「ユウヤさんが家に来て初めての春……両親は亡くなりました」


「……そう、ですか……」


「父は病気だったんです……でも、治るものではなくて……母は家族を亡くしてから医者を目指した人で……父と出会ったのは病院だったと聞きました。それでも父は私達を母が生んでからも何とか命を保ってきた……でも……」


 団扇で仰ぎながら空を見上げた明日輝が空を飛んでいく鳥の影に目を細める。


「母は父を看取った次の朝……父の遺体の横で安らかな顔で眠っていました……毒だったのかどうかも分かりません。ただ、父と最後に手を握っていた……きっと、あの人の幸せは父との時間だったんです……私達の事を愛してくれてはいました。でも……きっと、父を一人にしたくなかったんです……」


「………」


「ユウヤさんがいなかったら、あの子はきっと壊れてしまっていたと思います……だから、私達は家族になった……」


「アステルさんは……それで良かったんですか?」

「私は……ユウヤさんの事………好ましく思ってますよ」


 遠く遠く。

 何処かで俄か雨でも降ったのか。

 遠雷が響いて来ていた。


「心から信じられるものはきっと人生でそう多くありません。あの子にとってそれはユウヤさんで……私もまたそうだった……それだけなんです。きっと……」


 スッと立ち上がった明日輝が素足のまま縁側から地面に降りた。


 そろそろ夕闇が迫る世界にはいつの間にか鱗雲。

 風もまた何処か少し涼を運んで来て。


「思い出に寄り添って誰かを想う事は悪い事じゃありません。人はきっとそう出来なければ……寂しいと思うから……世界が終わったって、きっとソレは輝くものだと思うから……」


「ユウヤ、さん?」

「今日は悠音さんをちゃんとエスコートしてきます」

「……はい。お願いします……フフ……」


 心の底から微笑んでいるのか。

 瞳の端に微か光るものを湛えて、庭の樹木の上。


 苔生した場所を優しく踏んで楽しげに背中を預けた少女はまるで童心に返った様子で。


「この桜の下でみんなでお花見してたんですよ。みんなで……だから……来年も……」


「サクラ?」


「忘れちゃったなら、その時までの楽しみに取っておきましょう。初めて見る桜はきっとまた格別でしょうから……」


「……約束します。今度、みんなで見ましょう」

「はい……」


『そろそろ行くわよ~ユーヤ~!!』


「はーい。今行きま~す!! 行ってきます……明日輝さん」

「帰りは遅くならないように気を付けて下さいね?」

「分かりました」


 少年が頭を下げて、そのまま玄関へと向かって消えていく。

 その背中を見送って、樹木に預けた背を少しだけ下に落して。


「もう……何もかも……遅いんですよね……お父様……」


 空を見上げる明日輝が小さく呟いた。


 *


 風鈴の音が幾重にも重なる

 宵闇に輝く灯りは風車と共に淡く道を照らし出す。


 近所の子供達の姿もあれば、恋人達や屋台の大人達の姿もある。


 この時代に生き残る以外の目的の為、何かをしようと集まるなんて、それこそが一番の不思議かもしれず。


 しかし、その事が胸に心地良いような風も吹かせて。


 少年は初めて見る異国情緒の風景に驚き、口元を緩ませていた。


 生憎と食べ物の屋台は並んでいない。


 しかし、様々なチープと言ってしまえば、それまでだろう遊戯や玩具の屋台が幾多並ぶ通りには人混みが賑やかなBGMを提供している。


 だが、そう大きくない祭りの為か。

 二人が歩くには丁度良い喧騒だった。

 山間の坂道を登って10分。


 街並みが見える位置に付く頃にはもう世界は闇に支配されて。


 街路の灯りとカーテン越しに僅か漏れる灯りだけが輪郭を映し出し、多少の涼風に祭りへ集う人々もまた軽やかな笑顔だった。


「昔は屋台でもお食事が出ていたって。お姉様が教えてくれたの。でも、今は食料事情が悪いからお祭り用の缶詰ばかりだって。あ、コレコレ……焼き鳥とタコ焼きの缶詰、あたし達にはコレが普通だけど、本当は缶詰じゃないのが出るのが普通だったんだって……信じられる?」


 悠音は薄い紅の羽衣のような透明感のある金魚が一匹池に泳ぐ柄の浴衣姿。


 浴衣の上には薄い布製のストールようなものがサラリと掛けられている。


 朱塗りの下駄を履いた少女は僅かに唇へ紅も差しており、白粉こそしていなかったが、十分に魅力的だった。


 同年代の少年少女が振り返るならまだしも。

 大人達もまたその可憐さに僅か目を見開く程だ。

 子供もまた日本人以外が多い最中。

 目立つ少女はしかし視線を気にしている様子もなく。

 いつもの元気印とは裏腹に儚げな微笑みを少年へ向ける。


「これがこの国のお祭りなんですね」


「でも、大人の人達は昔とは違ってるって。本当のお祭りが出来るのはみんなが食料をお腹一杯食べられるようになってからなんだって」


「そうなんですか?」


「どうかしら。食料不足でこの国の人は逆に健康になったってテレビやネットでは言ってるけど」


 少年は明日輝が予め悠音と自分に渡していたお小遣いの入った財布を意識しながら、お面が売っている一角に差し掛かる。


 ヒーローものにアニメものにと色々とあったが、その一角に小さな白と紅で塗り分けられた狐面が一つ。


 それもどうやら木製らしく。

 明らかに値段の桁が1つ違った。


 その中に音の小さな鈴が紅の紐で結わえられた首飾りと共に売られているモノがあった。


「………コレ下さい」

「ユーヤ? って、コレ高いわよ?!」

「あいよ。1450円ね」


 オジサンに札を二枚渡した少年が『モノ好きねぇ……』という顔の悠音を横に商品を受け取る。


「それユーヤが被るの? 似合う……かしら?」


 うーんと真面目に品評し始める少女だったが。


 少年が面を懐に入れて本当に小さな鈴の首飾りを自分の首に結わえ始めるのを見て。


「え、え? あ、ちょっと……これって……その……」


「これでいい、かな?」

「ぁ………」

「これならはぐれないかなと思って」


 その微笑みに悠音が思わず顔を真っ赤にした。


 正しく、幼いカップルとしか見えない二人の仲睦まじい様子に周囲の大人達の視線は何処か優し気で生暖かいものになる。


 その最中、狐の面を自分と歩く時の反対側へ。


 少女の側頭部付近に付けた少年はコレでいいと頷いて、神様に祈るらしい拝殿へと向かう。


 少女の頬は紅いまま。

 しかし、少年を握る手だけは確かにしっかりと離れず。

 二人が歩いていく道は空いていた。


「此処にお金を入れてから、この紐を引っ張って鐘を鳴らした後、手を合わせて拝むのよ?」


 少女の声にはいつもの元気は無いが、何処か喜びが滲んでいた。


 同時に五円を投げ入れて、紐の先の鐘を鳴らし、手を合わせた二人が詳しい作法など無くても十分に堪能したという顔で微妙に違う理由ながらも満足して左右に並んだ屋台をスルーしながら、再び参道の先に出た。


「帰りは階段を降りましょ? 少し急だから手を離しちゃダメなんだからね?」


「うん」


 人気はあるが、急な階段を降りる者は少ない。

 途中に幾つかある踊り場で一休みしている者も多かった。

 二人もまたその一つで暗い街並みを前にベンチに座る。


「………ユーヤ……」

「何ですか? 疲れちゃいましたか?」


「あたしね……本当は……ユーヤが……キオクソーシツのままの方がいいんじゃないかって……そう思うの……」


 何とか言葉にした少女が沈んだ様子で呟く。


「そうなんですか?」


「別に意地悪で言ってるんじゃないの!? ただ、ユーヤもきっと……大人達が言うようにこんな時代だから、なんて言いたくない……言いたくないけど……でも……」


 少女の言葉はきっと色々な現実に雁字搦めだ。


 そして、そんな少女の言葉に死そのものを見る少年は人の生きる事の何と難しい時代か、という言葉を確かに実感として感じている。


 初めて都市に辿り着くまで。

 辿り着いて以降も苦難は常に降りかかってきた。


 運良く、都合よく、己の才と命を振り絞ってようやく今を掴んだだけに過ぎない。


 現実は実際ならば、途中で何か歯車一つが掛けただけで生死が逆転する。


 誰かと仲違いしていたかもしれないし、誰かと共に協力出来なかったかもしれないし、誰も護れない事すら有り得ただろう。


「辛い事なんて……きっと、生きている限り、無限大だと思います」


「え?」


「昔、僕にお爺ちゃんが言ってました。生きる事は苦悩や痛みそのものだって……」


「そう……そうかもしれない……」

「でも、こうも言ってたんです」

「何て?」


「死が安息とも限らない。そして、死んだからと全てから解放されるわけじゃない……その人の死が誰かを縛る限り、死んだ当人すら本当の意味で全てから自由になれるわけじゃない。そう……」


「死が安息とは限らない、か。ふふ、難しい事言う人だったんだ。ユーヤのお爺ちゃんて」


「そして……だからこそと言葉を続けていました」


「だからこそ?」


「何の苦痛も無い人生を送った奴に他人を心底慰めてやる事は出来ない、と」


「それは……」


「どんな事でも同じです。痛み、苦しみ、嘆き、哀しみ、諦め……人はそれを知ってこそ、誰かを慰めて、励まして、寄り添って、共に泣いて、不屈なるものを手にする……」


 少女は言葉に詰まり。


「この世の全てに絶望した人間でなければ、この世の全てに絶望した人間を前にして何かをしてはあげられない。極論だとしても、僕も……そう思います」


「だから、それを受け入れるの?」


「それは人其々だと思います。立ち直れない人だっているし、絶望してただ死を待つ人だっている。でも、僕はそれでも前に進もうという人も知ってます」


「そんなの一握りじゃないの?」


「そうかもしれません。でも、誰かが手を差し伸べてくれるなら、その人だって立ち直れるかもしれない。立ち直った人がまた誰かに手を差し伸べてあげるかもしれない。傲慢だとしても、僕は……僕にそうしてくれた人達がそうであったように……そういう人になりたいと思います」


「―――ユーヤってオトナなんだ……背はこんなに小っちゃいのに生意気!!」


 茶化すようにして少女が少年の頬を両手でグニョッと伸ばして笑う。


「や、やへてくらはい」


「あ、でも、これはこれで楽しい感触だわ。ぅ~ん……後でお姉様に教えなきゃ」


「ぅぅ、それも出来れば止めて下さい……」

「さ、そろそろ出発しましょ。電車に遅れちゃう」


 立ち上がった少女は手を差し出さなかった。

 ズンズンと歩いていく少女を慌てて少年は追い掛ける。


 そして、そのまま互いに微妙な距離を保ちながら、しかし雑多な話に花を咲かせながら、二人が共に歩いていく。


 夜、電車で一駅の家に帰り付くまで何を話しただろう。


 少年は忘れてしまいそうなくらいに少女の愚痴や他愛ない話を聞いた。


 やれ、学校の夏の宿題が多過ぎる。

 やれ、他校の生徒が羨ましい。

 やれ、夏休みは2か月であるべき。


「ふふ。あはは……♪」


 楽しそうに少女は笑う。


 そして、少年と共に屋敷の前に辿り着いた時、玄関を前にして振り向き。


「ありがとう。一緒にお祭りへ行ってくれて……」


 そう、狐の面に触れて、微笑んだのだった。


 *


 夕飯は歩いて来た二人を気遣ってか。

 お腹に優しそうな具沢山の野菜スープとパンだった。

 爽やかな風味が疲れた体には心地良く。

 少年はお風呂は頂かず。


 ササッとシャワーを浴びてから、すぐに部屋へ戻った為、食事後に再び少女達と浴室でバッタリ鉢合わせる事は無かった。


 カーテンの引かれたユウヤの部屋の中。

 少年は再びロボっトのプラモを鑑賞する。

 そして、ようやくふと気付く。

 全てのプラモが母屋とは逆を向いていた。


「………そっか」


 夜はまだまだ長いかと思えば、食事をして、シャワーを浴びて、歯を磨いた後、襲って来るのは睡魔で……抗う事も出来ず。


 少年が瞳を閉じる。


 心地良い寝台のシーツは洗濯、干された後のようで枕もまたフカフカだった。


 そして、どれくらいの時間が経っただろう。


 少年が定かではない五感のまま、心地良い感覚に滲む視界を開く。


 意識は朦朧として。

 しかし、水音を聞いたような気もした。


 でも、違うと胡乱なまま理解も出来ずに少年は自分の腰の上で踊るようにして艶やかな笑みを浮かべる年上の少女を見る。


 瞬くように煌く汗を肌に浮かべて。


 その動きはまるで寄り添うようだったが、少年の言葉を紡ごうとした唇はまた蕩けるような蠢くものに塞がれて押し込まれ、絡み合っていく。


 もう一人の小さな少女もまた全ての言葉を呑み込ませるように、紡がれぬように、融け合おうとする。


 少年と繋がる姉と共に片方ずつ手を絡み合わせ、自由を奪う様は小悪魔のようにも思えるだろう。


 言葉にしようとする度、声にしようとする度、その意識は慰撫され、奈落のような安寧の黒い世界の底に沈んでいく。


 妖しくも慈愛と相手に媚びて甘く吐息を吐き出す少女達の舌がチラリと見せられ……大きく柔らかな二つの魅惑する双丘となだらかな平原が少年の胸板を汗で滑らせる。


 腰が外も内も心臓のように熱く高まり。


 顎をぬるりと濡らしながら、ブレる視界の中、少女達は湯気の上がりそうな吐息を上げながら、ただ少年を貪るようにして自由を奪っていく。


 やがて、少年の意識が白くなった後、背筋を逸らせて、少年の腰の上で踊り上げた少女はもう一人の少女に囁く。


『ん……っ……っっ……準備が……出来ましたよ。さぁ、みんなで家族を作りましょう……ね?』


 切なげに顔を甘く歪めて、少年の上からゆっくりと腰を上げた少女は口元をはしたなく濡らしながらも甘く蕩けた顔で待ち侘びていた妹に囁く。


『おねぇさまぁ……っ』


 少年の口元から顔を上げ頷いて。

 一糸纏わぬまま。


 視線の先でゆっくりと跨り、腰を落としていく少女に少年の唇が何かを呟こうとした時、また少年の口元は甘く少し長い舌と薄い唇で塞がれた。


 やがて、また腰の上で熱さと重みを受け止めた少年は甘い声が啼くのを聞いた。


 また二人の少女に両手を絡み合わせられ、自由を奪われながら、押し付けられる柔らかさと人肌の温もりに背筋を焼かれながら、少年は白く白く意識を落していく。


 最後に見たのは少女達の甘く甘く媚びて妖しく泣き崩れそうな顔と優しく頭や腕を包む抱擁。


 そして、闇に乗った雨音と紅の紐に結わえられた小さな音色だけが漆黒の中で混じり合ってゆくのだった。


 *


 世界から夜が引けていく。


 山の輪郭が浮かび上がるような、薄暗がりに目が覚めれば。


 少年は何事も無かったかのように寝台の上に眠っていた己を見付ける。


 しかし、口元は甘く甘く。


 薫るものをコクリと飲み下せば、頬が朱くなるのは止められず。


 馥郁と湧き上がるのは恍惚か罪悪感か。

 何れにしても、一夜の夢の中。

 少年は窓際に二匹の猫を見付ける。

 チリンと鈴が成る。

 いや、それは幻覚だったのか。

 小さな金属の輪が床に転がっていた。

 その中には確かに外套が一つ。


「………ありがとう。マヲー。クヲー」


「(/・ω・)/\(・ω・\)」


 やったぜ的に二匹が前足の両手の肉球をハイタッチする。


 二匹の頭を撫でた後。


 少年がスーツを外套内から取り出して着替え、装甲を身に纏い。


 外套もまた常と同じように羽織る。

 そして、手に入れた鍵を懐に仕舞い込み。


 そのまま離れから縁側まで歩いて木戸を開けて、外に出た。


 庭の中程まで出た時だった。


「何処に行くんですか? ユウヤさん」


 後ろからした声に少年は振り向かない。


「僕はユウヤさんじゃありません……僕は―――」


「此処では貴方はユウヤさんです。そうでなければ、いけない。そうでなければ存在していられない。だから、決して貴方は自分の名前を思い出したり出来ない」


「……僕は……僕の名前は……ベルディクトです」


「―――どうして?」


 声は驚く。

 進みゆく時が空を、刻一刻と夜を……駆逐していく。


「この世界には鍵がある。そして、それを使う人が必要なのは何となく分かってました。僕も魔術師の端くれですから」


「……やはり、そうなんですね。でも、鍵が見付けられたとしても、使えるはずない……あの鍵は私達姉妹にしか使えない……そう、私と悠音以外は……」


「いえ、使える人は後一人います」

「父は死にました……もう何処にも……」


「いえ、その血を受け継いでいる人はお二人だけじゃありません」


「ッ、そんな!? まさか!? う、嘘です!! だって、父はもう扉は開かないと!!?」


「いいえ、きっとお二人のお父さんは1つ勘違いをしてたんです」


「勘違い?!」


「この世界はまだ僕がいた世界と繋がってます」


「ッ、だとしても!! 貴方もあの世界の人なんでしょう!! 父は十数年も帰れなかった。貴方もそうなんでしょう!! 帰れないなら、此処にいたっていいじゃないですか!? もう、私達は此処にしかいられないッ!! 此処にしか帰る場所はないんですッッ!!」


 明日輝の声は悲鳴のように明けの闇に響く。

 空からはポツポツと小雨が降り始めていた。


「……僕は貴女達のお姉さんを知ってます。何度も命を助けられました。その時、彼女の魔力を沢山貰った……だから、この鍵も使う事が出来る」


 少年は姉妹の父親の元で手に入れた鍵を持って振り向く。


 其処にいたのは悠音と殆ど歳も違わないだろうよく似た……しかし、目元が優しそうな同じくらいの背丈の少女だった。


「明日輝さん。悠音さんと一緒に現実へ帰りませんか?」


「貴方は私達を助けたつもりなのかもしれないッ!! でも、妹はッ―――妹はもうッッ!!」


 少女の姿が少年よりも大きく。

 より年上の女性らしい姿へと変わっていく。


 その手には蔵で見付けた帯剣が握られていた。


 剣身は黒く。


 膨大な魔力の凝集が見て取れる。


「もう嫌なんです。何かを失うのは……ユウヤさんの両親が死んだ日、本当は私が死ぬはずだった……あの日、学校で虐められていた私を忙しい母の代わりに迎えに来て……お二人は交通事故で亡くなりました……ユウヤさんは気にしてないって……でも、ユウヤさんから家族を奪ったのは私が弱いせいだった……ッッ」


 ポタポタと少女の瞳から雫が幾度も零れ落ちる。


「父は普通の人に魔法を……魔術を使っちゃいけないって……でも、そのせいで虐められて……二人とも優しかったのに……私は……うぅぅ……」


 顔をクシャクシャにして少女は片手で顔を覆う。


「ユウヤさんを家の養子にしてから、私……ユウヤさんに尽くしました。一杯一杯……でも、ユウヤさんの寂しさ……埋めてあげられなかった……ッ」


 止め処なく。


 何もかもが流れる濁流のように悔恨が全てを押し流していく。


「父が病気で死んで、母もいなくなって……でも、父の治療の為に母は蓄えなんて殆ど無くて……このままじゃ妹とも離れて施設で暮らさなきゃならないって……ユウヤさんが……ユウヤさんが……大丈夫だって、それで……自衛隊の学校に……」


 少年が驚く。

 そして、その先の状況を悟ってしまう。


「私達を離れ離れにさせないって……家も維持してみせるって……うぅぅぅ、でもッ、でもッ、富士で死んだってッッ……役所の人がッ……もう会えない……会えないんですッッ!!!」


 全てが奪われていく。

 その絶望の中で少女は己の魔術を磨いた。

 きっと、死ぬような想いで。


「私、お姉さんだから……悠音の分まで頑張らなくちゃって……でもッ、悠音……悠音は―――」


「お姉様」


 ハッとして少女が横を向く。

 通路の先から少女が歩いて来ていた。


「もういいよ……ユーヤは……もういない……でも、楽しかったよ? 沢山、夏の思い出が出来ちゃった……ベルディクトのおかげで……ふふ、天国に行ったら、お父さんとお母さん、みんなに会えるもん。怖くなんて―――」


「嘘ですッッ!! 悠音は私が護るッ!! 私が護るんですッッ!! 怖がり屋で本当は男の人が怖くて、それでも私を護ろうとしてくれた!! 私が虐められてる時、自分もそうなるって分かってたのにッ、助けてくれたッ!! 私にはもう悠音しかいないんですッ!!」


「お姉様?!」


 少女の持つ剣がその魔力を溢れさせていく。

 黒く黒く哀しみに沈んだ色は紫昏(しこん)に染まる。

 姉の紫と妹の黄昏のような金色に染まる。


「命までは取りません。全部、忘れて……みんなで暮らしましょう? 一杯一杯気持ちよくさせてあげますから、お料理も頑張りますから、みんなで家族になって、暮らしましょう?」


 少女の剣の圧力に悠音は床に倒れ込んで気を失う。


「大丈夫ですよ。悠音……お姉ちゃんが悠音を護ります……永遠に……」


「明日輝さん」


 少年は鍵を持ったまま少女の元進んでいく。


「う、ぅあああああああああああああああああ!!!!」


 少年の腹部を帯剣が貫通した。


「―――コレで、コレで今日もまた普通の……一日が始まるんです。全部、忘れて下さい。ユウヤさん……お願いですッ、忘れて……下さいッ……」


 膝から崩れ落ちても尚剣を握るその声はもはや懇願。


 涙を流し、剣を振り、その力が見知らぬ人を傷付けても、ただ愛しい者を護る為に戦う。


 それは旧い時代ならば美談か悲劇か。

 けれども、少年は魔導師で騎士だ。


 旧き理を駆逐し、世界に光を求めた聖女の力を使う者だ。

 旧き理に埋もれ、人々を導き、先を示して歩む騎士だ。


 だから、今、己に出来る全ての事を掛けて……やる事など決まっている。


 それは目の前の道を失った姉妹を別れさせる事でも無ければ。


 己を突き刺す刃に涙する少女を慰めてやる事でも無い。


 道を示し、笑い合える日々を返してやる。


 それが出来なくて、己を騎士と言える程、少年の面の皮は厚く無かった。


「ごめんなさい。忘れてはあげられません。お二人の事、忘れたり出来ません。僕が忘れたくないんです。優しくして貰った事……無かった事には出来ないです」


「……ッ」


 口の端から血を滴らせて、そっと大きな少女の頭が撫でられる。


「そう言えば、自己紹介してませんでしたね。僕は善導騎士団所属ベルディクト・バーン……ちょっと、趣味でユウヤさんと同じような事をしてる者です」


「え?」


「ユウヤさんはきっと力の無い自分が嫌だったんですよ。お二人を護れる自分で有りたかった。僕みたいに……何か出来るんじゃないかと戦い方を学ぼうと思った……あの小さな玩具……お二人を護りたいって気持ちが溢れてました……外の敵から護りたい、盾になって受け止めてあげたい……だから、離れ離れになってもお二人の事……最後まで想ってたはずです……」


「―――」


 少女が思わず剣を放して尻餅を付いて俯き加減に座り込む。


「幸せだったはずです。もっと、護りたかったはずです。僕には分かります。だって、僕も同じだったから……護ってもらってばかりで……フィー隊長やヒューリアさんを護りたくて……力の無い自分が何よりも許せなくて、悔しかった……」


「ヒュー、リア?」


「……ちゃんと、会わせてみせます。だから、この力……お二人の《《黒き水》》をお借りしますね」


「ぁ―――ダメッ?!!」


 少年に向けて世界が意志を持ったかのように次々に建造物や草花、あらゆる物体がまるで意志を持ったように殺到する。


 少女が少年を護ろうと周囲の全てを止めようとする。

 しかし、実存を得たソレらが止まる事は無く。


 少年の胴体に枝や錆びれた金属の棒、鋭利な凶器が何本も突き刺さる。


「いやぁぁ?! 止まってッ!? 止まれッ!? 止まれ!? 止まれぇえ!?」


 泣いても叫んでも喚いても少年の周囲には包囲するように意志無き物体が集合していく。


 それはまるで本当に生きているかのようだった。

 そして、少女の手を離れて全てが暴走していく。

 暗雲が立ち込める中。

 少年が緩慢ながらも剣を引き抜いて天に掲げる。

 それと同時に地面に巨大な方陣が広がっていく。

 どれ程の力が働いたのか。


 何もかもを染め上げるように輝く方陣。

 戦慄く世界の構築物達が震えて歪んでいく。


「構成分析―――憑依型……魔力の精霊化置換……これが明日輝さんの魔術なんですね」


「ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、私―――」


「謝るのは僕の方です。お二人の事を止められなくて……でも、僕も男なので……責任は取らせて貰います……いえ、それだけじゃありません……助けさせて下さい。こんな不甲斐ない男らしくない僕ですけど……助けたいんです。貴女達を……」


 方陣が軋む。

 世界から拒絶されている。


 その最中、少女は自分の手に手が重なって初めて、妹が背後にいるのだと知った。


「お姉様……」

「悠音……私……ッ」

「いつまでも一緒よ」

「……悠音ぇ……ッ」


 抱き合う少女達が顔を寄せ合い。

 まるで立場が逆転したかのように支え合う。

 その姿を見なくても確かに感じる。

 だから、少年が彼女達に告げる言葉は一言だけで良かった。


「信じて下さい」


 それに頷く二人の少女を後ろに。

 少年は死を紡ぐ。


『概念域より内在魔力を抽出。認識力を四次―――切り、替え』


 パキリッと少年の周囲の風景に罅が入る。


 その奥から何か白いものが溢れ出し、少年を包み込んでいく。


 常の魔導とは違う耀き。

 黄昏の光と紫の光。

 それが少年の瞳を左右に染めて。


 方陣もまた重なる勾玉めいて二色に染まり、世界に輝きを立ち昇らせていく。


 安らかな光が世界に吹き渡っていく。


『外在魔力を抽出……』


 方陣の中心で空白がゆっくりと形を変えて天へと昇っていく。


 少年の剣が示した先の虚空へ。


 黒き剣が解けるようにして少年に絡み付き、外套のように覆った。


『高次領域の流入を開始、概念域露出、逆固定5秒』


 少年が両手を空に空いた空白。


 正方形のソレにまるで両手の指を突き込むような仕草をする。


 それと同時に満身の力を込めて左右へと開こうとする。


 途端、中央に罅が入った空白が横にズレ、黒きナニカが迫り出して。


 その中に少年が手を伸ばした。


 途端、スゥッと少年の手に何か腕にも見えるものが捕まえられて。


 ソレが引っ張り出される。


「―――ッ」


 ビシリと少年の瞳の内部に亀裂が奔った。

 いや、それどころではないのか。

 左の目が弾けて砕け、空白を溢れ出させる。


「ユーヤ!?」

「ユウヤ!?」


 少年に対して思わず叫んだ少女達の前で少年はそれでも祝詞の如く世界に言葉を紡ぎ上げていく。


「死せる生者に祝福を。死した亡者に祝福を。永久に陰らぬ祝福を。(ともがら)は尽きず、輩は離れず、輩は―――至らず。輩は―――死源(しげん)よりもまた我らに近付き、至者(ししゃ)此者(ししゃ)へと還りたり」


 世界に何かが引きずり出され。

 少年の腕までもが弾けた。


 だが、その何かが少年を通り抜けて背後の少女の片割れ。


 妹の身体へと吹き込まれた。


()より来たれ、我が輩よ―――」


 黒きナニカが更に少年に向けて落ちてこようとした時。


 少年の残った瞳もまた弾け散り。


「【|静寂の王の心臓を《REG/EX/TELA/SERICA》】ッッッ!!!」


 少年の叫びと共に遥か頭上の黒がゆっくりと逆戻っていく。


 しかし、途中で少年の全身から血が滴り始め、黒いナニカがギチギチと音を立てて現実へと迫り出そうとしてもがく。


 暴風のような魔力と世界に拒絶され、傷だらけの少年は―――それでも叫ばずにはいられなかった。


「いつも好きなだけ喰らってるんだから、一人くらい還したっていいはずです!!」


 哀しみを永久に消す事が出来ないとしても、永久に悲しみ続けるだけが人生でもない。


 いつだって人間は卑近なものだ。

 誰が死んだとて腹が空く。

 誰が死んだとて眠らなければならない。


 だから、せめて―――哀しみが哀しみのまま癒えていくように。


 それが死して朽ちるように。

 祝福もまた少年の魔術には刻まれている。


「告げる!!!」


 少年の全身に魔導方陣が展開され、己の肉体に掛かる術式からの破壊を急き止め、巨大な過負荷に対して高速での再生を施していく。


「静寂の王は此処にいる―――『   』―――は此処にいるぞッッッ!!!」


 それは本来、人間には発音出来ないはずの響きだった。


 だが、その宣言と同時に黒きナニカが空の奥へ奥へと引き上げて、また空白が閉じると同時に内部へと還っていった。


 そうして、世界が終に全ての光景毎土砂崩れでも起こしたようにデタラメに砕けながら渦を巻き、少年の外套もまた魔力へと還元されて二人の少女達の前に一対の短剣として顕現する。


 それを取った少女達が慌てて、倒れ伏す少年に駆け寄る。


「ぁあ!? どうすれば―――私、またッ?!」


 明日輝がポロポロと涙を零して少年を抱き締める。

 自分はまた何かを間違えたのだと。

 また、大切になった人を失おうとしていると。


「お姉様……お父様が教えてくれた事、覚えてる?」


「え……」


「大事な魔術には大事な名前を使うんだって……私達、一人前には程遠いかもしれないけど……でもね。二人ならきっと助けられるわ」


「悠音……」


 姉は妹の声に……ただ目の前の自分達に付き合ってくれたお人好しで温かな少年を見捨てないと己の胸に誓う。


 白い涙を零して、両腕を失くした少年を彼女達は両側から支え抱き締める。


「誰の祈りが届かなかったとしても……私達には奇蹟まで届かせる力がある」


「でも、私達の祈りは……」

「……届くわよ。お父様はそう言ってくれてた……」


「どうして、そう言えるんですか? 私達……お父様を救えなかった……」


「でも、そんな私達でも……お父様の娘よ……諦めたら、怒られちゃうわ」


「……そう、ですね……《《諦めるのは死んだ後でいい》》」


「そうよ。この子がしてくれたように私達も……戦おう?」


「……ッ、はい!!」


 少女達が両手を合わせて、少年の胸に触れさせ、頷き合う。


「「いみじくも永久の女神は語りたる」」


 震えそうになる声が白き闇の底に響く。


「「祖は黒き王の皇女(みこ)にして白き神の頚城なり」」


 呟かれたのは父も助けられなかった一つの魔術。


「「讃えよ。黒き王を。讃えよ。白き神を」」


 もう寿命だとそう笑っていた男は決して少女達を責めなかった。


「「なれば、尽きぬ加護にて報いよう」」


 重なる声。


「ユーネリア・レイハウト・イスコルピオ・ガリオスの名において」


「アステリア・レイハウト・イスコルピオ・ガリオスの名において」


 少女達が己の本当の名を告げる。


「「祝福を授けん」」


 光が生まれた。


「「―――聖寵(マーカライズ)」」


 全ての輪郭を掻き消すような溢れたものに包まれて、三人の姿は消えていく。


 しかし、確かに抱き締め合う少女達の身体は決して離れる事が無かった。




 第88話「真夏の夜の朱に」


「ベルさん……」


 まだ明け切らぬ空の下。


 大量のゾンビの死骸が焼け焦げたり、穴だらけだったり、頭部が弾けていたり、という有様の中


 街の一角が未だ自衛隊によって封鎖されていた。

 それもそうだろう。

 大量のゾンビとシェルターを内包したまま。


 巨大な蕾の如く一区画が丸々、巨大なコンクリートやアスファルトの塊となったのだ。


 その威容は縦幅横幅400m程にもなり。

 正しく一体何が起ったのかすら不明。


 たった一つだけ外にいる陸自と陰陽自衛隊、善導騎士団を安心させたのは少年が内部に入っているという事だけだった。


 巨大な魔力の塊に最初こそ穴を開けようとした善導騎士団の面々だったが、途中で掘削中に魔力の転化で数mを吹き飛ばすような爆発が起こり、掘削は即時中止。


 街の避難は元より、内部にいる少年や民間人が丸ごと消滅する可能性も考えて、しばしの静観の構えとなった。


 イライラした元お姫様はそれこそクローディオ顔負けに少年から貰った装備を使い切り、即座に接近戦に移行……自衛隊が見ている目の前で怪力乱神ぶりを発揮してゾンビを駆逐しまくった。


 ハルティーナが《《蕾》》と呼称されたソレを見守っている間に広域に散ったゾンビの多くはクローディオが一匹残らず殲滅した為、もう市街地には死体と少女達と陰陽自衛隊の者達しかいない。


「騎士ベルディクトからの通信は無し……お前達は……指揮官不在でもまぁまぁな働きだったな」


「あ、はい。ヒューリアちゃんにはまったく敵いませんです。ハイ」


 安治の言葉にカズマが市街地でヒューリの猛烈な戦いぶりを見ての感想を呟く。


「ベル君。こほん……騎士ベルディクトはボク達が未熟だからと置いていったんだと思います。あの時、付いていこうとしたら止められました。実際、あの蕾の中に入っていってもボク達が役立てたかと言われれば、そうは思えません……それに最後に彼が発見した北米で見られるという騎士達が造っている同型ゾンビが大量にいた時点でボクらでは厳しかったでしょう」


 ルカが冷静な視点で安治にあの時の状況を評価して告げる。


 どちらも一晩徹夜であったが、その甲斐はあって市街地から広域に拡散していたゾンビの多くがしっかりと包囲網によって止められ、殲滅……被害は拡大していなかった。


 米軍基地や周辺の乾ドックもゾンビを掃討後は速やかに基地機能が回復させられ、残敵掃討に移行して早8時間が経過。


 ようやく明けそう空を見上げながら、一晩中走り回っていた彼らはゾンビがいないかを見張り、蕾も見えるビルの上で一息付いていた。


 安治が耳元に何かを聞いて、建物に背中を預けて座り、栄養補給代わりにとゼリーのパックをチューチュー吸っている二人に視線を向ける。


「クローディオ大隊長がほぼ掃討を完了した為、この区域に戻ってくるそうだ。騎士ヒューリア、騎士ハルティーナと合流後、あの蕾の詳細な分析を行うと。我々も続くぞ」


「了解っす」

「ベル君。大丈夫かな」


「ふ、お前達二人よりは大丈夫だろうとも。彼がこの程度で死ぬならば、それこそ我々が真っ先に死んでいなければオカシイ。違うか?」


「ぅ、物凄く正論」

「確かに……行きましょう。総隊長」


 二人が立ち上がったのを見て、安治が共に非常階段を降りようとした時だった。


 ゴッと揺れが三人を襲う。


「ッ?!」

「きょ、教官!? 蕾が!?」


「ああ、どうやら何か起こったようだな。急ぐぞ!!」


 彼らの目の前で巨大な蕾がまるで花開くよう次々にその大量の建材を花開かせたかと思えば、今まで褐色の地面を剥き出しにしていた大地に再び内部の建造物を接合させていく。


 普通に考えれば、絶対に同じようにはならないだろうと思われていた街並みだったが、彼ら三人が傍にいたハルティーナに連絡を取り、合流した時には付近の街並みは窓ガラス1枚すら割れておらず、普通の市街地の一角に戻っていた。


「これも……魔術、なのか。騎士ハルティーナ」


 さすがに唖然とした安治が訊ねるもハルティーナは正直に『分かりません』と告げるのみ。


 そして、現着したクローディオとヒューリの二人が全員の元に集まって来る。


「ただいま到着。っと……挨拶しときたいところだが……どうやら、とんでもねぇ事になってるらしいな。オレ達はベルを探す。総隊長殿はシェルターやゾンビの有無を確認してくれ。オレが見た限りじゃ屋外にはいなかった」


「了解した。騎士ベルディクトを見付けたら連絡してくれ。陸自の応援はもう現地に入る準備が整っているそうだ」


「分かった。行くぞ。お嬢ちゃん達」

「ベルさぁああああああああああん!!?」


 クローディオが言っている合間にも少女は一人駆けていき。


 それを追ってハルティーナも地面を高速で駆けて行く。


「オレが最後かよ!?」


 三人があっという間に魔力波動が感知される場所へと向かう中。


 カズマ達もまずはシェルター内部がどうなっているかを確認する為、外側だけを見て回った。


 破壊されていなければ、内部の人間は無事かもしれないが、同時にゾンビも封じ込めている可能性がある為、破壊されているシェルターを見付けて内部を確認する事にしたのである。


「あ、教官!! あのシェルターの壁面!! 壊れてるぜ!!」


「ダイナミック・エントリーだ。カズマ」

「せめて、二人で行くべきじゃね?」


「お前の攻撃や反撃、防御は熱量による広域型だ。我々を蒸し焼きにしたいのか?」


「ぅ、はい。サクッとやらせて頂きます」


「これが陸自で教育した子供の態度だと知れたら、我々陰陽自衛隊は世間から非難轟々だろうな」


「今、オレの人格が物凄く批判されたような?」

「イイから行けッッ!!」

「は、はぃ~~~!?」


 シェルター施設内の外壁の穴へ少年が突っ込んでいく。

 護りを固めての突撃。


 しかし、壁をサラッと破砕して突入してみても、ゾンビのゾの字も無かった。


 更に破壊されていたシェルター内の通路まで入ってみたが、ゾンビも影は無し。


 しかし、幾つかの扉が破壊される寸前になっているのが見えて、少年が内部をソロッと隙間から覗き込むと……スヤスヤと避難者達が寝息を立てていた。


「教官。破壊され掛かった扉を複数確認したが、破壊寸前で止まってる。ついでに内部を覗いたら皆傷一つ無く安らかに寝てるみたいだぜ?」


『何? ゾンビが目標を目の前にして通り過ぎた……どういう事だ……いや、今は良い。無事だと言うが、陸自の部隊に確保を依頼する。我々は更に破壊されたシェルターが無いかを見て回るぞ』


「了解」


 少年の耳元に安治の声が響く。


 それから三人はシェルターを次々に見て回る事になったが、その一か所以外は何処にも被害はなく。


 また、正常に復帰したシェルター内の監視装置から殆ど人間が正常に眠っていた事が確認され、三人の走りは無駄ではないにしても骨折り損の草臥れ儲けとなったのだった。


 *


 最初に少年のいる場所を見付けたのはハルティーナだった。


 まるで忍者の如く市街地のビルからビルを跳びながら、少年の魔導の気配を探していたのだ。


 それが功を奏した形であり、雑居ビルの一角に倒れているのを発見。


 民間人を連れているようだったので、即座に連絡しつつ、最高速でビルまでの一直線を跳び切った。


「ベル様。大丈夫で―――」


 そう途中まで言い掛けた少女が勢いを殺してから少年の元まで来る。


「ベルさん!! 大丈夫で―――」


 ビルの下から動魔術で一気に昇って屋上にやってきた少女が少年に思わず抱き着こうとしてから、その四肢の何処にも空きが無い事実を前にして固まる。


「ベル~大丈夫か~~ん?」


 クローディオが後からおっとり刀で駆け付けて来て、少年の両手両足を束縛しているモノを前に目をパチクリと瞬かせた。


「お~~隅におけないな。こんなとこで浮気とは中々やるじゃないか。見直したぞ。男として」


 ウンウンと頷くクローディオがモロに横から飛んで来たヒューリの裏拳によって鳩尾を抉られ、ビルとビルの合間の路地裏に落ちていく。


 だが、そんな事を気にしている場合ではないヒューリがプルプルし始めた。


「ベ、ベルさん!! 一体、今まで何をしてたんですか!!?」


「ッッッ?!!」


 ビクッと反射的にヒューリの声で起き上がった少年がハルティーナとヒューリの姿らしきぼんやりとした影を見て、助かったとばかりに起き上がろうとし……それが叶わない事に気付く。


 ついでに自分がどういう状況なのかにも気付く。


「ええと、ちょっと物が見え難くなってるんですけど、その声はヒューリさん、ですよね? 後、ハルティーナさんもいますか?」


「ベル様?! 何処か目に怪我を!?」


 ハルティーナが今までどうしたものかと考えていたのが嘘のように少年の傍に寄って、そのまだ焦点を結ばない少年の瞳を見つめる。


「あ、こ、この距離だとちゃんと見えます。済みません……後、両腕もかなり動きが鈍いというか。感覚が希薄で……」


「ベルさんッ。本当に何をどうしたんですか!? それにこの子達は……」


 ベルディクト・バーンは……全裸で同じように一糸纏わぬ二人の金糸の長髪な少女達に両手両足を抱かれ、挟まれ、身動きも出来ない状態であった。


「ええと、その……す、凄く大事な事なので聞いて下さい」


「は、はい!! 何ですか!? ベルさん!!」

「妹です!!」

「え、妹さんがいらっしゃったんですか?」

「あ、いえ、僕のじゃなくて」

「では、誰の?」

「ヒューリさんの妹さんです」

「???」


 思わずヒューリが理解不能の状態で首を傾げた。


「そ、そそ、それと……非常に言い難いんですが、その……後でフィー隊長にも報告しなきゃと思うんですが、その……」


「な、何でしょうか?」

「ご、ごめんなさい!! 浮気しちゃいました!!」


「浮気?!! ベルさんが自分で言うくらいの浮気?!! あ、気が遠く……」


 ヒューリが思わず涙目でフラァ~ッと額に手を当てて実際に意識を失った。


「ヒューリアさん!? ベル様!! と、取り敢えず服を着て下さい!!」


「え、あ、は、はい!! ああ?!」

「どうしましたか?」


「は、汎用式と空間制御魔術の本体リング……恐らく喪失しました。いえ、一応複製は造ってありますけど、すいません。前に渡したのをちょっと貸して貰えませんか? 恐らく、北米で僕の魔導頼みになってる諸々がストップして大混乱になってる可能性が……」


「わ、分かりました!!」


 ハルティーナが肌身離さず付けていたリスティア製の指輪を少年に貸した。


 そして、少年が即座に魔導の接続を開始すると。

 次々に大量の発注依頼が掛かっていた。


「す、すぐに片付けないと。まずは服をユーネリアさんとアステリアさんに着せて上げて下さい」


「ユーネリアにアステリア。それがこの子達の?」


「はい。腹違いですけど、間違いなくヒューリアさんの妹さんです」


 次々に少年の周囲に外套だのスーツだのが落ちて来て、ハルティーナが二人に着せていく。


「どういう事なのでしょうか? この子達……外見的にはベルさんと同じくらいに見えますが」


「あ、そこはたぶんハルティーナさんが聞いても分からないかもしれません。でも、この子達のおかげで前から気になっていた事実が一つ確実に解明されました。そして、ガリオスの人達がどうなったのかも……分かるかもしれません」


「さすがです。ベル様」


「それとこの子達の事は隠さないとならないかもしれません。ゾンビに襲われたのが偶然かどうかは分かりませんが念の為に……不可視化の結界を張った後、お二人をシエラ・ファウスト号に運びます。ハルティーナさんにはしばらく二人の護衛をして貰いたいんですが、どうでしょうか?」


「私には難しい事は分かりません。ですが、ベル様が言う事に間違いがあるとも思えません。その任務、謹んで受けさせて頂きます」


「ありがとうございます。あ、そう言えば、外の状況はどうなってたんですか? カズマさんやルカさんをほったらかしにしてしまったんですけど」


「ああ、それなら問題なくお二人とも市街地でも銃弾を使い果たした後、奮戦していましたよ」


「良かった……」


 二人が話を詰めた後。


 悠音と明日輝がハルティーナに抱えられ、ヒューリは少年がお姫様抱っこで抱えて、すぐに上空へとやってきたシエラ・ファウスト号へと跳び上がってハッチ内へと運んでいく。


『……オ、オレ忘れられてない?』


 路地裏で乙女の裏拳を喰らった男は確実にゾンビ戦よりも大きな疲労を抱えて、よろよろと陰陽自衛隊の方に回収して貰おうとスマホで連絡を入れるのだった。


 ハルティーナが医務室に少女を運ぶ途中、聞いた寝言は二言。


 それが誰に向けてであれ、彼女は生涯その秘密を護るだろう。


 ありがとうとごめんなさい。


 たった、それだけの事で報われている少年がいる事を少女は知っている。


 そして、彼女達が己の口でソレを告げるのは遠い日の事ではないのだ。


 陰陽自衛隊の面々は朝日が都市を照らし出す頃。

 東京へと再び戻っていく。


 そのあっという間に見えなくなっていく空飛ぶ鯨を見つめながら、陸自の誰もが思う。


 時代は変わったのだろう、と。

 パラダイムの始まりは夢のような一夜から始まる。

 しかし、とある雑居ビルの屋上。


 倉庫内に残された絵本を取る人影と傍に立つ影が二つ。


『行くぞ。オイ……』

『………』

『ち、喋れねぇのかよ』

『しょうがないよ……だって、私達……』

『あの馬鹿を追跡だ……』

『……東京……たぶん、海岸のどっか』

『雑かよ!! 的中率上がったんじゃねぇのか?』


『無茶言わないでよ……4割が8割になったって私の占える事象の細かさなんて高が知れてるのよ……お家帰りたい……っ……っ……』


『泣くなよ……悪かったよ……でも、目標を達成するまで帰って来んなってお達しだからな……分かってんだろ? もう家も家族も……それでもオレ達は生きてんだよ……』


『これがッ!? これが生きてるって言えるの!!?』


『………ああ、生きてるさ……止めたくなったら言えよ。同じ境遇の(よしみ)だ。いつだって……オレが殺してやる……』


『……東京湾のゴミが一杯あるとこ……たぶん……』


『ごみぃ? ああ、アソコか。何だ。やりゃぁ、出来るじゃねぇか……』


 三つの影が消えていく。


 そうして、街には陸自の車両の排気音だけ延々と響いていたのだった。


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