4 洞窟
でも、本当はもう限界だった。さっきからお父さんとお母さん、それからおじいちゃんの顔が思い浮かんでいた。もしいま一緒にいるのが家族だったら、もう帰りたいって言ってしまっていたと思う。正直、もう怖くてたまらなかった。猛毒のサソリや人の血を吸う巨大こうもりなんていままで見たことなかった。そういう平和で安全なところにしかわたしは行ったことがなかったんだ。
それなのに、宝物がみてみたいなんて言って冒険をしたがって。それがどんなに無謀なことだったのかやっとすこし分かった気がする。セインさんがいなかったら湖をわたる船を自分で漕がなきゃいけなかったし、こうもりの大群がわたしたちを包み込んだ。ドルガスさんがいなかったら、蛇や巨大こうもりに殺されていたかもしれない。リズさんがいなくても、毒サソリが誰かを殺してた。
今回はたまたま、強い剣士と魔法使いと短剣使いという最強パーティに入れてもらったから、わたしはまだ生きているんだ。誰がいつ死んでもおかしくないんだ。
そう考えると、もう怖くてたまらなくなってしまった。足がすくんで動かなくなる。
「アスタ?どうしたの?」
わたしの異変に最初に気付いたのは、手をつないでいたイリーナさまだった。わたしは黙って首を振ることしかできなかった。
「みんな、すこし休憩にしない?わたくしもアスタも少し疲れてしまったのだけど、だめかしら?」
イリーナさまは別に疲れてなんていないのにわたしのためにそう提案した。大人たちも次々賛成して、ドルガスさんが安全そうな場所をさがしてきたからみんなでそこへ行って座った。
リズさんが、王宮から持ってきた焼き菓子をわたしとイリーナさまに一つづつくれた。
「さすがに、ここじゃあこれしかありませんけれど」
お礼を言って、震える唇でかぶりつくと、甘さが口の中に広がる。もぐもぐと噛んでいるうちに、すこしづつふるえはおさまってきた。
「んじゃあ、これを飲んだら出発だ」
ドルガスさんはわたしたちの分として水筒をもってきてくれていた。竹でできた水筒から水を飲むと、冷たさと共にレモンの香りがした。まるでこうなることを見越して、わたしたちを落ち着かせるために用意してきてくれたものみたいだった。
水を飲み込むと、ふるえはおさまった。けど、張り詰めていた心がゆるんで、涙が出そうだった。怖さにじゃない。自分の情けなさに。だって、こんなはずじゃなかった。
わたしはもっと役に立つ予定だった。傷や毒にきく薬草だってもってきたし、手当の道具だってある。みんなが戦いながら傷を作っているのも知っている。でも、怖くて手がまったく動かないし、そんな暇はなかった。おじいちゃんの「薬屋の出る幕じゃない」って言葉がわたしの中でどんどん大きくなってくる。いますぐに傷を治せるわけじゃないし、薬をつかうのは時間がかかる。敵がいつ襲ってくるかわからないときに、そんなことしていられない。
息をとめて、唇をかみ締めて、涙がでそうになるのをこらえていると、まるで歌うみたいな優しい声がわたしを包んだ。
「そんなに無理しなくていいわ、薬屋のお嬢さん。怖くて当たり前なのよ」
リズさんがわたしの背中に手を置いた。そのあまりの温かさにこらえていたはずの涙がぼとりと落ちた。
「だって、わたし、こんなに危険だなんて、想像できなくて・・・何もできなくて・・・」
しゃくりあげそうな声でそういうと、ドルガスさんが笑い声を立てた。
「大丈夫だ、アスタ。俺たちを誰だと思ってるんだ?国内最強の戦士に魔法使いだぞ。ときには一人で何人もの命を守らなきゃいけない俺たちがついていながら、怖がるなんて贅沢な悩みだぞ」
「それに、アスタに何かしてもらうほどの傷なんて最初からできない予定だし」
セインさんが呪文を短く唱えると、温かい風がわたしたちを包んで服のほこりをおとしてくれた。そして、リズさんの手がわたしのあたまの上にぽんと乗った。
「今日は怖がっているだけでいいの。何もできなくてもいいの。わたしたちがいるからね」
「アスタ、立てるかしら?」
イリーナさまが女神さまみたいなほほえみで手を差し伸べてくれた。その手をとって立ち上がった。反対の手で目をこすって涙を乾かした。
両足でしっかり、ごつごつした地面を踏みしめた。
「さあ、じゃあ、財宝を探しにいこう」
ふたたび、セインさんを先頭にわたしたちは歩き出した。そのあとも大きなねずみや巨大な蜘蛛に襲われたりしながらも、歩き続けた。
イリーナさまの手をにぎりつづけたままだったけど、しがみつくほど大げさに怖がるのはもうやめた。
だんだん、地面が濡れているところを歩くようになった。そのあとには靴の半分が水に埋まるくらい、さらには、足首まで水につかるほどのところを歩いた。夏とはいえ、日の出前の寒い時間に冷たい水に使っているのは、ちょっとつらいかも。でもイリーナさまをみると、やっぱり平然としている。わたしよりも格段にお嬢さま育ちなのは間違いないのに寒くないのかな。いずれにしても、イリーナさまが何も言わないのにわたしが先に音をあげるなんてダメだ。
そんなことを考えていたから、前を歩いていたリズさんが止まったことに気がつかなくってリズさんの背中にぶつかった。でも、もちろんリズさんはびくともしなかった。
「ここまでね。これ以上は無理よ」