【4】
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「………………」
朝、彼女達の部屋を尋ねたフォールが眼にしたのは凄惨な光景だった。
その様を、何処から例えるべきだろう。涎を垂らす無邪気な寝顔のまま宿部屋の梁にぶら下がって懸垂している四天王からか、そんな彼女の丸太のような両脚に挟まれて生きてるのか死んでるのか解らない泡吹き状態の魔王からか。
それとも窓から差し込む、燦々と輝く太陽からだろうか。
「……良い、朝だな」
選ばれたのは、太陽でした。テン↑テン↑テン↑↑テン↓テン↓↓~。
今日という日はきっと良い日になる。そう思いながら、勇者は静かに扉を閉めた。
「タ、タ……スケテ…………」
部屋の中から聞こえる、瀕死の救援。
助けを求められた以上、無視することはできないだろう。彼とて腐っても勇者、助け求める者を見捨てることなんかまぁ普通にするんですけども。
彼は何も見なかったことにしてそのまま部屋に戻り、買い溜めの牛乳片手に外の風景を見直した。
今日も平和だ牛乳が美味い。
「何処が平和だゴラァアアアアアアアアアアアアアーーーーーッッッ!!!」
そんな平和も、どうにか生き延びた悪しき魔王の手により崩壊する。
チッ、生きてやがった。
「ちくしょおぉおおおおおお最近の妾こんな役回りばっかだよ!! 魔王ぞ? 妾、魔王ぞ!? どうしてこんな事にぃいいいいいいいいいいいっっっ!!」
「……最近?」
「…………」
「…………」
「……最初からだったわ」
「だろうな。顔を洗ってこい、手洗いは一階だ」
「うん……」
さて、魔王リゼラが顔を洗おうとして洗面台に届かず、結局フォールを呼ぶことになったり、寝惚けたシャルナが部屋のベットを二段重ねにして背負いながら屈伸しだしたり、フォールがもう一人で買い物に行ってこようかとか言いだしたりして時間は過ぎ去りお昼前。
ようやく落ち着いた三人はきちんと身形を整えてそれぞれ宿の前に集合し、活気付く街の様子を眺めていた。
「……さて、まずは時間の掛かりそうな剣修理から行くとするか。その間に買い物を済ませれば良い」
「剣は人の店にするのか?」
「あぁ、宿から少し離れた広場にある武器屋でな。……折角だしドワーフに頼みたいが、彼等と交渉する時間も金銭も惜しい。ここは妥協だ」
「広場って……、あ、歩くのかぁ? またぁ?」
「当たり前だろう。宿部屋は今、掃除中で夜まで入れないし、留守番はできないぞ」
「えぇ~……、妾、昨日から若干筋肉痛なんだけど……。脚がっくがくなんじゃけど……」
「……背負いましょうか? 私で良ければ、ですが」
「やったー!」
「甘やかすなシャルナ。首綱でも付けておけ」
「やだー!!」
「ま、まぁ良いじゃないか勇者フォール。リゼラ様はお疲れなのだ、こんな小さな体になられて……」
「リゼラをトレーニング目的で使おうとしていない者だけ喋り続けろ」
「………………」
「シャルナ?」
無言で口を噤む忠臣。そんな彼女の肩を揺する魔王。
醜い裏切りは何を生むのだろう。時として悲しみを、時として苦しみを生むのだろう。
だけど僕達はそれでもこの人生という道程を以下略。
「どうでも良いが、さっさと行くぞ。今日で全ての予定を終わらせねばならん」
「……昼飯はどうするのだ?」
「何処かで買い食いすれば良い。偶には贅沢してもバチは当たるまい」
昨日したじゃないか、とうっかり滑らせそうな口を噤んで、シャルナ。
「……そ、それなら、そうだな。荷物持ちは任せてくれ。大体、魔道駆輪までなら大丈夫だ」
「魔道駆輪は運ぶものではなく運ばせるものだ、シャルナ」
「わ、解ってるぞ!? 今のはジョークでだな!」
「御主が言うとジョークに聞こないんじゃがな、朝の出来事的に」
甦る記憶、恐怖のストレッチ。
腹筋背筋は死の香り。
「まぁ、だが荷物持ちをしてくれるならば有り難い。思ったより買い込めそうだな。俺が荷物を持っては支払いができない」
「御主なぁ、シャルナに荷物持ちさせるって……」
「あるモノは使う主義だからな。それに、本人の希望だと言うのなら断る理由もあるまい」
「あっ、じゃあハイ! 妾、甘い物食べたい!!」
「それは希望ではなく欲望です、リゼラ様」
という調子で、奇妙な三人組は道行く人々の注目を集めながら歩いていく。
まぁ、魔族の少女に褐色筋肉を従えて歩く普通の青年の図だ。双角然り、筋肉然り、注目を集めない方が無理だろう。もっとも、彼等を見る誰もが一番普通の彼こそ一番普通じゃないと気付くことはないのだけれど。
しかし、疎らに動く彼等の視線も一度は一カ所に集められる。フォール達、の中の、リゼラの角へ。
「ふん、そんなに高貴な妾の双角が珍しいか。人間共め」
「魔族が人間と関わらなくなり、互いに冷戦状態となって久しいものです。リゼラ様の魔力を象徴する双角を見たことがない人間も多いでしょう」
「気に入らんな。人間というのは全く……! 今もこうだ、潰れてしまえば良いものを、こうもくどくどと!」
「……確かに、いつの世も人間の技術と不屈さにはいつだって驚かされますね」
彼女達の言うとおり、街は例の災害被害を受けたとは思えぬほど活気付いていた。
昨日の買い出しでフォールが聞いたように、人間とドワーフが協力して温泉事業を盛り上げようとしているのが主な理由だろう。もっとも彼等が知らないだけで、人間の街を襲ったドワーフ達が贖罪の意味も込めて率先的に働いているから、でもあるのだが。
「然りだ! 潰しても黒いアレのように這い出てきおって!! ぷっちぷっちぷっちぷっち……、先代方の苦労を考えるだけで辟易するわ!」
「何だ、ならば俺もゴキブリか?」
「いや、貴殿は」
「何かって言うと」
「「突然変異種……」」
「…………」
「あ、ちょっと落ち込んでる!?」
「こいつ妙なトコで繊細だから面倒臭いのだ」
さらに歩みを進めて街広場。
道行く馬車や露天商、散歩の親子連れに酒瓶掲げた親父達が目立ち始める。
街の中心地、なのだろう。人通りが特に目立つようになってきた。この街の象徴とも言える『爆炎の火山』がよく見える場所ということもあってか、それとも人の熱気故か、その場所は他の道よりも熱い風を感じる。
――――躍動の風を。
「ふむ、露店か」
そんな風を乗り越えながら、フォールはよぼよぼの老父がやっている露店へと向かって行った。
如何にも中古品といった、身の回りの在庫処分。ぼろ財布だとか、薄汚れた時計だとか、古着や筆記用具までが市販のそれよりも半額以下で幾つか売られている。彼はその中から一品拾い上げて老父に金を払い、そしてまた戻ってくる。
その手に握られていたのは、老人達が好んで使いそうな深めの帽子。
彼はその帽子をそのまま、ぐいっとリゼラの頭へ押しつけた。
「わぷっ!?」
「これなら人目も気になるまい」
「なっ……! 妾は別に気にしてなど!!」
「ならばくれてやる。被っておけ」
ふくれっ面のリゼラが渋々被ってみれば、成る程確かに深めの帽子は彼女の双角を隠すに充分なものだった。
これも彼なりの不器用な気遣い、なのだろうけど。首に垂れ下がったネックレスといい、この帽子といい、気に入らない。魔王が勇者に施しを受けるなど。
――――しかし、礼は言わねばならないし、その、むむむ。
「……さ、さっきは悪かったな」
「……何がだ?」
「え、えいりあん、とか、言って……」
相変わらず、素直ではない。
彼女はふくれっ面のまま帽子で顔を隠すようにフォールに先程の悪口を謝罪した。いや、謝罪というよりは撤回という方が正しい程度のものだった、けれど。
高慢な彼女にとっては随分な進歩だろう。
「……リゼラ」
そして進歩は、勇者にもまた。
「肉……」
「まだ根に持っとんのか御主!?」
「饅頭で解決しただろうそれは! いつまで根に持ってるんだ!!」
「それはそれ、これはこれだ」
「おい待て貴様等、饅頭とは何だ」
「「あ」」
訂正。いつまで経っても成長しない勇者である。
さて、そんな騒ぎの後、立派な歯形を頭につけたフォールとシャルナに連れられて、リゼラは広場の中を歩いて行く。
興味深い店々が目に入り、魔王城では決して目にすることのなかった景色に心躍らせる。ワケも無くわくわくした、あの子供の頃のような感覚だ。
いや、今は子供なのだけれど。えぇい、ややこしい。
「武器屋は……、あそこだな」
と、そんなリゼラの思考を遮るようにフォールの一言。
彼が指差した先にあったのは、広場を囲むようにして立てられた家々の中、一際目立つ剣と盾の、少し傾いた看板を掲げた小さな家だった。吹き抜けになった受付では店主が暇そうに顎杖を着いており、道逝く人々をぼうっと眺めているばかりだ。
フォールは暇ならば都合が良いと店主の方へ脚を薦め、カウンターに折れた剣やおたま、フライパンを乗せた、がーーー……。
そんな彼の隣に、ほぼ同時で金槌などの道具を置く集団があった。
「む」
「ぬっ」
それは、ドワーフ達の一団だった。
背丈こそリゼラと同じく、フォールの腰元までしかないが、その骨肉隆々さはシャルナと同じく屈強さを思わせた。
――――ただ立っているだけでここまでの威圧感があるのか。まるで岩が動いているようだな、とフォールは感心する。
「人間……」
そんな集団の長、だろうか。威厳あるドワーフはじろりと巨大な隻眼でフォールを睨み付けた。
「そうだ。かく言う貴様等はドワーフだな」
「あぁ。……諸君は、剣の修理か。随分乱雑に扱っていたと見える」
「剣術など知らん。……そちらは金槌だな。ドワーフでも他人、それも人間に修理を依頼するものなのか。少し意外だ」
「依頼などするものか。人間より数段儂等の腕が立つから、ここの鍛冶竈で剣を打ち直すだけだ」
「ほう、ドワーフが人間の店でか。是非とも拝見したいものだな」
「人間が我等の技術を盗むつもりか?」
「何か問題でも?」
段々と緊迫していく空気の中、シャルナはどう仲裁すれば良いのか解らずあたふたと慌て、リゼラはそんな彼女の背に隠れ、武器屋の店主は店の前で争わないでくださいお願いしますと顔を覆っていた。
二人はただ視線と視線をぶつけ合う。真紅の眼と烈線の眼が火花を散らし、ただただ無言のまま、刃なく熾烈な激突を続けていた。
やがて、何秒経っただろう。ドワーフ達やリゼラ達、そしてそろそろ店主が泣き出した頃に、フォールと隻眼のドワーフは互いにため息をついて拳を握り締めた。
――――いけない! シャルナがそう叫んで、止めようとした瞬間。
「甘くないぞ」
「承知の上だ」
二人の手ががっちりと組み合わされる。
どうやら合意で話がついたようだ。ドワーフと人間、種族を超えた友情が今ここに生まれたのである。
「…………何で?」
全員が口を揃えてそう呟いた。
こっちが聞きたい。




