【5】
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「…………」
彼は、空を見つめていた。何処かで巻き起こる戦いの余波によるモノだろうか、曇天が裂かれ蒼き光が降り注ぐ空を見つめていた。
太陽の光が眩しく、曇天より光の柱となって彼に降り注ぐ。半身を失い、刃を持つ力すら失った男へと、残酷なほど美しく、燦々と降り注いでくる。天を舞う花弁より麗しく、然れど彼の側にいる一匹の魔物より色褪せて、降り注いでくる。
「……意外と、悔しいものだな」
鮮血が散るわけではない。ただ、泥と土塊だけが辺りに散りばめられていた。草原の土と見分けが付かないほどの欠片となって、散りばめられていた。脇腹への一撃により崩れ欠けていた箇所への攻撃は、そのまま致命傷となって彼の体を崩壊させたのだ。
結局、フォールが放った一撃は振り切られることなく、そのまま刀剣ごと彼の上半身と共に草原へと墜ちた。花弁舞う風の揺りかごに覆われながら、静かに、落ちていった。
「あぁ…………」
最後の最後。その一瞬。
彼はーーー……、敗北したのだ。
「これが、敗北か」
最後の戦いは決した。天を裂くことも地を砕くこともなく、余りに呆気なく決したのだ。
幾度、剣が振られただろう。幾度、ぶつかり合っただろう。幾度、吼えただろう。幾度、幾度、幾度ーーー……。それでも、決着は来る。彼の運命への、彼の願いへの、彼の存在への決着は、訪れる。
これはフォールにとって初めての敗北だった。今まで様々な激闘を乗り越えてきた彼にとって、四天王や魔族三人衆達との激闘、その試練を乗り越えてきた彼にとって唯一の敗北にして、そして、彼にとって唯一、願いを果たした敗北だった。
唯一、彼が心から望むことができた、敗北だった。
「やべぇ、コイツまだ生きてる……。怖っ……」
なおそんなセンチを真横から魔王がブチ壊したワケだけども。
「……下半身さえ動けばその頭粉砕してやるものを」
「フーハッハッハッハッハ! 無様だな勇者めがァ!! かつてあの時とは真逆よのォ真逆、あの、ちょ、ルヴィリアさん? 何で背中押すの? ねぇやめて? 10メートル距離取らないと危な、ねぇ? ルヴィリアさん? ルヴィ、やめ、やめろォ!! その男に近付けるな!! やめ、御主も構えてんじゃ、やめ、ア、アイアンクローは嫌だ! アイアンクローは嫌だ!! 目潰し眼ガァあああああああああああああああああああああ!!!」
「ごめんフォール君、これ埋めてくるから……」
「カルデアの墓標にしてこい。汚らわしい花が咲く」
「待ってこのやり取りデジャヴ」
「リゼラ様……、流石に空気を読みましょう……。見てください、ローなんてもう穴を掘ってあるんですよ」
「えー、やめとこうぜこんなトコに埋めたら邪神崇拝が……、え? 妾用?」
「貴様等には余韻という言葉がないのか……。いや、どのみち達成できなかったのだから、余韻も何も無いが……。全く、やかましい事この上ない……」
フォールは左手で髪を掻き上げようとして、しかし掌は腕ごとぼどりと地面に墜ちた。
「ぬ……、折れた」
「「「ぎゃあ」」」
既に限界が、いいや、スライムとの決戦で疾うに限界は来ていたのだろう。彼の体には数え切れない程の亀裂が走り、頬はもう泥の色合いになっていた。
彼は依然としていつも通り平然としているが限界は限界だ。もう間もなくその体は泥と土塊になりこの大地へ融け込むことだろう。この、雄大な草原の一部となることだろう。
「ふぉ、ふぉーりゅぅ! う、腕! 腕落ちちまったぞぉ!!」
「騒ぐな、ロー。解りきってたことだ……。あぁ、いや、やはり俺の腰辺りは持って来てくれ。スライム君人形が納めてある。旅路の思い出の品だ……。抱いて眠りたい」
「ん? これじゃろ」
「あぁ、それだそ……、おいそこで人の下半身を使って犬神家遊びをやってる阿呆を埋めておけ」
「ぐ、ぐえーっ! 何でじゃ日頃の恨み晴らすには今しかないじゃん! 今しかないじゃん!! うぉおおおお妾はやるんだぁあああああああああああああああ!!」
「リゼラちゃんお願いだから空気を読んで今ばっかりは!! 如何にフォール憎しと言えどタイミングってモンがあるよ!!」
「フシャー! ホントに埋めるぞこの魔王!!」
「あぁ……、目がかすんできた。どうやらそろそろのようだな……。せめて最後にスライム君人形フルコンププレミアセットを買っておきたかった……。帝国通販で三十万ルグだが、ごほ、ごほっ、リゼラとローの数週間分の食費とルヴィリアの卑猥な本代とシャルナの筋トレ道具代を節約すれば変えるのに……」
「あぁ、解った。注文しておくよ、貴殿……。貴殿の墓前に備えよう……」
「…………一つ上のランクに五十万だが歴代スライム君人形フルコンプのプラチナセットが」
「わ、解った。それにしておこう……!」
「墓石には五十メートル四方のスライム御殿で……」
「ぐ、うぅ、わ、解った……!! そ、それに、しておこう……!!」
「おい待て騙されるなシャルナァ! と言うか御主たち全員目を覚ませ阿呆共が!! 何かそいつ目的まで一歩惜しく届かなかったけど満足できたし成仏するみたいな雰囲気だしとるが、嘘じゃからな! 絶対嘘じゃからな!? 考えてもみろ、この騒ぎの原因はカルデアだけではあるまい! もう一体いるはずだ!! コイツがその黒幕放置して呑気に成仏するガラか!?」
リゼラの絶叫に、全員の視線がフォールへと向けられる。
そこには無表情のままゆっくり顔を逸らす勇者の姿が。
「「「…………フォール?」」」
「言質は……、取ったから……」
勇者テメェこの野郎。
「それ見たことかやっぱり妾が正しいじゃないか!! オラ離せコイツの下半身で犬神家タワー創るんじゃ妾はァアアーーーッ!! 何すんじゃ馬鹿虎娘ェエエエエエーーーーーッ!! 妾の犬神家タワーぁああああああああああああああああああああ!!」
「ルヴィリア、手伝え。コイツ埋めるゾ」
「オッケー任せて」
「嫌だぁあああああああああああああ! やめろぉおおおおおおおおおお!! 死にたくないぃいいいいいいいいい!! 嫌だぁあああああああああああ!! 魔王ぞ、妾魔王ぞ!! 妾は魔王だぞぉおおおおおおおおおお!!」
「……貴殿、説明」
「……さて、説明と言われてもな。この現状をどう説明したものか」
「そういう事を聞いてるんじゃない! どういう事だ!? 貴殿は生きられるのか!? 貴殿は……、、貴殿はまだ生きられるかと聞いているんだ!!」
「…………さてな。それは解らん。だが、俺にとっての決着は着けなければならない事だけは確かだ」
彼の呟きを伺うように、戦いが終わったからだろうか、空には一羽の鳥が舞い戻ってきた。
次第に辺りの草原にも獣やモンスター達、一つ一つの命が舞い戻ってくる。誰でも見たことがあるような、けれど彼が欲し求めた命達が、舞い戻ってくる。蒼き体もまた、緑の楽園で踊っていた。
晴れゆく暗雲の狭間から差し込む日差しを受けて、数多の命が、その小さな草原に現れ始めたのだ。
「……世界は美しかろう、シャルナ」
草原をそよ風が撫で、戦いの灰燼を地平の何処か吹き流していく。
先刻までの死闘も、緩やかに崩れていく勇者の体も、何もかも、過去という果てに流していく。
「この旅路を続けてきて……、目的を達成こそできなかったが……、俺は満足している。この世界の美しさに、貴様等と歩んで来れたことに、己の道を歩み切れたことに、感謝している。誰かと出会い、別れ、紡いできた者が俺の偽物の存在に本物を与えてくれた……」
「あぁ……。あぁ、そうだ。あぁ、その通りだ。私も、貴殿と出会えて良かった。貴殿と出会えたからこそ、私がここにいる! シャルナ・セイリュウという私が、今、ここにいるんだ!!」
ぼろり、ぼろりと崩れていく。過去の遺物は風に揺られて、誰に抗うこともできず、消えていく。
「ならば……、何も案ずることはあるまい」
かつて、一人の勇者が生命の消失により誕生した。勇者は幾度の試練を耐え抜き、険しき旅路を歩き続け、多くの仲間と出逢い別れ、多くの難敵と刃を交わし乗り越え、旅を続けてきた。始まりは些細な願いだったのかも知れない。けれど、他ならぬ、それこそが勇者にとっての願いだった。彼の、強さのカタチだった。
そして今、何の因果か、彼は、生命の産声を聴きながら、とても安らかにーーー……。
「全く騒がしいことこの上ないが……、しかし……」
彼は静かに、瞼を閉じる。
その緩やかな吐息と共に、相変わらずの喧騒と共に、長き戦いは終わりを告げた。
僅か一時の、けれどとある男の一生の戦いは、ただ、草原の微風の中で。
「その方が……、俺らしい、な……」




