1 王都へ
「いつもなら黙ってみすごすところだけど、お嬢ちゃんの勇気ある行動に正義の味方がだまってちゃあいけないよなあ」
よく響く声でそう言ったのは腰に長い剣を刺したおじさんだ。
一つとなりのテーブルには、つやつやと光る楽器を手にしたお姉さんが立ち上がっていた。
「この店で物騒な真似しようっていうんなら、あたしも黙ってられないわ」
黒くて長いきれいな髪と同じ色の瞳でじっとこっちを見ている。
もう一人は、店のカウンターに座っていた人だ。
「っていうか、アンタ。昨日は腰痛の薬だっていってその入れ物の中身を別の人に売ってただろうよ」
ぼさぼさした髪をかきながら面倒くさそうにそう言った若い男の人は、なんと胸に魔法使いの紋章をつけている。
商人の男は立ち上がった人たちをじろりを見回して、お客さん家族のほうへ向き直った。
「おい、あんたたち、どうなんだ?買うのか、買わないのか?」
おどしつけるみたいな大きな声に、お母さんとこどもは顔をふせてしまう。お父さんは机の上にちらばった硬貨を集めて皮袋に入れ込んでしまった。
「すみません」
早口にそう言うと、おばさんと子どもを連れて、逃げるように店を出ていった。
商人の男は大きく舌打ちをして、短刀を机に突き立てた。それだけでは飽き足らず、机の脚を乱暴に蹴飛ばす。
「くそっ」
短刀をひきぬこうとした商人の手首をぐっとつかんだ人がいた。腰に剣を差したおじさんだ。
「そろそろ潮時ってやつだ。おとなしく引き下がっておいたほうがいいぜ」
商人の男は痛そうに顔をゆがめている。ふんっと声をあげて手を振り払うと短刀を机から引き抜いて、さやにしまった。店の出口へ歩き出す。つかまれていた手首には赤く跡がついている。
出口のほうにいるわたしたちの目の前を通って、出ていくのかと思いきや、わたしの目の前で商人の赤い手首がすばやく動いた。
さやにしまったはずの短剣のつかを握って、銀色に光る刃を取り出すと、それは商人の手元から円を描くように私のほうへ向かってきた。その光景が妙にゆっくりに見えて、死んじゃうのかも、って思って目をギュッと瞑った。
でも、いつまでたっても、予想していたような痛みはこなかった。その代わりに、どさっと何か重いものが落ちるような音がした。おそるおそる目を開けてみると、商人の男が床に倒れてた。なぜか『きをつけ』の姿勢で。
剣のおじさんは剣に手をかけてるし、楽器のお姉さんもナイフを構えてた。そして、魔法使いの紋章のお兄さんは、『きをつけ』の商人に向かって手をかざして何か呟いている。一言二言でそれは終わったみたいだけど、商人の姿勢はかわらないままだった。
魔法使いのお兄さんがふぅ、と息をつくと武器を構えていたそれぞれの人たちは武器をしまった。
そうなって、やっとわたしは、誰よりもわたしを守ってくれた腕があったことにきがついたんだ。シアンさんの腕から、血が出てる。
「シアンさん、ケガしてる!」
さっきわたしを切りつけようとした刃で傷ついたんだ。どうしよう。おろおろするわたしにシアンさんはこのくらい大丈夫だよ、と声をかけて店内に目をやった。
「みなさん、助けていただいて、ありがとうございました」
深々と頭を下げたから、わたしもそれにならって頭を下げる。店内のどこかから、『よっ、正義の味方』なんてはやし立てる声が聞こえてきた。
助けてくれた3人が、倒れた商人の周りに集まってきた。わたしは3人それぞれに助けてくれてありがとうございました、って丁寧にお礼を言った。
剣を背負ったおじさんは、白い歯をみせて二カッと笑った。
「なあに、いいってことよ。勇気のあるお嬢ちゃんは見てて気持ちがいいしな」
黒髪のお姉さんは、商人の男の足を蹴った。
「あたし、こういう気持ちの悪いのは大嫌いなんだ。しかも女の子に斬りつけるなんて一体どういう神経してるんだか。でも、今回の功労賞はこっちの兄さんだ」
魔法使いのお兄さんは、面倒そうにあくびをした。
「いちおう王宮につとめてる身分としては、黙っちゃいけないかなって思ってさ。治安維持ってやつだね」
言いながらゆびをくるくるって回すと、商人が『きをつけ』のまま立ち上がった。そして足が小走りするみたいにちょこちょこと動いて、出口のほうへ進んだ。
剣のおじさんがそれをみてほぉ、と感心したような声をあげた。
「さすが風の魔法使い。空気で縛って歩かせるなんて面白い使い方だなあ」
「役人に引き渡しときますよ」
そういうことで、と軽く手をあげると魔法使いのお兄さんは店を出て行った。でっかい荷物を連れて。
黒髪のお姉さんは、まだ呆然としている店内の人たちを見回した。
「じゃあ、あたしはこの店の中の空気の後始末をしようかな」
シャランと磨きこまれた楽器を鳴らした。その美しい音色に、騒ぎに巻き込まれてしまった店の中の人たちがいっせいに顔をあげる。
楽器でリズムを作って、それに合わせて歌い出す。どこまでも高く響いていく力強い声だ。その声が軽快で明るい歌を歌い始めた。
歌はリゼルラントをかこむ湖の歌だった。よく晴れた日には、緑と青のグラデーションを描く澄んだ水。水ぎわには、輝くような白い砂。そして湖の向こうにある伝承の洞窟。その洞窟は不思議と青く光っていて、危険をかえりみず、魔物を倒しながら奥に進むと、宝物があるんだって。
湖を見渡すことができるこのお店ではその歌はとっても喜ばれた。手を叩いて歌を盛り上げている人たちもいる。
お姉さんが、最後にまたシャランと楽器を鳴らすと、お店は大きな拍手に包まれた。わたしも夢中で手を叩いてた。さっきまでの出来事が嘘みたいに、お客さんはみんな笑っている。
お店の人が、お姉さんにお金を払おうとしたみたいだけどお姉さんはそれをきっぱりと断った。
「あたしはこのお店が好きだから黙っていられなかっただけよ。歌の代金なんてけっこう。それにね、正義の心っていう歌い手にとって、とても気持ちのいいものをそちらのお嬢さんがくれたから、それで十分」
お姉さんは、楽器をしまってわたしに近づいてきた。
「ただし、あんまり無茶はしないことね」
おでこをちょん、と小突かれてしまった。
「じゃあね、小さいけど勇敢な薬屋さん」
楽器をかかえて、店をでていった。
「さて、じゃあ俺は食事に戻るか」
剣のおじさんは、シアンさんの傷に布を巻いてくれたみたい。
「あんまり無茶するなって連れのお嬢ちゃんに言っとけよ、シアン・ダジュール」
ばん、と音がしそうな勢いでシアンさんの肩をたたくと、食べかけの食事の席へ戻っていった。
「はい、お騒がせして申し訳ありませんでした」
シアンさんはおじさんに向かってきちんと礼をすると、わたしを連れて店を出た。
「あのおじさん、知り合いなの?」
「まあね。でも、まさか名前を覚えられているとは思わなかったな」
不思議そうな言葉とはうらはらに足取りは軽く、わたしたちはダジュール家へ向かって歩いた。