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ごパン戦争  作者: TAITAN
悪の帝国編
391/789

第10話「悪の帝国Ⅹ」


 悪の帝国が本気を出せば、この世に殺せぬモノは無い……たぶん。


 理由はこの【大陸(オルシア)】において超常現象そのものである【異種(バルバロス)】を畏れぬ勇猛を持つのが帝国を含めて数国に限られるからだ。


 ソレそのものを重用する南部の一部の国。


 つまり、デュガの故郷である竜の国を筆頭にして、幾つかの大国は其々に制御するやら誘導するやら崇めて護って貰うやら……力を色々と使いこなしているらしい。


 だが、その中でも異端であるアバンステアは真正面からの打撃と創意工夫と巨大な戦争機械たる軍部の戦略、作戦によってコレを打破して来た。


 末端の兵隊には良い迷惑だろうが、アバンステアのこの愚直な異生物への反抗は正しく現代式の理論的な思考、唯物論的な見地があったればこそだ。


 その証拠に人間の屍を積み上げて化け物を殺した報告書は枚挙に暇が無いし、殺せぬのならば、封印したり、誘導したり、封じ込めたり、延々と幽閉したり。


 やり様は幾らでもある。


 というのが、帝国軍のやり方であったりする。


「合図するまで目を閉じてくれ」


「解りました」


 目を閉じて自分を片手に抱えてラグビー選手のように地表を舐めるように走る大男の声に従う。


 片手には小瓶が握られているが、周辺からの男達の大声や剣で相手の攻撃を受けるやら、弓矢で牽制するやらしている必死な音が立て続けに聞こえる。


『こっちだ。化け物ぉ!!?』


『いいかぁ!! お前何かに絶対喰われてやらないからなぁ!!』


『どうしたどうした!!? オレはまだ生きてるぞぉおおお!!!』


 頬を何かが霞める。


 幾つかの肉が何かに貫かれるような音がする。


 だが、未だ激痛は来ない。


「今だ!!」


 男の声は背後。


 全身に切り傷と脇腹に銃創染みた穴が幾つか。


 庇った丸太のような腕には骨が見えそうな程の穴もまた開いていた。


 ぶん投げられたと分かったが、仕方ない。


 一瞬後に絶命していてもおかしくない場所よりも敵の懐の方が少し安全。


 片手をそのまま見開いた瞬間に見えた相手の口に躊躇なく突っ込む。


 口の端に肘が引っ掛かったが痛みは無く。


 千切れてもいなかった。


 ギョルン。


 そんな様子で竜の瞳がこちらを見下げた。


「悪いが此処で死ぬわけにはいかないんでな」


 もう瓶の蓋は開いている。


 そして、突っ込んだ瞬間に話した小瓶の中身は竜の内部で零れて―――。


【―――キ゛ッ?! ギュ゛ィェ゛オォォォ゛ォォォォォ!!!!?】


 竜の全身が一瞬まるで鳥肌を立てたかのようにブワリと風船のように膨れ上がり、同時に纏っていた金属の装甲が伸び縮みする皮の上から剥がれ、腹に喰らった装甲の威力のままに吹き飛ばされる。


「ガッッ?!!」


 肋骨か内蔵が逝ったかという衝撃が身体を襲ったが、芝生に激突する直前。


 ゾムニスの片腕がこちらの背中をキャッチする。


 もう満身創痍の大男は息も絶え絶えの様子だが、その顔には笑みが浮いていた。


「ゴホ!? 血は、出てないな? 刺さっても、無い、か……かはッ」


 何度か咳き込みながら内蔵は何とか大丈夫なようだと視線を竜に向けると。


 膨らんだ身体がシオシオと萎むようにして痙攣しながら、色合いが紅くなっていくのを確認する。


「化学反応?」


 竜が最後にブルブルと震えながら、ギョロリとした瞳でこちらを睨む。


 それを見つめ返すと。


 カパッと口が開かれ―――。


 何かが射出された。


「!!?」


 ギィン。


 そんな音がして、目の前を何かが通り過ぎた。


『フィー!!』


 公園の十数m以上先から走って来るのは2人のメイド姿。


「デュガ?」


 反対側を見れば、剣が地面に突き刺さっており、その刃の側面が拉げていた。


 何かが射出されて、ソレが剣にブチ当たったのだ。


 恐らく。


「お前ぇええぇ!? だ、大丈夫か!? せっかく助けに来てやったのに何で【ゼアモラ】と戦ってるんだ!? というか、倒したのか!? やっぱ、お前強ぇなぁ♪」


 何やら喜ばれながら、デュガが背負って持って来たらしいカバンの中から薬やら包帯やらを取り出して、こちらをテキパキと介抱していく。


「ゼアモラ……やっぱ、お前のとこのか。あいつは……」


 竜はもう事切れた様子でダランと舌を垂らして動かなくなっていた。


「それより、こちらの方の止血が先です。デュガシェス様」


「解った。こっちは大丈夫か?」


「あ、ああ、後で医者に診て貰う。それより、そこでぶっ倒れてる大男や他の連中の手当を頼む」


「了解♪」


 ノイテが大ケガ中のゾムニスの傷口に酒をぶっ掛けて止血用の包帯で巻いていく。


 よく見れば、後方からは更にお嬢様が使うような一頭立ての馬車がやって来て、数人の女学生らしき姿が内部から吐き出されていた。


「フィー!!」


 御者台から降りて走って来た姿に目を丸くする。


「ユイ?」


 生徒会長様の後からやって来た数人の女学生達はランタンと保健室に常備してある救急用のカバンを片手に周囲の惨状に気を遠くした様子ながらも次々に傷を負った男達の下に来て、手当し始めた。


「ユイヌさん!? 姫殿下は大丈夫ですか!?」


「カータ講師?」


「君が1人で襲撃者達に立ち向かっているとカータ講師に聞いてね。それから何か分からない内に事件が解決したと言われて、外に出てみれば、君のところの女中さん達が追い掛けるって言うから、もしもの事を考えて色々持って来たんだ」


 ユイヌの言葉よりもカータ講師が心底安堵しつつも気を遠くして、その場で気を失った様子の方が驚きだったが、すぐに蒼褪めた保健委員に介抱されるのを見て、何処か安堵した気分になる。


「今回はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」


「……こういう事はこれっきりにしてくれ。君が死んだかと思ったら、ぼくは……ぐす……す、済まない。それよりも傷はあるかい?」


 包帯や薬を取り出した心優しい生徒会長に首を横に振る。


「少し竜の鱗で吹き飛ばされただけです。切り傷や穴を開けられた方がいますので、そちらの方をお願いします。手は足りていないようですし」


 それを聞いただけで相手が何とも言えない表情。


 何か言いたいのに言えない様子で目元を僅かに拭った。


「君がそういうなら。解った……でも、何処か痛いところがあったら、本当にちゃんと言ってくれ。いいかい?」


「はい。その時はよろしくお願いします」


 頭を下げるとようやく相手も安堵したらしく。


 未だに芝生の上で呻く重傷者達の方へと向かっていく。


「……はぁぁ(*´Д`)取り敢えず終わった……」


 呟いてみるも天の月は変わらず世界を照らし出している。


 今回は天の上からレーザーっぽい何かは降って来なかった。


 だが、それにしても大ピンチだった事には変わりが無い。


 何とか事前の準備が命を救った形に過ぎない。


 小瓶の中身も結局はあのゼミの教授の受け売りをちゃんと聞いていたから、この身分に産まれて、ガラス職人を雇ったり、実験器具や材料を造ったり仕入れられたから何とか精製出来ただけの代物だ。


(手足が足りない。人材が足りない。早く集めなきゃな……)


 自分の最終目標は未だ定まっていない。


 だが、帝国をどうにか止める事。


 仲間達の下へ返る事。


 あるいは無事なのか確認する事。


 それらは絶対事項だ。


 その為にこそ、自分の地位も力も叡智も全て使わなければならない。


 一度死んだ自分が本当に生まれ変わったのか。


 あるいは単なる情報のコピーに過ぎないのか。


 それすら分かっていない以上、やる事はまだまだ多い。


 笛の音が近付いて来る。


 それを前にゆっくりと起き上がる。


 ゾムニス以下全員をこの場から離脱させなければならない以上。


 自分の仕事はまだ一つも完了していない。


 だから、今にも座り込んでしまいたい疲労感だろうとも、やるべき事はやらねばならない。


 それが自分に出来る精一杯なのだから。


「全員、我が家に運び入れます。ウチの馬車がそろそろ来るので重傷者から一人ずつお願います。これから―――」


 月は何も変わらない。


 天は何もしてくれない。


 しかし、積み上げたものは未だちゃんと機能する。


 竜の遺骸を背にアルローゼン本邸への運び入れを指示する。


 リージが御者となった荷馬車が十台以上、芝生の上をやって来るのを見ながら、今日は眠れそうに無いと気を張り直す事とした。


 やれる人間がやるしかないのだ。


 誰も自分の代わりには成れない。


 それが処世術だとすれば、位の高い身分も考え物だろう。


 しかし、だからこそ、誰一人として死なせずに事件を終えられるかもしれない可能性は高いのだから、やらないのは嘘だった。


 *


―――【帝都エレム】貴族街ヴァンドゥラー別邸。


「お坊ちゃまにも困ったものですね」


 何やら憲兵が女学院を囲んでいた夕方頃。


 大貴族ヴァンドゥラー家のメイド長は愚痴っぽく呟いていた。


 彼女は60代だが、未だ眼鏡を掛ければ、針に糸も通せる。


 意気軒高に早寝早起きで働ける健康そのものな“ふくよかな”女性だ。


 下級貴族の出でありながら、大貴族の本邸勤めの長ともなれば、まさしくハウスメイドの頂点に君臨しているお局様である。


 カンテラが複数灯す明かりの下。


 女給達が集まる日々の会議は厨房横の召使い達の食事処で行われる。


「でも、あの方が此処に来て三年。見違えるようですよ?」


「最初は言葉も話せず。何処から拾って来たのかと思いましたが、私達に貴族の女性の所作や作法を教えて欲しいとお願いされてからは本当に貴族の子女のようですわ。侍従長」


 貴族の女性達には基本的に女中もしくは侍従が付く事になっている。


 これは乳母役や分家の氏族の歳の近い同性に任せられる事もあるが、ヴァンドゥラー家には現在そういう相手を必要とする女性が3人いる。


 一人は本家長男の嫁である女性。


 もう一人はその妹。


 そして、最後の1人は嫁の弟に当たる人物が連れて来た嫁もしくは候補《《らしき》》相手であった。


「だとしても、貴族ではありません」


 メイド長は溜息を吐く。


「ええ、まぁ、そうなんですけども。あの方と話していると心地良いですし、劣等種かどうかも解りません。お坊ちゃまにも丁重にと言われておりますし……」


「結婚する気があるのかどうか。お坊ちゃまはあの三年前から軍務であまりお戻りになりませんし……」


「だとしても、あの方の評判はよろしいようですよ? 大貴族の奥様達もですが、お嬢様方もあの方に贈り物をするくらいには仲の良いご様子」


「ええ、先日はアンザース家のご令嬢から南方産の珍しい果物の詰め合わせ。先月はルイザリンゲンのご子息からアルマースのドレスまで頂いたのですから……決して貴族と言えども安いものではございません」


「昨日なんて大貴族のご息女も憧れるゼーガのイヤリングを頂いたんですよ!! 婚約でもしなければ、送られないようなものをお送りになったのがあの大貴族であるデゥカース家の四男だと聞いて驚きました」


 メイド長がやはり溜息を吐く。


「ええ、確かにあの方は極めて評判が良いと私も思います。でも、あくまで客人……旦那様や若旦那様が何も言わない為に沈黙しておりますが、日々届く贈り物を見て、少し怖くなってしまって……」


「考え過ぎですよ。侍従長……」


「そうでしょうか? 確かに良い方だとは思うのですが、どうにも……劣等種ではないかとの考えが……」


「確かに最初の頃はお話も出来ませんでしたが、話してみれば、本当に良い方じゃないですか。よく悩みも聞いて頂けますし、それに助言まで……」


「ええ、ええ、同年代のお嬢様方にも助言し、お茶会を主催するまでになったのですから、何も問題などありません」


「若奥様もエーテシアお嬢様も共に微笑ましく刺繍したり、お茶を嗜まれたり、今やいないのは考えられません!!」


「特にエーテシア様は本当に二人目の姉か姉妹のように思っていらっしゃるようですし……」


 メイド長は部下達の声に確かにそうかもしれないと思い直す。


「すみませんでした。いえ、やはり、この歳になると頭が固くなって仕方ありませんね」


 こうしてワイワイと使える家の貴族相手ならば出来ないだろう話に華を咲かせた女中達は話題の人物を褒めそやしながら、一時のお茶会を愉しむ。


 その最中、本邸の横にある日本家屋で言えば、離れだろう決して小さくない邸宅の中庭では15、16くらいだろう貴族然とした少女が中庭の白い円柱で支えられた東屋(あずまや)の最中。


 テーブルの上のお菓子をリスのように頬張りながら、黒髪の少女と会話に興じていた。


「ちぃねーさま!! それでその白い雪のお姫様はどうなったのですか♪」


「毒の果実の呪いを王子の口付けで解かれた彼女は共に王子の国へと戻り、そこで生涯幸せに暮らしました。めでたしめでたし」


「わぁ~~♪ 素敵なお話です!! 私もそんな方に巡り合えたらな~」


「きっと、巡り合えますよ。エーテシアなら……」


「えへへ……も、もぅ、お世辞がお上手なんですから」


 黒髪の同年代の少女に言われて、エーテシアと呼ばれた金髪に紅い目の少女はその控えめで御淑やかを絵に描いたような顔と鼻梁を僅かに染めてはにかむ。


 2人とも簡易とはいえ、絹製のドレス姿。


 姉妹には見えないが、仲睦まじいのは分かるだろう。


「二人とも~~」


「あ、イーシア姉様?! 今日は確かエゼムお義兄様とご一緒だったのではないのですか?」


 2人の下にポワポワとした緩くカールした金髪の女性がやって来る。


 少女のように可憐ではあるが、二十代前半だろう。


 その装いは青紫色のドレスに包まれていたが、その左手にはバスケットが一つ携えられ、にこやかな笑みと間延びした声は日向を思わせる。


「それがあの人ったら、今日は軍務があるのをすっかり忘れていたのよ。殿方はやっぱりうっかりさんよね」


「ああ、エゼムお義兄様が幸せ一杯過ぎて遅刻した姿が目に浮かびます」


「うふふ、でも、そんなあの人からヴィッカースのお菓子を頂戴したのよ? 食べるわよね~? エーテシア」


「ヴィッカースの!? ここ最近は4か月待ちだって学園のお友達が言っていたのに……お義兄様にありがとうって伝えて下さい♪」


「はい。伝えておきます♪ さ、《《シュリー》》もご一緒しましょう?」


「もう夕暮れ時ですけれど、夕食はどうなされるのですか? イーシア様」


 10代前半くらいに見える黒髪の少女が柔らかく微笑みながら、ランタンに火打石で明かりを灯しつつ訊ねる。


「今日は夕食よりも甘いものの気分なの。偶には悪い子になるのもいいかもしれないと思って……」


 少しお茶目にイーシアと呼ばれた愛らしい女性がウィンクする。


「もぉ~お姉様ったら~~侍従長やエレクに叱られちゃうよぉ~?」


「ふふふ、ナイショよ?」


「何がナイショなのでしょうか。お嬢様」


「あら、エレク」


「あ、噂をすれば、エレクって本当にいつの間にかいるよね~」


 エーテシアの言葉にイーシアの背後から本当にいつの間にか人影が出て来る。


 それは紅い髪に褐色の肌のメイド姿な少女だった。


 歳はイーシアと同じくらいだろうが、その額には右の後頭部にまで及ぶザックリとした斬り傷があり、ソレを髪と髪留めで抑えてショートカットの中に隠している。


 童顔の顔は整っている方だが、そうだからこそ、額からの傷が何処か痛々しいと第一印象を持つかもしれない。


「今日はご家族との晩餐のご予定はありませんが、日頃から節制を心掛けないと体型の維持に支障が出かねません」


「あら? 心配してくれるの?」


「いえ、侍従の身で滅相もありません。ただ、お嬢様にはいつでもお綺麗でいて欲しいと思う拙い戯言でございます」


「そう……ありがとう。それじゃあ、今日はエレクも悪い子になりましょうか?」


「お嬢様……解りました。では、侍従長には後でこちらからお伝えしておきます」


「お願いね? エレク」


「畏まりました……それからシュリー様」


「何でしょうか? エレクさん」


「……いえ、今日もお出掛け為されるとの事でしたので馬車を待たせてあります。お嬢様方と秘密のお茶会をお済ませになったら、ご予定通りお早目に……」


「解りました。ありがとうございます」


 軽く頭を下げた黒髪の少女が微笑みながらそう背中を向けて去っていくメイド少女を見送った。


 空にはもう紫雲が棚引いている。


 三人が座ってバスケットから取り出した小麦菓子を摘まみながら、すっかり温くなったお茶に口を付け、空を見上げていると。


 不意にイーシアがポツリと呟く。


「そう言えば、シュリーは近頃沢山の贈り物を貰っているのよね」


「はい。友好を結ばせて頂いた方達から……とても有難い事です。このような何処から来たとも知れない私に……」


「そ、そんな事ないですよ!? シュリーは!! ちぃねーさまはもう私達の家族です!! ね!! お姉様!?」


 慌てた様子でエーテシアが言うとそれにイーシアが頷く。


「そうね~もう貴方は私達の家族ですよ。シュリー……弟が、《《ウィシャス》》が貴方を連れて来た時は確かに驚いたけれど、出自がどうあれ……記憶が無いとしても、貴方はもう立派にわたくし達の、貴族の社会に溶け込んでいます。だから、そう自分を卑下しないで?」


「……本当に有難い事です。貴族の方々は皆が皆、優しくて下さり……こうして生きていられる事、とても嬉しく思います」


「もぉ、そんなに畏まらなくても……シュリーは律儀過ぎると思うの」


 エーテシアがそう少しだけ距離があるようで残念そうに微笑む。


「ああ、済みません。そろそろ約束の時間のようです」


 僅かに空の日を見た黒髪の少女はそう微笑んで立ち上がる。


 すると、先程本邸に戻っていったエレクと呼ばれたメイド少女が戻って来る。


「では、今日はこれで……また、明日。御機嫌よう……」


 ドレスのスカートの裾を僅かに両手で摘まんでカーテシーを披露した彼女がエレクとすれ違い様に会釈してから遠ざかっていく。


「……シュリーって、誰にでも必ず頭を軽く下げるわ……本当に物腰が低くて……私達がもっとちゃんと家族として扱って上げられれば……」


 微かに寂しそうな顔で少女が呟く。


「エーテシア。何事も時間が無ければ叶わない事もあるの……あの子の事はゆっくりと……それをきっとウィスも望んでいるでしょう」


「お兄様がもっと家にいてくれればいいのに……一年で半分もいないなんて、やっぱりちょっとシュリーをほったらかし気味だと思うの」


 少し膨れた妹に姉が苦笑する。


「お仕事の事だもの。同じ軍人として、あの子の優秀さに頭が上がらないと言ってるあの人だって、役職に付いてからは夜の御仕事があるのだもの……まだ学生上がりのあの子では仕方ない事だわ」


 その言葉にちょっと膨れてみせる妹の頭を撫でながら、メイドが新しいお茶を入れてくれるのを横目に若奥様と呼ばれる彼女は空を見上げる。


 もう暮れ掛けた空は夜の緞帳が落ち始めていた。


「そう……私達があの子の心を癒してあげなければね……」


 遠い瞳で彼女は瞳を閉じて、新しい紅茶の香気を吸い込む。


 深い深い琥珀色の色合いは夜のランタンに輝いて琥珀色よりも沈んだ黄昏時を思わせる波紋を波打たせていた。


 *


 悪の帝国の夜は深い。


 何事かが貴族街の先の場所で起こっていたとしても、夜の帳が落ちた場所には決して騒々しさが届かないという事もある。


 馬車で数十分。


 貴族街から出て大通りの端よりも更に奥。


 治安的に言えば、商人の豪邸が並ぶ一角。


 ヴァンドゥラー家から出た馬車は一つの邸宅の裏手に止められていた。


 屋敷は大きく。


 裏手の壁の内部には10両以上の馬車が止まっている。


 彼女が自分の馬車から降りると。


 周囲には数人の男女が畏まった様子で胸に手を当てて彼女を待っていた。


「待たせました。皆さん」


「いえ、そのような事は決して……」


 降りて来た御者達もまた彼女に傅くようにして頭を下げる。


「さぁ、行きましょう」


 その一声で道が出来て、彼女の後ろには貴族も平民も無く列が出来る。


 本来、貴族が平民と同じ列に並ぶ。


 だなんて事は有り得ない。


 だが、在り得ない事はその邸宅の中でも続いた。


 明らかに浮浪児、ストリートチルドレンに見える少年少女達が墨で煤けた顔を綻ばせて手を振るやら、すぐに手を胸に当てて頭を下げるやら。


 その近くでは貴族の子弟子女と思われる少年少女達や二十代前半と思われる平民貴族がランダムに其々に何かの作業をしていたらしく。


 すぐに彼女を見付けると同じように挨拶して、列に加わる。


「只今、戻りました。子羊の方々」


「おお!! 我らが【女教主(ドミナン)】のご帰還だ!! 皆を集めよ。これより【聖蹟(せいせき)】の儀を行う!!」


 貴族も平民も無く。


 青年達が列を為して彼女を大広間に出迎え。


 閉め切られた館の奥にある唯一飴色の木製の椅子へと導く。


 彼女が其処に座れば、その前には歳若い男女が子供までも共に平伏し、片膝を折って彼女をうっとりと見上げていた。


「面を上げて下さい。では、問題を持つ者から一人ずつ。他の方々は共に語らい。共に飲み。【聖行(せいこう)】を積み上げるよう」


「ハッ!! 我らが教主の仰せのままに……」


 男女共に愉しそうに笑いながら何がしかの作業へと戻る。


 その多くは平民や浮浪児達への教育や授業であったり、何がしかの文字を書く書類作成のようだった。


 そういった事が行われる中心で彼女の椅子の前には10名以上の列が出来る。


 その列の者達が次々に日々の不満や問題を述べる度にソレに対して彼女が耳元に何かを囁くとまるで初恋の人に何事かを囁かれたようにウットリとした表情で誰もが不満や問題何処吹く風と言うかの如く頷き目を輝かせた。


 それから数十分で人が掃けた後。


 十代後半から二十代前半の男女数名が彼女を伴って奥の部屋へと向かう。


 そこでは合計で20人近い者達が彼女を待っており、着席するのを待って自らも席に着いたのだった。


「教主シュリー!! 火急の話があるのです」


 それに彼女が頷くと次々に我争うかの如く。


 男女が早口で帝国の内情を話していく。


 重要な情報もあれば、帝国貴族の醜聞などもある。


 だが、誰もが必死であった。


「解りました。今日もありがとう。我が子羊達……では、これからも帝国をより良く導く為、共に理想へ向けて精進致しましょう」


 その言葉に誰もが涙を流して立ち上がる。


『我らが教主!! おお、その名を称えよ!!』


『共に!! 共に!!』


『我々を救いし者に栄光を!!』


 それに微笑みながら手を上げて応えた彼女が一人ずつの耳元に何事かを呟いて、次々に男女が喜色満面でその場を退出していく。


 それを見送り、ようやく1人になった彼女は彼らと相対していた時とは打って変わって能面のような無表情になると、部屋の更に奥へと向かう扉を鍵で開けて、ランタンの明かりを灯して地下へと。


 階段は正方形状で地下へと緩やかに降りていくものだが石製だ。


 そして、地下へと続く扉を二つ目の鍵で開けた彼女が内部に入れば、其処にはこの一年以上の期間で集めた全てが有った。


 ソレは書籍の並ぶ本棚と真正面の壁にある帝国の地図。


 それを前にする黒檀の机。


 その上には大仰な書籍らしきものが錠付きで置かれており、魔導書か大辞典かという分厚さがある。


 ランタンの明かりを横に置いて、彼女が三つ目の鍵で書籍を開き。


 インク壺に浸したペンが奔った。


―――帝都貴族内部情報―――カテゴリ:醜聞。


―――帝国軍内部情報―――カテゴリ:戦術・戦略。


 カテゴライズされた頁の余白には次々に今日聞いた情報が書き留められていく。


 その速さはもはや何かと争っているかのようだ。


 そして、それらの記述の後。


―――帝国崩壊計画案12号腹案。


―――帝国本土強襲計画3号本案。


 等の物騒な計画の概要書が次々に現れ、そこにやはり考えているのかも怪しい程の速度で文言が書き連ねられていく。


 その一部にはこう書かれてあった。


【帝国は強過ぎる軍事力とは裏腹に補給面、兵站面において時代相応の水準でしかなく。同時に複合的な情報の解析の結果として食料自給面において大きく脆弱性を抱えており、このバランスを過剰に崩す事で併合地域からの搾取を加速させる可能性が高い。これが直接的な圧迫となれば、済し崩し的に併合地域を火薬庫として帝国の戦略想定を狂わせ、崩壊させられる可能性は高い】


 頁がめくられる。


【腹案として併記するのは現状で最も可能性が高いと思われる方法である。この案の本旨は各地の食糧供給地帯に跨る領地を得ている貴族の内情と人物の篭絡及び心理誘導による自然な自滅を誘発させるものであり、本案を一時推進しながら、強襲計画を並行して進めるべきと結論し―――】


 約30分。


 彼女の筆は止まる事も無かった。


 そして、インク壺のインクが途切れると。


 彼女は小さく伸びをしてから帝国の地図を見つめる。


「……シュー。必ず、仇は取る。全て滅ぼしてやるから……だから、待ってるんだぞ……出来れば、地獄で……ふふ……」


 虚ろな微笑みで彼女は僅かに唇の端を曲げて、バタンと書を閉じる。


真下朱璃(さなか・しゅり)】は忘れない。


 無残にも蒸発して死んだ幼馴染の事を。


 彼を追い詰めた帝国の事を。


 彼女達が護ろうとしたモノを未だ脅かす帝国軍の事を。


 だから、彼女は決して立ち止まらない。


 復讐するは我に有り。


 竜の鎧。


 3年前、とある辺境の平定軍の連隊が出会った恐ろしき化け物の如き兵士。


 今や帝国の最前線として師団が張り付く辺境。


 ヴァーリ共和国。


 その象徴たる英雄の鎧が彼女の背後には未だ硝子の棺に納められていた。


 それが抱く禍々しい剣は今や影の如く。


 仄かに紅く輝く。


 まるで生きているかのように。


 あるいは蠢くかのように。


「……絶対に許さない。ウィシャス・ヴァンドゥラー・アカシム……シューみたいに地獄の業火に焼かれた絶望をお前も味わうんだぞ。ふふ、くくく……ふふふ」


 その影は少女の背後で異様に伸びて揺らめいていた。

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