【4】
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「……マズいな」
カネダは鼻先で嗅ぎ分けながら、そう呟いた。
周囲のエルフ達の雰囲気が変わっている。いや、進むごとにエルフ達のざわめきは拡がっているが、隙間に忍び込むような不穏さがあるのだ。
知っている。今まで様々な場所に忍び込み、その度に追われてきたカネダだからこそ、知っている。
「戦闘部隊の連中だ。流石はエルフだけあって森の中じゃ隠密行動は随一だな」
「どう対応するつもりだ」
「こっちに人質がいるアピールが足りないのかもな……。と言うか俺、人質取るのってこれが初めてなんだよね。どうすれば良いかな」
「初めてとは思えないゲスさだったが……。取り敢えず人質が逃げられないよう両脚ぐらい折ったらどうだ」
「今の人質お前なんだけど」
逆に両脚折られそうな辺り何とも言えないカネダさん。
「まぁ、そろそろ人質を取り返そうとはしてくるだろうな。或いは狙撃か……。対策はしとくかな」
フォールの後頭部にごり、と硬い感触。
彼は抗議するように睨み付けたが、カネダは慌てて弁明しながらもそれを除けることはしなかった。
「まぁて待て待て! こうやっとけば狙撃されてもその反動で撃っちまうことがあるから、相手も迂闊に撃てないんだよ。俺だって銃の名手なんだ、やられて嫌なことぐらいの判断はつく」
「……後で憶えておけよ貴様」
殺意の眼光と跳ね上がる肩。
『これ明らかに犯人と人質の立場じゃないよね』という呟きは正しくその通りである。
「しかし、確かに貴様の言うとおり、そろそろ何らかの手を撃ってきても不思議では……」
彼の言葉を遮るように、土手道に差し掛かった瞬間に足下を引っ張る指先があった。
そこには迷彩色で自然に融け込んだエルフ達がおり、彼等は飛び込め飛び込めと手で合図してくる。
成る程、ここで飛び込めばカネダは驚き狼狽えるだろう。その隙に狙撃者が彼を射貫く、という寸法か。
「…………」
――――さて、どうするべきか。
飛び込めば結果は言わずもがなだが、逆に飛び込まなければ怪しまれる。
最悪、奴等はグルなんじゃないかと思われた次点で周囲から雨霰が如く矢が降り注ぐだろう。
「……うむ」
そうした思案を刹那で終わらせた結果、フォールが取った行動はーーー……。
「赦せ」
「え?」
カネダを、土手へブチ込むことだった。
「ほぐふっ」
背負い投げをご存じだろうか。
柔道の代表技とまで言われた、相手を背中に乗せて回転の力で叩き付ける大技である。
フォールは転ぶ拍子にカネダを巻き込んでしまった風を装うとしたのだろう。しかし実際は意に反し、その動作が見事背負い投げの形となってしまった。
背面から迷彩エルフ達に激突するカネダ。メキメキと嫌な音を立てひん曲がる背中と弾ける臓腑。口から吐き出される鮮血。さらにその上へ落ちてくるフォールの肘鉄。
――――結果的に言えば彼の共倒れになって逃亡失敗装い策戦は成功した。しかしその代償はカネダというとても大きなものだったのだ。
「……わざと?」
「技ありではあったかな」
「はっはっは。こりゃ一本取られましたな! 技ありだけに!!」
眉間に向かおうとする銃と、それを抑え付ける腕。
生死をかけた戦いがそこにはあった。
「……だが、運良くエルフ共は気絶したようだ。結果オーライだろう」
「うん俺のダメージが代償だけどね? 致命傷だよコレ」
「生きているなら何とかなる。だが奴等が行動を起こしてきた方が問題だ。まだ俺の事はバレていないのは幸いだが……、ここらで牽制した方が良いだろうな」
「牽制?」
「そうだ。今から俺の言う通りに動いてもらう」
彼等は土手に転がり込んだまま、密かに言葉を交わしていく。
一方、そんな彼等から遠く離れた大樹に潜むエルフ達はただ不安に息を呑んでいた。
子供だけが転がり込んだのなら自分達の出番だったが、よもや犯人まで転がり込んでしまうとは。これでは迂闊に動けない。
仲間は子供を救ったのだろうか、犯人を打ちのめしたのだろうか。だが、その割に銃声どころか揉み合いの音まで聞こえないのはどうしてだろうか。
――――彼等は気付かない。気付くはずもない。まさかその仲間がその人質によって倒されていようとは。今頃お仲間は子供を救うどころか、子供に足蹴にされて気絶中など、気付くはずなどないのである。
「どうする……? 突撃するか?」
「待て、もし仲間が揉み合いになっていたらここで俺達が出て行ったら策を失うことになる。様子を見るんだ」
「だが、このままじゃ……!」
「お、おい!」
一人のエルフが指差した先には、迷彩色に身を覆って土手から顔を出す人質と、犯人の姿が。
エルフ達は平然と歩み出した彼等に息を呑み、声を押し殺す。隙を窺うのではなく、犯人が生きていたのか、そしてこれから何をするのかという恐怖故に。
奴等が歩み出て来たということは、人質があの迷彩色の衣を纏っているということは、仲間は無事では済んでいないのだろう。そして、気付かれた異常はあの人間もただでは済まさないはずーーー……。
「…………も、もう限界だ」
一人のエルフが、木陰から飛び出した。
彼を止める者は誰もいない。誰もが感じていることだった。
あの人間はただの人間じゃない。このまま時間を掛けて隙を窺ってもこちらに被害が出るだけだし、あの人質の子供にも精神的負担が掛かってしまう。
斯くなる上は交渉しかない、と。
「お、おい、あんた……。何が目的だ? 何が欲しくてこんな事する? 逃げるためか? 金のためか?」
「ん、ん~……?」
「逃げるなら、あんたと一緒に捕らえた奴等は解放する。金なら、この集落にそんなものはないが宝石ならあるから、それを渡す。だからその子を……」
「きっ、こえんなァ~? おっ……、俺はよォ、楽しいからこんなコトしてるんだぜェ~? お前等なんかと交渉するつもりなんかこれっぽっちもないんだよぉ~!」
「こ、この外道!! 貴様それでもこの世に祝福の生を受けた者か!?」
「ハッハッハッハァー! 本当にね!?」
半泣きで人質の頭蓋にごりごりと銃口を突き付けるカネダ。
きっと、この場で誰よりも辛いのは彼だろう。何が悲しくてこんな外道キャラを演じなければいけないのか。
それもこれも、自分が命を握ってるはずのこの人質のせいだ。交渉の余地がない外道を演じて恐怖心を植え付けろとか言い出した、自分なんかより何倍も外道な人質のせいだ。
かえりたい。もうあじとにかえりたい。
「よし、カネダ。相手は狼狽えている。だがまだ足りないな……、もっと外道感を出せ」
「無茶言うんじゃねぇよこの外道!!」
そう、この外道感は全てフォールの策戦だ。
まず、話の通じない狂人外道を装わせる。これはエルフを萎縮させると共に話は通じないという先入観を持たせる為の行為だ。ここまでは成功。
そして次こそが本題。狂人に話が通じないと思い込んだ以上、エルフ達は打つ手無しと絶望していることだろう。そこに付け入って、僅かな希望を見せる。地獄に垂らされた蜘蛛の糸が如く、唯一の、付け込む隙を見せるのだ。
本当に勇者かこの男。
「カネダよ、やはり外道感を出すには生肉だ。生肉を食え。血を滴らせて喰え」
「お前の中の外道イメージどうなってんの!? と言うか目の前にエルフいんのに生肉喰い出すとか頭おかしい奴じゃねぇか!!」
「……だから喰えと言っているんだが? 得意だろう?」
「付け足された言葉で同意できなくなったじゃねぇかクソッ!! お前は人を何だと思ってんだよ!!」
「ぐへぐへ言いながらエルフの女を漁ってる……」
「何なの何で俺こんなイメージ持たれてんの流行ってんの!? と言うかお前等は俺をどんなキャラにしたいんだよ!?」
「取り敢えず服を脱いで頭に羽毛を刺し、パンツ一丁で奇声をあげればどうにかなりそうじゃないか」
「どうにかなってるのは頭ァ!!」
ひそひそと言葉を交わす彼等だが、交渉に来たエルフからすれば子供を脅すド外道の姿にしか見えなかった。
奇しくも効果抜群、ということだろう。
「……まぁ良い。取り敢えず交渉を続けろ。少しでもチラつかせたら飛びついてくるはずだ」
「もうこれ交渉っていうか脅しだけどね。……ったく、じゃあやるしか」
そこまで言いかけた後、カネダはフォールに突き付けていた銃口を弾いて撃ち抜いた。
瞬間、彼の髪先を抉って矢刃が空を切る。逸らさなければ顔面の半分を抉り、その身さえ弾くほど重圧な矢が。即死にはさせずともじわじわと蝕み腐らせる毒を纏う矢が。
――――だが、今の射線は、間違いない。この矢を放った男は。
「……おいおい」
金色の双眸は凪風の尾を頬に受けながら静かに息を吐いた。
しかしその喉は震えており、目端は痙攣するように歪んでいる。
マズい、と。ただその言葉だけを心の中で連呼して。
「フォールくぅううううう~~~~ん~……。巫山戯てる場合じゃなくなってきちゃったみてーだよぉー……」
「だろうな。今の射線は明らかに俺を狙っていた」
「バレちゃったよ、これ……。あ、マズい、かも……」
眼が、捕らえる。大樹の天辺で風に薙ぐ男の姿を。
エルフーーー……、否、辺りのエルフとは明らかに違う。金髪の長髪や透き通るような眼などは正しくエルフのそれだ。書物や絵画に描かれるエルフそのものだ。だが、違う。格が違う。
全てを見通すかのような、あの目。冷徹な、夜の森のような目。
「総員……、斉射。あの人質は偽物だ」
そのエルフは、ラヴィスという名のエルフは、空を撫でるように指先を振り抜いてみせる。
天は雷雲を集らせることこそしなかったが、幾百の豪雨を降らせた。深緑纏う毒矢という豪雨を降らせた。
最早、隠す理由も必要もない。フォールはフードを脱ぎ捨てると同時にそれを投げ捨て、土手へと転がり込んだ。カネダもまた彼の投げたフードに矢が突き刺さると共に同じく逃亡し、土手へと姿を消す。
一度目の斉射が終わる事には既に、彼等の姿は影も形もなかった。
あるとするならば投げ捨てられたフードと、その側に突き刺さった幾千の矢ぐらいのものであろう。
「……逃がしたか」
ラヴィスは大樹の上から流れるように降下すると、そのままフォール達のいたところへ歩んでいった。
彼は幾百と刺さった矢の中から一本を、自身が一番最初に放った矢を引き抜く。
その矢先には肉片や鮮血こそなかったものの、金色の糸屑が、いや、髪先が絡まっていた。狂人を装っていたあの男の髪の毛が。
「……これを術士達に廻せ。それと奴等の他に侵入者がいる。そちらも探して捕らえろ」
「は、はい! ……しかし、ラヴィス様。どうしてあの人質が偽物だと? 我々は全く、そんな」
「詳しく語る時間はない」
刺し殺すような口調に、エルフは思わず押し黙った。
もし本当にエルフの子供だったらーーー……、なんて、そんな風に言及できない圧があったから。
「それと神事だが……、こちらも予定通り執り行うことにした。そろそろ贄も戻ってくるはずだ。無駄な争いを出さずに済むだろう」
声は、さらに重く、鋭く。
その場にいたエルフや、彼を追って降りてきたエルフ達も、誰もが喉を詰まらせた。何も言えなかった。
「優先対象を変更だ、兵を集め直せ」
彼はそんな場を押し流すように土手へと歩んでいく。やはり、そこには気絶した仲間ばかりで彼等の姿はない。足跡さえも発見することはできない。
――――だが、それでも良かった。神事さえ行えば、全ては終わるのだから。
「……リースを、最優先で捕縛するぞ」




