【3】
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「フォール! 日焼け止めのオイルを塗ってやろう!!」
さて、密会からしばらくしてのこと。満面の笑みで瓶を持ったリゼラの姿に、フォールは怪訝そうに片眉を吊り上げていた。
彼は昼食の巨魚の活け作りを食べた後の、魚骨だとか、残った脂身とかの後始末中だった。普段なら満腹の馬鹿共がぐーたらしていて、彼だけが忙しなく働いている時間だと言うのに、今日に限ってはこれだ。
慰労、とでも言うつもりだろうか。
「……油か。丁度欲しかったところだ」
「フッフッフ、さぁさぁそこに寝転がるが良い! 魔王自らオイルを塗ってやろうぞ!!」
「後片付けが終わってからな」
「うん!!」
良い返事である。
と、そんな彼等を魔道駆輪の影から見詰める二つの人影があった。
何処か不安げなシャルナと、相変わらずのあくどい笑みを浮かべたルヴィリアだ。
「にゃっひっひっひ……! やっぱり疑ってもないわね、あの男。リゼラちゃんに行かせて正解だったわぁ」
「その、大丈夫なのか? あのオイルは」
「そうそう、完全燃焼性オイル。一度着火すれば爆発するように燃え広がるってワケ! リゼラちゃんが塗った後に着火すればぁ~? ぼーんっ!!」
「……それ、リゼラ様が塗るんだから、着火したらあの御方自身も焼かれるんじゃないか」
「あっ」
「おい智将」
「なーんてね。着火は私の役目だから問題なっしんぐ! 男とか全員灼き殺してやるわ!!」
「相変わらず凄まじい怨念だな……。しかし大丈夫だろうか……」
「あんなロリに日焼け止め塗ってあげると迫られて断る奴がいたら人間じゃねぇわよ」
へらへらと笑いながらまた覗き込んでみれば、そこには魚骨と脂身を油で揚げて、デザートの魚チップスを作っている勇者の姿があった。
そしてそれを嬉し気に眺めながら犬のように涎をダラダラと垂らす魔王の姿も。
「……人間じゃなくて、勇者だから」
「美味そうなのが腹立つわぁ」
オイル策戦、失敗。
魚チップスは塩が効いていてパリパリで、とても美味しかったそうです。
「何故だ!?」
「いや何故だじゃないでしょ」
さてさて、策戦失敗とくれば反省会である。
リゼラ、シャルナ、ルヴィリアは魔道駆輪の影で涼みつつ、余り物の魚チップスを摘んでいた。
「釣られちゃダメじゃんリゼラちゃん!? 任務達成しないと!!」
「美味い……」
「美味しいけども!! うわめっちゃトマトソース合うわこれ!!」
「確かに、中々……。まぁ、それはそうとそうがなり立てるな、ルヴィリア」
「ルビーちゃんだもん!!」
「……る、ルビーちゃん。元よりフォールが軽々しく背中を預けてオイルを塗らせてくれるとも思えない。敵意があると悟られなかっただけ僥倖だろう」
「んもーっ。じゃあもう私が皆にオイル塗るしかないじゃない」
「「いや待てどうしてそうなる」」
「尻を出しなさい」
「「だからどうしてそうなる!?」」
「スク水の上からぬとぬとした液体を塗りたくりたいからですけど!? ビキニの隙間から指を滑り込まして乳首を弾きたいからですけどォ!?」
「シャルナ、締め落とせ」
「御意に」
「おっと殺ゥ意!! あ、でもこれ胸当たってあはぁっ……ん? 胸?」
「…………」
――――覇王撃。
シャルナが磨き上げた体術の一つであり、その平坦な胸に相手を乗せてから全体重を首ゴグシャァッ。
「ま、それはそうとじゃあ策略を次に切り替えよっか」
ともあれ、首が七十二度ほど余分に回ったルヴィリアは気を取り直すように咳払いして微笑んだ。
さて、智将たる彼女が次に提案する策略とは何なのだろうか。
「名ぁ付ゥけぇーてぇーっ! 『ドキドキ! 浜辺ビーチ策戦』!!」
既に嫌な予感しかしない。
「……一応聞くがが、どんな策戦だ?」
「水辺であの男と追いかけっこして、事前に仕掛けてある地雷まで誘導して貰います」
「成る程、お願いしますリゼラ様」
「御主それ確実に妾が引っ掛かるやつじゃねーか」
「だいじょーぶ! いざとなった時の秘策を用意してあります!!」
「ほほう、流石は『最智』なる智将! どんな秘策だ?」
ルヴィリアが満面の笑みで懐から取り出したのはバナナの皮だった。
何か茶黒く変色した、皮だった。
「……リゼラ様なら!!」
「御主らクビにしていい?」
この配下ども魔王殺しにきてる。
「とまぁ、そうは言ってもやるのはシャルナちゃんしかいないんだけどね」
「わっ、私かぁ!?」
「そりゃそうでしょ。リゼラちゃんじゃ爆発の余波で吹っ飛んじゃうし、そもそも歩幅的に追いつかれるわ。かと言って私が行ったんじゃ怪しまれて終わりだしねー。爆風に耐えられてあの男と追いかけっこしても逃げ切れそうなシャルナちゃんが最適ってワケなのよん♪」
確かに彼女の言う通り、この策略の仕掛け人としての適正者はシャルナしかいない。
しかし、それはつまり、あの勇者フォールと水辺で追いかけっこするということだ。
煌めく水面を背に、水着で、きゃっきゃうふふとか言いながら、追いかけっこ。待て待て待てぇ~とか捕まえてごらんなさ~いとか、そんな事を言いながら。
「…………」
と、随分ベタな思想に捕らわれてしまったシャルナはそのまま真っ赤になってぷるぷる震えながら動かなくなってしまった。
リゼラとルヴィリアはそんな彼女を眺めて魚チップスを摘みながら、一言。
「エロカワイイわぁ~。お持ち帰りしていい?」
「どう考えてもダメじゃろ」
ぽりぽりぽり。
「な、なぁ、ルヴィリア。その、もう少し別の策略にしないか? その、何と言うか、これは……」
「えぇー、でも、もう地雷も仕掛けちゃったよぉ」
「しかし、何と言うか……、その……。も、もう少し別の方法があるんじゃないか? 何もこんなやり方じゃなくても」
「……シャルナちゃん?」
「な、何だ?」
「どうしてそこで諦めるの?」
「え?」
「諦めないでよ、諦めないでよシャルナちゃん! どうしてそこでやめるのそこで! もう少し頑張ってみようよ! ダメダメダメダメ諦めたら。周りの事思おうよ、応援してくれる人達の事思ってみなさいって。あともうちょっとのところなんだから。私だってこの策略のところ、下着がぐちゅちゅって湿ってんのよ! ずっとやってみなさい! 必ず策略を達成できる! だからこそPants give me!!」
「元気づけるのか最低なのかどっちかにしろよ御主」
「パァアアアアアアアアアアアアアアアアンツッッッッッッッ!!!」
「シャルナ、四天王が三人になったら名称は何が良いかな」
「三人衆とかじゃないですか……」
次点候補は三魔将だそうです。
「しかしシャルナ、このアホの言うことは兎も角じゃ」
「あふゥんっ♡」
「やる事をやらねばあの勇者めを倒せぬのも事実。それに妾達は既に敗した身よ……。ならばここは、ほんの少しでも可能性のあるルヴィリアに賭けた方が可能性はあるのではないか?」
「う、うぅ~……」
「だいじょーぶっ! 私を信じてシャルナちゃん。成せば成るともレッツウェイ!! あくまで策略だから、策略だから!」
彼女達の応援に背を押されて、シャルナは未だ顔を赤らめながらも段々と震えを収まらせていった。
そして覚悟を決めるように肩をすくめ、眼前の魚チップスの器を持ち上げて一気に掻き込んだ。
「……行ってきます!!」
「オッケー! サポートはまっかせなさーい!!」
シャルナは意を決して魔道駆輪の影から歩み出していく。
彼女の何処か小さな、けれどしっかりした背中を見詰めて、ルヴィリアは楽しげに微笑んでいて。
「……シャルナちゃん、頑張れ乙女。私は応え」
「妾の魚チップスゥウウウウウウウウーーーーーッッッ!!」
「良い感じの台詞だったんだけどなぁ!?」
残念ながら良い台詞は言い切れないものである。
「んもー、良いじゃん。こう、ちょっと残ってる粉も美味しいよ? ほら、舐める? オラ舐めろよ私の長くて堅いコレ舐めろよ」
「指な? あと器に残ってるからそっち舐めるわ」
「しょぼーん……」
露骨に肩を落としながら自分の指を舐めるルヴィリア。
ぺろぺろと自身の指を艶めかしく舐める彼女を前に、リゼラは怪訝、ではなく純粋そうに不思議げな表情を浮かべていた。
意外じゃったな、と。
「え、何が? 私のお尻を舐めさせなかったことが?」
「張っ倒すぞ。……いや、シャルナをあの男のトコに行かせたのがな」
「そーお?」
「そりゃ、まぁ。だって御主なら魔眼使ってエロ同人みたいな事しそうだし……、シャルナにだって言うことを簡単に聞かせられよう?」
「私のイメージおかしくない!?」
「おかしくねぇよ妥当だよ正当だよ真っ当だよ」
「ひっどいなぁ……。私だってパンツとブラ盗んだの誤魔化したことぐらいしか……、あっ」
「御主それ事と場合によっては極刑じゃからな」
目逸らしで押し黙る辺りこの女、絶対何かをやらかしてる。
―――まさか魔王城で四天王会議の度に下着盗難被害が起きたのはコイツの所為だったりするのだろうか。いやいや、そんなはずはない。アレの犯人は野生のエロ同人触手ということで決着が着いたではないか。
そうそう、だから彼女なはずがない。妾が下手人ならぬ下手触手を焼却したらこいつ『肉奴隷製造器八十七号ウウウーーー!!』とか叫んでたけどきっと気のせいだうん。
「ルヴィリア」
「なに?」
「死刑」
「あるェッ!?」
祝、三人衆発足。
「ま、まぁでもねー。やっぱぼっ……、じゃなくて、私は女の子が幸せな方が良いわぁ」
「ルヴィリア……」
「イチャラブこそ最強みたいな? こう、ベッドの上で裸で抱き合いながら足と足を組んず解れず絡めあってまずライトなキスから入ってそっからやっぱ愛撫だよねっていうココ重要だと思わない勿論その後もまぁ勿論その他でもいけますけどね。イケますけどね!!」
「死刑……」
「あるェ……?」
どんなに言い訳しても死刑である。
と、彼女達がアホな漫才をしている内にもシャルナはフォールを追いかけっこに誘えたようだ。
浜辺でこそないが、煌めきの水辺で追いかけっこ。成る程、あの男もそういう事には憧れるのだろうか。
――――ただ、屈伸運動をしている辺り嫌な予感がする。おい、おいやめろ、クラウチングスタートの態勢を取るんじゃない。
「おい大丈夫かアレ絶対アイツ間違えてんぞ」
「……シャルナちゃんが心なしか嬉しそうだしオッケーかな」
「これだから脳筋は……。で、肝心の地雷とやらは何処に仕掛けてあるのだ? そこに行くまでに合図を送らねば」
「うん、あっちの……、大体数百メートルぐらい先に」
「ほうほう」
「百個ほど……」
「馬鹿じゃねぇの?」
過ぎたるは及ばざるが如しという言葉を知らないのか、このド変態。
「大丈夫大丈夫! 起動時間をズラしてるからシャルナちゃんは走り抜けられる計算だし、逆にあのクソ野郎は中心で全方位爆破を受ける計算なのよねーん! しかも回避を阻止するための予防策まで完備!!」
「……予防策って」
「バナナ!!」
「おーいシャルナ-、帰ってこーい」
既に失敗が見えている計画だが、さてはて。
一方、『平原の海』の側でシャルナと馬鹿はいざその時を待っていた。向かい合ったまま、じっと、その時を。
「…………」
「…………」
――――二人は見つめ合ったまま、動かない。
何故だろう。その文面だけ見れば恋愛物語の一面のようだ。初々しい青春の一幕のようだ。
だが、彼等の様はさながら平原で対峙した肉食動物と草食動物だった。
両腕を拡げて構えるシャルナ、クラウチングスタート態勢で力を溜めるフォール。見た目的には肉食と草食だが、実状は肉食と超常生命体な、この現状。
いつ、動く。獣達がそうであるように、僅かな切っ掛けか。或いは熟練剣士の戦いのように、風が吹いたときか。
「…………」
「…………」
やはり、動かない。
どれだけの時間が経っただろう。決して長い時間ではないが、短い時間でもない。
遮蔽物のない炎天下の元、水辺という湿度が高く水面からの反射日光もある中、ただ彼等は向かい合う。じりじりとした熱度に意識を向ける間もなく、向かい合う。
動かない。魔道駆輪の物陰からその様子を窺っていたリゼラとルヴィリアでさえ熱さにぐだりだしてもまだ、彼等は動かない。
動かない。湖面に魚が三度跳ね、太陽が指先ほど傾こうとも、彼等は動かない。
動かない。肌が痛みだし、頭が揺れ、額や腋、足の付け根から汗が流れ伝ったとしても、彼等は動かない。
「…………」
「…………」
「…………こっ」
「こ?」
「来いやオラァアッッ!!」
シャルナさん限界だったそうです。
「あ、すいません。ドクターストップ入れまーす」
「……む? うむ」
半泣きでしょんぼりなシャルナさん。ドクタールヴィアに連れられて魔道駆輪の影へ帰還。
その姿は草食動物でも肉食動物でもなく、激戦を超えた拳闘士が如き背中だったという。
「うぇっ……、ぐすぇっ……、ぇぐっ…………」
「いや何か……、ごめん」
「やっぱシャルナには難易度高かったかー……」
「……いやいや、って言うかおかしくない!? 私の中のシャルナちゃんのイメージと大分違うんだけど!! え、何この頭なでなでしてあげたい女の子!? シャルナちゃんって『下衆が……』とか『面白い、私と真正面から渡り合うか』とか『武人たる者、背を見せずして討ち死すべし』みたいなキャラじゃなかたっけ!?」
「心って折れるんじゃよ。ハハッ」
「何があっ……、リゼラちゃん? リゼラちゃん!?」
こう、例えるならば。
組み上げてきた積み木を壊されるというより、隣に遙か高く積み木を詰まれるというより、ビームとか消滅とか超常現象とか意味不明で理不尽な方法で積み木の概念を抹消されるというより。
――――周囲全てをスライム型の積み木で埋め尽くしてから究極生命体スライムを錬成して軍勢を造り自身の積み木の周りを大行進でスライム音頭を取りながらスライムダンスで重力に逆らったムーンウォークでもされた、ようなものだ。
つまりあの男を説明するという行為自体が不可能なのである。
「まぁ……、この策略も失敗じゃな……。本当にどうやったらあの男を罠に填められるのか……」
「だよねー……。んもぅ、折角用意した予防策セカンドも無駄になっちゃったじゃないのー」
「……バナナ?」
「まっさかー! 智将たるもの、同手は悪手だよ~☆」
「じゃあ何を……」
「えっとねー、魔道駆輪の中に飾ってあったこのスライムくん人形を囮に使ってぇ~」
「ちょ、おま」
こんな言葉がある。『習うより慣れろ』と。
そう、彼を知りたくば、彼女達が折れた理由を知りたくば己の身を持って知れ、ということだ。
ただし、殺気により周囲の数位が数センチほど下がり、空が濁り果て、大地が揺らめき、魔道駆輪が黒煙を上げ始め、リゼラが白目を剥いて泡を吹き、シャルナが一瞬の内に気絶し、周囲の獣やモンスターが一斉に逃避を始め、とある国では占いババアが世界の消滅を予知し、とある街では人々が突如として祈りを始め、ある村では古より伝わる大魔王の復活と人々が口にする程の現象をーーー……、知覚できたのなら。
魔道駆輪越しに、殺意の結晶が如き真紅の双眸に気付くことができたのなら、或いは。
彼という男を、ほんの一端だけでも理解できたかも知れない。
――――否。
「……せめて、リゼラちゃんとシャルナちゃんの無乳おっぱいに挟まれて死にた」
知れ、なかった。




