【4】
【4】
「…………何をする」
「喧しい! 貴殿を自由に歩かせては我々が命の危機に瀕するんだ!!」
普段、魔王の双角を持ち上げる勇者が、何故か今はシャルナによって抱き抱えられていた。幼年期の子供を母親が抱えるように、とでも言うべきか。両脇に腕を通して、ずっしりと。
まぁ、その勇者も何故か魔王の双角を持ち上げて、奇妙な三連結ができあがっているわけだが。
「ねぇ、何で妾も持つの? おかしくない?」
「収まりが良いだろう。確か北西にある街の名産品でこんな玩具が……」
「マトリョーシカだな。大きな入れ物の中に小さな入れ物が入っているんだ」
「そう、それだ」
「それだじゃないよ? あと松明近くない? ね、ちょ、もえ、燃える、角燃える!!」
ちなみにフォールとシャルナの身長はほぼ同じである。
筋肉量に倍近くの差があるので、威圧感は段違いだが。
「しかし困ったな、完全に迷った。シャルナよ、今こそ案内人の出番だぞ」
「……案内人、と言われても、私はこんな遺跡知らないんだ。そもそもこんな物が足下にあったことさえ……。い、遺跡の類いは先代が多少関わっていたと耳にしたぐらいで……、何を知らされたわけでもないし……」
申し訳なさそうに、そして自虐するように。
「私は……、不出来だ。『最強』を冠すべき四天王にも関わらず、無様に敗北してしまった。そんな私のことを見抜いて、先代が敢えてこの場所を教えなかったという可能性もある……。いや、恐らく、きっと……、そうなのだろう……」
また、陰鬱になっていく。
生真面目で一途な性分故だろう。あの敗北が心に食い込み、楔という毒になって腐らせているらしい。
勇者フォールと魔王リゼラの気軽な様子に当てられて少しはマシになっても、やはりその毒気を抜かないことには彼女の陰鬱さは取り除けないだろう。
もっとも、取り除こうとした結果があの魔道駆輪のファンシー部屋陰鬱大会だったわけだが。
「鍛錬だけでは、駄目だと……、ぅっ、グスッ…………もっと早くに、気付いで……いればっ……!」
「……気が滅入るな」
づるんっとシャルナの腕から滑り落ち、フォールはリゼラを放り投げた。
放り投げた先は火を噴く壁。危うく魔王の丸焼きが一丁上がりかけたが、当然の如く無視である。
「四天王シャルナよ、何をそんなに落ち込むことがある? 貴様の剣技は見事だったではないか、その鍛錬に鍛練を重ねた筋肉は上等ではないか、龍の衣は誇り高き印ではないか」
「……私は」
「そして、何よりも貴様は」
指先が、彼女の胸元に突き付けられた。
「生きているではないか」
真紅の双眸が、蒼翠を濁し染めていく。
自分よりひ弱で、身長も同じぐらいで、身形も貧相な男なのに、何故だろう。こんなにも、恐ろしい。
胸に突き付けられた指先が心臓を貫いているようだった。だと言うのに未だ鼓動を止めぬ様が、冷徹なまでに臓腑へ伝わってくる。脳髄を凍らせていく。
頬から伝っているのは涙か、汗か。それとも、己の、生気か。
「死して恥じろ、生きて誇れ。生命ある限り凡百の雑念に惑わされるな」
「生きていれば、勝ち、とでもっ……!」
「だからそう言っている。貴様の誇り高き姿は立派だが、もう少し生き汚くあるべきだな。……何処ぞの魔王のように」
聞こえとるぞ勇者テメェと黒炭から聞こえた気がした。
然れど勇者、またしてもこれを無視。
「…………だが、私は」
シャルナの表情が晴れることは、ない。
彼女の中にある自責と、今まで積み上げてきたものへの喪失が思考を遮断しているのだ。
心の中に色濃く沈殿した黒色が四肢の先まで蝕むようだった。希望への道に絶望の体液を染み散らすようだった。己の首を絞め、不快の言葉を耳元へ流し込むようだった。
まだ、その誇りにしがみつくのか、と。
「敗北し……、四天王として……、その……」
「くどい」
一瞬、勇者の腕が消えた。
比喩ではない、文字通りに彼の腕が消失したのだ。
音速に到る剣鋒を見逃さないシャルナの瞳でさえ、その拳を捉えることはできなかった。
故に彼女は動揺した。何が、と。そう言い放とうとしたのだ。してしまったのだ。
次の瞬間ーーー……、自身の臓腑から全ての空気が無くなるとも知らずに。
「な」
――――パグンッ。
「……ぁ、かっ」
裏拳。
勇者が軽く、手首を効かせて放った一撃。
「いつまでもウジウジウジウジと鬱陶しい奴だ。一度落ち込めば充分だろう、二度も三度も……」
「かふ、ぃっ、ひっ…………ぁっ…………」
口から色々な汁を垂れ流しながら、悶絶し、褐色の肉塊は鋼鉄が如き腹筋を抱えてその場に蹲った。
激痛、などというものではない。今まで絶息での浸水鍛錬や無呼吸での全力疾走鍛錬などは幾度も行ってきた。その度に肺胞が中身から引き千切られるような苦痛を味わったが、これはそんな次元ではないのだ。
視界がちかちかと音を立てて点滅する。臓腑の中で爆弾でも爆ぜたようだ。体の中身が沸き立ち、口から泡となって飛び出るようにさえ思える。
苦しい、苦しい、苦しいーーー……、し、ぬ。
「おま……、マジか……。殴りおった……。妾でも聖女殴らなかったのに……」
「何だ、生きて……。アフロになってるぞ」
「御主のせいでな?」
黒焦げになりながらも、どうにか生還した魔王リゼラ。
彼女はアフロになった頭を直しつつも、シャルナに駆け寄り、はしなかった。
慰めの言葉を掛けることも、その背中を擦ってやることも、庇ってやることもしない。
彼女とて知っている。刀は一度折れてもまた打ち直せることを、そしてより強固に、鋭利になることを。
真に通る一本の信念さえ折れていなければ、さらなる刃となることを。
「…………」
さらなる刃と。
「ぃ、ぁ、くふっ…………」
さらなる、やい、うん。
「…………なぁ」
「……何だ」
「ぅ゛、ぉっ…………、ぁ…………」
「折ってない?」
「折ってない」
ポッキリいってます。
「御主そこは熱い言葉をかけるべきじゃろ……。裏拳て……」
「…………百回叩くと壊れる壁があったとする」
「一回で壊れてんじゃねーか」
しじみがトゥルル。
「……むぅ、慰めというのは難しいな」
俺が読んだ絵本では河原で殴り合って握手して『!?』すれば大体上手くいったのに、とフォール。
どう考えても参考書を間違えているのは気のせいだろうか。いいやきっと気のせいじゃないと思う。
「仕方ない。不慮の事故とは言え案内人がこうなった以上、俺が運ぶしかだろう」
×不慮の事故。
〇不慮の事件。
「だが……、いかんな。これでは……」
「……重いから運べないとか言うなよ? 御主」
「別にそうではないんだが、トラップに突っ込めないと思ってな」
「トラップに突っ込むって言葉としておかしいと思うの、妾」
あと頭としてもおかしいと思う。
――――いつも通りだった。
「それに……、万が一、貴様がトラップに掛かっても助かることができないだろう」
「勇者……」
思い掛けぬ思いやりの言葉に、リゼラはぎゅっと自身の胸にかかるネックレスを抱き締めた。
何だろう、この気持ち。この男、自分のことはどうでも良い的な態度を取っておきながら、いざとなったらこういう事を言いやがって。
あぁ、この気持ちは、そう。
「助けてもらった記憶ない……」
殺意だ。
「って言うか御主のせいで数えきれないぐらい死にかけてるんですけど? 怨みしかないんですけど!? 殺意しかないんですけォッ!!?」
「よせ、照れる」
「何処に!?」
そこはノーコメントで。
「さて、ここからだが……、魔王リゼラ、松明は貴様が持て。片手ではいざという時に対処できない」
「ぬ……、仕方ないな。しかしそれよりも、この先をどう進むつもりじゃ? と言うかそもそも内部構造解らないのに進めるのか? 階段が崩れたから外に出られぬし……」
「遺跡というのは幾つが入り口があるものだ。規模から考えて、俺達が入ってきたのは裏口だろう。となれば正面出入り口があるに違いない」
「成る程、その正面出入り口から脱出を……」
「そこを確実に破壊してシルバースライムたんを追い込むのだ」
「あぁうんだろうね」
当初の目的から一ミリもブレちゃいねぇ。
と言うか脱出云々よりスライムに会いに行くってこの男、しかも出入り口を破壊ってこの男。
まさかスライムと生き埋めになるつもりか? 一緒に墓に入るつもりか? 遺跡だけに?
――――やりそうっていうか絶対やるぞコイツ。勇者ここに眠るっていうかスライム抱き抱えて出て来るぞコイツ。平然と出て来るぞコイツ。
「その為にもまずは奥を目指す。裏口ならば、反対方向に向かえば正面出入り口があるものだろう」
「フワッフワした理由じゃが、まぁ、有り得なくはないじゃろうな……」
取り敢えずコイツが正面出入り口を破壊する瞬間に逃げようという決心を心に宿しつつ、魔王リゼラは通路の奥地に松明を向けた。
しかし、暗い。『沈黙の森』もかなり暗かったが、ここはもっと暗い。どのぐらい暗いかって電気魔力がもったいないからって側近に消灯時間早められたせいで何か妙に遅い時間に目が覚めちゃった深夜のベットの中レベルで暗い。
こんな中でトラップに引っ掛かったり、モンスターに襲われたりしたら一溜まりもない。しかし、それを考えてみれば、この馬鹿のせいで何度か死にかけはしたが、その馬鹿の御陰でトラップやモンスターが無効化されているのだ。
と言うことはこの馬鹿な勇者の行動も満更無駄というわけでもないのだろう。
「魔王よ」
「ん? 何じゃ」
「トラップを踏んでしまった」
「え」
訂正。
絶対無駄だわ。
「ちょ、おま、何の……っ!?」
その言葉を塗り潰すように、彼等の眼前より幾百の球体が飛来した。
拳大の岩石だ。それ以上でもそれ以下でもない、ただの石球。
当たれば物理的にかなり痛い感じになるだろうが、別にその程度だろう。釣り天井だとか火炎の壁だとかに比べれば、随分可愛らしーーー……、くない。
「転移魔方陣が刻まれとるゥウウウウーーーーッ!!!」
そう、その石球には転移の魔方陣が刻まれていたのだ。
―――――転移魔法。読んで字の如く、同じ魔方陣を刻んだものをA地点、B地点に配置することでその間を自由に行き来するというものである。
無論、移動には魔力を消費するし、転移に必要な魔方陣もミリ単位で正確に刻まなければならないため非常に高度な魔法なのだがーーー……、今はそんな事を言ってる場合じゃない。
あの石球をA地点とするならば、それは、つまり。
「ヤバいヤバいヤバい! あの石に当たったら何処に飛ばされるやも知れぬぞ!! 最悪『いしのなかにいる』じゃぞ!!」
「触れるのも駄目か」
「触れた瞬間に飛ばされるから駄目に決まっておろう!? 何か、飛び道具か何かで弾くしかーーー……っ!!」
「そうか、ならば任せろ」
左手でシャルナを背負いながらも、フォールは残った右手で懐から銀影を取り出した。
それから行われる投擲術は向かって来る石球を次々に叩き落としていく。その正確さと迅速さは、正しく獲物狩る鷹の爪撃が如し。
「お、おぉ! やるではないか!! ちょっぴり見直したぞ!!」
「…………」
「これには照れないんだ!?」
「要素がない」
「妾という美女に褒められてんのに!?」
「…………? お、おう、そうだな」
「き、貴様ァアアアア~~~……!!」
勇者フォールはその調子で幾つもの武器を投擲していく。
いや武器っていうか砕けた盾とか小刀とかまな板とか瓦礫とか魔王リゼラとかなのだが。取り敢えず手元にあるものを何でもかんでも投げているようである。
しかしその投擲技術は確かなもので、石球は撃ち落とされるなり諸共転移して消え去っていった。凄まじい数の石球も、彼の投擲術の前には形無しだ。
無論、ただ撃ち落とすばかりではない。時には足下の瓦礫を弾いたり、トラップを連動させて発動させたり、幾つも連鎖させて撃ち落としたりと、見事な応用力でフルコンボだドン。
――――もとい、見事な応用力で撃ち落としているのだドン。
「…………ん?」
ふと気付く。今何か余計なものを投げたような。
いいや、きっと気のせいだろう。打ち捨てられた松明があったり呪い殺してやるとかいう叫びが聞こえたりしているが、きっと気のせいだろう。
さて、石球のトラップも止まったようだ。先に進むとしよう、そうしよう。
「…………」
やらかしたかもしれない。




