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ごパン戦争  作者: TAITAN
悪の帝国編
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間章「日常」


 黴の生えた部屋というのは貴族の邸宅だろうと珍しくない。


 特に戦地に赴く軍人の家というのは奥方がいてもいなくても使用人や奴隷がいない限りは使えない部屋というのがどうしても出て来る。


 無論、そういった部屋のみではなく。


 ズボラだった部屋の主が掃除を好まないという事もあるだろう。


 とある帝都の一角。


 下級の貴族に列せられた者達の屋敷の多くは維持が精一杯というこじんまりとした邸宅が多く。


 家人が奥方や子息子女しかいないというところも珍しくない。


 そんな一角でヒステリックな叫びが上がっていた。


「いい加減にしなさい!? 部屋から出て来たらどうなの!? 貴方は名誉ある帝国軍人の息子なのですよ!? 遊び惚けているわけではないとしても何もせずに暮らして行けるわけがないでしょう!? 聞いてるの!?」


 小さな邸宅の奥まった一角。


 声を掛けた年嵩の女が忌々しそうに溜息を吐いてから、部屋を後にすると部屋の主が彼女の知らぬ間にやっていた雑な家事の結果にブツブツと文句を言いながら衣類を再び畳むやら、食器の水洗いをした後に鬼のような形相で過剰なくらいにしっかりと再度洗うやら、後はまた食料が無くなっていると僅かに切り取られた麺麭の端を戸棚から見て舌打ちして玄関から出て行った。


 隣の家の婦人会の仲間とバッタリと出会った女がブツブツと相手に愚痴る声は木戸の開いた隙間からでも耳を澄ませば聞こえるだろう。


『―――あれでどうやってこの先暮らさせていけばいいのかしら!? まったく、何もやろうとしない癖にどうでもいい家事をやった気になってるだけで何かしたつもりなの!? 本当にあの子はっ、やれと言った剣術も算術もまともに成績が出ないどころか。学校を卒業しても何一つしようとしない!! 友人と時折遊びに行く時に一欠けらだけ麺麭を持っていく?! それもよく分からない遊びに現を抜かして!? ああ、情けない!? 本当にあの子はどうしてああも―――』


「………」


 部屋の主は静かに軋む木戸を軋まぬように閉めて、机に向かってカリカリと何かを書き始めた。


 射し込むのは天井の木戸を開いている間から射し込む光だけだ。


 それは部屋の隅までは照らし切らず。


 僅かに黴た部屋には薄らと埃が積もっている場所もある。


 酷く乱雑とした部屋だった。


 粗雑な作りの荒い羊皮紙や安くて書き物には向かないとされた製紙。


 あるいは何かの道具一式が詰め込まれたカバン。


 寝台の横の台には積まれた本とランタン。


 近くのテーブルにはインクの臭いが染み付いたペン。


「………行ったか」


 母の声が遠ざかっていった後。


 不意に玄関先にノックの音。


 それに戸から声で返事をした部屋の主はそっと靴を履いて二階建ての部屋の奥から歩いて玄関先の扉の前まで行き。


 扉を僅かに開く。


「どちら様でしょうか?」


「フィティシラ・アルローゼンと申します。リゲル・クロイツァン様はご在宅でしょうか?」


「―――悪戯にしては出来が良過ぎる。だが、オレに国の重鎮の方が用事があると言われても信じられるものじゃない」


 部屋の主がジトリとした視線で目の前に立っている明らかに大貴族の子女然とした軍装に外套姿の少女を見て瞳を細める。


「お仲間の方に聞いて来たのですよ。優秀じゃないけれど、面白い事を考えるヤツだと……」


「何も面白くない。どうして、大貴族がこんな没落寸前の軍人貴族の家に足を運ぶ?」


「あいつこのままじゃ潰れちまうかもな。そう、貴方と遊んだ事のあるご友人が貴方の事を手紙に書いて下さいました」


「それだけで?」


「貴方は知的水準だけで言えば、中の下。やっている書き物は売れず。しかし、見るべきところがある。遊んでばかりとは言われているのでしょうが、貴方が誰かに責められる程の人間であるとも思えません」


「……それで?」


「でも、最低限以上の読み書きと複数の書き物に見える専門用語や単語から類推するに帝国外の国でならば、博識の類ではいらっしゃるでしょう。記憶力の良し悪しはともかく。《《大衆向けではない面白い》》というのは見向きもされませんが、分かるヤツには分かるという事ですよ」


「………ようこそ、当家に。フィティシラ・アルローゼン姫殿下」


 部屋の主が扉を開いてリビングのテーブルに見目麗しいでは済まない奇矯な組み合わせである軍装姿の少女を通した。


 お茶がさっそくすぐ横の台どころで沸かされ始める。


「生憎と大貴族の方々に呑ませられる程のお茶は無いのでどうかご容赦を……」


「そのお気持ちだけで十分ですよ」


 お湯が沸くまでと戻って来た部屋の主リゲル・クロイツァンが対面に座る。


「……それで今日はどのような御用件で?」


「貴方をお誘いに来ました」


「パーティーでもしますか? 冗談の類だとしても笑えない。この体を見ても分かるように何に誘われても行く気はありませんよ」


 リゲルの体は明らかに太っている。


 この帝国に置いては軍人貴族は戦う家系として自己管理を求められる。


 故に体系を気にする軍人貴族はかなり多く。


 陰口を叩かれたくないならば、若い内は筋肉がステータスの一つだ。


 弛んだ体は確実に嘲笑と侮蔑の的になる。


 それが例え遺伝体質であろうとも。


「パーティーには生憎と誘う方は誰一人おりません。ですが、わたくしの出資する幾つかの施設において、貴方には恐らく何よりも価値がある。この時代、この時節、このわたくしがいたからこそ、価値が出てしまう」


「それはどういう?」


「簡単に言えば、衣食住を保障致しますので、仕事として書き物をしつつ、遊んで頂けませんか?」


「仕事として? 何を書かせるつもりですか……」


「遊びの作法。ルール。この時代の人々にはまだ早く。理解も左程されないだろう文化の担い手。否、それを創る側として貴方に参画して欲しいのです」


「―――一体、何の冗談なのか。分かりかねます」


「貴方も噂には聞き及んでいるはず。老いも若きも芸術家となれなかった者達の学び舎があるという事を……」


「何処かの商会が経営してる文化新興の為の施設があるとは友人に聞きましたが……」


「貴方の書いているものは理解されない。それは大衆文化としては高度過ぎるし、専門書としてならば、稚拙過ぎるから。けれど、それを遊びとして使用するならば、その知識と書き出したものは無類に独創的です」


「………」


 リゲルが沈黙する。


「貴方が死ぬまで遊びに創意工夫を凝らし、自らが見聞きした知識を鏤め、誰に理解されず、誰に評価されずとも仕事をし続けてくれるなら、わたくしが彼方の人生が歴史である事を証明しましょう」


「歴史? 証明? 誰に対して、ですか?」


「偉人なんてものはロクデナシや人格破綻者や偉業以外に語られたりはしない単なる貴方と同じような人間ばかりだった、という事を……未来の人々にですよ」


「………………くく、あはは」


 男が涙目になる程に深く深く苦笑した。


「もう40近いオレをですか?」


「ええ、いいではないですか。誰にも理解されずとも、貴方の書き物と考えた遊びは情報の保管庫で後世まで残る。貴方は確かに生きていて、貴方は確かに何かを遺した。それがいつかの人々が言う『ウチの国はこんな時から、こんな事を考えてる人間がいたんだぜ』という自慢の種にでもなれば、人間一人分の一生を面倒見る事に何の躊躇がありましょうか」


 リゲルは沈黙していた。


 それからたっぷりと数十秒の後。


 肩を竦めて少女を見やる。


「奇特を通り越して恐ろしい方だ。貴方は……もしも、もしもこのような何一つ為せぬ身で良ければ、お仕えしたくございます」


 リゲルが立ち上がり、深々と頭を下げる。


「単なる子供の道楽ですよ。子供は遊ぶものでしょう? それに大人にも遊びが必要なのです。こんな時代、こんな世の中だからこそ、誰かと本気で笑って泣いて怒って怯えて楽しめる……そんな真剣に遊べる遊びが……」


「家人に塵のように言われているオレでも……出来るでしょうか」


「出来ない人間には出来ない事は多い。けれど、今言った事に限ってならば、貴方は出来ますよ。例え、誰が何と言おうと……それだけはこのフィティシラ・アルローゼンが保障しましょう」


「………はい」


 その日、1人の男がとある商会の施設へと入居する事が決まった。


 そして、彼が1人の少女が犯罪者を処断したという話を聞いて数日後。


 そのとある商会から新しい遊びとしてルールブックが大量に貴族や裕福な知的水準の高い層に出回る事になる。


 まぁ、いわゆる流行の“ものの本”というやつである。


【卓上遊戯総覧】


 そう名付けられた本には様々な知識と共に遊びで使う情報が大量に乗っており、その中の一つには文字が読めない層にも会話を通して疑似的な世界でのコミュニケーションを用いた物語を作るゲームまでもがあった。


 TRPG。


 現代ではそう言われていたゲームはこうして帝国北部で使用されていたものを商業化した事で爆発的な流行を見せる事になる。


 誰にでもなれる。


 何にでもなれる。


 そして、それを裏付けする情報の乗った本が一冊。


 数人の共著として書かれたソレにはとある少女と共に一人の男の名前が載る事となり、これは国外へも輸出されていく事が決定。


 文字すら読めずとも出来る知的な遊びの一つとして帝国の文化新興に一役買う事になるのだった。


 その最中に人々は見るだろう。


 とある少女をモデルとして作られた架空の存在を。


 誰がどう見ても物語の主人公にしか見えない写実的でありながらも恐ろしい程に美化された無垢なる聖女を。


 全ての噂を足して美化しても足りないような、彼ら芸術家未満の才無き本当の文化の振興者達の執念を。


 それは戦女神であり、聖女であり、断罪者であり、為政者であり、まったく世に言う誰もが望む女性の体現である何かであった。


『これがあのアバンステアの小竜姫の姿か……』


『いや、創作だと聞いたが、随分と美化されているんじゃないのか?』


『化け物か。聖女か。そう言われていて、このような姿なわけもないか』


『これを見た学の無い連中はこれが帝国の聖女だと思ってるようだがな……』


 書物の情報欄に乗る最後の一枚絵。


 優し気に目の前の相手に微笑む聖少女の図は16まで育った誰かさんの姿で大陸中の人々に教える事になる。


 それがこの大陸に波乱を巻き起こす女。


 悪虐大公の孫娘。


 今や大公竜姫と言われる新たなる伝説そのものなのだと。


 それは同時にまた噂のバリエーションが増える事を意味し、自在に年齢を変えられるだの、万病を治した聖女として天に神として昇っただの、この世の全てを優しく見守る女神として今は帝国で崇められているだの、噂は噂を呼んで本人の意志とかはまるで関係無く無駄に設定が増えていった。


 歩いた後は黄金に代わり、吐いた息は香しき薫に満たされ、触れられたものは真理に目覚めて、語り掛けられたものは知的になり、傍にいる獣は皆平伏し、微笑まれたものは人生最大の恍惚を味わうだとか。


 大陸における想像上の大公竜姫の原型はこうして着実に帝国外の諸外国においても恐ろしい勢いで根付き、帝国のイメージ向上に役立っていたのだった。

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