第43話「鬼と豆と骨」
佳境を迎えた第三章も後少し。では、次回。
毎日のように夢を見ている。
それはきっと誰かの記憶だ。
蒼き天を飛ぶ複葉機の上。
果てまでも荒地ばかりの陸を見下ろす岩山の頂。
砕け散ったビルの最中。
黒い陰りに覆われた月面。
何処までも立ち上る蒸気と振り落ちる熱量。
女の顔は微笑み。
豊かな香りが鼻を擽る。
草原を駆ける子供達。
産声を上げる命を抱いた聖母のような君。
誰の夢なのか。
あるいはただの妄想に過ぎないのか。
それは人々の営みにして命の記録。
寂寥と諦観。
希望と愛惜。
人が人として歩き続ける限り、いつかは見果てるだろう世界の景色。
笛が鳴っている。
優雅に典雅に伸び上がる音色。
艶やかに夕暮れ時を奏でるのは誰か。
それもまた夢ならば、彼女もまた夢だろう。
この世は美しい。
そう、思えるのなら、歩いていける。
まだ、戦えている。
月は出ていた。
いつの日も変わらず。
誰かが言った。
『忘れるな』
不思議と………怖ろしくはなかった。
――――――?
起き上がると全てが胡乱な意識に一気に情報が雪崩れ込んでくる。
薄暗い世界の中。
悪臭が鼻を突き。
天を仰げば、其処には暗い穴と僅かに天井付近から小さな光が差している。
ようやく自分が誰なのかを思い出して周囲を見渡せば、正気が削れそうな光景が僅かな光によって陰影を描き出されていた。
最初に見えたのは手だ。
白骨化した襤褸切れを纏う誰かの亡骸。
手だけが中央に向けて、自分のいる場所に向けて伸ばされている。
四方を見渡せば、思わず顔が固くなった。
何処からも手ばかりが伸びている。
まるでオブジェか。
芸術の如く。
手だけが光に伸ばされている。
そして、今ようやく自分が倒れ込んでいる場所が白骨化した当人達と手で構成された小山の上なのだと理解した。
砕け散った服の下の感触。
折り重なった骨によって構成された山は半ばから崩れていたが、それこそが自分の助かった理由なのだとも理解出来た。
(クソ……あの口紅野郎……ビーン・レブに上陸直前でガスとか。昏倒した隙に捨てられたな……だが、この遺体の数……それとこの広い空間……ありがちな王城地下のヤバイ人間の捨て場ってところか? SFだと思ったらハイファンタジーは止めて下さいと切に思う)
あまりにも現実感が希薄になる光景。
よくよく限られた光源の中で観察すると。
どうやら、円筒形の空間らしい。
耳を済ませてみると少しだけ水音が何処からかした。
ゆっくりと起き上がってみると。
天井は20m以上確実にあるだろう。
梯子の類は壁際に見当たらない。
光の当たる自分の落着した場所を見たが、どうやら骨に串刺しにされて死んではいない。
もしかしたら骨折くらいしていたのかもしれないが、今のところ肉体に異常は無いのでそうなっていたとしても直ったのだろう。
遺体の小山を何とか骨を崩しながら降りる。
4m弱も降りると溜まった埃と骨粉が舞い上がった。
「ごほごほ。クソ……随分と古いな。だが、この湿度で骨になるって事は何処かに捕食者がいるって事だよな……」
小山を降りて10m程進むと曲面の壁に辿り着く。
すると、悪臭の元らしきものを見付けた。
糞だ。
それもまだ臭う。
その小ささからして鼠だろう。
まだ生物の気配は感じていないが、どこかに穴があるのは確実だろう。
そのままとりあえずは壁にそって一周してみる。
すると、半分程進んだところで壁際の端に鼠が通れそうな穴が開いているのを確認出来た。
「ビンゴ……でも、さすがに人間が通れるようなものじゃなさそうか」
少ししゃがんで調べてみるも、壁は頑丈な石製で道具でも無ければ削るのも不可能だろう事が分かった。
これではどうしようもないかと腰を上げた時。
ふと壁の一部が少し凹み。
奇妙な程に平らな事に気付く。
蜘蛛の巣が張った場所を何とか手で払い除けると。
「モニター……ファンタジーにありがちな端末に見えない事も無いが、さすがに電源が生きてるわけが―――」
手で周囲をさっと撫で回して指の感覚で確認してみるが、スイッチらしきものは見当たらない。
溜息を吐こうとするより先にパッと明かりが点った。
「タッチパネル式だったのか……」
薄っすらと耀き始めたモニターに小さな文字列が表示された。
―――豆を嫌う生物は?
問いの下にはキーボード型の表示と文字を入れる窓が一つ。
「生き物、ね。どんな謎掛けだ。クソ……こっちはただの高校生で生物学なんて……いや、生物か……ふむ、これでどうだ」
鬼と日本語で変換して打ち込んでみる。
すると、パッと画面が暗転したかと思うと再び立ち上がった。
普通のパソコンのデスクトップにも見える。
ゴミ箱がある以外は何もファイルは置かれていない。
しかし、タスクバーには幾つかのアイコンが存在しており、ファイルの形をしたものを押すと内部に複数のファイルが展開された。
「ファイル名は……統合M計画……開けるか?」
脱出に際して何か役に立つだろうかと開こうとしてみたが、すぐにファイル破損とエラー表示。
次々にファイルを開こうとしてみるものの。
殆どが壊れていた。
しかし、最後のファイルをダブルクリックした瞬間。
内部の情報が出てくる。
【統合M計画[―――検閲]次報告】
「検閲って、海苔弁並みに黒く塗り潰したって事か?」
かなり文字化けしており、読める部分は限られている。
ファイル破損直前だったのか。
殆どの部分は意味の無い数字や漢字、英語の羅列だった。
【尚、委員会の一部勢力が[―――検閲]使用後の社会構造に[―――検閲]を用いた『神の枝』を押しており、これは委員会で複数勢力に支持されてきた[―――検閲]を用いる『神の網』の対抗馬となりつつある】
「神の網……あの塩の化身の力の事か?」
【尚、『神の枝』に対する反論として当該モデルには高度な教育が必要とされ、また制御に関してヒューマンエラーの介在する余地が高い事。中核となる人材の磨耗速度が極めて早く、クローンもしくは遺伝改良による早期―――】
後は文字化けで読める箇所が無かった。
(………委員会、社会構造、複数勢力、対抗馬……何らかの組織が作った神の網と対抗馬となる神の枝……枝がもしも今回の事件の発端である枝の事なら、これはあの衛星兵器紛いを作った連中の報告書、なのか? それにしても中核人材の磨耗って……枝の使用による頭脳の破壊や肉体の変調の事だとすれば……聖女は装置の部品扱い……こいつらの言う枝は社会構造に対するアプローチ案……そして、クローンまで作る気満々だったって時点で……パシフィカが枝に接触したらロクな事にならないのは間違いないな……)
一部とはいえ。
読み量れる情報だけでお腹一杯と言うべきだろう。
塩の化身がいた当時は今よりも高度な文明があったのは確実。
それが身近な日本語で綴られているというだけで違和感全開だ。
(この世界の歴史。後で詳しく調べるか……だが、今はこれよりも脱出とパシフィカとの合流の算段を……)
ファイルを閉じて、他に何か無いかと探ってみると。
一番下に緊急時のゴミ処理施設からの退避方法というファイルが偶然にしてはまったく出来過ぎな様子でポツリ置いてある。
そのファイルを開くとまだ壊れていないらしく。
短く簡潔にゴミ処理施設からの退避方法が書いてあった。
「え~何々……モニター横に付属された豆を鬼さんの額にぶつけましょう? ふざけてんのか?! こっちは急いでる上に豆なんて持ってないんだよ!? 付属する豆って何だ!?」
思わず喚きたくもなるだろう。
だが、その情報の最後に業務日誌という文字と日付と手書きらしい鬼の顔が書かれていた。
その下には一言ずつ【受けるwwww】とか【腹痛ぇ】とか【ユーモアセンスありますね】等々の業務従事者達の言葉が連ねられている。
「……豆は何かの比喩なんだな。それに誰もが分かってる感じなのか……難しく考える必要は無いって事なら……」
とりあえず、モニター周辺の壁を手で探ってみると埃が落ちた右側の部分に何かの収納スポットを見付ける。
白くなっているカバーを外すと内部から壁際に繋がる細長い小さな電灯のようなものが置かれていた。
電池式ではないとすれば、内部のフィラメントもしくはそれに類する発光部分が劣化さえしていなければ、何とかなるかもしれない。
ゆっくりとその電灯を壁際から引き抜いて、スイッチらしき場所を押す。
すると、赤いレーザーが地面にポイントされた。
(まだ生きてる。豆がレーザーだとすれば、それをピンポイントで何処かに当てればいいのか。だが、鬼の額……何処だ……考えろ……鬼の額……)
ゴミ処理場なのだ。
普通に考えれば、鬼の顔そのものが書かれているはずはない。
また、鬼の顔と見えるものが常時見えているとすれば、それは壁面やゴミで見えなくなる可能性のある場所であるとは考え難い。
となれば、答えは。
「天井」
細い光が落ちてくる天井がもしも過去は明るく照らされていたとすれば。
施設が正常に使われていた頃なら、ハッキリ鬼のように見える何かがあったとしてもおかしくない。
ポイントを天井の周囲にとにかく当ててみる。
額が何処か分からずともレーザーで端から線を引くように試していけば、やがては突き当たるだろうと。
その考えは正しく。
レーザーがとある一点を射した途端。
モニターに上昇注意との文字が浮かび上がる。
ガダンッとモニターのある一角の真下から寂れた鉄柵が迫り出した。
「?!」
それでようやく自分のいた場所が本来は昇降機の類なのだと理解する。
上昇開始の文字と共に今まで壁と一体化して分からなかった機構が動き出し、壁の一部を破砕してガンガンと音をさせながら、ゆっくり上昇を始める。
どうやらゴミ処理場の内部は後の時代にでも補修されていたらしく。
壁際の接続部には長い年月で溜まった埃と石材の壁面が据え付けられているようだった。
次々に石材が破砕され、揺さぶられるのを何とかモニターの方へとしがみ付いて耐える。
バラバラと落ちてくる石材の欠片をモロに被った。
そうして、二十秒程で天井に近い部分で昇降機が止まる。
一瞬、機能の異常で止まったのかと思ったが、モニターがガコンと外れて、上に持ち上げられ、その後ろに錆び付いた梯子が現れた。
「何とかなった、か」
溜息一つ。
奥の梯子を昇り始めて数秒後。
いきなり下から金属の拉げる音が響き。
何事かと見下ろすと壁との間に火花を散らしながら昇降機がゆっくりと落ちていった。
「この梯子、落ちないだろうな……」
とにかく昇るべきだと慌てて手を動かす。
そうして6m程で天井に蓋が見えた。
それが今度は開かないのではないかという不安に駆られたものの。
蓋を押して、ゆっくり上げると開く。
その上に誰かがいるかもしれないとソロリソロリ顔を下から出せば、そこが通路だと分かった。
聞き耳を立ててみるが、あの激音にも関わらず誰も来る気配はない。
蓋を優しく開けて通路に出て、再び閉める。
左右に開けた石畳の通路の先はどちらも20m程先まで続いていた。
部屋は見当たらず。
陽光が通路側の窓際からゴミ集積場への直通ダストシュートに降り注いでいる。
ダストシュートは開きっぱなしになっており、どうやら壊れているようだ。
窓の外を確認すると驚きに見舞われる。
「城砦国家……これがオルガン・ビーンズの都市形態か」
広がっていた景色は現在地からなだらかな丘陵を降りていくように広がる段々畑の建造物だった。
赤い煉瓦造りの家々に屋根は青黒い色をしており、都市の外へと傾きが統一されている。
その都市の大通りが丁度見えていた。
生憎と曇り模様だったが、それでも光が雲間から射す景色は美しく。
人々の活気に溢れた様子が伝わってくる。
喧騒がこの上にあるだろう場所まで響いてくるのだ。
「……良い場所だな」
呟いた瞬間、立ち眩んだ。
何かが脳裏を這い回るような音を立てて、声が響く。
『時間はお前の味方だ』
『時間はあなたの味方よ』
グラグラと揺れる視界。
思わず口元を押さえた。
一応、20m以上は落下したのだ。
ダストシュートからポイーされて無事なわけもない。
死んでも蘇るとか。
そういうのが本当だとしても、ダメージが蓄積すれば、実は寿命が縮んでいるとか。
実はお前はもう蘇れないとか。
漫画とかだとありがちな設定が思い浮かぶ。
出来る限り、自分の身体を大事にしていかなければと大きく息を吐いた。
(この状況でパシフィカのところまで行けるか? 百合音に助けを求める方法は聞いておいたが、そうするにもまずは街まで出なきゃならない。此処の位置も確定しなきゃならないし、問題は山済みか……)
とりあえずは探索に移るかと通路の端まで行って、サッとパシフィカの為に用意されていた手鏡で反対側の通路を確認してみる。
すると、どうやら通路は正方形に延びているらしく。
角から角まで同じような距離だった。
その途中には周囲に広がる街へと続くのだろう階段が一つ存在しており、九十九折で壁面を下っている。
人がいない事を確認して近くの窓の外を確認すると階段の行き着く先はどうやら関所のような場所。
大きな門と建造物があった。
その中庭では兵隊らしき男達が何やら訓練しており、声を張り上げている。
(此処は王城? 城砦の中枢って感じか。外に出るのは厳しそうだな)
とにかく調べようと外への階段を素通りして通路の端まで行き。
再び、手鏡で反対側を覗く。
すると、今度はカーキ色の外套、男達の背中が見えた。
どうやら、その通路は庭に隣接しているらしく。
通路の半分以上が吹き抜けだ。
曲がり角は幾つもの方向に分岐しており、そこからどうやら他の施設へと向かえるらしい。
庭の内部から更に奥へ続く階段と壁面が見えた。
男達が上に続く階段へと消える。
そして、後には誰もいない中庭だけが残った。
とりあえず、庭の内部まで移動する。
苔生した庭の内部には池があり、切り株が一つ、灯篭らしきものが四方に設置され、僅かな地面に小さな黄色い花が群生して揺れていた。
空からの日差しはそろそろ夕暮れ時に移り変わろうとしている。
感覚的には数時間だが、数日そのままだった事も考えられる。
更に城の奥へと向う通路の先は危険で一杯だろう。
だが、安全に街へ降りていく道が見付からない限り、何処かに隠れるしかない。
周囲の様子を把握して、まだ見ていない通路を確認しようと再び動き出そうとした時だった。
「―――!?」
「………」
視線が合った。
質素なローブを着た白人らしき老人が立派な口髭を解れさせながら、こちらを見つめていた。
その背後には女官。
もしくはメイドのような格好の少女が二人。
僅かに怯えた様子で固まっている。
その唇が声を紡ぎ出そうとした時。
それを制する手が横に出される。
「君は?」
声には張りが無かった。
いや、どちらかと言えば、生気が無かったと言うべきか。
「縁」
「………奴らは城の中枢の方に目が言っている。二人とも、この通路を適当な理由で封鎖しておきなさい。私が一人になりたいと言っている。そう、訊ねる者には答えるように。彼の事は見なかった。いいね?」
「は、はい!! 陛下!!」
「分かりました!! 陛下!!」
「陛下……あんたがこのオルガン・ビーンズの皇帝か?」
「無礼だが……いや、無礼にもならないか。今ならば」
「?」
「君の話を聞かせてくれ。もう余命幾許も無い老人のお茶に付き合ってくれるなら、何かしら君の欲しがる情報を与えられるかもしれない」
「……分かった。助けてもらおう」
老人が瞳を細める。
その優しげな顔付きはあの自称皇帝陛下とは似ても似つかない程、温かみに溢れていた。
「そう言えば、まだ名乗っていなかったな」
老人がそっと胸に手を当てた。
「私の名はエンデーブル・ド・オリーブ。このオルガン・ビーンズの元皇帝だ」
たぶん、あのアホ毛皇女の父親。
若い頃なら優男で通っただろう老人の瞳は透き通るような青色をしていた。




