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ごパン戦争  作者: TAITAN
悪の帝国編
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第99話「潜入Ⅳ」


「………?」


 目を開くと天井が吹き飛んだらしい場所だった。


 石作りなのですぐに城内の何処かだと分かったのだが、起きた瞬間に次々に何やらゴチャゴチャと音の濁流が流れ込んで来てよく分からなくなる。


 どうやら、日本語ではないらしい。


 こうして数秒、顔を左右に振ってみると。


 慌てた女官連中がこちらを介抱している様子ですぐ傍の扉の無い場所からは走っていく音と共に近付いて来る足音が幾つか。


 まだ、耳から入った音を処理し切れていないのか。


 ぼんやりとした意識の中で遠い声を聴いていた。


『ほ、本当に目覚めたの!?』


『おお、どうやら目覚めたようじゃな。まだ、衝撃が抜け切ってないのやもしれぬが、取り敢えず死んでおらんようじゃ』


 目の焦点が相手の像を結んだ瞬間に音が帰ってくる。


「……おはよう」


「!!?」


 ジークが物凄く驚いた顔でこちらを見ていた。


「何時間経った?」


「はは、最初に聞くのがソレとは……いやはや、恐れ入るのう」


「何時間だ」


「昨日の夕方頃にアレがあって、今は翌日の朝じゃよ」


「……服と食事を寄越せ。それと現場にグランジルデは残ってないだろうが、中央に石棺があるはずだ。賠償金はそっちに変更して貰う」


「おう。無理じゃぞ」


「何?」


「お前さんなぁ。未だに湖内部は灼熱地獄じゃぞ? グランジルデがまさか蒸発するとはなぁ。冷めるまで何か月掛る事やら」


「じゃあ、どうしてオレが此処にいる?」


「吹き飛んで来たんじゃよ。光の柱が爆発して爆風で城と街の半数の屋根が吹き飛んだ後にのう」


「そういう事か……奇跡ってのは結構あるらしい」


「奇跡? 建造物の被害だけでかなりのもんじゃぞ? 人的被害は無かったが重軽傷者だけで数千人なのだが」


「周辺諸国4億9400万人の命と財産を護れたなら、安いだろ。もしも、何もしてなかったら、全員グランジルデの攻撃で血の染みになってる。一時被害で1億3000万人、穀倉地帯と労働人口そのものが吹き飛べば今年の冬すら越せるか怪しい大陸中南部滅亡の危機を救ったばっかりなんだが?」


『――――――』


 唖然とした様子のジークとメレイスが目を見開いて呆けていた。


「まぁ、いい。そういうのは全部無かった事になった。だから、お前らも無かった事にしろ。その代わり、あの湖は厳重に封鎖しておけ。冷えたら、中央にある石棺を回収して、こっちが取りに来るまでそのままにしておいてくれ」


「また、何というか。妄言と切って捨てられれば、何と良い事か……」


「あの、メレイス様? 今のは?」


「聞かなかったことにしておけと言われたじゃろ。そういう事じゃ」


「あ、はい……」


「オレは帰る。オレの着て来た鎧は?」


「無いぞ? お主が全裸で避難中の我らの上にドンピシャで降って来た時には思わず笑ってしまったわい。はっはっはっ」


 思わず溜息が出た。


 黒猫辺りがやってくれたのだろう。


「鎧が全損か……竜を一匹くれ」


「それくらいならば、まぁ……」


「それと紙と羽根ペン」


「用意しよう。手紙でも書くのかえ?」


「契約書を書いておこうか。口約束じゃ締まらないだろう?」


「ふむ……」


 すぐに用意された紙を12枚程使って契約書を5分で作成した。


 六枚一対の代物だ。


「……良いじゃろう。内容は把握した。確かにコレは我が国の政体が変更されでもしない限りは有効じゃ」


 今更に気付いたのだが、メレイスは黒髪に戻っている。


「よろしい。じゃあ、後は互いの書類に同じサインを」


「うむ」


 こうして六枚の書類を円筒形の賞状でも入れるような筒に入れて封蝋で固める。


「そのぉ、メレイス様。一つ訊ねてもよろしいでしょうか?」


「何じゃ? ジーク」


「あの、その呼び方をどうして知って?」


「はは、お主の行動を予測していたら見えただけじゃ。それと名前の事に関しては間違っておらんぞ」


「………もしや、本当に?」


「だから、言っておるじゃろ。この目の前にいる世界をこっそり救ってくれた御方は帝国の至宝と名高く、吟遊詩人達に嘘偽りを言わせなかった伝説そのものじゃと」


「ほ、本当の本当に?」


「うむ。間違いない。このメレイスが確約しよう」


「~~~~~~ッッッ!!?」


 ジークがコッチを見て、愕然としつつ、ガバッッッと地面が叩き割れそうなくらいに額を擦り付けて土下座した。


「て、帝国の大公姫殿下。フィティシラ・アルローゼン様と知らずにッッ!!? も、申し訳ございませんでしたぁああああああああああああああああ!!?」


「ああ、そういうのはいい。面倒だから、敬語も忖度も遠慮も禁止だ。忙しいからもう行く」


 着替えを済ませて立ち上がる。


 持って来られた麺麭と水は急いで大量に齧って飲んだので問題は無いだろう。


「忙しないのう」


「待ってる人間がいる。連中が死んだら、後で個人的に嫌がらせするからな?」


 肩が竦められた。


「それは困る。何かあれば、是非とも協力させて頂こう。小竜姫殿下」


「それでいい。個人的にはこの国の食事が気に入った。調味料を大規模に買い付けてやるから、今から増産でもして待ってろ」


「了解したのじゃ~~ふ~~~我も疲れたのう」


「それはお前がグランジルデに使われてたからだろ」


「ん? 解るのか?」


「わざと途中から予測を外してなかったら、今頃お前も大臣と同じになってる」


「ははは……危機一髪だったのじゃ……」


 安堵の溜息が吐かれた。


「数週間もせずにまた来る。今度はちゃんとした来訪理由を付けてな」


 立ち上がる。


 体の調子はもう戻っていた。


『メレイス様!! 竜の準備が出来ました』


 振り返ろうとした時―――世界が止まった。


 メレイスの背後に佇む相手が見える。


 蒼い髪を腰まで伸ばした年齢不詳の美人だった。


 人間の女に見えるが、違うのだろう。


 蒼いドレスはまるで海水をゼリー状にしたかのように不確かで不透明ながらもどこかフルフルと震える弾力を見せている。


【我が眷属は今や変質したようだの……】


「グアグリス。いや、グランジルデ、か?」


【百八種の統括者たる我ら七種の内の四種を取り込んで尚、その虚無に呑まれる事もなく……よくぞ人間をしている】


「四種? お前と土神と臭気放つ者。後、何かいたか?」


【乳白色の鱗。それこそがブラジマハターと今は呼ばれしものの力】


「ッ、おかしいだろ。コレは南部のバイツネードの遠縁が持ってたもんだ」


【ブラジマハター……本来、ヤツはそんな名前では無かった。だが、時が経ち人類種はヤツを最も力あるものとしてブラジマハターと呼び習わす事となった】


「……力ある。お前らがそう言うって事はあの黒の裁定者を作った連中の名前なのか?」


【何れ解るとも。何れな……蒼き瞳に列なりし者よ。我が眷属だったものを連れゆくがいい。その運命の輪に汝の願いが掛る限り、その手は常に世の縁に触れ得るのだから……】


「まぁ、いい。お前らの力を使う代償だっていうなら、ある程度は従ってやる。だが、お前らがオレの敵なら、必ず滅ぼす。それだけだ」


【始祖の大地より来たりし者、か……奴らと同じ。いや、あるいは奴らよりも……ならば、征け。その手にする光が栄光足らずとも、な?】


「そんなの最初から望んじゃいないさ。オレは単なる個人的な都合でこうしてやってるに過ぎない。それが必要無い限り、面倒なものを得るのはオコトワリだ」


【ふ、ふふ、ふはははは!!! あははははははははは!!!!】


 女が大笑いしながら部屋の暗がりに背を向けて消えていく。


「では、こちらもこちらで復興に取り掛かろうか。民への説明をどうしたものやら、今から原稿も書かんとな……」


「はい。メレイス様」


 動き出した世界に旭は今日も輝いていた。


 *


「え~~本日はお集まり頂きありがとうございます」


 リージ中尉。


 未だ軍籍のある彼。


 帝国最優の兵の1人たる男は西部、北部、帝国中から集まった人々を前に演説中であった。


 本日の相手は宗教関係者だ。


 親帝国地域と呼ばれる事になった場所において合意された帝国との間の様々な条約は今日付けで履行が始まるという事もあり、各国の民間に出されていた情報以外にも解禁になる様々な報がある。


 その上で一番問題になる事を彼は人々に納得させる為に帝国本土でも1、2を争う広い会議場に来ていたのである。


「さて、各国の宗教関係者の皆様に置かれましては今後、帝国と親帝国域における宗教という概念においての扱いに付いてご報告させて頂きます」


 こうして一時間近い説明時間が流れる。


 その合間に人々の顔が赤くなるやら蒼くなるやらしていた。


「つまり、要約すると以下の幾つかの条項を護れない宗教は廃滅させる事が決定致しました」


 水を一口した彼がおざなりに毒の入ったコップに苦笑しながら続ける。


「一つ。今後一切の新興宗教、新興宗派、他国からの宗教教義の布教を帝国は容認しない。つまり、分派は不可能になります。これは布教は禁止ですが、信仰そのものは妨げないという事だと解釈して頂きたい」


 人々の顔がやはりかなり蒼褪める。


「二つ。宗教団体及び主教関連施設、宗教に関する寄付などによる獲得された全ての資金は国への綿密な申告義務が発生し、零細及び土着宗教などで資金的に余裕が無い方々以外は税金をしっかりと納めて頂きます」


 ニコリとしたリージの顔は何処かの聖女顔負けだ。


「三つ。今後の宗教団体の布教ではない勧誘も原則禁止。これは親族に対してもそうであり、親がこの宗教だから、この宗教に入れという類も原則禁止です。例外はありません。これに勧誘した場合は重い罰則が科せられる事に留意して下さい」


 血の気が引いた男達の一部は何で死なないんだという顔で驚愕に目を見開いているが、生憎と毒の類で死ねなくされた哀れな聖女の下僕はかなり不死身だ。


「四つ。宗教の離脱、宗教派閥からの離脱は国民の基本的権利であり、これを止めようとする行為は犯罪となりました。これを犯した者は何人たりとも帝国内においては厳罰が課されます」


 どよめきが更に大きく為る。


「つまり、宗派の鞍替えや宗教そのものを乗り換える事を禁止する宗教は全て一切の例外なく廃滅させる事が内務当局とも合意されております。まぁ、来るものは拒まず。されと、去る者を追おうとする者は我が国において宗教を名乗る資格無しという事です」


 キロリと睨まれた毒を盛ってくれた宗教家の一部を見たリージだったが、その瞳に思わずジワリと失禁した者達が複数椅子を後ろに倒しそうになった。


 その瞳に人間らしい光が無い事に気付けば、彼らとて自分達が何を敵に回したのかは分かろうというものだろう。


「五つ目。宗教建築と宗教組織が所有する全ての不動産と歴史的建築物に関してはその宗教組織が全て管理するものであり、もしこれらの管理が不十分、法規に違反した場合や不可能になった場合は地方自治体に管理権が移管されます。取り壊し、国への移管義務が発生すると考えて下さい。これは適宜行われますが、おざなりに管理するものであれば、どちらかを選んで頂く為、留意して下さい」


 もう真っ青な人々しか見えない会場で男はニコニコと続ける。


「此処からは皆さんがこれからどうすればいいのかという事を説明して行きましょう。宗教勧誘は禁止と言いましたが、宗教的な行事に関しては宗教に帰依している信者の生活上の活動を制限しない限りにおいて許可されます」


 土気色の顔をした宗教者達は聞いているのかいないのか。


 かなり、絶望した様子である。


 だが、今目の前にいる静かに怒れる男を前にして意見出来る者は無かった。


「単純に言えば、宗教行事や宗教関連の仕事で本来の仕事を休むなどの信者への強制は許可されません。あくまで強制ではなく自己責任で行う場合に限られます。これらを行わせようとした宗教は厳しく罰され、廃滅させる理由となる事を後でご確認下さい」


 もはや卒倒しそうな者もいる。


「ただ、それが世俗的に生活に溶け込んだ習慣や文化である場合はこれに該当致しません。ただし、その要件の認定は国側で行いますので悪しからず」


 つまりです、とリージが肩を竦める。


「古来からの宗教行事が地域に溶け込んだ毎年の恒例行事であったりする場合は除きます。個人の私的な時間を制限するのが悪いのではなく。それを強制するのはダメだという事だとお考え下さい。来たくない人間に宗教行事を押し付けるのが企画側も参加側も違法になるので極めて慎重に信者の方達へ“お願いだけ”して頂ければ幸いです」


『………』


「これらの一連の政策は簡単に言えば、厳格な宗教、宗教過激派、新興宗教の撲滅。そして、宗教の世俗化と政治からの切り離し政策だと思って下さい」


 政治からの切り離しというところで多くの人間が悟る。


 そう言えば、近頃は自分達と親交のある政治家、貴族が来ていないな、と。


「信者に厳格な信仰を強いる宗教は今後帝国の支配領域内においてはまったくの違法であるとの認識で間違いありません。これに反発する者は一切合切の容赦なく帝国が総力を挙げて廃滅させる事だけは間違いない事であり、反論は許可されていません。貴方達のような宗教家の方達には肩身の狭い世界になるかと思われますが、議論は十分にして頂いて結構」


 また毒入りのコップから水が煽られる。


「これは言わば、進まなかった宗教への罰です。貴方達の多くが安寧の上に胡坐を掻き、より良い宗教を目指さなかった。不合理を糾し、不条理を検め、自ら改革の先駆けとなって、人々を救わなかった。それが罪です」


 誰もが反発したそうな顔なのも無理はないだろう。


「此処に呼んだのは親帝国内の宗教派閥の中でも最大規模の方々ばかりだ。だが、あまりにも腐り過ぎている。あまりにも数が多過ぎる」


 リージの言葉に誰もが知る。


 今、自分達こそが秤の上にいるのだと


「貴方達は自分達の宗派の人間に長い説教を聞かせる以外に何かしましたか? お布施で巨万の富を築き、贅沢三昧。厳しい戒律で人を縛り付け、多くの人間を救うでもなく山奥で人々に資する事もない祈りを捧げる。租税も払わず。人々を救済するわけでもなく。信者の女子供を性的に虐げる者すらある。嘆かわしい話です……」


 心当たりのある者が全員顔を蒼褪めさせた。


「ええ、皆さんの事ですよ。此処に呼んだのは我々帝国陸軍が内情の裏を全て取った方々だけです」


『―――?!!!』


 誰もが震え始める。


「貴方達に宗教家を気取る資格は無い。今後、廃滅、解体された宗教の信者達は国家方針で厳しい罰と同時に救済策が取られ、新たな信仰に目覚める事になります。また、信者を洗脳し、自分の思う通りに使って国家の要人を暗殺をしようとした者達にはこの世全ての苦しみを背負って頂く事になるでしょう」


 パチンと指が弾かれると同時に帝国陸軍の軍人達が場内の入り口を封鎖する。


「心配せずとも貴方達は今まで自分達がしてきた事の罪をしっかりと裁判で裁かれる事になる。どんな宗教も干渉出来ない我が国の新たな法制度によって選出された裁判官達によって……」


 男達が一か八かと抗うよりも先に一発の銃声が天井に響く。


『ひ!?』


 リージの拳銃が天井を穿っていた。


「ちなみに貴方達の信者である襲撃者、暗殺者、潜り込んだ内定者、工作員、諜報員、貴方達の教えに心酔する家族、親族、狂信者の類は既に捕らえてあります」


 いつの間にという言葉は彼にしてみれば、肩を竦める以外ない。


 最初から計画されていた事だ。


 帝国内の膿を出し切った上で今後の腐敗の温床や芽になり得る可能性を詰む為に大改革前に様々な地盤固めが為されたのだから。


「彼らのような“被害者”には貴方達が如何に罪を犯して人々や当事者達当人を苦しめていたのかをしっかりと教え、我が方の最新の教育を施している最中です」


 教育という単語に彼らは密偵から聞いていた話を思い出す。


 そう、聖女の力は人の心すら操るものであると。


「罪を償い。その思想を検めれば、拘置所より出る事も可能だと言ってありますし、我が国の優秀な方々は彼らの嘘も見抜きます。言っている事はお解りですね?」


 ガクリと膝を付く者が出始める。


「貴方達以外の方々には原理主義を捨て、真っ当な宗教家として宗教改革の騎手として働いてもらう事になるでしょう」


 そう、現在その会議場の近くには両手で数えられる程度の善人や本当の宗教家と言うべき人々が集められている。


「皆さんの身柄は今後国家との司法取引を行う場合にのみ開放されますが、罪状が酷い場合には死刑となるので覚悟だけはしておいて下さい。では、私はこれからまともな方々との会議がありますのでこれで……毒入りの水を用意する暇があれば、国外に逃げるべきでしたね」


 キロリと青年は彼らを見る。


「帝国の内情を他国にバラし、他国から賄賂を受取り、国内工作に手を貸し、何れ帝国が滅んだ後に出られる。なんて考えている方がいるでしょうから、一つだけ忠告しておきますが、貴方達はこれから例え帝国が滅んでも復権は不可能です」


 兵士達が次々に研究所製の注射器を取り出す。


 多少針が太いのは技術的な問題であり、ご愛敬である。


『な、何だソレはぁ!?』


 恐慌を来した男達が次々に取り出される注射器に畏れを為して背後に下がろうとし、その壁際に追い詰められていく。


「単なる善人薬ですよ」


 ニコリとしてリージが告げる。


『な、何ぃ!? 何が善人だ!? 此処で殺す気だろう!?』


 男達の1人が喚く。


 だが、すぐに兵達が集められた男達を引き倒し、押さえつけて首筋を剥き出しにしていく。


「ああ、誤解なされませんよう。これはそんな毒などという甘いものではありません……これはあの方の力で造った改心が見込めない犯罪者の方々に打つ為に造られた代物です」


『ひ、ひぃ?!! く、来るなぁ!? 来るなぁああ!?』


 だが、その言葉を男達の殆どは聞いていなかった。


 抑え付けられた体を強張らせ、檀上から降りてくるリージを目を零れそうな程に見開いて慈悲を請うような表情となっている。


「黙れ……」


 リージの拳銃が喚く男達の1人の横に銃弾を撃ち込み。


 押し黙った彼らは悪魔。


 否、聖女の片腕を見やる。


「この薬は人間の脳髄に対して干渉し、良心や人間の心の共感性を最大限以上に引き出し続ける薬です。皆さんに分かり安く言えば、誰もが自分の善性に目覚める薬です。死刑執行前の犯罪者に投与され、約3か月間の贖罪を行わせる為のね」


 彼らは言われている事の意味は左程耳に入って来ないのに冷たい表情の青年を前にしてまったく沈黙以外出来る事が無いと悟っていた。


 何かを語り掛けるには相手の顔があまりにも冷た過ぎたからだ。


「これを打たれた人間は絶対に良心を取り戻し、絶対に自分の罪を後悔し、自らの罪の重さによって押し潰され、あらゆる心労で絶望し、その上で心すら病む事が出来ず、許してくれ許してくれと懇願しながら自ら死を選んでくれる。そんなとても罪人には有難い薬なのですよ?」


『ひ、ひぃぃぃいぃぃぃぃっ!!!?』


「己の罪に圧し潰され続けて下さい。貴方達が幾ら改心しようともその行き先は死ぬまで開放されはしない自らの業に咽び泣き続ける人生なのですから。さようなら……もう二度と会う事も無いでしょう」


 気絶する者。


 止めろ止めろと啼きながら懇願する者。


 だが、無慈悲に断固として彼らは首筋に刺された注射器で薬液を注入され、その上に高濃度アルコールを沁み込ませたガーゼで止血され、軍の医療特殊部隊による拘束を受けて、手錠をされてから連れられて行く。


 だが、その後、数分もせずに裏手の馬車に載せられ始める辺りでこの世のものとは思えない絶叫が無数に響き始めた。


 その多くは何を言っているか分からなかったが、誰もが許してくれと泣き崩れている事だけは解るだろう。


 その悲哀に満ちた懇願もまた防音馬車の中に押し込められて消えていく。


「さ、次の仕事に行かないと」


 残っていた会場を片付ける男達はその笑顔で死より恐ろしい刑罰を執行した懐中時計を見る男に畏怖と戦慄を覚えながらも思わずにはいられなかった。


 これが、これが聖女の片腕。


 今正に法で裁けぬ悪を裁く男。


 【悪魔卿】と呼ばれ始めた貴族の爵位持つ青年か、と。


 *


 近頃、大陸上の帝国がおかしい。


 というのは商人ならずとも帝国に出入りする人々には周知の事実だ。


 何か酒場や宿屋が物凄く綺麗になったり、トイレに人間が使うものとは思えない程にフワフワの尻を拭く為の紙が超格安で売られていたり、大量の製紙を用いた本が従来の100分の1以下の値段で大量にあらゆるジャンルのものが出回るようになったり、登録専売制になった娼婦連中の数が劇的に少なくなったものの、そういう事をしない水商売のお店が大量に繁華街に出来たりしている。


 ついでに大量の見た事も聞いた事もない商品が飛ぶように輸出されているのに商人の身形というのは逆に質素となる始末。


 何が何だか分からないよという顔になる者は多数。


 これを帝国陸軍の維持の限界の現れだと見る者もあれば、これは帝国の変革期に違いないと国民の話を聞いて納得する者もある。


 だが、そんなのは所詮は庶民の情報から測れる事だ。


 現在、帝国貴族の内情は正しく激動の時代に突入しており、資産を増やしながらソレを自身の領地に投資する二世貴族の台頭やひっそりと進む各地の国営研究開発機関による技術革新は表向きの現状に隠れている。


 それはブラスタ貴族制の社会においては貴族達の閉鎖性を一面では強化し、一面では軟化させていたが、とある事に関してだけは貴族達の口は堅い。


 主にそれは彼らを先導する者。


 大貴族と彼らの主である大公家に関してだ。


 他国人に殆ど語られない大公姫の内実。


 これを知る一部の者達は何かしらの規則や法律、罰則で喋らないのではなく。


 単に自らの良心と自制心によって多くを語らないだけだ。


「御爺様。学院に行って参ります」


「おお、そうか。もうそんな時間か。こちらもそろそろ出ねば」


「御一緒致しますか?」


「ああ、そうさせてもらおう。学院まででいいかな?」


「はい」


 帝都中枢区画付近に邸宅を構える大貴族。


 その屋敷の一つから一人の老人と少女が共に馬車で出ていた。


 その家紋を見れば、憲兵の誰もが直立不動で見送るだろう。


 陸軍大将その人の家のものだからだ。


「そう言えば、姫殿下はまだお帰りになっていないそうだ」


「そうですか……」


「まぁ、今回は遠出する為に行ったのではないと聞いているし、お付きの方々の大半も残っているから、すぐに帰ってくるだろう」


「……はい。あの方は準備を怠りませんから」


 少女が僅かに視線を俯けて、心配そうな内心を押し込めるように笑みを作る。


「正直に言うと前々から訊ねて見たかった。お前にとって、あの方はどういう存在なのだね? お前の“貴族の役割”としてではなく。個人として……」


 陸軍大将と呼ばれる時は毅然とした男も今は孫娘に訊ねる穏やかな顔である。


「難しいです。親友であり、大公家の方であり……でも、彼女はきっと、そんな事を気にした事もないのでしょう。恐らく」


「ほう? 確かに……誰にも分け隔てなさ過ぎるような気はするな」


「前に君はどうしてあらゆる人達にそんな風に接していられるのかと聞いた事があります」


「何と言っておられたんだい?」


「……人間がもしも血肉と骨が詰まった革袋なら、少し綺麗な革袋と破れそうな革袋に然したる違いは無いと。そして、破れそうな袋ならば修理すればいいし、用途別の革袋に優劣はあれど貴賤なんかあるわけもない。そう思うとしたら、それは人々の思い込みに過ぎない……そう言われました」


「……あの方らしい。血肉と骨が詰まった革袋、か。確かに戦う者の視点ならば、人など数に過ぎない。優劣はあっても、戦力に貴賤は無い。だが、それを気にするのが人間なのだが……解っていて言っているのだろうな」


「御爺様。その話を聞いた時、私はあの方に生意気に聞いてしまいました。『じゃあ、僕は君にとって、どんな革袋なんだ』と」


「それはそれは……何と答えられたんだい?」


「例え、貴賤が無くても、お気に入りの品はいつだって大切に使う主義。だそうです」


「あはははは。いやはや、敵わんな。あの方には……」


「悔しいですが、その時思ってしました。ああ、この方は自分とは見えている世界が違うのだろうな、と」


「違いない。だが、それでもやはりあの方は人なのだろう」


「それはどういう?」


「人間を知り、人間を思う。でなければ、あんなにも面倒な事を本気で取り組む必要など無いのだよ。人を愛しているのかは分からないが、人を大切に思わねば、あの方のような発想は出て来ない」


「……面倒な事、ですか?」


「ああ、お前はまだ知らないだろうが、あの方がやっている改革の中身の多くはただ合理性の追求や不条理の排除というだけではない。人の感情と心を理解し、その上で人々に満足を、幸せになって欲しいと願う。そんな日々が送れる快適な生活を与えようというものなんだ」


「快適……」


「我々のような恵まれている人間には分からない事が解る。奴隷であった時ですら、知らなかった世の悪徳とそれに泣く人々の実体を知り、賢明に人々の努力でどうにかしようとする。私には……あの方が足掻いているように見える」


「足掻いている、とは?」


「自分にはどうにもしようがない事。それを多くの人々の手を借りて解決する。その本質は恐らく世の理不尽に対する怒りではなく。悲哀を抱き締めるような優しさなのではないかな」


「……そう、ですね。そうかもしれません。ふと気付くと遠くを見てるんです。あの方は……そして、いつも自分を取り巻く人々に優しげな瞳を向けていて……」


「我が孫よ。最後まで見届ける事だ。今、この世で起こっているあらゆる不条理と理不尽の前で、強風のように吹き付ける悪意の只中で、立ち向かい、進み征く背中は……きっと、お前の導となるだろう」


 話している間にも門の前に馬車が到着していた。


「此処で降ります。御爺様とはいえ、学院は女の園ですから」


「ああ、心得ているとも。今日も勉学に励むといい」


「はい。では、これで」


 少女が馬車から降りて、詰め所の女騎士に挨拶し、それを返されながら、共に連れ立って学院の最中へと消えていく。


 これは帝国の小さな小さな日常の一コマ。


 そして、それを見ていた黒猫は欠伸をしてから、研究所の方にトコトコ歩き出した。


 そろそろ嵐が来るなと空を見上げながら。


 遥か天空の果てに座す何かに目を細めながら。

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