【7】
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「……で、夜遊びとは何をすれば良いのだ?」
シャルナの剣閃が疾駆し、フォールはそれを片手で受け止める。
人通りがないから良かったものの、もし誰かに見られていたら悲鳴の嵐が巻き起こったか、その人物が余波で吹っ飛ばされたか。どちらにせよ大変なことになっていただろう。
「人の決意を邪魔しておいて貴殿ンンンンンンンンン…………!!」
「まぁ、待て。こう……、夜の町を歩くだけでも楽しいとは思わないか」
「そこじゃない。そこじゃあない!」
「……そこじゃないのか」
「何処だと思ったんだ逆に!?」
「初めての夜遊びでテンションが上がり過ぎた。……反省だな」
夜遊び、というか。こんな街で夜に開いている店と言えば酒場くらいなものだ。
それで酒場に行くのかと思えばそうでもないようだし、そもそもこの男が酒を飲むかどうかも解らないし。
相変わらず、外見然り表情然り性格然り、考えすらもよく解らない男である。
「……それに、この辺りでは二人きりになれないか」
シャルナの肩がびくん、と跳ね上がって。
「ど、どういう意味だ?」
「どう? そのままの意味だが」
「い、いや、だって、ふっ、ふた……」
「……? 奇妙なことをいう奴だな」
フォールはそう言うなり、爪先を『爆炎の火山』へと向けた。
そして何を言うでもなく歩いて行く。つかつかと、迷いのない足取りで。
その歩みは余りに真っ直ぐだったので、シャルナは一瞬このまま宿に帰るのかと思ったほどだ。
「ど、何処に行くんだ!?」
「だから言っているだろう。夜遊びだ」
つかつかつか。
彼はそのまま山裾の岩を超え、湯気立つ温泉の水溜まりを超え、火山山道を超え、道中の巨大な温泉まで越えて、ずっと歩いて行く。
夕暮れ沈み、夜天輝き、星々がさざめく頃になっても、まだ彼の歩みは止まらなかった。
シャルナはその後を追いかけ、時折何処に行くのかと問う。けれどやはり彼は答えず、答えても夜遊びとしか言わず、ただ歩くばかり。幾時間経っても、幾道過ぎても、ただ歩くばかり。
「ゆ、勇者! だから、何処にーーー……」
何度目の問いだろう。もう数えることさえ億劫だ。
しかし、その問いは彼の歩みを止めた。見覚えのある山道で、車輪の跡が刻まれた道で、彼の歩みを止めたのだ。
「強さとは何だ」
そこで軽々とシャルナを抱え上げ、山道沿いの崖を蹴り上げて。
「俺はそれが知りたい」
空を、疾駆した。
「わ、ひゃっーーー……!!?!?」
「細い声をあげるな、気色悪い」
彼の疾駆は雲を薙ぎ、夜鳥を踏み、月光さえ跨いでいく。
ただ一度の跳躍で『爆炎の火山』さえ超えるほどの飛距離だ。人間の身に有り得て良いはずもない、跳躍。
飛んでいるわけじゃない、浮いているわけじゃない。ただ落ちているだけだ。飛び上がって、落ちているだけだ。けれどその様は夢のように、シャルナの心を舞い上がらせた。見慣れたはずの火山が眼下に映り、この世の何よりも高い場所にいることが、果てしなく心を高揚させたのだ。
無邪気な喜びでも、可憐な恋心でもなく、もっと、違うーーー……、何かを。
「アレだな」
浮遊は、落下へ。
急速な落下は二人の身を引き裂くように重力の刃となって襲い掛かる。
シャルナはまたしても恐怖に細い声をあげたが、言葉らしい言葉を吐く前に着地は終了していた。いや、着地というか、周囲の岩壁を破壊しての墜落というか。
「あ、つつっ……」
――――痛みは、思ったよりもない。
フォールが衝撃を全て受け止めてくれたお陰だろうか。精々、破片で頭を打ったぐらいだ。
此所は何処だ? 彼はいったい何処に来たのだ? 自分を、何処に連れて行こうとーーー……。
「……此所は」
その場所は見慣れた、いいや忘れるはずなどない場所だった。
龍紋刻まれた壁面、火炎噴く火口、黒煙舞う曇天。薄れることなき、記憶。
覚悟の、場所。
「大闘技場……か…………!」
「覇龍剣を貸せ」
唖然とする彼女の手から軽々しく覇龍剣を奪い取り、フォールは自身の肺腑へと突き刺した。
唖然に呆然を塗り重ねるが如き行為。シャルナの悲鳴も、絶叫も、響かせる暇はない。
――――閃光が、放たれたのだ。漆黒の中を蠢く影と、勇者の体から放たれる白の輝きが閃光となって織り交わり、混沌の具現となって周囲を喰らい尽くす。黒煙や蒸気さえも、全て、喰らう。
音囁も、景色も、感覚も、全てを刹那の濁流に飲み込み、臓腑へ流し込み、眼孔鼻腔口腔から抜けて行く。その様は正しく爆発だった。
「……かふっ、んん゛ッ」
「なーーー……、にを、何をやっているのだ貴殿ッッッ!!!」
やがて閃光が収まり、見慣れた黒煙と蒸気が彼等の元へ舞い戻った頃、シャルナは腹の底から叫びをあげた。
自害? 切腹? いや何だって良い、自分を刺すとは何事か。それも覇龍剣で、自分の目の前でーーー……。
「……言っただろう、夜遊びだと」
覇龍剣が引き抜かれてみれば、彼の身に傷はない。
夢だったのかと錯覚してしまうほど、その様は呆気なかった。
――――いや、夢なのだ。彼はこれを夢にするつもりなのだ。この場所で起こったことを、起こることを、全て夢にするつもりなのだ。一夜の夢として、儚く散らせるつもりなのだ。
「剣を取れ、シャルナ」
意味を問う必要は、なかった。
「再戦だ」
それは彼からすれば、力試しなのだろう。
封印した自身が何処まで弱くなったのか、測るに相応しい者が目の前に居る。だから使う。それだけのこと。
「…………ぁ」
けれどーーー……、やはり解ってしまう。彼がどんな人物か知っているからこそ、解ってしまう。
これは、激励だ。立ち上がった自分に向けて、彼がくれる別れの手向け花なのだ。例えその花束がぐしゃぐしゃで、根元は曲がっていて茎は折れていて、花弁は千切れてしまっていたとしても、それは手向けの花なのだ。何処までも馬鹿で向こう見ずで自分勝手なこの男が捧げてくれた、花なのだ。
「本当に……」
気付けば、頬が緩んでいた。
瞳に浮かぶ涙も、微かに赤みを帯びた頬も、顔一杯に拡がった笑顔も。
ただ、気付けばそこにあった。
「不器用な男だなぁ、貴殿は」
――――この男はいつだって変わらないんじゃない、変わることを知らないだけだ。
身勝手に突っ走って、その癖に繊細で、我が儘で、寂しがり屋で、あと馬鹿で。
フォールという男を全て知ることができたわけじゃない。けれど、彼という人物の端っこだけは、解ることができたと思う。
「……そうか? 不器用か、俺は」
「全く、フフ、不器用でなくて何だと言うんだ」
「……ちょい悪?」
「黙れ悪党」
シャルナはフォールの手から剣を受け取り、数度ほど素振りしてみせる。
剣の重みや切れ味に変わりはないようだ。ただ、何処か感じていた威圧が失せているようにも思う。
受け継がれてきたこの剣に、まさかそんな意味があるとは思いもしなかった。先代が自身を認め、与えてくれた、この剣にーーー……。
「……よし、フォール! その挑戦、受けて立たせてもらう!!」
「それでこそだ。『最強』の四天王」
新調したばかりの剣が、白銀の牙を剥いた。
太古より継承されし大剣が、覇龍の金眼を開いた。
「弱体化した身代で、楽に勝てるなどと思ってくれるなよ?」
「無論だ。楽しませろ」
疾駆。互いの剣閃が激突し、火花を散らす。
撃ち合い、斬り合い、弾き合い。背後の爆炎にさえ劣らぬ烈華。
意志曲がることなく刃折れることなく、然れど花弁は千切りて、彼等の閃光は紅色の夜へーーー……。




