【2】
【2】
「恐ろしい男です。獣と言うより悪魔だ」
静寂の夜を抜け、陽光の朝日が昇る頃に怯え声は零される。
地下道から抜ける木製の扉を閉めながら、エルフの男は入り口にもたれ掛かる同胞へそう投げかけた。
その人物は報告に対し、肘を二度ほど指先で打つことで応えた。下がれ、と。
「……では」
そのエルフの後ろ姿を見送りながら、彼は叩いた指をまた肘へ打ち付ける。
とんとんとん。黄金の双眸が鋭く深められ、鼓動を刻む。
「……知らない、か」
とん、とん、とん。
「何処にいらっしゃるのです……。刻限も近いというのに……」
とんっ。
男の肘撃つ指が、止まる。
細められた双眸は指の停止と同時に、微動していた。余りに呆気ないほど答えを得てしまった、長く悩み抜いた問いをふとした思い付きで解いてしまった、と。そんな風に。
だが、彼の表情は決して問いを解き明かした者のそれではなかった。むしろ開けてはならない箱を開けて嶋高のような、苦悶がそこにはあった。
「……チッ」
――――忌々しい。嗚呼、何と忌々しいことだろう。
百年。長命なエルフにしてみれば、半生にも満たない年月だ。人間やドワーフのように短小な生命しか持たぬ劣等共とは違い、我々は永きを生きる。そう、だからこそ、百年や二百年など、エルフからすれば幼子が成熟するまでの年月でしかない。ーーー……でしか、ないというのに。
たった、数日。たった数日の行方不明が、どうしてこんなにも永く恐ろしく感じられる。あの人がいないほんの刹那が、どうして、こんなにも。
「急がねば……、悲願を……。私とあの御方の悲願を……!」
がり、と。
肘を打つ指先の爪が、肉を抉らんばかりの圧で押し潰される。
焦燥ーーー……。ただ焦るばかりの気持ちが、男の中で渦巻いていた。
「…………」
そして、その渦巻きに呼応するが如く、一人。
彼等が見張る扉の、通路の、岐路の、先。鉄柵に遮られた闇の奥に、一人。
四肢を鉄鎖で縛られ、口端を鋼鉄で締め上げられた男が、一人。
「……カッ」
その者は静かに嗤っていた。表の焦燥を躙るが如く、静かに眼を剥いていた。
這いずる獣が如く、手負いの亡者が如く、封刻されし隷属者が如く。裂傷の苦痛を全身に這いずらせながら、嗤い剥く。
無邪気に。純粋過ぎる邪気故に、無邪気に。焦燥と悦楽に混ざり合った感情に、ただ。
「クカカカッ」
そして、轡として縛り付けられた鉄塊に亀裂が走る。
白銀の歯牙は獣が如き牙であり、亡者が如き怨嗟であり、隷属者が如き執念である。
男は未だ、何も、折れてなどいないのだからーーー……。
「とか言うことになってると思う」
と、エルフの子供達に石ころを投げられながら、カネダ。
緊迫したシリアス空間とは別に、彼等はエルフ集落の中心辺りで籠に入れられていた。
大樹につり下げられた、大人三人分はあろうかという巨大な木製の籠だ。本来は悪さをしたエルフの子供が閉じ込められるお仕置き籠なのだが、今回は彼等が軟禁されているわけだ。
最後まで抵抗して戦闘部隊を過半壊させたメタルはその危険性から厳重な牢獄に監禁されたが、ぐーたれたカネダと戦闘力もクソもないガルスはこうして粗雑な扱いを受けているのである。
それにしたって、子供が投げてくる石ころよりエルフ達の視線の方が痛い。敵対者どころか珍獣でも見るような視線が何より痛い。見世物小屋じゃないんだから。
「い、いや、思うじゃないですよ! 今って結構なピンチじゃないですか!?」
「いいか、ガルス。ピンチっていうのは本当にどうしようもない時じゃなく、諦めた時にこそアレがこれしてほにゃらら……」
「最後まで言い切ってくださいよそこは!? どうしちゃったんですかカネダさん、こんなに弱気になって! らしくないですよ!!」
「だってぇー……」
「いつものカネダさんならぐへぐへ言いながらエルフの女性漁ってるじゃないですか!!」
「待って俺のイメージおかしくないお前そんな風に思ってたの!? 金には汚いけど女には汚くないよ俺ぇ!?」
木籠の側でやいのやいのと騒いでいた子供達が、母親や姉妹に連れられてそそくさと去って行く。
間違いなくエルフの中で彼の警戒土は上がったことだろう。悪い意味で。
「……しにたい」
「ご、ごめんなさい……。で、でもカネダさんならこんな木籠パパッと壊して素早く脱出しちゃうでしょう? メタルさんだって助けないと……」
「そうだけどよぉ……ぅー……」
「だから、どうしちゃったんですか! 前の街じゃあんなに格好良かったのに!! 今じゃただ情けないだけですよ!」
「…………」
カネダはバツが悪そうに目をそらし、唇を噛み込んで押し黙る。
どうにも彼、『平原の湖』を超えた辺りから様子がおかしい。いや、あの森での一件があってからだ。
確かにその前から様子がおかしい節はあった。だがそれはあくまで連々の不幸な出来事のせいであって、今のように露骨なまでの消極性はなかった。いや、無気力感というか、堕落感というか。
兎も角、ここまで情けなくはなかったはずだ。
「何か、この集落に何かあるんですか!? 実は幼い頃にここで育てられていたとか、生き別れの兄弟がここにいるとか、秘められし未知のパワーが目覚めかけているとか!! あ、もしかしてこの集落に元カノがいたり!?」
「いねぇよいたこともねぇよ。……いや、そうじゃなくてさ」
「そうじゃなかったら何なんですかっ!」
「俺の職業、何?」
「えっ、職業? ……盗賊、ですよね?」
「うん、伝説のね? 影なく奪う者とか言う渾名まであるけどね? これ聞いて何か思わない?」
「何かって……」
首を捻りながら悩むガルスだが、その答えを出すのに数十秒と要すことはなかった。
そう、単純明解。ごく当然のように、当たり前。たった一つの答え。
「……え、何か盗みましたっけ?」
「そこだよ」
不貞寝しながら、背中で呟くカネダ。
「俺、盗賊じゃん? しかも伝説とか言われるレベルじゃん? 昔は聖堂教会に忍び込んで神像とか財宝とか盗んだり豪邸丸々一件盗んだりしたし北部の田舎町には山一つ分の金銀財宝隠してるしちょっと前でもそれっぽい行動取ったら裏路地のバーなんかじゃそれっぽいお酒出して割り引きまでしてくれたのにさ? こつこつ溜めてた五百ルグ貯金だってこの頃の食費とかに消えるし装備だってろくに調えられてないし、しかも最近は鳥に銃奪われるわ森で爆発するわエルフに捕らえられるわ……」
「…………は、はぁ」
「盗賊って何なんですかねェ!!!」
「いや僕に聞かれても……」
ツッコミ役とか言ったら怒られそうなのでぐっと口を噤むガルス。
「盗賊なんだから何か盗まないとさ……。もうここ最近盗むどころか盗まれてしかねぇよ。幸運とか……」
「え、エルフ族からメタルさんを盗むとか……」
「お姫様ならともかく男とかないワー」
「うわぁ、面倒臭いなぁ……」
その言葉でさらに落ち込む面倒臭い盗賊。
―――なるほど、つまり彼は盗賊らしからぬ最近の行動と不幸続きな出来事にスランプを感じているわけだ。どうにかして彼に自信を付けられれば良いのだろうが、そんな都合の良い事がほいほい転がり込んでくるはずもない。
「う~ん……」
嗚呼、これはどうしようもないピンチだ。
戦闘能力のない自分ではこの状況を脱することはできないし、メタルを助けることもできない。
それに、今のエルフ族は女王の行方不明で緊迫しているはずだ。そこに侵入者なんて、絶対ろくな扱いを受けるはずがない。
もしかしたらこのまま、エルフ族の儀式の生贄にされてしまうのでは。妖しげな呪術の生贄にーーー……。
「……ん? 生贄?」
そうだ、確か先生が何か言っていた気がする。
百年に一度の、何か、儀式があると言っていたような。確か、そう。大変な儀式が。
「あっ……」
ガルスは小さく声を上げると、木籠の枠組みに飛びついた。
辺りの子供達はもう大人達に家へ帰されてしまったが、まだ何人かの子供は近くにいる。物珍しいものを見るための野次馬根性で、また集まってきた悪ガキも。
彼等なら、知っているのではないだろうか。いいや、知っているはずだ。あの儀式について。
「き、君達っ! ちょっと聞きたいんだけど!!」
急に喋った珍獣にざわめくエルフの子供達。
その様子に狼狽えながらも、ガルスは息を呑んで訴えかける。
「儀式がっ……、神託があるんじゃないかい!? 確か百年に一度の、えっと……! 神片を得た魚の、えぇっと……!!」
「……神魚様?」
「そう、それっ!! あるよね!?」
子供達は互いに視線を交わしながら、怯えるように顎を引いた。
それだけで、もう充分だった。彼の表情は見る見る内に歓喜と規模に溢れ、隣で不貞寝する男を強く揺すぶり出す。
「き、聞きましたかカネダさん! 見ましたかカネダさん!? あります、あるんですよ! お宝がっ!!」
「……おたからぁ? あるのぉ?」
「あります、ありますとも! いいですか、よく聞いてください。エルフ族には百年に一度、神の使いとされる神魚から神託を得る儀式があるんです! 極秘裏な上にエルフ達でも禁忌に等しい扱いを受けているもので、文献にも噂話程度としか記されていないし、先生も可能性は低いと言っていましたが、えぇ、間違いありません! それがこの年なんです、今年、あるんですよ!!」
「…………」
「神託とはつまり神の叡智を借りること! 万物を知れるということです!! これはともすれば、この世のどんなお宝よりもーーー……」
「…………」
「ですから、あの、どうか元気を出して……」
ガルスによる必死の説得でも、カネダは彼に背を向けて不貞寝したまま動かない。
それこそもう死んでしまったのか、或いは伝説の化け物の眼でも見て石になってしまったのかと思うほどに。
――――嗚呼、やはり駄目なのだろうか。この話ならば彼の盗賊魂も沸き立つと思ったが、駄目だったのか。
こうなっては仕方ない。もう自分だけでも、メタルを助けに行かねばーーー……。
「…………?」
気のせいか。
「…………」
カネダの様子が、おかしい気が。
「……ん?」
回り込んで、不貞寝するカネダの表情を見た瞬間、彼の全身が硬直した。
その表情を果たして何と形容すべきか。彼は今まで見たこともないぐらい消沈していたはずだ。
だが、今になっては逆に、今まで見たこともないぐらい、高揚していた。
ガルスが全力で顔を引き攣らせるぐらい、明らかにヤバい満面の笑みを浮かべていたのだ。
「ガぁ~~~~ルぅううう~~~ースぅううう~~~くゥウ~~~~んン~~~~~~…………」
そして男は、幻影のようにゆらりと立ち上がり。
「爆弾の使い方って、知ってるゥ~……?」
「ばっ、くだん、ですか……?」
思わず声を上擦らせながらも、ガルス。
爆弾と言えば、爆発だ。相手陣地に投げ込んだり何かを爆破したりするのが使い方だろう。
けれど、絶対違う。彼が言おうとしている使い方とは、絶対に。
「爆弾はな、敵も味方も巻き込む……、ある意味でこの世の何よりも公平な破壊だ。いや、爆弾が起こす破壊という現象こそが、か……」
「……あ、あの?」
「だけどな、そうじゃない。爆弾の正しい使い道は、そうじゃあない……」
今から手術でも始めるかのような構えでカネダは指先を突き立てた。
まさか、素手でこの檻を壊すつもりだろうか? いや、幾ら木製とは言え、とてもそんな事ができるとは思えない。それに装備だって奪われているのに、いったいどうやってーーー……。
「その公平をどれだけ自分の側に寄せられるか」
腕を軽く揺らした瞬間、彼の両指には十を超える秘密道具が構えられていた。
手術? 嗚呼、その通りである。これは今から解剖し、切開し、結着し、縫合する、手術なのだ。
檻をいとも容易く、肉より骨より血管より軽く、そうするための手術。
「つまり」
「つ、つまり……?」
ヒュパンッ。
舞い散る木片、烈火の閃光。エルフ達がその異常事態に気付いた時には、既に遅かった。
今し方まで見世物だったはずの男は地駆る虎となり、瞬く間に一人の子供を牙にかける。誰かが悲鳴をあげた時にはもう、全ては終わっていたのだ。
「……クックック」
薄ら気味悪い笑い声をあげながら、彼はピッキングツールらしき道具をフード姿の子供の首へ突き付ける。
一人のエルフが憤怒に叫んだ。一人のエルフが悲鳴した。一人のエルフが恐怖に泣き崩れた。
人質だ。あまりに卑怯で卑劣な、邪悪な行為だ。
「ぐへっ、ぐへぐへぐへぐへぐへぐへぐへ!! オラぁエルフ共ぉ!! これが見えるかぁ!! よくもこの俺を捕らえてくれやがったな!! 相応の罰は覚悟してるんだろうなアァン!? この子供の命が惜しくば下手な抵抗はやめてもらおうかァ!!」
「うわぁ……」
「うわぁ……」
「うわぁ……」
三流悪党待ったなし。
もっとも、ガルスもドン引きしてるのはどうかと思うが。大体イメージ通りでした。
「さぁさぁ何ぼーっとしてやがるんだ!? まずは俺達の装備を返してもらおうか!? 運んでくるのは子供だ!! 大人は大人しく両手を拡げてその場に跪くことだなぁ!!」
「おい」
「そう言えば腹が減ったなァ!! 食料を寄越っ……、え?」
「何をする貴様」
フードの下から覗く、鋭い眼光と真紅の眼。
何処からどう見ても子供には見えない眼力を持つ子供が、そこにいた。
何処からどう見てもただの子供ではない子供が、そこにいた。
何処からどう見てもーーー……、エルフではない子供が、そこにはいた。
「…………えっ」
「……ふむ」
その声には、聞きおぼえがあった。
カネダは周囲のエルフ達より遙かに血の気を引かせていく。今こそ貧血で倒れそうなぐらい、引かせていく。
「厄介なことになったな」
エルフ達が気付かない中、人間と人間による、超常生命体ショタと三流悪党の茶番劇がそこにはあった。
勇者と盗賊のーーー……、茶番劇が。
「……何してんの?」
「それはこちらの台詞だ」
――――バレたら即射殺待ったなしの究極チキンレース、開始。




