【4】
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「…………」
彼女は、必死に口を噤んでいた。息を止めていた。
――――何故だろう、目覚めた途端に眼下に広がるのは地上だった。数百メートルは離れているであろう地上だった。何故だろう、耳に聞こえる豪風がいつまで経っても止まないのは。自身の視界に映る地上さえ埋め尽くすほどの影が見えるのは。何故だろう、生き物の息遣いが首筋に感じられるのは。鼻息らしき生暖かいものが何度も何度も自分を吹き付けるのは。
何故だろう、何故だろう、何故だろう。
「クァアアア」
怪鳥ーーー……、ラグラバードは僅かに唸ると、そのまま一気に下降した。
リゼラが見たのは樹木地帯だ。森林だとか雑木林だとかそういうのではなく、ただ単に巨大な樹木が草原に点々と群生している地域。
樹木の天辺には孰れも鳥の巣が見て取れた。いや、巣とは言えその大きさは下手な屋敷にも及ぶほどだ。中には卵だとか喰い掛けの食料などが散見できたが、重要なのはそこではない。
彼女を抱えるラグラバードが向かったのは周囲でも一番高い、特大の老樹だった。巣は蟻の住処のように幾つにも別れていて、彼の寝床らしき場所から食いかけの食料を置いているところ、果ては縄張り誇示のためか使ってもいない場所などと、老樹の天辺を贅沢に使い切った、豪邸のような巣だった。
ラグラバードはその中にある光り物用の巣に彼女を降ろすと、また暴嵐のような羽ばたきと共に舞い上がっていく。恐らくフォール達が取り戻しにこないか、周囲の見回りに向かうのだろう。
「あ、あいてて……」
ラグラバードの姿が見えなくなってから、リゼラはゆっくり身を起こして周囲を眺めてみた。
あるのは本当に、どれもこれも光り物ばかり。しかし光っていれば何でも良いという節操の無さで、金貨ならまだしもトンカチとか安物の盾とか硝子瓶とか銃とか鞄とか。玉石混合というよりは、ゴミ金混合である。
「なーんじゃこりゃ……」
よくもまぁ集めも集めたりゴミの山。業突く張りにも程がある。
しかも心なしかこの銀色の銃は何処かで見た気がするし。さて、いったい何処で見たのやら。
「と、今はそんなところではないな」
少し身を乗り出して下界を覗いてみれば、拡がるのは永遠と続く樹身と幾多の枝々。吹き抜けた風が彼女の顔から生気を奪い、一気に青色へ染め上げた。落ちたら死ぬどころじゃない。そのまま地獄まで直通だ。
「お、降りるのはやめておくか……。しかしこのまま此所で奴めの餌になるのを待つわけにもいかぬし……、と言うか何でこんな事になっとるのだ!? シャルナは、フォールは!? えぇいあの馬鹿共め、この誇り高く栄光なりし魔王を軽んじおって!! 帰ったら仕置き程度では済まさぬぞ、仕置き程度では!!」
初級魔法ブチ込みシャドーを繰り返しつつ、さてさて。
降りられないのは間違いない。枝と枝を伝って降りていくのも考えたが、その前に体力が尽きるだろうし、下手すれば周囲を飛ぶあの馬鹿デカい鳥にぱくんといかれるだけだ。
あの鳥がこちらに来た瞬間、飛びついてやろうか。いやいや、それこそ落ちて終わりだろう。
となれば、シャルナ達の助けを待つのが最善手だが、奴等に頼りっきりというのも魔王のプライドが赦さないしーーー……。
「……むゥ」
いや、今頃は奴等も必死に妾を探している頃だろう(※飯食ってます)。
いつもは巫山戯た奴等だが、今回ばかりという時は情けない顔して妾を探しているに違いない(※飯食ってます)。
あんな化け物鳥でもフォールとシャルナなら倒せるはずだ。となればきっと奴を使った豪勢な食事が振る舞われ、今に妾への無礼を舌で償わせてやれるのだ!(※既に食ってます)。
「フ、となれば妾がこんなところで呑気に待って居るわけにはいくまい……」
そうだ、例え降りられずとも何も行動を起こさない理由にはならない。
せめて奴等が迎えに来てあの怪鳥をブチのめした時、天高々と指差してやるぐらいには行動してやらねば。
それが魔王の威厳であり、魔王の誇りを示すべき行動でもあるのだから。
「となれば、そうじゃな。この金物もなんぞ持って行くか。銃……、とか使えそうじゃな。使い方知らんけど。えーと、他は何じゃこれ、バック? よし、これに色々入れて……、何じゃもう入っとるじゃないか。中身要らんから捨てるかの。これは……、人間の調査資料か? 要らん要らん、こんなモノは……」
物を入れるのに邪魔だ、と彼女はそのまま資料を捨てようとした、が。
ふと思い出す。あの細目銀髪の、何だがいけ好かない男のことを。
「…………ふん、一応捨てないでおいてやるかの」
別に彼のものと決まったわけではないが、彼女は銃と共に資料を鞄の奥へ押し込めた。
――――見てみればモンスターの情報がこれでもかと言うほど詳しく書かれているし、もしかするとフォールに渡せば夕飯の肉を一枚ぐらい増やしてくれかも知れない。
ならば交換券代わりに持っておくのも悪くない。どうせ紙なのだから重さがあるわけでもなし。
「さて、それはそうと何処に行くか……」
ここは鳥の巣だ。随分デカい上に広いし枝分かれしているが、鳥の巣だ。
少なくともこの巣の中なら奴に狙われて急にぱくりとはいかないと思う。ならば、取り敢えず現状を把握せねばならない。
何処かに火を放って煙を出し、場所を知らせてやろうか。いやいや、それでは自分が巻き込まれてしまう。
それともあの鳥が眠る場所を探し出して寝首を掻いてやろうか。いやいや、あんなに馬鹿デカいのを倒せるわけもなし。
だとすれば、そう、もっと何か別のーーー……。
「クェッ」
「んぐぶっ!?」
リゼラの首がごきりと音を立てるほど急激に引っ張られた。
どうやらネックレスの糸をやられたらしい。フォールによるツッコミに慣れていなければ、奴特性のネックレスでなければ、今頃は何処ぞの暗殺劇よろしくお陀仏になっていたことだろう。
「な、誰がっ……!」
「クェエー?」
そこにいたのは、鳥だった。
「…………」
とは言ってもリゼラと同程度の大きさしかない、幼鳥だ。
それが数十匹程度、藁の中で卵の殻に埋もれて啼いている。クェクェクェと可愛らしい鳴き声を上げている。
羽の色や瞳の色からして間違いない、あの怪鳥の雛子だ。成る程、あの怪鳥は親鳥ということか。なるほどなるほど。
――――いやそんな事はどうでも良いのだ。何だこのサイズは。でか、いやデカ過ぎない? どうして妾と同じぐらいあんの? と言うか妾よりデカくない? 何、何なの? 鳥なの? 焼き鳥なの? 何人前なの?
「クェクェクェッ」
「え、えぇい、やめんか! 妾の髪を引っ張るなこの鳥風情め!! 妾を誰と心得る? 我こそは、ぁ……」
聞こえる。凄まじい暴風が、聞こえる。
見なくても解る。背後にその異様な存在感を感じる。つい先程まで感じていた鼻息が、そこにはある。
「クェ、クェクェッ!」
「クェエエエエエエエ……」
絶体絶命だった。
今、下手に動けば雛子に気概を加える外敵として真下に叩き落とされるか、喰われるか。
下手をすれば生きたままこの雛共に喰い殺される可能性さえ、ある。
「…………」
どうすべきなのか。この状況をどうすれば生き残れるのか。
彼女は全力で思考を廻転させる。誇り高く聡明なる魔王として、この危機を脱する為の知恵を絞り出そうと歯牙を食い縛る。
魔王たる者、いつ如何なる状況にも対応しなければならない。この絶対的な危機的状況にも対応できるだけの知識と知恵を持たねばならない。
そう、彼女にはそれだけの知性があるのだ。一歩でも動けば喰い殺されるようなこの絶対的な危機的状況であろうと斬り抜けるだけの、知性が。
彼女こそ、第二十五代魔王カルデア・ラテナーダ・リゼラ。絶世の美貌と絶対の魔力、そして絶界の知力を持つ最強の魔王なれば! この状況を斬り抜ける妙案を思いつけるのだ!!
「く、くぇええ~……?」
――――そう、擬態である。
「クエッ?」
「くぇええ……、くえぇえええ……」
「クエッ……」
いつの間にか、彼女は涙していた。
何でこんな目に遭っているのだろう。思い返すのは魔王城で踏ん反り返って、午後のおやつを楽しみにしていた日々。側近と一緒に雑誌を囲みながらきゃあきゃあ言ってた日々。経理に不正500ルグ貯金がバレて怒られた日々。
――――何と、懐かしいことだろう。嗚呼、あの日々が走馬燈のように甦ってくる。
もう妾はここで死ぬ。鳥共の餌になって死ぬ。グッバイ魔王城、グッバイ側近、グッバイ四天王達、ファッキン勇者。
「クエッ……?」
そんな彼女の頬に伝う涙を、紅色の翼が優しく撫であげた。
「…………く、ぇ」
「クエェ……」
この気持ちは、何だろう。
心が温かい。今まであのクソ勇者のせいでろくな目に遭わず、抱えられたり投げられたりスライム呪詛を聞かされたり散々だった。
だと言うのに、今、こうして温かな気持ちになっている。
まるで、救われるようだ。嗚呼、あの残酷な日々から救済されるようではないか。
「クエッ……?」
涙流す彼女の前に落とされる、巨大な土ミミズ。
雛たちは誰が奪い合うでもなく、それをリゼラに差し出した。
思いやりは、そこにあった。優しさは、そこにあった。まだ世界には温かな心があるのだ、助け合い、支え合う心があるのだ。
何と美しい光景なのだろう。それは人々が求めてやまない、平和の象徴ーーー……。
「……くえっ、ないです」
まぁ、流石にミミズは食えないんですけども。




