【1】
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「何か良い匂いしない? 御主等」
「気のせいだ」
「気のせいですね」
そうかぁと振り返るリゼラ。口の端についた刻み肉を指で示すフォールと、サッと拭き取るシャルナ。
そんな三人が訪れていたのは街の外れにある宿だった。内装は質素だが綺麗に磨かれた石畳の目立つ、部屋数が二つ三つしかないというかなり小さな宿だ。
外はそんな宿の温かい灯りが目立つほど薄暗くなっており、そろそろ空よりも『爆炎の火山』の方が明るくなる頃合いとなっていた。
昨日からの疲れもあるし、一刻も早く部屋を取って腰を落ち着けたいところ、なのだが。
「部屋は……、二階の右端か」
「……おい待て勇者、どういう事だ?」
「何がだ」
「いや一部屋とはどういう事かと聞いておるのだ! 普通はどう考えても二部屋だろーが!!」
「金の無駄だ。別に一部屋でも気にするようなことはあるまい」
「あるよ!? むしろ気にしかしねェよ!?」
「その体で何を気にするのだ」
「その体って何じゃ御主! 泣くぞ!!」
「ゆ、勇者フォール。流石にリゼラ様の言う通り、分けた方が……」
「そーだそーだ! 天蓋付きベットを用意せよー!」
「…………そこまで言うなら、仕方あるまい。分けてこよう。魔王、貴様は馬小屋だ」
「やだぁあああああーーー!!」
と、言いつつも、彼は渋々受付へ戻っていき、新たに一人用の部屋と二人用の部屋を申し込みに行ったようだ。
その様子を遠目に見ていたリゼラとシャルナは大きく肩を落とし、呆れと安堵の入り交じったため息を吐き捨てる。
「全く! あの男にはでりかしぃというものが無いとは思っていたが、まさかここまでとは! あんなだから友達がいないのじゃ!!」
「そ、それは言い過ぎでは……」
「いいや、そんな事はない! あの男め、男と女の部屋を一緒にするなど何を考えておるのかっ……! シャルナ、御主も気を付けろよ。普段はスライムスライム言っていても、あ奴とて男。何をされるか解らぬからな!」
「は、ははは。そうは仰りますが、リゼラ様。私はこの様に男よりも男らしく鍛え上げた体。流石の勇者も私に欲情などは……」
「甘ァい! 男はケダモノ、女はナマモノ!! 隙を見せたらあっという間に傷物にされるのじゃぞ!!」
リゼラはその調子で、雑誌知識をがみがみと言いつける。
あの男を信用してはならない、あの男はヤバい、あの男は変人だ、などと風評被害も良いところだ。
しかしシャルナはまさかそんなと苦笑いするばかり。
――――確かにあの男の実力と言い性格と言い、ちょっとハズれている部分はある。だが、そこまで蔑むほどだろうか。きっと、彼女の性格からして気に入らないから過剰に言っているのだろう。
だからきっと、本当はそんな事なんか、ないーーー……。
「部屋、取ってきたぞ」
こきゃんッという音と共にその場へ崩れ落ちるリゼラ。
何処の暗殺者かと思うほど鮮やかに柔首を締め落としたフォ―ルは、そのまま彼女を担ぎ上げてシャルナの前に鍵をぶらつかせる。
「先に右端の部屋へ行け。俺はこの馬鹿を運んでおく」
「え、あ、あぁ……」
困惑するシャルナを前に、フォールはリゼラを抱えて二階へと上がっていく。
シャルナもまた、そんな彼の後を着いて、二階の廊下でそれぞれ左右に分かれていった。
分かれて、いったのだ。
「……ん?」
彼女は二人部屋の扉を締めた瞬間、違和感に気付く。
待て、おかしい。どうしてフォールはリゼラを運んでいったのだ? 元々が右端の複数人部屋なのだから、一人部屋なら左端のはずだ。だとすれば、部屋分けからして右端に運んでくるんじゃないか? そしてそのまま彼は左端の部屋に戻るべきなんじゃないのか? だったら、どうして彼は、彼女を、左端の部屋に運んでいったのだ?
「まさか」
彼女の美貌は幼くとも失われてはいない。そして、そういう趣味の人間もいると聞く。それは、つまり、そういう事なのか?
――――男はケダモノ、と。
「り、リゼラさーーー……、ま」
彼女が駆け出した瞬間に扉が開き、何食わぬ顔でフォールが入ってきた。
駆け出したシャルナと扉を開いたフォール。二人は思わず出会い頭でぶつかりそうになり、シャルナは慌てて背を仰け反らせた。
しかし彼女は逆に退きすぎて、そのまま尻餅をついてしまう。フォールはそんな様子を気にする風でもなく、後ろ手に扉を閉めて彼女を見下ろした。
「何をしている」
「ゆっ、勇者フォール! リゼラ様はどうした!?」
「どう、とは? ベットに放り込んできたが」
「え、いや、だって、部屋……」
「あぁ、ここが俺達の部屋だ」
ぱたん。扉が閉まりきった音。
それは、シャルナの顔色が一気に青ざめた音でもあり。
「……ゆ、ゆうしゃ?」
ケダモノに狙われているのはリゼラではなく、自分だと気付いた音でもあった。
「シャルナ」
「ひゃいっ!?」
「貴様は見所がある。少なくともあの魔王よりはな……」
彼は軽く襟首を緩め、尻餅をつく彼女の方へと歩み出していった。
ただ、それだけだ。軽く歩いたに過ぎない、軽く歩んでいったに過ぎない。それだけだ。
それだけだと、いうのに。シャルナは鼓動を数倍近く速め、額から汗が噴き出させ、眼を限界まで開いていた。言葉にならない、悲鳴でもない、困惑でもない、何か確信的な絶望で思考を埋め尽くされるがままに。
怯え竦んだ自身を見下ろすその男を前に、ただ。
「覚悟しろ。気絶しても止まらんぞ」
爆発する心臓と燃え上がる顔面を抑え付けることしか、できなかった。




