【7】
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「と言う訳で俺は弱くなりたいんだ」
「いやどういうワケか全く解らんかったが」
「と言うかコイツ、結局三時間近くスライムについて語りましたよ」
「アレは序章だ」
「「勘弁してください」」
もう耳が痛いどころか自分達も若干スライムが好きになり始めた辺り恐ろしいところだが。
ともあれ、魔王と勇者はどうにかアイ・ラブ・スライム講義序章その一前日譚(全十三章・現在更新中)を乗り越え、こうして次の話題に移れたわけで。
「しかし解らんな。……御主の頭が凄まじいことは解ったし、御主の力が異常なのも解った。だがそれを自ら喪うとはどういう事だ。それ程の力があれば世界など思いのままであろう」
「だから言ったろう、俺はスライ」
「それは解りましたから!! だから、どうして弱くなりたいかと聞いているんですよ!!」
「声を荒げるな。……魔王リゼラよ、殺気を受けた貴様なら解るだろう? 俺の殺気を受ければモンスター達は怯えてしまう。恐怖に身を歪ませ、動けなくなってしまう」
「あぁ、スライムの動きがカワイイのにそんなのじゃ可愛くないとかそういうアレか」
「それは違うスライムは動きだけじゃなくフォルムもカワイイ」
「やかましいわ!! あぁくそ、何故に妾達がこんなスライムキチのせいでこんな目に遭わねばならんのだ!! 勇者を倒し、あの事件を解決するという我が悲願も叶えられずーーー……」
「……ん、待て。先程から口にしている、その事件とは何だ?」
「し、知らないんですか!? 人間と魔族の争いに完全な一線を引いたとされる恐怖の事件……! 『消失の一日』を!!」
「……何だ、それは」
「ふん、無知なる人間めに妾が享受してやろう! 良いか? 『消失の一日』事件とはだな……」
魔王は語る。それは魔族にとっても口にすることさえ憚れ、魔族史上最悪とも言われている未解決事件だ、と。
原因は不明であるが、世界中のモンスターーー……、つまるところ魔族以下の、人間でいう獣のような、魔族よりも下位の生物が各地で次々に消失したのである。死骸さえ残さず、たった一日で。
特にスライム種の被害が多く、とある個体など軽く絶滅しかけた程だと言われている。
「この悍ましい事件のせいで、いったいどれだけの魔族が被害を受け、人間どもの企みに怯えたことか……! この恐ろしい事件を解決せぬことには、妾は初代魔王に向かい合うことさえできぬ!」
そう、この事件こそ魔族の尊厳を賭けて、魔王の威厳を賭けて解決すべき事件なのだ。
自身が魔王となり、側近と共に解決しようと杯を酌み交わしもした、事件。
恐らく今後数千の時をかけて魔族史に忌まわしく呪うべき事件として残るであろう、そしてまた人間共を憎悪すべき事件として残り、奴等を滅ぼすに充分過ぎる理由となるであろう、事件。
「この事件……ッ! 我が大命を賭けて」
「あぁ、その事件の原因なら知っている」
「解決す……るに…………、ごめん今何つった?」
「だから、原因を知っている。……先ほど言ったように弱いものほど脅威を感じ取りやすいものだからな。俺の願いの理由というのも、それだ」
彼は両指を組み合わせ、強く瞼を閉じる。
フォールの無表情からは珍しい、酷く悔いている様子だった。魔王リゼラも側近も視線を合わせながら訝しみ、また同時にこの男はいったい何を知っているのだと息を呑んだ。
あんなに常軌を逸した力だ。まさか、とんでもない事件を引き起こしたのではーーー……。
「スライムに近付いたら、殺気で蒸発した」
ん? と。
「こう、爆発するように悲鳴を上げて、そのまま後形もなく……。大体のモンスターはそうなってしまった。魔族レベルでようやく形を保てるレベルなんだ……」
「……待て、何? 蒸発?」
「蒸発」
「後形もなく?」
「なく」
「…………」
「…………魔王様、これ」
「『消失の一日』の原因コイツだわ……」
「魔族詰みましたよ」
とんでもない事件どころじゃなかった。
聞けばこの男、フォール。スライムの可愛さに目覚めたある日、世界中を散歩気分で走り回ったらしい。動物園よろしく水族館よろしく、世界中のモンスターというモンスター、特にスライム種を見るために。
その結果が『消失の一日』である。世界各地のモンスターが彼の殺気で爆ぜ飛び、蒸発し、一切の痕跡なく消え去ってしまったのだ。
そう言えばスライム種の被害が特に大きかったな、と魔王リゼラ。彼女は顔を覆い、側近は物言わず視線を逸らすばかり。
魔族史上最悪の事件の原因がまさかお散歩だったとは。そんなこと信じたくない。でも現実って厳しいものなの。魔王の目的一つ終わったよやったねリゼラちゃん。
「……俺はもうあんな悲劇を起こしたくはない。だから、弱くなりたい。スライムを、ぷにぷにしたいのだ」
「この状況が既に悲劇だろ」
「全くですよ。……しかし弱くなると言ってもねぇ」
「何度も言わせるな。魔族には代々受け継がれた封印アイテムがあるはずだ。女神を封じるために初代魔王カルデアが創りだしたと言われる秘宝が」
「……それ対女神の最終兵器じゃね」
「魔族の秘匿情報漏れてますよ魔王様どうなってるんですか」
「いや妾に聞かれても知らんぞ」
「女神の神託で知った」
「「あのクソ女神ィイイイイイイイイイイーーーッッ!!」」
天界で尻を掻きながら煎餅をつまむ女神がクシャミしたような気がした。威厳もクソもない。
「と言う訳で魔王、貴様にはそれを使って貰いたい」
「つ、使うわけなかろう! あれは女神との最終決戦兵器だぞ!? 憎き奴めを封じるために初代魔王が心血を注いで……!!」
「実物がこちらだ」
「奪われとるぅうううううううううーーーーーーっ!!?!?!?」
時既に遅し。何処かの三分クッキングよろしく彼の手にあったのは、奇っ怪な模様が刻まれた鈍重な壺であった。
見た目の禍々しさもさることながら、明らかに異様な雰囲気が放たれている。持っている当人が原因だろうか。何かこう、瘴気的なアレが放たれてフォールの身を蝕んでいる気もするが、本人はガン無視である。
「これを使って俺を封じるが良い。貴様等からすれば勇者が弱体化するのだから、僥倖だろう」
「だからそれは魔族の最終兵器でーーー……!」
「待て側近! ……まぁ、良いではないか。乗るとしよう」
「ま、魔王様!!」
がばっと側近を囲い、魔王は密かに耳打ちする。
女神は確かに厄介だ。我々魔族の最大の敵と言えよう、と。
だが、今この男以上の脅威があろうか。下手すれば女神なんかよりも危険かも知れない。初代魔王から続く結界を超え、一振りで強固な防御魔法を張った魔王城を貫き、どころか縦に斬り裂き、さらには自身の終焉の焔剣まで吹き飛ばし、夜空までも塗り潰してみせた。
そして、あの殺気。『消失の一日』のような事件まで起こせる次元だと言うのならーーー……、最早女神以上の脅威と判断しても良いはずだ。
「巫山戯た理由だが、奴が弱体化を望むならそうしてしまえば良い。何せ神話級の秘宝だ。奴のあの異様な力も極限まで弱体化させられよう? しかも相手は封印されることに全く抵抗がないときた。これ以上の好機があるか? ……いや、あるにしても逃げるより余ほど勝算があるとは思わぬか?」
「で、ですが……」
「何、殺してしまえば良いのだ。弱体化したならば我々でも充分に倒せる。そして秘宝を奪い返せば良い。な?」
「……確かに」
「ここはにこやかに乗っておこう。そして弱体化した奴の吠え面を肴に美味い酒を飲もうではないか」
「ふ、ふふ……、そ、そうですね。勇者を倒した魔王ともなれば箔が付きますよ!」
「その通りだ。モッテモテじゃぞ妾達。フ、フフフフフフ」
「うふふふふふふふふ」
「フーハッハッハッハッハッハッ!!」
「……で、良いのか?」
「「よっしゃやってやろう!!」」
意気揚々と乗り出した魔王リゼラと側近。もうニヤついた顔だとか溢れ出る邪気だとかで露骨なのだが、勇者フォールは相変わらずの無頓着。気に掛ける様子さえない。
彼は自身が座っていた瓦礫の上に壺を置くと、そのまま、何故か魔王リゼラではなく側近に自身を封じるよう指名した。
彼女は驚いたように立ち上がり、ふと自身の濡れた股座を隠したが、決心したように真っ赤な顔を上げてつかつかと歩いて行く。
魔王もそれを止めようとはしない。本来ならば彼の提案に乗ってやる義理などないが、敢えてそれに乗ったのだ。古来より、自身が求めた形がそうであるようにーーー……、勇者は魔王が殺すものだから、と。
「……では、始めようか」
勇者は丁度、魔王達が正座していた場所に立った。自身が斬り裂いた壁面の形がよく見える。砕き割った魔王城の残骸の山々がよく見える。漆空の星々がよく見える。
瓦礫の中に立つ壁、か。違う。今は打ち破られた殻だ。未来への兆しだ。美しき銀色の光だ。
これから新しい人生が始まるのだ、と。スライムをぷにぷにできる人生が始まるのだ、と。そんな風に、依然として無表情ながらも、何処か希望に満ち溢れたように見えた。
「……クックック」
が、それを眺める魔王の双眸は細く歪む。そうだそうだ、今はどうとでも思うが良い。どうせ御主は残り数分の命なのだから。この景色を瞳に宿しながら、己の巫山戯た願望のために死に、天国の花畑でスライムと戯れる夢を見よ、と。
側近もまた、魔王と視線を合わせ、彼女の艶めかしい唇の動きに首を引く。下着変えてきて良いですか、駄目だ、と。
「……では、参ります。準備はよろしいですか?」
「良かろう、来い」
若干内股な側近が構える中、魔王は密かに勇者の隣へ擦り寄っていった。
封印の余波が及ばず、然れど封印された勇者を殺せるその位置に。チャンスが来た瞬間、殺してやる位置に。
「フフ……」
魔王の移動を横目で確認した側近は壺に手を翳す。すると、壺から溢れ出る瘴気が彼女の腕へ纏わり付いた。
生気が奪われていく。ただ見ているだけで目眩がし、吐き気さえも催した。形だけ見れば凝った陶芸家が使い勝手よりも見た目を重視しただけの奇妙な壺なのに、どうしてこうも恐ろしいのか。
いや、違う。きっと恐ろしいのではなく畏ろしい。この壺こそ形骸化した歴史の中でも受け継がれてきた、対女神の最終兵器なのだ。初代魔王カルデアが残したという秘宝。それを自分が使うことになるとは夢にも思わなかったが、しかしーーー……。
「…………っ」
この大命、果たせば一気に魔族の優勢となり、歴史家も埃を被った書物に慌ててペンを奔らせるはずだ。
失敗するわけにはいかない。全力の集中と全身の魔力を持って、奴を封じるのだ。
そしてその後はーーー……、魔王リゼラ様に任せておけば間違いなどないのだから。
「……太古の秘宝よ! 神代の叡智よ!! 今こそこの勇者を封印し、我等に栄光あれ!!」
鋭い咆吼と共に魔力を放つ。すると、壺の蓋が独りでに吹っ飛んで凄まじい衝撃が放たれた。
周囲の闇を爆ぜ飛ばし、埃塵を巻き込み、漆黒の閃光が空間を埋め尽くしていく。小粒な瓦礫が消し飛ぶのが見えた、漆黒の中を蠢く影が見えた、勇者の体から放たれる白の輝きが見えた、魔王から飛び出る紅の煌めきが見えた。
「え」
よく見れば、勇者の掌が魔王の顔面を掴んでいる。モノでも握るように、しっかりと。
勇者フォールの体だけから魔力が飛び出るはずだった。だと言うのに勇者が掴んだがために、魔王からも凄まじい勢いで魔力が抜けているのである。
要するに、巻き込んだ。勇者は故意に魔王を自身の封印へ巻き込んだのだ。
「き、貴様ッ……!」
それを止めることも、封印を中止することもできない。側近は自身の膝から力が抜けていくのを実感していた。秘宝による封印を起動させただけで魔力のみならず、精気まで吸われているのだ。
それ程までに、強力。立っていることも、意識を保っていることさえままならない。
気付けば彼女の意識は闇の中にあった。朦朧とする中で、必死に現実を掴んで離さなかった指さえも、弱々しく解け落ちていく。
靄霧のような意識の中で最後に見たのは、そう。白と紅、そして漆黒の閃光の中へ消える、魔王と勇者の姿であったーーー……。