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ごパン戦争  作者: TAITAN
悪の帝国編
461/789

第78話「東部動乱Ⅶ」


 帝都エレム。


 帝国アバンステアの中心。


 この新進気鋭の国家の中枢においての意思決定速度は迅速と評判だ。


 だが、帝国全域にこの中枢から発される命令が届くには数日の時間を要する。


 だから、急な現場からの急報に対応するのは現地の指揮官や政務官僚なわけだが、それにしても安全地帯となった地域にいる為、危険な場所への情報伝達速度は限られる。


 特に帝国の東の果てにある大森林地帯。


 帝国名においては【ユギナリア】と俗称される地域はこの状況が著しい。


 帝国軍再編の折、僅かな守備隊を残すのみとなり、兵達が去った後は僅かに残った氏族を帝国軍が一方的にならないくらいの優勢を保ちながら減らし続けていた。


 しかし、この緩やかな衰滅は一波乱を巻き起こす一迅の風によって変わる。


 帝国の聖女。


 悪虐大公の孫娘。


 小竜姫。


 北部を纏め上げて友邦とし、西部を独立させ尚影響力を保たせる事に成功した現在においては帝国最重要人物の来訪というイベントの為、守備隊に氏族との全面対決を現地の政務官が指示した為である。


 その結果、生き残っていた三氏族は遂に帝国との最後の決死の戦いを潜り抜け。


 もはや、生き残っているのは女子供ばかり。


 男達はもはや半死半生。


 後は帝国の増援に圧し潰されるか。


 あるいは帝国の残存兵力による掃討作戦で簡単に地図から消えるはずであった。


 ―――ユギナリア南方河川域アイアリアの集落。


 森の終わりに近い南方は大きな一級河川が帝国の内側から東に流れている。


 このエルフラテ川一帯は東西に長く。


 複数の街の水源として用いられており、帝国水運の要の一つだ。


 特に東部へ品を送る船が現在も大量に行き交う場所であり、


 手漕ぎやら帆船やらを用いて、川を行き交う船の数は1000km以上ある河川のあちこちに停泊地が大量に用意されている事からも重要河川なのは間違いない話。


 そんな、森林に近接する川縁にその集落はある。


「見付けました。これが師父達が遺した口伝にある森の王達の墓で間違いないようです」


 数人の男達が1人の少女に付いて、集落から数km離れた地域にある禁域に脚を運んでいた。


 先祖から伝わる立ち入るべからずの禁を犯したのは木製の樹皮を帷子のように全身を覆う鎧として纏いながら竜の頭を模した兜を被る紅いパーソナルカラーの一団だ。


 その中でもよく映える緋色の鎧を纏うのは正しく話し掛けられた少女であった。


 恐らくは十代後半くらいだろう。


 武人然とした歩き方から武術に精通する兵の類だろう事は想像に難くない。


 男達の背中には弓と矢筒。


 腰には片刃の大刀が履かれている。


 彼らがいた場所は樹木の生い茂った壁で囲まれた140m四方のドーム状の場所であった。


 ぽっかりと開いた空からは陽光が射し込んでいるが、その中心にある遺構と言うべきなのだろう場所の周囲は苔生しており、長年人が入らなかった様子で細い樹木がパラパラと巨大な大木の跡に生えており、樹木を無理やり薙ぎ倒したような道が中央の遺構まで入り口から続いている。


「こ、これが……口伝に伝わる森の王バサリの愛竜の遺骸……」


 遺構の中心地には円形闘技場のような半地下の区画があり、20m程の窪地の中央には30m近い竜の亡骸が複数の大樹の下に見えている。


 生物だと分かるのはその形が長い時を経ても未だに残っているからだ。


 苔生した樹木の下で更に埃や土砂に埋もれる事もなく。


 根の棺桶に包まれた竜は朽ちた内部を晒してはいたが、


 翼も四肢も頭部も原型を保っていた。


「付いて参れ」


 少女の言葉に男達が周囲を警戒しながら、闘技場の如き構造物を降り、共に頭部のある地点まで向かう。


 彼らの多くが頭部の顎の部分が罅割れている様子なのを確認して何を噛んだら、このように巨大な竜の顎が砕けるのだろうかと慄く。


 その最も前を進んでいた緋色の竜の衣装を身に纏う少女は口元の先。


 巨大な牙によって食まれて罅割れている何かを確認した。


 それは黒く。


 本来の形を保ってはいないように見えたが、風化しても未だに素材が劣化していたり、錆びている様子も無く。


 その部分へと向かう階段と祀るような台座が据えられている。


「それが口伝の!!?」


「ああ、そうだ。森の王が命と引き換えに退治したとされる【黒きもの】の残骸……我らアイアリアが代々守り続けて来た禁忌の象徴。我が父、イサオリが死して尚使う事を拒んだ。最後の力だ」


 少女が兜を取る事もなく。


 その手袋をした手で顎に加えられた黒い罅割れた何かに触れて、拳大の破片を引き抜いた。


「全てを滅ぼす力と言われていながら、我らが滅びて尚護る必要などあるものか。これは我らアイアリアや森の氏族達の為に使わせて貰う。父よ……我らは生き残ります。何をしようとも……」


 そう言って、少女が手に取った黒い塊を繁々と見やる。


 それがどのように使えばいいものか。


 武器に加工すればいいのか。


 あるいは火で焚けばいいのか。


 少しでもヒントを得る為に凝視する。


「……ん?」


 ふと彼女が顔を上げた時、黒い罅割れた何かから黒い液体のようなものがゆっくりと滴って―――。


『リブート……エラー……OSの破損を確認。49.944%の記述がアーカイヴに存在しません。通信状況オールレッド。直近の受信コードの復調は不可能と断定……破損状況深刻。自己復元コード破損。シェルによる疑似復元コードの記述を開始……情報量44%不足。が、がが、外部入―――』


「か、輝き出した!? お下がり下さい!?」


 黒き何かがゆっくりと黒い光を周囲に放出していた。


 黒体放射と呼ばれる現象だったが、誰もそれを理解していない。


 そして、少女は自分が持つ塊もまた光を放っている事に気付く。


『外部入力端末破損。外部情報処理システムへのコネクト失敗。直近にある物理演算及び外部ストレージに使用可能な代替物を検索……直接接触1件』


「な、何かを喋っている!? これは生き物なのか!?」


 男達がざわめく中。


 少女はいきなり自分の塊を持つ左腕の感覚が消失した事に驚いて、黒き何かを取り落としそうになった……ようにも思えたが、ソレはもはや腕の内部に同化するように入り込んでいた。


「う、ぁ、ぁあぁ、ガァアアアアアアアアアアアアア?!!!」


「どうなされたのですかぁ!?」


 少女が自分の脳髄が灼熱して何もかもが白く白く染まっていく事に気付いて、本能的な恐怖から片腕に己の刃を抜き出して振り下ろした。


 バスンッと刃が少女の片腕を切り落としたと同時にザリザリとノイズ混じりな彼女の脳裏から何かが引いて行く気配。


 切り落としたはずの腕からは血の一滴も流れず。


 しかし、その片腕が再び少女の腕の切断面に勢いよく勝手に張り付く。


 だが、今度は少女の脳裏が侵されるような事は無かった。


「お、お前は、何だ!! 黒きものよ!!」


『外部ストレージへのフォーマット構築中断。破損状況深刻。再構築を断念。外部ストレージを知的生命体と認識。収集情報を編纂。シェルによる独立稼働を開始。同個体の情報をアーカイヴ終了』


 バチンッと彼女はいきなり明滅した視界が弾けたような感覚を味わった後。


 今まで何を言っているのか分からなかった黒きものが分からない単語で何かを治そうとしているというニュアンスを感じ取る。


『貴方の望みをこの能力が許す限りにおいて当該プログラムは叶える用意があります。ただし、この能力で叶えた願いは当該プログラムの消滅と同時にキャンセルされます。当該プログラムは貴方の望みを叶える代価を要求します』


「望みを、叶える?」


『当該プログラムが貴方に要求するものは―――』


「叶えろ!! 何だってくれてやる!! だから、望みをッ、叶えろ!!」


『当人許諾を受理。仮想ストレージ名称【イオナス】をデミ・アドミニストレータとしてエミュレートを開始……要望を確認。最終了承を行って下さい』


 少女には解っていた。


 要望というのが何なのか。


 それはどんなものなのか。


 そして、彼女はそれを―――。


「みんなとまた……」


 口にしたと同時に彼女の意識は暗転したのだった。


 *


 竜の氏族。


 そう呼ばれているらしい氏族達がいる。


 アイアリア。


 元々は大森林の氏族の中でも有数の武力を誇った竜騎兵を輩出する者達。


 最大戦力時には約1500もの竜騎兵達を用いたというが、彼らが大森林での戦闘で帝国軍を厄したのは情報伝達速度及び後方を焼く部隊の発見とそれを叩く部隊の運用においてのみだった。


 理由は単純明快で空から森の中を移動する小規模な部隊は見付け難く。


 森林地帯でも巧みに馬を用いて戦力を移動していた帝国軍は戦術的、戦略的に相手の情報伝達速度が如何に早かろうと上手くその利点を潰していたのだ。


 部隊が何処からどのような場所に向かうのかは分かる。


 しかし、隠れてその部隊とはまた別の部隊が更に迂回して集落を襲撃するというような戦術や戦略機動が可能だった帝国軍は敵の釣り出しやブラフを織り交ぜた戦術を展開。


 大規模な部隊で迎え討とうとする前兆があれば、突出した部隊はすぐに後退し、相手へ逆に深追いさせて、必殺のキルゾーンを密かに設営して待ち構える。


 というような事が繰り返されたのである。


 一番の問題だったのは情報伝達が如何に早かろうと彼ら以外の氏族がまともな連携を取らなかった事であり、これは帝国軍に大きく利した。


 結果としてブラフや欺瞞行動を見抜けなかったアイアリアの言葉を他の氏族はまともに聞かず。


 一部でも優位だった利点は潰されて、今やアイアリアは相手の偵察に特化して、すぐに氏族を河川などを用いて逃がす事で何とか現状を維持している。


 無論、帝国軍もそれは解っており、河川の警戒維持の為に水軍を用いているが、竜騎兵を用いる彼らを前にしては上空からの奇襲などでまともに戦えず。


 相手もまた多数の艦艇から仲間達の船を逃がす為に帝国軍艦艇を相手していられないという程に追い詰められている経緯から精々が小さな船を転覆させてすぐに逃げる程度。


 水軍の殆どは水運の護り手である為、大量の民間船の警護で忙しく。


 結局は人的被害も殆ど出ない事からこれを無理に追い掛けて沈没させる事も無かった。


 縦割り行政の弊害。


 それで命を長らえるというのもまた奇妙ではあるが、アイアリアには運が在ったと言うべきだろう。


「………運でどうこう出来るレベルじゃないな。コレ」


「言ってる場合じゃないぞ!? ふぃー」


「ゾムニス。集落の真横に付けろ。攻撃はそれで已むはずだ」


「了解だ!!」


 リセル・フロスティーナが竜騎兵の群れに襲われていた。


 慌てたのは船の者達全員だ。


 こんなところでもう殆ど存在しないはずのアイアリアの竜騎兵に火球を大量に浴びせられたのだ。


 奇襲だった為、すぐに外で事態の対応に当たろうとした面々だったが、ゾムニスが凡そで500騎という目測での数を教えてくれたのですぐに出撃は中止。


 リセル・フロスティーナを減速させながらブチ当たった火球でブスブス言い出す船体をアイアリアの集落へと突っ込ませ、その数m先で停止させた。


 さすがにその状態で船に攻撃する馬鹿な竜騎兵はいなかったので、ウィシャスのみを連れ立って扉を開け放ち。


 投げ槍をウィシャスに持たせた超重元素をプラスチックに対熱コーティングした盾へ装着した機動隊が持ってそうな盾で防ぎつつ、扉を閉めさせ、3m上から着地する。


 さすがに投げ槍が貫通するどころか全て弾かれたのを見た者達は上空から背中を狙っていたが、ウィシャスに後ろを任せてこちらは前進。


 集落に残っている男は殆どいないという話だったのに集まって盾と槍で武装した歩兵達が次々に集落手前で陣を構えていく。


「……想定外というよりは常識にない事が起ってるな。存在しないはずの竜騎兵。存在しないはずの男達、か。死者蘇生でもされたか?」


「軽々しく嫌な事を言わないで欲しいな。アイアリアの部族は兵力だけで開戦当初は5万いるって話だったはずだよ」


 ウィシャスが未だにガンガンと上から降って来る槍を盾で弾き。


 剣でいなしながら溜息を吐く。


「だが、オレが病人を治せるんだ。バルバロスの類の力で死人が蘇っても別に驚かない。まぁ、その場合の中身は死んだ当人かどうかは知らないが」


 言っている合間にも上空からの攻撃が止んだ。


 それと同時に盾と槍と人の分厚い壁が中央から割れて緋色の木製の鎧、竜の甲冑に身を包んだ戦国武将を今風なイラストにしたような相手が進み出て来る。


 胸元や小柄な様子から少女だとすぐに解った。


 だが、少女の片腕は異様だ。


 甲冑も含めて、その部分だけが金属のように黒いのだ。


(―――もしかして、アレか? 北部で見たヤツか? SFの類なら存在しない氏族を蘇らせる。くらいの事は出来るような気もするが……)


 ウィシャスも盾を上に構えながらもチラリと背後を見やって、異様な黒い腕を持つ少女の姿に目を細めた様子であった。


「お初にお目に掛かります。帝国より参りました。フィティシラ・アルローゼンと申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」


 少女が進み出て、その背後に氏族長らしい男性と老人を背後にしつつ、竜の兜を取る。


 マスク状の部分まで脱がれると全体的に黒髪の氏族達の最中にも関わらず艶やかな緋色の長髪が、留めていた紐が解けた様子で広がった。


 何処かのラノベかギャルゲーにありがちな長い紅髪。


 どうやら明らかに敵意剥き出し、殺意マシマシな少女の器量はかなり良いだろう。


 具体的には自分に負けず劣らず。


 御淑やかな親友殿にだって負けないかもしれない。


 吊り目がちで猫みたいに睨む瞳。


 小顔で小麦色の肌。


 『くっ、殺せ的』な台詞がもう少し大きく為ったら良く似合う女騎士っぽい。


 自分よりも大きいので恐らくは十代後半くらいか。


「我はアイアリア氏族長の血族!! 祖父イルクムスの孫にして、父イサオリの子!! イオナス!! イオナス・アイアリア!! 森の仇敵!! アバンステア帝国の小竜姫!! 我はそなたに一騎打ちを申し込む!!」


「―――」


 それに思わずウィシャスが絶句していた。


 一騎打ちとか言い出す相手が突如として出て来るとは思わなかったのだろう。


「一騎打ちですか……成程。どうやら、わたくしの仕事がまた増えそうですね」


「何?」


「まずは我が船と我らへの攻撃の停止をお願い致します。それともアイアリアは一方的な殺戮を一騎打ちと呼ぶのですか?」


「それを貴様らが言うのか!! 帝国!!」


「それにわたくしにはまだ他の二氏族との先約もありますので、それらの事情も含めて話す場が必要だと思いますよ」


「……ッ」


 明らかに敵意剥き出しの少女がギリッと歯を噛み締め、その背後から老婆が1人、何やら耳打ちし始めてようやく少女は矛を収める気になった様子だった。


 不満げながらも片手を上げた。


「これより帝国との会談の場を設ける!! それまで指示なく戦う事を禁ずる!! 付いて参られよ!! 会談の場を用意する。案内しよう!!」


 その言葉で男達が道を開けた。


 ウィシャスが盾を背中に背負い剣を鞘に納めて柄に手を掛け、こちらの横に付く。


「(君は人を挑発しなきゃ生きていけない病気なのか?)」


「(いえ、相手の出方と心を見ただけですよ)」


 小声で溜息一つ。


 優秀な護衛は大仕事だと言わんばかりに疲れた顔になるのだった。


 まぁ、それよりも気になるのは男達の顔だ。


 無機質と呼べるくらいに表情が無い。


(SFの類だとしても、元となる情報が無ければ復元は出来ないか? 無い情報を創作もしくはそもそも何らかの方法で復元出来る程の階梯にないとすれば、隙くらいはあるかもな)


 どうなるにしてもまた仕事が増えた事だけが事実だった。


 少女の黒い腕は後ろから見ても何も変わらず。


 しかし、確かに嫌な予感がする黒さをしていた。


 *


 案内されたのは集落の奥にある小さな泉の傍に立つ館だった。


 石製の年代物で砦のようにも見えるが、広さだけで横幅30m近いので氏族間での衝突時に使われるものなのかもしれない。


 木製の扉の先。


 何故か祝いの席にも思える宴席と食事が用意された場所が幾つもあり、その最奥にある円卓へと導かれる。


 どうやら、宴らしいものを開いていたに違いない。


 となれば、それは蘇った者達を祝ってなのか。


 少女がこちらの対面に座り、老人と男……氏族長の一族の祖父と父なのだろう男が横に座った時点でやっぱりという感想が脳裏を占めた。


 周囲には女達が控えており、その中には彼女に進言したらしき老婆もいる。


「では、話を聞こうか。帝国。一体、我らの地に何用か?」


 大仰に言っているようにも聞こえるが、少女の話し方に無理は見えない。


 そもそも気高い一族なのだろう。


 生活水準はともかく。


 大森林で一角の氏族の長達は森の王と呼ばれた嘗ての偉人の子孫であるという話もあるらしい。


 言わば、大森林とは北部の昔の状況を更に細分化したような政情だったとも言える。


「では、まず他の残された二氏族との話から致しましょう」


 こうして数分程掛けて、現在の二氏族との間に交わした戦争に付いての話を終える。


「つまり、帝国は我々に宣戦布告しに来たと言うのか?」


「ええ、帝国は今後の大きな戦も見据えて、敵後方の街や集落を焼く事を止めました。また、多くの問題がある東部の平定も殆ど終わった事から、この地より軍の殆どを引き上げました」


「ッ―――勝手だ。我らを鏖殺しておきながらッ、もはや敵ですらないと侮って帰り!! 集落を焼かなくなっただと!? それで今度は宣戦布告……戦争をしに来た? ふざけるな!! ふざけるなよ!! 帝国!!?」


 激情に駆られた少女の腕が料理越しに伸びて、こちらの首筋を掴むより先に老婆がいつの間にか少女イオナスの腕に触れていた。


「止めるな!!? ばあや!!」


「なりませぬ。アイアリアは誇り高き一族。席を共にした敵だとしても自らの品位を下げるような行いは命を懸けてもお止め致します。正しく自らを貶める行為に他なりませぬ故」


「く……ッ」


 少女が指先を震わせながらもゆっくりと片手を胸の前に戻してグッと握り締めて何度か息を吐く。


 そして、ギロリとこちらを睨み付けた。


「帝国よ。アイアリアに宣戦布告すると言うのだな!! この蘇った竜騎兵達を見て!! それでも戦うと言うのだな!!」


「はい。ですが、それは此処ではありません。他の二氏族にも伝えた通り、最後の戦場を用意してあります。まぁ、この地にこれ程の竜騎兵が再び揃っているとは思っていなかった為、戦場は小さく用意していました。少し拡大せねばならないとは思いますが……」


「……はは、貴様らがやって来た事を覚えているか? 例え、貴様らがもう集落を焼かずとも我らは焼くぞ!! 焼き返してやるぞ!!」


 復讐者というのはそういうものだ。


 相手に嫌がらせをして死ぬ時まで恨み続けるのはデフォだろう。


 その激情が世界を壊せそうな程に膨れていようとも、それは帝国の自業自得。


 付き合うくらいは平常運転である。


「そうですか。ですが、それは少なくとも我らに勝ってからにすべきでは? でなければ、アイアリアの竜騎兵は正々堂々と戦う帝国を前にして背を見せて逃げ、無辜の民を焼く蛮族であると多くの国々で語り継がれましょう」


「ッッ、言わせておけば!? 帝国が今まで我らの集落をどのようにして苦しめて来たか!! それを知らないと見える!? 帝国はッ!! 帝国はッッ!!?」


「知ってますよ。女子供を卑怯にも男達が出払っている間に鏖にして、井戸や水に毒を投げ込み。食料にまで毒を仕込んで焼き払った」


 どうやら相手は少し面食らったらしい。


 子女が言うには恐ろしい内容過ぎるのだろう。


「―――そうだ!! それが帝国だ!! 我らアイアリアの氏族の男達は帝国の卑怯な手によって殺された!! 女も子供も赤子も老人も等しく殺された!! 今や残る者達の多くが食料も無く!! 飢餓で息絶えようとしている……解るか!?? 帝都でぬくぬくと育った姫に我らの絶望が!!!!」


「分かりません。ですが、想像は出来ます。そして、貴方達が手を出した力がまともに貴方達の未来に資さぬ事も分かる者には分かるでしょう」


「ッ、我らは力を手に入れた!! 帝国を滅ぼす力を!!」


 恫喝とも威嚇とも見えない。


 それは悲しいかな。


 命掛けで背後を護ろうとする子犬のようにも思えた。


「ならば、まずは帝国そのものたるわたくしを殺しに来る事です。お待ちしていますよ。まぁ、貴女がわたくしを此処で背後から襲うのでなければ、になりますが……」


「ッ……」


 少女は拳を握る。


 その黒い腕の指を音もしないのに強く強く。


「さて、では他の二氏族にしていたようにまずは貴方達にも全員来て頂く事にしましょう」


 卓から立ち上がると少女が共に立ち上がり、こちらに何をするつもりだという視線を向ける。


「簡単な話ですよ。戦場に貴方達全員を招待するのです。此処で死なれては困るでしょう。死人が蘇っても女子供の健康までは治せなかったのでしょう?」


「ッッ、貴様らの力など!?」


「いいのですか? 戦争をする時、後方が再び焼かれる悪夢。それを一番に畏れるはずの貴方が自分の力を誇示しておきながら、背後の人々を連れて行かないと? 護り切れないと? そもそも死なせずに連れて行く事すら満足に出来ないように思えますが?」


「―――ッ」


「イオナス様……」


「ばあや。帝国の力を借りるなんて言わないで欲しい……」


 背後からの声に苦渋を滲ませて少女は言う。


 だが、背後の老婆は首を横に振った。


「今日の昼まで持たぬ赤子が40人。子供は230人近くおります」


 ギリッと今にも死にそうな顔で少女が片腕を見やる。


 だが、黒い腕は何も語らない。


 そして、忸怩たる思いを呑み込むように息が吐かれた。


「………いいだろう。だが、何か仕掛けをすれば殺す。誰か一人でも誤って死なせれば殺す。貴様らの船を落とし、乗っている者達を一人残らず殺す」


「解りました。では、参りましょうか。死人は生憎と蘇らせる事は出来ませんが、まだ死んでいないのならば、何とかしましょう。水を用意して下されば、後はこちらでやりましょう」


 ばあやと呼ばれていた老婆が頭を下げて、ふらつきながら不健康そうに痩せている女性達を連れてすぐに集落内に向かう。


 それに付いて行くとすぐに女達が次々子供達と集落の全員を集めて来た。


 大きな水甕が数十個持って来られる。


 それにすぐ持って来ていた超ハイカロリーな乾麺麭を砕いて入れて、腕をその一つに突っ込むとクラゲさんの触手がすぐにリレー形式で栄養と水分を取り込みながら増殖。


 その甕から出た腕を握るようにと促して、気味悪がる女性達が畏れつつも自分からまず大丈夫かと握手し、しばらくの治療と栄養補給で少しずつ顔色が良くなっていく。


 それを見た母親達が次々に子供達をその腕に触れさせる。


 飢餓による栄養失調と内臓の不調、脳の萎縮、諸々が感じ取れる。


 それらを本当に治してしまえるというのだから、グアグリスは真に畏れるべき生物だろう。


「これが帝国の―――」


 その様子を見ていた背後のイオナスが何とも言えぬ激情と困惑で複雑な面持ちになっているのは見なくても解った。


『坊や……坊や? 治るのよ。さぁ、手を……』


 だが、それにも限界はある。


 一部の母親達が自分の赤子や子供を触手に触れさせるが、グッタリしたままなのに気付いて、こちらを物凄い顔で睨んで来る。


 いつの間にか。


 ばあやがこちらを前に杖を付いて見上げて来た。


「死人は残念ながら治す事は出来ません。この力はバルバロスの力。死人は栄養としか見なさない為か。こちらの治せという命令を受け付けないのです」


「最初に聞いていた通りという事で……分かりました。こちらで言い聞かせましょう。奇特な方」


 こちらの言い分に頷いて、今にも刺し殺しそうな母親達の傍まで行き。


 小さな声で何事かを呟くと次々に痩せ細った子供に縋り付いて母親がオイオイと泣き始めた。


 ウィシャスなどはかなり今夜から魘されそうな光景だ。


「ッ………」


 仕事中という事もあり、顔色を崩さなかったが、その手は血が出ないくらいには握り締められている。


 やがて、列が途絶えると明暗が分かれる。


 助からなかったのは12人程だったが、それでも子供達の母親はざっくりとこちらを恨み骨髄であると睨み付け、子供達を抱き締めると墓に納める為にか。


 集落の奥へと向かって行く。


 周囲には男達が屯していたが、女も子供もそちらに視線を向ける事は無かった。


 どうやら中身が空っぽである事自体は理解しているらしい。


「船で先程の食糧を二か月持つだろう程度持ってきました。他の二氏族の方々は元気な方だったのでまだ残りがあります。それもどうぞ。食べ方を書いた紙を読んでから、適切な方法で供して下さい」


「これで……これで償ったなどと思うなよ!?」


 イオナスの言う事は至極最もだ。


「貴方の大切な人達の命を刈り取ったのです。償いなど出来るはずもないでしょう。帝国は償いに来たわけではない。それは最初に聞いて頂いた通りです」


「ッ、何処まで我々を馬鹿にするか!? 帝国!!」


 吠える少女の激情に変りはない。


 だが、また勢いは少し衰えていた。


「馬鹿にはしていませんよ。貴方達が帝国の上層部に危険視された。そして、貴方達は帝国陸軍よりも弱かった。他氏族と連携も取れず。互いに相争う最中に帝国の戦略と戦術を前に敗北した。事実はそれだけです」


「く……ッッ」


 イオナスが震える拳を握り締める。


「物資を運び込んだら、こちらはすぐに立ちます。此処に居られてもそちらは困るでしょう。集落の方達は竜騎兵に載せて来ても構いませんが、未だ整備中で人を受け入れる準備も途中です」


「戦争の為に我らを招く……我らを全滅させる為の策にしか思えない」


「そうだとすれば、この場でやっていますよ。ですが、そうでないのはこちらから攻撃していない事で明らかでは?」


「ぐ……」


「それと基本的に他の二氏族が来て準備が終わるまで戦闘が始まる事もありません。なので、早めに付いたとしても貴方達に出来る事はしばらくの間、住む場所を整備する事くらいしかないとだけ」


 話は終わったとばかりにイオナスが肩を怒らせて、その場に背を向けて去っていく。


 その背後には男達が付き従っていた。


 だが、それでもこちらに憎悪以外の視線を向ける者が1人。


「何か?」


 その視線の主は母親達を説得していたばあやだった。


 近寄って来た彼女は繁々とこちらを見やってから、僅かに目を細める。


「何故に憎まれると知って助けたのです? 帝国の姫よ」


「憎まれてこそ為政者は仕事が出来るからですよ。ご老体」


「ほほほ、救えなかった母の憎悪を一心に浴びて尚、そう仰られるとは……何とも帝国の空怖ろしい事か。その歳で人の何たるかを知りますか……」


「知っているのではありません。想像力を働かせているだけです。それに憎まれ役がいなければ、治まらない事もあるでしょう」


 老婆はこの歳でどうして人間を動かす方法を知っているのかと何か闇深そうな帝国の内部の事を思ってか僅かに腕を震わせていた。


「人が生きていくのに一番必要なのは食事かもしれませんが、感情を糧にしなければ、腹は満ちても死に征く者は多い」


「……感謝は致しませぬぞ。今一度、熾った炎は帝国を炙りましょう。それがどんなに無為な事であるとしても……」


 どうやら死者の蘇生が単なるまやかしの類である事は理解しているらしい。


 感情的には他の住民達と同じなのだろう。


「あの腕と死者の蘇生。どうやら嘗ての帝国陸軍が危惧していた以上の事が起ろうとしているようですが、何とかしてみせましょう。お孫さんの命は保障しかねますが、出来る限りをお約束します」


 こちらの言っている事を正確に理解しているのは恐らくこのばあやだけだろう。


 事実上、長と言える人物は何とも複雑な表情になりながらも、長く息を吐いた。


「……イオナス様は甘味がお好きなのです」


「そうですか。覚えておきましょう……」


 こちらのやり取りにウィシャスが何とも言えない顔で沈黙していた。


 三千人からなる人々の治療が終わる頃にはもうリセル・フロスティーナの周囲から竜騎兵は離れており、全員で再び空に旅立つ時には多くの氏族達がこちらを見上げていた。


『ばあや……例の計画をやる。滅んだ氏族の跡地の地図、出来ているな?』


『……はい』


『目にモノ見せてやるぞ。帝国……我ら森の氏族の怨念を知るがいい。直ちに出る。集落の者達は頼んだぞ。ばあや』


『仰せのままに……』


 その顔の半数は憎悪だったが、半数は困惑だった事は良かったのか悪かったのか。


 こうして、三氏族への宣戦布告を終えて、この地域で最も大きな帝国軍の基地へと向かう事になったのだった。

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