【2】
【2】
カチッカチッカチッ。
「……中々着かんな」
「何で速攻で放火しようとしてんのコイツ!?」
「落ち着けフォール! 森を燃やすのはマズい!!」
「……それでもやってみたいと思うのはちょっぴり過激な反抗期、ということかな」
「反抗期っていうか犯行期ィッ!!」
早速、放火で丸ごと片づけようとしている勇者はともかく、森の前までやってきた御一行。
彼等の前に拡がるのは、整えられた道が一本通ったきりの森だった。
その道を見るに、この森は商人や旅人の通り道となっており、頻繁に使われていたようだ。踏み固められた土がそれをよく示している。
確かにここを封鎖されては物資も仕入れられず、お手上げというより他ない。あの街もこのままでは次第に衰退の一途を辿ることになるだろう。
「着火はダメか……」
「どう考えてもな!?」
「だが相手のフィールドで戦うのは不利というもので……」
「やっぱ御主暗殺者か何かじゃろ!? ともかく無しじゃ無し!! 森を燃やすのは無し!!」
「…………」
「こっそり着火しようとするなし!! ほるァ!!」
火打ち石はリゼラに取り上げられて、そのまま遙か彼方に放り投げられた。
勇者フォール、これにはしょんぼり
「あぁ、火打ち石が……」
「簡単な炎なら妾が起こしてやるから諦めろ!!」
「では仕方ない……。となれば普通に忍び込むとするか。結界は……」
フォールが道に手を伸ばした瞬間、火炎の閃光が巻き起こり、その指は鋭く弾かれた。
衝撃は一瞬だったが、まるで熱した鉄に触れたかのような痛みがあり、現に彼の指先は軽くではあるがスッパリと斬り裂かれている。血が出ていないところを見るに、この結界は凄まじい熱量で構築されたものなのだろう。
もし何も知らず突っ込んだりすれば、そのまま全身が燃え盛るか、その暇さえなく灰燼と化すか、だ。
「お、おぉう、魔王城の結界を超えた御主でも越せぬのか……」
「あの頃よりは随分弱体化したからな。リゼラ、この結界を解除することは可能か」
「うーむ、それこそ弱体化する前の妾なら小指で直ぐさま解除してやったものじゃがなぁ。今の妾ではどれだけ掛かることか……。何処ぞの勇者のせいでの!!」
「そうか。……ふむ、ならば結界の穴から内部へ侵入するとしよう」
「穴、か。その穴は何処にあるんだ? フォール」
「あそこだ」
フォールが指差した先にあったのは、森の離れにある小高い丘だった。
酒場で聞いた情報の通り、丘の上の光景に何故か歪みができており、時折波打つように躍動しているように見えた。
そして、その丘の下には木製の枠組みを乱雑に打ち付けた、大人一人分ほどの急作りな穴ができている。
「……通れるだろうか、私」
「あの大きさならシャルナでも充分可能だろう。不安なら俺の前を行けば良い。後ろから押してやる」
「う、うぅむ……」
「万が一の場合を考えて先頭はリゼラが行け。結界の異変感知は貴様の方が優れているからな」
「フッ、任せるが良い……。普段なら貴様の命令になぞ従ってやらんが、今回はあの耳長共が相手だからな、ちょびっとだけ協力してやるわ!」
「それは助かる。では、入るとしようか」
そのまま歩いて穴へと向かう。
フォールは穴に辿り着くと、枠組みを軽く叩いて強度を確認してみたが、成る程、急作りとは言えしっかりと作り込まれているようだ。
彼の確認が終わるとリゼラが穴へ這いずり、その後ろをシャルナ、さらにフォールと続いて行く。
中は真っ暗で何も見えないが、ほんの十メートルもない距離だ。三十秒も這いずれば外の光が見えてきた。
「おっ、外だ!」
「リゼラ、結界の具合はどうだ」
「変わらんな。このまま外に出ても大丈夫じゃぞ」
まず始めにリゼラが穴から飛び出て、外の光を浴びる。
続いてシャルナが這い出て、フォールと続き、全員が外へーーー……、とはいかない。
「……ん?」
ガッ、と。
「……おい、シャルナ。どうしたのだ?」
「つ、詰まりました、リゼラ様……」
案の定である。
「何だ、詰まったのか。……仕方無い。リゼラ、前から引っ張り上げろ。俺は後ろから押す」
「す、すまない、フォール……。頼む」
「予想していたことだ。構わん」
「フッ、部下の失敗を認めるのも王の勤めよ! さぁシャルナ、手を伸ばすが良い!!」
彼女はリゼラの手を掴み、そのまま穴を通り抜けやすいよう全身に力を込めて体を窄めた、が。
ふと気付く。リゼラに手を掴んで貰っているのは良い。だがーーー……。
――――フォールは何処を押すのだ? と。
「押すぞ」
「ま、待てフォール! 押すのは待ぇあひゃっ!?」
真っ暗闇で背後が確認できず、さらには手足の自由まで効かない上に、力んでいるせいで全身が敏感になった状態。
そんな彼女の尻を、フォールの指が力強くグイッと押し上げた。
「あ、ぁっ……、ひぁっ……」
背筋を優しく撫でられるかのように、寒気がゾクゾクと毛先を伝っていく。
ピンと伸びた足が小刻みに震え、腕を引っ張られて開けっ広げになった脇腹へ当たる風が心臓を撫でるかのようだ。
フォールの指から伝わる彼の息遣いや鼓動までもが、自身に伝わってくる。脳髄へ直接語りかけてくる。その力強さが、まるで、尾尻から全身を支配するような、感触さえ。
「どうした、シャルナ。早く行け」
「ま、待っ……、しゃ、べっ、ちゃ……、だめっ…………」
「……? よく聞こえん。押すぞ」
「あ、ぁ、まっ……」
――――偶然、と言えば偶然である。
その時、彼女が焦って身をよじらせたこと。冷や汗とも焦燥の汗とも取れぬ汗が体を流れていたこと。暗がりで全く見えなかったこと。
それらの要素が重なって、フォールの指は、づるんっと滑ってーーー……。
「ぉんっ♡」
穴の中でアナにホールの、失礼。フォールの指がホールインワンという。はい。
まぁ、それのお陰でシャルナはずるーんと綺麗に引き抜けたわけだが、犠牲も大きかったらしく、穴から出て来た彼女は肩を奮わせながら蹲ってしばらく起き上がらなかった。
一方、後から這い出て土埃を払う男は彼女に向かって、一言。
「……胸が、つっかえたのか」
その一言にリゼラのドロップキックが炸裂するも、はたき落とされて穴にシュートしたのは言うまでもない。
「さて、森には侵入できたが…………、既に被害甚大なのはどういう事だ?」
「貴殿のせいだァッ!!」
「御主のせいだァッ!!」
「何故だ……」
勇者しょんぼり。
「……ともあれ、ここが件の森か」
見上げてみれば、そこはやはり森だった。
別に穴を抜けたからと言って景色が変わったとか、結界を超えたからと言って別の何かが発動したとか、そんな事はない。外から結界越しに見たままの森だ。
だからこそ、不気味だった。酒場の連中は森に入ると毒矢や落とし穴といった罠が発動したというが、それもまた不気味な理由で、今となってはこの穴もそうでしかない。
「…………」
フォールは顎先を擦りながら、静かに片目を伏せる。
そうだ。おかしいのだ。この話は元から、おかしい。
「……可能性としてはある、か」
ただ一言そう呟くなり、彼は森の中へと進んでいった。
余りに迷いなく歩いて行くものだから、リゼラもシャルナも、各々悶える暇もなく彼へと付いて行くしかなかった。
進む先にあるその森へ踏み入るしか、なかった。
「お、おい! 迂闊に踏み入るな、馬鹿!! 罠があったらどうする!?」
「それが目的だ」
「はぁ!?」
「貴様等は後から来い。恐らくーーー……」
ヒュパンッ!
まるで、空気を鞭で斬り裂いたかのような音。
何かが瞬時にしなる音。弓が射られた時の、音だ。
「…………」
その音がリゼラの耳にとどいた時にはもう、フォールの頭蓋に矢が突き刺さって、否。
寸前で、彼は矢を受け止めていた。指先二本で表情一つ変えずに、だ。
「……ふむ」
矢を眺め、その先から滴る深紫の液体を指先へ落とし、素早く矢羽根でこそぎ取る。
そこからはさらに凄惨だった。落とし穴に丸太トラップ、魔方陣や地雷など諸々。軍隊でも滅ぼすつもりなのかと言うほどの罠の数々がフォールに襲い掛かったのだ。
にも関わらず彼はそれをひょいひょいと避け、或いは受け止め、前に進んでいく。一つ超える度に表情を険しくしながら、歯牙を食い潰しながら、掴んだ矢をへし折りながら。
「何であの馬鹿は突っ込むの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
「どうやれば死ぬんでしょうね、あの男……」
「いやごめんそれはちょっとわかんない」
「し、しかし、追わねば……。あのままでは一人で進んでいきますよ」
「……もう全部あいつ一人でいいんじゃ」
「それを言ったら負けですリゼラ様」
森から吹き上がる土煙だの大樹だの大岩だの。お手玉よろしくポンポン吹っ飛ぶそれらを眺めつつ、リゼラとシャルナは互いに視線を合わせて、また逸らす。
「行くぅ……?」
「行きますぅ……?」
行きたくねぇ。
「アレ入ったら絶対ろくな事にならんぞ……。主に転移魔法とか……」
「『爆炎の火山』ダンジョンでトラップはもう懲り懲りですからね……。しかしあの男を一人で行かせたら、それこそさらなる大惨事が……」
「やめてシャルナ現実見たくない」
「戦わなければならない時もあるんですよ魔族には!」
彼女達の隣を巨大ゴーレムが吹っ飛び、そのまま結界に激突して消滅した。
来たれ現実カムヒアー。
「…………行くかぁ」
「行きますかぁ……」
本当に行きたくねぇ。
などと思っている内に、何故か森の中で巻き起こっていた轟音は止まり、一瞬にして静寂が訪れた。
いったい、先程までの喧騒は何だったのか。燃え盛る炎に水をぶっかけた、と言うよりは燃え盛る炎ごと崖下に落としたかのような喧騒からの静寂だ。
――――あの男に何かあったのか? ではなく。
「あのヤロウ何しやがった……」
ある意味では信頼です。
「い、急ぎましょうリゼラ様! 最悪エルフ皆殺しですよ!!」
「やっぱアイツ勇者じゃねぇって!!」
二人は慌てて森の中へと駆け出した。
道中は無残な罠の残骸に溢れ帰っており、森林というよりは戦場跡地のような印象さえ受ける。
あの馬鹿、ご丁寧に端から端まで全ての罠を作動させてはそのまま放置したらしい。毒の塗られた矢だとかぶら下がる丸太だとか、ぽっかり開いた大穴だとかが全てその場に残され、特に防いだり払い除けたりするまでもなく置かれている。
「だぁー! あぶねぇっ!! 毒矢踏むとこだった!!」
「お気を付けくださいリゼラ様! おんぶしましょうか!?」
「せんで良い!!」
「ではだっこ!?」
「だからせんでも……、何で御主等って妾のこと持ち上げようとすんの!?」
「フィット感が!!」
「それ勇者も言ってたけど何なのじゃ!?」
たぶんこたつで子供を抱えるとお腹も温かいっていうアレである。
そんな事を言い合っていると、彼女達の前にフォールの後ろ姿が見えてきた。
彼は一番大きな木の根元で屈み込んでおり、木漏れ日に打たれながらじっと何かを見詰めている。
その背中は、とても隙だらけだった。
「うぉりゃああああああ死ね勇者ァアアアーーーーッッ!!」
「やかましい」
リゼラ、木の根にシュート。
「何故ですか!?」
「癖で……」
「癖で!? まだ夜中に何かあれば抱き付く癖治ってないのに増えたんですか!?」
「それは関係なかろう!? 御主だって毎朝毎晩無意識でストレッチしてんじゃねーか!!」
「アレは日課ですから!!」
「……騒ぐな馬鹿者共。起きたらどうする」
「何だ勇者! 御主だって癖の一つや二つ……。起きたら?」
振り返ったフォールの掌に載っていたのは、妖精だった。もうこれ以上ないぐらいの妖精だった。
彼の指先に全身が乗ってしまうほど小さな、手足など小枝のようにか細い妖精だ。
透き通るような金色の髪は筆の毛先のようにふわふわで、顔立ちは全盛期のリゼラに劣らないほど麗しく、知性に溢れている。
すやすやと寝息を立てる様子など、一種の彫刻さえ思わせる美しさを持つ妖精だった。
――――それは妖精だった。羽のない、妖精だった。
「……妖精か?」
「妖精だろう」
「おい見えん! 見えぬぞ!!」
「どうしてこんなモノが……?」
「知らん。俺に聞くな」
「おい、見えぬ! みーえーぬー!!」
「で、これはどうする」
「どうするって貴殿……」
「焼くか、煮るか。生はオススメできない」
「喰うの前提か!?」
「見えぬと言うとろうが無礼者ぉーーーっ!!」
これだけ騒いでも、妖精はぴくりともしない。
まさか死んでいるのでは、とシャルナは覗き込んでみるが、やはり寝息は立ててる。死んでいるということはなさそうだ。
「……どういう事なんだ?」
「解らん」
「だぁーかぁーらぁー! 見せろよ妾にもぉー!!」
「だから騒がしい奴だと言っている。ほら、これだ」
「どれど……れ…………」
「確か、昏倒魔法だか催眠魔法だかいう魔法があったな。その類いか?」
「いや、ここまで眠っていては相当高度な催眠魔法でないと……。それに、尖った耳からして妖精だというのは解るけれど、羽がないのはどう説明を付けるんだ? 怪我をしているなら、それまでだが……。そんな風には見えないしなぁ。脱がすわけにもいかないし……」
「この事態だ、そんな事を言っているわけにもいくまい」
「なっ、どう見てもこの妖精は女の子だぞ!? やるなら私がやるっ!!」
「握り潰すだろう、貴様の場合。それに女の裸なぞ見慣れている」
「えっ、み、見慣れ、て、えっ……。だ、れの……?」
「貴様とリゼラだが」
シャルナの豪腕がフォールの腹部を穿ち抜く。
それはそれは、とっても良い音だったとか。
「……何を、する」
「うるさい馬鹿!! リゼラ様も何とか言ってやってください!!」
「…………」
「あれ? リゼラ様?」
「……なぁ、それ」
「はぁ、この妖精がどうかしましたか?」
「エルフ女王なんだけど……」
静寂、そして。
「やはりか」
「はぁああああああああああああああ……、えっ?」
意外にも、フォールは動じることなく、むしろ納得したように頷いた。
彼は妖精ーーー……、いや、エルフ女王の頬を弄り、髪先を掻き分けて耳を出す。
――――シャルナの言うとおり、そこには確かに尖った耳があった。だが、尖った耳は何も妖精だけの特徴ではない。エルフにも尖った耳はある。
もっとも、エルフはこんな小人のような体型はしていないけれど。
「ど、どういう事だ貴殿!? 予想していたのか!」
「可能性としては一、九の割合だったがな。……もっとも、主観的な感情込みだが。有り得ると面倒だから有り得て欲しくなかったが、こうなった以上は仕方あるまい。例えどんな形でも現実は現実というものだ」
「だからつまりどういうっ……!」
「エルフを見たか?」
彼の言葉に、シャルナは溢れ出ていた言葉を思わずのみ込んでしまい、大きく噎せ返った。
――――確かに、彼の言う通りだ。この森に入ってきてから罠の数々は見たが、エルフらしいエルフを一人も見ていない。いや、目の前にいる妖精のようなエルフは除くが。
そんな彼女の困惑をたたみかけるが如く、さらにフォールは推理を続けて行く。
「街の人間達も……、この場所に踏み込んだ荒くれ者達もエルフについての話は全て伝聞系だったのが気に掛かってな。決め手はこの矢だ」
「毒矢……、か」
「エルフは自然に密接した種族だ。毒も当然、木の実や昆虫の、緑色が強いものを使う……。だと言うのにこの毒は何だ? モンスターの毒だ」
ぺきりと、彼の靴が矢身を踏み潰す。
「……つまり、何か? この騒ぎにエルフは関わっていないということか!?」
「こんなになったエルフ女王がいるところを見る辺り、そう簡単な話ではなさそうだがな。俺の予想が正しければーーー……」
そこまで言いかけて、彼の言葉は藍色の中へと消えていった。
フォール達を覆う景色が一瞬で変貌し、ただの森から何処の熱帯夜かと思うほどの密林に変化したのである。
いや、景色ばかりではない。気温や地形、感触までもが一瞬で入れ替わったのだ。
瞬間転移か、とシャルナが騒ぎ立てるほど、一瞬で。
「……何だ、これは」
「わ、私に聞くな! リゼラ様、ご無事ですか!?」
本日のメイン。
・食人植物 ~リゼラを添えて~
「リゼラ様ぁあああああああああああああああああ!!!」
「さっきから妙に静かだと思ったら喰われていたのか、こいつは」
ずぼんと引き抜いてみれば、白目を剥いてどろどろの溶液に塗れたリゼラが出て来た。
フォールはそんな彼女を振り回して乾かしつつ、頭を揺さ振って意識を取り戻させる。
「リゼラ、これは何だ。転移魔法か、幻術か」
「うげぇえええ……、て、てんいでは、ない……、幻術でも……、ない」
「ならば何だ」
「結界魔法だ……、結界……。結界内に一種の世界を創り出す、最高峰の結界魔法、だ……」
そう言うなり、彼女はフォールの手の中でだらんと垂れ下がった。
「……ふむ、結界か。発動時から見て最後の罠と言ったところだな。シャルナ、この馬鹿とエルフ女王を抱えておけ。潰すなよ」
「あ、あぁ。預かろう」
「……潰すなよ?」
「貴殿は人を何だと思っているんだ」
「魔族」
「魔族だけども」
それは兎も角として、どのようにしてもまず森を脱出しなければ話にならない。
エルフ女王、存在しないエルフ達、結界による世界、数々の罠ーーー……。
いったい何者の仕業なのか、何故この様なことになっているのか。
――――そして、何が起ころうとしているのか。
「さて……」
それを知るのは、まだ。
「厄介なことになってきたな」
先の事である




