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最強勇者は強すぎた  作者: MTL2
最強の四天王(後)
50/421

【6】



【6】


ぐつぐつと、何かが煮えたぎる音で彼女は目が覚めた。

 下腹の痛みがそのまま背骨に伝わるようだった。いや、その感覚でさえ、奇妙な浮遊感に塗り潰されたのだけれど。


「……ん、ぅ」


 何だろう、ここは何処だ? 妙に蒸し暑い気がする。

 それでいて、温かい。空に浮いているような、感じたことのない安心感だ。

 朝の堕睡に似ている。このまま夢の世界に旅立ってしまいたい、けれど眠ってしまいたくもない。安堵感の中で、ずっとこうしていたい。

 この温かさに、ずっと、包まれていたい。そう、思えるようなーーー……。


「目覚めたか」


 瞼を開いたシャルナの瞳が捉えたのは勇者フォールだった。

 相変わらず平然と無表情な彼を、下から見上げる形で目覚めたのだ。

 まぁ、つまり、どういう事かというと、お姫様だっこである。


「は、ひゃ、わ、あっ、あっ、あっ!?」


「暴れるな。落ちるぞ」


「おち、お、っえ!?」


 勇者フォールとシャルナ。彼等が歩んでいたのは、ボコボコと湧き立つマグマの上に引かれた、一本の鎖の上だった。

 鎖は数十メートル近い、四方系の空間に一本だけ。下は全てマグマで、壁は完全垂直で掴まるところはないし、そもそも鎖から飛び移ったって、どうしてもとどくような位置ではない。

 つまり、落ちればマグマに溶かされる命綱なし一発アウトの綱渡り。フォールはシャルナをお姫様だっこしながら、その綱を渡っている最中なのだ。

 いや、お姫様抱っこというか、それは。


「背筋を張れ。落ちたくなければな」


 曲芸師が綱の上でバランスを取るために用いる、棒である。


「勇者、これは……」


「さぁな。進んでいたらこうなった。他に進むべき道もなかったしな」


「そ、そうか……」


 シャルナは言われた通り、ぴんと背筋を張る。

 成る程、彼の言う通り態勢はさらに安定したようだ。自分の重圧で長身な肉体はバランスを取るために最適なのだろう。

 しかし、何というべきか、その、お姫様抱っこで背筋を張ると、腹筋だとか胸だとかを彼に強調するようで、えっと。

 とってもーーー……、恥ずかしい。


「あの、勇者……、そ、そうだ! あの少女はどうした!? あ、あの魔族の少女は!」


 意識を逸らすように、シャルナ。

 彼女の問いに勇者は一言。


「……………………別行動中だ」


「別行動?」


「別行動……」


 嘘は言ってない。


「ともあれ、奴とは後で合流する……、はずだ。気にすることはない」


「ならば、いいが……」


 ジャリッ。

 フォールの靴底と鎖が擦れ合い、錆屑がマグマへと散ってった。然れどそれは溶岩に融けるまでもなく火花に砕き散らされて、灰燼と化す。

 言葉なき喧騒だった。湧き立ちの音、鎖を擦る音、僅かな呼吸の音。静寂という名の、喧騒。

 シャルナ自身、己の鼓動が耳に届くほど静かな、それでいて汗が肌を滝のように伝い流れるほど騒がしく。

 ―――――まるで、熱く滾りながらも冷めてしまった、己の心のように。


「っ…………」


 腹部に走る、苦痛。

 その痛みが彼女の沈みゆく思考を打ち止めた。

 まるで、いつまで悩んでいるのだと戒められるように。彼の、勇者フォールの言葉が痛みとなって囁くように。

 違う、そうじゃない。これは彼の言葉なのだ。この痛みは、彼が彼なりに自身へ残してくれた、言葉なのだ。

 とても不器用な、慰めでも励ましでもない、戒めという、言葉。


「……勇者フォール」


 感謝、ではない。

 ただ、一言だけ、お礼をーーー……。


「私はぁ……んっ…………♡」


 人は誰しも苦しみや、失敗を乗り越えて明日へ向かって行く。

 心が折れることもあるだろう、膝を屈することもあるだろう。それでも我々は明日へ向かって歩いて行くのだ。

 例えその道が険しかろうと、反り返っていようと、どんな道だって、歩んでいくのだ。

 それが生きるということだから。この世界で、生きて行くということだから。


「…………」


「…………ち、ちが」


「……落ちないよう、気を付けろよ」


「ま、待て、待て違うんだ! 違う!! そんな目で私を見るな!! 違うんだ今のはっ!! ちが、ちがくて、ち、ちがっ……!! お腹! お腹に息が、貴殿の息がかかって!! 汗掻いてたからひんやりして、その、だから、えっと今のは違うんだ!!!」


「貴様の特徴や、身体的なものをとやかく言うつもりはないが……、そっちの気はないと言っておく」


「だから違うのだ勇者フォール!! 勘違いするな!! わたっ、わたし、そんなのじゃないもん!!!」


 涙ながらに訴えるシャルナと相反して、フォールの表情はとても冷静だった。と言うか無表情だった。

 ――――違う、違うのだ。吃驚しただけなのだ。汗が、おへそに溜まってて、お腹を突き出してたから、妙に意識してしまって、そこに彼の息が掛かったから、だから、それだけで。それだけ、それだけなのだ!


「待て、シャルナ。暴れるな、背を丸めるな。態勢が……」


「わ、あっま、待っ……!」


 二人の体は大きく捻れ、鎖までもがギィギィと軋んで揺れ動く。

 眼下で煮え立つマグマが、獲物を前に舌なめずりする獣が如く火花を撒き散らして灰燼を噴き出した。

 思わずシャルナはフォールに抱き付いて甲高い悲鳴を上げ、常人ならば首をへし折らんばかりの力で締めあげる。

 しかしそんな彼女と叛してフォールは異様なほど冷静に、両脚へ力を込め、確実に態勢を安定させた。そしてそのまま鎖の震動が収まるまでしっかりと踏ん張ってみせる。


「ひ、ぃっ……、ぅっ……」

 

「離せ、暑苦しい」


 涙ながらにしがみつくシャルナを引き離しつつ、フォールは再び安定した姿勢で鎖の上を進み始めていく。

 一歩一歩を着実に。靴底を擦り付けながら、鎖の錆を落とすように、慎重に。

 残りの距離は、大体半分ほどか。このまま確実な歩みで鎖を渡り行けば何も問題はないーーー……、はずなのだが。


「う、うぅ~……」


「おい、背を丸めるなと言っているだろう。態勢が安定しない」


 腕の中で真っ赤な顔で必死に涙を堪える問題児が、一人。


「敗北をっ……! 乗り越えようと、じ、でるのにっ……!! ごんな、はずがじめをっ……、ごんな、ごんなやじゅにぃっ…………!!」


「……俺の周りにはまともな魔族が集まらんな」


 今はいないが、もし彼女が此所にいればきっとこう言っただろう。

 御主よりはマシだ、と。


「兎に角、今はこの鎖を渡りきることだ。泣き喚くのはその後にしろ」


「ぅ、グスッ……、ぅぅっ……」


「……解ったか?」


「んぅ……」


 どうしてこう、魔族というのは泣き喚くのが多いのか。

 そんな事を考えながらも、フォールはさらに一歩一歩と進んでいく。

 半分を超えれば渡るのにも慣れたもので、多少シャルナが動いても安定感を崩すことはなくなってきた。まぁ、彼女の涙だの鼻水だの汗だので袖がびちゃびちゃになっているのは勘弁して欲しいところだが。

 それも渡りきるまでの話だ。渡りきってさえしまえば、この袖も振って乾かせーーー……。


「……シャルナ」


「な、なんら……」


「構えろ」


 フォールとシャルナの眼前に拡がる、壁。

 鎖延びる先の壁面に幾百の空洞が現れ、幾百の白銀が覗き出た。

 夜天に輝く星々が如く、紅蓮の焔と漆黒の灰燼を煌めかせて、満遍なく照らす闇の瞳がーーー……。


「来るぞ」


 流星となって、彼等に降り注ぐ。


「と、トラッーーー……ッ!!」


 この不安定な足場で、前方より迫る幾百のナイフを捌けるはずはない。

 哀れ勇者フォールとシャルナの旅路はここで終わりを迎えるーーー……、とお思いだろうか?


「ふん……」


 勇者フォール、この男を舐めてはいけない。

 彼は迫り来るナイフの軌道を読み、上半身のみを高速移動させたのだ!


「甘いな」


 なんという……不可能な姿勢! しかもその体の変形のスピードはスライム以上だ!

 ナイフはかすりもしないどころか互いにぶつかってフッ飛んでいく始末!


「フフフハハ……、面白い。このトラップの武器と度胸とアイデアに敬意を表そう」


 なお勇者フォールの上半身が回避しても別にシャルナ自身は動いているわけではないので大体彼女には当たっているわけだが。

 どうにか覇龍剣でいなしているが、致命傷寸前である。


「勇者フォォオオオオオーーーーールッ!! どうにかしろぉおおおおおーーーーーー!!!」


「……あと1分ぐらい楽しんでいたいんだが、駄目か」


「駄目に決まっているだろう!? このままではっ……!」


 ふつり。彼女の口端から一筋の鮮血が流れ出た。

 気付かない内に口の中を切ったのか、と。彼女は一瞬そう思ったことだろう。

 だが次の瞬間、その思いを否定するかのように、大量の鮮血が口腔から吐き出される。


「が、はっ……」


 ――――毒。毒だ。

 このナイフに、毒が塗ってあったのか。

 即効性の高い、毒。侵入者を殺す為の常套手段。


「……こ、んな」


 勇者との戦闘、腹部へのダメージ、気絶、疲労。

 様々な要素が重なり合って、シャルナの体力と抵抗力は極限まで低下していた。

 そこに筋肉の鎧を貫く刃と、血肉蝕む毒が喰い込んだのだ。


「かたち、でっ……」


 過ぎ去る銀影を瞳端に映しながら、誇りある剣を指先から滑り落としながら、彼女はずるりと崩れ落ちた。

 灼熱の牙が待っている。泡沫の鳴き声をあげながら、待ち構えている。

 何と無様な終わりだろう。誇りに生きることも、敗北を乗り越えることも、できずに。


「わたしはーーー……」


 伸ばした手は、何も掴まない。

 受け継がれてきた大剣を掴むことも、錆びた鎖を掴むことも、男の腕を掴むことも、ない。

 ただ、溶岩の中へ、墜ちていく。我が誇りを燃やし尽くす、その場所へと堕ちていく。


「…………え」


 はずだったのに。


「何、で」


 男の腕はいつまで経っても遠ざからなかった。

 それどころか覇龍剣までも、遠ざからない。消えていくのは錆びた鎖だけ。

 と言うことは、つまり、彼はーーー……。


「飛び込んでーーー……っ!?」


「投げるぞ」


 一擲目。

 フォールの腕から覇龍剣が閃光となって放ち穿たれ、凄まじい鋭音をあげて壁面に突き刺さる。

 直後、フォールは自身の投擲により反転する体の軌道に沿ったまま、シャルナの首襟を掴み、そして。

 二擲目を全力で振り抜いた。


「き、でーーー……、ん」


 伸ばした腕は、またしてもとどかない。

 小さくなっていく。彼の姿が、マグマに溶かされゆく彼の姿が。

 何が鍛錬。何が強さ。そうか、そうだ。自分はまだ辿り着いてさえいなかったのだ。

 彼一人さえ掴めない、この未熟さ。幾年も繰り返し鍛えてきた腕でさえとどかない、領域。

 自分は、強くなど、なかったーーー……。


「…………私は」


 カァンッ。

 背中を叩き付けられながらも、彼女は壁に突き刺さった大剣の柄を掴んでぶら下がる。

 そして、ただ呆然と、その現実を目の当たりにしていた。自分に弱さを教えてくれた男が溶けていく、その様を。

 突き立てられ、沈み逝く親指はどういう意味なのだろう。きっと自身への慰めなのだろう。

 あの不器用な男が自分に残してくれた、最後の、慰め。


「未熟者だっ……!」


 焔の海に消え逝くあの男に報いることさえ、できない。

 願わくば、奴に伝えたかった。あの男に、伝えたかった。

 勇者と四天王としてではなく、好敵手ともとして、あの男に気付かせてくれた事への礼を伝えたかった。

 勇者フォール……。彼に、灼熱の中へ消え去ってしまったあの男に、伝え、たかった。

 あの溶岩を遊泳する男に、伝えて、やりたかっーーー……。


「…………」


「……何だ、どうした? 貴様も泳ぐか?」


「……いや、いい」


「そうか……」


 残念そうに俯く男。

 遊泳はよく体をほぐしてから行いましょう。泳げない人への無理強いはいけません。

 なお沿岸遊泳はお父さんお母さんと、溶岩遊泳は勇者になってから行ってください。


「まぁ、無事で何よりだ。取り敢えずそこを動くなよ」


「う、動くなよって、どうするつもりだ? この高さでは昇ってくることなど……」


 壁面に、指先を添えて。


「この程度の高さなら飛び降りたとしてもなんともないのだよ」


 バゴッ! グンン!!

 フォールは壁面に脚を突き刺すとそのまま身を起こし、まるで壁が地面だと言わんばかりの直角歩行を見せた。

 溶岩の飛沫をその身に受けながら、業火に全身を覆われながらも、平然。その相変わらずな無表情が一片として揺らぐことはない。この男、溶岩に沈んでもノーダメージな上、壁歩行までやってみせる辺り、本当に人間かどうか怪しくなってくる。

 なお服は別に普通のものなので、溶岩で燃え尽きていることを付け加えておく。

 ――――即ちこの男、全裸である。


「うわぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」


「何だ、騒がしい」


「来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなぁああああああああああああああああああっっっ!!!!!」


「来るなと言われても、ならば誰が貴様をそこから降ろす? 毒の処理もせねばならん」


「だ、だって、服!! 服ッ!!!」


「服? ……別に恥ずかしいものでもあるまい。生娘であるまいし」


「き、きむっ……!!」


 生娘だ、なんて言えるはずもなく。

 シャルナは全力でフォールから視線を逸らしつつ、けれどやっぱりチラチラと覗きつつ。

 ただ、その男が降ろしてくれるのを、待つばかりでーーー……。


「脱げ」


「え」


「毒を吸い出す。脱げ」


「……えっ」


 生娘なのを告白した方が良かったかも知れない。

 彼女が青ざめながらそう後悔するのは、実に一秒後のことであった。


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